全99件 (99件中 1-50件目)
もう一年も日記更新していないことに気付きました。淡雪姫教えてくれてありがとう!2年目の研修医になって変わったことはそれほどありませんが後輩が入ってきて、少し仕事にも慣れてきました。と言っても2か月ことに科が変わるので慣れたと思ったら次の科という感じですが・・。現在精神科をローテイトしています。他の科とは違う点が多々ありますが、臨床の時間は明らかに他科より長いです。比較的ゆとりのある科でもあるので、日記できたら更新していきたいと思います。皆様のところにも遊びにいかせてもらいますね。それにしても1年が早いです!
2005年08月12日
コメント(81)
今週一週間夏休みです。上級医の先生方にはもちろんありません。というわけでとって良い休みなのかどうかはわかりません。新しい臨床研修制度が始まり、厚生省から病院の事務へは研修医に夏休みをとらせるように通達がいっています。そして私はそれに素直に従わせていただくことにしました。身体を休めたい。そんな感じでしょうか。友達とどこかへいく約束をすることもなく、夏休み突入となりました。私は現在内科(消化器)をまわっていますが、外科を回っている同期は休みなしとの話を聞くと、少々後ろめたい気もします。休みが終わってから上級医に”先生本当に休みとったんだ”なんて嫌み言われたりして・・・・(どうせ研修医は役にたってないんだからさっさと休みとりなさいといったのを忘れないでね。)休み中友達と会う約束を何件かいれましたが、勉強もするつもりです。患者さんのプレゼンテーション、これが苦手です。簡単にいうと患者さんの現在の状態、問題点を要領よく、他の先生に伝達することです。系統的に、要領よく、具体的に発表することが大切なのですが、まだまだ初心者以下のレベルでまずいです。特にこの発表が上手くできないことは患者さんの状態把握ができていないということ、問題点が整理されていないことになるので大問題です。全てはここから始まるのです。素晴らしい臨床医は問題点をあますところなく、簡潔的にのべることができます。そして問題点を解決するために必要な検査を順序よくオーダーすることができ、問題がおきている原因を特定することができます。もちろん原因が特定されればその原因に対する解決法(治療)を正確に行うことができます。これができないと対症療法になってしまいます。(痛みに対して痛み止め等)上級医の先生に一つ一つ指導してもらえると思っていましたが、先生等も忙しくあまり教えてもらえないのが現状です。学生時代にもっていた抽象的な知識は現場では威力を発揮しないこともしばしばです。採血一つにしても自分で行う場合、何ゲージ(針の太さ)の針で何cc摂るのか?スピッツ(血を入れる管)にいれる順序はどうか?具体的な知識が要求されます。今でもルート(点滴ライン)をとるのに失敗したり、患者様にはご迷惑かけっぱなしです。2年後の自分を想像すると怖い日々ではありますが、精進していきたいと思ってます。
2004年08月10日
コメント(6)
皆さんお久しぶりです。研修医1年生の青い炎です。仕事もまだなれずおどおどする日々を送っております。慣れるまでは身体に一日中力が入りっぱなしなので疲れます。早く力を抜いて仕事ができるようになりたいです。とりとめのない日記ですが、とりあえず元気にやっております。
2004年05月21日
コメント(3)
受験地 東京 2715番あった!一瞬の中に無限の感情、思いが交差する。その”瞬間”が過ぎ去ると今度は安堵の気持ちに満たされていた。そして脱力感。試験が終わってからも気持ちはどこか張りつめていた。毎日のようにネットで試験の情報収集をした。選んではいけない禁忌肢を踏んでいることを知った時は混乱した。日記なんて書いてられないと自己嫌悪にも陥った。やっと糸はたわむことができる。ぐっすり眠れそうだ。中国の旅行は本当に楽しかった。全く試験のことは忘れ、心から楽しむことができた。中国旅行の更新は後日します。皆様、応援ありがとうございました!PS:またパソコンがおかしいです。自分のパソコンからメールをおくれません。メルアド教えていただければ、親のパソコンから返信します。
2004年04月22日
コメント(10)
一年を振り返りたい自分がいる。でもまだ振り返ることはできない。思えば全ては物語から始まった。そしてその物語はまだ続いている。全ての物語には始まりがあるように終りもある。それが決まりである。咲く桜も散る桜も全てが美しい。久々の更新です。皆様お元気ですか?国家試験の発表は22日です。8日から中国いってきます。
2004年04月02日
コメント(7)
皆さんお元気ですか?自分のパソコン壊れて親のパソコンで書き込んでます。よりによってインターネットつながらなくなりました。あちゃー!国試ももうすぐです。皆さんもお体に気をつけてくださいね!
2004年02月26日
コメント(9)
動物と植物の最大の違いそれは神経系(脳)があるか否かという点に集約される。自由意志(意識)があるか否かとほとんど同じ意味である。神経系の発達が人間を人間たらしめている。といっても過言ではない。神経系の高度な発達が精神をもたらしている。精神は天、神の領域に近い。一方、肉体は地、植物の領域に近い。神経系(脳)はまさに天と地を結ぶ渡り廊下である。天(神)の性質、地(植物)の性質を同時に持ち合わせている。人間は神と植物の中間の存在かもしれない。精神を直接みることはできない。人は強靱な肉体、会話や文体を通じての思想。媒体である何かを通じてのみ精神を知ることが許される。精神-脳-肉体切っても切れない関係にある。国試まであと38日。植物機能だけでもマスターしなくては。精神ー脳の世界はまだまだ仮説の世界である。何も分かっていない。人間が人間である所以。私が私である所以。そんなことは誰も知らないし、分からないのである。
2004年02月10日
コメント(9)
何かを中心に私たちは回っている。太陽を周回する惑星のように。私たちは惑星(星)。どれもが大切で、掛け替えのない星。ネットが星と星を結んでくれた。ネット止めても何も変わらないよ。私たちは何かを中心に周回するだけさ。今日は心が痛い!
