7月に入り蒸し暑い日が続きます。
いろいろと雑事にまぎれていましたがスイスイと片付け、
やっとすっきりできた水曜日です。
まだ夏らしいきっぱりとした空は見えていませんが、
太陽が出るとその力強さに驚くほどです。
一日晴れると夕立ちが来て地面を冷やしてほしいと思うほどです。
夕立ちならぬ朝のスコールに悩まされたネパール旅行。
ネパールでの最後の日はあっけないほどすぐ来てしまいました。
ネパール最後の日、そしてその後
カトマンズで2,3日観光した後は一日ゆっくりしました。
フートングの友人の家に泊まるのももう一晩。
2階建の1階のひと部屋を使わせてもらっていました。
最後に村の中をひと巡り。

メインストリートに出て食堂でモモを食べました。
モモは餃子に似ていてます。2種類のソースがありどちらかを付けて食べます。
スパイシーなピリ辛のソースが美味しかったです。
しばらく行くと水汲みをしている人がいました。

水道の通っていない家も多く道端にある井戸や公共水道から水を汲むのです。
道端で歯磨きをしている人もいました。
この家は建築途中?いえ、今はここまで。
またお金がたまったら2階を建て増すのだそうです。
友人宅に帰ると食事の支度が始まっていました。

ここのようにガスレンジや冷蔵庫まで備わっている家は少ないようです。
5年生の娘さんはよくお手伝いをしていました。
この時は小麦粉をふるっていましたが、豆をむいたり雑穀をたたいたりよく働きます。

お子さんは二人、3年生と5年生です。
学校のことや友だちのこと、英語でいろいろ質問しました。
お姉さんはよくわかりヒンズー教の神様のことも英語で答えてくれていましたが
弟君は英語はまだよくわからないようでした。
聞くと小学校に入るとすぐに英語での授業が始まるのだそうです。
最初は英語の時間だけネパール語で英語の基礎を学ぶようです。
ですがだんだん英語だけの授業になり、4年生ではほとんどの教科が英語でされるそうです。
なるほど小学生でも英語が上手なわけです。
食事も終わり2階のリビングに招かれました。
みんなからのサヨナラのプレゼントがあり驚かされました。
それは「ラフィングブッダ」
仏様というより布袋様のように見えましたが、笑っている仏像です。
「嫌なことや辛いことがあったらこの仏様をくすぐるんだよ。
すると仏様は大笑いして吹っ飛ばしてくれる。それにね、
ほんとに笑い声が聞こえたら幸運がまいこんでくるんだよ」
お世話になった上に思いもかけない贈り物、なんだかしんみりしてしまいました。
テレビもありじゅうたんの上に座りお茶をして背もたれに寄りかかるとくつろいだ気分です。
子どもたちが歌を歌ってくれました。すると...停電。
ネパールではよくあることです。
薄明かりの中で私も「ふるさと」を歌いました。
意味を説明するとみんな懐かしい感じのするいい歌だといってくれました。
おばあちゃんも民謡を歌ってくれましたのでもう一曲、「春(のうららの隅田川)」を。
この歌の意味も話しますと「日本は平和で美しい国なんだね」と。
次にお母さんがヒマラヤのことを歌った民謡をきかせてくれました。
楽しい時はするすると過ぎていき、あっという間におやすみなさいの時間。
次の日は家族のみんなに見送られてバスでカトマンズ空港へ。
弟君はこの後泣きだしてしまいました。
「また来るからね。それにプレゼント送るから..」という自分も涙声。
ほんの少しの時間しか触れ合わなかったのになんでなんだろう。
カトマンズ空港は入国には出迎えの人や客引きがいっぱい。
でも出国ゲートには驚いた事に銃を持った兵士がいました。
警官でなく兵士がいるとなんだか緊張します。
出国手続きは問題なく済み、エベレストを超えラサへ。

ラサからはエア・チャイナに乗りつぎ帰国の途に就きました。
しかし機内食はまずかったしCAは無愛想で面白みのない空の旅。
仕方ないか...もう帰るんだから。
帰国後に友人が私費で建てた孤児院に服や学用品を送りました。
貧しかった子ども時代、今は生活は楽になったけどそのころを忘れない。
自分は親がいたからよかった。父は頑張って仕事を成功させた。
今の自分は恵まれているから親のいない子や捨てられた子どもを助けたい。
孤児の面倒を見るのはいろいろ問題も多いけど孤児院を作るんだ...
と話していた友人。そしてそれを実現した。
すごいことだと思います。
新品の服は買えないので古着ですが、集めて程度のよいものを送りました。
近所の人たちや子どもたちもたくさん協力してくれました。
チベット村にも送りました。ナムさん(真中)が受け取って配ってくれました。
だけど着くまで2カ月近くかかり
郵便局では荷物をすべて開けられ一つ一つがチェックされたそうです。
そして関税がかけられました。中古品と学用品、すべて支援品と書いたのですが...
あとで友人に聞いたところ、ネパールでは贈り物はもちろん支援品でも
すべて輸入品としての関税がかかると言うことでした。
ナムさんは高額な関税に困ってしまいましたがなんとか払ってくれました。
そして子どもたちに、そして困っている人たちに渡してくれたのです。

現地の関税のことを知らずに、ほんのお礼のつもりでした支援のまねごとが
ナムさんたちに余分な出費をさせてしまったことをとても後悔しました。
後日関税分と少しのお礼の気持ちのお金を送金したのですが、
次に支援をする時は自分で持って入らないといけないのだと強く思ったことでした。
そしてそのあと...
子どもたちからたくさんの手紙と絵が届きました。
ナムさんがいうには
「送ってもらったお金は関税分よりずっと多かったよ。
だから切手を買ってお礼の手紙を書きたいという子どもたちにあげたのさ。
また来る時は必ずチベット村に泊まるんだよ。みんな待ってるからね。
災害ももうすんだ。心配しないで。
生きる人は生きて亡くなった人はその人の後生を送っているよ」
もうそれを聞いた時は不思議な涙が止まりませんでした。
この次はスーツケースいっぱいのお土産を持ってみんなに会いにいきます。
.....
えっ?その子どもたちの手紙ですか?
この次の水曜日のブログで少しご紹介しようかと思っています。
お気が向きましたらどうかご覧になってください。
読んでいただきありがとうございました。
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