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日曜日、何気なくテレビを見ていると、突然「環境宣言」とかいって、環境についての特集番組が始まった。 日曜の午後というのは見る人も少ないのか、スポーツ系の番組ばかりになる。 競馬、ゴルフ、野球中継・・・。 買い物から帰ってなにげなくテレビをつけると、突然の「地球温暖化」問題。 当然番組表には載っていたはずだが、ノーマークであった。 パーソナリティーは青木さやかと雅楽の東儀秀樹の二人。 人選の意図は不明だが、内容的には非常に興味深く、分かりやすいものだった。 その中で、特に印象に残ったのは、スェーデン人環境コンサルタントの言葉。 「地球には【地上地下のルール】というのがあります。」 細部はうろ覚えだが、話の内容は 地上で生まれたものは、自然の循環の中にあるので、生態系を乱さず、環境の永続性の妨げにはならないが、地下のものを掘り出して地上に持ってくると循環が崩れ自然が破壊される というものだ。 これは非常に分かりやすい定義の仕方である。 地下のもの、即ち、石炭、石油、天然ガスなどの燃料、さらに、そこから作られる樹脂類。 大きな意味では、鉄やアルミなどの金属も「地下」のものだ。 地下から掘り出されたものを使わないようにする、という「選択の基準」を持つことが大切だと彼は訴える。 買い物をするときには、包装の少ないものを選ぶ。 さらに、産地の近いものを選ぶ。 産地が近いほど、輸送のためのエネルギーを使っていない、ということらしい。 目の前に並ぶ商品だけでなく、その背景までしっかりと考慮に入れた選択の基準は説得力がある。 私はネット販売で屋外用木製品を販売するネットショップの店長もやっているので、少々耳が痛い。 木は確かに自然素材であり、地上のモノであるが、それを運ぶ際には「地下」から掘り出したエネルギーを使わざるを得ない。 カナダからレッドシダーを運ぶのにもエネルギーが必要だ。 意識するかしないかの違いだけで、人間は「地下」のお世話になっている。 ただ、意識しなければ変えようもないが、意識すれば変える事ができる。 自分の身の回りにあるもの、自分の生活を見つめなおして見ることから「環境」の問題は始まる。 「意識」することが大切だ。 一人一人が少しずつ環境を意識して暮らせば、それが大きな力になるのだろう。 目の前のあるもの、一度分類してみるといい。 意識して身の回りのものを見てみる。 地上のものか、地下のものか。 ポリエステルのシャツは地下。 綿の下着は地上。 今叩いてるキーボードはプラスチックだから地下。 パソコンの画面もそう。 画面がのっている机は木なので地上だが、それを支える脚は鉄なので地下。 書類を置いているトレーも樹脂。 コピー用紙は地上。 ゴミ箱、コピー機、引き出し、バインダー すべて樹脂。 壁はビニールクロス。 窓際にはブラインドがあるが、これも「地上」ではない。 こうしてみると、人類は「地下」から掘り出したものに囲まれて暮らしているのがわかる。 この便利な生活から「地下」のものをどうやって減らしていくのか。 とりあえず、「意識」して暮らし始めることから始めるしかないようだ。
2006/06/05
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写真の切り株は、私が森の中で携帯カメラでとったものです。 杉の木で、年輪の数を数えたら40くらいありますので、樹齢40年。 中心が右側に寄っていますので、左側が南向きで日当たりのいい方向、右側は北だと予測できます。 直径は30センチよりも少し小さいくらいだったと思います。(測らなかったのですみません) さて、本題です。 中心よりの部分と外側の部分で明らかに色が変わる部分があるのが分かると思います。 中心よりの部分は一般的に赤いので、「心材部」「赤味・赤身(アカミ)」と呼びます。 一方、外側よりの白っぽい部分は「辺材部」「白太(シラタ)」と呼びます。 これは基本的にすべての木にあるものですが、木の種類によって境目にはっきりしたものと不明瞭なものとがるので、区別のつきにくい場合もありますが・・・。 実は、この部分、色の違い以上に決定的な違いがあります。 やや、なんだか専門的な話になりそう・・・・、と思っても、ここでやめないでください。 日常的に使う木の話ですから、知っていても損はしませんし、知らないと損をする可能性もあります。 白太は現在成長中の、いわば若々しい部分です。 水分や栄養がガンガン移動して木を成長させます。 一方赤味部分は、「仮死状態」の部分で、すでに活動もせず、ご隠居状態。 