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新たに『獨酌有懐』を開設しました。お越しをお待ち致します。http://dokushakuyuukai.blogspot.com/
2008年06月28日
うすっぺらい人生が服を着て、いくら眉根に力をこめてしかめっ面をしたところで、チンピラのおっかなさは見えても、微塵の凄みも拝むことは出来ない。迫力や風格はにじみ出るのであって、搾り出そうとしても無理だ。底光りは底に実があって始めて光るもんだ。うそだと思うなら、佐分利伸や笠智秀や山村聡や山茶花究の30代のころの写真を見るがいい。笑っていたってその顔には、犯すべからざる力が見える。「戦後民主主義」から今の「視聴率民主主義」に至る世相の中で、どれだけ人の「個性」や「人格」が確立されたものか、古今の俳優の面魂を比較してみれば一目瞭然だ。かく言う私も鏡を覗けば苦笑するしかない。今や、大人も子供も、よくよく昭和30年前後の日本映画の秀作を熟読玩味するときだ。
2008年04月17日
最近、川島雄三の作品をいくつか見た。赤信号、わが町、女は二度生きる、風船、しとやかな獣、雁の寺。どれも秀逸だ。赤信号が一番好きかな。しとやかなは、一度見れば沢山だ。いやな映画だ。が、これもスゴイ作品だ。新藤兼人の原作。この人の力に改めて感嘆。戦後没落した海軍将官一家の話だ。その一家はすなわち日本国だ。息子は詐欺まがい。娘は妾。親はその収入をあてにし、むしろ裏で糸を引いて一家が生活している。恥さえ捨てれば人並み以上の生活ができる世の中になったという風刺劇だ。その風刺は痛烈だ。話の構成もテンポも見事。この時代の日本映画界の実力には恐れ入る。才能が文字通りひしめき合っていたと言っていい。60年代、いわゆる高度成長期に入って日本は急激に変化した。人情は薄く、義理は破れ、人生は上滑り、物語は絵空事に変わっていく。小津、川島、成瀬巳喜男、溝口ら、いづれの作品にもそれが色濃く反映され、表現されている。明治の文士たちが経験した近代化の葛藤の、更に赤裸々なデジャヴュだ。その喪失感をとりわけ直截に表現したのが川島か。わが町にしても、雁の寺の最終シーンにしても、幕末太陽伝の冒頭にしても、時代の違いを明示的に対照して見せている。そして、いまや、昭和さえ遠い昔になってしまった。もう、あのように生活感のある映画も役者も出ないだろう。いや、生活感そのものがわれわれの生活から消えてしまったのだ。
2008年04月16日
数ヶ月前に小津安二郎の映画をかためて見た折、いくつもの作品にチョイ役で出演する老紳士が妙に気にかかった。確かに見覚えのある顔。セリフはないか、あっても数センテンス。たいていは飲み屋の隅で静かに酒を飲んでいるだけ。にもかかわらず、その強烈な存在感にはただならぬ魅力を感じた。誰だったっけかなあ、この人。しかし調べるすべがなかった。先週、今度は川島雄三作品をかためて鑑賞したところ、やはりいくつかにチョイ役出演。ところが、「わが町」では、かなりちゃんとした役を勤めていて、そのDVDのキャスト解説の中に紹介されていた。ついに正体が判明。果してタダモノではなかった。菅原通済。1890年生まれ。16歳にして馬賊に憧れて日本を飛び出し、各国を遍歴。その間、南方で真珠取引、南アでダイアモンドを覚えた由。30歳で帰国後、いくつかの事業を興し、政財界のほか、文壇、映画界、放送界に人脈を広げた。宝石のほか、骨董、文化財の収集家としても知られ、鎌倉の自宅を開放して、仏像、墨跡をはじめ国宝級のコレクションを無料で展示公開した。晩年は、罪滅ぼしと称して、売春、麻薬犯罪の撲滅に尽くした。いわゆるフィクサーとして、政界の再編にも影響力を持った。趣味で、ラジオの司会者を務めるほか、テレビ、映画にも出演したから、子供のころの私もその風貌を見知っていたわけだ。随筆も結構の数残している。すべて絶版のようだが、先日、アマゾンで中古の「あけっぱなし」を購入。飄々とした文体にその人柄がしのばれる。器の大きさにはただ感服するのみ。彼のみならず、その交際仲間それぞれの生き方を思っても、そのスケールの大きさは、今の日本人とは異質のものさえ感じる。一体、この非連続はどこに原因するのだろうか。しばらく追いかけてみたい人物だ。
2008年04月13日
文字通り一年ぶりの書き込みだ。昨年は公私にわたり大きな事件があった。仕事の話はしない。私的には、父の死と母の手術。改めて人生を勉強した年だった。父の死は突然来た。あっさり逝ってしまった。実にあの人らしい最期だった。何でも思いたったらすぐやらなければ気のすまない人だった。鮮やかな死に方だった。しばらくして、母の大腸癌が判明。手術で切除。どうなることかと心配したがその後元気にしている。息子は家を出てアパートに移った。以来めったに帰らない。子犬を飼い始めたのは10月の終わり近くだった。息子の部屋は今犬の部屋になっている。時は流れてとどまらず、思いも寄らぬ展開に驚きつつ毎日を生きる。今年のシナリオはもう書かない。
2008年01月04日
星野のエッセイーは私の愛読書の一つだった。だから、10年前に彼が熊に襲われて逝ったときの衝撃は大きかった。今日「星野道夫 永遠のまなざし」を読んだ。彼がどんな状況でどんな熊に襲われたかを初めて知った。その熊は、星野の知る「本来の野生の」熊ではなかった。人によってその野生を狂わされた熊だった。人の持つ食料の味を覚えた熊だったのだ。彼の死が、強烈な象徴を持っていることに鳥肌が立った。星野道夫は、彼がもっとも恐れたモノに殺されたのだ。ひとたび「近代文明」の味を占めてしまった者の欲望は節度を失うのか。彼がこうあってほしいと願った文明の形に対立するもう一方の文明の形、現代に至るまで優勢であったその文明の形が、あの「人の食料の味を覚えたヒグマ」に化身して、星野を食い殺したのだ。今、私たちの未来が同じヒグマに殺されようとしている。星野道夫のまなざしを、私たちは永遠に守り続けることができるのだろうか。
2007年01月03日
椿油がいいとは聞いていた。天然素材だからいいに決まっているとも思っていた。が、化粧品を探し求めることなどしない私は、自ら試したことがなかった。つい先日、近所のドラッグストアに牛乳などを買いに行った折、ふと思い出して店員に聞いてみると、「有りますよ」と言ってある棚へ案内してくれた。100%椿油の商品が二種類置かれていた。そのうち割安の方、85ミリリットル1000円弱のものを買って帰った。私の頭髪は、生まれつき硬い直毛で、整髪には苦労してきた。どんな整髪料も少なすぎればパサパサとまとまらず、付けすぎるとバラバラと崩れてしまう。リキッドであろうと、ワックスであろうと、ジェルであろうと役に立たなかった。それが、椿油を数滴擦り付けるだけで、一日中きれいにまとまり、髪質もしっとりと落ち着くのだった。驚きの効能。いったい何のために現代人は人工化合物の新製品ばかり有りがたがり、かくも高性能で健康的な伝統的自然素材を粗末に扱ってきたのだろうか。改めてその愚かしさにあきれた。一説によると、シャンプーの普及こそが、最近の薄毛の蔓延の原因だと言う。入浴時の石鹸使用量を大幅に減らすようにしてから、私の乾燥肌や時折のアトピー性皮膚炎は影を潜めている。椿油の予想以上の効き目に感激した私は、今度は石鹸の替わりに糠を常用しようかと企んで、その正しい使用法を調査中である。
2006年11月15日
その刀は、ネットオークションで手に入れた。ネットで刀を買うなどとは思いもよらなかった。どう考えても無謀だろう。そう思っていた。ところが・・・刀剣屋で見てもよほど長く手にとっていない限り、細部を丹念に吟味することはできない。一方、ネット販売の場合、売り手によっては撮影の技術が高く、肉眼での実見以上に細部の観察が可能だ。しかも何百回でも、何時間でも見られる。ネットオークションでは、売り手の信用度は、過去の買い手の評価で判断可能だ。商品が電気製品などの大量製造品の場合は、過去の評価が多数たまった時点で前受け金を持って逃走することができるが、日本刀などの一品ものでは、そのような手口は不可能だ。ということがわかってきた。それでも、あの刀でなかったら入札する気にならなかったはずだ。地肌が非常に特徴的だった。しかもこれほどはっきりと出るものは極めてまれだ。さらに刃中から鍛え、鎬地にわたって刀身中に満遍なく同じ大板目が現れている。切っ先の様子もいい。元先の身幅の差といい、反りの具合といい、体配も優美。古刀、それもかなり時代の上るものに違いなかった。どうかすると鎌倉時代。で、思い切って入札の暴挙におよんだのだ。すると心に決めた値段と寸分たがわぬ額で落札できてしまった。これには鳥肌がたった。よほどの縁。その刀、切っ先のわずかな傷を治すため研ぎ屋に出したのがちょうど一月前。予定より仕上がりが遅れている。早く戻って来い。
2006年11月14日
