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2016/04/01
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あの、甚大な被害をもたらした第二次世界大戦の後、すなわち「戦後」のこと。
確かに私もすでに50年以上の戦後を経験してきました。
「経済白書」に「もはや戦後ではない」と書かれたのは、1956年。
とすれば、戦後の激動期は、1945年~1956年の10年ほどの間。
この10年の間に、その後の日本の形が決まったように思われますが、意外にその間のことを知りません。

良くも悪しくも、日本国民が一丸となって「国のため」に戦った戦争に負けて、それまで敵国であったアメリカに占領され、それまでの価値観が全否定されました。
それが「戦後」です。
GHQが日本を統治していたのは、1951年のサンフランシスコ講和条約を経て、1952年の日米地位協定で、日本の主権が回復するまでの6年あまり。
思えば、かなり長いです。
日本人の中に、アメリカに対する憎悪の感情がほとんどなく、逆に憧れの感情があるのは、この占領政策が成功した証でしょう。
それが「洗脳」であったのか、「解放」であったのかの判断は微妙で、おそらくどちらも事実だろうと思います。

私が生まれたのは昭和36年(1961年)で、日本はちょうど高度成長期を迎えたころ。
今では戦後70年なんて言っていますが、当時はまだ、戦後16年ですから、おそらく、戦争の傷跡が随所に残っていたことでしょうね。

現在60代の後半を迎えられる「団塊の世代」と言われる人たちは、戦争を経験して帰ってきた人たちの子どもです。
まさしく「戦争知らない子供たち」。
「価値観の全否定」の中で幼少期を過ごし、「日本人であること」が「侵略という罪を犯した人」であるという「原罪意識」を植え付けられてしまった世代といえるかもしれません。

太平洋戦争(日本では大東亜戦争)の是非についてはいろいろな意見がありますが、払った犠牲の大きさを考えれば、決して「正しい」という評価はできないでしょう。
ただ、その副産物として、アジア各国は植民地支配を脱したのも事実です。
それを日本の功績であるとすることには抵抗があるにしても、結果として世界の流れを変えたという、歴史的な転換期であったのは間違いないでしょう。

太平洋戦争というのは、アメリカのいう戦争名です。
確かに、アメリカは「太平洋」で戦争をし、日本を撃破しました。
一方日本でいう「大東亜戦争」とは、名目上は「アジアを開放し大東亜共栄圏をつくるための戦争」といった意味で、中国と戦争をし、南下して東南アジアで欧米列強の駐留軍を撤退させ、一時は東南アジア全域まで支配下に置きましたが、アメリカ軍の攻勢によって連戦連敗を重ね、原爆投下、終戦、という流れになります。

アメリカにとっては、「アジアを開放して大東亜共栄圏を作る」というような戦争の大義名分の戦争の名に関することを許すわけにはいきませんから、「太平洋戦争」と呼ぶことになりました。

戦後、GHQ(連合国軍最高司令本部)が日本で行ったことというのは、
●旧体制の権力者の排除
「東京裁判」などによって、旧体制の権力者が処罰されると同時に、社会の各所で旧体制の重要人物の排斥が行われましたが、占領軍としては当たり前の処置でしょう。
会社の中でも派閥交代によって、大きく力関係が変わることがありますが、それがもっと劇的に大がかりに行われたということです。
●マスコミの検閲・コントロール
「プレスコード」と呼ばれる出版活動に対する規則を決め、それにしたがって検閲が行われた。当然、戦争を肯定する内容はもちろん、連合軍への批判、原爆への批判、日本人としての自尊心を高めるもの、など、GHQに都合の悪い内容は不可。
●「自由」教育の推進
戦前の体制が絶対悪であるという反動から、教育勅語を否定し、「自由」の名のものに教育が行われた。
日本が軍国主義化してアジア諸国を侵略したのは、民主主義に対して日本が未成熟であるためで、「自由」こそが大事で、連合国は「日本人を解放」した、という教育スタンス。
●新憲法の制定
暴れて人に大けがをさせた乱暴ものに、「今後は、こんな乱暴狼藉は行いません」という証文を書かせる、という意味合いが大きかったのでしょう。考えてみれば、それも当然のことです。

そういう背景で思想的に力を持ってきたのが、いわゆる「リベラル」です。
リベラルとは、直訳すれば「自由なこと・自由主義的なこと」ですが、要は、「戦前の日本的なもの」の裏返しがリベラルと呼ばれたということなのでしょう。

戦後、それまで日本をけん引してきた層は一気に「冷や飯」組になり、一方、自由主義のものとで元気になってきたのが「リベラル」であったわけです。
特に、大学を出た学生などのインテリ層が「リベラル」となり、リベラルであることが「進歩的」なことになりました。

60年安保闘争、70年安保闘争、というのはまさしく、戦後教育の中で生きてきた世代が中心となって起こされた出来事です。
安保闘争後、「髪を切って」普通に就職するものも多かったのでしょうが、そうなりきれなかった者たちが大量にマスコミ人と弁護士になったとのこと。

確かに、社会に出て、企業の競争の中で生きて行けば、お花畑のようなリベラルというのは現実味のないものに見えてくるでしょう。
人間、より現実的になってくるからこそ、マスコミがあれだけ「反自民」であっても、自民党政権が長く続いてきたのだと思います。
ただ、教育の世界とか、マスコミの世界のような特殊で閉鎖的な世界にいると、学生のようなリベラルが「使命感」と一緒になって、純粋培養されやすい。

戦後70年。
戦後教育の真っただ中で育った団塊の世代は60代後半になってきて、社会の第一線からはどんどん退いています。
民主党などのリベラル政党もいったんは政権を奪取しましたが、あまりにお粗末な政権運営のために「実務能力なし」が実証されてしまい、現在は、消去法による消極的な「自民党支持」が多数を占めています。

労働組合はすでに力をなくし、組織を守ることに一生懸命。
マスメディアが世論を誘導しようにも、インターネットの普及で、新聞は取らず、テレビも見ない若者が急増。
「組織」が人を動員してデモを行い、テレビがそれを報道しても、社会の目は冷ややか。

さて、「戦後リベラルの終焉」はどうやら間違いないようですが、問題は、ここから日本がどうなるのか、ということですね。
もっと本音で語り合う時期にきているように思います。


「国破れてマッカーサー」「戦後リベラルの終焉」を読んでみて、私なりに感じたじたことを簡単にまとめてみました。

「國やぶれてマッカーサー」は、スタンフォード大学フーヴァー研究所の教授である西鋭夫氏が、アメリカのにある戦時中の資料を精査して、占領政策について書かれた本。
結構な文字数なので、読むのはかなりしんどいです。
「戦後リベラルの終焉」は、もとNHKの記者で、経済評論家の池田信夫さんの本。
著者自身がもともと「リベラル」であった経験などから、分かりやすく流れを解説してあります。
こちらはあっという間に読めます。
興味のあるかたはどうぞ。
















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Last updated  2016/04/01 05:43:38 PM
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