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毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏投稿による日経連載「遊遊漢字学」。さて、今回阿辻先生が取り上げた漢字は「破天荒」。いかにも中国ならではの深い由来のある漢字のように思われます。「破天荒」を辞典で調べると、前人のなしえなかったことを初めてすること。また、そのさま。前代未聞。未曽有(みぞう)とありましたが・・・。阿辻先生の説明によれば、敦煌の莫高窟で有名な唐代の甘粛省を含む一帯は、あたり一面どこまでも広がる荒漠とした大地、それこそ草木一本生えぬ荒野。この不毛の大地のことを当時「天荒」と呼んだということです。「天荒」にはもうひとつ別の意味もあって、こちらの方がいかにも中国らしくて、興味深いものがあります。それは、この甘粛省一帯の地は、かねてより優秀な人材がまったく現れたことのない地で、唐の時代まで人材登用制度「科挙」の試験にだれ一人合格者を輩出したことがなかったということです。すなわち、天候ばかりでなく人材にも荒んだ地、それが「天荒」であると。ところが、この地出身の劉蛻(りゅうぜい)という男が優秀な成績で科挙の試験に合格し、中央政府の「進士」となった。「天荒」の地からもついにそれを破る男が現れた。ゆえにこれを「破天荒」というと。現代において、「前代未聞」とか「驚くべき」という意味で使われているのは、「前人のなしえなかったことを初めてすること」という本来の意味からすれば、正しい使い方ではないというご指摘でした。・・・なるほど、ではこういう使い方をすればいいのですね。「破天荒」という言葉に相応しい時事ニュースが報じられています。日本の陸上短距離界は、優秀な逸材がなかなか出てこない「天荒」の地だったと呼べたかもしれません。しかし、ついにそれを破る劉蛻(りゅうぜい)のごとき男が出現した。ウエブニュースより、桐生祥秀9秒98 日本人で初の9秒台 男子100メートル桐生選手の快挙を「破天荒」という言葉とともに祝福したいと思います。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年09月10日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏投稿による日経連載「遊遊漢字学」。先週は「葷 」と「酒」を貪ったがゆえに淫欲と憤怒にまみれた週末を過ごすこと(早い話が二日酔い)と相成った私でありました。(苦笑!さて今回阿辻先生が取り上げた漢字は「鞄」。革に包むと書いて「鞄」。俄か漢字学者( ← 私のことです)が想像するには、モノをなめした革で包むから「鞄」。そもそも「鞄」という言葉が使われ出したのは、明治の維新の後、西洋の文化が入って来てからであろう。それまで日本にはふろ敷きと呼ばれる便利な布があった。モノはふろ呂敷きで包んで持ち運びして来た。だからこそ「包」という字が使われているに違いありません。革の布というわけですね。現代の中国においても、「カバン」のことは「包」という漢字であらわすのが一般的なのだそうです。本や書類を入れるカバンは「書包」、リュックサックは「背包」、女性のハンドバックは「手堤包」のごとく。古の中国でも「鞄」は「皮をなめす職人」のことをあらわし、「カバン」という意味はなかったと阿辻先生はおっしゃっています。では、なぜ「カバン」というようになったか?阿辻先生曰く、中国には古くから、2枚の板で紙や書物をはさみ、板の端にある穴に紐をとおして結ぶ「挟板」という道具があり、これを中国語で「チァパン」と呼ぶのだとか。これがモノを入れる革トランクを意味する「鞄」と結びつき、「チァパン」という音が「カバン」になったという説があると教えてくれています。そうすれば、「鞄」という字は、中国の「挟む」文化と日本の「包む」文化の合作によりできた漢字かも知れないと思えなくもありません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年09月03日
