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我が家の娘は、現在、中高一貫校の高等部3年生です。中学受験以来、6年ぶりの受験となる今回の入試を何とか乗り切って合格をいただき、3月には無事、卒業の運びと相成ったところでした。(※ いつもこのブログに遊びに来て下さる方たちには・・・ごめんなさい、このような形でのご報告で失礼しますが、お陰さまで大学決まりました。)娘の受験に心を悩ませた1年間の日々に、ようやく決着がついた、まさにこのタイミングで、このような過去にない、不正事件が世の中を騒がせていること・・・私は、複雑な思いで、PCのモニターに映るニュースを見つめています。せっかく勉強してきたのに、なんて馬鹿なことを、という思いと、受験に心を翻弄され、視野が狭くなってしまったのかなあ、大丈夫かなあ、と彼の人生の行く末を案じて心を痛める思いとが、交錯しています。ええ。わかっています、不正はいけないこと。すべての受験生が 正々堂々と試験に臨むのだから、その道を外れた者に合格証を与えることは、絶対にできないこと。解ってはいるんですけどね。でも、追い詰められた気持ちも少しはわかるというか・・・。実は、我が家では一昨年、長男が大学受験をしました。幸いにも彼は、第一志望の大学に合格し、現役入学を果たしましたが、男子の多くは、希望の大学の合格が勝ち取れない場合、翌年の再チャレンジに向けて、浪人するという判断をしています。男の子のお母さんは皆、わかっているというか、女子に比べ現役合格に拘らないというか、「まあ、男子の浪人は当たり前よね。」という感覚があるんだと思います。それでも、私たち親世代が大学受験をした頃に比べると、浪人は減ったそうですが、「浪人なんて珍しいことではないし、恥じることでもない。急がず納得いく大学に行くべき。」という、男子独特の「受験価値観」のようなものが、依然として世間には存在していると思います。事件の学生も、そういった判断をした多くの学生と何ら変わらない時を歩み出したのでしょう。でも、どこかで道をあやまってしまった。残念なことです。一次試験をパスしているのですから、優秀な方なんだろうと思うのですが。息子が高校時代、すごく仲良くしていた友達も、一年間、浪人したのですが、夏頃は、親に内緒でこっそり予備校を抜けだしたりしていたようですし、冬のセンター直前には「もう、どこにも逃げられない。受験に追い詰められてる感じ。」というメールを送ってきたりなど、「浪人なんて一般的」などと簡単には割り切れない、精神的な葛藤や焦りや不安を抱えていたことが伝わってきました。息子がいつまでも友達のことを気にしていたものだから、私は翌年の受験シーズンも、皆が「決まる」までは本当の意味での受験は終わらないような、不安な気持ちで過ごしました。私ですら、受験の倍率やインフルエンザの流行、センター試験の日のお天気などが気になって仕方がなかったくらいですから、当事者(再チャレンジ学生)の精神的重圧感はいかばかりだったろうかと思います。ご長男が1年間、浪人したママ友達が、「夏を過ぎて高3生が部活をやめて予備校にどっと入ってきてからは精神的な戦いが始まる。自分の心との戦いになる。それに負けて、受験を断念した友達もいた」と言っていましたが精神的なプレッシャーは、大学受験の厳しさを知らない・実感できない現役生に比べ、既卒者のほうが、より強く感じるものなのかも知れません。そう考えると、この事件を引き起こしてしまった学生を、社会通念上はもちろん、許すことはできないのですが、人の情として、同情せずにはいられない気持ちが、心の隅に引っかかっています。 ★ ・ ★ ・ ★ ・ ★我が家の子供達が 学校外活動でお世話になったお兄さんは、2浪して東京大学に合格しました。「合格さえしてしまえば」、それは立派なことだと周囲は手放しで絶賛します。が、「合格できないあいだ」は、自分が将来、どこの立ち位置に立つのかわからない、所属意識が持てない、不安ななかで年月を過ごしたことだろうと思います。今年、娘は受験でわからないことがあり、学校では解決できなかったので、思いたって、そのお兄さんにメールで相談してみたそうです。そしてお返事をいただいたのですが・・・それは、とても親切で解りやすいものでした。娘が感動して、そのメールの一部を「見て。」と 私に見せてくれたほどです。その内容・文章は・・・答えたからと言ってビタ一文にもならないのに・・・丁寧・詳細で、後輩に対する、あたたかな包容力と、深い洞察に満ちたものでした。浪人=再チャレンジ、という選択肢は、それを選ばなかった人は決して体験することがない、大変な苦労を味わうことになる道かも知れません。しかし、それゆえに、それを選択した人にしか見えないもの、語れないものを、その人の人生に、深く残してくれるんじゃないかと思います。娘の受験が終わり・・・けれど、お友達の一部は、まだチャレンジの道半ばという子もいます。すでに来年度を目指し、新しいチャレンジへの道を歩み出すことを決めた子も国公立の後期、私立大の3月期に向けて、今も走っている子もいます。不正事件が話題になるほど、不正が起こりにくい我が国の大学受験。逃げずに真っ直ぐに運命と向かい合い、道を開いていく多くの学生のように、この事件の青年にも、更生と、勇気ある人生への一歩を踏み出して欲しいな・・・と思いました。 ※ 参考ニュースサイト:msn産経ニュース【入試問題流出】仙台の予備校生を偽計業務妨害容疑で逮捕2011.3.3 16:20 (1/2ページ) ★ お気持ちに余裕のある方へお願い ★私のブログの、もうひとつのつぶやきにも目を通していただけるとうれしく思います。↓ ↓ ↓◆ いのり。 ◆↑ ↑ ↑文字クリックで、このブログ内の日記に跳びます。
2011/03/02
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小学生の男子たる者(笑)、クラスに一人はいますよね~。ハンカチやティッシュ忘れの常習犯で、大声で騒ぐ男子。「うるさいよー」「あっち行ってよー」って女子に蹴飛ばされる男子。でもただ女のコに負けてはいなくって、汚いトイレ雑巾を女子の顔にくっつけようと反対に女子を追いかけまわし、女の子たちはたまらず「きゃーっ!」と退散。で、女子は「せんせーい、◯◯くんが汚いコトするー!」と集団で泣きつき、男子には先生から特大の雷が落っこちる・・・。これ(↑)、私が小学校のときの思い出です。「うるさい」「乱暴」「汚いことをする」・・・この3つが揃った子は、我が家の3人の子供たちを育てるなかでも、クラスに必ず一人は居た印象です。でも、そういう子も、紆余曲折を経て、最期は立派で常識的な社会人や大学生になったりします。元・女子の私には考えられない、摩訶不思議な、「男子」という生き物。今日は、こんなニュースが流れてきました。山口市の市立小学校で、5年生の学級担任の女性教諭(44)が、クラスの男子児童(11)について「改めてほしいところ」を尋ねるアンケートを同級生約30人に行い、結果を文書にして男児に渡していたことがわかった。「きたないことをやめて」「話し方に気を付けて」などの文言が並んでおり、男児はその後、別の小学校に転校した。市教委は教諭を文書訓告処分とした。 市教委によると、6月9~11日に、この学級が山口県内で宿泊教室をする直前、複数の児童が「男児が時折、暴力をふるう」などとして「一緒に泊まるのが不安」と教諭に申し出たという。教諭は同4日、男児以外の児童に、男児の改めてほしい生活態度などについてアンケートを行った。教諭は同7日、「鼻水を手でかまないで」「えんぴつをかじらないで」など約50項目を個条書きにした文書を、読み上げながら男児に渡した。男児の保護者が文書を見つけ、発覚した。 市教委は保護者に謝罪し、「児童に多大な精神的負担を与えた」として、7月7日付で教諭を文書訓告とした。教諭は市教委に対し、「男児に悪いところを直してもらい、クラスの子と仲良くしてほしいと思った。配慮に欠けていた」と話しているという。(2010年8月25日07時50分 読売新聞)なんだろうなあ・・先生も大人気ないというか、子供への出方が違う気がするし、親の出方も違うような気がします。まあ、私はしょせん、詳細を知り得無い立場なので、少ない情報からの感想になりますが、少し、書きます。私は自分が「元・女子生徒」だった経験上、また、「どちらかと言えば、やられ役」な、「大人しい・暴力を振るわれる側の子供たちの親」、という視点からこのニュースを読んでみて、この男子生徒にはもしかしたら、特別な指導が必要だったのでは・・という印象を持ちました。ただそれは、あくまでも先生の教育的視点からみて判断されるべきだし、先生からの真剣な指導、という担保の元に、先生自身の、真摯な言葉によってなされるべきだったと思います。たぶん、ですが、先生が渡したという「クラス全員からの、男児への要望アンケート」は、「男児が困った子」である、客観的な「動かぬ証拠」、というつもりで突きつけたものじゃないかと思うんです。しかし、まだ社会的にも人間的にも未発達な、子供たちをまとめ上げる立場の先生が「クラスのみんなからのアンケートをそのまま渡す」という手法をとってしまうと、それは、「困ったところを直して欲しい」という先生からの願い・指導ではなくなってしまう。先生は単なる『クラスの子供達の代理人』として男児を吊るし上げたことになっちゃうと思うんです。つまり、アンケートを通じて男児に伝わるのは、「クラスの子供たち」という自治組織の、発言代理人としての教師の姿、「子供たちと同格か、子供たちより格下の、代理人からのメッセージ」ということになるんじゃないかな、って思うんです。先生には、はっきりと、クラス運営の最高位・指導的立場の唯一の大人として子供たちのアンケートの言葉を噛み砕いで消化し、自分の責任のもとに、「クラスの仲間達からの願い・自身の願い」を伝えて欲しかった、と思いました。しかし!ニュースには「報道されない部分」「見えない部分」がありますのでもしかしたら、この先生、もう言葉を尽くした(=親にも家庭訪問などで報告した)のに、親も子供も先生の指導を何とも思わない態度で、いっこうに協力してくれない、耳を貸さない・・・ということがあり、「困った果てにアンケートを渡した」という可能性も、無いとは言えないと思います。どちらがより乱暴な態度、誠意のない態度を相手にしたのか、今ここで 真実を知る手立てはありません。ただ1つ、引っかかるのは、4月の半分くらいから新学年が始まって、男児名指しのアンケートをとったのが6月4日、というのは、やや、極端な指導に走るまでの間が短すぎたのでは・・という気はします。先生にとっては、「みんながこう言っているのだから、やめなさい」というのは、とてもお手軽だし、「微妙な内容を言った・言わない」論争に巻き込まれることもなく、ある意味、「自分だけ」ちゃっかりと責任から抜けた状態で、言いたいことが言える、姑息な方法とも言えると思います。生徒と先生は、同列ではない。生徒はあくまでも、先生からの指導・警告を真摯に聴くべきだし、先生はあくまでも、自己責任において生徒を指導するべきで、指導の逃げ道として、他の生徒たちの言葉をまるっとそのまま利用するなど、言語道断。だと思いました。(あくまで少ない情報から推察した、私見ですが。)そうそう。1つ、気になったのは、この生徒が転校していること・・。1学期は、高学年になって子供の心が成長するほど、ストレスがたまるもの。我が家の子供たちの同級生でも、1学期中はみんな何かしらトラブルを抱えているのに、あたかも自分の子供だけが被害者のような深刻さで受け止め、転校させてしまった家庭を、いくつか知っています。みんな、2学期以降に、だんだん自分を抑え、周りと折り合いを付けていくので、あまり、早まったことをせず、子供の心の成長のしなやかさ、柔軟性や回復力を、もう少し、信じてあげてもいいのにな・・と思いました。 お心に留まりましたら、猫ちゃんにクリックを。↓ ↓ ↓にほんブログ村★ 民主党政権による改悪が発覚 ★ 子ども手当てでもらえる額より、増税額のほうが大きい子ども手当て施行で家計が今より苦しくなる子育て世帯続出、だそうです。ちなみに我が家は、子ども手当てより増税額の方が大きくなりました・・・・。あなたのお宅は?今すぐ試算してみることをお勧めします(※記事の情報ソースは、第一生命経済研究所と、住宅ローンシュミレーション「みかローン」を使っています。)↓ ↓ ↓子供手当て施行で家計は赤字に!?驚きの事実!↑(※文字クリックで、私のブログの記事に跳びます。)
2010/08/25