2004年02月02日
コメント(11)
お久しぶりです。皆さんお元気でしょうか?国家試験まで2カ月をきりました。(冷汗)勉強していてちょっと閃いたので書いちゃいます。いきなり謝罪からですが、国家試験までに左のコンテンツを仕上げることはできそうにありません。コンテンツの多くは私にとって永遠のテーマでもあります。複雑に考えることもできます。でも私が言いたかったことは単純なのです。この世の中には善・悪を始め、あらゆる2元論的な考えが存在します。医学でも交感神経・副交感神経アドレナリン・アセチルコリン血圧を上げる因子・下げる因子体温を上げる因子・下げる因子等々2元論的考えは健在です。実は体内には何かを上げる因子と下げる因子が天文学的に存在しています。それぞれがアクセルやブレーキの働きをしていたりします。そして生体で最も大切なのは恒常性(ホメオスターシス)の維持なのです。上げる因子と下げる因子がバランスを保つことなのです。このバランスの崩れた状態が病気です。体内では免疫、内分泌(ホルモン)、自律神経・・・・あらゆるものが上げる因子・下げる因子を介してバランスを保っています。何故バランスを保つことができるのかは神秘のベールに包まれていますが、結果的にそのようなシステムをもった種が生き残ったと考えることも可能です。なぜなら、バランスのいい種ほど病気に対する抵抗力を持ち、生存に有利だからです。細菌やウイルスによる感染症、癌、アレルギー、自己免疫疾患・・・・バランスが良い状態にある者はあらゆる病気に抵抗力をもっています。(バランスはあらゆるものに大切ですね。優れたスポーツ選手は例外なくバランス感覚がいいです。)話は少し飛びます。(私の得意技です。)自分が天秤座ということもあるのかもしれません。また神様好きということもあるかもしれません。医学で2元論(何かを上げる因子・下げる因子)について考えているとき、私の脳裏にはいつも天秤が浮かびます。天秤は同時に十字架のようにも見えるのです。(体内に備わっているシステムがあまりに神秘的だからかもしれません。)そして、天秤のバランスが崩れることで病気が発症するのです。天秤は右に傾いても、左に傾いても駄目なのです。バランスを維持することが生体にとって最も大切なのです。久しぶりなので天秤にまつわる話をもう一つ。法曹界には詳しくないのですが、弁護士バッチには天秤が書かれていると思います。ギリシャ・ローマ時代の正義の女神ユスティティアは左手に天秤、右手に剣を持っていたそうです。そして自らの主観を遮るために目隠しをしていたそうです。天秤は公平を表すシンボルであり、剣は正義のシンボルです。ユスティティアは公平を乱す悪をその剣で切りました。目隠しは主観を遮るためだけのものでもなかったようです。悪を切るためにも心を鬼にしなくてはなりません。ユスティティアは優しい女神でもありました。眼で見ながら剣を振り下ろせる神でもありません。そのための目隠しでもあったようです。世界には正義や公平(JUSTICE)を求めて叫んでる人がいるでしょう。それを受け止めるのがユスティティアのような女神だったらいいなと思います。
2004年01月21日
コメント(11)
あまりHP更新しないですみません。国試あるので、週1ペースで更新できればと思っています。さて、基本・・・・私の好きな言葉の一つです。基本があるのか?ないのか?とても大切だと考えています。基本・・・簡単な言葉ですが、何の分野であれ、基本はあります。そして基本が最も大切です。同時に最も修得が困難です。国試も近いのでバカの一つ覚えを繰り返しています。でもすぐに忘れてしまいます。しかも覚えたところで新しい考えが思い浮かびません。正直つまらないです。私にも得意分野はあります。かなり基本から知っています。するとあらゆる疑問が思い浮かびます。教科書に書かれていても、理論的にはこうなるはずだとか、治療法はこっちの方がいいのでは?等々思いつきます。しかも忘れません。忘れたとして基本を組み立てることで同じ結論を導き出すことができます。時間を忘れて夢中になることもできます。私は基本が欲しいです。基本は道具です。新しいものを創造するために必要な道具です。基本は暗闇を照らす光です。暗闇で迷子になっても光があれば道を照らすことができます。自分が進みたい道を進むことができます。光を自分が持っていなければ、右往左往してしまいます。迷子になってしまいます。もし、遠くに強い光があればそこへ歩み寄るでしょう。本当は皆、暗闇を照らす光を持っています。自分を信じることができないと光は弱いです。足元を照らすことも難しいかもしれません。強い光の中に入って、自分の光を消すのも一つの選択です。強い光の中に入って、その光を吸収し、自分の光をより強くすることも可能でしょう。それも選択の一つです。”世界に一つだけの花”を考えて下さい。その花は周りから照らされて美しく輝いているのでしょうか?それともその花自身が輝いていて美しいのでしょうか?それともその両者なのでしょうか?
2004年01月04日
コメント(2)
謹賀新年 2004元旦明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
2004年01月01日
コメント(4)
大晦日です。皆さん忙しく過ごされていることと思います。紅白最後の歌がSMAPの”世界に一つだけの花”だと思います。私の好きな歌の一つです。歌だけでなく、SMAPは私の好きなグループの一つです。メンバーの一人一人がリーダーの素質を持っています。一人一人が強い個性とともにありながら、メンバーが揃ってもお互いの光を損なうことがありません。個であっても、グループであっても輝きを失いません。1+1+1+1+1=∞であることを教えてくれます。1=∞であることも教えてくれます。一人一人が違うオーラをまとい、違う光で輝きながら、5人がそろってもいけてます!”世界に一つだけの花”はそんなSMAPの不思議な性質を表していると思います。私たちが唯一無二の存在であることを教えてくれます。私は音楽に強い関心があります。音楽は心に響きます。癒しの力があります。歌うことも好きです。心に蓄積したドロドロしたものが、歌とともに浄化されます。歌詞が暴力的なものもありますが、歌うことによって心のドロドロしたものは浄化されるのだと考えています。心の複雑な感情を歌は外に発散させてくれます。暴力的な歌詞を思い切り歌い終わった後、心は浄化されていることが多いです。行き場を失った心の複雑な感情が外に出るからです。心の中に複雑な感情をいつまでも溜めておくことはお薦めできません。心の深い部分でそれらが腐敗すると収集がつかなくなるからです。素直な感情は抑圧するよりも発散させた方が心は奇麗に保つことができると思います。時には思いっきりわがままを言った方が心を健全に保つことができたりします。”世界で一つだけの花”聞くのが楽しみです。そして世界で一つだけの花であり続けたいです。皆様良いお年を!
2003年12月31日
コメント(3)
解らないことが多くある。もし、5年後の自分と今の自分が対話できたら、5年後の自分は今の自分に多くを解りやすい形で教えてくれるだろう。5年後の自分は、今の自分を乗り越えた存在なのだから。結構面白い発想だから書き留めておく。映画のテーマとかに使えるかな?
2003年12月29日
コメント(8)
私は物語を創るのが好きです。自己紹介でも将来は作家になりたいと書きました。定年を向かえたら本当に書くかもしれません。ひっきりなしに物語が頭に浮かびます。書かないと忘れてしまうので、なるべく書きとめておきます。さて、物語りの世界へようこそ。前と後ろを同時に見ることはできますか?できません。眼は前にしかついていないからです。何故私たちの眼は後ろについていないのか?疑問に思われた方はいませんか?不思議ですね?背後から襲われたらひとたまりもありません。実は人間には第3の眼というものが存在します。既に退化していて、光を直接感知することはできないのですが、松果体と呼ばれています。既日リズムに関わっているのでご存じの方もおられるかと思います。下等脊椎動物では頭頂に存在し、眼と同様に光りを感知する器官なのですが、人間においては直接光は感知せず、交感神経に反応して、メラトニンの産生や性ホルモンに影響を与えています。(厳密には眼からの光によって交感神経が活性化され、交感神経が松果体からのメラトニン産制を抑制し、視床下部にも働いて性腺機能を抑制するようです。つまり夜の方がメラトニン産制が高まり、性機能が高まる訳です。少し理にかなっていますね。)人間は進化の過程で第3の眼を退化させました。何故でしょうか?人間には第4の眼を発達させる可能性もありました。しかし、人間は第3の眼を退化させたのです。自らの意志でその必要性をなくしたのです。弱肉強食の生存競争をするより、共存を目指しお互いの死角をカバーしあう社会の方がはるかにお互いの生存に有利であることを学習したのです。人間よりも下等な(言葉悪いですが・・・)生き物を考えて下さい。利己的な生物ほど視野が広いです。360度近い視野を持つ生物もいます。常に襲われる危険があるからです。彼等は常に不安に襲われているのです。人が近づくと大抵の動物は逃げていきます。危険だと本能的に察知します。でも良い主人に出合った動物はどうでしょう。不安よりも愛が強くなります。すると人に寄ってきますね。良い主人に出会える者は幸いです。人を疑うことや、人から奪うことより愛することを教えられるからです。良い主人は戦争をしません。動物以上に賢いからです。共存を第1に考えるからです。科学技術は人を殺すことを目的にするものでないことを知っているからです。エネルギーや食料の生産を高めることができることを知っているからです。良い主人は僕をつくりません。常に対等な関係を望みます。お互いの利益に価値を見出すからです。悪い主人は??世界に不安を与えます。