毎週日曜日のお楽しみ日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻哲次先生が取り上げた漢字は「葷 (くん)」。草冠の下に「軍」と書いて「くん」と読む。草冠が使われていることから草木であろうことは容易に想像がつきますが、はて、これはいかなる植物をいうのだろう?答えを先に言えば、ネギ・ニンニク・ニラなどのにおいの強い野菜や、ショウガやタデのような辛味の強い野菜のこと。においと辛味の強い野菜とはいかなる野菜か具体的に調べてみると、仏家では大蒜(ニンニク)・小蒜(ヒル)・興渠(ニラ)・慈葱(ネギ)・茖葱(ラッキョウ)の五種、道家では韮(ニラ)・薤(オオニラ)・蒜(ニンニク)・蕓薹(アブラナ)・胡荽(コエンドロ)の五種をいい、これを食べると淫欲・憤怒が起こるとして禁じられてきた食材だとか。現代ではいずれも中華料理にはなくてはならない食材ですが、古の中国では使用を固く禁じていたというのは興味深いですね。しかも、仏教と道教で食材に微妙な違いがみられるというは、思想の違いといかなる関係があるのでしょう?ますます興味が湧いて来ます。修行の妨げになると禁じられた「葷 」、そして当然のことながら「酒」。それは「不許葷酒入山門」(葷酒山門に入るを許さず)と刻まれた禅寺の碑文を見てもわかると阿辻先生はおっしゃっておられます。しかし、もともと「大蒜」と呼ばれる野菜だったニンニク、それが「ニンニク」と呼ばれるようになったのは、屈辱に耐えて怒りの感情をおこさないことを意味する仏教用語「忍辱(にんじゃく)」に由来しているのだとか。それはとりもなおさず「葷 」が、山門に深く入り込んでいた証でもあると阿辻先生は指摘しておられます。なるほど、「ニンニク」ではない、「忍辱(にんじゃく)」を食しているのじゃと言っている高僧の顔が目に浮かびますな。(笑!酒のことを「智恵のわきいずるお湯」、すなわち「般若湯」と呼んだのも同じ苦しいこじつけであることを思えば、古の中国の聖人・高僧といえども、心を静謐に保つことがいかに難しかったかがわかろうというもの。ましてや煩悩にまみれる現代人は、推して知るべし。さて、今宵は「韮(ニラ)」がたっぷり入ったニラレバ炒めに、こちらも「蒜(ニンニク)」のたっぷり詰まったギョーザを肴に、泡の弾ける琥珀色に染まった「般若湯」で、のどを潤すことにしましょうか。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年08月27日
今年もお盆がやって来ました。盆とはもともとは祖先の冥福を祈る仏教行事の一つ、盂蘭盆会(うらぼんえ)のこと。サンスクリット語の「ウランバナ」の音訳で、倒懸(とうけん)の意。地獄の世界で逆さ吊りにされる死者への供養を指すのだそうです。サンスクリット語の仏教の経典が中国にもたらされたときに、当て字として「盆」が使われたというわけですね。毎週日曜日のお楽しみ日経連載「遊遊漢字学」で、本日阿辻哲次先生が取り上げた漢字がこの「盆」。中国語で「盆」は、底の浅い鉢のことで、日本でいうお茶などを載せて運ぶときに使う「ぼん」(トレイ)のことではないと、阿辻先生はおっしゃっています。それは洗面器のことを中国語で臉盆(リェンベン)ということからも理解できると。「覆水盆に返らず」で使われている「盆」も鉢のことで、一度起きてしまったことは二度と元には戻らないという意味で使われることは、不肖この私でも承知していましたが、あの太公望呂尚(りょしょう)の故事が由来であったとは知りませんでした。曰く、本ばかり読んでちっとも仕事をしなかった呂尚。あまりの貧しさに妻が離縁を申し出た。ところがやがて呂尚が出世して斉(せい)の国王になると、逃げた妻がおずおずと出てきて復縁を願い出た。このとき呂尚は、鉢(=盆)に入れた水をぱっと地面に撒いて言ったのが「覆水盆に返らず」。本来は「一度離婚した夫婦は元通りにならない」の意味であると。話はこれで終わらず、阿辻先生は最後にこんなことも書いておられます。「真夏の夜の夢でいいから、私も一度くらいは足下ににひれ伏して泣くオンナに向かって水を撒き、かっこいいセリフを決めてみたいものだ」えぇ~、先生こんなこと書いて良いんですか?先生、これはさすがに蛇足というものでしょう。本日の新聞を読んだ奥さんにやり込められている阿辻先生の姿が目に浮かびます。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年08月13日
