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明けましておめでとうございます。今年もどこ吹く風と、波のまにまに揺ら揺らと、大雑把に生きましょう。
January 5, 2009
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目指すは「ターシャ・チュダー」ではないが、よくある日本の箱庭的ちまちまガーデンだけは避けたいものだ。雑誌やテレビなどを見てまねするのだろうが、これ以上悪い趣味はないだろうというような贋作り物のオンパレードだ。いわばコスプレガーデンというべきか。だが、それも一つの世界にまで発展すれば、きっと楽しいんだろう。佐藤工房カフェのワイルドガーデンは作らない。そのまんまではないが、なるべく「ぼうぼう」である。それにどこまで感性が耐えられるか・・だな。誰の感性かって?現代日本人の作り物の感性でしょう。合わないだろうな。
June 18, 2008
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少々長いタイトルになってしまいましたが、今年の冬から流木アートを中心に佐藤工房のガーデンにて新たなアートスペースを作っています。野外ですから比較的大き目の立体作品をそこかしこに無造作に配置しています。あまり奇麗に手を入れないぼうぼうのワイルドガーデンに、手作りの木のテーブルと丸太のいすを並べ、しいの木の木漏れ日の下でオーガニックのコーヒーや紅茶を飲めるようにしてあります。自家製のオリジナルケーキやフランス食パンのトーストもあります。これから夏に向け色々とイベントも企んでいます。ワイルドな南伊豆と佐藤工房のアバウトなアートが絡み合った妙に気持ちのいい世界へどうぞおいで下さい。うんちくが固まってできた「ウンチクン」がお迎えします。
May 21, 2008
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感性とは何か?以前にもこんなことを書いたことがあるかもしれない。何しろたった二文字の単語でもあり、人によってずいぶんその意味は違う。お決まりのやり方で分厚い辞書を引いてみるのももう馬鹿馬鹿しいほどだ。言葉の意味についてとやかくやっていてもしょうがない。あらゆる言葉の初期設定から確認していては文章に入る前に一生を終えてしまうだろう。とは言いながらも感性について述べてみよう。まずこんなやり方はどうだ。似たような言葉に「感受性」がある。これは感性に「受」がついたものだから単純に「受動的」感性だ。「何か感じる」といえばこれだろう。外からもらった刺激が内的な感動となって知覚される。では「センス」といえば、むしろ外に表現された感性だ。自分の中の何らかの思いを能動的に形にしてみる。感性だけでは形にはならないからそれを表現するための能力や技術も必要とするだろう。具体的にこの二つの方向性を持ったものが感性だ、として、「感じたもの」と「感じてるもの」の「感じ」の根っことは何なのか?外から入ってきた刺激は何と反応してその「感じ」を生むのか?また内から表出される「感じ」とはもともとどのように造られたのか?それはけして無から生まれてくるものではないだろう。その「感じ」を生み出すバックボーンとは何か?多分それが「感性」の正体となるだろう。その正体を知っているのと知らないとでは「感性」の厚みも深みも全く違うものとなるだろう。それは子供と大人の豊かさの違いほどにもなる。「感性」を支えるのは思考であり「知性」なのだ。好奇心こそその源のパワーとなる。
April 8, 2008
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美しさとは色々な要素が複雑に絡み合った社会現象です。けして自然なものではありません。仮に自然の中に美しさを見たように感じても、それはその人の中の心の反映なのです。そしてその心こそその時代文化を映した社会の鏡なのです。人が自然の美しさを発見し心を奪われた時、その人の心の背景となっている社会や文明とはいったいどういう相となっていることでしょう。
March 31, 2008
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最近しばらく山に入っていて確認したのですが、美しさの一つとは規則性なんですね。太古の原生林とはどのようなものか?全くの天然自然というのは雑然の中の洗練性を持っていたりするのですが、それがランダムなようで規則性を感じさせると妙に美しく見えたりするのです。人間の目というのは規則性を求めているのだということです。それは有機体としてなのか、分子配列としてなのか、はたまた宇宙の摂理としてなのか、茫漠とした一様性の中からわずかな特異性を規則的に見出そうとすることなのです。だから逆に一点の茫漠を取り出してみる。見ることの挑戦です。
March 21, 2008