このごろ実に野菜がうまい。季節を言っているのではない。私の味覚の変化を言っているのだ。歳のせいだろうか。きっとそうだろう。子供のころは野菜嫌いだった。肉ばかりうまく感じた。30近くなって魚の味に目覚めた。野菜も悪くはないという程度だった。ところがここ数ヶ月か、にわかに野菜のうまさに感動することが増えた。沼津の高橋さんから自然農の野菜を取り始めた。勤め先に近い野菜料理の得意なレストランに昼飯を食べに行くのが楽しみとなった。かと言って、肉も魚も依然好物のままだ。つまり好物がさらに増えたのだ。何を食ってもうまい。もちろん酒もうまい。つくづくありがたい。
2006年11月14日
切返し顔の向きと氣の方向を一呼吸早く、一氣に切替えることリズムメリハリをつけて。すなわち下、下の動作をはっきりと。だらだらと流れないように。間技の区切りごとにしーんと静まる。合氣相手と一体になる。鏡で自分を見るごとく。やわらかく、しかもメリハリを付けて、踊るように。
2006年11月13日

急遽澤井で一杯やろうと決めて昼前に家を出る。前回同様、乗り換えの青梅の駅で名物「想い出そば」を食う。安くてうまい。ついでに目に留まった「豆腐の味噌漬け」を土産に購入。澤井に着いて予定通り小澤酒造の澤乃井園に直行、生酒小瓶とモツ煮を買って川べりの席に陣取って一人酒宴。少々寒いが爽快。多摩川の水あくまで清く、その早瀬の流れを眺めながらの一杯は答えられない。が、早くも日が傾き始めたため早々に切り上げて次の目的地へ急ぐ。「しぼりたて」を土産に購入。橋を渡って対岸を早足で20分ほど上り、川合玉堂美術館へ到着。半時間ほど名画に目を楽しませる。御岳駅に急行して4時21分の青梅行き電車に飛び乗った。
2006年11月12日
最近やや古い作家の読書に凝っている。先日泉鏡花をはじめて読んだ。今は幸田露伴を読んでいる。岡本綺堂も。文章がいい。語彙や表現が豊かであり妙である。それに引き比べると、今の人の文章のいかに平板で味気ないことか。なぜかと考えると、言葉がつまらないのは生活がつまらないからだと思い当たる。これは随分逆説的だ。一般には、昔よりも現代の方がはるかに生活が複雑で刺激的であるはずと考えられている。確かに、人を取り巻く技術的環境は日増しに複雑化している。経済も政治情勢も、仕事環境も娯楽も日常茶飯も、全般にそう言える。しかし、その一方で、いや、だからこそなのかも知れない、人と人との係わり合いは驚くほど希薄化しているようだ。50年以上前の小説や評論を読むとこれを実感する。昔の日本人は、今の日本人より、たとえばはるかによく喧嘩したし、その仕方がうまい。喧嘩がうまいということは、その収め方もうまいということだ。あれなら、今よりずっと外交がうまかったのも頷ける。義理人情紙より薄いこのごろか。そんな言葉もすでに死語と化して久しい。昔の本を読んでそれを偲ぶばかりだ。人付き合いの機微の細やかさに驚嘆し酔う。最近の私のほろ苦い娯楽である。
2006年02月11日
年末に買っておいた獺祭純米吟醸を持って出勤。獺祭は「だっさい」と読む。山口県旭酒造の銘酒。買った数日後届いた蔵元のメーリングリストの最新号によれば、最近(ゴルフの)アメリカPGIの公式推奨酒に指定された。実は、社員に松江出身者がいるから、松江の銘酒、李白を持っていこうと思ったのだが、生憎手に入らず、かわりに獺祭にしたのだ。代わりと言っても獺祭なら何の不足も無い。一仕事して、Wさんの出勤を待って10時から新年挨拶をぶって乾杯。また一仕事の後、Sさんも加えてイタリアンで会食。さらに二仕事か三仕事して、4時半ごろから飲み残しの獺祭とビールとありあわせのつまみで軽く飲み会。結構酔っ払って帰ってきて電車を降りると、我が家の日本酒が切れていることに気づいて駅前の酒屋に直行。すると若いおねーさんが店の入り口で七賢の特別販売をやっていた。「あら今日は七賢の直売?」「そうなんです。ちょっと試飲していって下さい。」「いいよね、七賢。山梨の蔵元へ行ったことあるよ。いい建物だよね。」「うわー、そーなんですか。」「君は山梨から来てるの。」「そうですよ。」「昔は本陣だったんだよね。」「ええ。」「明治天皇も泊まったことあるんだよね。」「ええ。」「あの欄間も見たよ。竹林の七賢の透かし彫りの。」「いつ行ったんですか。」「うーん、二年ぐらい前かな。僕はね、古民家が好きなの。」なんて、話が進んで、二種類試飲して、純米燗酒を買うことに決定。「やっぱり冬は燗だよね。」「そうですね。」「また本店行かなくちゃ。あの蔵、本当にいいよね。」「でも今は寒いですよー。」「そうだね。冬は寒いね、あの辺は。」あの辺じゃなくても、この辺でも今年は相当寒い。外へ出てしみじみ思った。
2006年01月04日
両親を呼び新年会。パーキンソン病の父は例によって口の中の物がいつまでも飲み下せず、そのうち居眠り。母は、孫たちと歓談。明日から仕事。年末28日からの休暇はあっと言う間に過ぎた。初詣もまだ。一年の計も立てずじまい。三月まで仕事の予定が立て込んでいる。近年に無いあわただしい一年となろう。ふと歴史書を読むという目標を思いつく。数年前に買ってほとんど読んでいないキッシンジャーの「外交」をまず読破するか。
2006年01月03日
ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花のちるらむ百人一首中の有名な一首。紀友則の作。私の好きな一首でもある。日本人の美意識を見事に表現した名作だと思う。今年の桜は例年になく速く散った。冬が長く居座ったため、やっとその日が来て一気に花開いたと思ったら、風と雨と花冷えに打たれ、あっという間に散ってしまった。きょう、暖かい春日の中で庭の芝を刈っていると、ちり遅れの桜の花びらが、時おり風に乗って舞い飛んできた。それで上の歌を思い出して、何か切なく感じたのだが、その感傷には妙に引っかかるものがあった。刈った芝は自然農の畑に持っていくつもりだった。畑に敷いてやれば次の命のゆりかごになる。花壇や庭木の植わっている地面と芝との境を庭木ばさみで手刈りしていると、木の下にたまった落ち葉や刈り取った後の芝が目に入った。以前ならそれらもきれいにかき集めて捨てなくてはと思うところだが、すでに自然農の精神を知った今の私はそう考えない。それはむしろ放っておくべきだとわかる。そこに多様な虫や微生物が沸き、土も肥える。木の栄養にもなるし、おそらく多様な虫がいることで、木の害虫は抑えられるだろう。目の色変えて、すべて「きれいに」するのは人の勝手で、かえって命のためにならない。そんなことを考えていると、さっきの感傷の引っかかりの謎が解けた。桜の花が「しづ心なく」散るのではない。花の散るのを人が勝手に「しづ心なく」眺めるのだ。いま咲くか、もう散ってしまうかと気を揉むのは人間の勝手だ。人の生活のあわただしさの中で、生を惜しんでは、その心情を花になぞらえているのだ。生死はひとつ、命は循環する。一木一草、どんな虫も敵味方なく同じ命。速く散ろうが遅く咲こうがそれも天命と知れば、何に気を揉む必要があろうか。あせらず、急がず、ただ淡々と生きるが良かろう。勿論、到底悟りきれるはずもないが、一応の得心はできている。無為自然。そうさ、きょうも「農天気」。
2005年04月16日
「柴刈り」合気道ならなんとなくわかるという人がいるかも知れない。山にこもって合気道を修行する武道家が煮炊きのための柴刈り、とかなんとか。違う。「芝刈り」のほうだ。うちの庭の芝刈りは、いつも私が手押しの芝刈り機でやる。きょうは、昨年10月以来初めての芝刈りだった。伸びた芝がそのまま枯れていて、刃のなまった手押し芝刈り機では楽ではない。押して歩いて行けば刈れるというわけにはとても行かない。力いっぱい押しても30センチも進めばすぐに刃の回転が止まる。だから、ひとところで押しては引きを数回繰り返してから前へ進まなければならない。これをしばらく続けると腕や腰が痛くなる。しかし、しばらくしてはたと気が付いて独りほくそえんだ。この動き、実にわが合氣道の「一点船漕ぎ技」そのものなのだ。そう思って習ったとおりの動きを実践すれば、すなわち、上半身の力を抜き、臍下の一点に心を静め、そこから先に前後に動けば、やはり、まったく腰と腕への負担を感じなくなった。刈った芝はごみ袋に詰めて、いつもならゴミ回収車に持っていってもらうのだが、きょうからは違う。わが自然農の畑にまくのだ。本来の自然農畑には草が生えていなければならない。その辺の事情は以前に書いたのできょうは省略する。ところがわが畑は貸主があらかじめ除草して貸してくれたので-これは勿論好意で-いまだに草がほとんど生えていない。それでほかから草や藁を持ち込んで敷くといい。これは堆肥とは違う。こうすれば地面をむき出しにするよりもずっと早く雑草を生やすことができるからだ。きょう刈った芝だけでは半分ほどしか覆うことが出来なかったが、多少は役に立つだろう。芝刈りの芝を畑に撒くというのはわれながらよく気がついた。これで我が家の庭と畑はひとつの里山的循環を形成した。しかも同時に合氣道の稽古になる。畑は小松菜の黄色い花と大根の白い花と仏の座の紫の花とそら豆の白と紫二色の花でとてもきれいだった。そうだ、イチゴの小さい白い花もあった。忘れてはいけない。菜の花を少し摘んでうちへ持って帰った。写真はそら豆の花。
