しんの米国神学生日記

しんの米国神学生日記

2003年10月20日
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ついにチャペルで、待望の説教を聴くことができた。聖書箇所は、旧約の列王記上17章。預言者エリヤがある街の女性から水とパンを求めたところの話だ。「列王記」研究を一年以上していた自分には、よくなじんだ内容であったが、それをどうやって説教に活かすのか、が具体的に知りたかったのだ。説教者は、声を上げる。「その女性は、いったい何を考えているのか。薄汚れたその男に、信仰をもって水もパンも持ってきたというのか」と。ひとかけらの粉と少量の油でパンをつくり、一人息子と食べて、後は死を待つのみという女性に・・・。「それを神の預言者に差し出すのは、なぜか」と。彼女は、その男の言葉を信じた。なぜなら後に病のために死んでしまった息子を、その男に訴えて生き返してもらうのだから。食料がなければ人は死ぬ。それは神がご存知なこと。イエスは、こう語ったことを思い出していただきたい。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ6:25~26) 

説教者はさらに声を大にして語る。「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)と。あのサレプタの未亡人には、わずかな生きる糧も、愛すべき息子も取り上げられたとき、なにもかも失うという、その苦痛のなかで、御言葉に聴き、その奇跡に感謝と喜びをもって、「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」と告白するに至ったのだ・・・。

私はこの説教から、多くのものを自分なりに得たと想う。それは、旧約のテキストからいかにスムーズに新約の時代へとシフトさせるか、という構成だ。会衆が違和感なく説教の中心テーマに興味をそそられるか、それとも集中力をとぎらせるか、の問題なのだ。説教者が序論で話し初めたように、信仰とはハタから見れば、「なにを考えているのか!」というものなのだ。感情的な説教に、新鮮さを感じた。





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Last updated  2003年12月27日 05時31分08秒
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突き男@ 腰痛くなるまでやってきました 綺麗な顔しててあんなに激しいなんて、正…
キタキタ@ イヤッホォォォォォウ! やべーこの女やべー! 終始そんなこと考…
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