ご隠居と仮死を一緒にしちゃ、まずかったですか? 確かにまずいですね。 でも、実は木の価値は、このご隠居の方にあるのです! 実は、木を腐りにくくさせる成分とか、虫に強くなる成分、殺菌作用とかいったものは、この赤味にしか存在しません。 活動をやめて、現役をリタイヤしたときに初めて得られるものなのです。 シラタなんぞ、「まだまだ若い!」と一喝できるくらい違います。 なので、いくら「桧」が水に強いといっても、シラタの部分では意味がないのです。 さて、この写真。 芯に近い黒っぽい部分にはカビが全く生えていないのに、周辺の白い部分には緑のカビが生えています。 カビかコケかは分かりませんが、このくらい違います。 このまま行くと、周囲の白い部分は様々な菌類の攻撃を受けて、ほどなく腐るでしょうが、中心の赤い部分はそれよりも相当長く残るものと思われます。 特に木を屋外に使用する場合には、木の種類とともに、この「シラタ」「アカミ」にも注意しましょう。
2006/05/24
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GWの終盤、6日に近所の山に登ってきた。「野貝原山」という700Mあまりの山である。実はこの山、かつては「のう●高原」というリゾート施設が山頂にあり、「の●が高原ピラミッド」として巨石群がテレビでも取り上げられたことがある知る人ぞ知る山である。現在はというと、リゾート施設は倒産し、山頂へ上がるアスファルトの道は閉鎖。ふもとからは廃墟となった山頂のホテルが見えるだけだ。その廃墟となったホテルには「大展望岩風呂」があり、宮島を含む瀬戸内海を一望できた。湯船につかりつつ、瀬戸内海の絶景を見下ろすというなんともド迫力な風呂だ。が、残念なことに、そういう風呂に入りたい年頃になった時にはすでに倒産していたので、私自身は入ったことはない。この山はもともと町の所有であったものを、リゾート開発を条件に「開発会社」に売り渡したものらしい。町民がどんどん利用できて、なおかつ観光で町が潤う、という皮算用だったのだろう。結果として開発会社は倒産し、町には山を買い戻す力もなく、うわさによれば宗教団体に買い取られて「墓地」になりかけたところを住民の反対運動によって阻止し、閉鎖されたままの廃墟が残った。町民(現在は市民)の財産にはバリケードが張られたままである。私が卒業した宮内小学校の校歌にもこの山の名が出てくる。しかも、歌い出しがこの山の名前だ。雪積もる野貝高原いにしえは、いかにかありしふるさとの山の命よ春を待つ こころの如く・・・・。という校歌で、きっと今でも歌われているの違いない。いにしえの様子はともかく、今は廃墟の山になってしまった。私が小学生だったころに開校100年を迎えたので、校歌も相当昔に作られたのだと思う。そのとき、誰が現在の状態を想像しただろうか。悲しいことである。確かに「山」には所有者があり、個人のものかもしれない。しかし、その山を見つつ育った人間にとっては、その風景そのものが「財産」なのである。この山は山陽道を通るときに簡単に見ることができる。高速道路を広島から西に向かって最初のパーキングである、「宮島サービスエリア」から、山側を見ると山頂に廃墟となったホテルを見ることができる。宮島サービスエリアは少し高い位置にあり、瀬戸内海が見渡せるため、誰もが海の方にばかり気をとられてほとんど廃墟の山には気付かない。で、その山に登ってきた。所有者のいる山であるから、厳密には不法侵入になるのだろうか・・・。山に線が引っ張ってあるわけではないし、万が一見つかったら迷った振りをしよう、ということで、明石という地区から昔の登山道を登ることにした。同行者なし。うちの奥様がついてこようとしたが、何しろ「不法侵入」くさい、閉鎖中の山であるので、「もし、わしに万が一のことがあったら大変だからお前は残れ」と悲壮な決意でもって奥様に告げた。続く。
2006/05/11
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「愛国」 なんだか、右翼の街宣カーの看板を思わせることばだ。 確かに「戦争」へのイメージと直結しており、アレルギー反応を起こす人も多いに違いない。 教育基本法では「愛国心」という言葉をめぐっていろいろ議論されたらしいが、結局 「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」 という表現になる方向らしい。 「愛」という言葉はなんとも美しい言葉ではあるが、その中に「自己犠牲」が見え隠れする言葉でもある。 