2005年04月16日
家具販売の残務整理もほぼ終わった3月下旬のある日、机の引き出しの奥に眠っていた祖父の形見に目がとまった。もう50年以上も動いていない懐中時計だ。祖父はかつて横浜、サンフランシスコ間の客船のバンドでクラリネットを吹いていた。東洋音大を出た祖父の腕前は当時かなりのものだったそうだ。70で亡くなったとき、私は小学校1年だった。私の知る祖父は、手ぬぐいを頭にかぶってただぶらぶらしているだけの偏屈ものだった。ウイスキーのビンに放散水を入れて毎日うがいをしていた。楽器はとうの昔に処分していて、クラリネットについて話すのを聞いた覚えはない。高い棚の上に革の大きなボストンバッグがほこりをかぶって置いてあった。祖父の持ち物といったらそのぐらいしか印象にない。懐中時計はおそらくアメリカで買ったのだろう。私がいつもらいうけたのか記憶にない。生前に祖父から直接もらったのかも知れないし、死後親からもらったのかも知れない。もらったときすでに動かなくなっていたのははっきり覚えている。外側の金属面は一面さびて灰白色に曇っていた。子供の私は時々それを手にとっては眺めた。その度に動けばいいのにと思った。中をのぞきたいといろいろ試していると、裏蓋がネジ式で開けられるのを知った。開けてみると仕掛けの精巧さに驚いた。しかもその表面には、"Waltham, Mass. 17 Jewels"という飾り文字の刻印とともに、きれいな波型の文様が幾重にも細工されていた。思いがけぬ美しさに目を見張った。その後もそれは、壊れた蓄音機のカートリッジや、レンズやイヤホンや、小さなゲルマニウムラジオなどとともに私の宝箱の中にしまわれていた。年を経るに従ってその中身はほとんど処分されていったが、懐中時計だけはかろうじて多くの引越しをも生き延び、今まで保管され続けたのだ。先日、久しぶりに私の目にとまった懐中時計は、昔と全く変わらない顔をしていた。まさに時が止まっていたかのように。思い立ってインターネットで調べてみると、古い時計を修理する時計屋がいくつか見つかり、そのうちで最も信用の置けそうな一店に修理を頼むことにした。数回のメールのやり取りを経て、福山市のさとう時計店に時計を送ると、数日後、正確に動くWalthamが帰ってきた。金属磨きで丁寧にケースを磨くと、白けた錆の下から滑らかな銀の光沢が甦った。時計は50年の長い眠りから目覚め、生き返った。今、祖父の形見は私のズボンのポケットの中で、チッ、チッ、と密かに時を刻んでいる。それを取り出して手のひらの上で時を読む私は、得も言われぬ安らぎに満たされる。すべすべとした銀側の感触。その表面のしっとりと落着いた光沢。文字盤についた幾筋かのひび割れ。古風な字体の数字。手のひらのくぼみにそっくり馴染む丸みと大きさ。それらすべてが今の工業製品にない美しさでもって私の心を暖めてくれる。実はそれだけではなかった。やっといま気が付いた。冷たいはずのその金属の塊は、私の手の上で物理的にも実際に暖かいことを。腕時計では決してこういうことはない。懐中時計は、常に持ち主のポケットの中で人の体温に同化して作動している。時を知ろうと手に取ればそれは確かに暖かいのだ。まさに懐中時計。私はこんなに暖かい機械を初めて知った。
2005年04月09日

遊山房主催の都築自然農実習に参加。例によって講師は沼津の高橋先生。多少の経験が出来たので、先生の話が以前より数倍よく飲み込める。写真はみんなで使っている350坪の畑の全容。向こうのほうに青々と茂っているのは麦。各種菜の花もきれい。最後に、先生からサトイモをいただきみんなで植えた。明日は出社一日目。
2005年04月03日
きのう久しぶりに畑に行った。前回溝を掘って出た土をくぼんだ場所に撒いて均すためだ。着いてみると小松菜が大きく育っていて驚いた。前回、もう終わりだろうと思って大きめな葉は全部採っておいたのだが、その後こんなに大きくなったとは。すでにトウが立って一部花のつぼみがついている。でも葉も大きく柔らかい。ちぎって食べてみると美味い。トウが立ったら美味くないと聞いていたので一把だけ持ち帰って試食してみた。油いためして冷凍チャンポンの中に入れて食べた。大変美味い。そこで今日改めて残りのうち5株を収穫してきた。2株は花が咲きかけていたので残した。収穫したもののうち4把を両親のいる老人ホームに寄付。1把を自家用に。夕食が楽しみだ。
2005年03月27日
友人が与那国島に移住することになった。島の古名はドナンという。「渡難」。四方が断崖に囲まれ、船の接岸もままならないことがその由来だそうだ。以前、彼女から移住の希望を聞かされたとき、小さな孤島は食べ物もその他の文物も限られるから長く暮らすには適さないと思うと言った。それでも彼女は結局島行きを決心した。長年の夢―八歳のときに思いついたそうだ―を捨てられなかったのだ。実は私も若いころ南の島の生活を夢見た時期があった。我が国のテレビ放送が始まってしばらくは、テレビ局の番組制作能力が限られていたためだろう、アメリカから輸入した番組が数多く放映されていた。スーパーマン、名犬ラッシー、ローンレンジャー、パパ大好き、ルーシーショー、ガンスモーク、ララミー牧場・・・。懐かしい題名は枚挙に尽きない。その中に「ビル船長」というのがあった。プロの潜水夫の物語だ。主人公は息子と二人でボートに住んで暮らしていた。毎回違った依頼主からの仕事で海に潜る話だった。この番組が大好きで毎週その時間を待ちわびたものだ。いつか潜水夫になりたいと思った。その少し後、文部省推薦のフランス映画を母と一緒に見た。クストーの「沈黙の世界」だった。クストーはスキューバの装置を発明した海洋学者だ。当時、スキューバはアクアラングと呼び習わされていた。アクアラングはスキューバの一般名詞ではなく、特定の登録商標であることを知ったのは、その数年後に潜水の本を読んでのことだ。ビル船長は、もちろんモノクロの画面で活躍していた。色のない映像に私は海の深い紺碧を確かに見ていた。沈黙の世界は、もっと深い海の神秘を教えてくれた。暗黒の水の底に不思議な生物がクストーの乗る潜水艇のライトに照らし出されると、鮮やかな色を発してうごめいた。こちらは天然色だから想像の色ではない。静かな闇にひっそりと生きる命たち。厚く青黒い水の壁の下に隠された不思議な世界に魅了された。そのころ私の家族は、毎夏西伊豆の入り江で数日を過ごした。初めて西伊豆の海の美しさを目にしたときの感動は忘れることが出来ない。当時日本で売り始められた子供用の水中マスクと足ひれは甚だインチキな代物で、ほとんど実用に耐えなかったが、それでも私はそれらをつけて独学で素潜りを覚えた。中学2年のころにはもっと出来のいい道具をつけて、耳抜きも覚え、数メートル潜ることができた。南の島での生活を夢見るようになったのはそのころからだ。抜けるように青い空と、珊瑚の砕けた真っ白な砂と、人の心を吸い込むような紺碧の海に囲まれて過ごしたらどんなに幸せか、とつくづく思ってはそのたびに深いため息をついた。さらに高校へ進んで生意気の盛り、やたらに厭世的な心持に襲われると、必ず見る白昼夢はやはり孤島での生活だった。その後大学で何度か沖縄方面の島に遊びに行った。一度は、1ヶ月あまり滞在して毎日海に潜っていたこともある。勤めるようになってからも、時々海に潜りに行ったが、現実の生活に取り紛れるうちに、たまに現れる離れ島の白昼夢も次第に色あせ、いつしか机の引き出しの奥に仕舞われた昔の写真のように忘れられた。友人に孤島生活の希望を聞かされたとき、若いころの曇りない夢を呼び起こされはしたが、すでに50年浮世に生きた経験から、孤島生活の現実的な不便を敢えて口にしたのだった。実は、彼女も私と同い年だった。つまり私と同じだけ俗世に生きてきたわけだ。それでもなお当初の夢を実行に移したということは、彼女のほうが私よりそれだけ生命力が強いということだろうと思った。先日、仲間の掲示板に与那国の彼女から投稿があった。借りた古民家の掃除と修理に忙しいらしい。数枚の写真も添付されていた。50過ぎのおばさんの生き生きとした笑顔が写っていた。私にはそれが南国の日差しのようにまぶしかった。
2005年03月24日