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家庭訪問がつつがなく終了した我が家にとっては、ちょっと気になる話題です。◆玄関先で立ち話、家には一切入らず…家庭訪問に“異変”◆2010/5/17 16:56 夕刊フジ「玄関先家庭訪問が」、”慣例化している”? ”広がりをみせているようだ”?本当だろうか、というのが、率直な感想。嘘っぽーい。ねえねえ、奥さまたち、どうおもいますぅ?件のニュースからそう遠くない地域の我が家。でも、「玄関先」なんて、聞いたことがないです。まあ、夕刊とはいえ、まがりなりにも「新聞」だから、ウラをとってあるとは思いますが、この記事だと、この方法が今までの方法に代わって、世の中に広がっていく印象を受けます。私は高校時代の友人たち10人程と、毎年欠かさず集まっています。それぞれがいろいろな自治体に嫁いでいるから、情報を寄せ合えば、この記事がマユツバかどうか、だいたい見当が付きそう。次にみんなで集まるときに、聞いてみようかな?(それとも一斉メールで聞いた方が早いか・笑)この記事に書いてある「4分間の廊下での立ち話」って、意味があるのかなあー・・。家庭訪問が面倒臭い、って話なの?それとも、ぐずぐず文句を言われると嫌だから、家庭には近付かない、という話なのか。ごくごくまれにいる、「うるさい親」に対応するためならば、例外的にその人にだけ、「玄関先対応」、ということにすればいいと思うのだけど・・・。4分間の立ち話。親と先生、それぞれの持ち時間は、2分間。しかも、相手に相槌を打ったり、聞いて理解する時間、答えたりする時間も含んで2分間、ということ。こんな短時間では、何も伝わらないと思う。同じ、仕事を休んでからだをあけなければいけないのなら、貴重な時間対比、最大の成果をあげたい、と私は思います。せめて、10分間。その時間を先生が忙しすぎて取れないというのなら、親のほうを、学校に呼びつけてもらえばいい、と思いました。先生の労力を極力減らして、こちらが学校に出向けばいいと思います。労力対比、あまりにも意味が無いのでは・・と気になった、今日のニュースでした。 ★ ・ ★ ・ ★ ・ ★ ・ ★そうそう。教育絡みで、とんでもない情報を見つけてしまったので、ここに書いておきます。先日、柔道選手の谷亮子が、参院選で民主党から出馬すると発表したとき、小沢一郎氏とニコニコしながら握手してたのを覚えている人も多いと思います。そのとき、小沢氏と一緒に同席していた、もう一人の人物。覚えていらっしゃいますか?彼は、「日教組のドン」と呼ばれる、輿石東(こしいし・あずま)氏。小沢氏の信頼が厚い、民主党ナンバー2の議員です。(鳩山首相を入れると3位かな・笑)その輿石氏への「ヤフー・みんなの政治」の評価が大変なことになってました。以下、そのサイトの「輿石東氏への評価」から引用します。これには、本当に、ほんっと~に、驚きました。何これ?どこの北朝鮮?という内容です。「ドキドキわり算」日教組のHPに「親子で学ぶおもしろ算数教室」なるものがあった。あまりの評判に削除されてしまったが、前置きはこうだ。「算数は大嫌い、見るのもイヤ」と思っている子、「算数や数学がこの世の中からなくなればいいのに」と思っている子は、いませんか? この教室では、算数がホントはおもしろい科目で、学校では味わえないほど “わくわくドキドキ” するくらい楽しく勉強できるんだってことが体験できるよ。「楽しく勉強できること」は、「だれもがよーくわかるようになること」、そして「おもしろいこと」なんだ(略)前書きの下には目次があって、なるほど興味を引くタイトルで、算数を楽しく勉強できるように工夫していることが分かる。 第01回 もしも世界に数字がなかったら 第02回 12を102と書く賢い(かしこい)子ども 第03回 タイガーウッズが打ったショットの飛距離(ひきょり)は? ~メートル法の話~ 第04回 「バラバラ屋」と「そろいもの(揃い物)屋」のお話 第05回 魔法(まほう)の十字(じゅうじ)「マジッククロス」 第06回 「ニコニコわり算」と「ドキドキわり算」の世界 ところが、第07回と第08回のタイトルが異様だ。 第07回 「カデナ米軍基地」と「1あたり量」 第08回 「カデナ米軍基地」と「1あたり量」その2 なぜ嘉手納基地? たいていの人は疑問に思うことだろう。算数と嘉手納基地に何の関係があるのだろうと。そこでこの第07回と第08回を見てみると、腰が抜けた。第07回から抜粋すると、 この嘉手納町(かでなちょう)には、住民が絶対(ぜったい)に入れない場所があるんだ。それはどこかわかるかな? この町の中には、フェンスで囲(かこ)まれた土地(とち)があるんだ。それが、答えに出てきた“カデナ米軍基地”なんだね。ここは、嘉手納の人たちの土地だけど、自由(じゆう)に入ることができない決まりになっているんだよ。 住民は自分たちの土地に入るために、わざわざパスポートが必要(ひつよう)で、無断(むだん)で入るとアメリカ軍の警察(けいさつ)に捕(つか)まってしまうんだ。 いま、嘉手納町の面積(めんせき)のどれくらいが、米軍基地になっていると思う? 次の3つの中から選んでみよう。 (1)3分の1 (2)半分くらい (3)4分の3以上 今から59年前まで、嘉手納町(かでなちょう)の土地(とち)は全部、住民のもので、自由に出入りできたんだ。 ところが、1945年4月に、太平洋戦争(たいへいようせんそう)で、たくさんのアメリカ軍が沖縄の島に攻(せ)めこんで来て、嘉手納町を占領(せんりょう)したんだ。戦争が終わった後、住民をみんな遠くの収容所(しゅうようじょ)に閉じこめて、その間に勝手にフェンスで囲(かこ)んで、広大なアメリカの軍事基地(=“カデナ米軍基地”のことだね)をつくってしまったんだ。 戦争が終わって59年もの月日がたった現在(げんざい)も、自分たちの土地をぜんぜん返してもらえないし、自分の土地に入ることもできないんだ。太平洋戦争(たいへいようせんそう)が起きたのはすいぶん前なので、今は平和な国だと、ほとんどの人は思っているかもしれないね。でも、沖縄では、完全に戦争が終わったとはいえないんだ。みんな、自分の住んでいる町が嘉手納町みたいだったら、どう思う? これすべて、親子で学ぶおもしろ算数教室のページから引用したものである。 極めつけは第08回である。第08回には『「カデナ米軍基地」と「1あたり量」』の授業を受けた子供たちの感想が載っている。 * カデナ基地(きち)のところには、本当だったらおじいちゃん、おばあちゃんが住(す)んでいた。嘉手納町が東京(とうきょう)より混(こ)んでいるなんて、信(しん)じられない。 * 私たちが住んでいる嘉手納町が、本当はあんなに広(ひろ)いんだと初(はじ)めて知(し)った。もし、戦争(せんそう)がなかったら、あんなフェンスもなければ、私たちの住(す)む家(いえ)も大きかったかもしれません。 * あんな怖(こわ)い飛行機(ひこうき)があるなんて、知(し)らなかった。世界の人は「沖縄(おきなわ)は海がきれいで、人も優(やさ)しい」と言っているけど、本当は「恐(おそ)ろしい島(しま)」と思っているかもしれない。 * 小さな島“沖縄”の小さな町“嘉手納町”に、こんな飛行機が置(お)いてあるなんて。この基地からミサイルが発射(はっしゃ)されたら、狙(ねら)われるのはこの島で、私たちは逃(に)げたくても逃げられないだろう。こんな小さな島に大きな基地があるので、とても怖い。 繰り返すが、親子で学ぶおもしろ算数教室である。子供たちの感想が恐ろしい。どこが算数なのだろう。算数の名を借りた恐るべき思想教育ではないか。 日教組に子供達を任せていいのか?文章の一部をネットで検索すると、ほかにもこの件について書いている人がいます。しばらく前に、話題になったコトみたいですね。私、気付きませんでした。それにしても、この「算数の教育サイト」、「日本兵が5人いました。3人殺しました。残りは何人でしょう?」という、驚きの、某アジア反日国家の教科書と変わらないんじゃない?と危機感をおぼえました。・・・ってかこの教材、最後は確実に、算数じゃないし~(苦笑)。「道徳反対闘争」をかかげてきた日教組は、民主党政権になったことで、「心のノート」廃止、という勝利を手にしています。(→資料へ)>「うそや悪口など「してはならないこと」をイラストで説明。中学では「日本人としての自覚」を見出しに掲げて、世界貢献の重要性を説いている。全学年で決まりを守る大切さを強調するなど、規範意識を自然に身につけさせる内容。の「道徳教育」に、「廃止せよ」と組織的に訴えてきた・・・。「日教組」の「ドン(=首領)」である輿石氏は、それだけではなく、公式の場で、「教育の政治的中立はありえない」という恐ろしいことを平気で口にする人です。(↑北朝鮮ですか??)そんな輿石氏を支持する日教組だから、上の(↑)話もなるほどなあと納得するものがあるのですが・・・それにしても、ひどい。日教組と北朝鮮とのかかわりは、ネットでいろいろ人が語っていますが、(→資料へ)日教組を支持母体とする民主党政権は、先軍教育の場となっている、北朝鮮の高校まで、無償化・・・血税を流し入れること・・・を、検討しています。ほかにも、外国人参政権、という世界的にもごくレアなシステムを日本に取り入れ、韓国人や中国人を、一気にみずからの票田にしようとしている動きもあったり・・・現政権のトップの思想が、心配で、心配で、なりません。現与党政権は、いったい、どこの国の「国民の生活が一番」だと考えているのか、深く悩みつつ・・・。 「私も心配」と思ったら、ぽちっと↑クリック頂けると嬉しいです ■■「 小沢一郎の正体 」■■←クリックでサイトへ謎解きは得意ですか?上記のサイトを私が見つけたのは、おととし12月のことです。今振り返ると、まるで予言のようなサイトだった、と思います。上のサイトには、まだ、「未達成」の予言も残っています。最近いろいろな事件が表沙汰になってきて、有名サイトになってきたかも知れませんが・・・まだ、読んだことがない、という人は、一度、覗いてみてはいかが。
2010/05/12
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市場、ではありません。自治体の単位としての、「市」。さて、日本で一番大きな「市」はどこ? そこはどれくらいの広さなんでしょう?知っていそうで、「あれ?そういえば、知らないなあ~」というお母さんが、多いのでは。かくいう私も、その「そういえば・・」というお母さんのうちの、ひとりです。これ、実は先日、次女サエ(12歳)が、行楽地へ向かう車の中で、ふと、私たち夫婦に、聞いてきたことでした。ふたりとも「そんなのは・・」と言ったきり、「・・・そういえば、市レベルで、どこが一番広いか、って、聞いたことないね。」と、顔を見合わせたのでした。 長女・メイが中学受験勉強のまっただ中にいた、小学6年の、夏。私は、メイの社会の成績があがらないことに、まことに困り果てておりました。高い授業料を払って社会の補習をつけても、まったく効果があがりません。社会、という教科に、そもそも向かい合う気力が無さそうな娘に、なんとか興味を持ってもらおうと、ある日、「私も勉強しよう」と思い立ち、日本のいろいろな「一番」、そこにまつわるエピソードなどを仕入れ、折に触れ、クイズのように娘に出していくようにしました。たとえば、夕飯を作っているときに、「ねえ、このピーマンだけど、どこから来てると思う?そこは、ピーマンの生産が日本一の県なんだけど。」というふうに。私はそのとき、痛感しました。ああ、私自身が社会科に興味を持っていなかったんだ。そういう話題が広がらない家庭に育ったのだから、メイの弱点になるはずだわ、と。「中学受験は親の受験」という言葉を反省しながら受け入れつつ、私は、子供時代にサボった社会科を、子供とともに、勉強し直したのでした。あらためてじっくり、向かい合ってみると、社会科ってけっこう面白い!メイのためだけではなく、自分自身のためにも、これまでこの社会科という教科に興味が持てなかったことを「惜しいことだ」と感じました。「税収に比べてこんなに借金があって日本は大丈夫なの?破産しちゃうでしょ?」資料を指さしつつ質問してくる娘に対し、具体的にどういう解決方法があるか即答できないなど、あのときの私は、まったくもって勉強不足の親でしたが。苦しくもなつかしい、子育て失敗体験です。 さて、受験のときにいろいろ調べたはずの私でしたが、意外なことに、「市の広さランキング」に関してはまったくのノーマーク。「う~ん、調べようって、思ったこともなかった。わからないわ。」と娘に謝るしかありませんでした。後日、夫が、「はい、これ。この前のこと、わかったよ。」と紙切れを渡してきたので、なんだろう?と覗きこんでみると。紙には、こう書いてありました。---- 高山市(岐阜県)2,179.67平方キロメートル 島しょ部分を除いた東京都とほぼ同じ面積 ---- 「あ!この前の『一番広い市』?調べたの?」「うん。あとでサエに見せてやって。」サエに教える前に、私自身が仕入れた知識も加えたくて、そっと、ネットで調べてみると、なんとこの高山市、>「香川県・大阪府の面積より、広い」と、あるではありませんか!日本一面積の小さな市 蕨市(埼玉県)は、わずか 5.10平方キロメートルです。高山市は、2000平方キロ以上。この差はそうとうあるなあ、同じ「市」といっても、ずいぶん違いがある~!と、メイの受験以来、久しぶりに新鮮な感動を味わいました。大きな市。小さな市。山ばかりの市。長い海岸線を持つ市。市ばかりでなく、町や村や、それから区。酪農の町、漁業の町・・・市区町村は、一つ一つにそれぞれに人々の命と生活がある、大きな、特徴ある生き物のようだと思いました。・・・今さら、『まるで子供みたい』ですが(笑)。 ポチッと応援(↑)頂けると嬉しいです ★ 私のブログ内の、最新教育ネタ日記へジャンプ! ★ ↓ ↓ ↓ ↓ ◆玄関先で立ち話、家には一切入らず…家庭訪問に“異変”◆