毎週日曜日の朝のお楽しみ、漢字学者阿辻哲司氏による日経連載「遊遊漢字学」、本日阿辻先生が取り上げた漢字は「顰蹙(ひんしゅく)」。これまでは誰でも知っている「花」や「旅」、「席」といった比較的やさしい漢字が取り上げられてきましたが、今回は久しぶりに漢字らしい漢字といえますかね。そもそも「顰蹙(ひんしゅく)」と正しく書ける人は少ないのではないか?「顰」とは眉をひそめること、「蹙」とは顔をしかめることを指すのだそうです。正直に申し上げます。ひそめるは「顰める」、しかめるも「顰める」と書けること知りませんでした。(苦笑!まったくこの苦笑こそ、眉をひそめ、顔をしかめた表情そのものと言えますね。(笑!出典は「荘子」の天運編ということですから、紀元前の世界になります。今から2000年以上も前の中国に、絶世の美女がいた。この美人は胸に病を持っていたために、胸の痛みに耐えようと時折顔をしかめることがあった。その苦し気に顔をしかめる姿がまた大変に妖艶であったがために、村の女(「醜人」と書いてある)たちが同じように胸を押さえては顔をしかめるしぐさを真似るようになったと。すると村の金持ちたちは戸を閉ざして外出しなくなり、貧しい者たちは妻子を連れて他の村に移り住むようになってしまった。こんな故事から、実力や身の程を知らず、優れた人の業績や行為をただ外面だけ模倣することを「顰蹙」というようになったと。転じて現代では「顰蹙を買う」で、「良識に反する言動をして人から嫌われ、さげすまれる」ことを指すようになったのだと。このような由来を持つ「顰蹙」、その背景には女性を美醜の違いで差別するようなセクハラ用語ともとらえかねないものがあると阿辻先生は述べておられます。それにしても、胸の痛みに眉を顰め、顔を顰める絶世の美女の姿はどんなだろうと想像してしまいます。( ← イエローカード!それこそ顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまいそうです。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年07月30日
毎週日曜日朝のお楽しみ、漢字学者阿辻哲司氏による日経連載の「遊遊漢字学」。今回阿辻先生が取り上げ漢字は、「烏」。そうよく見かけるカラスである。カラスは鳥であることは疑いもないことですが、漢字で書くとどうして「鳥」より横線一本少なく書くのか?カラスは顔まで真っ黒で、瞳がはっきり見えない。「鳥」という文字は鳥の姿形を模した象形文字。カラスは目の部分がはっきり見えない鳥だから、その部分を線に書かかずに「烏」となったって、俄かには信じ難いですね。最古の漢字である「甲骨文字」の時代からカラスは、一本線が少ない「烏」と書かれているのだとか。さらに阿辻先生は、今回そのカラスにまつわる言葉として「反哺の孝」をあげておられます。カラスは成長後、恩を忘れずに老いた親鳥に口移しに餌を運ぶことから、親に対する孝養の大切さを説いた言葉が「反哺の孝」。・・・正直に申し上げます。「反哺の孝」なる言葉、初耳でした。カラスは頭の良い動物ということは、見聞きして知っておりましたが、孝養心に篤い孔子好みの鳥であったとは知りませんでした。してみれば、我が身を振り返って、老いた母に久しく顔を見せにも行かぬ我は、カラスにも劣る不孝者ということになりますな。来週早々に、孝養の真似事に母のもとを訪れてみようと思うのですが、不孝者の私に母はこう言うかもしれません。「おや、どうした風の吹き回しだい。お前にゃ、猿に"烏"帽子だね」と。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年07月23日
毎週日曜日の朝のお楽しみ、漢字学者・阿辻哲司氏による日経連載「遊遊漢字学」。漢字の持つ意味についてその由来をわかりやすく紹介してくれます。本日阿辻先生が取り上げたのは、「晴耕雨読」。文字それ自体に固有の意味を持つ表意文字である漢字の優位性をこれほど表している言葉はないのではないかと思える言葉ですね。古の中国の賢人は、晴れた日には土を耕し、雨になれば書物をひもとくことに楽しみを見い出した。おそらく漢の時代か、あるいはそれ以前のことかもしれないと誰しも考えるでしょうけれど、実はそうではなかったという阿辻先生の説に驚きました。