傘は持っていなかったが、防水のコートも着ているしこの程度の小雪なら心配無用と、急いで帰ることもなく駅前の本屋に寄った。買う本の当てはなかったが何か新しい本を読みたかった。たまたま目に留まったのが「声に出して読みたい日本語」以来人気沸騰の斉藤孝の新刊だった。この人、国語ないし国文学の専門家だとばかり思っていたら、実は「身体論」がご専門とつい最近知って、以来急に興味を持った。テレビの番組で話を聞いたら確かにおもしろい。それでつい「上機嫌の作法」という新書本を手に取ったのだった。ざっと立ち読みしてみると、要は、常に心と体を柔軟にして、こだわりなく上機嫌に人と接すれば、人間関係うまく行き、実り多い楽しい人生が開けるよということらしい。705円で楽しい人生が開ければ安いものなので勿論購入した。本屋を出るともう雪は止んでいた。九品仏で心が軽くなり、「上機嫌」の啓蒙書を手にした私は、日暮れにはまだ間があるにもかかわらず帰宅したらすぐ風呂に入って酒でも飲み始めようと心に決めて独りほくそえんだ。途中の店でつまみのピーナッツ、ついでに好きなチョコレートを買い込んだ。特別な観光地に赴かなくても、高級料理屋で舌を驚かさなくても、心身を喜ばせる術はいくらでもある。肝心なのは、よどみない気と体の動きなのだろう。日常こそリクリエーションすなわち心身再生の最良の現場に違いない。
2005年03月13日

九品仏で知られる浄真寺を訪れるのは3年ぶりか。豪壮な仁王門、優美な鐘撞堂と古い巨木たちが美しい寺だ。木を守るために敷石の上以外歩行を禁ずる。おかげでこの整然たる境内の美観が保たれている。参拝客もまばらで静けさに心が休まる。今日は際立って寒いが、そのせいで人が少ないのではない。前二回の訪問時もやはり同様であった。カラスが妙にくつろいでいる。手の届きそうなところでのんびり何かをつついている。頭上にもう一羽。高い枝の上で盛んにカリカリ樹皮をはがしている。気をつけて見ると広い境内にほんの五、六羽か。ほとんど飛び回らずにのんびり歩いている。町のカラスの無頼な態度が感じられない。黒紫に底光る羽並みの美しさばかりが目に付く。それもこの寺の本尊の功徳か。仁王門、本堂、三仏堂とも、昭和四十年代に茅から銅版に葺き替えたというその屋根屋根は、なおよく茅葺時の形状を継承しているように見える。銅版の下にまだ茅が詰まっているのか、坊さんに聞けばわかるだろうか。敷石に沿ってそぞろ歩いているとますます風が冷たさを増して、ポケットに入れている手もかじかんできた。今にも雪がちらつきそうな気配だ。ふと見ると境内の一番奥、本堂の脇に小さな梅園がある。紅梅がちょうど見ごろで、白々と凍った空気の中で、その濃厚な紅色は、子供のころ絵本の中で確かに見た暖かい色をしていた。今朝、遅く起きたにもかかわらず、久しぶりに無性に外出したくなって、海か山かそれとも近場の散歩かとあれこれ思案したが、結局真に旅情を満足させてくれる場所などありはしないと悲観して、それでも家を出なければまたすぐに日が暮れて後悔だけが残ると思い、無理やり靴を履いて玄関を出た。歩き出して間もなく九品仏のことを思い出してまっすぐにやってきたのは正しい選択だった。いや・・・ きっと、正しいも正しくないもないのだ。犬も歩けば棒に当たると、あてがなくても歩いていれば何か面白いものに出くわすという考えは間違いだ、と不意にそのとき悟った。いつかそのうち面白いことに出くわすのではない。歩いていることそれ自体が事件なのだ。いま踏み出すその一歩一歩が既に椿事なのだ。徘徊こそ人生なれ、か。そう思うと急に心が軽くなった。どこにでも行けばいいのだと思った。どこに行こうかと悩むことが無駄なことなのだと。九品仏を出ると、陳腐な町並みを目の当たりにして、四方のどこにも足が向かなかったので迷わず帰りの電車に乗った。駅に降り立つと案の定小雪が舞っていた。乾いた雪だった。3月半ばにしてこの冬一番の寒さかと疑われた。
2005年03月13日
「ほうげじゃく」と読む。すべての執着を捨て本来無一物のところに帰還する意だそうだ。友人のHさんの奥さん、Cさんは好んでこの禅語の軸を自室に掛けたそうだ。琴、三味線、お花、お茶の先生をなさっていた。この一月にガンで急逝された。52歳の若さだった。今日、お別れ会が執り行われた。告知後のCさんの見事な生き様をご主人、ご友人から伺った。最後まで清々しく、美しく生きられたそうだ。会の招待状には、平服でお越し下さいと記されていた。昨日まで背広とネクタイで行くつもりでいた。今朝目を覚まして、ふとCさんとの会話を思い出した。一昨年の秋、軽井沢での茶会をCさんに取り仕切っていただいた折のことだ。茶の心得をまったく持たない私は、それでもこのときとばかり着物を着て参加した。Cさんはそれをほめてくださり、日本人は男も女ももっと着物を着たいものだと意気投合した。それを思い出して、同じ着物で出かけた。きっと喜んでくださったと思う。Cさんのお父様は、Cさんが11歳の時突然亡くなられたそうだ。今日初めて聞いた。そのせいか、日ごろ自分は短命だと公言していたそうだ。一日一日を全力で生きたCさんの姿が何人もの方から語られた。一期一会をそのまま日常に映して生活されたようだ。思えば私がCさんにお会いしたのは、前述茶会の準備の時と当日の2回のみだった。すばらしい伴侶をなくされたHさんが気の毒でならなかったが、同時にこれほど幸せな夫もあるまいとうらやましく思った。
2005年03月12日
歩いて駅前まで用足しに出た。あまり暖かいので厚いコートを着てきたことを後悔した。用事を済ませ、足を伸ばして両親のいる老人ホームに寄り久しぶりに父を散歩に連れ出してやろうと考えた。父は例によって玄関脇のホールに車椅子でいたが、私を見ると手を上げて「おー」と言った。目がしっかりこちらを見ている。話もする。ここへ来てから最も状態がいい。半年ほど前から始めた新薬がうまく効いているらしい。最近では食事も速くなったし、昔話もするようになったそうだ。母親も世話が多少軽減したと喜んでいる。いつもの公園まで車椅子を押して坂を上って行った。盛んに話をする。しばしば聞き取れず、何回か聞きなおす。適当に話をあわせる。孫たちも、上は四月から就職するし、下は大学に入学する。私自身も勤めを再開することが決まっている。何度も話したことだが、どこまで覚えているのか、そのことを話題にすると、「よかったな。みんな順調で。俺も何にも不自由がなくて、とても幸せだよ。オフクロも安心しただろう。」とうれしそうな顔で話す。「この辺はいいとこだよ。住むのにいいとこだよ。」と言うので、「もうすぐこっちへ来て3年になるよ。そろそろ落ち着いたんだね。」と返すと、「そう、俺も落ち着いたよ。とても満足だよ。」と言うのだった。公園に着いてみると人気がない。ただ、暖かい日差しに、真っ裸の木々のこずえが見上げる空一面に網をめぐらして光っていた。「もうすぐ桜が咲くね。桜が咲いたらまたうちへ呼ぶから、みんなで食事しようね。」「そうだな、みんなの様子を見たいよ。それで俺も安心するから。」「前の家のこと思い出すかい。」と聞くと「いや、みんな忘れちゃったよ。・・・俺は昔のことはみんなもう返したんだよ。全部返した。」などと言った。忘れたというのは本当だとわかる。「返した」というのはどういう意味だろう。でも、その声の響きはとても晴れやかに聞こえた。「ほんとによかったよ。」とまた繰り返し、にっこり笑った。ホームの玄関前まで来て、「ほら帰ってきたよ。ここわかるだろ。」と聞いてみると、「いや、わかんないよ。」とかすかに答えて、今度は恥ずかしそうに笑った。
2005年03月09日
BBCのウェブサイトによれば、3日英国で「Green Farmers」に報酬を支払う政策が施行された。http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/4315233.stm野生の動植物の保護、育成に役立つ仕事をするイングランド内のすべての農民に報酬が支払われるそうだ。たとえば、小鳥や小動物に住処を提供する生垣の世話をしたり、休耕地に蜂や昆虫たちのための花園を造ったり、池を農薬や肥料の侵入から防いで蛙やいもりなどを守ったりした農民は、政府から報酬が受け取れることになるそうだ。基本的な保全作業に対する報酬により農民の収入は1ヘクタール当たり30ポンドの増加になると試算されている。田舎の景観を保全し、環境の悪化を防ぎ、農作物の安全性を高め、農業を振興するいい政策だと思う。日本でも里山再生に同様の政策がとられないものだろうか。どこかの自治体が検討してくれるといいのだが。
2005年03月04日
今帰ってきた。今日は、JMRAトラストネットワーク委員会主催で未来バンクの田中優理事長をお迎えし講演をしていただいた。会場はおなじみの自由学園明日館。田中さんとはずいぶん前に打ち合わせをして以来の再開。そのとき、この人只者ではないと直感したが、今日プレゼンを拝聴し改めてそれを確認した。まれに見る戦略家と言っていい。ブッシュアメリカ主導の石油、軍需、政治複合体の利権構造から始まって、カスピ海周辺地域の紛争の意味、中国のエネルギー事情、京都議定書その後、最新省エネ電化製品事情へと息もつかぜず展開して、日本の金融事情から財政投融資の意味を経て共益事業たる未来バンクの融資事業の目的と現状にいたる。その演繹の見事さ。洞察の鋭さ。最終的には、NPO、中間法人、協同組合、有限会社、それぞれの形態の長短、特徴を説いて、市民の市民によるバンク設立の勧めでしみくくる。恐れ入りました。講演後、東方見聞録での懇談会も大いに楽しませてもらいました。田中さんありがとう。今後もよろしく。