2010/05/05
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国母選手が8位という結果を出しましたね。腰パン騒動は、競技前の彼にとっては「いい迷惑」な「雑音」だったのでしょうが、競技の様子を見た限りでは、メンタル的に揺さぶられた気配はぜんぜんなかったようです。(本人もそう言ってましたし。)彼のこれまでの、スノーボードにかけた日々のためにも、彼を支えた人たちの期待に応えるためにも、『精神的に転ばずに』突っ走れたことは良かったんじゃないかなあと思いました。この問題は、報道された当初からいろいろ考えさせられました。私がニュースを見て、一番最初に受けた印象は、「『税金』と『国家』という後ろ盾のもとに公式に出ていく場で、あの服装は『論外』だよ、いったいどうしちゃったの?」ということでした。そしてそれと同時に、「21歳にもなって、社会人として公式に出ていく場で、腰パン?幼稚だなあ。」という非常に強い「違和感」も感じたのです。我が家の息子は今、19歳ですが、私は我が子の友達など、周囲をみて、「公式な場(=制服など)で腰パンを履くのは、高校で卒業するもの」と思っていたからです。(日頃のファッションは別。)そのあとの、国母選手の、謝罪記者会見の応答の様子をみても、やはり、非常に年齢不相応な、「幼さ」を感じました。その後、私はテレビを見て、国母選手は4歳の時から練習を始めて、11歳でプロ資格取得など、幼児期から、相当多くの時間を、この競技のために費やしたということを知りました。私がそのことを知ってすぐに思い出したのは、スポーツで幼い頃に芽が出て、ずっと英才教育をされてきた、知りあいのお子さんたちのことです。スポーツ英才教育をされていたあるお子さんが小学6年生のとき、お母さんがふと、「うちの子は普通の子なら当然知っているようなことを知らない。スポーツに取られる時間が多く、友達との社会的体験が少なく、精神面が幼くて悩んでいる。たぶん、(社交性・精神面での)中身は3年生くらいなんじゃないか。」と言っていたのです。驚いたことに、私はそれとまったく同じ話を、もう一人の、スポーツで芽が出て英才教育をされている子のお母さんからすでに聞いていたのでした。幸い、その子たちの競技は礼儀に厳しいものだったので、ことお行儀や常識に関してはコーチや仲間との関係で培うことができたのだと思います。でも、国母選手の場合は、どうだったでしょうね?競技の伝統上、そういった態度を特に厳しく要求してこない場合、その常識が作られるチャンスが極端に少なかったかも知れない、と私は思いました。普通なら、それでも、「21歳の妻帯者にもなって常識知らずなのは、育てた親が悪い!」となると思いますが、ごく普通の、常識的な夫妻の子でも、「中学・高校時代はつっぱる」子がいます。親がどんなに「人さまに後ろ指をさされることがないように」と言って育てても、服装を崩し、きちんとした受け答えを「あえて」しない時期があったりするじゃないですか。私は、国母選手を、果たして、「21歳の妻帯者である成人」とみるのが正しいのかどうなのか、と思いました。彼はスポーツに時間をとられ、21歳の社会人として、当然あるところまで、社会面精神面が成長することができなかったのではないか、と思ったのです。きっと今はまだ、心の中が「つっぱることがカッコイイ」=17歳くらいなんじゃないかしら、と思いました。つまり、あと2,3年もすれば、社会面での精神的成長が追いついてきて、「あ~、あのときはカッコ悪かったなあ」と、気付くのではないか、と。(※公式的な場での着崩しとキチンと応答ができないのは「カッコ悪い」ことです)昔、スポーツの英才教育をされていたお子さんのお母さんから聞いた、「この生活を続けることで、この子が人生で得るものはあるけど、失うものもあると思ってる。いつまで選手でいられるかわからないし、最後まで上り詰められるのは一部の子だし、まあ、複雑だよね。」という言葉を思い出します。国母選手の、彼なりの限界を突き詰めていく日々は、常人では考えられない、厳しいものだったことでしょう。もし、国母選手に、『精神的な苦しさを表に見せない代わりにつっぱる』という、ティーンエイジャーの青少年特有の発散行動に近いものがあらわれたのだとしたら、私はあと数年間、彼のことを、待ってあげてもいいかな、と思いました。ただやはり、社会人の常識としてNGであったことは明白ですので今後、「礼儀の徹底」などは、選手団としての一定のレベルを保つため、『選手の常識に頼らない』事前のマニュアル作りなど、対応が求められるでしょう。国母選手、お疲れ様でした。競技中のあなたは、まるで野生の狼のようで、とてもカッコ良かったです。社会面でも、これからゆっくり、いい大人になるよう、期待しています。私たちの目には、一部のものしか映りませんから、こういうことについて考えるのは難しいですね。残る競技に出場する、すべての選手の活躍を、心から祈っています。↑クリック応援いただけましたらうれしく思います。緊急!→■■「 小沢一郎の正体 」■■←クリックでサイトへ!上のサイトを私が見つけたのは、おととし12月のことです。最近は色々事件があったので、有名サイトになってきたと思いますが、まだ読んだことがない、という人は、今こそ必見のサイトだと思います。
2010/02/18
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このブログをいつも読んでくださる皆さんへ。ご心配をおかけいたしましたが、我が家の長男・リョウは、無事、1月17日・18日の大学入試センター試験を終えることができました。この季節は毎年雪が多く、また、インフルエンザも流行するのでドキドキしていたのですが、ありがたいことに、試験当日は晴天にめぐまれ、安心して送り出すことができました。また、リョウ自身も、万全の体調で、試験に臨むことができたようです。・・・ただし「勉強」の準備は「万全」とはぜんぜん言えない、頼りない状態だったようですがつくづく、大学受験ってのは親が手を出せない世界だ、と痛感しました(←心の空模様)帰りがけに友達とラーメンを食べて、夜遅く帰って来たリョウに、「試験の正解、明日の朝刊で答え合わせをするんだよね?」と、落ち着かない心境で聞くと、彼はさっとケータイを取り出し、「正解なら、すぐわかるよ。」と言って、あっという間に自己採点してしまいました。今は、試験当日の夜に、ケータイでもネットでも、「答え合わせ」ができるようになっています。私は世にインターネットというものが普及し始めて間もない頃からの「ネットのキャリア」があるはずなのですが、この日はそのようなサービスがあることに、全く思い至りませんでした一瞬ぽかんとしたあと、「ネットって、本当に便利だね」と、子供のようにリョウのケータイを覗きこむ私からは、時代に取り残されてる感が漂っていたに違いありませんそれにしても、新聞は、迅速さでネットに負けるだけではなく、国籍法改正という、極めて重大な法改正のニュースさえろくに読者に伝えないし・・その問題点を突く鋭さもないし、将来に思いを巡らす思考力もないし、正義を貫く覇気もないし。この夜、私は、床につきながら、もう、新聞なんていらない時代がきたのかも、って本気で思いました。さて、試験が終了した翌日、さっそく、大手予備校から、大学入試センター試験の予想平均点が発表されました。(以下、緑色の反転部分は産経ニュースサイトの引用です) ◆【センター試験】平均点は下降と各予備校予想◆ 大手予備校が18日夜にまとめた大学入試センター試験の予想平均点は、文系の6教科7科目型(900点満点)が代々木ゼミナール568点▽河合塾547点▽駿台・ベネッセ563点で、それぞれ昨年より5~24点下降した。得点調整はない見通し。科目別予想平均点は次の通り。 【代ゼミ】英語(筆記)121点(リスニング)26点▽国語117点▽数学I・A68点▽数学II・B48点▽世界史B57点▽日本史B63点▽地理B62点▽現代社会63点▽倫理70点▽政治・経済63点▽物理I66点▽化学I66点▽生物I58点▽地学I64点 【河合塾】英語(筆記)115点(リスニング)24点▽国語114点▽数学I・A63点▽数学II・B49点▽世界史B58点▽日本史B59点▽地理B66点▽現代社会61点▽倫理69点▽政治・経済68点▽物理I61点▽化学I67点▽生物I56点▽地学I60点 【駿台・ベネッセ】英語(筆記)120点(リスニング)27点▽国語116点▽数学I・A68点▽数学II・B48点▽世界史B61点▽日本史B60点▽地理B63点▽現代社会63点▽倫理68点▽政治・経済66点▽物理I65点▽化学I67点▽生物I55点▽地学I59点こうして上のデータを見てみると、科目によってずいぶん平均点が違います。試験問題を作る側としては、せいっぱい、点数の差が出ないように頭をひねるのでしょうが、同じ「地歴公民」の科目の中でも、教科書の厚さや難易度、記憶しなければならないことの数が違っているためか、「易しい」「難しい」という差がどうしても生まれてしまうようです。リョウのお友だちの中には、「記憶することが少なくて済むから」という理由で、高校3年になって突然、学校で履修していない「倫理」に受験科目をシフトして、自学自習でセンター試験に臨んだ子もいます。また、「理科総合」という科目を、ぜんぜん勉強しないまま「とりあえず受けてみた」という子が、すごく良い点数(85点)を叩き出したそうで・・科目間の難易度の差というのは、やはり、少ないとは言えないようです。こういった話をいくつも聞くに付け、「自分にとってより良い点数を取るために、受験科目を何に決めておくか?」という作戦を、早い段階で立てることが、センター試験を有利に運ぶ1つの要素になるのだと感じました。もっとも、「倫理」や「理科総合」が受験科目に入ってない学校は受験できませんので、受験する学校と学科が早くから決まっていることが一番です。そして一番大切なことは、大学によっては、「学校で履修していない科目の受験は許さない」ところもある、ということです。自学自習で100点を取れる自信があっても、入学願書と共に同封する「調査書」の、高校時代の履修科目と当日の受験科目が一致しなれば受験資格が無いところもあるのです。リョウの受験の経験は、次に続くメイの受験に生かしたいと思います。リョウは、「ここに行けたら・・」という思いで、「センター入試」と「一般入試」の2つの入試方法で願書を出しておいた大学があるのですが(この2つのエントリーだけで受験料5万3千円・・うう。)幸いなことに、この学校の合格可能性にかんしては、『A判定からB判定のあいだ』という希望の持てる数字をいただくことができました。(↑予備校によって合格可能性のパーセンテージが少しずつ違う。ネットで調べられます。)あとは、本人が「正解」だと信じているところに、ちゃんとマークしてあるといいのですが・・。(記入欄を一段ずつ、ずらしてたらどうしよう~~。リョウは小さいときはいつもパジャマのボタンを掛け違える子だったし!)できればこの春には、この受験戦争から脱出して欲しいものです。ふう。ところで、リョウが万が一、浪人生になったら、この精神的苦痛があと1年間続くのでしょうか??長い目で寛大に子供をみてあげたい、と日頃から思っている私ですが、この心理的負担には長時間、耐えられそうもありません。何もしなければしないなりに、悶々と悩むのがわたし的親心です誰にも失敗はあるから、結果のことは心配しなくていいよ、と言いつつも、心の奥底では、できればこの年度内でケリを付けて欲しい!と、願ってしまうのでした。
2009/01/19