2003年12月27日
コメント(13)
天にまします我らの神よ私は私であり続けたい!そしてあなたはあなたであり続けて欲しい。 アーメン。世界はお互いがお互いに影響を及ぼしあい、自分を経験する場だと思う。あなたがいなかったら私は今以上に自分が何ものであるか知ることは出来なかったでしょう。私が出合う多くの人々が私が何ものであるかのヒントを少しづつ与えてくれる。私も少し、相手が何ものであるか知るヒントを与えているのかもしれない。私が私であることに疲れたとき、グライダーで空と一体になろう。私が私であることに疲れたとき、サーフィンで波と一体になろう。自分という殻が窮屈になったら、それを捨てて全体の一部になろう。そこではもはや私は私ではなく、全体の中の一部にすぎない。大いなる世界の一部になるとき私の枯渇していたエネルギーは再び充足される。グライダーもやがて地に下りる。波もやがて崩れ落ちる。私は充足したエネルギーで再び歩みはじめるだろう。HOMEは大いなる全体。7も同じ意味。そこに帰ることは全体の一部になることであり、自分を捨てること。あなたも私もない。自分を捨てる時、宇宙エネルギーは自分に入りやすくなる。自分の殻、バリアーが強いものほど全体からのエネルギーは入りにくい。それは価値観であったり、個性だったりする。人生は自分対世界の物語なのかもしれない。自分であるときは価値観や個性を多いに発揮することが望ましい。疲れたらそんなものは捨ててもいいと思う。宇宙エネルギーが自分を満たしてくれる。倒れて起きあがらない人間を私はみたことがない。倒れた人間は必ずまた歩き出す。
2003年12月26日
コメント(5)
私はHOMEに帰ります。明日またHOUSEに戻ります。私はHOMEで祈ります。HOMEでは祈りを捧げます。一方的に与えます。でも不思議です。自分以外の魂も祈りを一方的に捧げているのです。結果的に私は7倍の祝福を受けることになります。7とは完全数です。私は祈りを捧げることで、完全なものを同時に与えられるのです。ここでは私もあなたもありません。祈りの中で全ては融和するのです。一つは全てのために。全ては一つのために。アーメン。
2003年12月24日
コメント(6)
”神との対話”読んだことありますか?非常に興味深い内容です。私は科学も好きですが、オカルトも大好きです。人間も大きく心(精神)と身体にわけることができるでしょう。身体の構成単位は細胞です。細胞をさらに細かくみても原子や分子、陽子や電子、中性子に行き着くでしょう。身体はこのような小さな物資の集合体と考えるのが一般的です。幸い、物質の構造、性質、機能については科学が威力を発揮します。現代の難病も科学のおかげで少しづつですが、解明されつつあります。現在治療法のない病気についても、これから多くの発見があると思います。一方、心を構成するものについては、著名な学者でも意見の分かれるところです。やはり、物質であると考える人もいるし、そうでないと考える人もいます。確かなことは脳が損傷されると心を表現する手段を人は失うということではないでしょうか。実際は脳が損傷すると心を表現できなくなるのか?それとも心自体が消失するのか?、それを知る手段はありません。もし、知ることができたら脳死判定基準もかわるかもしれません。身体と心(精神)について少し、お話しました。私は身体というものを考えるときには科学的アプローチを、心を考える時には別なアプローチをとりたいと考えています。人間は誰しも物質的な側面と精神的(非物質)な側面を持っています。私は最近、自分の思考が分裂していることに気付きました。あるときは物質について語り、あるときは精神について語る自分がいます。そして物質で起こる現象をそのまま精神現象にあてはめることはできないことがあるのです。物質は時間と空間に支配されるという性質をもちます。ある瞬間、ある場所にそれは存在します。それを瞬間的に他の場所へ移動させることはできません。必ず時間がかかります。またある瞬間においてそれが同時に2つの場所に存在することもありません。私の身体がこことそこに同時にあることはないのです。すべては物が時空の内側の存在であることを考えれば納得できます。心(精神)はどうでしょうか?時間や空間に縛られているでしょうか?身体と同様、時間とともに老いていく存在でしょうか?物質同様、質量をもつ存在でしょうか?知識を持つ人はその分体重が重いでしょうか?私は精神は時空からの支配を受けない存在だと考えています。身体と心(精神)、一方は時空に縛られる物質で、一方はそれとは違う存在のようです。ですから科学をそのまま精神現象に当てはめようとしても無理があるのです。逆に精神現象をそのまま科学現象としてとらえようとしても無理が生じます。両者は次元の違う領域なのです。次元の違うものを同じ土俵で考えると矛盾を起こします。私が自分を分裂していると感じる時、その時私は物質と心(精神)を同じ土俵(脳)でとらえようとしている時のようです。”神との対話3”を読んでいます。ここには死後の世界(霊の世界)についても書かれています。時空にとらわれない世界について書かれています。それは原因と結果が同時に存在するような世界らしいです??非常に面白い内容です。是非一読を!神様はお茶目に書かれていますが、ただものではありません!
2003年12月20日
コメント(13)
今日はHP開設100日目です。記念の軌跡を残したいと思います。(また物語書きました。)○○さんへの手紙あなたは病気に苦しんでいます。あなたには食べる物もなく飢えています。あなたには家族もなく孤独です。あなたには住む家もなく、寒さに震えることもあります。あなたの国には平和や秩序がなく、あるのは紛争と混乱です。あなたは幸せですか?△△への手紙あなたには健康があり、あなたには過剰な食べ物があり、あなたには暖かい家庭と美しい妻がおり、あなたの国は平和で、あなたは富と名誉さえ欲しいままにしている。あなたは幸せですか?○○からの返事私は決して恵まれてはいないでしょう。自分に与えられたものは他の人と比べればわずかかもしれません。でも、私は不幸だとも思いません。ほんの少し、体調が良い日に感謝し、わずかな食料に幸せを感じ、その日会う人との出会いを大切にすることができるからです。感謝する気持ち、幸せを感じること、出会いを大切にすること・・・それを私から奪える者はいません。この国でも!その気持ちは自分に与えられた条件に左右されるものでもありません。私自身によって決められるものです。私は私自身の力によって幸せにも不幸にも成りうるのです。病気が苦しく、空腹に思考が奪われ、死にたくなることもあります。私にとって生きることは生優しいことでもありません。それでも私は生きています。不思議ですね。生きるとは私だけの力による現象でもないようです。正しくは生かされているのかもしれません。命が続く限り、私は希望とともに生きつづけます。△△からの返事幸せとは不思議なものです。私は今とても幸せです。暖かい暖炉の前で飲み物、食べ物、およそ欲しいものは全てそろっています。そして暖かい家庭に包まれています。でも、全てを手に入れて始めてわかったこともあります。私が一番幸せに感じる瞬間は今の恵まれた状況に対してではありません。暖かい家庭の中で、過去の孤独だった私を振り返るとき、私はよりいっそう今の幸せを感じることができるのです。過去の私には何もありませんでした。健康や食べるものさえありませんでした。だから全てを手にいれるために努力しました。その日々を当時の私は幸せに感じていなかったでしょう。きっと辛く感じていたと思います。でもそれらの日々を振り返るとき、今の幸せを強くかみしめることができるのです。私が生まれながら全てに満たされていたなら、私は今の状態に対してもあまり幸せを感じることはなかったでしょう。健康の有り難さを健康であるものは知りません。空腹なもの以上に満腹な者が料理を美味しく感じることはありません。それと一緒です。物質的な豊かさが必ずしも幸せを感じるための条件とはなりません。しかし、物質的豊かさや精神的豊かさが困難や苦しみの上に成り立ったものであれば、人はそのことに幸せを感じるのです。 (終わり)100回記念に物語りをまた書きました。3時間近くかかりました。ヤバイ!ちなみに△△さんは30年後の○○さんという設定です。