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これは南伊豆子浦の浜に漂着した古いガラス瓶です。今なら何千何万というペットボトルなどが日本海や太平洋を漂流し陸地を求めて漂着していますが、中には危険性のある液体などが入っているものもあるそうです。また何十年も前に子供達が実験的に手紙を入れたビンを海に流したものが、今たどり着いたという報告もあるそうです。「無人島にいるので助けてくれ!」なんてことは書かれていなかったようです。一昔前にはロマンチックだったことも今となってはただのゴミとなっているのかもしれません。そんなことはたとえば、エベレストなどのヒマラヤや地球の軌道上の宇宙でも行われています。近いところでは富士山なども登ってみればただの壮大なゴミの山です。それを伊豆あたりから眺めればなんと美しいこと!。月から眺めた地球もそれと同様なのでしょうね。太陽系で最も美しい星は実はゴミの惑星だったのです。この茶色のビンには青く悲しい液体が入っていたのです。
March 6, 2008
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これは「海からのつるし雛」という作品です。今、南伊豆ギャラリーみいづで展示中です。
February 23, 2008
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世間ではじわじわと「流木アート」なるものが認知されるようになってきているのかもしれません。テレビでもそんな番組を見たとか、話題になっていたとか、小耳に挟んだりするようになってきました。世間の情報や流れに疎い佐藤工房にはあまり良くわからないことなのですが、時代の流れやブームに乗ったりする人と引っかからない人と色々いるのですが、佐藤工房にはどうも縁がないみたいです。端から商売っ気のない佐藤工房です。気にせず気ままに好きなことやってるのがベターです。「風木アート」「漂流物アート」もちろん「ジャンクアート」もお手のもんです。「不自然なのがアート」の基本ですしね。
February 11, 2008
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あまり見かけませんが、こんなのでカレーを食べてました。銀のスプーンに銀のナイフ、銀の皿も銀のカップもあります。時計も銀時計。銀の歯ブラシなんてのもあります。鏡は銀、写真も銀でした。銀のお猪口で酒を飲みます。
January 29, 2008
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たった独りでコツコツコツと啄木鳥のように木を刻む。たぶん啄木鳥はこっそりと木をつついてるだろう。それとも他の誰かに見てもらいたくて、伝えたくて音をたてているだろうか。
January 21, 2008
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もちろんこれは「佐藤工房の流木アート」についてのみ言えることですが、他の方々のことは全くわかりません。「道(タオ)」であるから、すぐに「人の道」とか道徳だとか、こうあるべきだ、というものを思ったら大間違い。佐藤工房の道は世界に通じる道なのです。佐藤工房は世界に目を向け流木アートしているのです。もちろん、手前勝手な佐藤流ですが。志だけは高いのです。むやみに高いのです。今度佐藤工房に来てください。流木を無料でお分けしましょう。お一人一点だけにしていたきますが、代わりにあなたの志を見せてください。あなたの道を示してください。
December 24, 2007
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仏造って魂入れず、と言うが魂造って仏を入れずとはどういうことか?誰が魂を造り、誰が仏を造ったか。流木人が笑うのは哀しみがあるからだ。
December 10, 2007
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血液はさらさらにならないかもしれませんが、心はさらさらになるかもしれません。パワーストーンというのはネーミングとしては問題ないかもしれません。石に限らず万物にはエネルギーがあります。そこからパワーを引き出せる人もいるでしょう。しかしそんなすごい能力のある人なら、いながらにしてパワーたっぷりです。そんな人が作ったジュエリーなら当然パワージュエリーでしょう。ちなみに佐藤工房にはジュエリーを作る能力はあります。何しろ佐藤工房にはパワーストーンが売るほどあるのです。日本全国からご参加ください。
November 27, 2007
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「秋の夜長の灯り展」という展覧会を南伊豆ギャラリーみいづで行っています。11月24日(土)夜までですが、陶器のランプシェード等と共に流木アート作品も展示しています。写真はその会場のギャラリーみいづ入り口です。夜の写真はなかなかうまく撮れませんが、流木で組んだアーチの門と、入場者を迎える流木面がかなり原始的でシャーマンな妖しい雰囲気をかもし出しています。中に入ると、竜宮と縄文と何でもありの世界がこれでもかというほどに妖しい光を放って、踊りくねっています。一見の価値ありです。
November 20, 2007
