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ロシアのウクライナ侵攻が収束しないうちに始まった、イスラエルのガザ侵攻。SDG’Sだとかいって、世の中は優しくなっているはずなのに、一方では戦争で命を失っている市民が大勢いても、世界はなにもできない。ロシアへのウクライナ侵攻は、100歩譲れば「自衛」のための戦争だと言えなくもない。ただ、イスラエルのやっていることは、理解しがたい。「約束の地」を守るために、そこに住んでいた人を追い出し、迫害し、命まで奪っていくということは、果たして彼らの神様の望んでいることなのか?そもそも「神様」というのは、彼らの神様であったり、われらの神様であったりするものかのか。もし、一部の人間だけの繁栄を望み、それ以外の人間が犠牲になってもいいと考えるなら、それは「神様」と言ってもいいものなのか。それは「悪魔」というべきものなのではないか。ガザの悲惨な映像を見るたびに、そう思ったりする。中国は不動産バブルがはじけて、失業者があふれ、かなり厳しい状況らしい。確かに、インバウンドで日本各地でオーバーツーリズムが問題になっている割には、かつてのような中国人の爆買いは見なくなった。なにしろ、14億人の住む国でもあり、GDPも世界第二位なので、バブルが崩壊したときの世界に与えるインパクトは大きいに違いない。中国にしろ、北朝鮮にしろ、あの体制が維持されていること自体が異常だ。巡礼地メッカでは、50度を超える猛暑で、1000人以上の巡礼者がなくなったとか。異常気象も当たり前で、異常な状態が常態化しつつある。「環境保護」の名のもとに推進された太陽光パネルは、ひょっとするとそれ自体が環境破壊であり、将来へのごみの大量生産なのではないか?サスティナブルの名のもとに、サスティナブルでない「右肩上がり」の経済成長が求められる。世の中で一番サスティナブルでないのは今の経済システムなのではないか。お金を右から左に動かすだけの人の方が、体と頭を使って「生産」をしている人よりもお金を稼ぐ、というのは、正しいことなのか?日本の政治にもがっかりする。保身とパフォーマンスばかりが目立って、与党も野党も期待感ゼロ。「戦争」「疫病」「飢餓」太古の昔から人類に恐れられている災厄だって、一方には、それで富を得る人もいる。しかも、武器と薬で稼いでいる会社は巨大。今の世の中は、崩壊直前のジェンガなのではないか。なにか、ちょっとしたきっかけで、ガラガラを崩れてしまうのではないか。2025年の7月に「大変なこと」が起こる、などと、都市伝説界隈ではもっぱらの話題で、テレビでも取り上げられていますが、それは、閉塞感の打破への期待感の現れなのかもしれませんね。写真は、上野動物園のゴリラです。
2024/06/21
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ウクライナはどうなっているのでしょうね?ここのところテレビのニュースではイスラエルのガザ地区への軍事侵攻の話ばかりで、ウクライナのことは全く聞こえなくなりました。でもきっと、ウクライナでも、戦争は続いているのでしょう。戦争など、だれもしたくはない。武器を手に、人を殺しに行くなんて、絶対に嫌だ。誰もが、そう思っている。にもかかわらず、戦争はなくならない。「神」の名のもとに武器を持ち、殺し合いをする。そんな「神」はもはや「神」ではないのではないか?「聖戦」などというものは決して存在しない。守るべきものは信仰ではなく、家族だ。平和公園の慰霊碑には「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」と刻まれている。誰の「過ち」か、ということばしばしば議論される。日本の過ちなのか?原爆を落としたアメリカの過ちなのか?思うに、「過ち」とは、戦争そのものだ。戦争とは、話し合いによって解決できずに、殴り合いになったということに他ならない。力でもって相手を屈服させ、自分の思い通りにしようというのは「野蛮」なこと。「やられたからやり返す」のか、「やられそうだから、先にやる」のか。いつの時代も、戦争で一番苦しい思いをするのは、平穏を願って暮らす罪のない人たちだ。「神」の名のもとに、戦争をやめることはできないのか。
2023/11/22
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昨日は、アルフレド・ジャー展の「光庭」の展示に、杉足場板を使われたということを書きましたが、本日は、「アルフレド・ジャー展」について、少し触れたいと思います。広島市現代美術館は、広島市の東側にある、比治山という小さな山の上にある美術館です。原爆投下の際には、この比治山の陰になった段原地区の被災は少なく、私の大学時代には、狭い路地と古い家々が並んでいました。現在は、再開発され、あとかたもありません。アルフレドジャーは、歴史的な事件を作品にしてきた社会派の空間アーティスト。今回の展示のコンセプトは、「teach us to outgrow our madness」。大江健三郎の「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」という作品のタイトルの英訳です。人類が犯してきたいろんな惨事、例えば原爆投下であったり、戦争であったり、搾取による貧困や、飢餓であったりといった、人の命を軽視した「狂気」の中を、いかに生き延びていくか、というかなり重いテーマです。入口から真っ暗な会場に入ると、大きなスクリーンに映像が映し出されます。広島の街です。広島の街の風景が流れた後、だんだんと一点に寄っていき、真上からの映像に。これは、原爆ドームを上から見た映像です。ドームは上から見ると長丸であることを初めて知りました。そして、そのドームがぐるぐると回り始めます。同時にスクリーンが上がっていき、たくさんの扇風機から一気に強い風が吹きつけてきます。「爆風」のイメージですね。「アルフレド・ジャー展」では、「狂気」に満ちた出来事を、視覚だけでなく、聴覚や、触覚などを使って訴えかかてきます。こちらは、「100もグエン」という作品で、1994年、香港で撮影したベトナム難民の少女をテーマとしたもの。報道では、よく、その大きさを「被災者1000人」と数で表現するけれども、その一人一人に物語があるということ。「グエン」という一人の少女の写真をたくさん並べたものですが、世の中には、多くの難民がいて、それぞれに人生があります。ここ数日、ニュースはイスラエルとハマスの問題が大きく報道されています。突然村が襲撃を受けて虐殺され、危機の凝ったものが捕虜にされたとか、ガザの病院にロケット弾が撃ち込まれ、500人が死亡したとか・・・。まさしく「狂気」としか思えない出来事が、この地球上で行われています。「平和ボケ」と言われる日本ですが、薄氷の上に成り立っているのかもしれません。私たちは、それに気づかずに、イスラエル周辺の出来事を対岸の火事のように見ているのかもしれません。暗めの会場の中で、人間の狂気が引き起こす不幸や死にスポットがあたる重苦しい作品が続くのですが、現代社会の光と影の「影」の部分を知り、意識することが大事なんですね。光の中にあれば、人間は、闇の中で起こっていることが見えません。そんな中で、唯一の救いともいうべき作品が、杉足場板を使った、この展示でした。《音楽(私の知るすべてを、私は息子が生まれた日に学んだ)》というこの作品は、新しい命が生まれてくることの奇跡に、「狂気」を生き延び、世の中を変えていく力があるということを訴えてきます。光にあふれる空間に流れる赤ちゃんの産声。「狂気」の中を生きつつ、生まれてくる命についての期待や、生まれてくる命に対する責任。「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」というテーマとは、そういうことなのかな、と思いました。残念ながら、「アルフレド・ジャー展」は10月15日で終了。最終日になってしまいましたが、行けてよかったです。
2023/10/18
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一日過ぎてしまいましたが、昨日は、原爆の日でした。広島では、数多くの特別番組が組まれ、極端に言えば、朝から晩まで「原爆・平和」をテーマにした映像が流れています。朝の8時10分頃には、「8時15分から、サイレンを鳴らすので、一分間の黙とうを」をいった放送がありました。8時15分。黙とう。今年の原爆の日が日曜日であったこともあり、お盆休みに帰省してくる子供たち家族のモノを用意したりしていましたが、つけっぱなしのテレビから流れる「特集」に目を止める場面も多くありました。原爆投下から78年。原爆投下三日後に、廃墟となった広島を広島電鉄の路面電車が走ったというのは、結構有名な話なのですが、その一番電車の車掌を務めていたのは、なんと、14才の少女でした。その笹口さんもすでに92才。当時、男性の運転手や車掌さんの多くが招集され戦地に行ってしまい、広島電鉄では、家政科の学校を作って若い女性を募集。そこで勉強しつつ、路面電車の運転や車掌も多くの若い女性が行っていました。14才と言えば、中学二年生です。島根県の太田市から出てきて、数カ月で被爆し、そして、廃墟の中を走る一番電車の車掌を務めた笹口さんの目にしたものは、想像するだけで恐ろしいです。笹口さんの印象的な言葉。(私の印象なので、正確ではありませんので、ご容赦)アナウンサーが、「今の平和な日本をどう思いますか?」「今の世の中は平和過ぎて、好きじゃあない」アナウンサーも一瞬、えっといった表情。「そのころはみんな、国のために戦争に勝つためにみんな頑張っとった。今の時代は平和でいいけども、平和過ぎて緊張感がない。何事も、過ぎたらだめじゃね」と、そんな内容だったと思います。おそらく、笹口さんの目には、緊張感なく、平和を当然のことのように享受している日本人が、頼りなく、さもしく見えているのでしょう。14才で地獄と化した町を走る車掌を務めた笹口さんの言葉は、とても重いと思いました。平和は、は与えられるものではなく、自らの手で守るべきもの。確かに、そうですね。
2023/08/07
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「日本人は貧乏か」なんて、大げさなタイトルを付けてみたが、私は政治家でも経済学者でもないので、ただ、率直に一人の国民として思うことをを書いてみます。「日本人の給料は、世界の先進国と比べて安い」と言いますが、確かに、国民の平均所得がオーストラリアに抜かれた、という報道を見たときには、「あれ?」と思いました。「韓国にも抜かれた」という報道もありましたね。豊かに暮らせるかどうかは、物価との相関関係にあることは間違いありません。給料が倍になっても、物価が倍になったのでは、同じ量のものしか手に入れることはできません。日本で1000円で食べられるランチが、外国で2000円なら、収入も倍必要です。バブル崩壊から、「失われた30年」と言われ、日本人の給料は増えず、世界の中での相対的な影響力は低下しました。が、これは、国民の「豊かさ」と比例するものではありません。給料はあまり上がっていませんが、物価も上がっていないので、単純に「貧乏になった」とも言えないでしょう。私は、1984年に大学を卒業し、就職しました。住宅建材の営業マンでしたが、帰宅するのは夜10時。土日にも展示会があったりしますが、代休も取れず、ましてや、有給休暇などは、身内の葬式か、自分の結婚式くらいしか取れない雰囲気。基本的に「バブル」の頃も似たような状況でした。まさに、家庭を犠牲にして収入を得ていたとも言えますね。これはきっと、私だけでなく、当時のサラリーマン全体に言えることでしょう。今はというと、しっかり有給も取れるし、子供が起きている時間に家に帰れるし、子供の運動会にも、卒業式にも行けます。そう考えると、給料は増えていないといいながら、明らかに「豊か」になっています。テレビを見ていると、「日本人は貧乏になった」という論調をよく見ます。そういった「日本はダメな国」という論調の一方で、「日本最高!」と言わんばかりの論調も見られます。今の若い人は、その間で振り回されて、本来の「日本」の姿を見失っているのではないでしょうか?毎年話題になる「世界幸福度ランキング」。2022年の日本は、54位。それを嬉々として報道するテレビ局。「ひょっとして、俺達って、不幸なんじゃね?」なんて、若者が思ったりするわけ。そもそも、その算出方法が「西洋的」で問題があるともいわれていますが、おそらく、客観的に見えれば、日本人は世界でトップクラスに幸福だと思います。普通に勉強して、普通に働けば、普通に暮らしていける、ということが、どれだけ幸せなことか。私もすでに還暦を過ぎてしまいましたが、日本は悪くなっているか?というと、決してそんなことはありません。「日本は貧乏になった」「日本人は不幸だ」「日本はだめだ」「日本に未来は暗い」「今の若者に未来はない」といった論調は、もう、うんざり。かといって、「日本最高!」という「無条件日本礼讃」も、その裏返しのような気がします。さて、日本は、豊かなのか、貧乏なのか?実際のところ、どう思いますか?
2023/06/14
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【G7広島サミット】が終わりました。世界の要人が集結するとあって、広島市内は、ものものしい警戒。平和公園の周辺は特に警戒も厳重で、私が通りかかったときも、道が封鎖され、市内を走る路面電車も待たされていました。ということで、一本上流の橋まで迂回して、市内の中心部に入ることに。現在、広島では、サンフレッチェ広島の本拠地となるサッカースタジアムを建設中。屋根部分の鉄骨もかなり組まれていて、形が見えてき始めました。来年の開業予定です。世界を動かすかもしれない大事な会議が行われている広島ですが、新緑を映して、水面も穏やかです。私は、今回のサミットが成功だったとか、失敗だったとか、評価を下す立場にもなく、情報もありませんが、やはり、世界で最初の被爆地であった広島で行われたということは大きなことだと思います。「核廃絶」といっても、世界に紛争がある限りなくすことは困難でしょう。武器をもった人の前で、丸腰になることはできません。今も世界は、お互いに銃口を向けあったまま、一発触発の状態にあるのかもしれません。「打てば自分も死ぬ」ということは分かっているので、打てない。冷静に考えれば打てないのだけれども、「もう自分は終わりだ」と思ったら、ヤケクソになって打ってくるかもしれません。独裁国家の怖さは、国や国民の利益よりも、独裁者個人の利益が優先される可能性がある、という点ですね。ロシアの問題、中国の問題、北朝鮮の問題、それぞれが大きな問題となってきている今のタイミングで行われたG7広島サミット。評価はこれからということになると思いますが、世界の大きなターニングポイントとなることを願います。
2023/05/22
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安倍総理の銃撃事件から、旧統一教会への批判が盛り上がり、テレビでは、さながら「反統一教会キャンペーン」を張っているような状況ですね。爆笑問題の太田光が「統一教会は反社会的勢力であるという前提で批判するのはいかがなものか」といったような発言をしたら、「大炎上」だとテレビが報道。私は、太田光の発言をテレビで聞いていて「確かに」と思ったので、「大炎上」と聞いて、逆にびっくり。これは完全にマスコミが行っている「逆言論統制」「口封じ」ではないか、という気がしました。以下、私の私見ですので、興味のない方はスルーください。統一教会を擁護したとして炎上している太田光やパックンにしても、別に統一教会を擁護しているわけではなくて、「冷静になろう」と言っているだけ。「信教の自由」は、日本の憲法でも認められていて、統一教会の教えを信じるということ自体は何の問題もないはず。教義がいかに荒唐無稽で「眉唾」だとしても、それを部外者がとやかくいう問題ではありません。「聖書」にしても、信じていない人にとっては相当荒唐無稽です。問題なのは、その勧誘手法や、集金手法が、法律に触れるかどうかということでしょう。「だまして入信させる」「脅して金を奪う」となると完全な犯罪ですが、難しいのは、何をもって「脅した」「だました」となるかという点ですね。法に触れないけれども問題があるのであれば、その問題を整理して、法整備するしかありません。「法治国家」においては、法に触れなければ裁くことはできません。キリスト教にしろ、仏教にしろ、科学的な根拠などはないわけで、結局「信じるか信じないかは、あなた次第です」という、ほとんど都市伝説のような話でしょう。「洗脳」「刷り込み」は犯罪なのか?という点も難しい問題です。教育も、テレビ番組も、広い意味では「洗脳」「刷り込み」と言えます。昨今の報道は、「統一教会は反社会的な存在だ」という「刷り込み」を行っているようにも見えますね。統一教会の何が問題なのか、ということを正確に把握している人はどれだけいるのでしょうか?勧誘の方法が詐欺的なのか?高額な献金をさせるのが問題なのか?「壺」を売りつける際に、「霊感的な脅迫」があるのが問題なのか?過去に問題があったのか、今も問題があるのか?日本を貶めていることが問題なのか?日本で集金し、韓国に送金していたのが問題なのか?ひょっとすると、どの宗教であっても、多かれ少なかれ、似たような状況があるのではないでしょうか?宗教以上に、ギャンブルで家庭が崩壊したケースは多いと思いますが、ギャンブルに大金をつぎ込んで家庭が崩壊するのはいいのでしょうか?何が問題で、それを防ぐための法律はどうあるべきかという議論が必要だと思うのですが、自民党は自民党で、「これからは関係を一切持ちません」と言いはじめ、さながら無条件降伏です。これでは、本質的な問題解決にはなりそうにありません。最近の報道を見るにつけ、私が感じるのは大きな「違和感」です。なにかおかしい、そう思うのは、私だけでしょうか?