2003年12月16日
コメント(2)
先日大学の友達と会う機会を得た。彼は歯学部出身で、現在東京の大学病院で研修中である。口腔外科に所属し、歯医者というより、むしろ形成外科に近い領域の研修をしている。余談だが、彼は在学中に結婚し、奥さんと子供は九州にいる。銀座で飲んだのだが、そこは先輩に良く連れて行かれる店らしい。お洒落な店だった。今日はゆっくり飲めそうだといって友は喜んでいた。私も久々の再会で嬉しかった。会話は自然と研修の話になった。同期の研修医は6人らしく、女性が4名だそうだ。そしてこの4人が強者らしい。服装も派手で、教授から注意を受けるほどらしい。重篤な患者さんがいても5時になると颯爽と帰宅する。上級医との会話もため語。親はどこかの開業医らしく、止めることになっても困らない。それが彼女らの強みで、たちが悪いと聞いた。上級医も今までと違う?研修医に驚き、たじたじの部分もあるらしい。そして最終的にとばっちりを自分たちが受けている(残り2人の研修医)と不満を言っていた。見事に彼女らの作戦?が成功している部分もあるという。帰宅途中でも採血の必要があると看護士からは彼女等でなく、自分にまず電話がかかってくる。看護士『先生、今どこです?』友達『今地下鉄に乗って帰るところです。』看護士『あら良かった。早く病院まで戻って採血して下さい。』看護士も頼りがいがある?自分に電話をまずかけてくれると皮肉たっぷりに語っていた。どこでも聞くが、研修医は実際雑用が多く、自分で勉強する時間ももてないそうである。身分は研修医というより、日雇いの奴隷状態。そんな日々を送っていると聞かされた。彼は来年からバイトをしながら大学院へいくことを決めた。大学で生き残るためには学位がいる。今は臨床をする上では学位は必要ないともいわれている。しかし、大学でのポストを得るためには今も必要とされる。学位は足の裏の米粒と表現される。とらなくても困らないが、とらないと気になる。よっぽど研究に興味あるもの以外には必要ない。しかし、出世のためにはあるにこしたことはない。全く不思議な代物だ。医者もなってから、色々大変なことがある。それが少しわかった気がした。
2003年12月07日
コメント(2)
人間は5感を通じて外界を認識すると先日書いた。5感は常に働いている。自分の意識とは無関係に人は物を見、音を聞き、匂いを知覚している。5感は意識が働らいていない状態では上手く機能しない。ボーっとしながら見た物、聞いた音は何となく知覚しているだけで、それが何であるのか、はっきりと明確に知ることはできない。この状態では5感はフォーカスされていないので、人は広い外界をおぼろげに認識していることになる。人間に与えられた優れた才能の一つは意識、集中力である。これを発揮することで人の5感は極限まで高まる。(はず!)意識、集中力を発揮することによって、人の5感は特定のフォーカスされた外界に対しての認識力を高める。その時、人はおぼろげにでなく、明確にその対象が何であり、どのような性質のものであるかを知る。そして記憶する。自分が何故このような話しをするのか?知り合いに成績抜群の友がいた。彼曰く、成績は時間より、むしろ集中力に左右されると言っていた。成績は集中力×時間の和であると・・。なんとなく彼が優秀である理由がわかった気がした。過去の日記にメンタル・ブロックについて書いた。メンタル・ブロックを取り除く方法はどれだけ意識、集中力を高められるかという問題でもある気がする。自分には無理、自分にはできないという思いは、結局自分の集中力を奪っているのではなかろうか?集中力は人に与えられた最も優れた才能の一つだが、これを持続させることは難しい。自分にも集中力がない!はあー。
2003年12月05日
コメント(4)
人間には5感がある。およそ全ての外界からの情報は目、耳、鼻、舌、皮膚から脳へと伝達される。本を読めば目から情報が脳へ伝わる。音は耳から情報が脳へ伝わる。香り、味、触覚もしかりである。目、耳、鼻などの感覚器を通して入力された情報はいったん電気信号に変換され、脳で再び解析される。そのことによって初めて私たちはその情報を認識できる。例えば目から入力された情報は網膜で電気信号に変換され、脳の後ろの部分(後頭葉)で解析される。そして後頭葉で電気信号の情報が統合され、私たちはそれを映像として認識することになる。目に異常がなくても、脳に異常があると視力や視野が低下することがある。それは最終的な映像を生み出しているのが脳であることを裏付けている。5感を通して入ってきた情報を確信することはできない。それは電気信号を私たちの脳が解析して、映像や音、匂い、味、触覚を生み出しているにすぎないからである。脳はいわばブラックボックスである。脳へ入力された情報が私たちにどのようなフォームで認識されるかは私たちの脳によって決定される。そして脳には個体差があることを忘れてはいけない。料理を食べたとしよう。それが美味しいか、まずいかは主に脳によって決定されている。そして、目の前の料理が美味いか、まずいかを決定するのは味覚だけではない。見た目が悪い料理は食べる以前からまずいものと認識される。例えそれが味において抜群であっても、視覚からの情報が脳が認識する味にも影響を与えるのである。不思議だが、心地よい場所で好きな者と楽しい会話を楽しみながら食べる料理はことのほか美味しく感じるのである。いわば、5感全てが料理の味に影響を及ぼすのである。5感を通して脳へ入力される情報は全て電気情報に変換されている。電気信号に変換された情報においては、それが視覚であろうが、味覚であろうが脳は区別がつかなくなっているのかもしれない。絵画を鑑賞しても、それから脳が描くイメージは千差万物である。脳の個体差がその違いを生み出していると言える。感性が豊かであるとは、脳が電気信号を統合する際、排除されがちな微々たる情報にまで脳の解析が及ぶ者のことを言うのかもしれない。他の人には理解できない繊細な情報をイメージ化できる才能を持った者なのかもしれない。芸術分野で才能を開花させる者はそのような脳の持ち主だと思う。それが生まれ持った才能であるのか、後天的な努力によってもたらされた才能であるのか、その両者であるのか判断はつかないが・・。感性の優れた人間は脳が優れていると思うことも多い。知性においてはきっとそうだと思っている。しかし、オカルト好きの自分としては脳を越えたどこかに第6感があるように思えてならない。そして真に感性を発揮する者はその第6感が優れた者である気がしてならない。第6感が何であるのか知りたい!
2003年12月04日
コメント(0)
自分の身の回りで起きることを現実というのだろうか?確かに自分の身の回りで起こる変化については直接自分が関与していることが多い。そしてその分責任も伴う。一方自分の外の世界では自分が直接関与しないことが多い。その分自分の責任は減少するが、影響力も少ない。外の世界に対しては自分はことのほか無力である。目の前のことだけに集中することも大切だろう。それが狭い意味で現実を生きるということなのかもしれない。医者は世間に無知であることが多い。それにあまりあるスペシャリティーを身につけている者が多いのも事実であるが・・・。井の中の蛙にはなりたくない。
2003年12月03日
コメント(1)
模試の結果がまあまあ良かった。最悪の出来のパートも平均点を超えていた。ひと安心。国試は何とか通るだろう。いや、絶対通る!去年、小児科単位取得に手間取り、卒業したが国試を受けられなかった。あれから1年が経とうとしている。それにしても長い。あと少しだ。がんばろう!
2003年12月02日
コメント(4)
イラクで亡くなった井上書記官は第2子の誕生をひかえていた。本当に痛ましい。奧参事官の悲報も耐え難い。彼等の意志を引き継ぐ想いを語る関係者も多い。その想いに共感はできる。しかし、同感はしない!来年6月にアメリカは撤退する予定である。その後イラクの自治政府からの要請で復興支援にあたることが、日本とイラクの友好関係においては最も良かったはずだ。何故、それほどまでにブッシュの顔色を伺うのか?外国の情報誌では、今回の事件(流血)でやっと日本も国際社会の仲間入りをしたと報じられたらしい。そんな報道で満足したのは、一部の日本人だけであることを切に祈る!