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似たようなチラシが続いて申し訳ありませんが、よーく見てください。少し違うでしょう。南伊豆佐藤工房に待望のカフェができたのです。ひと呼んで「流木カフェ」というのはどうでしょう。ゆっくりとコーヒーでも飲みながら佐藤工房の流木を手にとって眺めるというのもなかなか良いですよ。流木アートは見て触って、なめてかじって匂いをかいで、ついでに買って持って行っちゃうことだってできるんですから。後は煮るなり焼くなりご自由にお使いください。佐藤工房の流木アートは雑草のように逞しく、結晶のように繊細なのです。レギュラーコーヒー(300円)、オーガニックの紅茶(300円)、緑茶(300円)、同じくオーガニックコーヒー(500円)です。皆さんのお越しをお待ちしております。オープニングパーティもよろしくです。
November 12, 2007
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もう何も言うことはありませんね。圧倒的この迫力です。さて、流木アート作品には何も言うことはないのですが、佐藤工房の新しいお知らせを一つ。今度、佐藤工房に「カフェ」をオープンしました。今そのカフェにつける「名前のようなもの」を公募中です。興味のある方は「南伊豆流木アート 自然アート 佐藤流木工房」を覗いてみてください。ブックマークのリンクサイトより行けます。
November 6, 2007
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佐藤工房ファンの皆様お久しぶりです。やっとここまでたどり着きました。もしかしたらもうご存知かもしれませんが、突然パソコンのハードディスクがお釈迦になってしまいました。一瞬にして写真などのデーターが消え去りましたので、しばらく作品のアップはできなくなってしまいました。新しい作品は作っていますが、画像でお見せできるのはまだしばらくかかりそうです。こうして文字を打ち込んでいる間にもネットとの接続が切れてしまいました。フレッツの設定にまだ不具合があるのだと思います。これから原因を調べてみるつもりです。今まで何とか見よう見まねで使っていたパソコンですが、一度途切れてしまうとなかなかハード的にもソフト的にも回復しないものですね。あわてようにもその能力さえない感じです。これでよく2年半もやってきたなーと思います。こちらの独創世界の方はまだそんなに経っていませんが、これから先の運用面も考えようかと思っています。佐藤工房にはこの独創世界の他にあと2本のブログがあります。内容によって使い分けていますが、もし興味がおありならばそちらの方も覗いてみて下さい。リンクサイトから入ることができます。パソコンネットは全世界に発信することができるとうたわれていますが、こうしてダウンしてしまうと非常にそのもろさが見えてきます。このネットがなければ何も発信できないのだろうかと考えると、逆にとても恐ろしいことのようにも思えます。ハイテク、超便利なコンビニ社会とは、一種のつるし上げの世界です。日常的に何のトラブルもなく動いてるときにはほとんど感じませんが、いったんもろくも破壊された時には一体どんなことになるのやら、そんなこと考えてる人なんてあまりいないんでしょうね。しょうがないですもんね、考えてみてもわかりそうもないことを考えるなんて。今この一瞬一瞬を楽しく生きる、これが合言葉のようになっている社会って、とてもつらいんですよね。そうじゃなきゃこんな言葉は出てこないでしょ。一瞬ですよ、一瞬。
October 30, 2007
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呪いの言葉を教えようありがとう自分を褒め称えよそして世界中の人々に愛と平和と祝福をこれを3度唱え、鏡を見よ
October 7, 2007
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おぼろげなネットの向こう側に楽しみと称して無駄な時間を過ごしてる人は多いでしょう。退屈なネットのこちら側には、暇つぶし以外の何物もないのです。神は自分に似せて人を創ったといいます。人も自分に似せて神を創ったというでしょう。人も神も求めているのは自分なのです。そしてその自分が求めているのも自分に似た人なのです。だから人は人を求めるのです。ネットのあちらとこちらと、こっそりなかなか自分と同じ人は見つかりません。ネットの外でも同じことそれで一人上手になりました。
September 30, 2007
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セックス ドラッグ ロックンロールこれらの懐かしい言葉はまだ生きてるんですね。でも、その昔これらの言葉は今ほど欲望的ではなかったはずだ。一つの文化からもう一つの別の文化へと移行するための自らの精神と肉体を賭けた試行だったのだ。いろいろな愚かな理由から、その象徴的な実験はもろくも自滅するかのような終わり方で消え去ってしまったがその投げかけられた問いには、いまだに答えは出ていない。果てしない欲望の文明を、もう一度問い直す時がきている。忘れかけた合言葉の真の意味をその答えとともに具現化するのだ。
September 24, 2007
