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さくら 日本古謡 さくら さくら 弥生の空は 見渡すかぎり 霞か雲か 匂いぞいずる いざや いざや 見に行かん さくら さくら さくら 野山も里も 見渡すかぎり 霞か雲か 朝日に匂う さくら さくら 花ざかり (「うたのほん(下)」昭和16)
2008.03.28
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そうそう毎日が充実しているわけではありません。それでもなお、神は楽しくない日も適当に配置してくれるのですね。 今日は面白いことが全くありませんでした。ドトールのコーヒーは値上げになるし(180円→200円)、アートコーヒーにあったはずのチーズケーキがなくなっていて、いやはや生クリームを飾ったような得体の知れない一見チーズケーキ風のようなものになっていました。夜、あまりコーヒーを飲めないときは、ココアの生クリーム抜きを注文するのですが、このチーズケーキではせっかく抜いた生クリームをたっぷり補充することになります。 困ったものです。もっと困ったことは、内緒にしておきますが…。 3代目金馬の落語「居酒屋」は傑作ですね。さっき、チーズケーキのようなもの、と書きましたが、「その、ようなもの」というのを一人前という風に小僧さんをからかうあたり、笑らわせます。 朝の連ドラ「ちりとてちん」は、東京では「酢豆腐」と言われるものですが、今年正月のラジオ深夜便「新春寄席」で5代目柳家小さんが「ちりとてちん」の題で演じておりました。夏の出し物ですが、テレビに合わせたのでしょうね、正月にやっていました。カセットに録ってあったものを聞いたのです。NHKも宣伝が巧みです。
2008.03.27
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小学校のでも中学校のでも、音楽の教科書を買いたいと思っています。出来れば教師用の伴奏譜のついたものも買いたいと思っています。ただし、どうなるものやら分かりません。 明後日、神保町に行くので三省堂に行ってみます。一番上の階(6階だったかな?)に教科書があるんですが、出回るのは新学期の前、4月に入ってすぐかも知れません。 息子の教科書などは見たこともありません。その頃は教科書などに興味がありませんでした。勉強を見てやった記憶もないです。中学のも高校のも見たことがありません。勉強を見てやった記憶もないです。これは不思議です。普通は暫くはとってあるものだと思うのですが、引越し族はどこかで捨ててしまうものです。 捨てるつもりでなくて捨ててしまうことがあります。今でも残念に思うのは、漱石の「草枕」絵巻が確か伊勢丹美術館かあの辺で限定販売されたのです。それがろくろく見もしないのにないのでした。桐箱入り、ちょっとした、いえ、私などにはかなりの値段でした。 岩波書店「漱石全集」の最終巻の後に漱石の書画集が出ました。ケース入りで2センチほどの厚さですが大きいのです。いつも収めるのに苦労していますが、この方は幸いにあります。 全集ものを図書館などに寄付しようとしても喜んでくれないとか聞きます。今はもてあましています。 さて、音楽の教科書を集めたいのですが、出版社もいろいろあるようですし、ちょこちょこ覗いてみようと思っています。 教科書問題などということがあります。歴史などの教科書に多いようですが、教科書検定委員がいるのだと思います。どういうお偉い面々なのか、これも興味があります。沖縄の集団自決に軍が関与した証拠がないということです。あきれますね。証拠より、まだ今なら証人がいくらもいます。 そして、それらを検定委員のせいにして責任を取ろうとしない文部官僚は何をしているのでしょうね。隠蓑といわれた審議会など、それらが重要であることは分かりますが、まず各省庁が責任を持つことです。 小学校の音楽の教科書、買いたいけれども果たして気に入るだろうか。
2008.03.25
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日本銀行総裁が不在になっています。後任を任命できないのです。 アメリカなどから、そのことをとやかく言われているようですが、気にすることはないと思います。副総裁が2人もいるのだし、アメリカの誰かが緊急時に誰に電話すればよいのか、などと言っているのにたいしては、「副総裁でいいのですよ」と外務省が教えてあげれば済むことです。 ところが、あたふたするばかりなのでしょう、きっと。 アメリカだって、大統領が麻酔をかけて手術することもあったのです。緊急時に誰に連絡すればよいのか、などと日本は聞いたのですか? そうさいの候補がこんなにいないなんて言うことはないはずです。大蔵OBか日銀から選ぼうとする、因習にとらわれた考え方に縛られているだけのように思われます。 かつて銀行の頭取から総裁になった宇佐美という人がおりました。 民間から選んで何も支障はありますまいに。知らず知らずのうちに官僚OBでなければ勤まらないなどと困ったことを考えているのでしょう。 考えているのではなく、それしか知恵がないようです。もしくは、それによって誰かに何かのメリットがあるのかも知れません。 法治主義の国です。法律に従って国会の同意が得られずに空席になっているにすぎません。もっと注意深くすべきであると言えばいえますでしょうが。【愚者の愚見】
2008.03.24
