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2005/09/16
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今週末、姑の一周忌をすることになっている。

7年という闘病生活の後、67で他界した。
その7年とは、壮絶な月日であった。
脳梗塞、大腿骨骨折、心筋症、と色んなものが重なって
手術、そしてまた手術。

最後の頃は、痴呆も少し入り、まだ67なのに
80過ぎのお婆ちゃんのようになった義母をみて、
肩が“ガクッ”となるのを感じる。
私が嫁いだ時は、50歳。
年よりも若く見え、おしゃれに気を使う人で華があった。
母というよりは、姉のような感覚の人でよく喧嘩もした。
舅と夫が、オロオロするくらいの喧嘩・・・。

職場で毎日顔を合わせては、喧嘩、おしゃべり、舅と夫の悪口、昔話、労わり、けなし合い・・・・。
彼女との時間は長く、それが永遠に続くものだと思っていた。

死ぬかもしれない場面には何度もあっている。
そのたびに、不死鳥のように蘇ってきてくれた。
今度もまた、帰ってきてくれる。そう信じていた。

しかし、今回は様子が違っていて、苦しさで意識がない状態が続く。
それでも私は、「大丈夫、お義母さん。苦しいのは、今だけだよ。先生に薬入れてもらってるから。頑張って!」と話しかける。
意識が無い状態でも、聞こえるのだということを義母から聞いていた。
現に、自分が意識の無い状態の時の私達の会話を義母は知っていたから。

状態が、変わらない。
先生の説明がある。
ペースメーカーが入っているので、亡くなっても心臓は動いている。
そこを理解して欲しいということだ。
その他にも、色んなことを言っていたが記憶にない。

義母のそばで、叔母と話をした。
「もう、これ以上は頑張ってって言えないよ。頑張ったよね、お義母さん」
それから数分後、義母は逝った。
まるで、役目は終わったというみたいに。

それでも、心臓は動いている。
可哀想に、死んでも心臓を叩かれているのか・・。・・・嗚咽した。

その日、うたた寝をした私の夢枕に義母は来てくれた。
「煙草、止めなきゃねぇ~」と呟いた。
横向きで、元気な時の義母の姿で。
起き上がって、また泣いた。

・・・ごめんなさい。まだ、止めてません。

















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Last updated  2005/09/16 02:24:37 PM
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