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毎日新聞のニュースサイトに、こんな記事がありました。(以下、記事のコピーです。)★ ★ ★ ★ ★>若者の成人式離れを止めようと千葉県浦安市が地元の東京ディズニーランド(TDL)で毎年開いている成人式の昨年度の経費が、1人当たり6270円(総額約770万円)に上り、他都市を大きく上回っていることが分かった。浦安市では、公共料金の値上げが相次ぎ、公金支出に厳しい目が向けられており、議会でも疑問が出始めている。【袴田貴行】 TDLでの成人式は02年に始まった。入場料の4930円(1000人以上の団体料金)は市の全額負担で、式後は園内のアトラクションを楽しむことができるため出席率も70%超と高く、「荒れる成人式」の抑制効果もあった。 一方、他都市の1人当たりの経費は、大阪市560円▽名古屋市850円▽福岡市1400円▽札幌市750円など。同様に遊興施設「としまえん」を会場に使う東京都練馬区でも1480円で、浦安市は突出している。 同市では10月から、体育館などの公共施設の使用料や住民票、印鑑登録証の取得手数料が引き上げられる。25日に閉会した市議会9月定例会でも、東京メトロ浦安駅前などの市営自転車駐輪場使用料を来年度から1カ月310円から470円に値上げする条例改正案が提案され、可決されたが、本会議で反対討論を行った広瀬明子市議(無所属)は、成人式の経費を引き合いに「市民生活に密着した部分を値上げする前に、チェックすべき公金支出がある」と批判した。 市教委生涯学習課によると、今年1月の成人式には1228人が出席し、開催経費の約770万円は過去最高。宮木規男課長は「(会場選定などは)新成人の意向を尊重しており、初めからTDLありきというわけではない」と説明。 TDLでの成人式に参加した会社員、田中裕子さん(25)は「浦安育ちの若者にとって、ディズニーには特別な思い入れがあり、『今日だけ思いっきり騒いで、明日からまた仕事や学校を頑張ろう』という気分になれた」と話す。 これに対し、ジャーナリストの大谷昭宏さんは「後期高齢者医療制度やガソリン税などで皆が悲鳴を上げている時に、700万円もの血税を成人式に使うべきではない。ディズニーに思い入れがあれば個人的に行けばよく、行政が若者に擦り寄る必要はない」と指摘している。・・・・以上、9月29日15時1分配信の、ネットの毎日新聞より。 (記事は http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080929-00000044-mai-soci にあります)★ ★ ★ ★ ★というわけで、浦安市について、調べてみました。以下、情報ソースは「浦安市」の公式サイトからです。まず、浦安市の人口 → 15万4585人 ・・・お?意外に少ないですね。歳出額(A) → 520億6759万円 ・・・・ふむふむ。人件費(B) → 119億1942万3000円 ・・・え・・?人件費率(B/A) → 22.9% ・・・・人件費率22.9パーセント、って、大きすぎやしませんか資料をみると、市職員の一人当たりの平均給与は712万8000円とありますから、一人か二人、職員が減れば簡単にやりくりできる金額ですよね?成人式にかかる経費770万円って・・・。 なんだか、削るならこの119億円という莫大な人件費の中からどうにかやりくりできるんじゃないかしら、と思ってしまいました。このニュースをおさらいしてみると、浦安市の人たち15万4585人が、その年度の成人1228人に対しお祝い金(TDLの入場料)として税金から払った金額は、約770万円。これを市民一人当たりで計算すると、49.81円になります。(赤ちゃんも寝たきり老人の人も入っちゃうけど)仮に、我が家から子供も大人も、一律同じお祝い金を出したとすると、うちは5人家族なので、世帯としての負担は249円になります。夫婦だけの世帯なら、二人合わせて99.6円の負担、ということです。ざっとした数字を把握するために、物価上昇率とかチケット代はずっと同じじゃない、ということは無視して考えると、浦安生まれの0歳の赤ん坊が100歳で死ぬまで、毎年49.81円の新成人へのお祝い金を払い続けたとしても、100年間で4981円の負担です。その子が自分の成人式でもらえるチケット代4930円と相殺すれば、負担は100年間でわずか51円、ということになります。ところで、今、我が家の小学生の子供の、地域の子供会活動(ゴミ拾い行事のときの子供のジュース代とか、絵画コンクールのときの紙代、地域のスポーツチームの助成金など)に払うお金は、子供一人当たり・毎月750円です。小学生の子供がいる家庭では年間9000円、(ふたりの場合はひとりの場合より割合が安くなりますが)地域の子供育成の手助けに払っているわけです。この9000円は、全部が我が子のために還元されるのではなく、広く地域の子供たちの活動に関係して、さまざまに使われています。いちばん多く使われるのは、たぶん、6年生の子供たちの卒業記念行事(遠方への日帰り旅行。子供の負担は無し。経費はひとり4000円くらい)に対して、だと思います。6年生にとっては愛着ある子供会の最後の旅行なので子供たちも楽しみにしていますし、我が家の、卒業した高学年の子供たちにとっても、この旅行は思い出深いものとして心の宝物になっていますので、毎年卒業生を旅行に出してあげられることは、いいことなんじゃないかな、と思います。(※我が子供会の負担金額は周辺に比べ大きいほうですので、ご承知おきください。この金額の1/5で運営されている子供会もあります。)子供会ですらそういう金銭感覚(年間育成費9千円/一人)で動いているところがあるくらいですから、浦安市民が毎年、地元で育った新成人に、49円から250円くらいの、世帯としてのお祝い金を支払うくらいは、その街の、これからのかけがえのない財産としての若者へのはなむけにそれほど嫌な税金の使われ方ではないのでは・・と思いました。(私は浦安市民じゃありませんが・・)もう1つ例を出すと、我が街では、毎年、自治体の交通共済(怪我の場合、見舞金上限1万円を支給)に年間300円を支払うことが勧められています。この300円は、掛け捨てです。そして、もしものときに支払われる金額は、1万円です。事故ってお見舞金をいただいたとしてもたいした補償じゃありません。傷害保険は自分で入ってるから要らないなあ、と思いつつも、自治会長さんが集める地域の共済ってことで、お付き合いで払っている人が多いんじゃないかと思います。自分が住むコミュニティーの為に、そういうお金の使われ方が日常的にあるのですから、浦安の、「成人式のお祝い」の49円~250円という金額は、使い方としては気持ち良く支払えるものなのでは、と私は思うのですが・・・。「700万円もの血税を成人式に使うべきではない」「行政が若者に擦り寄る必要はない」って、なんだか寂しい考え方だな、と思ってしまいました。行政って、誰の為にあるのでしょう。浦安で育った子供たちは、その「誰か」の中に入るのでしょ?浦安に住む、あとほんの少しで大人になる子供たちにとっては、ディズニーランドは幸せな子供時代の象徴でしょう。子供時代に別れを告げる場所として、また、今度は大人になり、地域の子供や老人たちを支える立場になるのだということを自覚する場として、浦安の若者にとってそこが最適な場所であれば、浦安らしくやったらいいと思います。それが地方の特色を生かした分権の良さだと思いますし。さぬきうどん成人式。一人1つこけしプレゼント成人式。海辺で成人式。成人式は、一生でたったの1回しかありません。そのコミュニティーが育て上げた、貴重な若者たちのためにある、一生に一回きりの大切な成人式なのですから、うまくやりくりしていい思い出を残してあげることも、行政は課題にして欲しいな、と思いました。 ★ ★ ★ ★ ★この記事、書きかけたまま仕上げる間もなく時間が過ぎてしまったので、捨てちゃおうと思っていたのですが・・。昨日、「たけしのTVタックル」で、天下り組織に1ヶ月あたり1兆円の税金が流され使われていると聞いて、行政って、血税って、いったい誰の為にあるんだろう・・って、あらためて悲しく思いまして・・・一週間遅れの古い話題ながら、UPした次第です。ちなみに、浦安市の名誉の為に申し上げますと、我が街の、歳出額に対する人件費率は、19年度実績で、なんと26%、浦安市よりはるかに莫大です。(学校の先生の人件費は、このなかに入っていません。)そして、このことは、我が自治体のHPのどこにも開示されていません。浦安市と違って、ね。浦安市は我が自治体に比べたら、市民に誠意ある対応を見せていると感じました。★ もっと浦安市のことを深く掘り下げて多角的に研究してみたい、自分の頭でじっくり考えてみたいという方は、浦安市の公式サイトへどうぞ(↓) ■浦安市職員の給与・定員管理等についてお知らせします(平成19年度)■
2008/10/07
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公立小・中学校の子供たちと、該当年齢のお子さんをお持ちの親御さんたちが見たら、うつろな笑いとため息が漏れてきそうな調査結果が出ました。タイトルに続く「でも“いい子”が成績もいいとは限らない?」というとぼけた一文にカチンときましたが・・以下、9/10のYahoo!ニュース(情報ソースは産経新聞)からです。★ ★ ★ ★ ★>8月29日に文部科学省から結果が公表された全国学力テストでは、児童生徒の生活習慣などについてのアンケート調査も同時に行い、「家族と学校での出来事について話をしている」「平日にテレビなどを見る時間が短い」子供の方が、正答率が高い傾向が明らかになった。(中略)文部科学省のまとめによると、「家の人と学校での出来事について話をしているか」という問いに「している」と答えた小6の国語Aの正答率は68・9%で、「全くしていない」と答えた児童より13・5ポイント高く、この傾向は中3を含め全科目で共通していた。 平日にテレビやビデオを3時間以上見る子供は、小6は昨年度調査より11・8ポイント増の45・8%、中3は同6・4ポイント増の38・8%と、ともに大きく増加。正答率との対比では、小6の国語Aで「1時間より少ない」は69・0%で、「4時間以上」の61・4%を上回るなど、相関関係が表れた。(中略)子供への「家の手伝いをしているか」という問いで、中3数学Aの正答率が「あまりしていない」が66・7%、「よくしている」が60・1%となるなど、世間で“いい子”とされる子供の方が成績が低くなる結果も。文科省は「平均点ではそうだが、得点分布などを加味した分析では相関関係は表れていない」とし、生活習慣と学力との関係についてより深く分析を進める考えだ。★ ★ ★ ★ ★「生活習慣と学力との関係についてより深く分析を進める考えだ。」ですってさ・・。夜も更けたことですし(=現在時刻午前1時)こんな時間にキリキリ怒るのは身体に良くなさそうなので適当にしたいと思いますが・・せっかくこんなにも日本の教育の現状を捉えていない、ザルみたいな調査がおもてに出たので、記念として日記にサクッと貼っておこうと思いました。(※『記念』ってのも自虐的な表現ですが・・『晒す』って言葉も好きじゃないので。)この調査では、「TVの視聴時間」「家族との対話時間」「手伝いをする時間」についての質問をした生徒に対し、2つの重要な調査要素が抜け落ちていると思います。第一に、「あなたは塾や塾の宿題に、一週間に何時間費やしていますか?」という質問、第二に、「両親は共働きですか?(1日のなかで親とコンタクトをとれる時間はどれくらいですか?)」という追加質問です。この調査が、公立教育を良くしたいという願いと研究心に基づいているのなら、(1) 3割削減によってその存在意義が増した「塾」というものが、子供たちの放課後の生活時間にどれだけ食い込んでいるか、ということについての関連性の調査と、(2) この不景気によってにわかに増えた共働き家庭の多さ(=親が子供をかまっていられない現状)についての調査を、上の「TV~」「お手伝い~」「対話~」の質問と絡めて調べなければならないはずです。「子供たちの生活時間の中での、塾の関わり度」と「経済的に子供に関われない共働き家庭がどれだけ増えたか」、という要素を調査の素材として加えなければ、そこからみちびき出される結果は非常に片手落ちなものになると思います。「お手伝いをあまりしない」「TVをあまり見ない」という子供たちに高い成績結果が出たのは、その多くが塾や塾の宿題、習いごとに時間を取られているからではないか、と私は思います。塾通いをしている子は、TVを見る時間がとても少ないです。通塾(&家での塾の宿題)に放課後の時間を大幅に取られ「TVを見ることができない」からです。「お手伝い」は大切なことですが、習い物や塾に通っている子供は、当然、お手伝いをする時間を削られて生活しています。