2005年02月27日
憬月庵閑話更新。江戸府内風俗往来に「初午祭の謎」を掲載しました。ご覧ください。http://home.d00.itscom.net/hekisui/keigetsuann/
2005年02月19日

久しぶりに畑を見に行った。大根もカブもおおきくなっていた。でもまだまだ小さい。カブはそのほとんどが全身を土の上に投げ出していた。これでいいのかどうか悩む。隣のプロの畑のカブも白い体を7割がた土の上にさらしている。悩んだ末、一部は間引いて収穫とし、残りには土を盛っておいた。あとはどーなと・・・小松菜を植えたはずのところに小松菜らしからぬ菜っ葉がなっていた。試食してみると甘みを含む味が濃くて実にうまい。これもいくらか収穫。あと大根の間引き分も数本。夕食が楽しみである。
2004年12月04日

28日に終わった「結の蔵」での展示会は大盛況だった。2000人ほど来訪者があったようだ。最終日の夜、ご当主の田中さんと出展者合わせて7名で打ち上げ会をした。もちろん展示会場となった蔵の土間で。照明を落とし静かな音楽を流すとその空間は昼間とはまた違った魅惑的な表情を見せて僕たちを包みこんだ。いつしか若い家具作家たちが自分たちの作品/商品の価値について熱心に語りだした。それは偶然にもぼくがこの蔵で考えていたことにまっすぐつながっていた。その朝ぼくは鎌倉へ向かう電車の中で次のようなメモを書いていた。「価値と価格は別物である。価値を無視して価格の変動を追う者が投機家である。一方、価格に頓着せず価値にのめりこむのは道楽者である。価値も価格もわからず金を使うのは浪費家である。浪費家は愚か者の一種である。価格を価値に近づけるための努力がないと価値あるモノたちはいつまでも商品としては浮かばれない。」この夜の議論を終えて帰宅してからぼくはさらに次のように考えた。問題の核心は、価格が客観的な量であるのに対して価値は主観的な量だということである。市場価格は参加者の最大多数に支持される価値を反映しているはずだ。目利きは常に少数派である。多数派は目利きの評価に追随する。従って価格は遅れて価値に近づく。しかし、その調整に要する時間は一定ではない。「そのとき」が来る前にその商品が「絶版」となることもある。また価格は価値に近づいた後それを通り越してまた反対側へ遠ざかることもある。いや、それがフツウである。いずれにせよ、価値が主観の世界にある以上「そのとき」や「その値」が客観的に判定されることは決してない。商品はそういう世界に浮遊するしかない。製造者はより安く作るしかない。作家と目利きは自分の主観を主張するしかない。商売人はより多くを、より安く買いより高く売るしかない。購買者は金を払い、買ったものを楽しむしかない。製造者でありかつ作家でありかつ商売人である場合には、葛藤に苦しむしかない。
2004年11月30日
むかしの農村の多くが「結(ゆい)」という制度を持っていました。共同作業を必要とするときに村人総出で助けあう制度でした。例えば萱屋根の葺き替え作業。田中さんはその蔵を「結の蔵」と名づけました。多くの人の協力があって初めて実現した移築再生だと感じたからです。その蔵はもともとは秋田の湯沢にありました。大きな酒蔵でした。築115年。永年この蔵の中で酒が作られて来ました。数年前からいい酒ができなくなりました。周りにビルが建つなどして、蔵内の湿度温度の環境が変化してしまったためでした。蔵は使われなくなり、やがて処分されることになりました。地元での活用が2年にわたって検討されたそうです。しかし、ついに解決策は見出されませんでした。解体償却の運命からその蔵を救ったのが東京に住む田中さんでした。鎌倉に所有する土地に移築再生を決意したのです。その思いがいま結実しました。蔵は見事に蘇りました。仲間たちが解体を手伝いました。土壁崩しを、竹こまいの原料となる真竹の伐採を、壁塗りを手伝いました。「結の蔵」の名の由来です。今日、結の蔵のオープニングイベントの初日でした。28日まで陶器展と古材アート展が蔵で開催されています。その陶器はもとの蔵の壁土で焼かれました。焼いたのは田中さんの陶芸の先生です。古材アートの材料は蔵の再生で余った端材です。大勢の人の手と思いがこの蔵を救い、その新しい命にまばゆいほどの輝きを与えています。実際素晴らしい建物が出来上がりました。ぜひ見に行かれることをお勧めします。鎌倉駅から徒歩五分。入場無料です。詳しくはこちら▼http://www.rakuten.ne.jp/gold/satoyama/kamakura-tennji.html
2004年11月20日

鎌倉中央公園は谷戸の里山環境をうまく再生していた。空は晴れて空気もさわやか、最高の天気に恵まれた。鎌倉中央公園を育てる会の皆さんと和綿のワークショップを楽しませてもらった。綿打ちの弓を作り、綿を打ち、独楽を作って糸紡ぎをし、段ボール紙の簡易機織器で小さな布を織った。素材の和綿はその公園で育てる会の皆さんが育て収穫したものだ。こんな貴重な体験ができたのも人の繋がりのたまもの。Aさんから相談の電話が入ったのは2、3ヶ月前のことだ。Aさんは私の主催した里山暮らし基礎講座を受講してくださった方。相談の内容はある団体が和綿から糸を紡ぎ布を織る伝統的な方法を学びたがっているのでいい先生を知らないかというものだった。すぐに城ノ内まつ子さんのことを思いついた。城ノ内さんは伝統的生活技術をテーマに取材、体験、執筆しているライター。旦那さんもライターで、ご家族は茨城県の茅葺き民家にお住まい。ご夫婦は「自然の暮らしがわかる本」と「自然の実りがわかる本」という共著をお持ちで、これらは里山暮らしに関心を寄せる読者の間では教科書的に愛読されている。城の内さんの最新著書は「おばあちゃんに聞いた保存食」。保存食のみならずお料理の腕は大変なもの。さらにこの才女は和綿を自ら育て、綿打ち、綿繰り、染め、機織までしてしまう。私は旦那さんの新田穂高さんに講座講師をお願いしたご縁でご夫妻と知り合い、ご家族の住むおうちの茅葺きの準備手伝いにうかがったこともある。 そんなご縁があったので、Aさんのご要望を城ノ内さんに伝え、育てる会にご紹介したのだった。とんとん拍子に話が進んで今日はそのワークショップの当日であった。育てる会の方々がご用意くださった美味しい昼食をはさんで、9時から15時まであっという間に楽しい時間が過ぎ、道具作りから始まってついに私たちは各自小さな布を織り上げた。合間に、むかしからの方法で、昔のまま手入れされている谷戸の田んぼや、最近作られレた炭焼き用の登り窯などをご案内いただいた。昼食にでた炊き込みご飯のサツマイモもお米も、味噌汁の味噌もすべてこの谷戸から育てる会の皆さんがつくったものだった。素晴らしい里山のインフラとそれを活用している人たちがいた。和綿の白い糸がつながって、また素晴らしい縁を得た。里山を広めたい人たちの輪がもう一つ結ばれた。
2004年11月16日

午前中は、昨日ホームセンターで買ってきたイチゴの苗を植えに畑に行ってきた。 大根、ソラマメ、カブは一段と大きくなっていた。大雨に流されてあちこちに芽を出した小松菜の生き残りたちもうまく育っているように見える。大根、カブの間引きをしているところに近所の農家のおばあさんが現れた。先日大勢で集まっていたのを見てなんだろうと思ったらしい。早速間引きの仕方を教えてもらった。そしてイチゴの移植。井戸の水道栓の蛇口につけるホースを預かってくれている近所のKさんが留守で、結局移植後の水遣りができなかった。土は湿っていたものの大丈夫だろうか。心配だが仕方が無い。 帰り道に神戸屋でサンドイッチを買って、間引いてきたカブと大根の葉っぱをサイドディッシュにして昼食をとった。うまかった。満足。午後。両親のいる老人ホームに菜っ葉の残りと積み木の半端分を3個持って行った。父は例によってホールのテレビの前で居眠り。起こすとすぐに私を認識したが、部屋に上がろうかと言うと、ぼそぼそ言って同意しない。よく聞いてみると「これからショートホールのティーショットだから」と言っていた。夢を見ていたのか。「じゃ、ホールインワンを狙ってね。」と言って私だけ母のいる部屋に向かった。母はベッドで休んでいた。「寝てはいないよ。」とすぐに起きてきた。持って来た大根とカブの葉っぱを見せて少し話してから、私は再びホールに下りて父を迎えに行った。今度はすんなり部屋に上がることに同意した。部屋で父に菜っ葉を見せ、「洗って来たからそのまま食べられるよ」と言うと、数枚むしゃむしゃと食べた。