ロシア人との国際結婚   

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2003年11月04日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
まったくはちやめちゃな生活に、入って不良青年と端からみられても不思議ではなかった。
ただ一ついえることは、自分の生に対する何らかの答えをさがしていたのかもしれない。今にして思えば、青二才の、未熟で、子供じみたあがきみたいなものだったのだろう。
そう簡単に、答えなどというものが見つかるわけなどないし、それが試行錯誤の結果何年もしてようやくぼんやりとみえてくるものだと気付くには、若すぎたのかもしれない。
ストリップに飽きた私は、映画の世界にのめりこんでいた。悪く言えば最初たやすく時間をつぶせるといった程度のことだった。金もなくて一日なんとなく充実できるのは、映画だった.名画座といわれるややうらぶれた映画館に、5年も、6年も通うことになるとは、そのときは思いもよらなかった。それに金がないので朝から晩まで、二本立てや三本立ての映画を、何回もみて終演に、やっと映画館を出ると言う感じだった。それに食べるものも菓子パンを買ってあとは水とか、コーラとか一食位ですごしていた。しかし不思議なものだが結構、幸福間でいっばいだった。いつの間にかスクリーンのなかで自分が生きているような錯覚さえおぼえていたのだ。そして映画がおわると仮の世界にもどって行く。
そうだ、映画の勉強をしようそう思った。
そのころ横浜に、ある映画学校があった。現在日本映画学校(横浜映画放送専門学校)へ
入学することになった。二年間そこで、はたまたとんでもなくおかしな青春時代を送ろうとは、当初考えていなかった。大学にはない、新鮮で、ばかばかしくも面白く、枠にとらわれない発想をみつけることができたのだ。映画の話は、書き出したらきりがないので後日にしておくが、私は、このまま映画の世界には、進まず、また放浪の生活にもどってしまうのだ。両親からすれば、本当にわけがわからず戸惑っていただろうとおもうが、やさしく信じて見守ってくれたことが私にとっては人生の一番の喜びでもあった。
あなたは、本当に好きなようにいきてきたし多くの回り道をしてきたけどそんな人生もいいかもねと半分あきれ気味で母などは、いつも言っている。こんな不良息子をかかえているとぼけてられないなどとぼやくことしきりだ。それにまたロシア人の奥さんとくれば、へえーーーと声を発して、かたまってしまったこともうなづける。
奥さんにだって、もっと日本語が理解できるようになっていろいろな話ができるようになったら、不良青年期のはなしでもしてあげようと思う。






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最終更新日  2003年11月04日 22時51分35秒
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