草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2024.03.25
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3月24日
 午前9時半より豊橋にて友らと会合。終えて名古屋護国神社清掃に合流しようと名古屋に向かおうとするがすでに無事終了してミーテイングに入っているとのことで間に合わず。よって私は明日月曜に参拝及び清掃に行くことにして帰宅。奉仕は昨日の予定であったが雨にて順延し、今日となる。来月は第4土曜9時から。
 夕刻4時から安城大東町近くの「おにがしま」にて開催されたコンサートに行く。DUDUOゴジュー~産の素晴らしき演奏と歌を聴く。日本を愛してやまないお二人が8年前からでしょうか歌手デビュー。様ざまな曲を持ち歌にされて参加する皆さんに元気を与えてくれている。今日も又最高のショーを見せていただいた。 


あす日3月26日は硫黄島栗林大将以下300名余りが最後の総攻撃を敢行された日。アメリカ軍の当初の計画では硫黄島を5日で攻略する予定であったが、最終的に1ヶ月以上を要することとなった。
日本軍守備兵20,933名のうち95%の19,900名が戦死あるいは戦闘中の行方不明となった。一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害。上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が日本軍を上回った稀有な戦いである。
 日本領土でありながら通常の慰霊訪問がいまだ許されず、一部自衛官の在住のみであとは米軍の支配地。遺骨修養に許可されたものしかわたることが許されないままの地、
私のいとこが富士学校の戦史教官だった時に部下の自衛官を連れて慰霊に行った体験があり、その話を岡崎学習会で話してくれたことがあったが、途中でなみだ声になり話もとぎれとぎれ。ロープを手に地下に掘られた坑道に入って地下道や地下室の様子を話してくれた。聞く方もそんなに厳しい戦いだったのかと驚いた。
 それまでは小学校の親友のお父さんは硫黄島で亡くなってみえ、大変な戦いだったと聞いたことがあったぐらい。お世話になった大東塾の鈴木代表からも飛行機で支援物資の投下に伊黄島に飛ばれたことなどを伺ったことはあったが
映画の「硫黄島からの手紙」を見るまでは硫黄島の重要性や激戦のことなどさほど知るチャンスなどもなかった。
 安倍総理が慰霊に行かれ、着陸後すぐに地面に膝まついて慰霊為されたことを知り、何とか私も行きたく思い遺骨修養のチャンスがあればと申し込んではみたが外れ、そのままになっている。いつか行きたいものだと思うのだが。

いkウィキより引用
摺鉢山山頂を制圧したアメリカ軍が、山頂に星条旗が掲げたが日本兵はアメリカ軍に封鎖された洞窟入口のうち3個の開口に成功し、夜間にアメリカ軍の目を盗んで日章旗をここに掲揚掲揚。24日の早朝のこと、摺鉢山へアメリカ軍のロケット砲攻撃があり、再び星条旗が掲げ直され、その星条旗は24日中そのまま掲げられていたが、翌25日早朝、摺鉢山頂上ではまたも日の丸の旗がはためいていたという。その以降の戦闘の後、アメリカ軍によってもう一度星条旗が掲げられ、それが日章旗に代わることはもうなかったという。
摺鉢山の戦いの途中の2月22日に、アメリカ軍は「2月21日1800現在、硫黄島での損害推定は戦死644、負傷4108、行方不明560」とアメリカ国内に公式発表したが、あまりの甚大な損害にアメリカ国内に衝撃が走った。アメリカ軍に対して批判が高まり、兵士の親からの批判の投書も殺到している。
どうぞ神の聖名にかけても、硫黄島のような場所で殺されるために、わたしたちの最も優秀な青年を送ることはやめていただきたい。どうしてこの目的が、他の方法で達成できないのですか。これは非人道的であり、恐るべきことです。やめてください。やめてください。
この母親の投書に対しては海軍長官のフォレスタルが「小銃、手榴弾を持った兵士が、敵陣に殺到して確保する以外に、戦いに勝つ最終的な道は残されていません。近道も、より容易な方法もありません。何かよい方法があるといいのですが」と返信をしている。
その「何かよい方法」について、一旦は却下された毒ガスの使用議論が再燃することとなり、シカゴ・トリビューン紙は「彼ら(日本軍)をガスで片付けろ」という社説を紙上に掲載し「毒ガスを非人道的とする非難は誤りでもあるし、的外れでもある」「ガスの使用は数多くのアメリカ国民の命を救うと同時に、日本人の命もある程度は救う可能性がある」などという主張を行っている。    