「うまいだろ」と言うと「うまい」と答えた。 積み木を渡すと前回同様強く興味を示した。「いいにおいだよ。木によってにおいが違うだろ。」と言うとそれぞれ鼻にあててにおいをかいでいたかと思うとはっきりした口調で「いいにおいだな」と言った。顔の表情もしっかりしたように見えた。実は前回積み木を触らせてにおいをかがせたときにもハッキリした口調で話し始めたのだ。そのあと公園に散歩に連れて行くと、そこにある記念碑を読んだ。最近は字を読ませてもじっと見るだけで「わからないよ」という父が、そのときは「この公園はかつて武蔵野の一部だったこの地域を開発して設立したもので・・・」というのを自力で声を出して読んだのだ。それで今日も新聞を読ませてみたらヤッパリ読めた。母は驚いていた。父はたった3個のその積み木をいろいろに積んでみたり、ぶつけて音を出してみたりして遊んだ。先日自分で拾ってきたというどんぐりの実をその上に乗せたりもした。そのうち紙の上に積み木を積んで下の紙をさっと引き抜こうとしだしたので、母と私は「それは無理だろう」と言うと、何回か夢中になってやって、ついに積み木を倒さずに紙を引き抜いた。二人で手をたたいてやるとほんの少しだけうれしそうな顔をした。私が子どもの頃父がよく歌った「からすの子」を父と私と二人で歌った。父の表情はやはりほとんど変わらなかったが、その目は時々泣き出しそうに見えた。それは父の気持ちだったのかも知れないし、私の気持ちがそこに映っていたのかも知れない。
2004年11月14日
マタギには前々から関心があった。が、ちゃんと調べたことはない。2年近く前、詳しい人からマタギ最後の生き残りである工藤光治さんのことを聞いた。もう生き残りはいないのかと思っていた無知な私は、工藤さんがまだ60歳そこそこと聞いて驚いた。その工藤さんの写真を今日始めて見た。その表情は明るく若々しい。今朝の日経新聞の文化コラムに工藤さんの文章とともに写真が載っていたのだ。マタギとはなんと尊い生き方だろう。コラムを読んで改めてうなった。その伝統文化が消滅の危機にさらされている。それはいまの文明のあり方を見れば意外ではない。思わぬ皮肉は、白神山地の世界遺産指定がこの危機に追い討ちをかけていることだ。木の伐採を禁じられてマタギ小屋が建てられなくなった。クマ猟も時期と頭数を制限される。千年を越える時を経て生き続け洗練されてきたマタギの真の自然共生生活を現代人の浅はかな「合理主義」と「官僚主義」が絞め殺そうとしている。とんでもない愚行だ。まさにその生き方こそ無形の世界遺産に違いないのに。自分に何かできることはないか考えたい。
2004年11月10日

天気に恵まれ気持ちいい実習会となった。20人前後の参加者。中には地下足袋姿も数人。 高橋先生の説明に例によってたくさんの質問。熱心な人が多い。この3百数十坪の畑は農家から借りたばかりでほとんど草が生えていないため、まだまだ当分の間本来の自然農の効果は期待でない。それでも9月26日の前回実習時に種撒いた豆類、大根は良く育っている。草がないので立て続けに来襲した台風の大雨で、種の小さな小松菜やサラダ菜はほとんど流されてしまった。ちなみに、高橋先生の沼津の畑の様子を聞いてみると、やはり何度も大雨に襲われたが草のベッドのおかげで被害はなかった由。むしろ今年は暖かい日が多かったのでいつもより豊作。宅配のお客さんに「こんなに安くてたくさん送ってもらっていいの」と驚かれたそうな。やはりすごいぞ!自然農。芋煮鍋も美味しくできて、皆さん大満足。畑の前の道路に座り会話も弾んで笑い声が耐えない。鍋奉行を引き受けてくださったY女史は、地元では名の知れたアネゴ。文化的かつ政治的かつ進歩的活動家。もともと大変な両家のお嬢様。しかしこのお嬢様、ただのお嬢様じゃない。野山の動植物と戯れて育ち、農業の心得も半端じゃない。鶏をヒネルぐらいは朝飯前。その一方でお能の腕はセミプロ。単身一年間フランスに教えに行ったこともあるというツワモノだ。今回聞いて驚いたのは、調理師の免許も取っていた。どおりで芋煮鍋の手際もいいし、味もいい。いい会でした。主催の遊山房二宮さんはじめ参加の皆さんに感謝。この次は高橋さんの畑見学会をやる。早くも参加予約が殺到している。
2004年11月07日

朝起きて窓を開けるときれいな日差しだった。IXYを持って散歩に出た。うちの裏の桜並木はまだまだだが、あちこちで樹々の葉の色づが本格化していた。緑地帯歩き回り秋の色を見つけてはシャッターを切った。気持ちのいい朝だった。(写真をクリックしてね!)
2004年11月02日

昨日久しぶりに畑を見に行った。エンドウ豆の苗はしっかり育っていた。大根もまあまあ。サラダ菜は大雨に流されたか虫に食われたかでほとんど全滅。カブもところどころしか育っていない。やはり自然農のよりどころとなる雑草のベッドがまだできてないことが致命的か。大根とカブの二回目の間引きを実施。大根の苗の葉っぱはいかにもうまそうなので持ち帰った。今朝の朝食に納豆とともに試食。味が濃くサラダ菜にしてもいい。ほんのりした苦味も辛味もいい。写真は間引き前の大根の苗。
2004年10月30日
"I cannnot forget you."今朝メールボックスを開けてみると、そういうタイトルが目に留まった。そんなこと日本語でも言われたことない。もちろん身に覚えがない。身に覚えがある英語国民なら思わず開けてしまうかも知れない。かつてほどの数は来なくなったが、今でも毎日20から30のウィルスメールが届く。最近の特徴はタイトルの多様性だ。それもなかなかプロはだしのコピーが見られるようになった。以前なら"Re:Your document""Mail failure""Failure notice"などというものばっかりで、当初はうっかり開けそうになったが、もう引っかかるヤツもあまりいないだろう。逆に実際のビジネスメールで"Re:Your document"などが使えなくなって、ビジネスマンの多くがメールのタイトル付けに時間をとられるようになったのではと気の毒に思う。その後"Hi"とか"Hello"などというのが出てきていまも人気の一つだが、案外こういう単純なほうが引っかかり易いのかもしれない。最近は"Sexy photos"とか"You cannnot do that"などが出てきて一段と工夫が見られる。"You cannot do that"というのは日本人にはピンとこない表現だが、これは「あなたはそれはできません」ということではなくて「そうはさせないぞ!」というニュアンスだ。誰かと言い争いをしている人ならつい開けてしまうかも知れないし、身に覚えのない人は逆に誰かから誤解されているかもしれないと思ってやはり開けてしまうかも知れない。そんな中"I cannot forget you"というのを初めて受け取ったのだが、これはなかなかロマンチックで気が利いている。もしあなたにワケありの異性がいたら、これを開封せずに削除することができるだろうか。あの人の切実な訴えを読まずにゴミ箱に捨てるなんて!私が最近入れてもらったネット通販業界ではメールマガジンでの営業が花盛りで、業者を対象に「効果的なメールマガジンの書き方」とか「読んでもらえるタイトル」などの講座ビジネスがかせぎまくっている。ネットでいたずらに夢中になっているお兄ちゃんたちもそのコピーライティングの経験を生かしてこっちの方へ転職したほうが稼げるのではなかろうか。いや逆に、連中もこういう講座で勉強しているのかもしれない。考えてみればテレビでの大衆情報戦が勝敗を分けるアメリカの大統領選挙なども同じ世界の出来事だ。もっともな成り行きだと思うと同時に、つくづくいやな世の中だとタメイキが出る。
2004年10月29日
昨晩はHさんのお宅のワインパーティーに招かれた。A1さんとA2さんもいらした。Hさんは大商社に勤めておられたときいくつかの国に赴任されたようで、最近奥様とともに、かつての赴任先であったオーストラリアを29年ぶりに訪問され、現地でみつけた美味しいワインを私たちにご披露下さった次第。奥様お手製のオードブルとともに大いに舌を楽しませていただいた。A1さんはHさんと大学の同窓で、1年ほどまえに私をHさんに引き合わせてくださったかた。A2さんはHさんと同じ商社でかつて一緒に仕事をされたそうで、A1さん、私ともこの場が初対面だった。皆さん私より10年も先輩の方たちで始めは緊張したが、皆さんのお心遣いと美味しいワインのおかげですぐに打ち解けてお話に加わることができた。それどころかいい気持ちになって時間を忘れ、気がついたらなんと1時になっていた。さぞご迷惑だったろうに毛ほどもそんなそぶりを見せなかったHさんご夫妻にひたすら感謝。他のお二人も調子に乗ってとまらない私にいつ警告を発しようかとはらはらなさったに違いない。50を過ぎて若気の至りとも言えず、今朝は二日酔いではなく反省に苦しんでいる。
2004年10月16日
