感性と知性と


知性は能動的という印象をもっている。

我々の感性は意識しなくても働いている。
我々の脳には
感覚系(5感:嗅覚、視覚、味覚、聴覚、触覚)を通して
無意識的に情報が絶えず入力されている。
(意識を高めることによって
さらに多くの情報入手も可能である。)

感性はまさに本能に近い領域である。
自分の意志とは別個に無意識的に働く。

一方知性は感性(直感)が入手した情報を理解するために働く。
視覚(本)を通して脳に入力された情報(文字)は知性によって理解される。
知性が低いと例え文字の情報が脳に入力されても
それを理解することはできない。

知性は経験によって鍛えられる。

認識はこの感性と知性の相互作用によって可能となる。

ある人物に初めて会ったときの第1印象はまさに感性と知性の共同作業
によって決まる。
感性は意味もなくただ本能的にその人物が好きか嫌いかを判断する。(瞬時)
知性はその人物の顔立ち、服装、話し方などからその人物がどのような
人物である可能性が高いか(誠実か遊び人か)を経験的に判断する。
感性と知性の妥協点で一応その人物に対する評価(第1印象)が
決定される。

自分の持つ感性、知性は絶対的なものではない。よって第1印象はあくまで
あなたにとってその人物がどうかというイメージにすぎない。

時間がたてば感性は弱まり、知性が優位になってくる。その人物の性格、
自分との相性、経済性、あらゆるものがその人物の評価に加わる。

最初はこう思ってたけど実際は違ったという経験は誰にでもある。
もっとも相手も自分に対して同じように評価をしているだろう。
人生を歩むことにより
何事にも忍耐が大切だということを知性は学び、レベルアップする。

感性(直感)が知性に一致する者は少ない。
そのような人物が成功をおさめることは自明の理である。

多くの者は感性と知性の不一致から失敗を繰り返す。
そして失敗から学ぶことの大切さを学ぶ。
こうして知性はさらに鍛えられる。


知性界/感性界
今日の日記は少し難しい内容かもしれません。
自分でも良く解っているとは思えません。
心に浮かんだことが風化しないように書きとめようと思います。私の今日のメモです。

私にとって自分と世界(全存在)の関係を知ろうとすることは非常に魅力的な作業です。

ただ、私は私を通してしか世界を認識することはできません。

私が消えて無くなったら、世界が存在するのかどうかはわかりません。

私が消えて無くなることがあるのかどうかもわかりません。

知性界とは私やあなたとは無関係に独立して存在する世界のことです。その世界を知る人はいません。
物自体(質料:material)の世界のことです。
究極の客観世界です。

一方感性界とはあなたを通して(materialを)認識する世界のことです。
感性界は無限に存在します。100人の人がいたら100通りの
感性界が存在します。もちろん哲学者が100人いても100通りの
哲学が存在します。
なぜならmaterialを認識する条件として、形質(form)が必要
だからです。ようはフィルターです。materialは私という
フィルターを通して初めて現象として認識されます。

経験はmaterialとfoamによって成立すると考える人もいます。

知性界と感性界が一致するとき、それが真理であるとカントさんは定義しています。


カントさんは感性界が成立するための条件を論じました。

話はものすごく飛びます。

世界を客観的に認識したいと思う人がいます。
そのために必要なことは何でしょう?
そのためには時間、空間、自分の視点、これら全てを放棄
する必要があるようです。


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