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2007年10月22日
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■気になる本  - ともかくやってみろ - 


 「通産省(当時)の局長や課長は、3年と同じ部署に
とどまらず次々と昇進して変っていく。
それに比べて、われわれのビジネスは(中略)3年や
そこらでくるくる変えられるものではない。」

 と著者は述べています。

 ここのところ、行政の担当者の不祥事が話題になって
おります。フツーの刑事事件はもとより、青少年健全
育成条例違反、横領、着服、パワハラ、セクハラ、
談合事件、保存記録紛失事件、接待事件等
なんとも凄まじいことです。

 行政とは、政(まつりごと)行う、実行する部隊です。
政を作るのは、立法(国会)ですから、決まった法律等
に従って忠実に実行しなくてはなりません。

 もし、行政の担当者が法に触れる違反をした場合には
それを裁くのは、司法(裁判所)です。

 そして、この立法、行政、司法が各々独立している
ことが三権分立なのです。

 最近の新聞等の事件概略を、この立法、行政、司法に
分類してみると、圧倒的に行政が多いのではないでしょうか。

 それでしたら、抑止力になる法律を作成し、罰則を
設け、厳罰化を明確にしてほしいものです。
尚、法に遡及はありませんので、これからの犯罪には、
ということですが。

 優秀な行政の担当者の方々、是非、入社したときの
初心に戻ってほしいものです。国民に尽くすと。

 冒頭の著者の話は、昭和36年(1961年)前後の
話からの振り返った感想です。

 コンピュータ業界は、当初、日本の遅れたコンピュータ
技術を世界に追いつくために外国企業と提携し、技術を
導入することを行政に強いられました。

 その後、コンピュータが自由化の品目にあげられると
コンピュータは国産化でいくとの行政の方針。そして、
国産メーカが多いということで行政主導で再編成させられ、
6社が3グループへと提携しています。

 その後、外国のコンピュータを積極的に導入していく
ために、外国メーカと共同研究を行えをいう指示を
行政はだしています。

 問題なのは企業よりも、国策に一本芯がないことだと
いうことです。それが、いまも続いているのではないかと
疑心暗鬼であります。

 いま、「ともかくやってみろ 私の体験的経営論」
(著者 小林大祐 著、出版社 東洋経済新報社、
発行年月 1983年6月)を再読しました。

 著者の小林大祐(1912年~1994年)は、1912年6月13日,
兵庫県多可郡加美町で生まれ,1994年8月,7年に及ぶ
闘病生活の後,静岡県函南において没した.
 富士通信機製造の第11期生として入社,社長,会長,
相談役まで勤め,富士通をグローバルな企業に育て上げた.
(参考)日本のコンピュータパイオニア
http://museum.ipsj.or.jp/pioneer/kobayasi.html

 当時、日本のコンピュータは、欧米の進んだ技術を
導入しようとして提携をしています。
 東芝 - GE
 日立 - RCA
 日本電気 - ハネウェル

 著者の会社「富士通」は、パラメトロンPC2
(FACOM 202)を商用として国産開発して
いました。このパラメトロンPC2は、東大理学部、
東大の生産技術研究所、トヨタ自動車工業から
生産委託を受けていた といいます。

 このコンピュータは、当時30台ほど生産され
当時としてベストセラーになった と著者は自負して
おります。
ただ、欠点は、消費電力が大きく、発熱量がすごく、
冷房装置に金がかかりすぎること、冷却に油を使用
したため、油漏れが発生すること から、
トランジスタのコンピュータに挑戦していく
時期でした。

 このころ著者は、技術部の副部長だったといいます。

 富士通も、コンピュータの巨人であるIBMに
提携を打診しています。
 IBMは、アメリカの会社で会計機械を製作・
販売していた会社で、その歴史は、ホームページによると
----------------引用-------------------------
1914年、T.J.ワトソン・シニアが初代社長に就任し、
この年をIBMの創立の年としている。
1924年には、IBM(International Business Machines)と
社名を変更。現在に至る。
----------------引用-------------------------
で歴史のある会社です。

 同じホームページによると、日本IBMは、
1958年(昭和33年)わが国初の電子計算機650を納入
とありますが、まだトランジスタ型コンピュータでは
ないと思います。

 ところが、IBMとの提携は、「IBM100%出資
以外のところには、うちの技術はトランスファーしない。
これは、IBMのポリシーである。」と、にべもなく
断られるのです。

 そこで、富士通は自主開発路線に走るのです。
 1960年代初めの頃は、国産では日立製作所が
第一位で日本電気に次いで富士通が第三位でした。

 ところが、1968年(昭和43年)には、
国産で第一位におどりでました。のちの
1979年(昭和54年)には、IBMを抜いて
国内第一位についています。

 1968年に国産メーカで第一位についた
富士通のエポック製品は、昭和40年に開発した
ICコンピュータのFACOM 230-60でした。

(参考)FACOM 230-60
http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0016.html


 このコンピュータは、中型機のFACOM 230-50で
シミュレーションして230-60を作るという画期的な
ものでした。

 そして独自技術のOSは、いまでは珍しくない
ですが、当時としては珍しい「マルチプロセッサ」
対応のOSでした。

 つまり、FACOM 230-60の2台を結合し、OSは、
あたかも1台のような制御をしてくれる と
いうものです。能力は、1.7倍であったというから、
たいしたものです。