2003年12月01日
コメント(8)
日本人に2人の犠牲者がでた。イラクへの自衛隊派遣がイラク復興支援と思われていない証だろう。現地ゲリラにはアメリカ支持への表明にしか映らない。事実だが・・・。小泉首相は自衛隊派遣を変えないと表明。これからも犠牲者が出る可能性を否めない。国際社会の中で責任を果たすこと・・。日本の旗を見せること・・・。それでも犠牲者は出したくない。犠牲を強いる社会に健全性はない。
2003年11月30日
コメント(3)
今日も天気いいです。私は第2回TECOMの模試を解いていました。必須問題、臨床問題、一般問題、計550問を3日間かけて解きました。必須、臨床はまあまあだったのですが、一般が難しく、出来が悪かったので少し鬱です。(笑)まだ4カ月あるので、少しずつ理解を深めていきたいと思います。更新も不定期になるかもしれませんが、気が向くままに青い炎ワールドを展開していこうと思っています。これからもよろしくお願いします。皆さんの日記を読んで楽しませてもらってます。ありがとう!PS:何か最終回みたいだけど、そんなことはありませんよ。
2003年11月26日
コメント(4)
患難は忍耐を生みだし、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。そして希望は失望に終わることはない。 ”ローマ人への手紙第5章”聖書は信仰と希望と愛がもっとも大切であると説く。そしてその中でも愛が最も大切であると説く。何故希望が失望に変わることがないのか。聖書に書かれている。勝手に聖書を解釈すると呪われるらしいので、怖いが・・・・。信じることと、希望と愛は密接に関わっている。信じる限り、希望は失望に変わることはない。信じることを止めた時、希望はもうそこに存在しない。私たちは何かを信じているから歩むことができるのだと思う。そして、希望を失わない限り歩み続けることができるのだと思う。疲れたら休めばいい。また人は歩き出すから。
2003年11月23日
コメント(10)
昨日の日記に結果の解釈は自分の都合で行われると書いたけど、そこに正義や悪ってあるのかな?自分の受け入れがたい結果(現実)に対して人は運や社会が悪いって思うかもしれない。この場合、運や社会は悪になるね。結果が好ましい場合、自分の努力や忍耐がそれをもたらしたと考える。この場合、努力や忍耐は正義だね。結局、正義は自分にとって都合のいいもの。悪は自分にとって都合の悪いものを指すのだろうね。戦争は正義と正義の戦いであったりもする。それぞれの立場においてはね。本当に難しいね。自分にとっての正義は相手にとっての悪にもなりうる。私の正義は何だろう?あなたの正義は何だろう?多くを共有できてたらいいね。
2003年11月21日
コメント(3)
”人は厳しい現実よりも優しい嘘を好む”某ラジオ番組で福山雅治氏が言っていた。確かにそうだと納得した。結果は必ずしも自分にとって好ましくないことが多い。その厳しい結果(現実)をどう受け止めるか?人は多くの場合、嘘を並べるというのである。運が悪い、社会が悪い・・・。およそ全ての原因を自分以外のところに求めようとする。人は優しい嘘を好むのである。(上手い表現で、感心した。)では結果が好ましい場合はどうか?己の努力、忍耐力・・・・・。およそ全ての原因を自分自身に求めようとする。結果の解釈はこのように自分の都合で行われる。それにしても福山氏の言葉は真実をついているな。と思わず感心する。
2003年11月20日
コメント(5)
”一つ屋根の下”というドラマ知っていますか?私は知ってます。(当たり前か!)バラバラになった家族が再び一つ屋根の下で暮らすようになってから起こる人間模様を描いたドラマです。江口洋介のあんちゃんが熱いです。不器用だけど全てに真剣。家族のことにはまじで真剣です。あんちゃんの素敵なところは理屈でないところだと思います。自分の心のままに行動している。頑固だし、失敗も多い。それでも最後には家族皆から理解され、受け入れられる。失敗ばかりして、自分の気持ちを素直に表現できない頑固もののあんちゃんが、何故?人間は皆、朝も昼も晩も自分のことを考えて生きていると書かれた本を読んで、激しく同感しました。でもきっとそうでない人もいるのだと思います。あんちゃんほど兄弟の苦しみを我が苦しみとし、兄弟の喜びを我が喜びと感じられる人間はそう多くないように思います。本にも書いてありました。自分について考える時間を少し相手について考える時間にしなさいと。それを最も良く実行できている動物は犬であると。犬はその結果、主人から愛される。誤解がないように。私はあんちゃんが犬だ。と言いたいのではない!素敵だと思っている。野島 伸司の作品は考えさせられます。”幸せ”や”愛”が何であるのか。
2003年11月19日
コメント(5)
バレーに息吹きを吹きかけるのが選手である。選手がいて初めてバレーは生きたものとなる。熱気がコートを包み、熱い鼓動が観客へと伝播する。熱い鼓動は観客の心に感動を生む。無人のコートにネットとボールがあるだけでは何も始まらない。選手がいて初めて、バレーは生きたものとなる。活字に息吹を吹き込むのが作家だろう。その時活字は美しい文体となり、読者に影響を与える。およそ全ての物は道具にすぎない。それらに意味、息吹を吹きかけるものが生命である。全日本男子!これからも感動を!今日は良かったよ。
2003年11月18日
コメント(0)
ジョセフ・マーフィーのパンフレットを読んだ。想いは実現するようになっている。そのために必要なのは潜在意識の活用であると説く。普段私たちの頭にはメンタル・ブロックという壁があって潜在意識を活かすことができない。そのブロックをはずす方法が書いてあった。火事場のバカ力と発想は似ていると思った。追い込まれると人は普段以上の力を発揮する。普段絶対無理と思っていたことが、火事場ではやらなくてはならない状況に追い込まれる。その時人は真価を発揮する。(潜在意識を活用する。)詳しく知りたい方はジョセフまで。カタログは無料です。
2003年11月17日
コメント(13)
女子バレーや男子バレー、オリンピックを見て思う。自分が日本人であると自覚するのはそのような祭典の場だけでいいと・・・。
2003年11月16日
コメント(3)
○○へ恵み充満真理充満1995.10.7 ○○摂理を歩んだ日々があった。神を知ろうとした日々があった。最初の日記に書いた。一時情熱を燃やすことはたやすいと。燃やし続けることが難しいと。私は摂理から多くのことを学んだ。しかし、摂理を離れた。そのことで多くを学ぶ機会を失った。後悔はしていない。今でも全ての決断は自分に与えられていると思っている。それに対する責任は自分が負えばいい。失うものもあれば新しく得るものもある。摂理は霊の存在を私に教えてくれた。信じることによって初めてみえる世界があることを教えてくれた。人はパンのみに生きるにあらず。神の口から出る一つ一つの言で生きるものである。肉体を成長させるためには必要なのは食べ物である。しかし、霊を成長させるものは食べ物ではない。神の言である。聖書ではパンの比喩がたくさん出てくる。しかし、そのパンは食べ物を指していないことの方がはるかに多い。神とてパンを無限に増やすことはできなかっただろう。しかし、神は霊に与えるパンを無限に持っている。空腹に飢えた群衆を前に神が与えたパンは食べ物だったのか?それとも言であったのか?例え飢えていて動けなくても、言によって空腹が満たされることがあることは誰もが経験する。言による概念、希望や信仰、そして愛がアウシュビッツ収容所における生きる力となったものも多い。生還したものの多くは言によって生きられたのだと思う。すなわち、日々己を励ますことができたのである。肉体に栄養がなくとも、霊は希望を失わない。強い信仰は身体の免疫をも活性化させ、蔓延する病気に対する抵抗力も生み出す。私はそんな話しの数々を聞いた。そして霊の存在を少し、実感することができた。不治の病気に対しても信仰が思わぬ効果を生み出すことがある。信じるものは救われる。真実だと思った。 祈りは神との霊による対話。言葉や異言による祈りは霊を成長させる。摂理は非日常的な空間だった。今では少し懐かしい。私に聖書をくれた○○さんは元気だろうか?