印刷技術などのない当時は、当然のことながら書物は一冊一冊が手書きで、読みたい本はすべて写本によって自ら調達しなければならなかった。そもそも紙自体が貴重品であったことを思えば、原本を手に入れることは非常に困難であったと想像されます。書物を本当に愛する人は、貴重品の紙が湿気にさらされることを何より嫌っただろうから、読書人は雨の日にはできるだけ書物を広げないように心がけたはずというのが阿辻先生の意見。その証拠に、「晴耕雨読」の出典をいくら調べても、見い出せるのは近代以後の小説などに見える用例ばかりで、古い時代の書物に使われたケースはいまだに検出できないのだとか。・・・ほぉ~、近代以後とは驚きましたね。中国でいえば清朝中期以降、日本なら江戸時代になって以降ということになるのでしょうか。確かに印刷技術が確立されて書物が大量に出回るようになった時代ではあります。しかし、その時代はもはやさまざまな科学的な知識とそれにもとずく技術が、人々の生活を多様にし始めた時期でもあります。そのような時代の人が言う「晴耕雨読」では、少しばかり物足りなさを感じてしまうのは、私ばかりでしょうか。やはり「晴耕雨読」は、生きていくための少しばかりの田畑を細々と耕し、耕作のかなわぬ雨の日には、部屋に籠って書物をひもとくしかほかに楽しみがなかった古の中国の聖人の言葉とするのが相応しいと思うのですが、皆さん如何に。いずれ阿辻先生に、きっと「晴耕雨読」の由来を示す古代中国の文献を見い出してもらいたいと願っています。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年07月09日
わが国はその昔中国より漢字を学び、ことばを初めて文字で表すことを覚えました。表意文字である漢字は、文字自体に意味があり、それを一目見ただけで何を表しているのか知ることができる世界に類をみない優れた文字ですが、一文字一文字の画数が多く、表記する面からいえば手間暇のかかる面倒な文字といえます。その不便さを補うために日本で発明されたのが、ひらかなとカタカナ。現代の日本語は漢字仮名交じりで表記しますね。表意文字の漢字と表音文字の仮名を混ぜて使うことにより、お互いの欠点が補完され、極めて合理的な表記体系が可能となりました。一方本家本元の中国では、すべて漢字で表記することを捨てなかったことから、例えばテレビ、コンピューターといった外来語などの表記には格別に苦労するようです。日本ならカタカナで音(おん)のままをそのまま表すことができますからね。また、画数の多い文字を表記する面倒さを避けるために次々と簡略文字が作られたのは、かって習ったもともとの漢字を使用する日本人からみれば、「中华(中華)人民共和国 」、「资本主义(資本主義)」のような言葉は奇異に映ります。本日の日経文化欄、漢字学者阿辻哲司氏による「遊遊漢字学」は、個数を示す「ケ」の由来について書かれていました。日本人からすればどう見ても「ケ」はカタカナの「ケ」にしか見えませんが、実は「ケ」は立派な漢字。「個」の簡略体の「个」を日本人が誤って「ケ」と表記したことがその始まりなんんだと。すなわち、「个」は「個」の異体文字である「箇」の竹を半分にした形から作られたもので、中国の非常に古い時代の文献にも見受けられる漢字だとか。中国人が「个」を続けて書くとどうしても「ケ」とよく似た形になってしまう。これを日本人が「ケ」と間違えて覚えてしまったというわけ。ちなみにグーグルの翻訳ソフトで「個人」と入力すると、中国語で「个人」と翻訳されます。遣唐使・遣隋使の時代かあるいはそれ以前か、中国に派遣された当時の精鋭の学僧が、文献に「个」と書かれてあったものを「ケ」と見間違えたのだとすれば、これはまさに「弘法も筆の誤り」以外の何物でもありませんね。現代の日本に戻って、我々が「リンゴ 3ケ 500円」などと書かれたポップをスーパーの店頭で見ることができるのは、この早とちりの留学僧にあると言えるかもしれません。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年07月02日
