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6時21分の快速で羽田へ。上野からタクシーを使えば、8時発にはこの電車がちょうどいい。鹿児島についてすぐ高速バスに連絡。枕崎までは、1時間45分の行程。昼前に到着し、お魚センターでかつおの刺身定食。ブランドセミナーの第2回を実施し、ビヤホールの2階で懇談。枕崎駅前の光タクシーで、ファンカーゴーをレンタル。夕日の中を北薗くん幸田くんと笠沙へ。事前の予測を上回る海沿いの山岳コース。笠沙恵比寿はミラノを上回るデザインホテル。九州新幹線のデザイナーが作った海辺のリゾート。
2004年03月31日
久しぶりに出社。亨ちゃんとミナト。あまり進展はしていないようだ。鹿児島資料完成。徳田・大橋情報。砂田さんからリハーサル場所確保の依頼。
2004年03月30日
スリランカ狂我国。20倍カレーはへっちゃら。50倍でも平気かな?H中尾くんのPPTをゲットするのを忘れた。痛恨。自分のパートを済ませ、中尾くんの頭を聞いて駅へ。7時半のANAを5時半のJALに変更。帰路、九段におみやげを放り込む。朋子さん、いつか。
2004年03月29日
11時前にハミルトンをチェックアウト。徒歩で札幌ガーデンパレスへ。チェックインは15時とのことで荷物をあずけて街へ。グランドホテルの地下の佐久良でラーメン。ステラプレイスの本屋でブランド関連書籍をチェック。ビッグカメラでモバイルパソコンを下見。レッツノートかな?14時ホテルへ。PPTづくり。ホテルの地下のすし屋「ほ」。ダメでした。7000円。
2004年03月28日
5時起床で空港へ。千歳空港まで約2時間。札幌に出て観光案内所のインターネットでホテルをさがす。アマリックス330は満室。ロイネットは喫煙ルームがなく、札幌医大病院前のハミルトンホテルへ、ブロードバンドではあっても、商人宿だよこれじゃあ。昼はJR駅ビルのカレー研究所。時間前だけどむりにチェックイン。2時半のライラックで滝川。砂川で降りるのをやめたのが失敗。滝川から奈井江の西本寺までタクシーで4000円!ACT運営委員会は20人ほど。終了後太郎吉蔵の修復状況をチェックし、砂川のスナックで飲み会。帰りに碁盤の目の札幌で道に迷った!?
2004年03月27日
九州大学でシンポジウム。聴衆は50人たらず。講師はアメリカから2人、東京から5人、大阪から1人。官庁補助金での事業とはいえ・・・。ピーター・ユベロスのイノベーションを15分ちょっとでプレゼンテーション。坂根厳夫さんと文部科学省の話しが参考になった。終了後、大橋で打ち上げ。イカがおいしい。ホテルはハイヤットレジデンシャル。マンション仕様のお洒落な部屋。でも遠いよね。
2004年03月26日
お昼に会社を飛び出し羽田から福岡へ。空港で文部科学省のU氏と一緒になり、西日本新聞ビル。講演者・パネラー集合し、段取りの確認をした後、懇親会。何人かと中洲のおでんや安兵衛。三太郎氏合流。ホテルは森くんと天神のソラリア。
2004年03月25日
できれば今日中に札幌と鹿児島のパワーポイントをまとめたかったが、夕方札幌をまとめ、鹿児島にとりかかったところでタイムアップ。仕方ない、出張先で作業しよう。ところで、土曜の午後には滝川に顔を出すことにした。
2004年03月24日
FCCJで昼食セミナー。上野さんさすがですね。九州大学のPPTをまとめて送付。うぬ。まだ札幌と鹿児島が残っている、、、!ANAでチケットの予約変更。キムラヤとK’s電器でモバイルコンピュータのチェック。
2004年03月23日
医務室で採血。なんと、先日の北京仲間のS君、Eさんと3人がそろった。さすがにEさんはおみやげの烏龍茶が大紅袍であることに気がついており、味が良いと高く評価していた。東でビーフン。夜はフミさんとフィッシュバンク。L社のK社長に降板の噂があるそうな。
2004年03月22日
北海道の準備はなぜかノリが悪く、九州大学のパネルディスカッションのPPT作りから始める。鹿児島準備は手付かず。
2004年03月21日