(身体が2つあるわけじゃないんだから。)それくらいのことは、今の公立教育の体たらくと各家庭の自衛策がどうなっているか、ということに思いを巡らしてみれば容易に想像が付くことで、そこを見越して「塾とその宿題に費やす時間」という要素と「親が勉強をみてやれる状況か、そのような余裕は無いか」という要素を調査に盛り込むのは当然のことだったろう、と思います。でもその点は見事にスルー・・・文部科学省さん。わざとですか?(苦笑)それとも、この質問こそがまさにこの調査でもっとも重要な要素だってこと、ぜんぜん思いつかなかったのでしょうか??いい大人が、揃って頭をつき合わせても???小学校高学年の夏休みの自由研究程度に調査内容を練れば、当然調べるべき要素だと気付くと思うのですが・・。文部科学省の、3割削減の貧弱な教科書で、大失敗の学習指導要領通りに学ぶしかなかった子供たち(=塾に通えない・両親が多忙で家庭でのフォローが受けられない)が、公立学校の教育力低下のあおりをもろにかぶり、学力が低下したこと。経済的に恵まれた子供たちが、TVを見るはずの時間に塾に通い、お手伝いをするべき時間に塾に通うことと引き換えに、学力を手に入れたこと。これらの相関関係を、せっかくはっきりとした数字によって示すチャンスだったのに・・。「(お手伝いをしている子の学力が低いこととの)相関関係は表れていない」「生活習慣と学力との関係についてより深く分析を進める考えだ」と締めくくるとは、何ごとか。その生活習慣とやらは、あなたがた文部科学省の失態によって不幸にも子供たちが背負わされていること、国の運営がうまくいっていないことが不景気を継続させ、子供たちから両親を取り上げているかもしれないことに、少しくらいは目を向けてもいいんじゃないでしょうか。何度も言いたくないけど、この調査にどれだけ税金が注ぎ込まれているのか、これに関わった人がどれだけのお給料を税金から貰っているのか、想像するだけで腹立たしい思いがします。(調査費用・・TV局さん、調べて貰えませんか。ブログの足跡を見ると、かなりたくさんのTV局・放送局さんからのアクセスがあるので・・ぜひお願いしたいです。)★ ★ ★ ★ ★今の子供たちがかつてにくらべ、どれだけ学習塾や通信教育に時間を取られているか。3割削減のゆとり教育になる以前の時代(週休1日だった頃)から現在にいたるまでに、どれほど日本の教育内容が転落したか。そして何より、ここ数年間を顛末を目の当たりにしてきた親なら当然知っている、子供たちの怒り・悔しさを一番わかっていないのは、一体誰なのか。この調査結果は、その元凶に気付かせてくれたという点では、意義あるものだったかも知れません。しつこく書きますが、この国をより良き未来へと導くことができるのは、子供たちです。大人の役目は、子供たちに未来という荒野を切り開くために使える武器、安心して生きていけるだけの宝物を手渡してあげることだと思います。武器と宝物とは、確かな学力の他に、放課後思いっきり遊び友達や自然と友情を育むこと、自分だけの豊かな時間を持ち、自分や家族の心とじっくり対話する時間的余裕を与えられること・・だと思います。そういう時間を限られた24時間のなかに捻出するためには、何より貴重な日中を過ごす公立教育が充実していなければならないと、私は思います。「生活習慣と学力との関係」ですって?くれぐれも、子供たちの学力低下を家庭のせいにしないでね、と思ったニュースでした。
2008/09/10
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画像は、文部科学省が最近、小中学生の子供を持つ全世帯に配った「生きる力」という小冊子です。ここ数年間の削減プログラムは将来、「もっとも悪しき暗黒の数年間」として日本の教育史上に名を残すと思いますので、方針転換を告知する政府発信のこの小冊子の画像を、記念に貼っておきます。(記念ってのも自虐的な表現ですが。) リョウ(17歳):「この表紙、『かかかかか・・・』って読めるな。」私 (=母) :「『か』じゃなくて、『力(ちから)』だよ~。」リョウ(17歳):「わかってるよ。何か笑えるな、この軽い表紙。」 ★ ★ ★この小冊子が配られた趣旨は、「3割削減プログラムっていうのを試しにやってみたら子供たちの学力が国際的な水準から見て低い状態になってしまいました。色々問題があるみたいだから、改善してみます。時間数とか演習とか、増やしてみます。」という内容を、保護者に伝えることだろうと思っていました。そのつもりで、「こんな火をみるより明らかな悪政に子供や現場の教師を巻き込んでおいて・・詫びのひと言でも書かれているだろうか。」と思いつつ、表紙を開いたのです・・・が。表紙をめくったとたん、一行目に大きく「生きる力」をはぐくむという理念はこれまでも、これからも大切と強気のひと言が書かれていて、唖然。貴重な1ページを、このたった3行の言葉で消費・・この冊子を全国に配るのに、どれだけ税金がかかっているんだろう。かけがえのない血税対比、もっと真剣に紙面を構成して欲しい。ページごとに背景のベタ塗りカラーを変えるなんて、お金をかける必要は無いのでは・・空間だらけの構成。15ページも要らないよ~。脱力しつつ読み進みましたが・・・その後も最終ページまで続く、強気というか、終始平静を装いながらこれまでの責任を認めない、それでいて言い訳がましい調子に、ウンザリ。一番大切なことなのに、たったのひと言も言及されていませんが、この削減の一番の問題点(=もうすでに卒業した子供、適齢期に学習機会が与えられなかった子供へのフォローが一切無い)にかんしては、「この時代のツケ(=政府の失敗)は全額子供本人が支払え」ってことなのでしょうね。この小冊子は、在学期間がもう長く残っていない子や、悪政の犠牲となった卒業生に対しては言外に「あとは野となれ山となれ」と言っているようなものです。政府によるフォローは期待はしていなかったけど、このみごとな責任者不在っぷりには、ため息が出ました。削減期間中のわずかな数年間に在学した子供たちが一生涯、ことあるごとに「削減世代」と呼ばれ、差別され続けるかも知れないことに、政府関係者は、ほんのちょっぴりでも心が痛んだりするのでしょうか。・・痛むわけないか。自分たちはありえないくらいの大金を貰って辞めていく、輝かしい未来しか無いもんね。せめてこれに関わった官僚には、責任を感じて天下りを自粛して欲しいものだと思います。 ★ ★ ★この3割削減プログラムが、そう遠くない日に中止されるだろうということは、実施以前から専門家によって指摘されていたことです。ですから 現在子供を持つ親で この小冊子の存在自体に驚いている人はいないと思います。実際の話、政府が「これからこうするから。」と書面を放ってくれば、親は黙って受け取るしかありません。でも、と私は思います。この一大事の当事者である、限られた数の子供たちの親は、この失態に対し、もっともっと怒っていいんじゃないか、って思うんです。小冊子に書かれた、「生きる力」という、時代の人気者の、7人のサイン。それを全ページにサブリミナルのように繰り返し散りばめ、最後のページで『(有名人7人の方に)「生きる力」の趣旨にご賛同いただき、「生きる力」のサインをいただきました』と締めくくる。これは「非常に狡猾なすり替え」だ、と私は感じました。素直で努力家でアクのない、今をときめく時代の人気者の有名人ばかりを集め、直筆のサインを繰り返し見せ、「尊敬」の気持ちを思い浮かべさせる。そして「運命に対し真摯で従順であった人は、このように偉大になるのだ」と連想させることで、そもそもこの冊子が存在するという大問題への集中力を削ぎ、政府の失敗に対する怒りや責任問題への疑いが心に浮かばないようにする作戦・・まるで催眠商法か、巧みなマインドコントロールのようです。人間は、努力を重ね成功した人や、他者ために身を削っている人には反射的に頭を下げ、その人の言葉に 尊敬の念を抱き、素直に聞き入れるようにできています。そういった人間心理の特徴を、この小冊子はたくみに利用しているように見えます。今回、多くの人が、こういう狡猾なやり方をされたことで、この小冊子が持つ重大な、問題の本質が見えにくくなってしまったはずです。有名人のサインによって、本来心に浮かぶはずの疑問や怒りが封じられ、うまく誤魔化され大人しく納得してしまった人は多いのではないでしょうか?(※参考までに・・私の日記から、『3割削減の問題の一端が実感できるデータ』を載せた記事へ、リンクを貼っておきます(↓)「■ 3割削減が4年生から奪ったもの ■」) ★ ★ ★第二次世界大戦に突入する前、政府は何年もかけてじわじわと国民から思考力を奪っていき、国民を戦争に駆り出すことに成功しました。それは、「言いたい事を言う人を社会から抹殺する」という方法と平行して、「政府に疑問を持たない国民を育てたこと」で達成されたものです。国の運営に疑問を持たずただ従順であった結果、ある日、やっと育て上げた息子や、夫の命が・・そして自宅で暮らす、罪の無い小さな子供の命さえも・・戦争によって奪われていったのです。多くの母親は我が子に対し、膝小僧の小さなすり傷にも心を痛め、ちょっと熱を出しただけでも大病の危険に怯え、この子の命に代わるならば自分の命など喜んで差し出そうと思いながら子育てをしていると思います。そんな我が子が、ある日、戦争に連れて行かれ・・そのまま死んでしまったら?そんな政府を止められなかった自分を「後悔」なんて軽いものを背負うだけで許せますか?私は母親になった今、遠くの世界の出来事だったあの大戦を近くに引き寄せ、未来への責任とは何なのか、考えています。もちろんさきの大戦を、当時の親達が声をあげただけで防げたとは言いません。言いたいことを言えば、特高警察の私刑によって殺される人も出た時代ですから。しかし未来を変えるカードは、いくばくかは親たちの手の中にあったはずです。私はあの当時の母親たちの、胸をえぐられるような・・まさに生き地獄のような後悔を、同じ国に住む母親として けっして忘れてはいけないと思います。このやり方に、政府の今のありかたに、賛同するのか?NOと意思表示するのか?大切な子供たちの未来を真剣に考えると、私は黙っていられない。人間の一生には限りがあります。学ぶことに適した子供時代は、人生にとって貴重な、短い、黄金の日々です。本来学べるはずだった教育を奪われ育ったことは、子供たちにとっては「可能性」という命の一部を 知らぬ間に奪われたも同然です。あれほど危険が叫ばれ、教師や有識者からの疑問の声が多かったのに、3割削減を強行し、子供たちと家庭と現場の教師に悪政を押し付けた政府に、まるで学生の実験のようにアクションを起こして「やっぱり訂正」とのうのうと変更し・・自分達は何ら痛むところのない、政府の当事者意識の無さや、子供たちの未来への責任感の無さに、私はこの小さなブログで、NOと言いたいです。子供たちの未来は、私たち母親の手の中にあります。あの忌まわしい大戦の前にも、母親たちの手の中にあったように。私は、私たち母親は、もっとも賢くもっとも真摯な、未来の監視者であるべきだと思います。 ★ ★ ★【追記】そうそう、この冊子、皆さんはどんなふうに学校側から配られたでしょうか。我が子の学校では、夏休み前の最後の参観日の、たくさんの配り物のうちの1つに紛れ込み、実に何気なく、さらりと手渡されてしまいました。クラスでは懇談会の際、重要書類は父母全員の前で先生が読んでいきましたが、ことこれに関しては「文科省から配られた新しい学習指導要領の冊子ですので、あとで読んでおいてください。」と、ひと言、あっただけです。多くの親を揃えて座らせ、教師が親たちに向けて読んだりしたら、誰かがこの冊子が本来持つ意味に気付き、不安や不満、疑問や批判を口にするかも知れません。もしそうなってしまったら、この冊子に仕掛けてある「7人のサインの魔法」・・・催眠術が解けてしまう。この催眠術の効果は、個人個人を分断した状態で読んでもらうのが、いちばん効果があがるから配り物が多く余計なものはスルーさせられる「夏休み前の参観日」にターゲットをあわせ、多くの書類に紛れ込ませて、この冊子を配った。深読みしすぎでしょうか。いずれにしても、この重要な告知を、親からの批判を最小限にして、文部科学省はうまくやり抜けたものだ、と苦々しく思います。【 追記 】3割削減によって人生の舵取りを大きく変えざるを得なかった、当時の我が家の選択については、以下の日記に詳細が書いてあります。2007年1月25日の日記『■我が家が中学受験を選んだわけ■』
2008/07/09