2003年11月15日
コメント(14)
先日正式に都内の某臨床研修病院で研修することが決まった。いわゆる正式な内定をもらった。今年はマッチングシステムの導入された初めての年であり、来年から医者をする予定の者は全国一斉に内定をもらったことになる。方法もパソコンによって行われるユニークなものである。1.あらかじめ自分の希望する病院の採用試験を受ける。(数はいくつでもいい。)2.自分の行きたい病院の順位をパソコンに入力する。3.病院側も採用したい学生の順位をパソコンに入力する。パソコンが解析し、自分の希望にできるだけそった研修先が表示される。そこが内定先となる。内定がパソコンに現れる文字で決定するのだから、なんだか少し違和感があるが、これからはこのシステムが当たり前になっていくのだろう。今年は臨床研修の必須化の最初の年で混乱も多かった。たくさん病院を受験しなくてはならなかったり、国が何を研修医に求めているのか理解しなくてはならなかったり、大変な面も確かに多かった。そして最後に予算問題が残った。国は原則として研修医のアルバイトを禁じた。その分を国家予算により補填し、研修医の給料を月30万程度にする方針をたてたが、ここにきてそのための予算(212億)が果たして下りるのか厳しくなってきた。予算が通過する前に臨床研修制度を始めたり、予定が大幅に遅れたり。正直役人さんは現場をまるで理解していないと非難したくなる時もあったが、とにかく何とかここまでこぎつけたという印象である。基本的臨床能力(知識、技術、態度)、そしてプライマリーケアが新しい臨床研修制度のキーワードだと思っている。来年からはそれらのことをゆっくり学んでいきたい。
2003年11月14日
コメント(1)
イタリア軍本部にテロ。イタリア人14名死亡。どこか遠くの国の出来事。お話。もう、争いは止めないかい?イラクへの自衛隊派遣は反対する。国家の政策に反対する者を非国民というのだろうか?大義名分のない自衛隊のイラクへの派遣。彼等は無事に本国へ戻れる保証はどこにもない。そんな国家政策に賛成する者を愛国者と呼ぶのだろうか?私は愛国者でなくてもいい。一般市民と思われれば十分だ。反体制派、左翼でいい。グローバリゼーションは急速に進みすぎた。愛国主義者と愛国主義者の接近は衝突を生む。グローバリゼーションは愛世主義思想のもとにしか成立しえない。アメリカのユニラテラリズムは愛国主義思想によるもの。国連決議も無視し、イラク戦争に踏み切った。正直危険だ。大量破壊兵器も未だみつからず。イラクはどうなるのだろうか?このままでは国民が難民化する。国連主導の愛世主義思想にしか解決の道はない。もう武力行使は止めよう。泥沼にはまりつつある。いや、既にはまっている。
2003年11月13日
コメント(4)
日本への留学生が10万人を越えたという記事を読んだ。すばらしいと思った。平和をつくるのも、戦争を起こすのも人間。国際社会の中で共生するにはグローバルな感性を持たなくてはならない。祖国、そして隣接諸国の伝統、文化、歴史、思想・・・・についてお互い学び合い、協調路線を歩まなくてはならない。そのためにも積極的な国際交流(人材交流)が不可欠である。50億ドルイラクの復興支援にあてるというが、世界が少しづつお金を出し合って、世界機関が人材交流を促していたら、今回の戦争も無かったのではなかろうか?もちろんそのためにクリアしなくてはならない壁はたくさんある。医療においても、予防措置が最も安価で、有効な対策である。国連が上手く機能していないことに不安を抱く。特にアメリカ一国の権限が強すぎる。ユニラテラリズムを許してはいけない。アメリカ人、日本人、イラク人に優劣はない。日本にはいかなる場合も戦争に加担してほしくない。留学生が日本へやって来たとき、戦争放棄した国が他国から攻められることもなく、豊かな福祉政策を実現できることを示したい。無駄な軍事費を別の社会保障費に充てることが可能であることを世界に示したい。それが世界に旗をみせることだと思う。松井やイチローのような旗の見せ方もある。ブラックユーモアがある。タイタニックが沈みかけたが、残された乗客に与えるライフジャケットが足りない。すると船員がアメリカ人にあなたはヒーローですという。すると乗客は何も言わずそのまま海に飛び込んだ。船員はイギリス人にも言う。あなたはジェントルマンです。と。するとイギリス人もそのまま海に飛び込む。最後に残された日本人に船員が言う。”皆様そうされています。”するとしぶしぶ日本人は海に飛び込む。今回の自衛隊派遣のいきさつはこのブラックユーモアと同じにしか思えない。憲法があるからいけないのではない。過去の戦争を教訓にいかないのだ。復興支援に金はだしても不安定なイラクへ人材は派遣しない。日本を知っている諸外国人はその方が日本を理解するのではないか?そのことを旗を見せるというのではないか?”皆様そうされてます。””左様でございますか。”では日本はいつまでもなめられる。
2003年11月12日
コメント(2)
地獄の黙示録を観た。一人の女性がアメリカ兵に言う。あなたは2人いると。人を殺すあなたと人を愛するあなた。天使長ルシファーは天使の中の天使。天使の中でもっとも美しく、賢い天使長であった。ルシファーは自らが神となり、玉座に腰を下ろすことを欲する。そして1/3の天使を誘惑するとその軍勢を率いて神の軍勢に闘いを挑む。神の軍勢を指揮したのが大天使ミカエルである。こうして光と闇は衝突する。ルシファーとは”光を運ぶもの””曙の明星””金星”を意味する。ルシファーはもともとは光の側の存在であった。彼はこの闘いに敗れると天界から追放され、地獄に幽閉されることになる。そこで彼は闇の存在、大魔王ルシファー=サタンとなる。天使長ルシファーと大天使ミカエルは双子という説もある。”人を殺すあなた、人を愛するあなた。”人は生まれながら自己矛盾という宿命を負っているのかもしれない。映画の最後にカーツ大佐はアメリカ兵に言う。お前は所詮、店の主人から集金に行けと命じられ、そのために使わされた者にすぎないと。真の兵士は相手を殺すことに何の躊躇もしないと。目は身体の表面から見える臓器で唯一脳と直接繋がっている。だから目は口以上に語る。カーツ大佐はアメリカ兵の目が真の兵士のそれと違うことを瞬時に見極めたのだろう。カーツは気にいらないものを殺すのに躊躇しない。しかし、このアメリカ兵は殺さない。女性もアメリカ兵の目に同じものを見たのかもしれない。女性がアメリカ兵に言いたかったことは、”あなたは戦争には向かない。”そんなことだったのかもしれない。映画の最後の最後にアメリカ兵は何かに目覚め、迷いを無くしている。そして真の兵士の目をしている。彼は何を悟ったのだろう?