3月14日、小笠原兵団基幹部隊として栗林を支えてきた歩兵第145連隊長・池田が軍旗を奉焼し、16日16時過ぎ、栗林は大本営へ訣別()(けつべつ)電報を送った。
• 「戦局最後ノ関頭ニ直面セリ 敵来攻以来麾下将兵ノ敢闘ハ真ニ鬼神ヲ哭シムルモノアリ 特ニ想像ヲ越エタル量的優勢ヲ以テス 陸海空ヨリノ攻撃ニ対シ 宛然徒手空拳ヲ以テ克ク健闘ヲ続ケタルハ 小職自ラ聊カ悦ビトスル所ナリ 然レドモ 飽クナキ敵ノ猛攻ニ相次デ斃レ 為ニ御期待ニ反シ 此ノ要地ヲ敵手ニ委ヌル外ナキニ至リシハ 小職ノ誠ニ恐懼ニ堪ヘザル所ニシテ幾重ニモ御詫申上グ 今ヤ弾丸尽キ水涸レ 全員反撃シ最後ノ敢闘ヲ行ハントスルニ方リ 熟々皇恩ヲ思ヒ粉骨砕身モ亦悔イズ 特ニ本島ヲ奪還セザル限リ皇土永遠ニ安カラザルニ思ヒ至リ 縦ヒ魂魄トナルモ誓ツテ皇軍ノ捲土重来ノ魁タランコトヲ期ス 茲ニ最後ノ関頭ニ立チ重ネテ衷情ヲ披瀝スルト共ニ 只管皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ永ヘニ御別レ申シ上グ 尚父島母島等ニ就テハ 同地麾下将兵如何ナル敵ノ攻撃ヲモ断固破摧シ得ルヲ確信スルモ何卒宜シク申上グ 終リニ左記駄作御笑覧ニ供ス 何卒玉斧ヲ乞フ」

o 国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
o 仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生れて矛を執らむぞ
o 醜草の島に蔓る其の時の 皇国の行手一途に思ふ
o
南の孤島から発信されたこの訣別電報は、本土最北端である海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別通信所により傍受され、通信員が涙ながらに大本営へ転送したとされる。
大本営はこの決別電報で硫黄島守備隊は玉砕したと判断し、父島にあった第109師団父島派遣司令部と混成第1旅団を第109師団に再編成し、旅団長であった立花芳夫少将を中将に昇進させて師団長とした。しかし、3月23日に硫黄島から断続的に電文が発されているのを父島の通信隊が傍受した。その電文には21日以降の戦闘状況が克明に記されていたが、最後の通信は23日の午後5時で、「ホシサクラ(陸海軍のこと)300ヒガシダイチニアリテリュウダンヲオクレ」という平文電報がまず流れてきたので、通信兵が返信しようとすると、「マテ、マテ」と硫黄島から遮られて、その後に続々と電文が送られてきたという。その電文の多くが栗林による部隊や個人の殊勲上申であり、栗林は戦闘開始以降、部下の殊勲を念入りに調べてこまめに上申してきたが、最後の瞬間まで部下のはたらきに報いようとしていたのだと、電文を受信した通信兵たちは感じ、電文に記された顔見知りの守備隊兵士を思い出して涙した。しばらくすると通信は途絶えて、その後は父島からいくら呼びかけても返信はなかった。