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3月23日の日記のレスで、サエ(小4修了)が「秘密基地を欲しがっている」と書きました。春休みの初日。サエは念願叶ってお友達と秘密基地を作り上げ、朝からお昼過ぎまで(=お腹がペコペコになって電池切れになるまで)熱心に遊んでいました。もちろん、「どこで遊んでいるか」は私に連絡済ですし、秘密基地と言っても街の中の公園内のことなので、周囲から見通しも良くバレバレですが。食べることも忘れるほどの熱中ぶりはほほえましくもあり、また、そのイマジネーションを形にする力は、頼もしくもありました。昼食のために作業を断念して一時帰宅したサエは、むちゅうでご飯をかきこむと、ふたたび公園へ。夕方になり、とうとうお日様が沈んでタイムリミットになるまで、サエはお友達とともに、徹底的に遊びたおしました。帰宅してお風呂に入ると、サエは夕食を食べ終るか終らないうちに眠くなり、ソファに倒れこんで撃沈。リラックマのパジャマのなかで正体もなくねむりこけるサエを見て、そういえば自分自身を振り返ってみても、秘密基地作りに熱中し、遊ぶのが楽しくてたまらなかったのは5年生のときだったなあ、と思い出しました。このとき、私は『そうそう、秘密基地遊びを軸にした映画があったけど、まだレビューを書いてなかったな。今日明日にでも書こう。』と思いました。映画の名前は、「テラビシアにかける橋」です。しかし今朝・・まとめかけた映画レビューをUPしようと思っていた気持ちは、TVを見て掻き消えてしまいました。大阪で、秘密基地遊びをしていた男の子が崩れてきた土砂に埋まり亡くなった、というニュースが流れたからです。サエも昨日、秘密基地遊びをしていました。きっと、亡くなった子も、サエと同じような、楽しく充実した一日を過ごしていたに違いありません。そう思うと、私はやりきれない気持ちでいっぱいになりました。実は、レビューを書こうとしていた「テラビシアにかける橋」という映画も、秘密基地遊びが招いた悲しい事故を描いています。なので、今回はこの映画のレビューを書くのは控えようと思いました。子供を「安全」という檻に閉じ込め、世界と遮断して育てることを、私は危険だと思います。しかし実際、子供が自由にのびのび遊ぼうとすると、世界には「ひょっとしたら命を奪うかも知れないほどの危険」が潜んでいることもあります。私が子供の頃のことですが、森の中に、帰還兵が住んでいたと言われる、通称「兵隊のほら穴」と呼ばれる洞窟のような横穴がありました。しかしそこは、子供同士の暗黙のルールというか、先輩(年長の子供)からの申し送りというか、とにかく、「崩れたら埋まってしまって大変なことになるから、入ってはいけない」ということになっていました。(一説には、「内部には人間に有害なガスが溜まっているかも知れない。」という情報もありました。)だから、秘密基地にぴったりのポイントであっても、子供たちがそこを根城にして遊ぶことは、決してありませんでした。思えば川も、水が底まで澄んでいるときは入って遊んでもいいけど、水が濁っているときは近付いて覗き込むことさえしてはいけない、という認識がありました。マムシが出る季節には、ジメジメしたヘビが好きそうなポイントには近付かない、ススメバチがそばにいたら、すごく大きなカブトムシがいても手を出さない、という認識もあったと思います。どんなに夢中で遊んでいても、日没のあとの最後の光のかけらが空から消える前に、家に辿り着いていなければならない、という、家庭環境を超えた、子供同士の共通ルールもありました。 【私が子供の頃遊んだ川】うまく言えないけど、昔は、子供は遊ぶことのなかにも、命の危険を伴うほどのリスクがある、という強い警戒感が常にあったと思います。そして、そういう重要なことに関する情報は、子供同士で共有し、危険ポイントや行ってはいけないところ・やってはいけないことをこまめに伝え合っていたように思います。今、自分の子供の遊びをあらためて検証してみると、親の目の届く範囲で、許可したフィールドでのみ遊んでいます。しかし今後、5年生、6年生・・と学年が進んでいったとき、目が届かない場所で遊ぶ日も、ひょっとしたら来るかも知れません。そしてたぶん、我が娘などは、このままでは警戒心不足のまま、どこへ行っても「安心して」遊ぶばかりだと思います。娘の小学校では、「ケガ人が出たから」「危険だから」という理由で、数年間のあいだに多くの遊具が消えました。一輪車、ぶら下がりシーソー、ブランコ・・それらは子供同士で「どうして危険なのか」「どうしたら危険でない遊び方ができるのか」という申し送りをされることもなく、大怪我をした先輩の伝説がまことしやかに語り継がれることも無く、子供たちの前からかき消えてしまったのです。より安心・安全な環境を整えることに大人が熱心に取り組み、子供たちが生きる環境から「危険」を排除した結果・・子供たちは、大人たちが「安全」と太鼓判を押した世界で、危険に対して学ぶ機会を極端に奪われたまま、年齢ばかりを重ねて暮らすようになってしまったと思います。今回の大阪の事故は特殊なケースで、まさか土が崩れるとは予期できなかったのだと思いますが・・このような悲しい事故が2度と起こらないために、大人は子供たちに冒険をやめさせたり、より危険を排除した安全な環境に閉じ込めるだけではなく、危険なことはどのようにして起こるのか、子供たちに伝え、想像させる努力を続けていかなければならないと思いました。それは、子供たちを伸びやかで・・でも危険な・・冒険から切り離し、忙しいスケジュールで育てている大人の責務だと思いました。私も心して、我が子に伝えていきたいと思います。
2008/03/28
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1980年からゆるやかに削減されてきた日本の公立教育の学習内容。2002年の新学習指導要領実施の際、その学習内容はそこからさらに3割削減されました。私たち親が学んでいた頃の教科書から3割削減されたのではありません。昨日、この改革が我が子(小学4年生)にもたらしたことの恐ろしさについて実感し、ぞっとすることがありました。 小4の娘・サエは、高校受験ターゲット組なので公文式の英語と算数に通っています。くもんの宿題に関して娘が私に質問してくることはめったにないのですが、今週に限って「宿題のやり方がわからない」と言います。どうやら新しい単元らしいので、みてやると、こんな問題が書かれていました。3/4=0.75 (←やり方として、3÷4の筆算が説明されています。)公文ですでに学習した単元が久しぶりに絡んでくる際、「やり方を忘れている」ということは、まあ、ありましょう。しかし小学校で学んでいることくらいは使いこなして欲しいものだわ、と思い、「こんなの学校でやったでしょう?小数の割り算なんて。」と聞くと、「初めて見た。こんなの知らない。」と言います。えー?!もう4年生も12月に入ったのにこんなに簡単なことをやっていないはずないでしょ!もうすぐ5年生になるんだよ?と言ったのですが、サエは「知らない」の一点張り。朝学習で公文の算数に取り組んでいるサエはそのやりとりの後すぐに学校に行ってしまったので教科書を確認することができず、私は娘を送り出してから、ひとり悶々と「リョウやメイ(兄姉)のときは絶対4年生でやってたはずだよなあ。」と思っていました。兄姉の教科書はもう捨ててしまったので確かめる手立てが無いし・・と思っていたのですが、ふと、リョウが中学受験勉強に取り組み始めた春・・新学習指導要領が実施された最初の春に塾から貰った「3割削減に関する資料」があったことを思い出しました。もしかしたらサエは3割削減の影響で兄姉のような勉強をさせてもらってないのかも、と思いあたり、久しぶりに資料をめくってみたのですが・・私はそれを見てことの重大さを思い知りました。当時、私は入塾対象者のリョウの学年である「6年生」の、「削減された単元」「中学に移行された単元」ばかりを見ていました。資料を見ながら、「へーえ。『メートル法の単位の相互関係』が削除ねえ。」「『展開図』と『反比例』が中学に移行って・・中学生の教科書が簡単になりすぎない?」「『比の値』は削除になってるけど、これを削除して常識的な大人になれるの?」などと色々疑問に思ってはいたのですが・・6年生の内容に関してはチェックしたものの、リョウにとってすでに終っている学年に関しては実はあまり興味が無く、よく見ていませんでした。今回のこの1件で、当時の資料のなかから「小学4年生」の欄をあらためてじっくりと見た私は唖然としてしまいました。小学4年生の、「削減&先送りされた単元数」の数の、あまりの多さに、です。算数の資料を見てみますと、1年生で上の学年に移行された単元&削除された単元は合計で4つ。2年生では6つ。3年生では8単元・・なのですが。4年生ではなんと上の学年に先送りされた単元だけで7つ、完全削除されてしまった単元がそのほかに10個もあるのです。(※先程も書きましたが、私たち親世代の教科書からではなく、あくまで1980年からじりじり削減されてきた教科書からの削減、です。)ちなみに5年生では上の学年に勉強が先送りされた単元が9個あるのですが、そのうちの4単元は6年生に移行したのではなく、いきなり中学校の教科書に移行しています。(中学校へ行って勉強することになった単元は、「図形の合同」や「おうぎ型」などです。)そして5年の削除された単元は、5つ。6年生では中学の教科書への移行が6単元、勉強できなくなった単元が7単元あります。色々とデータを並べましたが・・つまり、3割削減前の小学校教育(算数)を学んでいた子供たちに比べ、もっとも多くの学習単元が先送りされ、多くのことを学ばせてもらえなくなったのは、合計17の削除と移行を食らった4年生、ということになるのです。かつて・・3割削減前に、「小数第二位・第三位の足し算、引き算」「小数第二位・第三位×整数」「小数第二位・第三位÷整数」を学び演習していた4年生という学年は、今や3年生が学んでいた「3桁÷1桁」を学び「小数第一位」を学ぶにとどまっている・・これが、サエと私のあいだで起こった奇妙な違和感の真実だったのでした。私にとって一人目の子供である、長男・リョウ(現在高校2年)は3割削減前の教科書で学んだ世代だったため、私は「4年生で小数を学ぶんだよね」とぼんやり覚えていたのです。また、長女・メイ(現在中3)は4年生当時、削減教科書にあたったはずなのですが、幸い公文と受験塾の両方に通っていたので学習はじゅうぶんに足りており、このことには気付きませんでした。以上のような兄・姉の事情に加え、公文の計算に取り組む末娘を日々家庭で見てきたため、娘の計算能力をあまり心配しておらず・・私は、4年生の削減内容がこれほど多いということにぜんぜん気付かなかったのです。 そういえば、サエはこの単元の少し先に、0.6÷2/3・・のような、分数と小数が入り混じった計算を公文で学習するのですが・・現行の新学習指導要領では「帯分数の計算」の単元が削除されているため、3割削減世代の小学生は学校の授業で勉強しただけでは、「整数・小数・分数」が混じった計算ができなくなってしまったのです。以前、高校の先生から「高校の数学(=大学教育を目指す数学)はとても難しい」という話を聞きました。本当は理解のために時間をかけたいところなのだけど、進学校を目指す多くの私立高校では3年になる前に高校で学ぶすべての単元を終らせ、3年生に入ったらすぐに大学受験演習に入るため、ハイスピードで授業をどんどん進めるのだそうです。そのため高校に入っても中学のときのペースでまったりと授業を受ける気でいる子や、基礎がしっかりしていない子は、あっという間に取り残されてしまうため、大学進学を目指す私立高校の高校受験組の生徒の中には「学習についていけない」という理由で中途退学してしまう子が年に何人もいる・・ということでした。そのお話の際、少なくとも中高一貫校の子供は、6年間を通して同じペースで無駄なく授業をやるため、高校から大学受験を目指す子たちよりはゆっくりと授業を噛み砕く時間がある・・と聴きました。このことが大学受験に対して有利な点の1つなのだと。もちろん、進学先の一貫校の考え方次第で、大学の受験勉強への対応は学校ごとに違うと思います。高校に入るときの選抜が厳しい学校では一定ライン以下の生徒は内部高校に進学できず外部受験でふたたび出なければならないところもあるので必ずしも私立一貫校がラクな道とも言えません。しかし進路にこだわらなくても、この中学受験勉強というものが、削減教科書が子供たちから奪った学習機会を提供したり、もっと広い世界を見せてくれることに間違いはないでしょう。そういう意味では中学受験塾が悪い点を含みながらも、この国に存在する教育機関の1つのかたちとして、国の政策の足りない一端を補填し、支えていることは否めないことだと思います。このような教育機関を支えるのは、私たち親のお財布・・塾やくもんへ通塾(あるいは教材購入)している子供の親は税金とダブルで払っているわけですが・・。本当は子供の好奇心を満たし、どこまでも伸ばすのは国のお仕事じゃないかと私は思います。なぜなら国の未来は、今生きている子供たちの教育にかかっているからです。国が本気にならず手を掛けないぶん、私たち親が必死に、せめて自分の子供の未来だけでも支えなければ、と試行錯誤している・・それがこの国の、今の教育の姿なんだなとあらためて思いました。子供の教育は未来への公共投資、インフラ整備みたいなものだと思います。どうか手を抜かないで欲しい・・と昨日は切実に思いました。この薄っぺらい教科書はもうすぐ終わり、また充実した教育内容に戻っていくそうですが・・一度しかない人生の、貴重な数年間・・特に、おおむね自立を果たし、世界への好奇心が芽生え、パワーに溢れ・・学習の基礎作りに最適な10歳前後の子供からたくさんの学習機会を奪った現行の教科書・新学習指導要領にはため息が出ると同時に憤りを覚えずにはいられません。