2003年11月11日
コメント(5)
選挙に行った。自分の望む政治は自分の中にしかない。他人に任せてもそれは実現しない。自分が人任せである以上、それ以上のことは期待しない。義務と権利は表裏一体である。ただ、国家を治める人間は政治家や官僚という型を越えた”人格”であってほしい。話は変わる。自分の中で何かが葛藤している。エス(本能)と超自我(理性)の葛藤ではない。脳(物質)と霊(魂)の葛藤である。その葛藤が心を生み出している。そして時に混乱する。物質(脳、肉体)には重力が働く。だから地に引きつけられる。人間の肉体は目に見えない鎖につながれている。そして我々は重石を引きずりながら歩いている。これは宿命である。終わりの日には質量を持つものは地に帰る。霊には質量がない?およそ重力からは無縁の存在である。だから天に昇ることもできる。ある意味、社会契約説(地の法律、ルール)にも縛られない自由な存在だ。終わりの日には天に帰る??私の霊は物語の世界で生きたがる。神話の世界を好む。現実に苦悩や失望が多い時、私の霊は肉体を離れ、物語の世界の住人となる。現実逃避である。現実逃避は悪い意味でとらえられがちだが、私は必ずしもそう思っていない。物語の世界で生きることは、私に新しいエネルギーを与えてくれる。エネルギーが充足したとき、私の霊は再び肉体へと戻ってくる。霊の想いを実現できるのが肉体であろう。霊の好む理想の世界と肉体が生きる現実の世界とのギャップに心は葛藤するのかもしれない。肉体が霊の世界(真理)を表現することが自己実現ということなのかもしれない。
2003年11月09日
コメント(6)
最後の三日間で無党派層は大きく動くから候補者は最後までがんばるというが本当だと思う。今日は民主党候補者の応援に田中康夫氏が来た。寝過ごして演説を逃してしまったのだが。今日も新聞ではアメリカヘリが撃墜され6名が亡くなったと報道された。連日アメリカ兵は殺されている。そんな場所へ自衛隊を派遣して良いのだろうか?日本人は誰一人として戦争を肯定しないのに国家(体制派)としては何故今のような政策をとらなくてはならないのか?国益は何であるのか?それは人命と違うところにあるらしい。私は戦争に反対だ。自分の身内が安全である限り。選挙もどこいれようか迷っている。
2003年11月08日
コメント(0)
最近は国家試験に出る問題を中心に暗記しているが、表面的な知識は大切であるが、面白くはない。医者になったら、患者さんの訴え(症状)から鑑別診断を次々にあげられなくてはならない。その際にも優先順位が大切になってくる。ありふれた疾患から疑っていかなくてはならない。そして見落としてはいけない疾患(癌や早期治療の有無によって予後が変わる疾患)にも注意を要する。病歴聴取や診察だけで疾患が確定することも多いが、検査をしなくては特定できないこともある。標準検査としては、血液、尿、胸写などが一般的だ。CT、MRIなどが必要になればこれは入院レベルである。検査が的を得ていれば疾患は特定できる。そして、治療法も決まっているので、それに準じて行えばいい。最近はEBMを無視できないので、疾患さえ特定されれば、どの施設(病院)でも同じ治療を受けることになる。入院されている患者さんの中には原因不明のままの方もいる。その場合、大学病院では検査づけにされることになる。疾患が特定されるまでは対症療法を継続する。医者を何年もやっていると飽きがくる場合もある。治る病気は治るし、治らないものは治らない。だったら治らない病気の研究をしようという者も出てくる。本格的に研究したい者は基礎研究に進み、臨床医をやりながら臨床研究をする人もいる。(どちらも大学病院でないと難しい。)臨床医と基礎研究は少し違った(患者さんを診るか診ないか)分野であるが、私はどちらも大切だと考えている。ちなみに大きな違いは給料かもしれない。純粋に科学を愛する者は金より研究らしい。私の場合、そうはならないが・・・。個人的な理由から免疫・アレルギーに興味を持っている。そして免疫異常による病気は治らない。(病気で治るものは少ないのだが・・。)ステロイドによる対症療法が一般的である。遠い将来ではあるが、研究もしてみたい。その前に医師免許とらないと。勉強しよ。
2003年11月07日
コメント(6)
木曜はバレーの日。そんな感じだ。毎週のことだが、高校の元同級生と区立体育館で落ち合う。そこで近況を話しながら、パスをしたり、アタックを打ったり・・・・。そして心地よい汗をかく。ストレス発散にはスポーツが一番。腰痛があるが、最近またバレーが上達してきた気がする。やっていて楽しい。一時期ボクシングに浮気したが、今はバレーが一番かもしれない。安全だし、ジャンプ力は落ちたかもしれないが、レシーブは悪くない気がしてきた。上達を感じるのは快感だ。これは全てのことに当てはまると思う。区立体育館のおじさん(昔からいる人)に今度大会があるから出ないかと誘われた。私たちもやっと?この体育館の仲間に認められたらしい。考えてみるとバレー仲間は多い。交流が増えるのもスポーツの醍醐味だ。これからもバレーをエンジョイしたい。
2003年11月06日
コメント(1)
静寂な夜を星が照らしている。そんな夜空を一筋の光が横切った。あなたはそれを流星だと思うかもしれない・・・。哲夫を乗せた銀河鉄道は光に包まれながら今日も暗黒の宇宙を疾走していた。銀河鉄道には哲夫を除いて乗員も乗客もいない。それは今に始まったことではなかった。哲夫は窓から銀河鉄道の最後尾を見渡していた。そこは既に”過去”となり、闇がそれを支配していた。哲夫は二度とその場所へ戻れないことを知っていた。ある者は銀河鉄道を”時を刻む列車”と呼んだ。銀河鉄道は今という瞬間、瞬間を闇に刻みながら未来へと疾走するからである。またある者は銀河鉄道を”光の列車”とも呼んだ。銀河鉄道が向かう先は光りの世界であることを知っていたからである。哲夫は窓の外を眺めながら物思いに耽っていた。窓の外に見える世界は哲夫の心そのものだった。その景色は哲郎だけが知るものであった。その意味で哲夫は孤独だった。哲夫はこれまでの旅を振り返っていた。そして今までに経験したこと、学んだことを一つ一つ思い浮かべていた。1.列車は今という時を刻んでいること。1.列車が過ぎ去った過去には戻れないこと。1.列車が向かう先は未来であること。1.未来は変わること。1.時間そのものに意味を与える存在は自分自身であること。1.自分を大切にすること。1.列車と自分は一心同体であること。両者を切り離して考えることはできないこと。1.理想と現実のギャップを埋めるために今があること。1.理想がないと列車は行き先を失うこと。1.想いが列車を動かす原動力であること。哲夫にはまだやりたいことがたくさんあった。そして列車は勢いを失うことは無かった。光の正体は流れ星かもしれない。哲夫を乗せた銀河鉄道かもしれない。それはわからない 。誰もが銀河鉄道に乗っているのかもしれない。そして銀河鉄道は時を刻みながら今日も未来へと疾走する。 THE END!
2003年11月05日
コメント(2)
小泉内閣発足当時の小泉首相の合い言葉が”精神構造改革”であった。当時はKSD事件や機密費流用疑惑などの汚職事件が相次ぎ、国民の政治に対する不信感が強かった。政治家と国民の精神構造改革による歩み寄り。それを期待しての言葉だったと思う。国民には明日のために今日の痛みに耐えようと力説していた。結果は圧倒的支持のもと、小泉政権誕生となった。(当時は真紀子氏もいた。そしてまた世間を騒がせそう??)相次ぐリストラ、不景気、・・・・・。多くの零細、中小企業、大手銀行まで倒産した。大病院も倒産している。雇用も少なく、失業者は5%を越えた。当時同級生の中でも父親がリストラされ、日々バイト生活を送る者も少なからずいた。私はボンボン生活送っていたが・・。その裏では、外務省改革、不良債権の徹底評価、特殊法人・公共事業の見直し、そして中小企業挑戦支援法による新事業の育成など改革も進んだ。その点は評価したい。何のためであったか?私は社会保障制度の維持のためであると考えている。私は医者になる。そして、医療も医療経済抜きでは語れない時代にきている。国民が同等の診療を享受できる背景には国民皆保険制度がある。現実を直視するとき年金制度、国民皆保険などの社会保険がいつまで維持できるのか疑問である。国民皆保険が破綻すれば、国民は民間の保険に加入することになる。アメリカを例にとると、民間保険は高いので加入できない者も多い。結果として、国民でありながら、その国の医療が受けられないことになる。また加入している保険によって、どこまでの治療が受けられるかも代わってくる。命(生死)すらお金の有無によるところになる。本当の資本主義社会はそんな世界である。日本はまだまだ社会主義、共産主義社会といえる。こんな時代が来るかは解らないが・・。十分あり得る。”ブラックジャックによろしく”を読まれた方はご存じかもしれないが、これからは、保険診療だけでなく、混合診療、自由診療なども一般的になるかもしれない。混合診療は保険の効かない治療に対して、自己負担で国で認可されていない治療を受けられる制度である。日本では使えないが、外国では有効性が認められている新薬はたくさんある。それが使えるようになるかもしれない。自由診療は全て自己負担という選択である。お金が許す限り好きな治療法を選択できる。問題はお金がないと受けられない。その一点である。だからこそ社会保障制度の維持は大切な問題である。安心して老後を暮らすために、そして国民全てが同等の医療を受けるためにも絶対に維持しなくてはならないと考えている。イラクはアナーキーになっている。民主主義社会は果てしなく遠い。そして日々アメリカ兵は死んでいる。日本も莫大な予算をその復興支援にあてている。自衛隊も派遣する。日米同盟なくして、日本の繁栄はないのかもしれない。何が正義で何が悪であるのか混沌とした時代にある。日本も本当にたくさんの問題を抱えている。11/9。どこに投票しようかな?