逆に、自己犠牲を伴うから美しいともいえる。 「愛してる」といえば、その裏返しに「そのために僕はこれだけのことができる!」という部分が必要になる。 どれだけ自分を犠牲にできるかで「測られてしまう」のが「愛」なのである。 だからこそ「自発的」でなければならないのだ。 「愛」は軽々しく扱うものではないし、ましてや人にどうこう言われるべきものではない。 愛社精神、といえば結局「会社のために」ということだし、愛国心というのも「国のために」ということになる。 「きさまには愛国心がないのか!」 戦争映画で上官が兵隊を殴りつつこう叫ぶ。 「愛国心」という美しいことばで、「自己犠牲」の無理強いをしているだけだ。 愛というものは本来、各自の心の中に自発的に芽生えるべきものであって、他人が強要するものではない。 私の個人的な意見としては、「愛国心」を教育基本法にうたうこと自体はいかがなものかと思う。 ただ、一人一人の心の中にある「愛国心」を否定するつもりはぜんぜんないし、逆に「愛国心」が持てるということばすばらしいと思う。 大事なのはそれが強要されたり、洗脳の結果でないことだ。 私は「自発的」意志を尊重したいのである。 「国」という言葉も曖昧なことばだ。 日本という国は単なる「行政単位」に過ぎない。 その意味では、「広島県」でも「東京都」でも同じだ。 オリンピックで日本を応援して熱狂した人が、「甲子園」では出身県の代表の活躍に興奮する。 どこが違うのだろう? 大学時代の専攻は、「国際関係論」だった。 ゼミの先生は「ソ連」の専門で、外書講読のテーマが「エスニック」。 国家をいう行政の枠組みと、エスニックという「民族」あるいは「血」という内在的帰属意識との対立を解説した内容だったと思う。 本来人間は、国家という人間がつくった枠組みではなく、過去からずっと繋がってきた「血」とか「ルーツ」というもののほうが大切なのではないだろうか。 自分が今生きているということは、過去からずっと繋がってきた血の流れがあるはずである。 父母がいて、祖父母が4人。さらにその祖父母にも父母がいて・・・・・。 果てしなく過去に繋がっている。 逆に言えば、過去から果てしなく積みあがってできているのが「現在」であり、今生きている「私たち」ということになる。 そう考えると、「国」という行政単位とは違う、自ずからそうなるべくしてできた「日本」「日本人」というものの意味もみえてくる。 日本という国、そして日本人というものは私たちが作り上げたものではなく、過去からずっと積み上げられてできたものなのである。 年表に出てくるものだけが歴史ではない。 名もなき多くの人々がいて今の「日本」がある。 過去に対する敬意、未来に対する責任。 過去と未来の間にいるものとして一体なにができるのだろうか? 愛国心というのは結局そういう気持ちなのではないかと思う。 それは戦闘機で敵艦に突っ込むことを強制されることではなく、一人一人が自分の立場で自分にできることを考えることだ。 過去と未来の間。 両親と子ども達との間。 過去への敬意。未来への責任。 今の日本人が失っているものの本質はこれなのだと思う。
2006/04/21
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遅ればせながら、「ALWAYS 三丁目の夕日」を見てきました。 先週の日曜日、私の奥様と二人で見に行ったわけですが、やはり50代くらいの人が多かったですね。 ノスタルジーでしょうか。 リバイバルの短期上映ですが、賞を総なめした映画ということで、結構お客さん入ってました。 ------------------------------------------- 時代は昭和33年。 私が36年生まれなので、私が生まれる前の話だ。 おそらく泣いてしまうんだろうな、と思って行ったが、やっぱり泣けた。 確かにいい映画なのである。 そして、あの時代の空気がいい。 戦争が終わって13年。 日本人は焼け跡の中から確かに立ち上がった。 この上ない挫折と、失意のどん底から這い上がってきた時代だ。 やはり、日本人というのは強く、偉い民族だとつくづく思う。 果たして今、同じ敗戦時と同じ状況になったら、日本は立ち上がることができるだろうか? はなはだ疑問である。 さて、今は苦しくとも、自分の未来には必ず幸せがあると実感できた時代なのだろう。 焼け跡に安普請の住居が立ち並んで行き、ビルが建ち、車が走り、そして最大の象徴が「東京タワー」の建設だ。 「ここまできたぞ」 誰もが深い感慨を持って見ていたに違いない。 映画に登場する子ども達がまさしく「団塊の世代」の方々ということになる。 