めちゃいけのヨモギダVTRを2週分チェック。昼から埼玉アリーナのバーゲン。雪が降ってきた。そのまま土産をもって九段。
2004年03月20日
草壁・奥山来社。セミナーの報告を受ける。フォルマ!でご馳走になる。銀座一丁目コージーコーナーで木崎・井上。学士会で10周年。学会とD社との金銭感覚の違いを実感。如水会館でビールを飲んだあと、銀座。失敗学会組織研究会。JCO事件の検討。みんな前向きにがんばっている。
2004年03月19日
部長会。教育委員会。井上報告が波紋。松本さんに北京報告。プレスセンターで石橋・福田と英語本の打ち合わせ。終了後井上氏を呼び、新体制の相談。19時より帝国で事業委員会。4月以降の広報塾のラインナップ原案を固める。その足で赤坂鮨長。砂田・菅藤・内丸。11時まで。
2004年03月18日
2週間近い出張は久しぶり。ブロッキ・コロンナのジャムを持って出社。リスク講演についての社内折衝の状況を聞く。そのままT局長、H部長と舞浜。堀口内燃機の話など。デザインTの進行確認会議。井上、佐藤孝夫とエンポリウム。今日の理事会は荒れた模様。そのままモンドバー。大橋、大森、曽根、辻田、井上各氏と12時過ぎまで。帰りのタクシーは曽根ちゃんと一緒。発禁の週刊文春をタクシーに忘れてしまった。
2004年03月17日
朝食をとって地下鉄にのる。イトーヨーカドーをチェックしようとのもくろみ。途中で携帯・地図を忘れたことに気づき途中駅から引き返す。タクシーで華堂商場。チャイナパワーを目の当たりに。15時10分発だが袁ちゃんに送ってもらって12時過ぎには空港に到着。お土産の最後の調達。
2004年03月16日
秘書長の鄭硯農氏、会員部の張双平さん、国際合作部の叶冗(さんずい)さんと面会。今後の協力を依頼した。北京の井上さん、山村さん、東方、脇坂さんなどに挨拶。現地で財務を担当している永井君を誘い、坂本くんと王府井の東来順で刷羊肉。
2004年03月15日
広播学院を引き払い京倫飯店にチェックイン。久しぶり(今回のたびでは初めて?)のまっとうなホテル。日航インターナショナルのメンバー。NHKの衛星番組も入っている。大相撲中継を見ながら昼寝。坂本くんから電話をもらい、京倫の裏のレストラン。鶏の水煮が最高。カラオケ。足裏マッサージ。
2004年03月14日
朝はお粥。豆腐羊と大根がおいしい。昼は柳院長の招宴。久しぶりに八木さん。坂本家経由でオフィスに戻って資料の最終版作成。ありゃりゃ。プリンターのインクがなくなっちゃった。18時半から丁先生の司会、奈々ちゃんの通訳で講演開始。ぴったり2時間。終了後、迎賓館で夕食のルームサービス。ちゃんとした食堂の方がおいしいのに。口直しに「JAZZBAR」でブラディマリー。
2004年03月13日
9時半すぎ北京到着。坂本氏が出迎えてくれた。広播学院のビジターセンターで遠藤くんと合流。そのまま昼食をごちそうになる。広告学院の坂本オフィスで講演素材の翻訳作業。夜、部屋に戻ると、柳院長の指示で迎賓館にはじめての客人として迎えられるとのこと。部屋の外で小姐が24時間体制で待機している。残念ながら、電話は未開通。冷蔵庫は備えられていない。やや中途半端な建物。
2004年03月12日
朝食は手作りパンとジャム、ヨーグルト。青トマトのジャムがおいしい。他に柿やりんごのジャム。7時30分に迎えの車。長躯ビツェンツァへ。急行列車は10分遅れで到着。ミラノに着くと一面の雪景色だった。マルペンサでボッタルガを捜すが果たせず。インターネット接続を試みるが果たせず。フランクフルトで出国手続きをして再びルフトハンザ。ずーっと寝続けて時間をほとんど感じなかった。
2004年03月11日