2007/12/04
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ホテル主宰の子供向けテーブル・マナー講座に、この夏は子供を参加させようとずっと思っていたのですが・・いざネットに検索をかけてみたらぜんぜんHITしません!見つけたのは大阪のウェスィンホテルの企画だけ。(←遠すぎて参加はムリー)昨年までは3年間続けて目黒のウェスィンホテル東京でも同様の企画があったようなのですが、今年はどうやらやっていないようです。子供向け企画はホテルにとって面白みが無いのでしょうか。(ロビーで参加者の子供が騒いじゃったりとか?)どうやら諦めるしか無いようです。残念ー。私が子供の頃、母はときどき私と兄を外食に連れて行ったのですが、その際、普段の食事では使うことが無いフォークやナイフを駆使しなければならないような、子供にはちょっと敷居が高いと感じられるお店に行くことがありました。(洋食だけでなく、円卓の中華料理だったこともあります)それはたいていきちんとおしゃれをしてちょっと遠くにお出かけしたとき(=TVの公開録画を見に行ったときなど)に執り行われるもので、普段、自分の住む田舎街のレストランにピザやバナナミルクを楽しみに行くのとは全然違い、「お行儀を覚えるための外食」と言えるものでした。(※私は1960年代生まれなので、私が小さな子供の頃には気軽にナイフとフォークを使えるファミレスはまだ存在しませんでした。)小学校3年生のときだったか、左手に持ったフォークの背に右手のナイフでうまくゴハンをのせる・・ということがなかなかできず、涙目になりながら半べそで食事をしたことがあります。フォークの背に、ちょうど三角の形になるようにゴハンを乗せ口に運ぶ・・ということが当時の自分には信じられないくらい難しく、お腹が空いているのに少しも食事がはかどらないことが辛くて泣けました。きっと子供の手の力・大きさに対して、大人と同じ重いフォークは取り回しが難しかったのだと思いますが・・母は、「大変なら右手に持ち替えてすくって食べちゃっていいわよ」とは決して言いませんでした。スープ皿を向こうへ傾けてスプーンですくって・・というのも、器に口をつけて飲んでしまえばきれいに食べられるのに、と不満だったことを覚えています。母はこの奇妙な、訓練とも言える食事の際、繰り返し、「今日は『練習』だからね。失敗してもいいから、しっかりやりなさい。」と言いました。その後、高校生になったとき、私は学校が主催する全員参加の企画でホテルのテーブルマナー講座に参加することになりました。私はフルコースの作法をすべて知り抜いていたわけではありませんでしたし、普通の庶民の(笑)家庭育ちでしたから、正式な作法に則った食事をするチャンスは日常生活の中では殆ど無かったと思います。しかしその講座に参加した際、私は少しも物怖じしないで食事を楽しめる自分がいることに気付きました。友達の中には、ナイフとフォークをどちらの手に持ったらよいのか、ということすら知らない子が何人もいました。「疲れる」「うまくできない」「食べた気がしない」という言葉も聞かれたし、スープ皿を向こうへ傾けることを知らない子もたくさんいましたが、私にとってはそれは小さな子供時代に身につけてしまったことで、当然と思えるやり方でしたから、その食事はただ最高に美味しく、私はその講座のお料理を、心ゆくまで堪能することができました。そのとき、講座の講師だったシェフが「テーブルマナーはあなたがたを堅苦しく縛るものではありません。マナーを知ることは、あなたがたを自由にし、食事を心から楽しむことができるようにしてくれるものです。」と言いました。私はその言葉を聞いたとき、初めて母が私や兄のためにしてくれたことの意味の本質を理解しました。「子供時代は、練習の時代。そこで練習して身に付いたことは、社会に出たときそのまま自分の心強い味方になる。それは自分がよりのびのびと、心配ごと無く暮らすための練習でもあるんだ。」ということを・・。あの日、まだ学生ながら、わたしはいつか自分が子供を持つ日が来たら、母がそうしてくれたように子供にテーブルマナーをきちんと教えられる母親になりたい、と思いました。その後、世の中には急速にファミレスが広がり、ホテルや高級料理店に入らなくても子供にナイフやフォークを使わせることができる時代になりました。私はもちろんそのようなお店を、子供たちを連れてたくさん利用してきましたし、最低の作法は教えてきたつもりです。しかしやはり、正式な作法を一度はしっかり教えておきたい、という希望があって(=丸のままのリンゴやバナナの食べ方とか、けっこう面白いです)テーブルマナー講座に子供たちを参加させることはここ数年来の目標でした。(でも抽選に外れたり、申し込みが殺到して締め切ってしまったりして、チャンスが無いままです。)この夏休みはどこかのホテルの企画に参加できると信じていたのですが・・全然無いとは。ちょっと残念ですが、しかたがないです。今後もマメにネットでホテルの企画をチェックしていこうと思います。生きるために必要な・有用な力を子供に身につけさせるための「練習」、テーブルマナーだけでなく、考えると他にもたくさんあります。お料理、お掃除、敬語・・日常の中では漢字練習や計算練習など、目先のお勉強にばかりつい気を取られがちの日々を送っていますが、そういった人生に有用な、親にしか教えられない「練習」を1つ1つ、地味に子供たちに教えていける母親でありたいと思います。※我が家ではクリスマスや子供の誕生日には私なりにできるだけきちんとテーブルセッティングをしたいと思っています。しかしそもそも、食器の数(特にカトラリー)が圧倒的に足りないのですよね。フォークもナイフも家族人数分ぴったりしかなく、魚料理用ナイフも無し。↑このときはスープ皿の下に次々とお皿を重ねておいて、料理が1つ終るとそれをどけて次のお料理を・・という方法をとってみたのですが、↑このように一人一人にファミレス形式で中途半端にサーブして終わりにしてしまうことが殆どです。テーブルクロスも末っ子が汚し魔なのでついついランチョンマットで代用してしまうし・・真似ごとにすらなっていません家で正式な作法を教えることには限界があります。ホテルの夕食に子連れで行くのはマナー違反だし・・やはり子供向けのテーブルマナー教室の存在が望まれます。どこかでやっていないかな~。
2007/08/03
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久しぶりにネットから新鮮な感動と驚きを味わってしまいました。きっかけは・・「教育雑貨店を紹介した日記」に、友達の水琴さんからとあるサイトの情報をいただいたことでした。水琴さんのコメントは、下記です。(↓)>天体定規で思い出したのですが、>PCでじっくり時間をかけて楽しむ定規もあるんですよー。>ニコンのHPにある「ユニバースケール」です。>宇宙の果てからミクロの世界まで、ゆっくり楽しめます。>引き込まれてあっという間に時間が経ってしまうので、眠れない時やおヒマのある時にどうぞ♪・・で、好奇心旺盛な私は早速訪ねたのですが・・驚きました!その、「ゆるやか」で「濃い」、驚異の世界に・・。途中、「何も無い宇宙空間」の世界はショートカットしましたが、それ以外の「大きさ」をたどる旅路の多くを、私はサイトが設定した時間の流れに身を任せてただぼんやりと見つめてしまいました。10の26乗メートルは100億光年・・10の24乗メートルは1億光年・・私たちの銀河系が所属する、局所銀河群の大きさは10の23乗メートル、1000万光年・・人間が知ることが出来るもっとも大きな単位からもっとも小さな単位へ向かって、ユニバースケールはゆっくりと旅していきます。より小さな世界へ向かっていくこの旅では、サンプルにあがってくる1つ1つの「モノ」がスケール(定規)上に現れると、それをクリックすることで詳細な説明を得ることができます。冥王星、エベレスト、ティラノサウルス、人間、ヒマワリ、ミトコンドリア・・世界を構成する「モノ」のデータに触れつつ旅を続けていくうちに、自分自身の確かさ、そしてこの世界にいることの感動がじわじわと湧きあがってきます。とうとう一番小さな世界に辿り着いてスケールが止まり、我に返ったときは、まるでジェットコースターに乗ったあとのような、頭が奇妙にグラグラする感覚を味わいました。この精神的衝撃は、「ゆっくりと動く絶叫マシーン」って感じです。「宇宙はどれだけ広いの?一番小さな単位ってどれくらいの大きさ?」子供に聞かれても、それを口で説明することは不可能と思ってきましたが、こうして実感をともなって表現することが出来るものなんですね。コンピューター、インターネットという世界の、底知れぬ可能性に唸った、素晴らしいサイトでした。世界の大きさに興味が出てきた中学年以降のお子さんだけでなく、目の前の小さなことに囚われてちょっと疲れてしまっているお母さん(=私のような・笑)にもお勧めです。1ナノメートルは、地球を1メートルとすると、ちょうど1円玉くらいの大きさ。宇宙空間に点在する小宇宙の密度は、32km角の大きな部屋にある、1粒の砂・・・。人間の探究心、先人が築き上げてきた文明・数学の世界にため息が出ます・・・Nikon 「ユニバースケール」へは、こちらの文字リンクからどうぞ。(↓)★★★ Nikon公式サイト内「 ユニバースケール 」へジャンプ!★★★
2007/06/25
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(※この文章は、息子が私立中学受験直前の6年の夏休みに参加した、「勉強とはまったく関係ないキャンプ」のことです。キャンプでの冒険が、あの夏、息子に教えてくれたものは、その後の息子の人生にとってとても大きな意味があったと思うので、載せておきます。興味のある方は、どうぞ・・。)TVチャンピオン・無人島選手権で、63歳のニ名良日さんが、優勝されました。 アウトドア番組などでも時々活躍されているこのニ名さん、実は我が家の長男・リョウ(現在高校1年生)が11歳(小学6年)の夏に「ツリーハウスの秘密基地を作る1週間のサバイバルキャンプ」に参加したとき、ツリーハウスを作る指導をしてくださった方なのです。 ★ ★ ★ それはリョウが中学受験勉強まっただなかの、6年生の夏休みのこと。 私は街の中に住み冒険らしい冒険をしたことが無く、世界というものをあなどっている現代っ子のリョウに、「本物の世界」を味あわせてあげたいと思っていました。そして、1つの秘密基地を作ることだけに一週間を費やすという、かなり特殊な、知っているお友達が誰一人参加しないこのキャンプに、リョウを無理やり放り込んだのでした。 リョウは長男らしく辛抱強い性格の子でしたが、どうしてもそのキャンプには行きたくなかったらしく、集合場所のバス乗り場に行くまでの電車の中で、初めて妹に感情をぶつけ、叩いて、八つ当たりをしてしまったのでした。 リョウは、 「ツリーハウスだなんて言ったってさ。どうせ事前に用意してあるキットを、順番通りただ組み立てるだけなんでしょう?見なくてもわかりきってるよ。大人がお膳立てした冒険なんか、面白くない。」 とぶつくさ言いながら、重い足を引きずるようにして、キャンプ場へ向かうバスに乗り込んでいきました。 しかしキャンプ場でリョウを待ち構えていたものは、きれいな丸太のキットなんかじゃなく、見慣れない道具達と、大量の麻のロープでした。 リョウたちはキャンプ場に着くなり、若いクヌギの生えた、手入れの悪い雑木林に連れて行かれ、 「ここの林がちょうどいいだろう。ここに生えている木を切って、ツリーハウスを作るからね。」 と言われ、呆然としたそうです。 そこには切ったクヌギを運ぶための台車もリヤカーもなく、子供たちは1本ずつロープを手渡され、切った木にロープの一方の端をくくりつけ、もう一方の端を肩に担ぐようにして長い木を引きずり、秘密基地を作る森までそれを運ぶことから始めたのでした。 