夢と希望に満ち溢れた、古きよき時代。 誰もが感受性豊かに喜怒哀楽をストレートに表現できた時代。 テレビが来たといっては大騒ぎ。 どんなものでも素直に受け入れて喜ぶことのできた時代なのだ。 一つのシュークリームでも幸せになれる。 そういう素直な人たちの話を見ていると、泣けてしまうのだ。 うちの親父が時々話す。 もう50年近くも前の結婚したころの話だ。 それはまさしく「三丁目の夕日」の時代である。 4畳半一間、共同台所に共同トイレというアパートで暮らし始めて、何もない部屋。 みかん箱がテーブル代わりだったらしい。 そこから一つずつものが増えていった。 テレビが来た、冷蔵庫が来た、洗濯機がきた。 車が買えた、家が買えた・・・・。 そしていつの間にか、 「なのも持っていなかったから、何でも喜べた」時代から 「手に入れてしまったから、何にも喜べない」時代になってしまった。 日本は確かに豊かになった。 でも、豊かさを測る物差しが「物」だけになってしまったのも事実である。 それは結局底なし沼だ。 物は所詮「物」であって、それ自体が人を幸せにするわけではない。 ましてや、金額の大きさで幸せの量が決まるものでもないはずだ。 人より高い服を着て、大きな家に住んで、目の玉が飛び出るような値段の宝石を身に着けても、それだけで幸せになれるわけがない。 「いい服ですね」「大きな家ですね」「きれいな宝石ですね」 周囲はそう評価してくれるから「幸せ」な気分になったような気がするだけだ。 結局、お金や物は相対的な幸せしか生まない。 人よりたくさん、人よりいいものを持っていることが幸せの基準になってしまう。 結局、幸せは自分のこころの中にあって、人と比べるものでもない。 フォアグラを食べる幸せと、お茶漬けを食べる幸せ。 どちらがより幸せなのか? それは結局本人が決めること。 お金はあっても誇りがない。 そんな時代になってしまったようだ。 あの頃はよかった。 おそらく、映画を見に来たほとんどの人がそう思ってみていたのだろう。 空っぽの貯金箱をいっぱいにするという夢があった。 でも、いつしか貯金箱はいっぱいになり、守るものだけが増えた。 映画のラストシーン。 真っ赤な夕焼けに東京タワー。 あの時代の家族が夕日を見ながら語りあう。 「きれいだね、明日もきれいかな」 「50年後だってきれいだよ」 確かに夕日の美しさはあの頃のままだ。 でもきっと、夕日を見る人の心は変わってしまった。 「あの頃はよかった。」 といっても、もう誰もあの頃には戻れない。
2006/04/05
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川崎市の、小学生転落事件の容疑者として、41歳の男性が逮捕された。 その人物像が分かってくるにつれ、なんともやりきれない気持ちになってきた。 被害者の小学生や、そのご家族にとってはこの上ない悲しい出来事であるのは間違いない。 が、その一方で、加害者にも家族がある。 ごく普通の家族で、子どもが3人いるという。 加害者の男はどんな過酷な裁きを受けても仕方ないが、その家族の行く末を思うと辛すぎる。 41歳。 元カーテン屋の店長。 仕事熱心で、腰が低く、人当たりもよい。 という犯人の人物像を朝日新聞の記事で読んだとき、これはまさしく「私」であってもおかしくないという気がした。 私であってもおかしくないし、会社の同僚でも、隣の人でもおかしくない。 そんなごく普通の人。 容疑者の家族は、警察の家宅捜索まで知らなかったという。 犯人の家族も寝耳に水、というよりも、寝ている間に火の中に放り込まれた以上の衝撃を受けたに違いない。 一生背負わないといけない苦悩や、周囲の偏見。それはまさしく生き地獄だ。 突然子どもを失った親の悲しみも耐えがたいに違いないが、犯人の家族の苦悩とは明らかに質が違う。 決して前向きな気持ちで解決できる類の苦しみではない。 加害者の家族は明らかに「被害者」なのである。 なぜこの男は、家族を地獄のどん底に突き落とすようなことをしてしまったのか? ニュースによれば、昨年の2月から急に勤務態度が悪くなり、無断欠勤を切り返した上、依願退職。 あるいはリストラ。 41歳である。 この男におかしな部分があったのだとすれば、もっと早い段階で表面化していてもいいような気がするが、今のところそういう事実は出てきていないようだ。 妻と3人の子どもがいる普通の家族をもった普通の男。 高校を卒業してから、職業がいくつか変わったにしろ、まじめに生きてきた男。 「人が死ぬところが見てみたかった」 というなんとも異常な動機。 考えるととても陰鬱な気分になる。 塾の講師が生徒を殺し、母親が引率中の幼稚園児を殺し、姑が嫁をナタで切りつけ、怒られた小学生は自殺をし・・・。 いつ、どこで、誰が何をしてもおかしくない時代になってしまったようだ。 普通の人が、普通の顔をして、ある日突然異常な事件を起こす。 まるで食あたりでも起こしたかのようにいとも簡単に。 「あれ、なにか悪いもの食ったかな?」そんな感じだ。 そして、毎日のようにどこかで人が傷つけられる。 ニュースを見ながら、「またか」と思う自分もまた、「異常」に対する感度がどんどん鈍ってしまっているようだ。