 ただ、国産では第一位になってもIBMとの差は
大きく、また、IBMは、画期的な製品
IBM360シリーズを発表しました。
----------------引用-------------------------
1964年(昭和39年)東京オリンピックの競技結果の集計に
協力、システム/360を発表
----------------引用-------------------------

 そうです。このシステム360シリーズは、
360度全てに対応できるコンピュータという意味で
命名され、一つのOSで、大型、中型、小型の
コンピュータを動かすOSと、コンピュータの
規格統一をなしとげたすばらしいものです。

 その後、システム360シリーズに携わった
アムダール博士が、後継シリーズであるシステム370
の市場調査に入ったとき、(チップは、MSI:中規模
集積回路を初めて採用する予定だったらしい)
経営トップとモデル数で意見が食い違い、スピンアウト
してしまいます。それを富士通が支援したというのが、
アムダール博士との最初のきっかけだった。

 1974年(昭和49年)にアムダール社は、
富士通と共同開発した470 V/6が完成し、
翌年、NASAに納入された。

 この470 V/6は、国内の富士通ブランドは
兄弟機と著者がいっていますが、FACOM M-190です。
 勿論、OSも国産OSで、しかもIBMマシーンで
動作していたプログラムをそのまま動かすことができ
+アルファとして独自の機能を加えたものです。

 ここに、「FACOM M-190 ハードウェア解説(69HS-1010-1)」
の本があります。

 この本は、顧客用、システムエンジニア用等に
作成されたものです。

 少し、スペック(性能)をみてみます。

CPU : 1台又は2台(マルチプロセッサ対応)
     LSI(大規模集積回路)の採用
     LSIチップ内回路速度 700ピコセカンド
     パイプラインの採用
     平均命令実行時間 155ナノセカンド
CPUバッファ : 16キロバイト、サイクルタイム
     30ナノセカンドの超高速バッファメモリ
メモリアドレス:高速動的アドレス変換機構
チャネルアドレス:動的アドレス変換機構
CPU命令セット:193命令

 記憶装置や通信装置等は、その必要台数によって、
チャネルに接続して利用するようになっています。


 いまのパソコンに当てはめると、平均命令実行時間
の逆数から、6.45 Ghz以上のCPUに該当することに
なるのでしょうか。概略で勿論、CPU1台分の
能力ですが。

 いまのパソコンの能力も、互角ではないにしろ、
いい勝負をするのではないでしょうか。スペックからの
単純比較は、できませんが。

 著者は、富士通での仕事を通して、社是でもある
「信頼と創造」を実践してきた一人です。

 こんな言葉が記載されています。
「「おい、やってみろ。本に書いてあることや、他人の
やったことは、私は信用しないよ」
 公知の事実でも、自分でたしかめてデータをつかめ、
積み上げろ、それが創造性の根源だ、と言いたいのだ。」

 この言葉の元は、富士通独自のパラメトロン素子を
利用したコンピュータの開発、1980年の富士通研究所
が発表した新素子HEMT(高電子移動度トランジスタ)、
科学技術計算用プログラム言語の「FORTRAN 77」。
これは、アメリカに逆輸出をして好評とのこと。
 このように独自技術の開発というものは、「ともかく
やってみろ」から始まったようです。

 また、こちらもわかりやすく説明してくれています。
171ページからの抜粋です。
「 人間というものは、ぎりぎりの状況に置かれないと、
あまりいい知恵は出ないものである。机の上でぬくぬくして、
環境のいいところでは、かえってひらめきは鈍る。
断崖絶壁の上に立って、なんとかここで生きる道を
考えようというときに、初めていい知恵がしぼり出される
ものだと思う。
 だから「とてもこれはできないかな」と思うことでも、
ともかくやってみる。その最後のふんばりが、他人さまより
一歩先に伸びていく力になる。
他人と同じようなことをしていたら、先輩を追い抜くことは
できない。そういう意味で、富士通の人間は常にきびしい立場に
置かれており、ぎりぎりの毎日を送らざるをえない。
それを他からみると 【人使いが荒い】 ということに
なるのだろうが、そうしないといい知恵は生まれないし、
IBMを抜けなかったのである。
 この思想は富士通の伝統になっているが、その源泉は
自社技術で開発したところにあると考えている。
よそから教わった技術、買ってきた技術では、
こうした気持ちは生まれてこない。
自分たちで設計した技術、自分たちで築き上げていくのだ
というところに、苦しくとも耐えていくエネルギーがわいてくる。」

 いまの若い方々、何かにチャレンジするかどうか
迷っている人、そして組織の中にいて何かおかしいと
思っている方、結果はどうなるかわかりませんが、
とにかく、「やってみる」ことは必要と思うのです。

 「やめる」より「やる」ほうが後悔もしなくていいかと
思います。

 日本の「やってみるエネルギー」を保有している人達への
応援の一言。

「ともかく、やってみたら!」。


(10月15日)


「できない」と言わずにやってみろ!






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最終更新日  2007年10月22日 10時09分18秒
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