草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2022.10.28
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三島由紀夫氏の学生との討論記録にこのようにあります。

「何を信じるか」の一部を抜粋します。

 何も未来を信じないとき、人間の根拠は何かと言うことを考えますと、次のようになります。未来を信じないということは今日に生きることですが、刹那主義の今日に生きるのではないのであって、今日の私、現在の私、今日の貴方、現在の貴方というものには、背後に過去の無限の蓄積がある。そして長い文化と歴史と伝統が自分のところで止まっているのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。つまり、自分が支えてきた文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いていくのではないのです。今私が四十歳であっても、二十歳の人間も同じように考えてくれば、その人間が生きている限り、その人間のところで文化は完結している。そのようにして終わりと終わりを繋げば、そこに初めて未来が始まるのであります。

 われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、これこそ自分であるという気持で以って、全身に自分の歴史と伝統が籠もっているという気持を持たなければ今日の仕事に完全な成熟と言うものを信じられないのではなかろうか。或いは自分一個の現実性も感じられないのではないか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。自分の背中に日本を背負い、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負っているのだという気持ちに一人一人がなることが、それが即ち今日の行動の本になる。(中略)

自分の中に全ての集積があり、それを大切にし、その魂の成熟を自分の大事な仕事にしてゆく。しかし、そのかわり、いつでも身を投げ出す覚悟で、それを毀そうとするものに対して戦う。未来を信ずる浅はかな人間がやってきた時に、そしてその人間が暴力を振るって向かってきた時に日本の歴史と文化と伝統をお前は破壊するつもりか、これを毀すとはどういうことかという気持ちでのしかかっていく。その闘士というものは、彼らと逆な思想を打ち込んでゆくことによってしか生まれないという。彼らの真似をして未来を信じれば、彼らに足下を掬われるだけである。

 ここにこそ現在があり、歴史があり、伝統がある。彼らの貧相な、観念的な非現実的な未来ではないものがある。そこに自分の行動と日々のクリエーションの根拠を持つということが必要です。これは又人間の行動の強さの源泉にもなると思う。というのは人間というものは、それは果てしない生命であります。しかし、明日死ぬと思えば今日何かできる。そして、明日がないのだと思うからこそ、今日何かができるというのは、人間の全力的表現であり、そうしなければ、私は人間として生きる価値がないのだと思います。

 三島氏の義挙の時、私は高校生。三島精神とは何かと友らと語り、岡崎高校で三島先生の追体験のつもりでボデイビルクラブを部活以外に結成。体を鍛える作業をなした。翌年 2 月にの建国記念日には友と岡崎の式典に参加した。いとこが自衛隊にいて富士学校の教官をしていたので微力ながら議論をすることも。陛下の退位論などで激論を交わしたことを思い出す。

同学年で防大合格者は私以外に3名。しかし入学したのは1名のみ。

 私は大学に進んでからも自治会に愛国者のたちばから3名で立候補。3回立候補しましたが民青には敗北。自衛隊への正式入隊もしましたが大学に戻って卒業。あの頃の友は立派に企業家としての道を歩んでいるとききます。

 まさか自主憲法がいまだ制定できずにいるなど当時思ってもいなかった。そしてこの年まで命ながら得ていることも。

 当時を思い出すと今の自分がいかに怠惰な人生を送ってしまっているか反省しきり。

 お世話になった方々も多くは泉下の方となられてしまった。

そのおひとり、岡崎の金山先生に三ヶ根にて部隊葬をなしていただいた時の祝詞を見返す。

部隊葬 大東亜戦争受難戦没者慰霊祭祝詞

            於 三ヶ根殉国七士碑前

 平成二十年     十月十二日

 波静かなる三河湾の遥かに伊勢神宮を望む三ヶ根の神奈備(なび)に天立(あめたた)す殉国七士の碑(いしぶみ)の御前を祓ひ清めておぎ奉り、坐(ま)せ奉る、大東亜戦争、戦没者二百五十万柱の御霊の御前に、御縁(みゆかり)深き諸人等、集(うごなわ)り侍りて御霊慰(なご)めまつらむと御食(みけ)御酒(みき)を始めて種々(くさぐさ)の味物(ためつもの)を捧げまつりておろがみまつる状(さま)を平らけく安らけく聞こしめせと白す

 つらつらに顧みすれば先の大東亜戦争の皇軍は孤軍奮闘良く戦ひしに、戦運我に利有らず、敵国の悲人道なる戦ひに遂に敗戦とは成りぬ。左和有礼(さわあれ)戦ひし其の地に独立国多(さわ)に生み成せるは神国の故に個曽(こそ)。

時に畏こくも御軍を止めよとの大詔を拝し、奉りぬ。「時運の趣く処堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て萬世の太平を開けよ」と宣らし給ひぬ。又、「確く神州の不滅を信じ、任重く道遠きを念ひ」と宣らし給ひぬ。