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今はもうすっかり浮世に溶け込んで、懐かしいほどのトーンの3点セットですが荒々しいほどに斬新でシンボリックな時代があったのです。それはまるで自由と愛に渇望した優しくも性急過ぎた若者たちの三種の神器のようなものでした。セックスは心身の融和を、ドラッグは新たな創造を、ロックンロールは魂の叫びだったのです。
September 17, 2007
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アートというのはね、人間の存在を表すもんなんです。だから当然自然なものではないんです。美しいものとも限らない。もちろん美しさを表現しようという人は山ほどいます。ほとんどの人はそうだと言ってよいでしょう。でもね、人間の存在というのは、美しいものばかりではない。表面的な美しさの下に、人間の真実の姿が隠されているかもしれない。アートというのはね、人間の本質に迫れるもんなんです。
September 6, 2007
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人間、人間性、その文化などを考える場合、禁止されているもの、所謂タブー性に着目するのは、有意義で面白い一つの方法となる。中でも、性に関するものは非常に複雑で興味深い。性に対する認識と態度で、およそその人の知性度は推察可能だ。また、自由度も表れる。タブーを破ることは異端を意味することだが、服従を適応と勘違いしている常識人は多い。まずは考察してみることだ。自分の良識を信じて疑わない人間達にはきわめて困難なことだが、まずは己の無知を知れ。
September 1, 2007
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サマー オブ ラブヒューマン ビー インフラワー チルドレンスピリチュアル レボリューションケンタッキー フライド チキン
August 22, 2007
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森の中の一本の木が不意に話しかけてくる。一体全体人間はどうしてものを考えなくなったのだ?なんてことは私はあまり書かないのだが逆に私ならこう言う。どうして木には人間の考えてることがわからなくなったのだろう?
August 13, 2007
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満ち溢れる生命のエネルギーを
August 5, 2007
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お望みならこの掌にだって宇宙を再構築して見せられるのです。あなたの内部からあふれ出る結晶を蜜のように甘い官能で満たして美の魔法をかけるのです。
July 27, 2007
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ジュエリーとは何かを考えたことがありますか?別に言葉の意味をいっているのではありません。日本では一般的にアクセサリーといった方がいいのでしょうが、安価なものがアクセで、高価なものがジュエリー。そんな風に思っている人も多いかもしれません。まさにこの世界はピンからキリまで、幼児ののおもちゃのようなものからアラブの王様がつけるようなものまで、上を見ればきりがありません。全く同じ工程の作業で、100円のものも1億円のものもできるのです。でも100円のものと一億円のものとで違うのは値段だけです。ジュエリーとはもののことではありません。美しさを見ることのできる心です。それはアートです。佐藤工房はアートジュエリーを創っています。
July 21, 2007
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佐藤工房のジュエリーはほとんど一点ものです。胡桃のペンダントも自然のものなので、大きさや形が皆違います。割った胡桃の中には、一語メッセージのほか、イニシャルなども入れられます。小さく折りたたんだDNAも入れましょうか。
July 13, 2007
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胡桃の中にメッセージを入れて手のひらで包みます。今日の午後からセミが一斉になき出しました。思いは伝わるでしょうか?堅いからを割ってしまいましたが心は閉じたままです。
July 5, 2007
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この流木アートが見えたら佐藤工房の入り口です。迷わず左に入ってください。自然流木アーチストの佐藤工房はいつでも準備OKです。でも、いない時は「準備中」になってたりして。迷わず確認してきて下さい。野生の匂いがぷんぷんします。
June 27, 2007
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ルート136、南伊豆に来てこの流木看板が見えたら佐藤工房はもう1分もかかりません。木に囲まれていますから建物は見えにくいですが、うっかりして通り過ぎないで下さい。来るたびに通り過ぎて5年目にやっとこれたという人もいますから。南伊豆の流木アートなら佐藤工房です。なんだか宣伝みたいですね。
June 20, 2007