2022/09/14
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台湾の周辺で中国が軍事演習を始めて、東アジアは急激にきな臭い感じになってきました。アメリカのペロシ下院議長の訪台をきっかけに、面目をつぶされたということで、中国も躍起です。ここのところに中国のものの言い方ややり方というのは、北朝鮮と酷似していて、やっぱり独裁国家の正体というのは、同じなんだな、と思いますね。「中国」とは言いますが、地理的、歴史的な意味でのエリアの問題ではなく、問題の多くは、「中華人民共和国」という、共産党一党支配の独裁国家であることに起因していることは間違いありません。冒頭の写真は、2016年のGWに、夫婦で行った上海の豫園で撮った写真です。1577年の明代に作られた庭園で、上海観光の目玉でもあります。大学時代に三国志を読んで大興奮して、中国の歴史に興味を持った私ですが、中国は本当に魅力のある国です。正確には、中国という国というよりも、そのエリアと言った方がいいかもしれません。中国という呼び名は、中華民国、中華人民共和国の略称的な意味合いが強く、本来の中国のエリアを呼ぶ場合は、チャイナ(シナ)と呼ぶのが、歴史的には正しいようです。その語源は、始皇帝の「秦」にさかのぼるとのこと。以来、チャイナではいくつもの王朝が起こり、栄え、崩壊しを繰り返してきました。中国には「易姓革命」という思想があります。天は徳の高い天子に天下をおさめさせるが、その徳がなくなれば、天子も改められる、という思想です。天に選ばれたかどうかは分かりませんが、第二次世界大戦後、毛沢東が中国を支配し、結局共産主義は失敗に終わったはずですが、鄧小平がご都合主義的資本主義を取り入れてここまで力をつけてきました。今の中国にとって、「共産主義」とは、一党独裁のためのお題目にすぎません。「共産主義」が「人民」を幸福にすると信じている人は、この地球上には誰もいないといってもいいはずなのに、「共産主義国家」は存在するという不思議。日本としても、毅然とした態度を見せてほしいと思う、今日この頃です。
2022/08/09
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8月6日という日は、広島にとって特別な日です。8時15分には、私が住む廿日市市全域にもサイレンが鳴り響きます。サイレンは1分間続き、その間、黙祷を捧げます。昭和20年8月6日 午前8時15分。アメリカの爆撃機 エノラゲイから人類史上初めて、人間の上に原爆が投下された日です。広島で生まれ育った私は、夏休み期間中の8月6日には「登校日」があり、学校で平和教育を受けました。親類や知人が原爆の犠牲になった人も多く、「特別な日」は身近なものでもありました。就職して横浜に行ったとき、8月6日が普通の日のように過ぎていくことに違和感を感じたものです。でも、それはおそらく、沖縄慰霊の日である6月23日を、私が意識していないのと同じでしょう。身近にないものを特別に感じることは難しいことです。「記念日」にしろ「命日」にしろ、大事なことはその日そのものではなくて、過去や、その人を忘れないことなのだと思います。「核のない世界を」と、広島市長は訴えます。ただ、戦争がある限り、核のない世界を作ることは不可能でしょう。戦争のある世界、軍事力でもって他をよりも優位に立てる世界においては、より強力な兵器を持つことを目指すのは必然です。人類はこれまで、ずっと戦争をし続けてきて、そして今の国があるわけですから、戦争をなくすことは簡単なことではないことは明らか。ただ、私は結構未来に対して楽観的というか、人類そのものを信頼しています。私が生まれて生きてきた60年の間にも、世界の価値観は大きく変わりました。「戦争をすることに意味がない」時代が来れば、自然と核兵器もなくなるでしょう。そういう時代が来ることを願っていて、信じてもいるのですが、それが私の生きている間かどうかはわかりません。子どもの時代、孫の時代が今よりも平和で、安心して暮らせる世界になっていくことを願うばかりです。※写真は、原爆ドームとなりの「折り鶴タワー」の展望室から撮ったものです。
2022/08/06
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振り返ったとき、今の時代はどう評価されるのでしょうか?全世界的な新型コロナのパンデミック。ロシアとウクライナの戦争。アメリカと中国の対立。安倍元首相の銃撃。中国経済の衰退。歴史的な円安と、世界的なインフレ。etc...不安定な要素がいっぱいで、ちょっとしたきっかけが引き金となって、世界は大混乱になってしまうかもしれません。ということで、冒頭の写真は、高く積み上げられたパンケーキ。実はこれ、食品サンプルのお店で撮ったもの。インスタ映えを狙った行き過ぎメニューではありませんが、かつては「映え」てた商品も、あっという間に店そのものがなくなってしまう世の中です。結局残るのは、「映え」るものではなくて、もっと安心できる素朴なものなのかもしれません。混沌として不安定な、今の時代の後に残るものは何なのでしょう。さて、これから世界がどうなるのかなんて、私ごときに予想のしようもありませんが、専制主義的な国家というのは、世界にとって最大の不安定要因であることは間違いないですね。今の時代が、真に民主的な世界への過渡期であることを願います。
2022/08/05
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SDGs【Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)】というと、その中に「持続可能」という言葉があるだけに、環境問題をイメージしやすいと思いますが、「17の目標」として掲げているもののうち、直接的に環境問題に直結していると思われるものは多くはありません。今さらながら並べてみると、・SDGs1 貧困をなくそう・SDGs2 飢餓をゼロに・SDGs3 すべての人に健康と福祉を・SDGs4 質の高い教育をみんなに・SDGs5 ジェンダー平等を実現しよう・SDGs6 安全な水とトイレを世界中に・SDGs7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに・SDGs8 働きがいも経済成長も・SDGs9 産業と技術革新の基盤をつくろう・SDGs10 人や国の不平等をなくそう・SDGs11 住み続けられるまちづくりを・SDGs12 つくる責任 つかう責任・SDGs13 気候変動に具体的な対策を・SDGs14 海の豊かさを守ろう・SDGs15 陸の豊かさも守ろう・SDGs16 平和と公正をすべての人に・SDGs17 パートナーシップで目標を達成しようこれが実現できればほんとに素晴らしいことだと思いますね。ただ、人間のいやらしいことろは、他人事であれば広い心で賛同するのですが、自らに影響してくることになると、とたんに狭量になり、問題を並べて反対し始めることです。福沢諭吉の「学問のすすめ」という本があり、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」で始まることを知っている人は多いと思いますが、大事なのはそのあと。「人間には本来、貴賤も貧富もないはずだが、実際にそれがあるのは、学問の有無に起因する。ゆえに、学問が大切」というのが、本題です。SDGsの目標の四つ目までを見ると、「貧困のなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」「質の高い教育をみんなに」とあります。貧しい人にお金をあげれば、短期的には救われますし、飢えもしのげます。しかし、それは、あくまでもカンフル剤であって、「持続可能な」貧困からの脱却ではありません。大事なのは、貧困から脱却する方法を学ぶこと。「生きる糧」を得る方法を得る、ということですね。「学問」と言っても、堅苦しい受験勉強のことだけでなく、約束は必ず守ること、とか、挨拶をちゃんとするとか、そういった人間として信用される行動も含めて「教育」なのだと思います。公益というのは、みんなが一定の我慢や奉仕をして保たれているということを教えるのも教育です。「ゴミ収集場」をきれいに保っているのは誰なのか?ということも知らない人は多いでしょう。ということで、「持続可能な豊かさ」は「教育」によって世代を超えて受け継がれ、その地域の豊かさを持続させてくれるものだと思います。
2022/04/14
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自然は、大きな循環の中で地球上に生きるものに恵みを与えています。「SDGs(持続可能な開発目標)」の「サスティナブル」という言葉は、明らかに環境問題の中から生まれたキーワードですが、それを「開発目標」と組み合わせた背景には、世界がさらに発展するには、既に限界が来ているという認識があります。「宇宙船地球号」という言葉が生まれたのは、1963年。かれこれ60年近くも前の話です。バックミンスター・フラーというアメリカ人の著書によるものだそうですが、この言葉ほど分かりやすいものはないように思います。「フロンティア」を求めて人類が大きな地球に乗り出していった時代は終わって、小さな地球の中でいかにして「恩恵」をシェアしていくか、ということがこれからの大きなテーマです。「SDGs(持続可能な開発目標)」というのは、まさしく、地球号という限られた空間の中で、いかにしてすべての乗船者が安全で快適に暮らしていくか、という目標に他なりません。個人の生活様式の問題だけではなく、国や企業の活動目標であることが重要なんですね。エベレストに初登頂した、といって歓喜する時代から、エベレストのゴミをみんなで掃除すべき時代になってきたということでしょう。冒頭の写真は、月と金星です。三日月なのですが、ぼんやりと丸く光っています。これは「地球照」といって、太陽の光が地球にあたって反射して月を照らしているんですね。満月の夜というのは、思ったよりも明るいことに驚くことがありますが、もし、月の「ダークサイド」にいて、地球が見える場所にいれば、月夜よりもよっぽど明るいんでしょうね。なんて思ったりします。
2022/04/01
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広島市の平和公園にある「原爆資料館」は、2019年にリニューアルが完了。昨日、平和公園の桜についてブログを書きましたが、その際、リニューアル後初めて「原爆資料館」を見学しました。かつては、原爆後の様子などが再現されたりして、かなり恐ろしい印象が強かったのですが、リニューアル後の展示は、感情を抑えつつ、しっかりと事実を伝えようという意図が感じられました。一発の爆弾による死者が14万人。とてつもない数字ですが、人間というのは、数字を聞いただけで事実をイメージすることはできません。この爆弾で命をなくしたのは14万人ではなくて、生きていた人間です。リニューアル後の展示は、広島という町に生きていた、一人ひとりの命に焦点をあてたものとなっていました。犠牲者の数以上に大事なのは、その一人ひとりに暮らしがあって、「夢」や「希望」もあり、家族の愛もあった一人の人間だ、ということです。年のせいもあるかもしれませんが、「人」にスポットをあてた展示を見学していると、どうしても涙腺がやられてしまいます。私の祖父は、原爆の前日に広島から故郷の吉和村に帰ってきて、すぐに「新型爆弾が落ちて、広島が大変なことになっている」ということになり、またすぐに広島に戻って救援活動にあたった、という話を聞いたことがありますが、その時の状況を語ることはほとんどありませんでした。おそらく、語ることもできないくらいにつらい記憶だったのでしょう。今、ロシアがウクライナに侵攻して、爆撃を受けた町の様子などが映像で流れます。そこには、一人ひとりの暮らしと命があって、その価値は、自分の家族の命と同じ価値を持っています。ロシア兵の士気が低い、というニュースが流れますが、ロシア兵にとってもつらい戦争なのだろうと思います。自分が銃口を向けている人にも大切な家族があり、大切な人がいます。戦争というものは、そういうものです。人間であれば、誰も望まないはずのもの。第二次世界大戦の時代には、広島でどんなに恐ろしい現実があったかということが、全世界に正確に伝わることはありませんでした。「広島に原爆が投下されて、14万人のひとが犠牲になった」そんな情報では、本当のことは何も伝わりません。2020年の「外国人観光客が選ぶ人気観光地ランキング」では、広島の平和記念公園が第一位になったとのこと。今はコロナで外国人観光客はほとんどいませんが、今のうちに日本人がしっかりと見学しておくべき場所だと思いました。コロナが収束すると、外国人がどっと押し寄せて、日本人もゆっくり見学できなくなるかもしれません。
2022/03/29
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「サスティナブル(持続可能な)」の根本は「循環」。右肩上がり、といった直線的なものではなく、輪になっていることが重要です。前回のブログで「水の循環」について書きましたが、今日はもう一つの大切な循環である「炭素の循環」について考えてみます。「炭素の循環」というと、とても「理系」っぽい感じになりますが、文学的に言えば「すべての生物は土にかえる」ということですね。生物には必ず「死」があり、「死」の後は腐り、分解され、土にかえります。今、海洋汚染などで問題になっているビニールゴミは「土にかえらない」から問題になっているんですね。この、「土にかえる」ということこそ、大自然の恩恵です。ただ、土にかえるだけでは「循環」になりませんが、土から生命を生み出す「神」のような技があります。それが、理系が苦手な人でも聞いたことがあるであろう「光合成」です。「光合成」というのは、大気中の光のエネルギーを使って、大気中の二酸化炭素(CO2)と、水(H2O)、さらに土中の無機物を合成して、「炭素化合物」を作る働きですが、この「炭素化合物」のことを「有機物」といいます。炭素(C)と、水の中の水素(H)が化合して「炭素化合物」になる際に放出されるのが、余った酸素(O2)です。植物は光合成によって成長します。ということは、大気中の二酸化炭素と、土から水分を吸収し、その中の「炭素」を有機物として蓄積しつつ、酸素を吐き出している、ということです。植物、スゲー って感じですね。しかし、動植物の「体」を構成する有機物は、腐朽によって分解されると、炭素は二酸化炭素として大気にかえってきます。見た目には土にかえっていくように見えますが、「炭素」は大気中にかえっていくんですね。もし、生物が土にかえらなかったとすると、世に中、屍だらけになってしまって暮らせません。「土にかえる」という循環があればこそ、環境は守られているのです。実は、今からさかのぼること17年前のブログにも同じテーマで記事を書いています。はっきり言って、その時の記事の方が分かりやすいですね。⇒環境問題を考える 01 循環型社会~土に返るということ。
2022/03/22
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【SDGs】のキーワードである「サスティナブル(持続可能な)」の基本は、大きな大自然の「循環」です。水筒に入れた水は、飲めば減ってなくなってしまいますが、川の水は一年中流れています。誰かがポンプで水源に水を送っているわけではありません。それは大自然の「循環」の恩恵です。水は、海や川や大地、そして植物から蒸散され、大気中に放出されます。それが雲となり、雨となって再び地表に帰ってきます。海に降ればそのまま海水となりますが、陸上に降った雨は、大地を潤し、植物を潤し、川に流れ、あるいは地面にしみ込んで地下水となります。地下にしみ込んだ水は、長い年月をかけて「湧水」となって再び地表に姿を現します。山の川の流れが美しいのは大自然によって濾過された水が川を流れているからですね。そして、水は再び大気中に蒸発、蒸散し、雨となって大地を潤します。その大いなる循環の恩恵を受けて、生き物が生きています。人間も、その大きな循環の中で農業を営み、林業を営み、生活を営んでいるわけです。まずは、人間は、その大きな循環の恩恵で生きていけるということを自覚する必要があります。水道をひねれば水が出るのは、水道局のおかげではなく、大自然の水の循環があればこそですね。ダムを造ろうが、水道管を埋めようが、雨が降らなければ意味がありません。人類のしていることは、大自然の作った水道管の先っぽに蛇口を付けた、という程度の作業と言えるでしょう。しかし、その水も、水が勝手に循環しているわけではありません。太陽の光や熱によって水が蒸発、蒸散するので、太陽が昇って沈んでいくことや、風向きの変化なども影響してきます。自然は、そうやって全体でバランスを取りながら大いなる循環を繰り返しているんですね。「インフラ」とは、生活を支える基盤のことで、水道、ガス、電気、交通機関などをいいますが、そのインフラを支える、さらに根源的なインフラが「自然」であることを忘れてはいけません。サスティナブルの基本は、大自然の大いなる循環の恩恵を受けさせてもらっているという、謙虚な姿勢を感謝なのだと思います。
2022/03/18