カントゥにつくころには霙は雪に変わろうとしている。コンパッソドーロ受賞作品を展示したこじんまりした展示。STRAFで読んだタクシーが100ユーロで請合ったことから、車でカントゥへ往復する。受賞作品集のCD-ロム(QuickTime)をゲット。ほかに来場者はいない。ミラノ中央駅。11時05分の列車には、わずかに間に合わなかった。バゲージをあずけて15分の列車でヴィツェンツァへ。車窓には相変わらず雨が降り続いている。ヴィツェンツァ駅で遅めの昼食としてピザを食べ、タクシーでバッサーノ・デル・グラッパへ。バッサーノはオテーロ・ソラトの故郷で、オフィスもここにある。愛らしいイタリアの小都市である。象徴はブレンタ川をわたる木造りの古い橋、ポンテベッキオ。また、ワインの絞りかすから作る蒸留酒グラッパの名産地。ポンテベッキオのほとりのbarでグラッパを呑み、併設のアルピニ博物館を覗く。アルピニとは、山岳警備兵。「山の大尉」の歌はこれがモデルだろう。ナポレオン、一時大戦、二次大戦のいずれもここが激戦地となって、多くの死者を出している。兵法上のクチとなっているということか。本日のとまりは、街外れにあるアグリツーリズモ、「ヴィラ・ブロッキ・コロンナ」伯爵夫人が昨年娘と始めた、プチホテル級の設備を持つ民宿。朝食のみの提供で、親娘がおしゃべりで歓待してくれる。夕食はオテロが山の上のホテルに連れて行ってくれる。欧州選手権。ACミランはスパルタキアを撃破。オテロ大喜び。
2004年03月10日
2時に目が覚め、5時ごろまで中国講義の準備。一応の流れをPPTでまとめ東京に送信。翻訳を始めてもらう。一眠りして起きたのが8時ちょっと前。漸く時差ぼけが直った?ピエモンテ州州都のノヴァーラ。タングラム訪問。帰りの昼飯RISTORANTE RIBOTでオテロが長話。おしゃべりオテロには参ってしまう。ミラノに戻ったら案の定4時。この時間ではもう東京と連絡取れない。小太郎卒業決定とのコト。まずは一安心。JALのオフィスでチケットの変更。ペックで生ハム。夜はモンテナポレオーネのアルマーニのビルにある和食屋ARMANI NOBU。
2004年03月09日
郊外の地下鉄駅でオテロ・ソラートと待ち合わせ。最初の訪問は「TRACCIA」。ロレンツォとジョルジアの30代の若者ふたりが経営。スタッフ4名だが、広告代理店等からスピンアウトしたデザイナー約0名とコラボし、ジョルジアがディレクションするスタイル。料金は安いが、特筆すべき優位点は見当たらない。「Primonovecento」という店でオテロにご馳走になり、地下鉄で中央駅のひとつ西に移動。「BARRESE &BUDDENSIEG」。68年革命を主導した一人と自称するバレーゼと、ベルリンの高名な美術史学者の娘というブーデジーのふたりが経営するスタジオ。ひとつひとつの作品が豊かなアイディアに溢れ、精緻度も色づかいも抜きん出ていて秀逸。コンパッソドーロを7つとったいうバレーゼのはったりと金額が気になるが、十分合格点。ブーデジーのデザインした500部印刷のカレンダーを4人全員がおねだり。夜はオペラ座の裏の「Coriandolo」。
2004年03月08日
ドゥオモのすぐそばにあるふたつのデザインホテル。まず、グレイ(250ユーロ)に2泊してから、STRAF(240ユーロ)にお引越し。グレイの部屋は大変ラブリーな小物でアクセントをつけられている。デスクの上は皿にチョコレートやクッキーが生け花のようにレイアウトされお出迎え。ベッド周辺も凝った照明環境が設備されている。風呂は無くてシャワーのみ。水圧が低く、ここは減点。はす向かいのSTRAF。全体にクールなつくり。壁は打ちっぱなしでダブルベッドが中央に置かれ、デスクが存在感を持ってそれと接している。シャワーの部屋からバスつきの部屋にチェンジ。ともにブロードバンド接続が売りだが、両方うまくつながらず、やむを得ずダイアルアップで接続。朝はガリバルディー駅に市電で向かい、22年ぶりの記念墓地訪問。小雨が寒い。トンデモ墓碑は発見できず。ディエイチ・コルソ・コモで昼食。うまい。夕方、片野くんと待ち合わせ。運河周辺のナヴィリオ地区TRATTORIA FAMIGLIAでチープグルメディナー。おいしいが、途中から寝ていた。部屋に帰るとダイアルアップの設定が消えうせてた、あれ、何でだろう。
2004年03月07日
