元銀行員のよもやま話

元銀行員のよもやま話

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2007.06.19
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昨日の第二地銀支店長との会話の続編ということで・・・

支店長は53歳であり、出身大学は関*学院大学だという!
地元関西では名門私立である。
ご存知の方は少ないと思うが、我々の時代は国立受験は、第一期校、公立大学、第二期校の順番で3回受験のチャンスがあった!

支店長は第一志望の神戸に落ち、第二志望の慶応に落ち今の大学にはいったのだと言う・・

実を言うと私も、長男の通っている国立に落ち、第二期校受験ではまさかの地元駅弁大学に落ちた経緯を話した。

何故、第二地銀に入行したのか?
その時代は相互銀行といって、無尽からスタートした銀行へである・・
しかも、相互銀行時代は今のようにトップは頭取とは言わなくて民間と同じ(社長)がトップの時代にである・・

(負のエネルギーですね!)と淡々と言った!
サラリーマンになった以上綺麗ごとを言っても、出世が一番と考えられた時代でもあった。

第一地銀なら昇進のスピードは恐ろしく遅いからである・・・

(今だからいえますが・・)と前置きして、
(同期の優秀な国立大学出身の人が病気や怪我をしたら嬉しい時期があったという・・)

そして、32歳から銀行の組合へ出向したと言う。
銀行の組合はいわゆる(ユニオン)ではなく、御用組合であり、銀行員の出世の登竜門となる道である!

驚いたことに組合員のときは労使折半の(雇用保険は)自身の保険料は組合負担だったので、手取り額が4~5万同期より多かったのだと言う・・

私も子供が小学生のころは役員報酬といっても名ばかりで、一応頂くがすぐに会社へ貸付金勘定で貸し付けてタダ働きの状態で、金がなかったことを話した!

子供を塾に行かす金がもったいなくて夫婦喧嘩をしたことも話をした・・
忘れてしまったが、綺麗ごとではない(俺は絶対、成功する!)と一点の曇りも感じることなく自分を叱咤激励してきた時代でもあった!

支店長も(負け続けながら)模索して、サラリーマンのエリートとなったわけで、決してサラブレッドではなかったらしい・・

私も負け続けながら、やっと何とか経営者として、食べていけるところまで来た・・・

(人間は成長するには負のエネルギー)が絶対必要であると感じた次第である・・・・





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最終更新日  2007.06.19 12:04:29


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