2006/04/03
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コンビニのおにぎりを見ながら思ったことがある。 コンビニのおにぎりは衛生上の問題などから包装されている。 なおかつ、ご飯で海苔がしなっとならないように、間に1層入れて隔離してある。 おにぎりの販売にあたって、この厳重な包装を、いかに早く、いかに簡単に取り去るかということが大きなテーマであることは間違いない。 おにぎりの包装にも初期の頃にはいろいろなバリエーションがあった。 一度ビニールを開いてから包み直すものや、先端部を切り取って中のシートを取り去ってから外のシートをはがすものなど・・・。 開き方を間違えると収拾が付かなくなることもあり、いちいち手順を確認しながら開けたものだ。 時間とともにだんだんと練られてきて、最近はほぼ1種類になってきたような気がする。 まず縦方向に入った紐状のビニールを引っ張る。 すると、ビニールは左右に分離される。 そこから左右に引っ張って内側と外側のシートを一度に取り去ってしまう。 すると、なんとしたことか、海苔にくるまれたおにぎりが登場する。 手順としては3段階。 中央、右、左。 実に簡単なものだが、ここに至るまで、包装担当者はかなり悩んだのだろう。 引っ張るときに力が必要だとおにぎりが変形してしまう。 半透明の内側の素材の選定も、実は相当考えられたものであるのだろう。 担当者に話を聞くことができれば、今はなき「プロジェクトX」並みの秘話があるに違いない。 そこで気になったのは、「左右に引っ張る」のだが、さて、どちらが「2」で、どちらが「3」なのかということだ。 おにぎりにはちゃんと、「2」「3」と書いてある。 おそらくどちらでもいいはずだ。 すでに包装紙は左右に分断されているわけだから、どちらが先でも影響はない。 現に、「2」と「3」の手順を間違ったから収拾が付かなくなり、中に入っていた鮭が転がり出てきた、なんて経験もない。 ではなぜ、「2」「3」と番号が付いているのか? 左右両方に「2」としておけばいいのではないか、という意見もあるだろう。 しかし、そうすると、同時に引っ張らないといけないと思う人がいるかもしれない。 実は現にそうしようとした人がいて、両手で左右に引っ張ってしまったために、中のおにぎりが路上に転がり出ることになった、という事件があったかもしれない。 それなら、これはどうだろう。 「2」または「3」(左右のどちらが先でも問題はありません) どちらかの手でおにぎりをしっかりと持って、残る片方の手で左右のどちらかの包装紙だけをを引っ張ってください。 万が一、両方でおにぎりをしっかり持って左右に引っ張った場合には、中の昆布が出てしまうことがあります。 また、両方の手で包装紙だけを持って左右に引っ張った場合には、昆布のみならずおにぎり自体が飛び出す危険性があります。 確かに親切なような気もするが長い。 包装紙全体が説明文になってしまう。 担当者は悩んだに違いない。 どちらからでもいいのに、番号をつけてしまうと、神経質な人は必ずその番号に従おうとするかもしれない。 すでに右手でおにぎりを持っていたにも関わらず、その手を左手に持ち替えてから手順に従おうとするとしたら無駄なことをさせていることになる。 それなら、「1」の紐を引く手を左右のどちらかに特定すれば、自然と「2」で使う手が決まってくるはずだ・・・・・。 喧々諤々。 口角泡を飛ばして激しい議論。 結局、練りに練った結果が現在の包装なのだろう。 一度じっくりみて見ると、そこに男達の苦闘の跡が見えるかもしれない。 ま、どうでもいいことなんですが・・・・。
2006/03/24
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新年明けましておめでとうございます。 一年の計は元旦にあり といいますので、今日は頑張って初日の出を拝みに行って参りました。 とはいっても、家の近所です。 2006年の初日は、広島湾に浮かぶ江田島から登ってきました。 島影がぼんやりと浮かぶ霞の中から真っ赤な太陽が静かに姿を現したとき、正直かなり荘厳な気持ちになります。 写真のテクニックが今ひとつで、朝日の赤さが出ていませんが、肉眼ではかなりの赤さでした。 今年が去年よりもいい年でありますように。 私も精一杯頑張ります。 それでは、本年も宜しくお願いいたします。