  どうにか立ち直った日本軍は航空機による反撃を開始し、千葉県香取航空基地から出撃した第六〇一海軍航空隊の爆撃機「彗星」12機、攻撃機「天山」8機、直掩の零式艦上戦闘機12機の計32機からなる神風特別攻撃隊第二御盾隊による攻撃が行われた。この特攻は日本本土から初めて出撃したもので、八丈島基地で燃料を補給した後に硫黄島近海のアメリカ艦隊に突入した。同隊突入前に、千葉県木更津の第七五二海軍航空隊の一式陸攻2機が欺瞞隊として硫黄島上空に到達、錫箔をまいてレーダーを攪乱()(かくらん)した。第六〇一海軍航空隊は航空母艦飛行隊として訓練されていた精鋭であり、わずか32機であったにもかかわらず、護衛空母「ビスマーク・シー」を撃沈、正規空母「サラトガ」に5発の命中弾を与えて大破させた他、「キーオカック」(防潜網輸送船)(英語版)も大破させ、護衛空母「ルンガ・ポイント」とLST-477(英語版)を損傷させるなど大戦果を上げた   

以上ウィキの抜粋

矢弾尽き果て散るぞ悲しき
七度生れて矛を執らむぞ
  祖国を守り得で散る悲しさ申し訳なさをこのように記載される愛国の思い。決して忘れてはならぬと心していきたいものだ。
戦争の悲惨さは二度と繰り返してはならない。とはいえ祖国の永続のため決断されて行かれた英霊を無視したり貶めたりするのは人の道に反すると思うのだ。
特攻隊を貶め軽視する風潮は是正しなくては。
愛知県民の税金を使い、「馬鹿な日本人の墓」、と慰霊碑を侮辱させ、昭和天皇のご真影に火をかけその灰を足蹴にする作品を芸術と判断して県民に見せた知事と、その知事の支持をする政党。
愛知の政治家に期待できる人はいるのか、出てくるのであろうかと危惧されてならない。





神風特別攻撃隊 草薙隊之碑


由来記
名古屋海軍航空隊は昭和17年4月に九九式艦爆実用機部隊として開隊したが、昭和20年2月に教育訓練を中止し特攻訓練に入った。
4月6日第一草薙隊(13機26名)が第二国分基地から、
4月12日第二草薙隊(2機4名)が串良基地から、
4月28日第三草薙隊(14機26名)が第二国分基地から出撃して、沖縄周辺米艦船に殺到していった。合計29機56名である。
この草薙隊(熱田神宮御神体の草薙之剣より命名)の英霊鎮魂と功績顕彰のため、豊田市在住海軍出身者が豊田海友会を結成し、昭和47年4月名古屋空跡地にこの碑を建立した。
碑名は元第3航空艦隊司令長官寺岡謹平氏の揮毫による。

所在地 愛知県豊田市浄水町原山
建立 昭和47年4月吉日


海軍特別攻撃隊 草薙隊慰霊祭開催のお知らせ

祖国の求めに応じて南冥に散華なされた英霊の皆様に感謝のまことをささげるべく下記の日時で草薙隊慰霊祭を開催いたします

 公私ともにお忙しき中とは思いますがなにとぞ御臨席賜りますようご案内案内申し上げます

                     記
日時  令和六年四月七日(日)午前十一時より  (10時半より清掃作業)
場所   愛知県豊田市浄水町原山70番地
区民会館北側  開豊神社 隣 草薙隊の碑 前

主催     草薙隊慰霊祭実行委員会  
委員長    名経大名誉教授         伊藤幸男 

慰霊祭終了後直会( 花見兼昼食座談会)を開きます。座談会ご出席の方は準備の都合上4月4日ころまでにお知らせ下さい。とりあえず09085540817杉田まで





三ヶ根山にて第七十二回殉国七士墓前祭が開催されます
主催の奉賛会様からのご連絡がありましたのでご報告いたします

第七十二回殉国七士墓前祭  のお知らせ
謹啓 春暖の候 貴家益々ご清栄のこととお慶び申し上げます
 さて、第七十二回殉国七士墓前祭を左記により執り行います
 公私共にご多忙の処恐縮ですが、ご参拝賜りますようご案内申し上げます
  なお、一人でも方々にご参拝いただけますようご親族ご友人等にお声掛けいただけましたら幸甚です
           謹白
謹白
令和六年三月𠮷日