ほとんど眠れぬまま朝を迎える。10時ごろおきだしてリナシェンテを覗く。11時過ぎに古川くんと待ち合わせ、ブレラ美術館、モンテ・ナポリオーネ通りを歩き、ヴェネティア通りのバールで、パルマハムのパニーニ。小雨の中をスフルツェスコ城。ホテルに戻り、一休みしたところ、なんと爆睡。電話で起こされ、朦朧とサンタマリアデルグラツィエ教会。最後の晩餐の絵は、視力のせいだけではなく朦朧としていた。リナシャンテのビストロに行くも、予約なしと断られ、ビットリオエマニュエルのカフェでミラノ風カツレツとサフランリゾットで夕食。
2004年03月06日
9時すぎの快速で家を出たら、11時には空港についてしまった。チェックインカウンターで古川くんと一緒になった。すぐに出国手続きをすませ、さくらラウンジへ。さすがにさくらラウンジは広い。何台か置いてあるパソコンを使って、メールを打ち続ける。まずは11日ミラノ発でフランクフルト経由北京行きのルフトハンザに決定。ミラノまでは12時間。持っていた雑誌を読んだり、眠ったり。マルペンサ空港到着18時。バスで中央駅まで1時間。そこからタクシーでグレイホテルへ。夕食はドゥオモの近くのピッツェリア。前菜盛り合わせとボンゴレスパゲティとピザマルゲリータ。スパゲティがまずい。インターネットは無線LAN接続がうまく行かず、ダイアルアップでニフティにつなぐ。セミナーは13日に決定の模様。時差ぼけで眠れず、4時ごろまで中国での講演の準備。アウトライナーでシノプシスをつくる。
2004年03月05日
ミラノ訪問の際のお土産を調達。デザイン会社の訪問だけに、いかにも日本的デザインの品をゲットしようと、銀座の「たくみ」へ。獅子頭を3つと、各種和紙製ノートを購入。会社の仕事を切り上げ、早めに帰宅。駅のQBで髪をカット。妻と伊勢丹で、片野くんへのみやげに佃煮・漬物・味噌汁の素を購入。自宅に戻り、メールを覗くと、11~14日のいずれかの日に北京で教育部の局長クラスに講義して欲しいとの要請。日本で言えば文部科学省の局長ということか。こりゃおおごとと、あわてて会社へ。91年に復旦大学で行った講義のPPTと使用したVTRを入手。JTBは営業時間外のため、メールで日程の変更可能性の調査を依頼。さてこれで、ミラノで講義の資料作りをしなければならなくなった・・・・・。
2004年03月04日
あいたたた。経団連会館にプロジェクターのコードを忘れてきてしまった。矢吹さんに頼んで、受取人払いで送ってもらうことに。17人分の資料を追加作成。フォルマ!で契約社員の採用の相談を受ける。2、3心当たりをあたることを約束。夜、ダンとリサの歓送迎会。ダンはシカゴ大学から入学許可がおり、別の大学からの返事待ちとか。中東の歴史を学ぶという。30を過ぎてからの大胆な方向転換。うらやましいと同時に、常に挑戦を忘れないアメリカ魂に触れた思い。On Wed, 03 Mar 2004 22:02:31 +0900 (JST) wrote:
2004年03月03日
経団連会館でCSRシンポジウム。満員の盛況で資料が足りなかった。CSRへの社会的注目の高まりは瞠目すべき。川北さんはメリハリがありすばらしい。上山さんは具体的なアクティビティが豊富で勉強になった。足達さんも必須の視点。終了後の懇親パーティで宮田・川北を軸に、第2弾の開催を公約。On Tue, 2 Mar 2004 05:52:09 +0900 (JST) wrote:
2004年03月02日
春3月。引越しの季節。さるさる日記からお引越し。メール機能が便利そうだったのが一番の理由。非公開ダイアリーも気に入りました。春はシンポジウムの季節?先週金曜日の日経BP社都市再生シンポジウムへのパネラー参加に加え、今日はブランドセミナーを開催。明日は学会のCSRシンポジウムをプロデュース。春は旅の季節?5日からのミラノツアーの日程が決まりつつある。ベニスの会社からは断られ、パドヴァが入った。12日に帰国し、26日(金)は九州大学のシンポジウムにパネラー参加。その足で28日(日)に札幌入りし、翌日に日経新聞のセミナーで講演。31日に枕崎で講演。からだはもつのかしら。そうそう、息子も今日からバンコックへ遊びに行きました
2004年03月01日
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