私らは戦後教育を受けて育った世代ですから、男女共学でしたが、一世代前の時代の小学校では、男女は同じ学校の敷地にはいても三年生以上はクラスが男女で分かれていた。曰く「男女七歳にして席を同じゅうせず」と。紀元前の中国の賢人の教えを、わが国では昭和の御代(2000年代)になっても忠実に守っていたことになるわけですが、それが経典に書かれている文言を誤訳していたことにもとずくとしたなら、ちょっと拍子抜けがします。本日の日経の連載、漢字学者阿辻哲司氏投稿による「遊遊漢字学」。阿辻先生の説くところによれば、「席」という字を「座席」と解釈したことがそもそもの原因だと。問題の文章は「六歳になったら子供に数と方角を教えなさい」、七歳になったら「席を同じゅうせず」と続き、十歳になったら「学校に行かせなさい」と書かれているのだとか。これは六歳から十歳までの家庭における子供の育て方を諭したもので、男女は別々のところで学ばせろとは一言もいっていない。なぜならこの文章では七歳の子供はまだ学校に入っていないのだからと。「席」は本来「敷物・ゴザ」を表す文字であり、ここでは「ふとん」という意味で使われていた。つまり、男の子と女の子は七歳になったら同じ「ふとん」に寝かせてはいけないという意味なのだと。七歳ともなればそろそろ性に関しても初歩的な知識と関心が芽生えだすころであるから、別々の「ふとん」を用意しなさいって、なるほど至極ごもっとも。孔子は何も難しいことを説いていたわけではなかった。(笑!しかし、わが身をひるがえってみると、私は中学に入るまで、しばしば母親や祖母のふとんに潜り込んで一緒に寝ていた覚えがありますぞ。孔子の教えからすれば、わが家では子どもの初歩的な家庭での躾からして間違っていたということになりましょうが、そのような環境で育った私は、やがて男女共学の学校に上がり、きわめて優秀とは言えないまでも、ごく普通に成長したことを思えば、何事にも例外はつきもの、「男女七歳にして・・・」の教えは、晩熟(おくて)の子ども( ← 私のことです)には当たらないのかもしれないなどと愚考しています。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年06月25日
毎週日曜日朝がお楽しみです。日経最終面文化欄の阿辻哲次氏による連載「遊遊漢字学」、私がこのブログで取り上げるのもこれが7回目になりますが、毎回毎回私たちが普段何気なしに使っている「漢字」には、そんな由来があったのかと驚かされます。今回阿辻先生が取り上げた漢字は、「選挙」。私たちが「選挙」といえば、「選挙権を有する者が投票によって議員や一定の公職に就く者を選び出すこと」の意味で使いますね。しかしそのルーツをたどれば、古代中国での官僚採用制度に由来するってこと、ご存知でしたか。隋の時代に始まり、清朝末期に廃止されるまで続いた官吏登用試験の「科挙」の制度が確立される前、漢の時代にまでさかのぼることになると阿辻先生は、おっしゃっています。どのような官吏登用制度であったか?儒教が国の中心的思想となってから以降、漢では儒教が説く徳目に合致する人材を、郡や県などの地方長官が地域から選び出し、中央政府に推薦するという手法が取られたということです。この人材登用制度は「郷挙里選(きょうきょりせん)」と呼ばれたそうで、「里」は当時の集落の最小単位で、「里」がいくつか集まったものが「郷」。「挙」にはひきたてるという意味があり、「選」は文字通り選(えら)ぶことを意味しますから、郷里から人材を選び、ひきたてる制度が「郷挙里選」。「郷挙里選」を略して「選挙」と呼んだのが、私たちが今日で使う「選挙」の由来だと。「郷挙里選」は優れた制度であったに違いないけれども、悲しいかな運用するのは生身の人間。「郷里」には推薦を希望する者が溢れ、次第に郡国の長官と土地の豪族との癒着が甚だしくなり、不正の温床となってしまったと。隋代に古今東西世界史上最も難しい試験といわれる「科挙」の制度が作られたのは、「郷挙里選」の悪習を断つ必要に迫られたからでしょう。しかし、その科挙の制度も時代が進むにつれ、人材登用という本来の目的が忘れられてしまい、試験のための試験(いわば手段)を主眼に置くようになって、20世紀初め清朝の滅亡と相前後して崩壊したというのも歴史の事実です。さて、現代に戻り選挙のたびに私たちが耳にする「皆様の清き一票を何とぞ○○に!」という絶叫ですが、古代中国の「郷挙里選」の時代から、不正がつきものであったと知り、人間のなせる業の醜さにいささかゲンナリしています。ところで「選挙」とは直接関係がないかもしれませんが、この国の「選挙」で選ばれた行政を預かる人たちの周囲で聞こえて来る「忖度」という言葉。阿辻先生にぜひその由来を教えていただきたいものだと思っています。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年06月11日