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ゆっくりと、のんびりと、南伊豆に佐藤工房を訪ねてみましょう。「内なる自然」を見つけることができるでしょう。「人間の回復」とはそういうことです。
June 15, 2007
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人まねが上手くできないので、自然をまねてみることにしました。動物には運命があるのでしょうか?人は弱いです。自然の中で生きるのはそう簡単なことではありません。
June 9, 2007
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こんなことをやっていられるのは幸せというものです。もうかれこれ、長い間続いてきました。後ほんの少しと思うのは欲ですが、なくてもいいような気もします。十分これで満足しているのです。おまけですが、まだ楽しめます。
June 2, 2007
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野原の中に寝転がって、蒼い空と雲だけを見ていた頃がありました。薄いシャツを着ていると先のとがった草が肌にちくちく刺さります。草はひんやり、しっとり、頬を暖かな風が撫でていきます。いつしか眠って 、おきてみるとおなかが空いていました。グーといいました。
May 26, 2007
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これは祈りです。自然の中で自分のできることをやるだけやったのなら、最後にあるのは、目を閉じること。誰に対してとか、超越的なものに向かってとかいうのではなく、今を生きている自分を見つめて。
May 20, 2007
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草の中に見え隠れするように埋もれた美しいものを発見したとき新しい命につながっているのだと思う。
May 14, 2007
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緑の草の中に優しいあなたの顔がありました。野の花は顔を近づけて見るものだけにささやきかけてきます。人が創り出したのではない野生の愛は愛する人を選びません。愛されることも拒みません。自然を受け入れる人ならば自然は誰でも愛します。自然の中にいる人が好きです。
May 8, 2007
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ちょっと前の日本にも、おかめやひょっとこはそこら辺の草むらや茂みの中にはいたものだ。今では秋祭りの時ぐらいしかお目にかかれないが、収穫の終わった後、長い冬が来る前のつかの間、小春日和の草むらにはホカホカの湯気が立ち昇っていた。
May 1, 2007
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ナチュラルガーデンの茂みの中から、赤いべろを出した獣の顔がのぞいています。素足にからみつくスズメノエンドウがひんやりと気持ちがいいのです。紅茶を飲みながら、夕べの悪魔のことをちょっと考えてみましょう。朝には精霊のように消えていました。
April 25, 2007
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4月14日、下田スパイスドッグ、ライブコンサート「休みの惑星」での佐藤工房の流木アートによるインスタレーションです。藤原シゲトシさん、KAIZOKUこと高橋照幸さんプロデュースによる、出演者11組による6時間超のロングライブでした。主なミュージシャンには中川イサトさん、斉藤哲夫さんなど60~70年代日本フォークの草分け的な方々が中心に集まりました。そのそうそうたる出演者に混じって〈まぎれて〉佐藤工房も堂々と出させていただきました。詳しくは佐藤工房のもう一つのブログ、こちらからどうぞ
April 16, 2007
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ほぼ1年間「佐藤工房の独創世界」を続けてきましたが、今後は作品発表の場というより、記録の場として不定期に活用していこうと考えています。これまで主にオリジナルの作品と、短い創作文で構成してきましたが、これからはもっとイージーな方向で試みてみようと思います。キーワードは「自然アート」、「フリーアート」、「流木アート」は「自然」の中に含まれますが、さらに「自然」の中には「不自然」をも含んでいます。「動物」の中に「人間」がいるようなものと思ってください。あるいは、例えば心臓の悪い人にペースメーカーをつけている人などいます。もっと身近には目の玉にプラスチックを貼り付けてる人などもいます。それは人間だけに限ったことではありません。野鳥の中にはビニールやナイロン繊維で巣を作るものもいますし、パソコンで暮らしてるゴキブリもいます。流木そのものから、写真のような流木と他のものを混ぜた作品が多くなるかもしれません。ベースにあるコンセプトはそれほど変ることなくシンプルに行きますが、表出されるものは多少複雑化していくでしょう。現段階で、技法としては、ミックスメディア、アートコラージュ、といったものになっていきます。もとより、目的のためには手段は選ばない方なので、もっとも適切だと思う方法を試みていくことにしています。パソコンという限定されたセッティングの上で、いったいどれほどのことができるか、今後とも楽しみにしてください。