「どうせ腰くらいの高さの家を作ってツリーハウス、って呼ぶに決まってる・・。」 とたかをくくっていたリョウの予想に反して、ツリーハウスは普通の家の2階くらいの高さに作られることになりました。^^; もちろん、そのベースになる最初の1本の木も、皆で力を合わせて樹上にロープで引き上げることから始めたのです。 木の上に上がって作業するためにはハシゴが必要ですが、そういったものは何も用意してありません。高所作業車や脚立なんてのも、もちろんなし。 リョウは友達と協力してまずはハシゴを作る係りになりました。 長く太い2本の木を平行に並べ、足を踏み外さないようなけあげの高さを考慮して、短い横サンになる木をそのあいだに渡すようにし、1本1本の木をしっかりと麻縄でくくっていったそうです。 ハシゴが完成して樹上に登れるようになると、今度はより安全に樹上に登るために、ハシゴの両側に手すりまで取り付けたのでした! 作業のすべては、麻縄で木と木をくくる、という単純な作業の連続で進みました。 サマーキャンプならではの「焼き物作り」「蕎麦打ち」なんていう口当たりの良いお楽しみは一切なく、リョウたちは毎日ただ黙々と木を切り、麻縄を結んでツリーハウスを造り続けました。 一週間後、リョウたちは20人くらいの人間が同時に上がることができる、がっちりと丈夫な、素晴らしく広々としたツリーハウスを完成させました。 それは屋根が無いため、一見、高い樹上に作られた物見やぐらのようなおもむきでしたが、写真を見せてもらった私が「本当に子供たちがこれを作ったの?」とにわかには信じられないほどの、しっかりと安定した出来栄えだったのです。 1週間のキャンプが終わりバスで解散場所に帰ってきて、皆と別れたあと。 リョウを車に乗せると、いつもは明るくお喋りなはずの彼が、口数少なに押し黙っているのに気が付きました。こんなに元気が無いのは面白くなかったからなのかな・・と心配してバックミラーでそっとうかがうと・・。 リョウは、後部座席で泣いていました。 それも親に気付かれたくないのか、涙をぽろぽろと流しながら、声を出さずに泣いていたのです。 リョウの表情を見た私は、友達は出来た?ツリーハウス作りは面白かった?と聞こうとしていた言葉を飲み込みました。 それまで涙なんて流したことがなかったリョウのその姿が、この1週間の冒険がどれだけ素晴らしい日々であったかを物語っていたからです。 この日を境に、リョウは確実に変わりました。 リョウはこのキャンプで、異世界を大冒険してきた物語の主人公並みに、ぐーんと大人になって帰ってきたのでした。 ★ ★ ★あれから4年近い歳月が流れ、今日という日にふたたびニ名さんの姿をTVで見、リョウは画面に釘付けになっていました。 ニ名さんを見て、ぜんぜん変わってない、と言うリョウに、私は「大人は4年も経つと老けるものよ。変わってないって、すごいことだと思うよ。」と言いました。 リョウは番組を見ながら、「ああ、大丈夫かなあ」「だめかなあ、若いヤツに負けちゃうかな・・」と呟きながらニ名さんを応援していましたが、最後に海を手作りのいかだで渡る場面でニ名さんが見事逆転優勝を飾るとほっとした表情になりました。 「なあに?あの人の指導を受けたことがあるの?」と聞く祖母に、リョウは自分の部屋からすぐに、あるファイルを取ってきました。 それは、ツリーハウス作りのキャンプから帰ってきたあと、現場の写真を貼ってコメントを書いた、自主制作のレポート。 リョウはこの4年間、それを直ぐに手が届くところに、大切に保管していたのです。 そしてそのキャンプで、初めてナイフを使って自分の手で木から削り出したバターナイフと、竹を割って削って作った「竹ナイフ」や「魚を焼く串」などを祖母に見せていました。 美しいフォルムの、すべすべとした木製のバターナイフを指の腹でなでながら、リョウは 「こうやって綺麗に仕上げるには、金属製のヤスリが一番なんだ。紙のヤスリだとここまで綺麗にできないんだよ。」 と懐かしそうに話してくれました。そのバターナイフにする木の枝は、自分で「これにしよう」と選んで決めたものなのだとか。 削り出すナイフは危ないと思ったので手を切らないように慎重に扱ったそうですが、竹を細工しているとき、竹の薄い部分で手を切ってしまったとのこと。まさか竹というものが、そんなに鋭いものだとは知らなかったので、そちらへの注意は全く払っていなかったようです。安全だと思っていた小さな竹の切れ端が、驚くほど鋭い刃物になると知ったのも、そのキャンプでした。 子供に本当の冒険を味あわせたい、と思ったら、子供が少しくらいのケガをすることは恐れない度胸と、子供を信じる力が要ると思います。 刃物を持たせること、高いところへ登らせること・・。 どれもハラハラすることだけど、「本物」からしか手にすることができないものっていっぱいあって、そういうものと出会えるチャンスこそが、子供を成長させる本当の冒険と呼べるのだと思います。 そう考えると、子供に冒険をさせることは難しい・・。 やはりリョウたち、あのキャンプに参加した子供たちにとっては、冒険のプロである大人が、子供を信じてくれたということがキャンプの成功にとって大きな要素だったのだなあと思いました。 11歳のリョウがキャンプから帰った直後に言ったなかに、とても印象的な言葉があります。 「ツリーハウス作りの休憩に、みんなで近くの牧場まで散歩に行ったんだ。牧場の斜面は緑の草で覆われてて、ずーっと上まで続いててすごく急なんだけど・・上を見上げたら、頂上のほうに小屋があったの。そのとき急に大学生のサポートのお兄さんが『あの小屋まで・・』って言いかけたんだけど、僕はそのとたん全部を聞かずに走り出していたんだ。たぶん、『誰が一番にたどり着くか、競争だぞ』って言うと思って。そしたらそれが大当たりだったんだ。僕が一番早く走り出したから、一着だったよ。」 リョウは体育の成績が悪く、走るのはクラスで後ろから数えた方が早いのです。ですから、彼にとって「走ることで手に入れた一番」はきっとこのときが初めてのことだったのでしょう。 私が印象に残ったのは、単に「走って一番になった」というこの報告ではなくて、彼がこの後に付け足した言葉です。 「僕はあのとき、生まれて初めて、自分の判断で自分の行動を起こしたと思う。誰かに言われたから動いたんじゃなくて、自分で考えて自分の判断を信じて動いたんだ。自分から動いたのはほんとうに生まれて初めてだったんだよ。すごく新鮮な気持ちがした。自分を信じて一番になって、いい気分だったよ。」 ルールを守りなさい、規律を重んじなさい、お友達と仲良くなさい、誰とも公平になさい・・・。 大人たちの言うことを守り、静かで聞き分けの良い、規格にぴたりと当てはめられた子供であったリョウが、つながれた世界との鎖を断ち切って自分で飛び立った瞬間だったのでしょう。 キャンプは、私には予想もしなかった多くの世界のをリョウに見せてくれたようでした。 あれから夏ごとに同じ企画会社の広告を見ているのですが、その後ツリーハウス作りキャンプの募集はありません。代金と時間対比、内容が無さすぎ、と思う親が多いんでしょうか。 今後もぜひ続けて欲しい、素晴らしいキャンプだと思うのですが・・。 ニ名さんの番組を観たあと、私と夫は、当時は詳しく聞くことのなかった、リョウのキャンプでのドラマチックな冒険や思い出話を聞き、あの夏の一週間の日々がリョウの中にいかに大きなものをくれたのかということを、あらためてしみじみと感じ入ったのでした。 キャンプの話をしながら、私たち夫婦は・・きっとリョウもだと思うけど・・TVチャンピオンの中でのニ名さんの自然を知り尽くした素晴らしい姿、63歳の今でも変わらず、冒険王として勝者に輝く力強い姿をあらためて反芻し、たくさんのチカラをいただいたのでした。
2007/02/17
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先日、親戚宅の近所で秋祭りがあり、誘われて遊んでました。 屋台や、フリーマーケット、地元野菜の販売・・。 その会場で、盲導犬普及協会の方がPRをしているコーナーがありました。 目の不自由なご主人さまの足元に仕える現役盲導犬たち(2頭)は、周囲から自分達に向けられる、「あら、可愛いー!」「わー!すごい!見て見て!」という騒音のような声にも一切反応せず、超混み合っている道端にそのコーナーが設けられていることにも全く動じず、ただひたすら真面目に仕事をこなしていました。 (彼らは主人の足元に「伏せ」をしておもてむきは「楽にしている」のですが、目は鋭く冴えています。決して目を閉じたり、眠そうにくつろいだりはしていません) 動物大好きなサエは、その犬たちがいかに大事な仕事をしているかよくわかっていますので、 「こういうときに声をかけたりして、仕事の邪魔をしちゃいけなんだよね?」 と小声で私にささやきます。 そんなサエに、協会の方がニコニコと、 「この子たちなら触ってもいいよ」 と足元を示しました。 見ると、そこには2頭のラブラドール・レトリバーがいます。 クリーム色の体躯の彼らは、一見、現役の盲導犬と変わらないように見えましたが、よく見ると、盲導犬のワークスーツ、「ハーネス」を着けていません。 彼らが繋がれているのは普通の飼い犬が散歩のときに着けるようなリード、その先には、首輪。そして首輪の上から可愛らしくバンダナを巻いていました。 サエがにっこり微笑んで犬の目線に身をかがめると、2頭のうちの1頭が大喜びで顔を近づけてきて、ペロリ。大きな犬を少しも恐れず、すっと犬の胸に手を伸ばしてカリカリと掻いてあげるサエに(←犬は胸を掻いて貰うのが大好き)、千切れるように尻尾を振って、たちまち仲良しモードに突入です。 「この犬たちは、今日は休日ですか?」 私が聞くと、係りの方はちょっと困ったように微笑んで、 「いいえ、この子たちは盲導犬じゃないんですよ。一度は盲導犬を目指したんですが、いろいろな理由で最終的に盲導犬になれなかった犬なんです。今は盲導犬の普及のためにPRをする仕事をしています。この子たちは「リジェクト犬」と呼ばれています。」 と言いました。 「リジェクト犬。初めて聞きました・・。」 私がかがんで犬に手を差し伸べると、1頭ははにかむように、そしてもう1頭は喜びが抑えきれない、といった様子で、それぞれがしっかり私の目を見て、挨拶をしてくれました。 「こんなにいい子たちなのに。どうして盲導犬になれなかったんですか。」 「うーん、性格が社交的過ぎて落ち着きが今ひとつだとか、逆に神経質で慎重すぎるとか、理由はいろいろですね。適正が無くて落ちこぼれちゃったというか、お仕事が出来るところまで至りませんでした。盲導犬を目指す犬が全部、盲導犬になれるわけではないんですよ。」 「ふーん。簡単なお仕事じゃないですものね。そうかぁ・・。」 私が頭を撫でるとさらに興奮して喜びを体中に溢れさせるリジェクト犬。 初対面なのに。そんなに疑う心が無いと、誘拐されちゃうぞ(笑)。私はしゃがんで犬と同じ目線になると、落ち着かせるように犬の顔を両手でつつみ、正面から見つめて話しかけました。 「お前が盲導犬になれなかった理由がわかるような気がするよ。あんまり社交的で素直すぎるもの。でも広報には向いてるよね。すっごく癒し系で、あー、盲導犬普及のために私も何かしたい、って思わせてくれるもん。お前は素敵なプロフェッショナルだよ。」 犬は尻尾をぶんぶんと振りながら、でも、しっかり私の目を見て耳を傾けてくれました。 私とサエは、フリーマーケットで使おうとくずしてきた100円玉をいくつか募金箱の中に落としてリジェクト犬にサヨナラすると、盲導犬コーナーをあとにしました。 * * *営業、広報、企画室・・ 人間社会でも、いろいろな職業があるものです。 医者になるのは本当に頭が良くてすごい人たちだと思うけど、ディズニーランドの入り口で「いってらっしゃいませ。」というたった一言に心を込めてくれるキャストの存在もまた、同じくらいかけがえのないお仕事だと思うんです。 子育てをしていると、ついつい、我が子が少しでも良い成績を取れるように、少しでも・・と、漠然とした果ての無い何かを追い求めて焦りがちです。しかし社会の頂点と誰もが認識するところまで登りつめるのは、ほんの一部の人だけ。 子供を育てるってことは、そういうわずかな可能性を目指すことを教えるのではなく、子供が大人になったとき、自分がたどり着いた場所で出会った仕事を・・それがどんな仕事であっても・・誇りを持って一生懸命やれ、そのことに喜びを感じられるか、そういう人間に最終的に育てられるか、ってことなんだなあ・・と、リジェクト犬を見て、思いました。
2006/11/13
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