毎週日曜日朝のお楽しみ、日経最終面文化欄。阿辻哲次氏の連載「遊遊漢字学」、本日阿辻先生が取り上げた漢字は「朋」。冒頭論語の有名な一説「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」を引いて、我々の馴染み深い「友」と「朋」の違いについて教えてくれています。曰く「師を同じくするを『朋』、志を同じくするを『友』」と。「朋」は師を同じくする同門の意、「友」は志を同じくする同志の意というのであれば、現代の我々が気安く「友だち」と呼びあう「友」は、そのどちらの意でもないということになりそうです。我々は普段軽薄な意味で用いる「友」とは、お互いに「いま、どこ?」などと連絡を取り合い簡単に落ち合っていますが、孔子の時代は通信機器はもちろん鉄道や車などもなかった時代。「朋」ははるばる遠路を歩いて「朋」のもとへやって来たのである。見てのとおり「朋」は、「月」がふたつ並んだ形の文字。この「月」は「貝」が変形したものだそうで、古来より「貝」は財産のシンボル。それを紐でつないだ形の「朋」は言うまでもなく貴重な財産というわけ。それが「友だち」の意味で使われるようになったのは、同じ「ホウ」の音を持つ「鳳」という文字に由来するのだそうです。「鳳」は地上に理想的な平和がもたらされたときに出現するという想像上の鳥で、いわば鳥の中の王様。「鳳」は画数が多いので、「朋」をもってこれにあてたのだとか。古書には「鳳飛びて郡鳥従うこと、万をもって数う、ゆえもって朋党の字となす」と記されているそうで、それで「朋」の字に「朋党=仲間」の意味ができたのだと。「仲間」とは、朋(=鳳)が飛び立つと1万羽以上の鳥が後につき従うというその様を指すのですね。日本には「十把ひとからげ・・・」という表現がありますが、理を説く師など持たず崇高な志も微塵も持たぬ我々が気軽に呼び合う「友だち」は、それこそ「十羽どころか万羽」ひとからげにできるその他同類といったような意味になるのかもしれません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年06月04日
毎週日曜日朝のお楽しみ、日経最終面文化欄の漢字学者阿辻哲次氏投稿の「遊遊漢字学」。私たちが普段使っている見慣れた漢字を取り上げて、その由来についてわかりやすく説明してくれます。これまで「花」、「稽古」、「旅」、「杓文字」などの由来を学びました。今回阿辻先生が取り上げた漢字は、「歌」。皆さんは、「歌」はもともと「謌」と書かれていた文字であるってことご存知でしたか?「言」は口から言葉を発することを意味し、「哥」は「カ」という発音を表すために加えられた要素。現代の「歌」では「言」が「欠」になっていますが、「欠」は人が口を大きくあけているさまをかたどった文字なのだとか。もともとは口から空気を出したり、言葉を発したり、あるいは歌ったりする行為を表したのだと。この「欠」を「欠席」というように使うのは、「缺席」と書くべきところ、「缺」が戦後の当用漢字に入らず、「欠」で書き換えられた結果なのだということです。ちなみに私が調べたところによれば、「歌」や「可」は当然として、「哥」も「缺」も音は「カ」と発音する文字。「欠」でさえも「ケツ」のほかに「カ」という音があることを知り、驚いています。もともと古の日本は言霊信仰の国。我々の先祖は、人前で言葉を発することを忌み嫌う民族であったということですから、文字のどこかに「言」とつく言葉は、人前で発する言葉ではなく、「祝詞(のりと)」のごとく神前で発するものであったと想像できます。「歌」が「謌」というのであれば、「歌」は神前で神に捧げられたものがそのルーツだということがわかります。であれば、今日人前でマイクを奪い合うようにして「歌う」などという行為は、神罰を畏れぬ不遜な行為ということになりますね。ましてや私のように伴奏まで無視して調子はずれにダミ声を張りあげては、神様もさぞかしご迷惑なことだろうなと、反省することしきりです。(汗!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年05月28日