April 6, 2007
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いつごろから「流木アート」なる言葉が現れたのかよくわかりませんが、とても安易な感じで悪くはありません。多分素材の一つとして流木を使っているところぐらいがベースにあるだけで、後はやっている人それぞれ、見ている人それぞれに千差満別なのでしょう。定義や決まりは何もなく、思う存分やりたいように自由にできる、そこがこの手のフリーアートのよさなのです。それだけに、作り手や見る側にいっそうのセンスやコンセプトを高く要求することもできるのです。「佐藤工房の独創世界展」に寄せていただいた講評をご紹介させていただきます。こちらからどうぞありがとうございました。
March 27, 2007
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佐藤工房の自講評はいかがでしたでしょうか?自分で自分の個展の講評をするのですから、自画自賛すればよいのですが、それもある程度自分の位置なり、立場なり、レベルなど自覚していないとなかなかうまくはいきません。何の根拠も思考もなくただ見栄を張って偉そうにしていても、自慢にすらならないのです。特にアートの世界は前衛的になればなるほど、評価の基準どころか、そもそもアートなのかすら判然としなくなるのです。古典的な写実やデッサンならばその技術的実力は一目ですが、近代絵画以降、アートの流れはいわゆる既成のアートから脱却するための反アートの方向へと進んだのです。しかしそれはあくまできわめて最先端のほんの一部でしかありません。ピラミッドのように広がる裾野のアートはいまだに100年、200年前となんら変ってはいないのです。いや、現代アートの出現はこのピラミッドの形を少し変えたといえるでしょう。すなわち、エジプトにあった大きなピラミッドはひっくり返され、細かく切り刻まれ、後には小さなピラミッドがどんぐりのようにいっぱいできたのです。それでもどんぐりの先はとがっていますし、お尻の方はやはり100年前とあまり変り映えしてないのです。ただいくらとんがっててもしょせんどんぐりのピラミッドには大きなものを見る視座はないのです。考えましょう。
March 23, 2007
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独創世界展の講評をフリーページの方に載せました。わかりやすく解説したつもりですが、佐藤工房がいったい何を考え、何をやっているのか、納得のいくまで読んでみてください。
March 17, 2007
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休暇村南伊豆始まっていらいの、本格的立体作品の展示ということで非常に異彩を放ち、これまでにない異次元の雰囲気に包まれましたね。前回のギャラリー「侘助」の会場よりも広々としていますので、展示としては都合が良かったです。でも佐藤工房のパフォーマンスからするともっともっと広い所でもいいですね。無機質の大空間に有機質の流木が独特の迫力を持って浮かび上がってきます。
March 10, 2007
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佐藤工房の流木アート展の第3弾が南伊豆ギャラリーみいづで始まっています。1月6日より約2ヶ月以上にわたってやってきましたがとうとうこれでおしまいです。最終日は3月11日〈日〉です。皆さんお見逃しのないよう、南伊豆ギャラリーみいづへお越しください。最後ですので、普段なかなか出せないようなものも展示してあります。見る前から説明はしませんが、これは流木と人との美しい関係を表現しているのです。まさに佐藤自然工房の前衛的アートですね。
February 27, 2007
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「自然芸術」と呼んで下さい。「ナチュラルアート」などというと、全くそうではないものを思い浮かべる人もいるでしょう。自然芸術は、自然と芸術、全く別のものの組み合わせというのではなく、文字どうり自然が芸術を模倣するのではなく、自然にこそ芸術の原点があるということを表した言葉です。かといって現代アートは必ずしも、自然から発想されたものばかりではないし、むしろ不自然なものが多いのです。だからあえて、自然なる芸術なのです。むろん自然をまねて作るわけではありません。自然が生み出したものを、そのまま芸術として再発見しようというのです。しかも花鳥風月、誰が見ても美しいにきまっってるものを取り上げても、改まりようもありません。既成の美しさ、価値観に捉われることのない自然芸術、これが佐藤工房の独創世界につながっていくのです。
February 19, 2007
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