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【SDGs】という言葉を頻繁に耳にするようになったのは、ここ一年くらいでしょうか。テレビでも、この言葉を聞かない日はありませんね。でも、よく意味も分からずに、「何か、世の中にいいことらしい」というくらいの感覚で聞いている人が多いのではないか、とも思います。今さら私が説明するまでもなく、【SDGs】は、「Sustainable Development Goals」の頭文字をとったもので、「持続可能な開発目標」ということにります。キーワードは「サスティナブル(持続可能な)」ですね。この言葉が日本でもしばしば使われるようになったのは、【LOHAS】(ロハス)から。【LOHAS】(ロハス)は、10年くらい前から、意識の高い人の間で広がった考え方で、「 Lifestyles of Health and Sustainability」の略。「健康で持続可能な生活様式」ということになります。自然由来のモノを積極的に利用したり、地産地消、有機農法、リサイクルなどがイメージされますが、【SDGs】は、それを個人の「生活様式」から社会的な「開発目標」に拡大した、とうことですね。【LOHAS】は、個人の生活様式を変えることで社会を変えようという取り組みであるのに対し、【SDGs】は、社会をその方向に進めていくことで、個人の生活様式まで変えていこうという取り組みと言えるかもしれません。いずれにしても、キーワードは「サスティナブル(持続可能な)」。「世界」と「暮らし」を、サスティナブルという視点で見てみることが大切なんですね。かれこれ2年くらい前になるかと思いますが、楽天市場の担当の方が来られて「御社はSDGsにドンぴしゃの会社です」と言われたのですが、その時は私も勉強不足で【SDGs】という言葉もよく理解できていない状況でした。その後、私が意識しはじめたということもあるかもしれませんが、【SDGs】という言葉を頻繁に耳にするようになり、今では耳にタコができるくらい頻繁に聞くようになりました。ということで、今さらながらではありますが、サスティナブルについて、私なりに考えてみたいと思います。つづく。
2022/03/17
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ウクライナにロシアが侵攻して、戦争がはじまりました。かつてウクライナは、ロシア帝国に併合されて、ロシアの一部でもあったため、「もともとウクライナはロシアの領土だ」と、侵攻の正当性を訴えているようですが、このあたりの構図は、中国に対する、台湾の立場とも似ています。また、現在世界的に注目されている中国の「ウイグル自治区」の問題も、「かつてウイグルは中国の一部であった」という理由で、第二次世界大戦後のどさくさに紛れて中国が占領したもの。当時はまだ、「力による現状変更」が許容されていた時代だったとも言えます。今回、ロシアの行動を世界が非難し、経済制裁も発動され、ロシアは孤立し追い詰められているとは思うのですが、プーチンは精神状態がおかしい、という話も出始めて、先が読めない状況ですね。日本人の平和ボケはしばしば指摘されるところですが、私自身、まさか本当に攻撃を始めるとは思っていませんでした。筋肉自慢の見た目も荒っぽい人物が、こぶしを振り上げて脅しているくらいの認識でしたが、そのこぶしは振り下ろされてしまいました。ウクライナの男性は、ロシアから国を守るために総動員されています。国を守る、ということは、家族を守るということなのだということがよく分かります。国民の暮らしを守ることは国の務めですが、その国がなくなっては「暮らし」も守れません。戦闘はまだまだ継続中で、出口も見つかりませんが、命をかけて家族と国を守ろうとする姿は尊いものだと感じます。ウクライナの国旗が「青と黄色」であることを、今回初めて知った人も多いと思いますし、私もその一人です。本日、冒頭に掲載した写真は、ウクライナカラーをイメージしたものです。調べてみると、ウクライナ国旗の青は空、黄色は輝く小麦畑を表すとか。ウクライナはヨーロッパを代表する穀倉地帯なんですね。その豊かな大地に、ロシア軍が踏み込んで、国土を蹂躙しているわけです。今回のロシアによるウクライナ侵攻を、世界が協力して阻止することができれば、世界の流れは大きく変わっていくのかもしれません。ロシアは、本当の意味での民主主義というものを経験したことがない国ですが、これを機にプーチンが失脚すれば、ロシアにも本当の民主主義の社会が生まれる可能性はあります。世界中の誰もが戦争は望んでいません。にも拘わらず、こうして戦争が起こってしまうのはなぜなのでしょうか?支配者が絶大な権力を持っている専制国家というのは、国民の意思や、国民の幸福とかけ離れた「国家の意思」が働きます。それが「国民の望まない戦争」が始まってしまう原因の一つです。インターネットの普及は、世界の情報を共有させ、価値観をそろえていく方向にも大きな役割を果たしています。「SDGs」という言葉が、急に世界中で使われ始めましたが、こんなことは、第二次世界大戦のころにはありえなかったことでしょう。世界は確実に正しい方向に向かっているように思いますし、そうしていかなければなりません。この瞬間にも命が失われている現状を考えれば、ウクライナ頑張れと安易に応援することもできませんが、ウクライナで起こっていることは、世界の今後を決めてしまうほど、大きな意味があることのように思えます。私たちにできることはほとんどありませんが、起こっていることに関心を持ち、注視し、関心を持ち、感じ、考えることが大事です。無関心が一番いけませんね。
2022/03/03
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今日は「原爆の日」です。76年前の今日、広島に原爆が投下されました。8月6日は、広島にとっては特別な日です。私が小学生であったころは、8月6日は、夏休みの中の登校日でした。その日は、みんなで平和学習をし、8時15分に黙とうをささげます。中学生になったとき、廊下に張り出されていたのは、3年生が書いた「平和」をテーマにしたポスターの数々でした。絵を描くことが好きであった私は、三年生の書いたポスターのうまさとともに、ポスターそのものに衝撃を受けました。広島に住む者にとっては、8月6日のことと、「平和」というものはかなり身近な問題でした。しかし、私の子供たちの時代には、どういう事情か、原爆の日の登校もなくなっていました。広島でさえ、やっぱり風化は進んでいます。「平和」という問題は難しい問題です。ただ、私は、人類に叡智というものを信じたいと思っている人間の一人です。人種差別の問題や、トランスジェンダーの問題など、少なくとも、鵜湯曲折はあるものの、確実にあるべき姿に向かっている思うからです。2020年は、明治維新から150年で、そのちょうど真ん中が、1945年でした。150年の内の半分は、戊辰戦争という内戦から始まって、日中戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、第二次世界大戦・・・・。そして敗戦。とにかく戦争に明け暮れていた75年です。その後、植民地の独立、米ソ冷戦を経て、ソ連崩壊、中東の混乱、テロの頻発を経て、現在に至ります。確かに、まだまだ問題は残っていますが、人類は「いい方向」に向かっていると信じています。原爆の碑に刻まれる「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉が時々物議をかもします。過ちは、原爆を投下したアメリカであって、なぜ、日本人の「過ち」なのか!という議論です。これは、原爆を落としたアメリカとか、アジア全体に戦線を広げて負けた日本とかの過ちというよりも、人類全体の過ちとしてとらえるべきでしょう。戦争というのは、勝敗に関係なく、人の命を犠牲にします。そういうことを繰り返すこと自体が「過ち」であるに違いありません。原爆に限らず、戦争の犠牲になった方々の命を後世に活かしていくためにも、人類最大のテーマともいえる「平和」実現のために叡智を結集していきましょう。それにはまず、一人一人が、「平和」についての考えることが大切だと思います。
2021/08/06
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東日本大震災の犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。冒頭の写真は、震災の翌日、2011年3月12日に、広島県福山市鞆の浦で撮ったものです。震源地から遠く離れた広島にいた私ですが、3月11日に東日本で大きな地震が発生した、というもとはもちろん知っておりましたが、その日の内は、被害の全容が分からず、断片的な情報がニュースで流れるだけだったと思います。震災の翌朝早く、私達夫婦は、当初の予定の通り、広島県福山市鞆の浦に「鞆の浦ひな祭り」を見に出かけました。ニュースが流れるたびに、被害者の数が増えていき、津波の映像が流れ、燃え盛るコンビナートの映像も流れ、犠牲者は1000人を超える模様・・・・。正直なところ、東日本から遠く離れたところに住む私には、身内の犠牲者もおらず、最も「震災」を実感できたのは、お客様からの一本のメールでした。ご注文いただいていたラックをキャンセルしてほしいという内容です。ご住所は、福島第二原発と第一原発の中間あたりで、地震によってご自宅が全壊してしまったとのことでした。ご自宅が全壊し、途方に暮れる中で送っていただいたこのメールが、私にとって、一番の東日本大震災の接点だったと思います。本来であれば、お客様にお送りするはずであったラックは、お客様の暮らしを少しだけでも充実したものにできたかもしれません。ご自宅全壊の中でメールを送られたお客様の気持ちやを思うと、やりきれないものがありました。かといって、私が東日本大震災を語るのも、おこがましい。ただただ、犠牲になられた方のご冥福をお祈りし、被災された方の生活が早く安定することを願うばかりです。あれから9年。日本について思うことを書いてみたいと思います。9年前の大震災による津波、そして、福島第二原発の事故。大きな犠牲を糧にして、日本はどう変わっていくのだろうかと思いましたが、特筆すべき変化は感じられないように思います。ただ、「当たり前の暮らし」が、決して当たり前ではなかったことに気付いた9年前と同じように、日本人が「当たり前」だと思っていることの多くが「当たり前ではない」ということに気付いてきた、という気もします。テレビでしばしば取り上げられるデータに、「世界幸福度ランキング」というものがあります。2019年のランキングでは、日本は58位で、毎年順位を下げています。ただ、一方で、90%近い日本人が、生まれ変わっても日本人になりたいと思っているというデータもあります。不思議な現象ですが、「世界幸福度ランキング」というのは、いわゆる「幸福」のグローバルスタンダードから出されたもので、日本人の価値観、幸福感とは違うようです。八百万の神を持つ日本という国は、身の回りのどんなものでも「神様」にする能力を持っています。「トイレの神様」という歌がありましたが、日本人は、生活の中で、当たり前のことに感謝することを美徳としていますし、人の心の良心というものを基本的には信じています。東日本大震災の直後の日本の様子に、全世界が驚いたことは有名ですね。「自分が大変だ!」という前に、「みんな大変な時だから」と考えるのが日本人です。「三方よし」という言葉があります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方ですが、実は、「世間よし」が入っているところが日本らしいと思います。最近は、「WIN-WIN」なんていう言葉がありますが、これは「売り手よし、買い手よし」まで。欧米では、事業でお金儲けをしたら、寄付などの慈善事業をする、ということがステータスにもなっていますが、日本の場合は、「事業」そのものが世の中の役に立っているかどうかが大切なのです。日本人は慈善事業をしないとか、寄付をしないとかいった議論もありますが、それもグローバルスタンダードというか、欧米的な価値観の押し付けに他なりません。そろそろ、欧米的な価値観で物事を測ることはやめて、日本人は日本人の価値観で判断してもいいのではないでしょうか?不思議なもので、日本が世界第2位の経済大国として、アメリカさえも凌駕しようとした時期よりも、経済的にも中国に抜かれ、相対的に経済的な地位が下がってしまった今の方が、日本の評価が高まっているようにも思えます。日本人はお金持ち、というのは、一般的な認識でしたが、今では、平均年収も世界で19位です。決してお金持ちではなくなっているのですが、物価もほとんど変わっていないので、特別暮らしに不自由しているわけではありません。今の日本では、普通に働けば、食べていけないなんてことはありません。一つ感じるのは、私が若いころには、家が「母子家庭」かと思えるほどに長時間会社にいるのが当たり前でした。今では、有給も取れるし、労働時間は明らかに短くなっています。そんな中で平均年収が変わっていないということは、時間当たりの収入は増えている、ということもいえますね。若者の車離れも言われていますが、いい車に乗ることよりも、旅行する方が価値があると思えばそこにお金を使えばいい。日本という国は、すでに30年近く、右肩上がりを放棄してきたといえます。右肩上がりの「いつかはクラウン」的な発想から、幸福感も、水平展開して、多様なものになってきたような気がします。右肩上がりの価値観には、必ず限界が来ます。そう考えると、日本という国は、世界のいいお手本なのではないか、という気がしませんか?日本はこのままでいいとは言いませんが、過度なグローバリズムや、拡大路線が決して幸福とは結びついていないということだけは、世界中が気づき始めているように思います。東日本大震災から9年を経て、なにも変わっていないようで、実は、静かに変わってきたのかもしれません。
2020/03/11
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本日から、消費税が8⇒10%にアップしました。その影響もあると思いますが、WOODPROも9月の売上はかなりよかったですね。9月受注を10月出荷に持ち越した金額もおそらく過去最高です。ただ、これまでの消費税アップと比べてば、8⇒10%ということで、価格全体から言えば、1.85%のアップ。大きいといえば大きいものの、頻繁に行われる小売店の5%デーとか、ネットショップの何とかマラソンとか、「なんとかPAY」のポイントバックとかを考えると、工夫次第でいくらでも取り返せそうなものではあります。もし、消費税アップによって消費が落ち込めば、そのくらいは値引き販売されるのではないか、とも思ったりします。ということで、我が家は特別な消費税対策というものも行わなかったのですが、昨日、通産省から、会社あてに箱に入った「キャッシュレスポイント還元広報ツール一式」が届きました。その内容が以下の通り。ポスターや、チラシ、シール、POPなどが複数枚ずつ入ってました。そうなんです。WOODPROも「5%還元対象店」なのです。ということで、お客様が、クレジットカードなどのキャッシュレスで購入されますと、カード会社それぞれの仕組みで、ポイント還元がされる見込みです。期限付きの消費税アップ対策ではありますが、昨日よりも、今日買った方がお得であったりします。政府としても、前回の消費税アップによる景気低迷がよほどトラウマになっているのでしょうね。この施策で、消費税アップの衝撃を和らげようということだと思いますが、結局これも、「先延ばし」なので、ポイント還元が終わるときに駆け込みが発生し、その後大きく景気後退・・・・、なんてことになりはしないかと心配です。
2019/10/01
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何気なく、昔書いた自分のブログを見ていて、たまたま2007年の【「二宮金次郎」って誰だ?】という記事が目に留まった。なにしろ10年以上前なので、私自身が書いたものなのだが、私自身も忘れていて「?」と思って読んでみると、自分の書いたものにまたまた共感してしまった。まあ、自分の書いたものだから、共感するのは当たり前だが。気になる人はこちら⇒「二宮金次郎」って誰だ?二宮金次郎と言えば、すでに50才を迎えた私の世代であっても、名前は知っているが・・・・、という程度の人が大いに違いない。今の若い人は名前も知らないかもしれない。かつては日本中の小学校にあった、薪を背負って本を読んでいる銅像の人物である。当然、戦前の教育を受けた人だったら誰でも知っている人物だ。しかも、短期間であったが、戦後に発行された1円紙幣の肖像にもなっているという。でも、今では、知る人も少ない。なぜ、二宮金次郎の話を学校で教えないのか?かつて書いたことなので、詳細は割愛するが、結果、「やっぱり、道徳って必要だよな」と思った。道徳に関しては、戦前に「修身」という授業があり、それが天皇崇拝につながって、戦争の原因になったということになり、今でも右翼的なイメージを持っている人が多い。そのため、国が「道徳教育」というと、「戦前に戻るのか」といった議論になってしまう。国を愛することは、その国の歴史に誇りを持つことでもある。戦後、日本人は、自らの歴史を否定することで、国を愛せなくなってしまったように思う。歴史というのは、単に年表を覚えることではなく、そこに生きた自らの祖先に思いを馳せることでもだ。それは決して「日本史」の授業ではできない。「修身」という授業の内容には、確かに天皇崇拝や正当化に偏った部分もあったと思われるが、たとえば二宮金次郎の話のように、「自らの利得ではなく、公に尽くすことの美学」というものを、小さなときから当たり前の話として習っておくことは大切であるように思う。国民性という言葉があるが、それは、その国民が「何を美しいと思うか」ということでもある。裏返すと、何を「恥」と思うか、ということでもある。東日本の大震災において、自分の命さえ危うい非常時でさえ、我先に行動せず、人に「譲る」という行為を整然と行ったことは、全世界で驚かれた。それは、終戦後の日本にも通じるし、明治維新の時にも通じ、おそらく、そのずっと前から日本にあった「美学」なのではないか。今でも、日本人のDNAの中に残っている美学も、このままいけば、だんだんと希薄になってしまうのではないか。そういう不安も感じてしまう。しかし、一方で、その美学を強要することが「自由の侵害」である、という人もいる。二宮金次郎でさえ、肯定的にとらえる人と、否定的にとらえる人がいるとすれば、やっぱり「道徳」を学校で教えることは難しい。「人にやさしくしましょう」と総論ではみんな合意しても、自分の空腹を我慢して、友達に食べ物を分け与えることになると、賛否両論でてくるに違いない。日本人の美学としては「武士は食わねど高楊枝」なのだと思うのだが・・・。結局、今の日本では、「日本人の美学」とひとくくりにしてしまうことはタブーなのだろう。結論。学校で道徳を教えることは難しい。