2003年11月03日
コメント(6)
安部官房長官が自民候補の応援演説に来るとのことで、駅前の聴衆に混じった。自民候補の応援、自民党マニフェストの説明、そして民主党批判を力説していた。景気、不良債権、拉致問題、イラク復興支援、社会保障問題、特殊法人改革、公共事業・・・問題は山積みである。少子化、高齢化社会も大きな問題である。2020年には超高齢化社会を向かえ4人に1人が65歳以上になる。そして若い世代2人が1人の高齢者を支える社会になる。若者が重税に耐えきるのか、それとも年金制度が崩壊するのか、或いは富の再分配(共産主義化、革命)が起きるのか私には解らない。最近自民党は官から民へ、規制緩和などといっているけど、社会保障制度を税金で充実させようという点はどこか共産主義思想が入っている。反対はしないけど・・・。安部さんは特殊法人改革のこともいっていた。127法人を見直し、それを廃止、独立採算性にすることで年間1.4兆円の節税ができたと。素直に評価したい。でも悪いのは官僚だけではない。日本は多くの問題を背負っている。そして金欠だ。政治家さん、無駄使いはやめましょう。少子化は国に未来がないようでどこか寂しい??
2003年11月02日
コメント(3)
私たちの身体は約60兆個の細胞で構成されている。一つ一つの細胞の集まりが組織、臓器、器官を形成し、それらが一体となり人体を構成している。一つ一つの細胞を考える時、それは絶えず生と死を繰り返している。私たちは生きていると信じているが、細胞レベルで考えると絶えず生と死を繰り返している。脳細胞(ニューロン)は残念ながら一旦完成すると増えない。減る一方である。しかし、脳細胞は軸索という突起を伸ばして他のニューロンと結合しようとする。そして他の離れた脳細胞との結合により、無数の新しい回路が出来上がる。このような新しい回路の形成が記憶や知能の向上に関与していると考えられている。脳細胞が日々無くなっているのに私たちの記憶は易々とは無くならない。それはいくつもの回路が同じ情報に関与しているので、一つの回路が駄目になってもそれを補う別の回路によって代償されると考えれば納得がいく。脳の働きはほとんど解っていない。人がどうやって過去の記憶を瞬間的に回想できるのか?解らないことだらけである。解明される日が来るかは解らない。さて身体の最小構成単位である細胞をじっくり観察してみよう。細胞を顕微鏡でみると細胞膜があり、その中心には核がある。さらに倍率をあげると22対の常染色体と1対の性染色体が見えてくる。その染色体を引き伸ばすと2重のらせん構造がみえてくる。DNA配列である。詳しくみるとそれは約30億対の塩基(アデニン、チミン、グアニン、シトシン)配列であることがわかる。その配列の中で蛋白を合成する命令を持つものを特に遺伝子という。その数、約3~4万である。全塩基配列の5%以下である。では残りの95%以上の塩基配列は何であるか?機能は全くないという人もいれば、繰り返しの配列は性格に関与していると唱える学者もいる。遺伝子は細胞質のリボソームという場所でtRNAによって読みとられ次々と蛋白を合成する。そこで合成された蛋白が身体の反応の全てを決定していると考えられている。最近、人ゲノムプロジェクトが終了し、人体の全ての遺伝子が読みとられた。現在はその遺伝子がコードする蛋白の構造や機能の解析が行われている。それらの解析によって病気の原因となる遺伝子や蛋白の同定が進んでいる。驚くべきことに人間の性格や行動に関係する遺伝子の発見も相次いでいる。人間の性格の決定は実は環境だけによるものではなく、生まれ持った遺伝子による影響の方が大きいという発表さえある。科学はどこまで進むのだろう?人間の全てを解き明かす日は来るのだろうか?今日は何だか唯物論者になった気分だ。
2003年11月01日
コメント(5)
道路改革が問題になっているが、人体における道路は血管(動脈、静脈)といえる。共通点は限りなく多い。道路は人や物資を運んでいる。血管も同様に酸素や栄養を全身に運んでいる。道路が全国に張り巡らされているように、血管も身体の細部にまで行き届いている。交通の便が悪い地域が衰退するように、血液がこない組織や臓器は死んでしまう。(虚血、壊死)心臓の冠動脈が塞がれば狭心症、心筋梗塞、脳に流れる動脈が塞がれば脳梗塞、破れれば脳出血になる。いずれにせよ、血管がつまると血液が滞った組織、臓器は壊死する。医師はつまった血管をいちはやくみつけ、薬剤やカテーテルでつまった血管を広げる手技を行う。虚血の時間が長ければ長いほど壊死に陥る組織も増えるのだ。組織や臓器が壊死に陥るとその組織や臓器は働かなくなる。心筋が駄目になったら心筋梗塞になり、心臓は動かなくなる。心臓が動かなくなると全身に血液が行かなくなり、すぐに脳細胞は死に始る。すると呼吸や循環中枢が駄目になり心肺停止、終わりとなる。道路は日本という国の動脈であり、静脈である。道路なくして、地域社会(組織や臓器)の発展はない。全国を物資が自由に行きできる社会が一番健康である。その中で高速道路はまさに大動脈である。大動脈の流れが悪くてはどうしようもない。(料金高すぎ!)だからってバイパスを造ろうという考えはいただけない。(その前に高速料金下げて!)心筋梗塞にバイパス術を行っても、もって10から20年だろう。日本は必要な道路とそうでないものを同時に作ってきた。自動車より牛が通る回数の方が多い道路も平気で作ってきた。これではいけない。高速道路の無料化、夢のような話だが、いらない道路をつくってこなければ、もっと早く実現できる可能性があったのではないか?ちょっと残念である。必要な道路を太く、長く。是非実現してほしい!
2003年10月31日
コメント(1)
昨日ストレス解消にと友達をバレーに誘った。そして今日断りのメールをいれた。”勉強忙しいからやっぱ止める”・・・・と。実は借りてきたビデオをまだ観ていなかったのだ。しかも延滞している。それを今日はゆっくり観たいと思ったのだ。本当に最低だ。友達からすぐ電話かかってきた。”来い”という電話だ。”いつでも出来ることは今するな”と。彼も去年NT○を辞め、資格試験の勉強をしている。同じ高校のバレー部で、大学も途中まで一緒だった。(私は中退した。)長い付き合いだ。気付いたら一緒にバレーしてた。面白かった。そしてビデオの延滞料金は加算された。
2003年10月30日
コメント(1)
心肺停止した患者さんに医者が心マッサージを行う場合、彼は心の中で何を想っているのだろう?”戻れ!戻ってこい!”と想っているのだろうか?それとも”動け!動け!”と思っているのだろうか?医者は何に対して思っているのだろう?後者は心臓に対してである。では前者は??幽体離脱した魂に対してだろうか。私は自分が唯物論者であるのか、観念論者であるのか知らない。もし、自分が医者だったら、何を想うだろう。
2003年10月29日
コメント(1)
世の中の動きに疎い人間になっている。一日中自分の部屋にいることが多いから仕方ない。ビデオを観るか、たまに友達とバレーするか。最近の楽しみはあまりない。ストレスを避けなくてはならない。なるべく外へ出るようにしている。走ったりもするが、最近は寒いから怠けがち。和田秀樹氏の本にアメリカの精神科医の多くが別の精神科医に診てもらっているというが、きっとストレス対処のためだろう。勉強がんばろ。
2003年10月28日
コメント(2)
全99件 (99件中 1-50件目)