毎週日曜日の朝のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏による日経の連載「遊遊漢字学」。しゃもじは「恥ずかしい道具」という見出しに、「・・・はて?」と思いました。食事をするのに箸を正しく使えず、スプーンを使う子供らのことを言っているのかと思ったくらいです。「しゃもじ」とは、古来よりご飯をすくうために使った道具「杓(しゃく)」のことを指す「文字ことば」だと阿辻先生は教えてくれています。では「文字ことば」とは何ぞや。日本では古より高貴な人の社会では、ものを食べるのはいじましくあさましい行為と考えられていて、「しゃもじ」のごとくあさましく恥ずかしい行為である食事を連想させることばさえ、口に出すのもはばかられたということです。高貴な人は「しゃもじ」などと恥ずかしいことばは使えないので、「しゃ」という文字からはじまる「杓」を「しゃ文字」と呼んだのが今日でいうところの「しゃもじ」のはじまりであると。お腹がすいていることを「ひもじい」と言いますが、これも文字ことば。空腹であることを指す当時のことば「ひだるい」とは口が裂けても言えないので、「ひ文字」と言った。それが「ひ文字」、「ひもじい」になったのだと。私は今亡くなられた柳家小さん師匠の古典落語の中の一説を思い出しています。何という演目だったか忘れてしまいましたが、行儀の悪い子どもに大人が「ものを食べるときはちゃんと箸を使って食べるものだ」と諭すところが出て来る一説。悪ガキはそんな大人の説教など歯牙にもかけず、こうため口を叩く。「なに言ってらい。ライスカレーを食べるときは"しゃじ"を使わ~い」と。「しゃじ」は「しゃもじ」ではなく、「匙(さじ)」の関東流の発音のなせる技だろうと想像します。「しゃもじ」は、ご飯や汁を器によそう道具。「さじ」はそこから食べ物をを口に運ぶ道具か。大小の違いこそあれ、現代人はいずれの道具も「スプーン」とひとまとめに外来語で呼び、カタカナを使って表記するようになりました。まさか今後「スプーン」のことを「スのじ」などと婉曲に表現することはないだろうと、いらぬことを考えています。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年05月21日
日曜日の朝の楽しみが一つ増えたと言いました。日経の毎週日曜日の連載、漢字学者阿辻哲次氏の「遊遊漢字学」のことです。前回PART2では「稽古」という漢字の持つ意味の奥深さを驚きをもって学びました。今回阿辻先生が取り上げた漢字は「旅」。これも「花」や「稽古」同様に日本人なら誰でも知っている漢字。今日はゴールデンウィーク最後の日、日本中が「旅」から普段の生活に戻る日でもあります。そう現代人は「旅」とは、ジャーニーの意味であることに何の疑いも持ちませんね。ところがそのいわれを遡ると、まったく違った意味を持つ漢字であったと阿辻先生は教えてくれています。漢和辞典を繰るとき(まあ「旅」の意味を改めて知ろうという人もいないと思いますが・・・)、「旅」は「方」の部首から拾い出しますが、もともとは「方」辺の横に「人」と書いて意味をなす漢字であったということです。音は「エン」と読み、意味は「旗竿の先に取り付けられた吹き流しが風にひるがえっているさま」を表すのだそうです。そんな旗を持った人の後ろに多くの人がつき従って行進しているさま、旗とは軍旗、人とは兵士、すなわち「旅」は戦争に出かける兵士の集団を意味する文字であったのだと。旧日本陸軍で軍の編成に「旅団」ということばが使われたのも、「旅」の本来の意味にかなっているということを知り、ただただ驚くばかり。実は私は今月の23・24日の二日間、関東方面へ小旅行(大相撲夏場所観戦と奥日光の旅)に参加することにしており、それはそれは楽しみで今から落ち着かない日々を過ごしています。しかし、今日その「旅」の本来の意味を知り、なんとも複雑な思いにかられております。(苦笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年05月07日