2019/08/22
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祖母の13回忌の法事が、ありました。家族にとっては大事なことですが、まあ、家族でなければ全く関係のない話です。本日はそれに絡めてちょっと書いてみます。今回の法事は、祖母の13回忌。祖父はもっと早く亡くなっているので、祖父母の代はもういません。親がいなくなると、兄弟とはいえ、なかなか集まる機会もなくなってきます。ましてや、いとこ同士となると、親戚の葬式くらいしか会う機会もなくなったりします。今回、数名のいとこに会いましたが、前回は、5年前の母親の葬式の時だったりしますね。おそらく、祖母の法事も13回忌で終わりだと思うので、次に会うのは、誰かの葬式・・・・。なんて、笑えない現実です。もともと我が家の先祖は、太田川流域の立岩ダムの底に沈んだ地域に住んでいて、戦前に今の場所に引っ越してきたとのこと。ダムの底に沈んだ家の材料を持ってきて建てたらしいです。田舎の家にいくと、亡くなった先祖の遺影が長押の上に掛けられていますよね。「家」とは、祖先から連なる人の歴史でもあります。「家」の概念が希薄になって、「個」の力が相対的に大きくなるということは、歴史の重みが希薄になることでもあるかもしれません。この土地を守ってきた先祖への感謝とか、苦労に対する畏敬とか、そういったものがなくなっていくのはちょっとさびしいですね。うちは、もともと農家で、廿日市市吉和(旧佐伯郡吉和村)に昔の家が残っているので、親戚が集まることもできますが、古い家も、人が住まなくなればほどなく壊れてしまうものですし、ましてや、東京や大阪に行ってしまえば、墓参りさえもおぼつかなくなってきます。お坊さんに「立派な仏壇で」と言った頂けるのはいいのですが、大きな仏壇では、町の家には置けません。家が朽ちていくと同時に、仏壇も一緒に朽ちてしまうのか・・・・。せめて、私が生きている間はなんとか、とは思うものの、我が家も二人の子供たちは東京方面に就職してしまい、今のところ、広島に帰ってくる見込みなし。これは、別に我が家に限ったことではなくて、日本全国各地で、起こっている問題。この家の周囲もすでに空き家がいっぱいです。私は写真を撮るのが趣味だったりするので、棚田などにもよくいきますが、棚田を作るために積んだ石の一つさえ「家の歴史」であり、「先祖の遺産」であったわけですね。今は、長男である、うちの父親も生きていて、なんとかこの古い家の面倒も見ていますが、父がいなくなってしまうと、どうなるのかな、なんて思ってしまいます。なにしろ、買い物一つするにも苦労する過疎地。うちの父親も、普段は便利のいい場所に住んでいて、畑の面倒をみるために、週末訪れる程度。それでも、3年くらい前に、瓦をぜんぶやり替えました。父のとっては、自分の育った懐かしい家です。ただ、不便だし、さらに年を取れば今のように行ったり来たりもできなくなるでしょう。父がいなくなると、この家も時の流れに押しつぶされるように崩れてしまうのかな、なんてさびしい気持ちになったりします。おそらく、父も、それが心残りの一つだと思います。子供のころには、この家に、いとこがいっぱい集まって、わいわいガヤガヤしてました。せめて、なんとか寝泊りができる状態をキープして、親戚が自由に使えるようにできないものか、なんて思ったりしますが、なかなか難しいでしょうね。お金もかかります。親孝行だと思って野良仕事の手伝いには行きますが、おそらく、父親がいなくなれば、この家の周りに野菜を植える人もいなくなって、荒れてしまうのかな・・・。おそらく父は、そういうことまで心配なんだろうなあ、なんて思います。どうでもいい話ではありますが、おそらく、そういった漠然とした寂しさを日本人の多くが持ちながら、都会で働いているんだろうなあ、とも思うわけです。心の中で思えばいい程の戯言、失礼いたしました。
2019/02/25
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お堅いタイトルですが、この問題は大きな問題ですね。私の周辺では、実感が少ないものの、東京に行けば、コンビニの店員はほとんど外国人だし、会社のある工業団地でも、あきらかに中国系と思われる赤やピンクのジャケットをきた人たちが歩いて通勤しているし、広島市でも東側の自動車関連の工場の多いところでは、外国人が増えているというし、いつの間にか外国人労働者なしでは社会がなりたたなくなった、という印象です。冒頭の写真は、私がよく写真を撮りに行く地御前。堤防の下にいる若者たちは、話している言葉からすると日本人ではありません。話している内容が分からないので、あくまでも推測ですが、牡蠣打ち場で働いている「研修生」だと思われます。そして、彼らが堤防の下で探しているのは「貝」かなにかの食べられるものなのだと思います。私の知り合いに、広島市の江波というところで牡蠣打ちをしている人がいるのですが、「若い子はほとんど中国人」と言ってました。朝早くから起きて、寒く冷たい環境の中で牡蠣打ちをするような仕事は、今の日本の若者ではなり手はないでしょう。今朝のニュースでは「コンビニの無人化」のことをやっていましたが、確かにハイテクで解決できる分野もかなりあるでしょう。今は問題になっているトラックの運転手不足も、自動運転が実現すれば、長距離トラックの運転手は不要になるでしょう。ただ、人がやっていた部分を機械に置き換えていって、それでもやっぱり最後に残る仕事というのは、ローテクであっても、きわめて複雑で機械化やロボット化できない分野、ということになります。本当に単純な労働であれば、それは容易に機械にさせることができます。今回の「外国人労働者受け入れ」問題は、介護関係、看護関係、建築現場作業員など、日本人の若者が避けたい仕事や、人材の需要と供給が明らかに崩れている仕事が中心になります。今まで「技能研修性」という制度や、留学生という制度でもって、人材不足をカバーした結果、就労が目的の留学生や、お金を稼ぐことが目的の研修生がやってきて、結果的に、行方不明になったりして、実態が分かりにくい、という問題がありました。違法と適法のきわめてグレーなゾーンにいる人たちがあまりに増えてしまってどうしようもなくなった、というのが実態でしょう。とりあえず、グレーなゾーンをカバーする法律を作って、行政の管理下に置こうというのは、今回の法律改正の目的なのでしょう。グレーな部分まで覆うようにとりあえず法律の網をかぶせてしまおう。中身は、これから検討、というようなおおざっぱな形になってしまった、というのが実態かと思います。それほど実情は切迫している、ということなのかもしれません。問題点となっているのは、・「移民政策ではない」と言っているが、明らかに「移民政策」ではないのか・外国人労働者の待遇もはっきりしないまま受け入れを拡大するのは、外国人労働者の人権を軽視しているのではないか・外国人労働者に混ざって、スパイなどの犯罪者まがいの人間も入りやすくなるのではないか・外国人がたくさん入ってくると、犯罪が増えて、治安悪化につながるのではないかといった点だと思います。どれも大きな問題ではありますが、とりあえず、法律を変えてから、細かなことは議論する、というスタンス。その是非については議論の余地があると思いますが、コンビニ、工場、飲食店などに外国人が増えている状況を見ると、細部まできっちり決めてから法律を作るほど悠長なこと言っていられない、ということなのかとも思いますね。大事なのはこれから、具体的に決まっていくであろう、中身の問題です。まずは、グレーな部分に光を当てて、しっかりと実態を把握するとともに、日本の将来の形をどうすべきなのか、考える必要がありそうです。感情論や理想論だけでは解決しそうにありません。
2018/12/18
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今日は、広島に原爆が投下された日です。私の身近にいた被爆者は、父方の祖父だけでしたが、祖父のそのことをほとんど語りませんでした。私が聞かなかったということもあるかもしれませんが、父曰く「あまり語りたがらなかった」らしいです。祖父は中国山地の山間の村である吉和村に住んでいました。体があまり丈夫ではなかったこともあり、軍隊には入隊せず、原爆投下の直前まで、広島にいて、軍関係の仕事に駆り出されていたようですが、原爆投下の前日、休暇で吉和に帰ってきたとのこと。そして原爆投下。「広島で大変なことが起こったらしい」という話はすぐに山間の村にも伝わり、祖父は原爆直後の広島へと向かいました。そのため、直接の被ばくはなかったものの、原爆投下直後の広島に入りました。もともと寡黙な祖父ではありましたが、おそらく語るに堪えない記憶になってしまったのでしょう。祖父はすでに他界し、今となっては、もう聞くこともできませんが、本当はちゃんと聞いておくべきことであったのだろうと思います。広島に生まれ、広島で育った私たちの中には、「核兵器=絶対悪」という観念があることも事実です。ただ、この世界に戦争がある間は核兵器がなくなることはないでしょう。なぜなら、核兵器くらいコストパフォーマンスのいい兵器はないからです。事実、国民全体が貧困にあえぐ北朝鮮でさえ、核兵器を持っているとされています。核兵器はその破壊力の大きさゆえに、実際に使うことが極めて困難な兵器である一方、交渉の材料としては極めて有効です。北朝鮮を見ていると、それがよく分かります。「核兵器のない世界」というのは、「戦争のない世界」。あるいは、核兵器さえも意味がなくなるほどの、さらに威力とスピード感のある兵器が生まれた時でしょう。そう考えると、「核兵器の廃絶」を訴えること自体はあまり意味のないことのように思えてきます。こんなことを書くと、非県民ということにもなりかねませんが・・・・。1945年8月。広島に投下された原子爆弾は、これまでにない破壊力と、残存した放射能による後遺症を残しました。その悲惨な光景を目の当たりにしたがゆえに、広島の「核」に対する拒絶意識は絶対です。ただ、戦争のある限り、核でなくとも人は殺されるし、核で死んだ人と、通常兵器で死んだ人と、人の死というレベルにおいては、核だからダメで、通常兵器だからOKということはないはずです。オバマ大統領の折った鶴。オバマ大統領の演説には、実は私もウルウルときました。ただ、思えば、核兵器の廃絶を考えるより、戦争のない世界について考える方が現実的であるような気もします。「なぜ戦争をするのか」という問題を一人ひとりがしっかりと理解し、その原因を取り除いていく努力をすることこそ大事なのでしょう。中東やアフリカではなぜ、人が殺しあっているのか?ロシアななぜ、クリミア半島を占領したのか?中国はなぜ、南沙諸島に軍事基地を作ろうとしているのか?それにはやはり原因、理由があるわけです。そういう背景を置いておいて、「核廃絶」を訴えるだけでは、ただのお題目になってしまいます。ある意味、広島の「核廃絶」は、お題目になりつつあるようにも思います。核が存在する背景をしっかり理解することなく、「戦争反対・核兵器反対」を訴えることは、逆に思考停止を招きかねません。「人はなぜ戦争をするのか?」という問題は、「人間にとって幸せとは何なのか?」という問題ともつながっています。奇しくも、西日本豪雨災害で広島が大きな被害を受けてから、今日で1か月。「日常を取り戻す」という作業に大きな労力を注ぎつつ、「日常」というものがどれだけ幸せなものであったかを気付くきっかけでもあります。「人はなぜ戦争をするのか?」という一見大きな問題は、「日常という幸せ」という身近な問題の延長線上にあるような気もします。広島の原爆の日。そんなことを思いました。
2018/08/06
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日曜日のことですが、用事があって、広島市内へ。その際、うちの奥様が「オバマの折鶴」が見たい、ということで、平和公園に行ってみました。原爆資料館と原爆ドームは、トリップアドバイザーでも外国人に人気の観光地、ナンバー2に選ばれていて、さすがに外人の姿が多いですね。印象的には、半分は外国人ではないか、というくらいです。原爆資料館に入ると、きのこ雲のパネルが並んでいます。この資料館で残念なのは、入り口付近のスペースが狭く、かつ、読んだり見たりするのに時間のかかる展示が多いため、人がたまってしまって、混雑することですね。原爆のがれきの中をさまよう人を再現したコーナー。皮膚がぼろぼろになって、皮が垂れ下がって、直視できないくらいな状況をマネキンで再現してあります。あまりに悲惨な状況に、写真も撮れませんが、生々しすぎるので撤去するというような話もありましたが。子供のころから、このコーナーは怖かったですね。海外のツアーの方が、説明を聞いておられました。団体が止まると、通り抜けが困難になってしまうのも、この資料館の弱点です。入場者も増えているので、もう少しゆったりと作り直した方がいいですね。原爆投下直後の広島市の模型。赤い球が爆心地。狭い資料館を抜けると、通路があり、慰霊碑とドームをまっすぐに見ることができます。通路スペースには、オバマ大統領が折った鶴が展示されています。私が前回訪れた時には、資料館に寄贈されたもの2羽と、子供たちに贈られたもの2羽の計4羽が展示されていましたが、今、二羽は貸し出されていて、残る二羽の展示となっています。オバマ大統領の広島訪問は2016年の5月。まだ1年もたっていないのですが、その間、トランプ大統領が大統領になり、その旋風のせいか、もう相当昔のように感じられますね。オバマ演説について、私は大変感銘を受けました。唯一の原爆投下国の大統領ですので、言葉を選びつつではありましたが、戦争で被害を受けた一人ひとりの苦しみにも配慮した、とてもいい演説であったと思います。世界できな臭いのは、中東と朝鮮半島ですね。それから、覇権主義中国というのも相当危ういです。この問題が解決しないと、本当の軍縮も、核廃絶も難しいでしょう。北朝鮮は、もっと早く国がひっくり返ると思っていたにも関わらず、思いのほか持ちこたえてしまい、どんどん危うさを増してしまいました。中国にとって、北朝鮮の存在は、中国の存在意義を高める切り札の一つですから、容易に滅びてもらっても困るのでしょう。そのあたりの事情を背景に、まさにやりたい放題と言ってもいい状況。中国が北朝鮮を飼い慣らしているつもりだったのが、いつの間にか、野犬になってしまった感じでしょうか。それでも餌を与えざるを得ないのが中国の事情。大国でありながら、今なお民主化されていない中国の問題と、前時代的な専制君主国家である北朝鮮の問題というのは、おそらく同じ根を持つ問題なのでしょう。オバマさんは、ちょっと理想主義が過ぎたのかな、とも思います。
2017/03/28
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12月11日の日曜日、うちの奥様は社員旅行で不在であったので、一人でぶらりと、大野から地御前あたりの海沿いに出かけました。いろいろ回って最後に訪れたのが、地御前の防波堤。そこで、寒風の中、引潮が始まった海に若者たちを見つけました。会話を聞いていると、日本語ではなく、中国語のようです。地御前は牡蠣の産地ですが、近年は働く人も減ってきて、中国の人を使うケースが増えているようです。「研修生」ということなのか、不法滞在なのか、それは分かりません。寒い時期に、まだ暗いうちから起きて行う牡蠣漁の仕事は、相当きつく、日本の若者にはなり手がいないのでしょう。堤防から浜に降りて、最初の難関である水路越え。ここを助け合って、超えて行く姿がとっても微笑ましいです。この日は寒風の吹くかなり寒い日でしたが、エンジのTシャツの彼などは、素足にビーチサンダルで、かなりの軽装・・・。彼らは浜辺で何かを拾っているようです。何かなと思ったら、アサリでした。砂を掘ったら、もっとたくさん取れるよ!と教えてあげようかと思いましたが、やめました。このあたりは、アサリの養殖も行われているので、「掘ってはいけないけど、落ちているものはいい」という風に言われているのでしょう。防波堤の上にいる私に気づいた彼女らは「こんにちわ」と、ちょっと妙なイントネーションで声をかけてくれました。私も「こんにちわ」と返しましたが、素朴な笑顔がとても印象的でしたね。故郷を離れて、遠く日本に来て、稼いだお金のほとんどは貯金して、そして国に帰っていくのでしょう。彼らの求める幸せと、日本人の求める幸せの価値には、なんら違いはありません。こうして集めたアサリは、彼らの今日の夕食になるのでしょう。牡蠣漁や牡蠣打ちのようなきつい仕事につく若者はおらず、それでも牡蠣漁を続けていくには、外国人を雇わざるを得ないのが実情です。事業を継続していくためには、背に腹を変えられない問題です。2013年に、広島県の江田島で、中国出身の外国人研修生に、カキ養殖加工会社の社長と女性従業員が殺されるという事件がありました。私は、基本的に移民の受け入れには反対ですし、外国人が日本に増えることは好ましいとは思いません。が、現実の問題として、「現場」では困っているのも事実でしょう。牡蠣に関わる仕事もそうですが、建設の現場、介護の現場など、肉体的にキツイ仕事ほど日本人のなり手は少なく、しかも、先端技術では効率アップできない部分でもあります。逆に、「知的」と言われる労働の多くは、かなりの部分、「工学的な技術」でカバーできるでしょう。日本の人口が減少してきても、日本の技術力で、生産力を保つことは容易です。しかし、いろんな現実的な問題と生で接する「現場」ほど、技術革新の恩恵を受けられず、慢性的な人材不足となっています。外国人が増えれば犯罪が増える、というのも、おそらく、統計的には事実でしょう。難民受け入れや、労働移民の受け入れを緩めれば、最初から犯罪を犯すつもりで来日する輩も入り込みやすくなります。また、日本にやってきたものの、日本の文化になじめず、生活が荒んでいく中で犯罪者となる場合もあるでしょう。力を合わせながら、潮の引いた海でアサリを拾う彼らを見つつ、なんだかとても微笑ましい気持ちと、彼らの幸せを願う気持ちと、日本の将来を不安に思う気持ちが交錯していました。牡蠣棚の向こうに見える島が宮島です。