 記
第七十二回殉国七士墓前祭
日時 令和六年四月二十九日 (月・昭和の日)午後二時
場所 愛知県西尾市東幡豆町地内  三ヶ根山頂
   殉国七士廟 殉国七士墓前
   一般社団法人 殉国七士奉賛会
          斎主   三文字 正孝
          会長   山岡   仁

   連絡先    西尾市寺部町林添八十九蛮地
          西尾みなみ商工会幡豆支所 内
          電話  0563-62-3105
          FAX 0563-62-5288

    以上です


なお当日は昭和の日
 昭和天皇のご生誕になられた記念日です。
今年令和六年は昭和九十九年  
来年はいよいよ昭和百年の年に当たります。

昭和の日 奉祝講演会 のお知らせ

「昭和」の時代の国家目標は「百姓昭明 万邦協和」の文字通り、すべての国民が明るく幸せになり世界の平和を目指すことにありました。

欧米により世界は植民地支配の苦しみの中にあり昭和恐慌や世界恐慌の真っただ中。その解決はアジアの盟主としての日本に期待されていたのです。
しかし関東大震災からの復興の真っただ中での世界恐慌。そして欧米のブロック経済等悲惨な経済状況の中、大東亜解放の道は苦難に次ぐ苦難。ついに大東亜戦争とその敗戦という国家未曽有の危機に直面したのです。敗戦下の日本は占領統治を受け、国民は占領軍の歴史観を唯一絶対として教育され戦前のすべての精神や行動は悪とされ、多くのリーダーは公職追放されたのでした。
 しかし道義国家実現を目指す国民の願いやその精神を。最も深く体現為された昭和天皇の並々ならぬお祈りやご尽力により、我が国は敗戦の苦境を乗り越え奇跡の復興を成し遂げたのでした。
アジア諸国は被植民地時代から脱出。植民地主義を一掃した実績は人類史上大きく輝く成果といってもよいかと思います。

 今回昭和の日を迎え、神道や仏教に精通されている有働先生をお迎えして講演会を開催いたします。
昭和百年の歴史観の是正、再構築を図りたく思います。


日時 令和6年 4月29日 午後4時開場 4時20分開始
場所 愛知県蒲郡市金平町関戸38番地 0533-65-7449
    蒲郡ホテル形原別館形原リゾート(三ヶ根山料金所出口すぐ左折下山すぐ)
主催 「昭和の日」奉祝祭実行委員会 委員長 伊藤幸男 名経大名誉教授 
連絡 090・8554・0817(杉田)

参加費           
講演会のみ        1000円    
講演会+懇親会     3000円


第一部       記念式典          4時20分~4時30分         
  開会の言葉   主催者挨拶    実行委員長式次第

   開会の言葉 
   国歌斉唱
   来賓挨拶      昭和聖徳記念財団  
   万歳三唱

  記念講演          4時半より6時
 講師        有働智奘先生 (薬師寺管長高田好胤師最後の弟子
演題       「昭和の精神~昭和百年を迎えるにあたって」(仮題)
閉会の言葉 
     第二部       懇親会(食事会・意見発表他)       6時10分から7時10分   

会場上の三ヶ根山には沖縄以外で最多の慰霊顕彰碑があるところです。東条英機大将(総理)・松井石根大将・土肥原賢二大将・木村兵太郎大将・板垣征四郎大将・広田弘毅総理・武藤章中将のお墓もあります。
その慰霊祭は当日午後二時から山頂の殉国七士廟にて開催されます。
  2時からの慰霊祭にもぜひご参加賜ればと思います。





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Last updated  2024.03.25 06:02:40
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