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オーウェン@ <1973年>映画「セルピコ」 こんにちは。いつも楽しく、またワクワク…

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2011年08月20日
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人間の条件ポスター.jpg

【スタッフ】
監督=小林正樹   製作=若槻繁、小林正樹   脚色=松山善三、小林正樹、稲垣公一
原作=五味川純平  撮影=宮島義勇       美術=平高主計
照明=青松 明   音楽=木下忠司       録音=西崎英雄
スチール=梶原高男


*撮影監督を紹介
【宮島 義勇】(みやじま よしお)              (ウィキペディアより)
1909年2月3日 ~ 1998年2月21日)映画撮影監督
長野県生まれ、東京都で育ち 学生時代よりアナキズムなどの左翼思想に傾倒
1929年、横浜国立大学卒業  同年 松竹蒲田撮影所入社、現像技術を学ぶ     
1931年、東宝映画に移籍
1933年、同社の劇映画製作開始により撮影部に異動
1936年、『唄の世の中』が第1回作品
1940年、『燃ゆる大空』で一躍その名が高まる
1945年 東宝従業員組合を結成 組合最高幹部
1946年 東宝争議を主導
1948年、第3次東宝争議の際の労使会談で東宝を自主退社 
      日本共産党書記局で活動し、書記長の徳田球一の伝書使として中国に渡航
1998年 玄関先で倒れて石畳に頭を打ち死去した  89歳没。
*生涯で撮影した映画は60本以上
撮影技師が照明に指示・注文をだす手法は、「撮影監督」のシステムとなった
また毒舌家で知られ、卓越した技術・裏打ちされた撮影理論に加え、監督にも遠慮なく意見をいう直言型の性格で、「天皇」「ミヤテン(宮天)」などと呼ばれた
一方、大映京都撮影所のカメラマン・宮川一夫とともに双璧をなす存在から、
「西の宮川、東の宮島」とも言われた。

主な撮影作品
燃ゆる大空(1940年)     戦争と平和(1947年)     女の一生(1949年)
どっこい生きてる(1951年)  蟹工船(1953年)       ひろしま(1953年)
夜明け前(1953年)      足摺岬(1954年)       女優(1956年) 
異母兄弟(1957年)      人間の條件(1959年、1961年) お吟さま(1962年)
切腹(1962年)        怪談(1965年)        飢餓海峡(1965年)
若者たち(1967年)      愛の亡霊(1978年)      戒厳令の夜(1980年)
   -----------------------------------

【キャスト】
仲代達矢 =梶      新珠三千代=美千子    内藤武敏 =丹下一等兵
諸角啓二郎=弘中伍長   川津祐介 =寺田二等兵  高原駿雄 =朝鮮へ行く兵長
清村耕次 =匹田一等兵  広沢忠好 =井出一等兵  岸田今日子=竜子
瞳 麗子 =梅子     上田吉二郎=石炭屋    石本倫子 =石炭屋の妻
御橋 公 =老教師    南 美江 =老教師の妻  坊屋三郎 =雑貨屋
中村美代子=雑貨屋の妻  須賀不二男=永田大尉   陳 東海 =中国人老農夫
金子信雄 =桐原伍長   平田 守 =福本上等兵  菊池勇一 =氏家上等兵
菅井きん =避難民の女  中村玉緒 =避難民少女  真藤孝行 =避難民少年

【あらすじ】
ソ連国境でソ連軍の攻撃を受けた『梶』の隊・・・・・
「梶」と「弘中」伍長と「寺田」二等兵を残して“全滅”した

三人はただ歩いた・・・・やがて、川に出た
そこには避難民の『老師教』夫婦や、慰安婦の『竜子』と『梅子』
そして部隊から落伍した『匹田』一等兵たちがいた

彼らは「梶」の指揮に従って歩きはじめた・・・・飢えから倒れていく者が多くなった

丘の麓に『永田』大尉の率いる一個中隊が休息していた
女連れの「梶」たちをののしり、食糧すら与えなかった

しかし、かつて野戦病院で一緒だった『丹下』が隊にいて、乾麺包にありつくことができた

林のはずれに一軒の農家を見つけ、彼らは豚を煮て大休止をしたが、
それも束の間、民兵が家を囲み、「竜子」は悲惨な殺され方をした

生き残った六人はやっと道路に出た・・そこを日本人の避難民が行き、赤軍のトラックが通るのろのろ歩く三十人ほどの避難民の女達もいた

叔父さんの家から北湖頭の自分の家へ帰る姉弟と一緒になった
一緒に南満へ行こうと勧めたが どうしても家へ帰るといい
「匹田」と「桐原」が送っていった

その後合流した桐原が「あの娘は適当に扱ってやったよ」と言うのを聞き
激怒した「梶」は殴りつけ 怒って追い出した・・・・

  -----------------------------------

第5部「死の脱出編」では 兎に角広い原野 そして鬱蒼たる雑木林 高粱畑や麦畑・・・・行く方向が不明なのと 道なき道と 飢えとで疲れ切ったところに 中国人民兵が襲い掛かり

そして まいど毎度の仲間割れ 平常時には 恐らくみんな 良い人なんだろうけど・・・・誰かの所為にして文句を垂れ 人のものを盗み 他人を助けないだけじゃなく足を引っ張る

「梶」の人道主義も ここまで極限状態になると 誰の事より 自分が生きることを優先して
最前線で気が変になった上等兵を黙らせるために殺し ロシア人警備兵をナイフで刺し殺し 中国人民兵も銃撃戦で撃ち殺すような羽目になってしまう・・・・・

そして なにより「三千子 俺はどんなことがあっても帰るぞ!」が 最優先目標になって

確かに この映画に登場する誰よりも 道徳観念にあつく人道主義者として描かれるのだが

逃げる時 殺された慰安婦「竜子」(岸田今日子)の遺体を埋めてからと 言い張るのだが
「丹下」(内藤武敏)に「じゃ 俺は こ中国人農夫達の遺体を埋めてゆこう」と皮肉られる

同じ人間として差別しない筈の 人間「梶」が“はっ”とする場面は 象徴的で・・・・

少女役で「中村玉緒」が プリンプリンのふっくら顔で出演しているが・・・・


こんなエピソードを観てると
中国に住んでいた日本人達の終戦当時のいきさつ 国に帰るまでの実情を もっと詳しく知りたいと 思った  それは 恐らく壮絶で 哀しく悲惨な話が山ほどあるのだろう・・・・

戦争の影の部分で 世界各地の隅々で 色々な形で 悲劇が繰り広げられていたのだろう
なんとも 痛ましい これら戦争の傷跡は 色褪せて 語る人も減って 消えて 忘られる

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ゴーヤと同じプランターに咲く「あさがお・朝顔」
オイラ的花言葉:“背に腹は代えられぬ”(せにはらはかえられぬ)
         *背中のことのために腹を代用することはできない
         *転じて、大事なことのためには、
          他のことが犠牲になってもやむを得ないということ
         *緊急事態のときには、他を顧みる余裕がないことを言う
          「腹」は自分を、「背」は他者を意味する
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最終更新日  2011年08月20日 22時23分32秒
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