2016/12/13
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7月17日の日曜日、うちの奥様が広島市中区紙屋町に用事があるというので、広島市内に出て、駐車場に車をとめ、奥様は、広島そごうに行き、その間私は平和公園を散策することにしました。言うまでもなく、世界遺産の原爆ドーム。平和公園入口の元安橋のたもとには、外国の街角を連想させる、ちょっとお洒落なレストランがありますね。ここはいつもオレンジを大量に並べていて、鮮やかで、目をひきます。慰霊碑の前。欧米系の外国人の姿が目立ちます。本郷新の作品で、嵐の中の母子像。100M道路から平和公園に入ると、噴水の手までに設置されています。母の強さを表現した像ですが、母が、こういった究極的な強さを発揮せずに、やさしいままで生きていける世の中を守りたいですね。噴水越しの原爆ドーム。そして、久しぶりに原爆資料館の中に入ってみました。オバマ大統領が来た影響か、すごい人で、狭い通路では身動きが取れない状態でした。ただ、妻との待ち合わせの時間もあるので、ゆっくりと見ることはできず、人をかき分けつつ急いで見学して通路に出ると、そこに、オバマ大統領の折鶴が展示されていました。冒頭の二羽は、大統領から子どもに手渡されたもの。こちらが、原爆資料館に寄贈されたもの。わざわざ、大統領自ら折鶴を折って持参するというのも、ちょっと心憎い演出ですね。千羽鶴は、病気快癒を願って作られたものですが、原爆による白血病で入院した佐々木 禎子さんが、病室で鶴を折り続けつつ亡くなったということで、千羽鶴が平和への願いの象徴ともなって、今もたくさんの千羽鶴が広島に届けられています。原爆資料館から慰霊碑と原爆ドームを望む。また今年も暑い夏がやってきました。そうすると、広島県人は、原爆の日を思い起こします。小学校の頃は、夏休み唯一の「登校日」が8月6日になっていて、みんなで黙とうして、それから平和学習をして、帰りました。どうやら、今は違うようですが。
2016/07/22
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週末をまたいでの話で恐縮ですが、5月27日(金)の夕方、オバマ大統領が広島にやってきました。テレビでも繰り返し放送され、おそらく日本中の人がそのシーンを見たと思います。私がオバマの演説を聞いたのは、その日の夜のニュースになりますが、正直、なんだか、うるうるっときちゃいましたね。年を取ると涙もろくなってきますので、そのせいもあるのでしょうが、想像した以上に踏み込んだ、感情のこもった内容であったと感じました。これで核兵器がなくなるとは思いません。オバマも、私が生きている間に無くすことは難しいと言っていましたが、国家同士が争っている限り、他よりも優れた武器を持ちたいと思うのが人間です。そう簡単に放棄できるものではありません。戦争のある限り、核兵器はなくならないでしょう。オバマも言っていたとおり、科学の進歩は、人類そのものに大きな恩恵と、滅亡の危機を同時に与えてしまいました。科学の進歩は、モラルの進歩を伴わなければ、人類そのものを滅ぼす、というのはまぎれもない事実でしょう。武器のない時代には、殴り合って決着をつけねばなりませんので、人を一人殴り倒すために、相当の傷を自分自身も追わざるを得ません。それから、棒や石のような単純な武器から始まり、刃物が生まれ、鉄砲が生まれ、大砲が生まれ、爆弾が生まれ・・・。結局、どれだけ少ない労力で、どれだけ多くの損害を相手に与えるかという競争を繰り広げてきました。そして、行き着いた先が核兵器です。「核兵器をなくすこと」そのものは目的ではなく、人間同士が殺しあう「戦争」というものをなくさない限り、核兵器もなくなりません。オバマの演説の中で、私が泣けてしまったのは、「1945年8月6日のあの日、今の私たちと何ら変わらない暮らしが、ここにもあった」というくだりです。やっぱり、大事なのは、そいう視点だと思うのです。戦争というものが、人間として持つべき、幸福を希求する権利を奪うものであるということ。戦争のない世界=核のない世界であって、核がなくなろうと、戦争がある限りは悲劇はいつまでも続きます。逆に、核兵器が生まれたからこそ、人類は、その叡智でもって、戦争を回避するすべを見出していかねばならなくなったとも言えますね。被爆者の方が、オバマと抱擁しながら泣いていたというシーンも印象的でした。これまでの長い人生の苦労や、被爆したあの日の事や、いろんな思いが込み上げてこられたのでしょう。被爆者と直接話がでくきるのもあとわずかだが、その記憶は残していかねばならないといった趣旨の内容もありましたね。被爆者の方にも、複雑な思いがいっぱいあったと思いますが、オバマが広島に来たことで、自分たちの悲惨な体験が、世界への悲惨な体験になっていくことを実感されたのかもしれません。被爆者の方の過去の悲惨な体験が、これからの世界の糧になっていくという大きな意味をもった瞬間でもありました。これから試されているのは、今を生きている私たち、ひとりひとりなのでしょう。今回のオバマ大統領の広島訪問で、そんなことを感じました。
2016/05/30
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突然ですが、私たちは意外に「ユダヤ人」について知らないな、と思い、ブックオフで本を買って読んでみました。100円で買った本ですが、初版は、1986年で、相当古い本でした。「ユダヤ人」と言えば、まず思いつくのが、ナチスに迫害されて、多くの人が犠牲になったということ。それから、ロスチャイルドやロックフェラーなど、国際金融資本の親玉であること。それから、旧約聖書の主役であること。それから、日本の文化との共通点が多く、「日ユ同祖説」があること。くらいのイメージでしょうか。この本は、ユダヤ人の歴史について、その風習などを絡めて紹介しています。ユダヤ人のややこしいところは、「日本人」とか「アメリカ人」とかいう、国に属した定義でもなく、また、必ずしも民族を表すものでもない、という点です。この本の内容とは一致しませんが、私なりに流れをまとめてみます。ユダヤ人は「カナンの地」で遊牧民として暮らしていたが、のちに、エジプトに移住、そして奴隷にされたが、モーゼに連れられて「出エジプト」し、神に与えられたパレスチナの地に移住、古代イスラエル王国を建国。ダビデ王、ソロモン王の時に、栄華を極めるが、その後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂。北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国は、エジプトに敗れ、その後、バニロニアに囚われた。(バビロン捕囚)このバビロン捕囚時代に、民族の誇りとアイデンティティを守るために、民族の伝承が成分化され、強固なユダヤ教の教えが形成されたらしい。その後、バビロニアはペルシア帝国に敗れ、ユダヤ人はエルサレムに帰り、強国の属州として自治権が与えられてきた。その後、ペルシャからマケドニア、シリア、ローマ帝国と宗主国は変わったものの、ユダヤ人は自治権を持ち、宗教も守って暮らしていた。そんな中で、イエスキリストが登場。ユダヤ教に批判的なイエスは、ユダヤ教の一派によってローマ帝国に訴えられ、処刑される。その後、ローマ帝国は、ユダヤ人の自治を廃止し、迫害に転じる。迫害から逃れたユダヤ人は、ヨーロッパ各地に移住するも、キリスト教の普及とともに、「反キリスト教者」「イエスを陥れた民族」ということで、迫害は続き、流浪の民となってしまいました。そういう背景もあって、ユダヤ教徒は、都市に近い場所にコミュニティを作ってくらし、生きていくすべとして「教育」を重視してきました。なにしろ、土地を所有することも禁じられていたりして、できる仕事にも制約があります。己の才覚だけで生きて行かねばならないという必然性が、「優れた民族」を創り出したのでしょうね。キリスト教が禁じてきた、「金貸し」はユダヤ人の得意とする仕事ですが、これは、「同胞から利息を取ってはならない」という宗教上の理由から、異端である、ユダヤ人にはそれができた、ということでもあります。得意なというよりも、生きていくすべとして、せざるを得なかった、という側面もあります。中世以降、経済に強いユダヤ人は、ヨーロッパ各国の国王にも重宝されたようです。いわゆる宮廷ユダヤ人と言われる人たちで、国王の財産管理、運用を任されて強い権力を持ちました。ただ、それは、ユダヤ人の中のごくごく一部であって、ほとんどのユダヤ人は隔離されて迫害の中にあったようです。国際金融の代表格である、ロックフェラーも、もともとは宮廷ユダヤ人。が、国王が変われば、全財産没収というリスクもあります。「自己防衛」として、国際的なネットワークを作り、情報をいち早くキャッチすることが不可欠でした。中世以降、国家間の争いも多発し、お金が必要な局面が多くなると、否応なく「経済に強い」ユダヤ人の活躍の場面が増えてきます。産業革命が起こり、新しい経済のありかたとしての「資本主義」が必要とされてきたとき、それはおのずから、ユダヤ人の思惑を強く反映したものにならざるを得ません。富を生み出す最大の装置は「戦争」ですし、富の拡大において、最大の障壁は「国家」という枠組です。そういう背景があるからこそ、、「ユダヤの陰謀」が真実味を持って語られ続けるのでしょう。ユダヤの陰謀の有無や、「資本主義」の是非や善悪はともかく、そういう背景ああることを知っておくことは重要ですね。
2016/04/23
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私が書くまでもなく、熊本地方で大きな地震が発生し、今なお余震が続き、40人を超える方が命を落とされ、多くの方が避難されている状況です。私には、とりあえず遠くから見守ることくらいしかできません。この週末には姪っ子の結婚式があり、それに出席する息子たちを空港に迎えに行ったり、送ってきたりしましたが、その際にも、被災地に向かうであろう車両をたくさん見かけました。救急車と消防車10台以上が連なって走っていたり、中部電力の車両が走っていたり、重機を積んだ自衛隊の車両が走っていたり。最初の写真は、宮島サービスエリアに集まっていた自衛隊の車両です。「災害派遣」と書いてあります。日本という国は、本当に「天災」の多い国です。地震、津波、火山の噴火、台風・・・・・。それでも、それに負けないくらいの豊かさを持った国でもあります。みんなで助け合って、みんなでこの国を守って行かなければなりません。こういう時にこそ、日本と日本人の底力を見せなければ。今回の地震で、命を落とされた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々の普通の暮らしが、一日も早く取り戻されますよう、お祈り申し上げます。そして、本当に微力ながら、WOODPROでも、義援金チャリティを始めることにいたしました。足場板の「木っ端」の売り上げを東日本大震災の義援金として寄付する活動は今も続けていますが、広島の大規模土砂災害の際に始めた「OLD ASHIBA カードスタンド」の義援金チャリティは、広島の募金活動も一段落したということで中止していました。今回、熊本地震を受けまして、義援金のチャリティを再開します。ちょうど、年度も変わったので、4月1日以降の「OLD ASHIBA カードスタンド」の売り上げ金全額を熊本地震の義援金として寄付いたします。HPの修正は間に合っておりませんが、ご協力の程、よろしくお願いします。WOODDPRO 本店 「OLD ASHIBA カードスタンド」WOODPRO 楽天市場店 「OLD ASHIBA カードスタンド」
2016/04/18
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昔から気持ちの中に引っかかっていたことがあります。あの、甚大な被害をもたらした第二次世界大戦の後、すなわち「戦後」のこと。確かに私もすでに50年以上の戦後を経験してきました。「経済白書」に「もはや戦後ではない」と書かれたのは、1956年。とすれば、戦後の激動期は、1945年~1956年の10年ほどの間。この10年の間に、その後の日本の形が決まったように思われますが、意外にその間のことを知りません。良くも悪しくも、日本国民が一丸となって「国のため」に戦った戦争に負けて、それまで敵国であったアメリカに占領され、それまでの価値観が全否定されました。それが「戦後」です。GHQが日本を統治していたのは、1951年のサンフランシスコ講和条約を経て、1952年の日米地位協定で、日本の主権が回復するまでの6年あまり。思えば、かなり長いです。日本人の中に、アメリカに対する憎悪の感情がほとんどなく、逆に憧れの感情があるのは、この占領政策が成功した証でしょう。それが「洗脳」であったのか、「解放」であったのかの判断は微妙で、おそらくどちらも事実だろうと思います。私が生まれたのは昭和36年(1961年)で、日本はちょうど高度成長期を迎えたころ。今では戦後70年なんて言っていますが、当時はまだ、戦後16年ですから、おそらく、戦争の傷跡が随所に残っていたことでしょうね。現在60代の後半を迎えられる「団塊の世代」と言われる人たちは、戦争を経験して帰ってきた人たちの子どもです。まさしく「戦争知らない子供たち」。「価値観の全否定」の中で幼少期を過ごし、「日本人であること」が「侵略という罪を犯した人」であるという「原罪意識」を植え付けられてしまった世代といえるかもしれません。太平洋戦争(日本では大東亜戦争)の是非についてはいろいろな意見がありますが、払った犠牲の大きさを考えれば、決して「正しい」という評価はできないでしょう。ただ、その副産物として、アジア各国は植民地支配を脱したのも事実です。それを日本の功績であるとすることには抵抗があるにしても、結果として世界の流れを変えたという、歴史的な転換期であったのは間違いないでしょう。太平洋戦争というのは、アメリカのいう戦争名です。確かに、アメリカは「太平洋」で戦争をし、日本を撃破しました。一方日本でいう「大東亜戦争」とは、名目上は「アジアを開放し大東亜共栄圏をつくるための戦争」といった意味で、中国と戦争をし、南下して東南アジアで欧米列強の駐留軍を撤退させ、一時は東南アジア全域まで支配下に置きましたが、アメリカ軍の攻勢によって連戦連敗を重ね、原爆投下、終戦、という流れになります。アメリカにとっては、「アジアを開放して大東亜共栄圏を作る」というような戦争の大義名分の戦争の名に関することを許すわけにはいきませんから、「太平洋戦争」と呼ぶことになりました。戦後、GHQ(連合国軍最高司令本部)が日本で行ったことというのは、●旧体制の権力者の排除「東京裁判」などによって、旧体制の権力者が処罰されると同時に、社会の各所で旧体制の重要人物の排斥が行われましたが、占領軍としては当たり前の処置でしょう。会社の中でも派閥交代によって、大きく力関係が変わることがありますが、それがもっと劇的に大がかりに行われたということです。●マスコミの検閲・コントロール「プレスコード」と呼ばれる出版活動に対する規則を決め、それにしたがって検閲が行われた。当然、戦争を肯定する内容はもちろん、連合軍への批判、原爆への批判、日本人としての自尊心を高めるもの、など、GHQに都合の悪い内容は不可。●「自由」教育の推進戦前の体制が絶対悪であるという反動から、教育勅語を否定し、「自由」の名のものに教育が行われた。日本が軍国主義化してアジア諸国を侵略したのは、民主主義に対して日本が未成熟であるためで、「自由」こそが大事で、連合国は「日本人を解放」した、という教育スタンス。●新憲法の制定暴れて人に大けがをさせた乱暴ものに、「今後は、こんな乱暴狼藉は行いません」という証文を書かせる、という意味合いが大きかったのでしょう。考えてみれば、それも当然のことです。そういう背景で思想的に力を持ってきたのが、いわゆる「リベラル」です。