9月26日の自然農実習会で蒔いた種はソラマメ、小松菜、サラダ菜、蕪、大根の五種類。1週間ほど前に一度様子見がてら残りの種を蒔きに行って以来、その後台風などもあって、畑には行っていませんでした。今日は雨も降っていないので、間引きに行きました。借りたその農地は、持ち主がそれまで有った栗の木を撤去して除草剤をまいたものだから、まだ草がほとんどない状態です。自然農には言わば最悪の条件。行って見ると、さんざん大雨が降ったあとだからかなり土が流された様子。小松菜を植えたところの多くが流されてきた土で覆われたり、どこかへ流されたりしていました。それでも結構元気な苗が多く、密集しているところもたくさんありました。徳野雅仁さんの「完全版 農薬を使わない野菜づくり」という本を片手に間引きにかかりましたが、どの苗を抜いていいのか結構迷いました。徒長しているもの、弱々しいもの、虫に食われているもの、形の悪いものなどを間引けばいいというのですが、徒長しているものと元気に育っているものの区別がわかりません。また、密集しているところの多くはすべての苗が良く育っているように見え、間引かれる苗がかわいそうで選ぶのがためらわれました。でも、やっているうちに思い切りが良くなって、最後には気の向くままに抜き取っていました。川口由一さんによれば、何をすべきかは畑に立てば自然にわかるとのこと。つまりは気の向くままにやればいいのだと、強引に合点して帰ってきました。
2004年10月14日
遊山房二宮さんにそそのかされて「和の伝統文化にまなぶ会」の創設メンバーになってしまってからはや1年半ほどになります。季刊の会報「いろりばた」第6号が明日にでも発行されます。私はその編集長であり、創刊以来の連載執筆者でもあります。きょうは自分の連載分を書いて、集まった原稿とあわせて編集をやっつけました。第6号ともなるとすっかり慣れて、短時間でできるようになりました。といっても半日以上かかります。いつもながら長谷川さんの巻頭写真はいい。今回は古い家の格子窓にくくりつけられた花かごの写真です。花かごといっても釣った魚を入れる魚篭(びく)のようにも見えます。花はもちろん季節の菊。大小さまざま、色とりどりの数種類の菊が盛りだくさんに生けられています。家主の人柄、品格がにじみ出ています。それが撮影者の長谷川さんの人となりと重なります。私の連載は江戸から明治にかけての画家、菊池貴一郎が書いた「江戸府内絵本風俗往来」を種本とする『江戸むかしごよみ』というエッセイです。今回は『冬夜の三味線』という題です。憬月庵閑話にも転載します。
2004年10月13日
久しぶりに会計処理をする。だいぶたまっていた。「わくわく財務会計」というソフトを使っている。なかなか使い勝手が良く気に入っている。有限会社の設立以前は「弥生の青色申告」を使っていたが法人経理に対応していないため買い換えざるを得なかった。買い替えの際にいくつかお試し版を試した結果、価格、使い勝手ともに優れていた「わくわく」に決めたのだった。経理もそうだが、ホームページも全部一人でつくっている。日記とエッセイと里山暮らしと楽天市場の四つになってしまった。楽天を始めてメールマガジンも書いている。「社長兼小遣い」と言っても若い人には馴染みのない言葉かもしれない。ともかくできる限り一人でやると決めている。21世紀は集中ではなく分散、規模の経済ではなく「小規模の経済」、管理ではなく自律、複雑ではなく単純、ハイテクではなくローテク。と勝手に決めている。それと「社長兼小遣い」は私の中では直結している。しかし、それは時計の逆戻りを意味しない。ローテクを主役にするためにハイテクの手助けを拒絶しない。それどころかパソコンとインターネットの発達があって初めて「社長兼小遣い」でのまとまった事業が成り立ち、「小規模の経済」が実現するとわかっている。例えば地産地消の運動はインターネットでより広く、速く普及する。一般的に草の根の運動はパソコンとインターネットに助けられる。歴史はやはり弁証法的に展開する。
2004年10月12日
3時20分ごろ家を出ました。まず銀行で2件の振込みを済ませてから両親のいる老人ホームへ向かいました。今日は朝から外に出ていなかったので、運動のため歩いていきました。おとといの会食で食べ過ぎたのでしょうか、昨日の午後から胃が重かったのですが、きょうは朝から時々鈍く痛みました。歩き始めると痛みが増しましたが、たいしたことはないので銀行の用を済ませ、ちょうど4時ごろホームに着きました。食堂で父が一人でお茶を飲んでいました。パーキンソン氏病の症状の一つである上体の左傾が最近またひどくなっています。首が前にたれ、さらに上体が左に傾いた状態でお茶を飲んでいます。どうだい、元気かいと声をかけると私の顔を見てうれしそうに笑いました。いつもは、母がそばについて見ていますが、そのときは入浴中でした。父を部屋に連れて行って母を待つことにしました。食堂の入口にはきれいにススキが飾ってありました。きれいだねと父親に見せようとすると、ヘルパーさんたちがなにかあわてた様子でした。飾ってあったクリがすべてなくなってしまったそうです。団子も随分減っていました。「大変、ここに飾るのはやっぱり駄目ね。のどにつっかえたらえらいことだわ。」部屋へ行く途中で、家具が売れた話をすると、父はわかったのか「それはよかったな」と目を輝かせました。それでスイッチか入ったのか、部屋につくと顔つきがはっきりし、最近にはめずしくよく話しました。そうしているうちに母が風呂から帰ってきました。「これたんすの引き出しから出てきたから毎日見せているんだけど、なんだかぜんぜん思い出さないらしいよ。」と言って一束の写真を私に差し出しました。ホームに入るまで五十年近く両親が住んでいた柴又の近所の写真でした。江戸川の土手や、矢切の渡しや、帝釈天や、父親のよく通った本屋などが写っていました。「お父さんが散歩しながら撮ったんだね。本屋の本を虫眼鏡で見たら、平成四年らしいから、まだパーキンソン氏病が出る前だね。」父に渡すと、一枚一枚しげしげと眺めていましたが、「どこだかわかるだろ」と聞いてみると、しばらく眉をしかめて、ほとんど聞こえない声で「よくわからないよ」とつぶやきました。父が大事に使っていたオリンパスのOM1を洋服だんすから出して、渡してやりました。これは自分のカメラだとわかり、「良く使っていたよね。」と言うとしっかりうなづきました。さっきのクリとお団子の騒動について母に話すと、「あら、いやだ。みんなそういうの誰かがもっていっちゃうんだよね。去年はお団子がのどにつっかえた人が出て大変だったから、今年はただ飾るだけにしようって言ってたんだよ。」父はしばらく首に下げたカメラを手すさびにしていましたが、首が疲れてしまうといけないので、はずしてやリました。母の腰と背中を少しマッサージしてからホームを出ました。もう5時過ぎていて、来るときは曇って蒸し暑かったのが、幾分湿気が引いて、空高くウロコ雲が光っていました。ウロコ雲は夜中になっても空を覆い、おかげでお月さんは終始薄紙の向こうでしたが、それでも明るい月でした。先日近くの緑地で抜いてきたススキを3本籐網みのくずかごに指して、一階のガラス戸の外、軒下に置きました。南中の満月は予想以上に高く、低く座らないと軒の陰になって見られませんでした。しばらく見上げていると首が痛くなりました。ススキはそのまま置いて寝床に向かいました。
2004年09月28日

自然農講習会はとてもうまくいきました。質問もたくさん出て、時間も不足気味でした。午前の座学では途中で作物の試食もありましたが、これがまた大好評でした。大方の反応は、美味しい、味が豊かだといったものでした。午後は時折小雨がぱらつく中畑で種撒きの実習が行われここでも受講者の皆さんが大変熱心に受講こうされる姿にうれしくなりました。受講後新たに貸畑の申込が4件あり、合計で9区画が決まりました。私は自分の区画にカブ、小松菜、ソラマメを植えました。新品のノコギリガマの切れ味は最高。霧雨の下、鈍く光るその刃の美しさに思わず身震いが出ました。急いで残りの種まきを済ませなくては。
2004年09月26日
