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昨日はさえりんの7年目の祥月命日でした。6年目の昨年は七回忌法要を行いましたが、7年目の今年はさえパパと2人で静かにさえりんを想って過ごそうと思っていました。そんな中昨日は滋賀県からくらさんとちーさんがさえりんの現場にお花を供えに来てくれました。途中高速道路が混んでいたようで大変な中来てくれたことに感謝です。いつものギャラリエアピタ知立店のお花屋さんで待ち合わせしてくらさんちーさんとお花を買いました。いつもの白いユリは売り切れで他の花でラッピングしてもらうように頼んでから真っ赤な芍薬が目に留まり追加で入れてもらいました。するとお店の方がピンクのユリを2本持ってきて「これサービスしますよ」と追加して下さいました。あとでラッピングした花を取りに来たときに「今日は娘の祥月命日なんです」と話すと、お店の方は「知っていますよ」と言われ、だからピンクのユリをサービスしてくれたんだとお店の方のお気遣いがありがたかったです。今回は私は赤とオレンジ系のお花を、くらさん達はピンク系のお花を持ってさえりんの現場へと向かいました。現場には桃の缶ジュースが供えてありメモにはさえりんの高校の同級生Kちゃんの名前が書いてありました。さえりんの事故から7年、高校を卒業してからもう10年も経っているのに、いつも毎年この日を覚えていてお供えにきてくれるその気持ちがとってもありがたいです。私は感謝の気持ちでいっぱいになりながら、くらさん達とお花を供えました。(くらさんちーさんとさえりんの現場にお花を供えに💐)お昼はすぐ近くのゆず庵で一緒にランチを食べました。滋賀県にはゆず庵はないのでくらさん達は初めてだそうです。みんなで美味しいランチを食べれて良かった。私は福島県のSさんが来てくれるとここへ来ます。このゆず庵の建物は以前はかっぱ寿司でした。その頃は近くにスシローはなかったのでさえりんとよく回転ずしを食べに来た思い出の多いお店でした。きっとさえりんも一緒にいたよね。(お昼はゆず庵でランチ)お店を出て駐車場の前で少し話をしていると知らない女性が声をかけてきました。どうやらくらさんちーさんのファンの方らしいです。その女性はまるで芸能人にでも会ったみたいに「どうして愛知県にいるんですか??」と驚いてみえました。やっぱりくらさんちーさんはすごいなあっと感心しました。昨日の祥月命日はどんより重たい気持ちで過ごすんだろうと覚悟はしていましたが、くらさんちーさんが来てくれてみんなでさえりんを偲んで過ごせたことが本当にありがたかったです。Kちゃんもそうですがさえりんの事を忘れないでいてくれる人がいることが本当に感謝の気持ちでいっぱいになるのです。家に帰ると玄関に紙が挟んでありお花屋さんが長野県のNさんからのお花の不在表でした。すぐにお花屋さんへ電話して届けてもらうと水色を基調とした素敵なアレンジフラワーでした。Nさんは元新聞記者でさえりんの事故後の記事を丁寧に書いてくださった女性です。7年経った今でもお花を送って下さる事に感謝です。昨日はメンタル的にどうなるのかすごく不安でしたが、みなさんのお気遣いが本当にありがたくて私は1人じゃないんだとあらためて実感できた日でした。「さあ明日からも元気に頑張って生きていこう!!」と思えました。みなさん本当にありがとうございました!!(長野県のNさんからのアレンジフラワーと皆さんからのお花とお土産)(さえりん中学2年生 家族全員で沖縄旅行part13)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2026年06月05日
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今日6月4日はさえりんの祥月命日です。2019年6月4日あの交通事故がさえりんの命を奪い、我が家の家族の運命を変えてしまいました。今年で7年目の祥月命日。20歳11カ月で亡くなったさえりんは生きていたら今年28歳。生きていたら今頃どうしていたのかな・・・毎年この季節はメンタルが落ち込み憂鬱な時期です。昨年の七回忌法要は本当に心が辛かった・・・今年は仕事も忙しくそのお蔭か今までより現実逃避ができている様な気がします。それでも今日は気圧のせいか朝から頭痛がして重苦しい気分です。この深い悲しみ苦しみ未来を奪われた絶望感は一生消えることはありません。しかしその想いを毎日抱えてそこに浸って生きていくのはあまりに辛すぎる。それで自己防衛本能が働いて現実逃避が少しずつ出来るようになってきたように思います。現実から逃避したって何も解決するわけではありません。だからといってさえりんがある日突然命を奪われた現実は変えようのない事実であり、生き返らない限りは解決なんて出来ないんです!!どんなにもがいてもどうすることもできないから、少しでも現実逃避して自分を絶望から逃がして生かすのです。さえりんが20年11ヵ月の間一生懸命に生きた事実をこの世に残すためにも私はまだ生きていかねければいけないのです。さえりんがこの世から忘れ去られて二度目の死を迎えないためにも。それが母としてせめてものやれることだから。(さえりんの祥月命日にSさんとIさんがお花を送ってくれました)今日はさえりんに手紙を書きます。さえりんへさえりんと突然会えなくなって、今日で7年です。今でもあの日のことを思い出すとママは心が壊れてしまいそうになります。正直この7年間なんとか生きてこれたことが奇跡だったような気がします。よく人は「時が解決してくれる」なんて簡単に言いますが、どれだけ年月が流れてもさえりんにもう二度とこの世で会えなくなった苦しみは決して消えません。さえりんの命を奪った加害者のことは今でも一生赦すことはできません!!執行猶予がついて刑務所にも入らずのうのうと暮らせるという理不尽極まりない刑事裁判の判決が出た時は、加害者を車で轢き殺しに行くか、さえりんの後を追って死ぬかの2択しかなかった私です。もし生きていたとしてもこの先は心や体を病んで廃人のような人生しかないんだと自分の人生を諦めていました。それでもそのどちらにもならずに、生きていられるのはさえりんのお蔭なんだよ。さえりんがお空からたくさんの人とのご縁を繋いで、パパとママがこの先も生きていけるようにしてくれたんだと思っています。事故現場が歩車分離式信号機になったことも、にじいろ会のボランティア活動を始めたことも、パパとママだけでは到底成しえないことだったのに、さえりんがたくさんの方々とのかけがえのないご縁を繋いでくれたから実現できたんだよ。今では共に活動してくれる大勢のボランティアメンバーさんや、仲間に出逢えたことがパパとママの生きる意味にもなっているよ。もちろん次女の存在も。パパとママはやることができたからもう死ぬわけにはいかなくなったよ。それはさえりんがパパとママにはまだ生きてほしい、人生を全うしてほしいと願ってくれたからだよね。私がちゃんと人生を全うしたらまたあの世で再会できるよね。ママはそう信じてさえりんに会える日を楽しみに生きているんだよ。これからあと何回祥月命日を迎えて、その度に振り返ってさえりんに会えない年月を重ねていくのだろうか??今もさえりんに会いたい気持ちは全然変わらないよ。でもねママの人生はまだもう少し続いて、さえりんに会えなくなったあとの出来事をいつかお空で再会した時にたくさんお話しするのを目標にがんばるよ!!だからもうちょっとだけお空で待っていてね、さえりん!!ママより(さえりん中学2年生 家族全員で沖縄旅行part9~12)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2026年06月04日
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