リベラルとは、直訳すれば「自由なこと・自由主義的なこと」ですが、要は、「戦前の日本的なもの」の裏返しがリベラルと呼ばれたということなのでしょう。戦後、それまで日本をけん引してきた層は一気に「冷や飯」組になり、一方、自由主義のものとで元気になってきたのが「リベラル」であったわけです。特に、大学を出た学生などのインテリ層が「リベラル」となり、リベラルであることが「進歩的」なことになりました。60年安保闘争、70年安保闘争、というのはまさしく、戦後教育の中で生きてきた世代が中心となって起こされた出来事です。安保闘争後、「髪を切って」普通に就職するものも多かったのでしょうが、そうなりきれなかった者たちが大量にマスコミ人と弁護士になったとのこと。確かに、社会に出て、企業の競争の中で生きて行けば、お花畑のようなリベラルというのは現実味のないものに見えてくるでしょう。人間、より現実的になってくるからこそ、マスコミがあれだけ「反自民」であっても、自民党政権が長く続いてきたのだと思います。ただ、教育の世界とか、マスコミの世界のような特殊で閉鎖的な世界にいると、学生のようなリベラルが「使命感」と一緒になって、純粋培養されやすい。戦後70年。戦後教育の真っただ中で育った団塊の世代は60代後半になってきて、社会の第一線からはどんどん退いています。民主党などのリベラル政党もいったんは政権を奪取しましたが、あまりにお粗末な政権運営のために「実務能力なし」が実証されてしまい、現在は、消去法による消極的な「自民党支持」が多数を占めています。労働組合はすでに力をなくし、組織を守ることに一生懸命。マスメディアが世論を誘導しようにも、インターネットの普及で、新聞は取らず、テレビも見ない若者が急増。「組織」が人を動員してデモを行い、テレビがそれを報道しても、社会の目は冷ややか。さて、「戦後リベラルの終焉」はどうやら間違いないようですが、問題は、ここから日本がどうなるのか、ということですね。もっと本音で語り合う時期にきているように思います。「国破れてマッカーサー」「戦後リベラルの終焉」を読んでみて、私なりに感じたじたことを簡単にまとめてみました。「國やぶれてマッカーサー」は、スタンフォード大学フーヴァー研究所の教授である西鋭夫氏が、アメリカのにある戦時中の資料を精査して、占領政策について書かれた本。結構な文字数なので、読むのはかなりしんどいです。「戦後リベラルの終焉」は、もとNHKの記者で、経済評論家の池田信夫さんの本。著者自身がもともと「リベラル」であった経験などから、分かりやすく流れを解説してあります。こちらはあっという間に読めます。興味のあるかたはどうぞ。
2016/04/01
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突然ですが、私たちは意外に「ユダヤ人」について知らないな、と思い、ブックオフで本を買って読んでみました。100円で買った本ですが、初版は、1986年で、相当古い本でした。「ユダヤ人」と言えば、まず思いつくのが、ナチスに迫害されて、多くの人が犠牲になったということ。それから、ロスチャイルドやロックフェラーなど、国際金融資本の親玉であること。それから、旧約聖書の主役であること。それから、日本の文化との共通点が多く、「日ユ同祖説」があること。くらいのイメージでしょうか。この本は、ユダヤ人の歴史について、その風習などを絡めて紹介しています。ユダヤ人のややこしいところは、「日本人」とか「アメリカ人」とかいう、国に属した定義でもなく、また、必ずしも民族を表すものでもない、という点です。この本の内容とは一致しませんが、私なりに流れをまとめてみます。ユダヤ人は「カナンの地」で遊牧民として暮らしていたが、のちに、エジプトに移住、そして奴隷にされたが、モーゼに連れられて「出エジプト」し、神に与えられたパレスチナの地に移住、古代イスラエル王国を建国。ダビデ王、ソロモン王の時に、栄華を極めるが、その後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂。北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国は、エジプトに敗れ、その後、バニロニアに囚われた。(バビロン捕囚)このバビロン捕囚時代に、民族の誇りとアイデンティティを守るために、民族の伝承が成分化され、強固なユダヤ教の教えが形成されたらしい。その後、バビロニアはペルシア帝国に敗れ、ユダヤ人はエルサレムに帰り、強国の属州として自治権が与えられてきた。その後、ペルシャからマケドニア、シリア、ローマ帝国と宗主国は変わったものの、ユダヤ人は自治権を持ち、宗教も守って暮らしていた。そんな中で、イエスキリストが登場。ユダヤ教に批判的なイエスは、ユダヤ教の一派によってローマ帝国に訴えられ、処刑される。その後、ローマ帝国は、ユダヤ人の自治を廃止し、迫害に転じる。迫害から逃れたユダヤ人は、ヨーロッパ各地に移住するも、キリスト教の普及とともに、「反キリスト教者」「イエスを陥れた民族」ということで、迫害は続き、流浪の民となってしまいました。そういう背景もあって、ユダヤ教徒は、都市に近い場所にコミュニティを作ってくらし、生きていくすべとして「教育」を重視してきました。なにしろ、土地を所有することも禁じられていたりして、できる仕事にも制約があります。己の才覚だけで生きて行かねばならないという必然性が、「優れた民族」を創り出したのでしょうね。キリスト教が禁じてきた、「金貸し」はユダヤ人の得意とする仕事ですが、これは、「同胞から利息を取ってはならない」という宗教上の理由から、異端である、ユダヤ人にはそれができた、ということでもあります。得意なというよりも、生きていくすべとして、せざるを得なかった、という側面もあります。中世以降、経済に強いユダヤ人は、ヨーロッパ各国の国王にも重宝されたようです。いわゆる宮廷ユダヤ人と言われる人たちで、国王の財産管理、運用を任されて強い権力を持ちました。ただ、それは、ユダヤ人の中のごくごく一部であって、ほとんどのユダヤ人は隔離されて迫害の中にあったようです。国際金融の代表格である、ロックフェラーも、もともとは宮廷ユダヤ人。が、国王が変われば、全財産没収というリスクもあります。「自己防衛」として、国際的なネットワークを作り、情報をいち早くキャッチすることが不可欠でした。中世以降、国家間の争いも多発し、お金が必要な局面が多くなると、否応なく「経済に強い」ユダヤ人の活躍の場面が増えてきます。産業革命が起こり、新しい経済のありかたとしての「資本主義」が必要とされてきたとき、それはおのずから、ユダヤ人の思惑を強く反映したものにならざるを得ません。富を生み出す最大の装置は「戦争」ですし、富の拡大において、最大の障壁は「国家」という枠組です。そういう背景があるからこそ、、「ユダヤの陰謀」が真実味を持って語られ続けるのでしょう。ユダヤの陰謀の有無や、「資本主義」の是非や善悪はともかく、そういう背景ああることを知っておくことは重要ですね。
2016/03/15
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写真は、京都南禅寺の水路閣の下です。琵琶湖から京都に水を引き為の水路橋で、明治21年に完成。古風な寺院の敷地の中に、突然姿を現す赤レンガのアーチは、とってもインパクトがあります。明治という時代を象徴する建造物の一つだと思います。さて、話は変わって、ちゃんとした日本語があるにもかかわらず、やたらカタカナ英語を入れる風潮というのも、最近少々気になりますね。年を取ってきた、ということでしょうか。例えば、リスペクト。日本語でも「尊敬する」「敬意を払う」というちゃんとした言葉があるにも関わらず、リスペクトという。何故なのでしょう?他にも、メソッドとか、フィックスする、とか、コンプライアンスとか、インスパイアされたとか、まあ、いくらでもありますよね。実際、私もついつい使ってしまいますが、それによって、ちょっと格好よく聞こえたりするのかもしれませんが、ときには理解してもらえないこともあるでしょう。個人的には、安易に横文字言葉に置き換えるのもいかがなものかと思ってます。コンプライアンスなんて、テレビでもかなり頻繁に出てきますが、「法令遵守」といえば、お年寄りでも十分分かるのに、と思います。江戸末期から明治にかけて、日本は積極的に西洋文明を取り入れました。その際、西洋文明にしかなかった概念的な言葉を、意味を踏まえて漢字に置きかえて、新しい日本語を作っていきました。なにしろ、アジアで最初に「西洋化」を行ったのは日本なので、それまでなかった概念は、すべて新しい日本語を充てる必要がありました。なにしろ、それまでにない概念ですから、それを理解した人が、多くの日本人にも理解しやすいように、漢字をあて、新たに「和製漢語」を創り出していきました。これは、すごいことですね。こちらに「和製漢語」をまとめたページがあったので、参照ください⇒「和製漢語」これを見ると、「和製漢語」がなく、すべてカタカナで表記されていたとしたら、物事の理解力は大きくそがれただろうと思います。先人の偉大さに改めて気づかされますね。「自由」「民主主義」「共産主義」といった社会学的な用語、惑星とか引力とかいった科学用語、、「予想」とか「要望」とか「要素」とかいった頻繁に会話にも出てくるものまで幅広い。結局、中国などの漢字圏の国々では、日本で作られた「和製漢語」をそのまま利用することになりました。中国は、中華人民共和国ですが、「人民」も「共和国」も和製漢語です。ということで、明治維新後、日本人の教育レベルの高さとか理解力というのは、多分に「和製漢語」の影響があるのではないかと思います。「法令遵守」と書けば、仮にその言葉を知らなくても、7割くらいの意味は理解できます。コンプライアンスでは、知らなければ、まったく理解できない上、まったく違ったものを想像してしまうことも考えられます。「ステレオタイプ」という言葉があって、「版で押したような、固定観念」といった意味ですが、ステレオといえば、オーディオしか思い浮かばない人にとっては、両側から別な音が出てきて、立体的な音響に聞こえるから、きっと「モノラル」よりもいいものに違いない、なんて思ったりするでしょう。恥ずかしながら、私は最初そう理解してました。当然、話の中身を正確に理解することはできません。明治時代には、新しい和製漢語がどんどん生まれてきたのでしょうが、今では安易にそのままカタカナにして使ってしまうので、新たな和製漢語は生まれてこないのでしょね。のみならず、「コンプライアンス」が普通になって、「法令遵守」と書かれると意味が分からない、なんて恐ろしいことにならないかという心配もあります。和製漢語に限らず、先人が残してくれた「言葉」をもっとかみしめて大切にしないといけませんね。
2015/09/08
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ついに、オリンピックのエンブレムの使用が中止になりました。残念なことではありますが、「デザインとはなにか?」という問題提起でもあったように思います。グラフイックデザインにしろ、商品のデザインにしろ、デザインというものは、何らかの形で「先達」の残してきたものから逃れることはできないでしょう。それがインパクトがあればあるほど、心の中にも深く残ります。さらに、直接見たものでなくとも、あるものに影響さればものを見た人が、それに影響されて作品を製作し、さらにそれに影響されてという、孫、ひ孫レベルでの「参照」も発生してくると、オリジナルとは一体何か?という問題にもなります。今回のベルギーの劇場のロゴにしろ、特別奇抜なものではなく、おそらく、世界中の中学校の美術の時間には、あれと同じようなデザインを行った学生がいたであろう、とも思います。もし、ある学生は、「それは、私が美術の時間に書いたものとそっくりです」と名乗り出たら、どうするのでしょう?今回のエンブレムが、ベルギーの劇場のロゴに影響されたものだとは思いませんが、結果的に似てしまったことだけは事実でしょう。それでも、エンブレムに圧倒的な力があれば、「似ているけど違う」ということになったと思うのですが、発表時から不評で、「なんでこれが?」という多くの人の印象もあって、ネット上でのあら捜しが始まった結果、サントリーのトートバック問題、もろもろのパウリ疑惑、さらには、大手広告代理店とお役所との癒着問題、出来レース疑惑にまで発展し、結局「取り下げ」となりました。今回のエンブレムにしろ、国立競技場にしろ、どうも私たちに見えないところでいろんな力学が働いているようで、はっきりと「原因」と「責任」の所在を明らかにしてほしいと思います。今回、佐野氏が人格まで攻撃されてしまったのは、その手法に「誠実さ」が感じられないからではないかという気がします。今でこそ日本という国は「クール」なんて言われることもありますが、明治維新には一生懸命西欧諸国のものを真似して、戦後は戦後で、やっぱり真似してここまで来ました。ただ、日本人の日本人らしいところは、誠実にマネするところでしょう。もともとあったものへの敬意と、それを超えることへの挑戦こそが、「誠実」なのだと思います。「安易に」パクったといいますが、この「安易さ」が許せないのではないでしょうか?今回の騒動によって、世の中のデザイナーの皆さんも、戦々恐々としているのではないかと思います。自分が意識していなくても、いざ足を引っ張ろうと思えば、ネット上の多くの人が、膨大なデータの中から「ネタ」を探し出してくるかもしれません。とにかく「誠実に」仕事と向き合うこと。結局、それは一番の自己防衛だという気がします。
2015/09/02
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昨日の日曜日、広島市西区の泉美術館に行ってきました。この美術館は、ゆめタウンなどを経営する「株式会社イズミ」の運営する美術館で、西区商工センター内のブランド品ショップ エクセルの上にあります。1945年に原爆が投下されて、広島が一面の焼野原になったところから、バラックが建ち始め、今の広島市の原型が徐々に出来上がっていく様子を写真パネルで紹介しています。⇒復興の記憶 いま、伝えたいこと原爆が投下され、日本が無条件降伏し、米軍が駐留し、壊滅した街に、価値観も壊された広島の人たちが復興を成し遂げていく様子を目の当たりにし、ちょっとうるうるしました。広島駅前に立ち並ぶ闇市。半壊した校舎で学ぶ子供たち。今の広島市中心部に徐々に店が並び、今は広島名物となった「お好み焼き」という看板を掲げたお店なども見られるようになってきて、市民球団のカープが生まれ・・・・・。そういう先人の努力があってこそ、今の日本があるのだということがよーく分かります。私は奥様と二人で見学しましたが、親子で来られて、当時のことを懐かしそうに話されるお年寄りもおられました。ただ、どうも若い人は少なかったのが残念でした。お盆には、うちの子供たちも帰省していたので、見せればよかったなあ、と思いました。9月6日までの開催していますので、まだ見ていない人は、ぜひどうぞ。戦後の復興というのは、広島だけのことではありません。日本の主要都市はすべて空襲で瓦礫の山となっていたわけですから、日本中、どこでもあった復興の風景なのだとも思います。そういう歴史があって、今の日本があるんだということ。それを知りことが大切ですね。懐かしいと感じられるお年寄りはもちろんですが、ぜひとも若い人に見てもらいたいです。そうすれば、お年寄りに対する敬意というか、尊敬の念というのも湧いてくると思います。今の日本を作ったのは、戦後を強く生きた、今のお年寄りです。そして、その日本をどういう風に次の世代に伝えていくのかを託されているのが、私たちの世代だともいえるでしょう。そういう歴史の連続性の中で、上の世代に敬意を払い、そして、後の世代によりよい日本を残していく努力というのが大切ですね。帰りに受付で、写真集を買ってきました。
2015/08/24