昔、子どもの頃、時代劇というより剣劇を見ていると、よく悪役がクサリガマなどというおどろおどろしい武器を使う場面が出てきたものです。知っている方も多いでしょうが、若い人、特に女性は知らないかも知れないので念のため説明すると、通常の手鎌の柄のお尻に長い鎖がついていて、その反対側の端に鉄の分銅がついているのです。使い手は鎌を左手に構え、右手で分銅をぶんぶん回して敵に対し、ここぞというときにその分銅を相手めがけてとばすのです。子ども心にもいかにも手ごわそうな武器に見え、さすがの主人公も今度こそやられてしまうかもしれないとひやひやしたものでした。そう言えば一度母親に頼んであれの偽物を作ってもらったことがあります。麻紐かなにかの先にぼろきれをくくった照る照る坊主の頭みたいなものをつけてもらいました。しかし、鎌のほうはどうしたのかまったく記憶にありません。今日はそのクサリガマではなく(当たり前だ!)ノコギリガマを買ってきました。クサリガマとノコギリガマとどっちが多くの人に知られているでしょうか。ちょっとこれ微妙な勝負のように思いますがどうでしょう。だから一応ノコギリガマについても説明します。普通の手鎌の刃の部分が鋸の刃になっているものです。稲刈りなどに使われます。あまりおどろおどろしくなくてがっかりした人にはゴメンナサイ。明日いよいよ自然農の実習だもんで、このノコギリガマと野菜の種を近所のホームセンターで買ってきたのです。ドロナワです。自然農というのは草と一緒に作物を育てるのですが、それを言うとまったく草の処理をしないと誤解する人がいます。実は作物の苗がある程度大きくなるまでは、その回りの草を刈るのです。そうしないと草の陰で日光を受けられない作物の赤ちゃんは大きくなれませんから。草を刈るのですが、根こそぎにはしない。つまり、地面より下の部分には手を加えません。それから、刈った草もその場に伏せます。決して持ち出さない。伏せられた草は土の乾燥を防ぎ、大雨の時には土壌の流動を防ぎ、虫たちの温床となり、最後にはその虫の死骸とともに肥料になるのです。というわけで、作物の脇の草を必要最低限の量刈るためには、草刈機でバーというわけにいかず、それでノコギリガマが必要なのです。それ以外の道具は、なくてもいい。あると便利なのは、種をまくときにまく部分の地表の草を掻き取るためのヒラグワだそうです。自然農では土をひっくり返すためにクワを使いません。変な使い方です。
2004年09月25日
夕方6時半から民家協会のトラスト委員会月例会議でした。小田原からIさんが初参加してくれました。例によって盛りだくさんの議題、2時間たっぷりかかって、8時45分に終了。いつもの蕎麦屋で2次会(?)。蕎麦でイッパイやりながらの雑談の主な議題は、不便な民家の素泊まり宿があったとして、果たして都会の人間が利用するかどうかということ。主に2つに意見が分かれました。一方は利用する人はほとんどいず、結局経営が成り立たないだろうと主張。もう一方は、徹底して昔の生活が体験できる施設なら利用希望者はたくさんいるという意見でした。具体的には、例えば台所は最近の流し台ガス台などではなく、かまど囲炉裏が使えること。私はそちらの意見です。さてうちに帰るともう12時近くなっていました。【里山新生活】の残務を片付けていると大学4年の息子が帰宅。1時に仕事を終え寝ようとするとまだ息子は居間で読書中だったので雑談を始めると、私の仕事の話で盛り上がって、結局4時まで話し込んでしまいました。まったく一方的に私が息子に話を聞いてもらったカッコウ。不覚にもアドバイスまでもらう始末。大人になったものだと感慨に浸りながらベッドにもぐりこみました。
2004年09月23日

私が理事をしているNPO日本民家再生リサイクル協会(略称JMRA)のイベント情報です。秋田で明治の赤レンガ蔵を活用しようという運動が起こっています。淡いレンガ色がそれは美しい蔵です。掲題イベントを、10月2日、3日に、地元NPOまちづくり大森とJMRA共催で開催します。リンボウ先生こと林望さん(JMRA特別会員)も講演に駆けつけてくれます。古民家の活用普及、地方コミュニティーの活性化に貢献できる意義あるイベントだと思います。ぜひ多くの皆さんのご参加をお願いします。詳しくは、JMRAホームページのイベント情報 http://www.minka.gr.jp/event/e-new.htm または、JMRA通信をご覧下さい。締め切りが20日に迫っています。どうぞお早めにお申込み下さい。
2004年09月16日
最近の日課はわがネットショップ「里山新生活」のアクセスログと懸賞応募状況のチェックです。毎朝とても楽しみです。色々な情報が詰まってます。表面のデータの裏を読むのが楽しいです。最近ちょっと時間かけ過ぎかもと反省しています。さて、里山新生活ではキャノンIXY DEGITAL 500 のプレゼントを実施中で、現在、4600以上の応募があります。あと1ヶ月ほど募集期間がありますからおそらく最終で6000前後となるでしょう。賞品の数は1台ですから、その倍率はナント6000分の1!この応募時に店に展示してある商品についての意見を募集しています。応募条件ではなく任意なのですが、結構書いて下さるお客様が多くいます。それを読んでいてちょっと発見がありましたので日記に書こうと考えていたところ、Kiccoさんの今日の日記が「“懸賞市場”で当たったことありますか~?(?_?) 」。すごい偶然にビックリでしたがグッドタイミングなので今日書くことにしました。応募時のコメント。これが大きく3種類に分類できます。まず、まじめに商品ページも見て下さりご意見をくださる。次に、「絶対当たれ!」とか「ぜひ私に当てて下さい」という「神頼み」あるいは「懇願」型。そして最後に商品ページをまったく見ていないのに商品やサイトを褒めちぎる「褒め殺し」型です。言うまでもなく第一グループのご意見は店舗運営者として本当にありがたい。第2グループの方々には愛嬌を感じます。そりゃ、せっかく応募するんだから当選したいよね、人情だよねと、ついほほえんでしまいます。気になるのが第3グループ。この中にはかなり長文のものもあります。なぜ商品ページをまったく見ていないとわかるのかって?それは、楽天市場の場合、応募者のクッキーでアクセスの足跡が店舗管理者に見えるようになっているからです。なぜ、この人たちはわざわざ時間をかけて褒め殺し文を書くのか、それが気になるのです。それも大勢います。私が考え付く答えは、「ネット懸賞に当たる方法」というようなマニュアル本ないし情報が懸賞マニアの間に流布しているのではないか、ということです。当然ですが、私は、上のどのグループのかたがたも差別なく応募番号で抽選をしますから、どうぞ皆さんお気遣いなく。
2004年09月14日
今朝の「はなまる」で「お肌の断食」というのを特集してました。要は、化粧品の濫用で肌をいためている女性がたくさんいる、一旦化粧品を断つことで肌の自然の生命力を取り戻し、さらにその後もそれを活かすようなケアに切り替えよう、とこういうことでした。私はそれを見て、「やっぱり」と一人ほくそえみました。これも自然農の示唆する、行き過ぎた人為が自然のバランスを壊し事態をスパイラルに悪化させている、一例。人の知恵、行動は自然の働きを妨げない、助ける方に使えば、素晴らしい成果が得られる、ということでしょう。バージンブルーさんの昨日の日記【女優とアンチ・エイジング】を読んでみると「“アンチ・エイジング”もいき過ぎはよくない。若かりし日を目標に、改造しつくして『いいオンナだったのにね~』と、残念がられるより、多少貫禄が出てきても『歳をとっても、カッコイイね』と思われるほうがいいよね。特に“女優”はね…。」とありました。まったく同感。いま日本中(これもアメリカの影響でしょうが)で「自然」、「健康」が叫ばれ、関連業界が派手にもうかっていますが、良く見ると不自然な自然志向が目に付きます。以前私は日記のコメントでこれをとりあげ、「現代の健康志向、自然志向も、老荘型と道教型があるように思います。この二つは似ているようで実はまったく正反対のもの。自然を受け入れ自然に身をゆだねるか、自然を自分の意のままにコントロールしたいと考えるか。」と指摘しました。ちなみに私は、老荘は自然農の原点だと思っています。
2004年09月09日
急遽決まりました。9月26日の日曜日に高橋浩昭さんを講師に迎え、自然農の基礎講習会を開催することになりました。午前中に教室での講習、午後に畑での実習です。どちらか一方の参加も可能です。ぜひこの機会に自然農の素晴らしさを知ってください。詳しくは、次のページをご覧下さい。http://www.rakuten.co.jp/satoyama/529420/529436/
2004年09月06日
都築区で借りられる畑は、500坪はなく360坪ほどでした。それでも十分です。Nさんが運営主体となって、高橋さんを講師として、15人ほどを対象に自然農実践教室をやろうと考えています。さらに、一般参加者を対象に講習会、見学会を開く予定です。参加者募集を私も手伝おうと思います。もちろん私自身野菜作りをはじめます。土地の所有者は自然農に理解を示してくれていますが、草ぼうぼうは困ると考えています。また、そこで発生する昆虫類が周辺の農家の苦情の対象になる可能性も大いに有ります。そこで、一年間実験的にやらせてくれるということになりました。どうなりますか、やってみます。あさっての日曜、Nさんと、区割りに使う杭とする竹を刈り出しに行ってきます。
2004年09月03日
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