2006/01/01
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20日の話なので、そのつもりで。さて、紅葉の紅葉谷を後にして山に分け入った中年夫婦。中年といえば奥様が嫌がるかもしれないが、高校生の子どもがいて、若夫婦ともいい難い。日ごろの運動不足もたたって、山で調達した杖を支えに四苦八苦しならが山道を登る。登っている本人は非常にきついのだが、登山道はよく整備され登りやすい。我々が登ったのは丁度お昼ころだったが、すでに下山中の人も多く、中でもお年寄りが多いのに驚いた。「こんにちわー」「こんにちわー」すれ違う際に気持ちよく挨拶するのは「山」ならでは。時に外人さんとすれ違うのだが、そうするとなぜか黙ってしまう。やっぱり、僕も日本人だ。途中、8割程度登ったところで、ロープーウエーから登山する道に合流。急激に人が増えるが、不思議なもので挨拶はなくなる。そこからさらに登って弥山(みせん)と呼ばれる山頂に近づくと、山はにわかに岩だらけになってくる。我々、疲れきった中年夫婦の前を岩にひとつひとつ触っていく家族がいた。「この岩に間違いない。さわりなさい」とかいう父親の声が聞こえる。娘が岩に触れ、しばらく何かを感じ取るようにじっとしている。岩のパワーでも感じているのだろう。なんか、怪しい、と思いつつ、その家族が見ていないところで岩に触れてみる。が、何も感じなかった。このあたりも日本人らしい。実は、常に宮島が見えるところに住んでいながら、「弥山」登山は初めてだ。山の頂上に大きな岩が鎮座する光景は想像以上に異様なもである。いったいどうやってこんなところに・・・・。パワーがあっても不思議ではない。さてさて、疲れ果てた中年夫婦は地を這うようにして山頂へ。天気は快晴。秋のさわやかな風、澄んだ空気。眼下に紺碧の海と瀬戸内海の島々を見下ろしつつ、近所のスーパーで調達したおにぎりをほうばる。実に気持ちがいいのである。これも巨岩パワーのなせる業か・・・・。帰りにはロープウエー乗り場にも行ってみた。我々が昔、初々しい恋人同士であったころに行った思い出の地である。猿が一匹、青い空を見つめていた。余談だが、やまだ屋の「クリームチーズ入りもみじまんしゅう」はうまい。人気blogランキングへ
2005/11/25
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10月31日、本格稼動を目標に現在試行錯誤中です。せっかくご訪問いただいた方、申し訳ありません。ちなみに私は、木製品の製造販売のお店WOODPROの店長してます。そんでもって、店長の部屋です。よろしく。
2005/10/13
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それでは自己紹介をさせていただきます。小学時代・・・なぜか強くもないのによく喧嘩をしてました。おそらく根暗で、勉強のほうも目立たず、今10個くらいパッとしない男の子でした。将来の夢は「漫画家」でした。中学時代の前半の夢は「漫画家」漫画好きの仲間と集まって「少年●●」といった雑誌風の本を作ったりしていた。今でいう「同人誌」。成績は全体にあまりよろしくなかったが、美術だけは極端によかった。高校時代になると自分の漫画の才能に限界を感じ、夢が小説家に転向。SF作家を目指す。この頃の自選代表作は「火星のバイキング」人類初の火星探査機バイキングは火星表面に着陸し、赤茶けた火星の映像を初めて地球に送ってきた、という時代だ。ということで、ブログテスト期間中ですので、簡単に略歴をかいてみました。もちろん、漫画家にも小説家にもなれず。話変わって、この写真は尾道にある、映画「男たちの大和」の実物大撮影セットです。平和な時代に生まれてよかったですね。 感謝。
2005/10/13
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おはようございます。新しい朝がきました。というわけで、とりあえずこれはテストですので、あしからず。この絵は「ベニス」をイメージしたものです。
2005/10/13
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