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明日は、70回目の原爆の日。正確には、広島に史上初めて原爆が投下された日です。私が小学生であったころは、8月6日は夏休み中の一斉登校日となっていて、みんなで黙とうし、平和学習を行っていました。小学生には、かなり怖い内容で、峠三吉の原爆の詩をオペラ歌手が輪唱で歌うレコードを聞かされ、怖くて怖くて耳を塞いだ記憶があります。最初の写真は、原爆ドームの上を飛行機が飛んでいるもの。小さすぎて見えないかと思いますが、右上の点が飛行機です。70年前には、広島上空をエノラゲイと呼ばれる爆撃機が飛来し、原爆を投下しました。直接の被爆者ではありませんが、死んだ祖父も、原爆投下の翌日には救援のために広島市内に入りましたので、原爆手帳も持っていました。ただ、その時のことについて多くを語らないまま亡くなりましたが。今の広島で、この原爆ドーム以外に「原爆」を感じられるものはほとんどありません。このドームを残すことについて、当時は賛否両論あったようですが、今となっては、原爆投下という歴史的な出来事の風化を食い止める大きな存在となりました。世界遺産にも認定され、世界各地から多くの人がやってきます。平和公園の慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻んであります。一部には、この碑文に対して、異議を唱える人もあるようです。原爆投下は、戦争終結のためということになっているが、実際には原爆投下がなくとも戦争は終結せざるを得ない状況でした。にもかからず、アメリカは人体実験を兼ねて原爆を投下し、20万人の命を奪いました。悪いのはアメリカであるにも関わらず、被害者である日本人が「過ちは繰り返しませんから」というのはおかしいのではないか!?というわけです。確かに一理ありますが、私としては、日本人の、というよりも、人類として「過ちは繰り返さない」という決意を刻み込んだものでしょう。8月15日の終戦記念日に向けて、テレビでも戦争関連の番組を多くやってます。戦争の悲惨さ、非人道性、集団の狂気・・・・。一部の病的な戦争愛好家は別にして、だれもが戦争反対だし、人を殺すことも、殺されることも望みません。この時期に国会で審議されている「安保法案」の問題について、反対の人、賛成の人、それぞれいると思いますが、反対の人は戦争反対の平和を愛する人で、賛成の人は、戦争にも賛成で、平和を愛さない人、なんて図式が当たり前のようにテレビで放送されるのを見ると、違和感を感じます。誰もが戦争を嫌い、戦争なんて絶対にしたくない、と思っているでしょう。問題となっているのは、それを実現するための方法論なのです。中国の台頭、アメリカの凋落で世界の軍事バランスは大きく変わってきています。さらには、中国のバブル崩壊で、なお一層状況は不安定化してくるでしょう。そんな中で、「日本を守る」ためにどうすべきか、という極めて冷静になるべき問題なのでしょう。それを、感情論に置き換えて議論していけば、戦時中の日本となんら変わらなくなります。「なんとなく反対」「なんとなく賛成」というのは一番よくないでしょう。戦後70年と、安保法案と、70年談話の問題と、いろんな問題がこの暑い夏に向かってクローズアップされています。日本の今後や平和について、一人ひとりがしっかりと考えてみるいい機会だと思います。
2015/08/05
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中国の株価が暴落して、取引を中止する会社が続出。結構大変なことになっているようです。かなり前から「中国のバブル崩壊」に関しては言われていていましたが、いよいよなのかな、とも思いますが、私は経済に詳しいわけではないので今後のことは分かりません。冒頭の写真は、2009年1月に社員旅行で上海に行った際に、ホテルの窓から撮ったもの。当時中国は、上海万博の前で、ガンガン建設工事を進めていました。上海森ビルができてすぐくらいです。中国という国は、誰もが知っているように、共産党一党独裁の国です。なので、この国には純粋な意味での選挙というものがありません。民意は操られ、国会の合意も不要で、なによりまず第一に「国策」最優先なので、やることのスピードが無茶苦茶早いです。あっというまに、南沙諸島を埋め立てて、滑走路を作ってしまうくらいです。現在日本では、安保法制を巡っていろいろ揉めてますが、中国であれば、議論など不要ですから「明日からこうする」と決めてしまえばいいわけです。国策のためなら、環境も国民の生活も犠牲にできます。そういう意味では、自由資本主義圏の民主国家ろは競争条件が全く違います。植林せずに、生えている木を切って売るだけの価格と、植林をして、「森を守りながら」木を売るのとでは、当然コストも違うし、まともに競争はできません。これは私の個人的な考えですが、まず、中国は、共産党を解体し、民主主義を確立しなければなりません。ただ、それをすると、これまで共産党と、党員が行ってきた悪行が白日の下にならされて、「自分たち」がただではすまないので、自らそれを行うことはないでしょうね。中国経済の崩壊というのは世界中に大きな影響を及ぼすことは間違いありませんが、それをきっかけに、共産党の一党独裁も崩壊して、選挙による政権が誕生し、それとともに、チベットやウイグルといった強制的に中国に編入された地域も独立すれはよいと思います。一時は混乱するとは思いますが、中国という世界最大の人口を有する地域が、正常な形で国際社会に参加することなくして、21世紀の安定した国際秩序も生まれないでしょう。ソ連が崩壊し、東欧が解放され、ベルリンの壁が壊された時代、中国でも民主化運動が盛んになり、一気に民主化へと向かうかに見えましたが、「天安門事件」によって、その流れが完全にせき止められました。その一方で、共産党独裁を維持しながら、資本主義のおいしいところだけを享受してきたといってもいいと思います。いずれにしても、そろそろ限界ということではないでしょうか。それでは、すでに6年も前に撮った写真を載せときます。歴史もあるし、とても魅力的な国です。
2015/07/09
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今朝のニュースでも、南沙諸島の岩礁の周囲を埋め立てている映像が流れてましたね。狭い砂地であったものが数年の間に6階建ての建物や、住居棟らしくものまで作り始めているとか。アメリカのケリー国務長官が中国を訪れて「懸念」を伝えるも、「主権の範囲内」と突っぱねたとか。地図で見てみても、この場所がどうして中国の領海内と言えるのか、あまりの強引さに開いた口がふさがらないくらいに中国本土から離れてます。まるでしていることがジャイアンレベルです。「ここから俺の土地だからな」と一方的に宣言して、公園に家を建て始める、というくらいの無茶な所業です。テレビのニュース曰く、なぜ中国は急いで埋立するのか、というと、南沙諸島の扱いについての、国際的なルールができるまでに、より確固たる既成事実を作っておく、ということらしいです。確かに、ルールのない間に既成事実を作って、ルールを作ろうという段階で、その既成事実を振りかざして、交渉を有利に進めようという狡猾なやり方です。中国という国は、報道の自由も、本当の意味での人権も、平等も与えず、一党独裁の非民主主義国家でありながら、自由主義経済圏の恩恵だけを享受する国です。すでに共産党でありながら、一切共産主義など目指していないでしょう。本来は、先進諸国ももっと厳しい態度で臨むべきであったと思うのですが、潜在的な経済力の前に各国が遅れまじと巨額の投資をした結果、危険な覇権国家に力を与えてしまった、ということなのでしょう。ということで、この本は、つい最近読んだ本なのですが、読んだ直後に、今回のケリー長官の訪中と南沙諸島の埋め立て問題がニュースにもなり、タイムリーでした。タイトルの通り、なぜ中国が「覇権」を目指すのか、長い歴史を踏まえて、とても分かりやすく書いてあります。さらに、習金平主席になってから起こったことも踏まえつつ、いよいよ本格的に中国が覇権に向けて動き出したことも納得できます。中国主導のAIIB(アジアインフラ投資銀行)も、中国の覇権に向けての動きの一つ。この本の中で、著者は習金平主席の不運として安部内閣の成立を上げています。確かに、中国の覇権に向けての動きと、安倍首相の動きをセットで見てみるととても分かりやすいですね。いろいろと物議を醸している集団的自衛権などの問題も、中国をどうとらえるかによって、その緊急性の判断というのは大きく変わってきます。今朝、映像をみて改めて驚いたのは、中国による南沙諸島の埋め立ては恐ろしいほどのスピードで行われている、ということです。来年くらいには軍隊が常駐するのではないかという勢いでしょう。この本の著者である石平という人は、北京大学を卒業後、日本への留学準備中に天安門事件が勃発。その後日本に留学し、そのまま在留して帰化。天安門事件あたりで中国の体制に見切りをつけたということもあって、中国の現体制に批判的な論調で、しばしばテレビにも登場してますが、単に批判的なだけではなくて、中国人ならではの中国分析はとても説得力がありました。いろんな意見があるとは思うのですが、この本を読んだことで、ニュースについての理解も深まったような気がします。とても読みやすく、分かりやすいので、出張のお供にはおすすめです。
2015/05/19
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今日は、3月11日。4年前の今日、東日本大震災が発生しました。その際、何か、長く復興に協力できることをと思って始めたのが、足場板古材の端っこを販売して義援金にすること、でした。⇒足場板古材 木っ端あれから四年。今も継続しています。去年の12月までの集計で、711,239円。ご協力いただいたお客様に、深くお礼申し上げます。この写真は、我が家から会社への通勤路の様子。山を崩して、新しい道が出来つつあります。今日は3月11日。東日本大震災から4年。「まだ」という思いと、「もう」という思いが交錯しますね。昨年は広島でも大きな災害が発生しましたが、それさえすでになんとなく「昔」になりつつあります。直接的な被害にあわれた方、身近な人を亡くされた方にとっては忘れてしまいたい記憶かと思いますが、単純に風化させてしまってはいけません。犠牲になられた皆様の冥福をお祈りする、という段階から、それを教訓にして何をするかという段階に入ったことは間違いないでしょう。復興がなかなか進まない、という話をよく聞きます。その大きな原因は人手不足と重機不足だとか。バブルがはじけて、建設関係の需要は大きく縮小。さらに、国の財政危機で公共事業は縮小。とどめは、民主党の「コンクリートから人へ」という政策。バブルの崩壊が1993年ころですから、それ以降「建設業界」というのは将来性のない分野となり、さらに、たくさんいた職人さんも職を失う状況ですから、若い職人さんが増えるはずがありません。若い職人さんが増えない上に、残った職人さんも高齢化する。そこにもってきての東日本大震災。そして、東京オリンピック。今は建設技術も進んできて、昔ほど「人手」は必要なくなってきました。かつての日雇い労働的な仕事の多くは重機がしてくれます。必要なのは、重機を使う人、技術を持って現場で働く職人さんたち。もともとゼネコンの社員などは結構な高給取りが多いようですが、現場で働く人の待遇は決してよくありません。景気や国の政策に左右されやすい業種でもあり、末端へ行くほど不安定になります。末端の業者というのは、個人営業に毛が生えたようなところが多く、ボーナスもない。さらに、将来がどうなるのかも分からない・・・。これでは若い人は増えませんよね。近いうちに東海大地震がくるなんて予測もあり、もしそうなったら、復興にどれだけの時間がかかるのでしょう。日本のような災害の多い国にとっては、早期に災害から復興できるような力を、常に養っておく必要があります。短期的な話ではなくて、長い目でみて、国として「土木・建設」のための一定の力を確保していくことが安全保障でもあるでしょう。長い目で見て、安定した魅力のある業種だと思えばこそ、若い人材も入ってくるし、育ってもきます。それによって、日本の「復興力」というのはついていくのでしょう。もちろん、復興とは、物理的なものだけでできるものではありません。鉄道が開通しても、道路ができても、住むところが確保されても、「人」が動かなければはじまりませんね。震災後の日本人の規律ある行動というのが、世界的にも話題になりましたが、災害の多い日本には、「いざというときは力を合わせる」という潜在的な復興力があるようにも思います。景気の好不況にかかわらず、一定の「復興力」を国のかなに保っていくことは重要ですね。3月11日。まとまりませんが、そんなことを思いました。
2015/03/11
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先先週末に東京に行った際、靖国神社に参拝しました。何かと物議をかもしている靖国神社です。さて、靖国神社とはなにかといいますと、簡単に言えば国のために亡くなった人を神としてお祀りしている神社です。私の家系には幸運と言うべきか、戦死した人がいないので、あまり実感もありませんが、戦死した肉親がいるとすれば、靖国神社で「神様」として祀られています。第二次世界大戦での戦死者がもちろん一番多いのでしょうが、その前の日清戦争や日露戦争、さらには、明治維新の際の戊辰戦争にまでさかのぼります。戊辰戦争とは、天皇をいただく官軍と、幕府軍の間で戦われた戦争で、その際、官軍にいて犠牲になった戦友を弔うために、大村益次郎の献言で作られた招魂社がもととなっています。道理で、参道の真ん中に巨大な大村益次郎の像があるわけですね。大村益次郎と言う人は、長州の出身で、天才的な軍略をもって、長州征伐から戊辰戦争にかけて活躍し、日本陸軍の実質的な創設者だとか。明治維新以降、終戦までは、日本国=天皇の国、ということで、「日本のために」は、「天皇のために」と違和感なく同義語であったのでしょう。「靖国であおう」ということが、戦争で死んでいった人たちの合言葉であったといいますが、死んでいくことに大義が欲しいという気持ちは分かります。まあ、宗教の問題もありますし、いろんな主義の問題もありますから、簡単に正しいとか、間違っているとも言いにくい、デリケートな問題ですね。靖国神社で一冊の本を買いました。「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」ヘンリー・S・ストークスこの本は、日本に50年以上住む、最古参のイギリス人の記者が書いた本です。戦争に負けてしまったので、日本人が大きな声で言えなかったことが書いてあります。戦争で負けた日本は「絶対悪」であって、裁かれて当然。原爆を落とされたのも、日本のせい。戦後日本は、自分たちの悪行を悔い改めて、懺悔しつつ生きなければならない。という歴史観を「自虐史観」といいますが、まさしく、戦後の日本は自虐史観に縛られてきました。戦争で亡くなった尊い命は、日本のエゴイスティックな侵略戦争の犠牲者で、とってもかわいそうな人たちだ、と教わってきました。なおかつ、戦争という状況下で、虐殺を行い、アジアの人たちに筆舌に尽くしがたい苦しみを与えたと。ただし、それは、個々の日本人が悪いのではなく、指導者が悪かった。という話です。だから、A級戦犯に罪をかぶせて、あたかも、A級戦犯=日本のヒットラーみたいな話になってしまうのでしょう。でも、本当にそうなのでしょうか?著者が言うには、東京裁判で本当に裁かれるべきだったのは、それまで植民地支配を続けて世界各地で搾取を行ってきた欧米の国家であったが、その批判を免れるために、日本だけを悪者にして収めようとしたのが東京裁判だ、とのこと。事実、東南アジアの国々を植民地の立場から解放したのは日本です。太平洋戦争という言葉も、アメリカの押し付けで、この戦争そのものを「太平洋」で行われた戦争だと、矮小化する意図だとか。本来は大東亜戦争と言うべきで、日本の大義はアジアの国々を解放し、共栄圏を作る、いわゆる「大東亜共栄圏」を作ることにあった。確かにそれでは、戦勝国である欧米各国には不都合に違いありません。これは、決して戦争を賛美するということではなくて、戦争に至った経緯をしっかりと総括することで将来に生かし、国を守るために亡くなった人の名誉を守ることでもあるでしょう。事実、終戦後にも現地に残って、現地の軍隊とともに独立戦争を戦った日本人も沢山いたようです。戦後すでに69年です。今なお学校では戦争のことをまともに教えてはいないでしょう。だいたいその前に時間切れになりますし、デリケートな問題なので、あまり受験問題にもなりません。私の個人的な見解としては、日本が戦争に負けたことは結果的にはよかったと思います。ただ、日本人が敗戦の辛酸をなめた一方で、そこから世界的な独立の波が起こり、一気に欧米の植民地支配が崩れ、人種差別=悪 という流れに入ってきました。そういう意味では、日本人が世界史の中で果たした役割は、もっとポジティブに評価されるべきでしょう。もちろん、戦争にはネガティブな面はつきものですし、指導者の判断に問題があったのも事実です。そういうことも含めて、もっとフラットに議論することが必要だと思います。
2014/10/24
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「職人不足」という話がよく出ます。バブル崩壊後に日本の状況を、失われた20年、なんていいますが、職人さんも失われたようです。バブル崩壊で世の中の景気が悪化したのはご存じの通り。日本の中のいろんなことが、右肩上がりを安易に「予想」して組まれていたものだから、バブル崩壊とともに、いろんな問題が一気に出てきました。景気が悪くなっても、それなりに準備していれば大きな被害も出なかったのでしょうが、日本全体が受け身をする準備もなく背負い投げをくらったようなものでしょう。民間企業の倒産やリストラで失業者も増え、就職事情も悪化しました。そんな中でお役所が絡んだ第三セクターも次々破たん。年金基金の不透明な流用だとか、「かんぽの宿」が安く売却されたりして、役所がらみの事業はぜんぶ悪いという風潮になりました。まあ、確かに、お金はどんどん入ってくるくらいのつもりでいたのでしょうから、使い方も相当ルーズであったということでしょうね。不景気になって、民間もダメ、公共事業も減少ということで、建設業は当然縮小に向かいます。昨日、取引のある建設会社の副社長さんが言われていたことが印象的でした。要約すると、・バブル崩壊後、若い人たちは建設業に失望し転職していき、残ったのは40歳以上の職人さんたち。・その職人さんたちは、すでに60歳以上になり、これから職人大量引退期を迎える。・職人不足は、これからが本番。とのこと。一度縮小したものをもとに戻すことは容易ではないですね。そしてもう一つ「なるほど」と思ったのは、「床の間を作れる職人さんがいなくなった」という話。確かに今は本格的な和室もなくなって、さらには和室そのものがない家も増えています。それも世の中の流れとはいうものの、結局、和風建築そのものが一部の宮大工さんの中だけに「伝統芸能」のように残っていくのかもしれません。「職人さん」というのは、字のごとく、「職」の人。即ち、その道のプロフェッショナル。急に給料を増やしたからと言って、増やせるものではありません。もともと日本人というのは、手に職のある人に敬意を払ってきました。これから、「職人さん」の待遇、社会的地位を含めて、希望のある職種にしていかないと回復は難しいのでしょうね。そんなことを感じました。足場板を洗ったりしていた作業場を解体したあとの様子です。冒頭の写真が、作業場を解体しているところ。ここに新しく工場を建てることになりました。
