宗教と哲学と


どちらも”普遍的な真理”への到達を目的としている。

大きな違いは真理へのアプローチ法にあると考えている。

宗教の鉄則は神(主)を受け入れることにある。
この鉄則を守るものは永遠の真理を手にいれることができる。
神を受け入れた瞬間、御言葉(聖書)が真理そのものに変わる。
宗教においては”一見は百聞にしかず”は偽である。
”to see is to believe”ではなく
”believing is seeing”なのである。
つまり、信じることにより初めてみえる世界を説くのである。
(すばらしい発想の転換!)

これは演繹的な方法といえる。
つまり、真理が先にあり、それを個別の事象にあてはめるという方法をとる。

確かに2000年以上に渡り、ベストセラーの著作は聖書以外に私はしらない。

宗教(聖書)の問題はその解釈が難しい点だと思う。
比喩でかかれた文字を正しく解釈できる存在はいるのだろうか?
それができる人物(霊)こそ神であり、偉大な預言者なのかもしれない。

宗教は何もキリスト教だけでないとおっしゃる方へ
・・・・・・・・・・・・・・ごもっともな指摘です。

それでは哲学はどうか?
哲学は宗教と逆方向、つまり帰納法によって真理にアプローチする事が多い。
疑いようのない原理、原則をもとにさらなる論理を展開する。
数学なら1+1=2という大原則をもとに2×2=4のような
新しい世界に発展させるようなものである。
1+1=2からロケットが宇宙に飛ぶようになったといっても過言ではない!
(天才以外は1+1が何故2であるか(原理、原則)を疑ってはならない。時間の浪費になる。アインシュタインは天才だったから時間や空間の概念を疑ったまで。)

哲学は実存から始まり社会、経済、理性、科学・・・多岐にわたる。
問題点は答えがみつからない場合が多いという点ではなかろうか?
実存に対する答え、安定した社会、経済・・・答えはまだない。
資本主義社会が完璧とは誰も信じないだろう。
(個人的には共産主義、社会主義よりは健全であると信じているが・・・。)

究極の問題
宗教と哲学で真理が不一致である場合どうなるか?

かつて・・・・・宗教裁判にかけられ悪魔(魔女)として焼かれた。
現在・・・・・・どうだろね??






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