 其の日より早くも六十三年(むそみとせ)は経ぬ。今の日本国は天地の始発の時の如く久良介(くらげ)なす様をなし、混沌の止まる処を知らず、常闇の世と成りぬ。是れ、天神の人類に下し賜へる最大の試練なり。御軍の庭に散り給ひし御霊等(みたまたち)の御歎きは如何ばかりならむ。貧しかれども、其の悲しみを受け継ぎまつりて日本国を元つ国の状(さま)に立ち返さむと日々の生活(たつき)に仕へ奉る状を諾(うべな)ひ給ひて大き恩頼(みたまのふゆ)を垂れ給ひ子孫(うみのこ)の八十継(つづ)き厳(いか)し八桑枝(やぐわえ)の如く立ち栄へしめ給へと畏かれども天皇の大御旨(おおみむね)に照らし通わせて称辞(たたへごと)をへ、乞祈奉(こひのみまつら)くと白す。

 漢字ばかりの祝詞にて教養亡き私には読めないのでわかる範囲で記載し、教えを請うたもの。一応訂正した文です。

 「祝詞一本」。大孝道の開祖、影山庄平翁の教えはこうだと、金山先生に教わりました。庄平翁は、大東塾故影山正治塾長の御父君であり、終戦時、自決された十四烈士のお一人であります。

 祭典の全ての全ては「祝詞一本」。祝詞が神様に響かねばならない。

末尾の

畏かれども天皇の大御旨(おおみむね)に照らし通わせて称辞(たたへごと)をへ、乞祈奉(こひのみまつら)くと白す

の語句につき意味を伺った時、「是は陛下にご理解頂きて後祈っているのです」との意味で、陛下のみ心を拝し奉って代わりにお祈り申し上げておりますと、虚偽なく私心なく祈っておりますとの心の言葉である

とのお話を頂きました。

 病気治癒を祈る時も,「どうしても大切な人だ」と神様に分かっていただかねば聞き届かれはしない。理由が大事なんだ。こうおっしゃる。ではお聞きいただくにはどうするか。

其の秘訣は、一身を捧げ奉ると覚悟し祈りと決意を申し述べる。自刃の覚悟で申し述べる時はじめて通じるのだよ。

 誠に祝詞は清廉潔白。魂の表現であり、身を清め心を清めての言葉であると感じて来ました。「祝詞一本」言葉は命がけであるとの教え。私には到底及ぶことは出来ませんが、かくありたいと願うことでした。

 奥様がお見えになり、「うちの人は祝詞も全て自学で研究したのです。」とおっしゃられました。「祭礼準備も、祝詞が出来なければ始めないのです」

神道家の魂の深さに深く感じいったものでした。

思えば私の学問レベルの低さ加減よ。

短気さで多くの失敗も重ねてきてしまった。成功したのはチャイナ名古屋領事館払い下げ阻止と県下建国祭の14会場開催支援、交番での祝日国旗掲揚と国旗ストリート設置、三ヶ根花壇設置及び奉仕、関口長太郎先生の顕彰祭くらいでしょうか。むろん同憂の皆さんのご努力の結果でありますが。

今一度精気を取り戻し国おこしにかけねばならぬと痛感するところであります。

さて、しかし自衛隊は多くの苦難の中で見事な栄誉を獲得している。しかし文化勲章は隊員にはいまだ授与されず、「シビリアンコントロールは結局アメリカからしか来ないのだ」と三島氏が自決直前の檄文に記した如く、いまだ文民統制はいびつな形でしか成されていない、

 政治家が軍事に関する問題を先送りにしてきたため、チャイナは巨大な独裁国家として生き延び超国家化して世界を混乱へと導くようになってしまった、

かつて自衛隊が 「三矢研究」 という有事計画を検討していることが国会で明らかにされ、その内容を知らなかった佐藤総理が、シビリアンコントロールに反するとして批判したことがあった。

しかしまったく的外れ。

軍が独自に研究するのは当然であり、その準備なくして防衛活動はできっこない。自衛隊とはそもそも有事に対応するための組織であるから、 有事にどう行動するかを研究することはごく当然のことである。

 最近は自衛隊が有事研究をするからと言って批判されるようなことは少なくなった。海外情勢の緊迫。中国の軍事大国化、北朝鮮の核開発。いずれも日本にとって大問題であり、国民の合意も取れてきたからであろう。

しかしチャイナの新政権は数年以内に台湾を併呑する方針、とんでもない危険な企画である。

米中の歴史観に対峙し日本の名誉の正しき回復を求める決死の思いを抱かねばこの国難は防ぎえない。

「三矢研究」ならぬ「台湾研究」は果たしてなされているのだろうか。

 武人たるもの、日本文化の最後の体現者であると覚悟しての日々を生きるもの。その心を防衛大臣は低頭して学ぶべきであろうし日本国民の平和的生存をになう政府は林大臣を取り換え対チャイナ独立の気概を持つ代議士を充てるべきではないか。

 台湾との民間交流をさらに深めて国益につなげたい。

 関口長太郎先生の成し遂げられた成果を再確認すべく11月5.6日と開催する慰霊講演会慰霊碑まえ参拝とお墓詣りの集いをぜひ成功させて台湾防衛に立つ多くの皆さんと手を結びたいものだ。

 ぜひぎご友人にお知らせいただきたいと念願いたします、、






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Last updated  2022.10.28 00:03:55
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