2014/08/29
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ここのところ、世界は不穏な空気に包まれてますね。私なんぞがとやかくいう問題でもないかもしれませんが、まあ、一市民として関心を持つことは必要でしょう。日本人は平和ボケなんて言われますが、私も含めておそらくその通りでしょう。大きな戦争こそ長い間ありませんが、その分、細かな地域紛争というのは頻発しています。紛争の大きな原因は、民族と宗教。幸いなことに、日本には、このどちらの問題もありません。これが平和ボケの大きな要因なのでしょう。民族問題や宗教問題で殺しあうということは、日本人には理解できません。私の大学時代の専攻は国際関係論で、担当の先生はソ連東欧関係が専門でした。かれこれ30年あまり前ですが、当時は米ソの冷戦時代。あれから、世界は大きく変わりました。ゴルバチョフが出てきて、ソ連の共産体制が崩壊。それまで押さえつけてきた東欧諸国は、あいついて独裁者を追い出して民主化。ベルリンの壁が崩壊して、東西ドイツが統一。そんな中で、したたかに生き残ったのが中国です。共産主義と言いながら、実のところ共産主義でもなんでもない。「共産党主義」と言った方がいいでしょう。なにしろ、政党は共産党しかなく、人民解放軍というのは共産党の軍隊です。本来であれば、21世紀に残るべき国家のあり方ではありません。ベルリンの壁が崩壊したのが、1989年。25年前です。その年、ソ連崩壊後の世界の民主化の流れのなかで、天安門事件というのがありました。民主化を要求する学生たちが天安門に集結。それを共産党が戦車で鎮圧したという事件です。この出来事は世界各国から強い非難を浴びました。その後はというと、思想的な弾圧は継続しつつ、改革開放を進めて、現在の経済発展を遂げました。経済優先、利益優先、ということで、環境を犠牲にし、公務員の汚職ははびこり、少数民族を迫害し、さらに最近では、露骨な野心をむき出しにして、近隣諸国と摩擦を起こしています。そもそも、天安門事件後の各国の対応が悪かったと思います。中国を非難するにはしたものの、結局、市場としての中国の魅力に負けてしまい、こぞって中国に投資して現在に至ります。個人的な思いとしては、中国共産党は崩壊して欲しいですね。中国が崩壊してほしいのではなくて、あくまでも、共産党が崩壊してほしいということです。チベットとか、ウイグルとかいった地域は独立を果たし、ちゃんとした国民の選挙で国の進むべき道を選べるようにすべきでしょう。膨大な人口と悠久の歴史を持つ中国は、やっぱり世界の中で大きな存在であることは間違いありません。早く、まともな国になって欲しいものです。なんて書くと、今の中国では、危険因子としてマークされ、ある日突然逮捕されるかもしれません。冒頭の写真は5年前に、社員旅行で上海に行った時、ホテルの部屋から撮った写真です。ちょうど上海万博の前年で、街中が建設ラッシュでした。
2014/05/21
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原爆の子の像の前に集まる幼稚園児たちです。原爆のために白血病になり、無くなった佐々木禎子(さだこ)さんをモデルにして、原爆のために亡くなった子供たちの慰霊のために、募金によって作られました。平和公園の一角にあります。今、国防の問題がクローズアップされてきています。日本の庇護者であったアメリカの相対的パワーの下落。野心的な中国の台頭。民族紛争や、宗教紛争。この状況下で、日本という国は、どうやって国民を守っていくのかが問われています。国のリーダーにとっても難しい状況でしょう。憲法では軍隊の保有を認めていませんが、実際には自衛隊という立派な軍隊があります。これは、「私は丸腰で、武器なんてもってません」と言いながら、しっかり腰に刀をさして「これは杖です」と言い張っているようなもの。とはいえ、現実的には、周囲の治安は必ずしもよくないので、その刀は手放せない。そして今問題になっているのは、その刀を抜くタイミングについて。これまでは、相手が自分に襲い掛かってきたときに限り抜いてもいいことになっていました。これを、仲間がやられた時にも抜いていいことにしよう、というのが集団的自衛権の容認なのでしょう。さて、今の日本国民の中に、本当に自衛隊を放棄した方がいいと思っている人がどのくらいいるでしょう?おそらくほとんどいないのではないでしょうか。なぜなら、国を守るものがなくなると「怖い」からです。もし日本が攻められたら、どこかほかの国に泣き付いていくしか方法なないとなると、こんな怖いことはありません。にも関わらず、憲法には今もって軍隊の保有しないことになっているというのもおかしな話ですが、これもまた、日本人らしい「本音と建て前」のなせる業でしょう。「建て前として持たないことになっていることが、軍隊を安易に使わない抑止力になっている」と思っているのです。腰に刺さった刀を「杖」だと言い張ることで、安易には抜けないようにしている、ということです。ただ、国際的に、こんな二枚舌が通用するとも思えません。憲法をどう変えるかということはともかく、国民全体が国をどう守るのかをしっかりと考えるべき時期にきているのは間違いありません。ただ、今ある平和の上に安住するだけで、これからの平和を守ることができるのか?今の平和は、決して日本が勝ち取ったものではなく、ある意味では「運よく」平和であっただけかもしれません。戦後ずっと目をそむけて来た現実と、正面から向き合うべき時期が来たといういうことでしょう。
2014/05/16
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GWの中の稼働日ですね。写真はそれとはまったく関係ないのですが、水島コンビナートの写真です。水島コンビナートといえば、おそらく中学時代の地理の授業で勉強したのだろうと思います。倉敷の臨海部に広がる大きな工業地帯ですが、鷲羽山スカイラインの途中の展望台から見ると、なかなか見事な景色です。私が小学生のころ、「日本列島改造ゲーム」なるゲームがありました。時代は、田中角栄の日本列島改造論で盛り上がっていたころ。日本列島の隅から隅までを新幹線で結び、高速道路網を整備し、工業地帯を開発し、日本全体を有機的に結ぶことで、地方も都市部も活性化しようというものすごいプロジェクトです。そのゲームは、新幹線とか、高速道路とか、工業地帯とか、そういったものを整備して完成させるという内容だったように思います。今なら、公共事業の垂れ流しということになるのでしょう。あれから40年くらいの時間が流れているわけですが、最近開通した高速道路や、新幹線なども、そのころに計画されたものも多いのでしょうね。日本列島は明らかに狭くなりました。さて、これから、日本をどのようにデザインしていくのでしょう。
2014/05/01
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東日本大震災から3年。テレビも週末くらいから特集が増えて、あらためて災害の大きさに気づかされます。被災地は私の住む広島からは遠く、被害を実感として感じることはほとんどありません。また、3年前に大震災と大津波があったことさえ意識することもありません。そしてまた、さっぱり見えないという現実もあります。「復旧が遅れている」とすれば、それはきっと、日本という国そのものの基礎体力が低下して、治癒する力が落ちてしまっているということなのでしょう。社会全体の老体化してしまっているという気がして仕方ありません。みんなそこそこ豊かになって、既得権の上に胡坐をかいて、決してそれを手放そうとしない。いろんなものが硬直化して、スムーズに動かない。今一度日本らしい柔軟性を取り戻して、新しい日本を作る大きなビジョンが欲しいですね。追記3年前の大震災の直後から、足場板の木っ端の売り上げを「東日本大震災」の義援金とする活動をしてきました。活動というと大げさですが、無理なくできる範囲で、細長く、というのが最初からのコンセプト。3年でやっと50万を超えました。これはすべて、お買い上げいただいたお客様からいただいたお金です。ご協力、ありがとうございます。人間というのは忘れやすい生き物なので、こういうささやかなことでも、つながっていられたら、と思います。一日も早く被災地の皆様が普通の生活を取り戻されることをお祈り申し上げます。
2014/03/11
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松江市が「はだしのゲン」を閉架にしたという問題で、にわかにこの漫画が脚光を浴びていて、増刷も決まったらしいですね。この漫画は、確か私が小学生の時代に少年ジャンプに連載していました。原爆の悲惨さの中にも、強く生きようとするゲンの姿が描かれていて、特に、ゲンの頭の髪の毛が抜けて坊主になってしまうシーンが印象的でした。松江市で問題になったという日本兵が妊婦の腹を切り裂くとか、そういった非人道的な暴力シーンについては記憶にありません。4歳年下のうちの奥様は何度も図書館で読んだ、というんですが、そういうシーンは見たことがないというので、調べてみると、「はだしのゲン」全10巻のうち、少年ジャンプに連載されていたのは4巻までで、5巻~10巻は、共産党の機関紙や日教組の刊行物に連載していたもののようです。5巻目以降というのは、すでに「少年もの」ではなくなって、極めて政治的なものになっていったのも頷けます。とすれば、小学生にオープンにするべきは、ジャンプに連載された4巻までとするのが妥当なように思います。テレビでは、コメンテーターがいろんなことを言っていますが、おそらく誰も通しで読んだことがないのでしょう。マスコミや市民団体から袋叩きにあって、松江市の「閉架」は、撤回されましたが、今一度、内容をしっかりと把握した議論が必要だと思います。そういう意味では、関心が高まって、全体を読んだ人が増えて、実際に内容としてどうなのか?という冷静な議論になればいいですね。その上で、どうあるべきか、決めてもらえればと思います。
2013/08/29
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今日、8月6日は68回目の原爆の日。今から68年前のその時代には、それだけ人間の命が軽んじられていた、ということなのでしょう。人間が飛行機に乗ったままで敵の艦船に突っ込むような時代です。いまから考えれば、いかに異常な時代であったかわかります。原爆そのものは単なる兵器に過ぎません。使うのは、必ず人間です。人間が自分のこぶしで人を殴っても、そう簡単には相手は死にませんし、自分のこぶしも痛みます。自分を傷めず、相手に大きなダメージを与えるために武器は進化してきました。武器は棒から弓になり、弩になり、鉄砲になり、大砲になり、爆弾になり・・・。そして究極の形として核兵器が生まれました。それが実践で用いられたのはこれまで2回。広島と長崎。そのあまりに大きな破壊力と非人道性にそれ以降、今まで使われることはありません。ただ、世界各地では、いまだに武力による衝突が起こり続けています。武力で物事を解決しようとすれば、必ず、相手よりも強力な武器が必要になりますし、すでに持っているものを放棄することはできません。「核廃絶」とは、単に「核」の問題ではなく、紛争を解決する手段の問題なのでしょう。
2013/08/06
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この日曜日は、雲ひとつないいい天気でした。午前中に、平和公園を散策。この写真は、原爆の子の像の前に集まった小学生たちです。おそらく自分たちで追った千羽鶴を収めにきたのでしょう。子供たちの黄色い帽子が、遠くから見ると花畑のようにも見えました。戦後68年。「戦争知らない子供たち」なんて歌が流行ったのは、いわゆる団塊の世代で、その皆さんもすでに60過ぎ。50を過ぎた私でさえ、戦争があったということが信じられないくらいなのに、この子達にはおよそ実感はないでしょうね。それでも、「平和」というものの価値や、過去にあった悲惨な事実を子供たちに伝えていくことは大切です。自分たちの享受している「平和」というものが、決してあたりまえではないこともしっかりと知るべきでしょう。世の中の状況も大きく変わって、問題を単純に武力だけで解決できなくなったのは間違いありません。ただ、一方では、中国のようにいまだに大国主義を志向して領土的な野心がいっぱいの国があるのも事実。北朝鮮だって、爆弾をかかえて「言うことをきかないと自爆するぞ!」と叫んでいる追い詰められたねずみ。かつては圧倒的な親分であったアメリカも相対的に力が弱まってきて、どこまであてになるか分からない。私たちは、この子供たちにどんな未来を渡すことができるのでしょうか?自分たちの老後も大事ですが、そこのところ、しっかりと考えないといけませんね。
2013/05/14
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少し前になりますが、5月5日のこどもの日、義父母と一緒に、呉市の大和ミュージアムに行ってきました。開館が2005年なので、すでに7年になりますが、この日は展示を見るのも一苦労なほどに込み合っていました。義父は新年早々い手術をし、胃の大半を切除したこともあって、出不精に拍車がかかっていましたが、「大和ミュージアムなら」ということで、重い腰をあげてくれました。というのも、義父は尾道で造船関係一筋。側溝の蓋から、犬小屋の表札まで鉄で作る人です。呉市は日本海軍の鎮守府が置かれた場所で、海軍の栄光とともに栄えた軍港。今も海上自衛隊の軍港となっていますが、山陽道のラインから外れていることもあって、人口も減少の一途です。さて、この戦艦大和。「宇宙戦艦ヤマト」になったり、日本人には特別な存在ですね。当時の軍艦には、日本各地の「国名」がつけられていました。ヤマトと同型艦は「武蔵」。それをベースにつくられた空母は「信濃」。そして、「大和」というのも、現在の奈良県のことですが、「大和」といえば、日本そのものを指す場合も多く、それが日本人の心を捉える所以でしょう。ご存知のように、この大和は、悲劇の戦艦です。当時世界最大にして、さらに先端技術の粋を集め、不沈艦といわれたにも関わらず、結局たいした戦果も上げることなく、片道だけの油を積んで沖縄に出陣すると中、米軍の飛行機に襲撃されて沈没しました。そして、日本は戦争に敗れていくわけですが、戦後日本の復興は、この戦艦を作ることができるほどの、高く多方面にわたった技術の蓄積があったからだといわれていますね。義父は造船関係の仕事をしていたのですが、昭和30年代というのは、造船景気はものすごく、すごい給料をもらっていたようです。尾道から因島、そして愛媛県の今治にかけての、「しまなみライン」は造船産業が盛んな地域ではありますが、当時の景気はすごかったんでしょうね。今では造船も斜陽し、韓国などに主導権を奪われてしまいました。昨日は、東芝がテレビの国内生産を終了するというニュースがありました。さて、さて、日本はこれから何を武器に生き残っていくのか?日本の底力を見せる時だ!とも思う代わりに、果たして、そんなものがあるのだろうか?と、不安にも思います。まさか、「神風」頼みの無策だけは避けたい。ましてや、片道だけの燃料を積んで奈落お底に突っ込んでいくなんて、やめてもらいたい。日本はどこにいくのだろう?ちょっと重苦しい今日この頃です。
2012/05/18
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今日は、あの震災から1年の日。テレビも特番を組んで、この一年を振り返っています。ともすれば、ほんの一年前に大きな悲劇があったことも忘れてしまいそうになります。あれから一年。当たり前の日常があるという幸せをもう一度かみしめて、自分がすべきことを考える、いい機会ですね。私は被災地から遠い広島に住んでいますので、とても現地のご苦労を想像することができないと思いますし、軽々に口に出すこともはばかられるような気持ちです。復興はまだまだ長く続きます。忘れないこと、ということが、災害に会わなかったものの責務のようにも思います。それからもう一つ。震災と原発事故で、不幸にも命を落とされた方々の死や、今なおその只中におられる方々のご苦労を決して無駄にしてはならないということ。これだけの事態に立ち至って、それでも日本が変われないとすれば、日本の将来はありません。おそらく、日本人の多くは、大きな変革を受け入れる心の準備をしているのだと思います。早く新しい目的地を示して、大きく舵を切らなければ間に合わなくなる、そんな気がします。私たちが次の世代に、そして子供たちのためにできることを真剣に考えるべき時ですね。子供たちのために、どんな日本を作っていくのか。震災から一年。それはただ、365日の時が流れたというだけで、何の区切りでもないでしょう。あの不幸な出来事を、日本を変えていく原動力にすることこそ、大切だと思います。
2012/03/11
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