日曜日の日経最終面文化欄の新企画、漢字学者阿辻哲次氏の「遊遊漢字学」、今週で4回目になるのでしたか?初回と2回目は見過ごしたということはなかったはずですが、思い出せないところをみると、取り上げられていた「漢字」の内容が印象薄かったか、あるいは難しすぎたのか、たぶん後者の方でしょうけれど、何事も勉強ですから、これからはたとえ難しくとも話題にしていこうと決意しました。で、今週取り上げられていた漢字は、「稽古」。・・・なんだ「稽古」か。私に限らず日本人好みの言葉ですこと。(笑!それはほとんどの人が、「稽古」とは練習の意味だくらいに理解しているからでしょう。まあ、それはそれで当たっているのですが、「稽古」の原点を探ると豈図らんやこれが奥深かった。なんと「書経」の冒頭に出て来るのだそうです。何と書かれていたか?「日若稽古 帝堯日放薫」と書かれているんだそうで、阿辻先生の説明によれば、「日若稽古」の冒頭4文字の解釈だけで膨大な量の注釈になるのだとか。曰く、「日若稽古三万言」という言葉もあるのだとか。ほう~、脳みそのしわが一つ増えました。・・・そんなことよりもまず、「日若稽古」って何と読むのかからしてわからない。(苦笑!「ここに若(したが)いて古えを稽(かんが)えるに」と読めた方、尊敬します。「稽」には「考える」という意味があって、「稽古」とはもともと、古代の書物を読み、そこから聖人の教えを学び取るという意味なのだと。「帝堯日放薫」については読みも解釈も書かれていませんでしたが、私流に解釈すると、「堯」は中国の古代神話に出てくる名君と謳われた聖人。「放薫」はその字名。だから「日若稽古 帝堯日放薫」は、「古に思いを巡らしてみると、名君といわれた聖人堯帝は、名を放薫と言った」ということになるのでしょうか?・・・うぅ~ん、奥深いですな。しからば、私も毎週「遊遊漢字学」に親しみ、阿辻先生の教えを学び取ろうではありませんか。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年04月23日
日経の最終面、毎週日曜日の文化欄に新しい連載が始まりましたね。漢字学者阿辻哲次さん連載の「遊遊漢字学」。阿辻さんについて調べてみると、家業が印刷工場であり、子供のころ人名などで活字にない文字が注文された際に、既存の活字を削るなどしていたのを見て、漢字に興味を抱いたそうです。私などは同じ子供のころなど、どうして日本語には漢字などという厄介な文字があるのだろうと思ったものでしたがね。・・・漢字の書き取りテスト、苦手でした。(苦笑!さて本日取り上げられていた漢字は「花」。小学校に上がって習う漢字の筆頭にあげられる字でしょう。日本人なら誰でも知っている漢字。さすがの私でも「花」なら、書き取りで正解を書けたというものです。この「花」という字、中国の古い文献には出てこない文字だそうで、「はな」を表すには、「英」「榮」「華」という字を当てたとか。「英」はもともと「はな」という意味で、有名なデザイナー森英恵さんの名前を「はなえ」と読むのもこのためだそうです。「榮」と「華」の違いは、「榮」はユリやキクのように草の形で咲くもの、「華」はサクラやウメのように樹木に咲くものというように使い分けたというのも耳に新しいことです。では「花」はどうして生まれたかというと、これが「華」の簡略体で、同じ発音の「化」をあてたのだということも初めて学びました。「花」のような簡略文字が使われ出したのは、中国の北朝時代(5世紀から6世紀)だそうで、この時代の碑文に多く登場するのだとか。硬い岩に複雑な漢字を刻むのはやっかいだから、ややこしい部分はおのずから簡略化されたのだと。・・・う~む、奥深いですな。子供のころこそ書き取りテストの度に漢字を恨めしく思ったものですが、文字を一目見るだけで、その意味するところが判別できる優れた文字「漢字」をわが国の古の人が採用したことは、「英断」であったと感心させられます。おっと、ここでも「英」が出て来ますね。ものごとをきっぱりと決めること。そしてその結果が優れているときに使われるのが「英断」ですが、これも歴史を遡れば「花」と関係しているのかもしれません。来週はどんな漢字が取り上げられるのだろう。「遊遊漢字学」、毎週日曜日の朝の楽しみが一つ増えました。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年04月09日
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