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雨で寒いお彼岸になりました。お彼岸の入りを毎年寒いと読んだ句はあるそうです。「毎年や 彼岸の入りの 寒さかな」と吐いたとすると、「や、かな」が重なって規則破りになるそうですから、正確にはどうなのでしょうか。「年毎の 彼岸の入りの 寒さかな」。これならいいのですかね。 ですが、「暑い、寒いも彼岸まで」といわれています。もう、一雨ごとに暖かくなるのでしょう。 昭和22年までは「春季皇霊祭」、23年からは「春分の日」で、国民の休日です。 雨が降って、こう寒いと、外に出る気にもなりません。 おはぎもいただきました。 ところで、「おはぎもち」とは言いません。「お牡丹餅」とも言いません。語呂でしょうか慣例でしょうか。 春は牡丹が咲くので「ぼたもち」、秋は萩が咲くので「おはぎ」と言うのだと聞いたことがありますが、どんなものでしょうか。 お菓子屋で買うのが「おはぎ」、自家製が「牡丹餅」。誰も賛成してくれないようですね。 小豆の自給率はどの程度なのでしょう。 少し風邪気味なのか、花粉症が突然発症したのか、くしゃみと鼻水で閉口です。熱はありません。
2008.03.20
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明日は「春分の日」で国民の休日であります。昭和23年からで、それまでは皇室の「春季皇霊祭」でした。 皇室行事くらい分からないものは他にありません。「歌会始」はテレビ中継されますが、そのほかはほとんど国民に知らされていません。 新年や天皇誕生日の一般参賀は中継されますが、いつも同じ場所で同じやり方です。皇族を含め、皇室の動きは民放でよく見られますけれども、頑張ってみてみようという内容のものではないと思います。 宮内庁は実に上手く皇室を国民の目から遮っています。さすがお役人のすることは手抜かりがありません。 「春季皇霊祭」とはどういうものであるのか、一度テレビ中継でもしていただきたいものです。「春季」があれば、まず「秋季皇霊祭」もあるでしょう。 国民の目につかないようになさっておられるのかも知れませんが、天皇陛下と皇太子殿下の確執のようなものが伝わってきます。特に確執などはないのでしょうけれど、あまり隠すとマイナス効果が出るようです。 お寺では「彼岸会法要」が行われるのでしょう。これも、我々無信心ものには分かりません。お寺に縁遠くなっていて、公園墓地にでもしようものなら、お寺に行く機会などまずありません。 秋でしょうけれども、三好達治だったかの詩「石の上」(「石」は難しい字)も真実理解しかねるようになります。 特に秘匿しているわけではないのかも知れませんが、それではどんなことをやっているのか見てみたいものだ、と思ったり参加したりすることは、まず不可能なのであります。 政教分離を口実に、国民の文化を踏みにじっていませんか? NHKはかつてテレビで「彼岸会法要」の模様を実況中継していたと思うのですが、あれは仏教宣伝などと言いませんから続けて欲しいです。我が国の仏教の本山がどんなことをしているのか、文化を知らしめることは公共放送の一部に入りませんでしょうか?どこか分かりませんが、そういう力が働いて辞めになったのでしょう。 ですからまた、クリスマスのミサなども知りたいです。自分で行けばよい、といわれそうですが、どんなのかを知ってから行く方が良い場合もあります。 知らされていないことが、結構あると思います。知っておくべきことで知らなかったこともあります。日銀総裁、副総裁の人事なども、今回の騒ぎで知った人が多いでしょう。 アメリカが総裁が決まらないことに苛立ちを見せているとか。まったく余計なお世話ですね。サブが決まっているのですから、それがやればよいのですから。やらないならサブは始めからいりません。 いずれにしても、アメリカは日本を舐めています。けしからぬことです。
2008.03.19
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一月あまり経ったので、眼科に行きました。 寝ながらメールを書いたりすると、目がごろごろしますし、画面がかなり眩しく感じます。携帯の小さな画面はかなり明るいのです。それが眼の先30センチくらいのところですから、目に良いことはないと思っていました。 視力は変わりありません。少し年を重ねた女医さんはドライアイの目薬を出してくれました。そして、次回は視野の検査をしようというのです。緑内障の疑いがあるともいいました。 院長やその他の先生は眼の中は綺麗だとだけ言ってくれていたのですが、やはり複数の先生に診てもらうことは必要なのです。 もし、緑内障があっても早期発見ならそれなりの手はあるのでしょう。 今日、眼下に行けたのは幸いでした。
2008.03.14
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夜を歩いていたら細い細い三日月(上弦の月)が西にかかっていました。星はとみると、これがほとんど見えません。一つは見つけましたが、雲も無さそうな夜空に星はありません。眼が悪いということもないでしょう。眼鏡は掛けているものの、三日月の輪郭ははっきり見えるのですから。 途中に銭湯がありました。これはどこの土地に行っても、私の経験では向かって右が女湯、左が男湯なのです。落語の「湯屋番」は残念ながら聞いているだけではどちらがどっちかは分かりません。寄席で噺家の顔の向きでも注意してみる必要がありそうです。 この並びが江戸時代からだとすると、お雛様との関係において、私の持論は怪しくなります。女性が上位になるからです。江戸時代はそうであったのかも知れません。軍国主義の台頭とともに男女が逆転してしまったのかどうか、これはにわかには分りません。 オリンピック・イヤーで国歌・国旗の出番が多い年です。その前に卒業式、入学式などがあります。 国を愛する気持ちを持って国歌を歌い、国旗を掲揚したいものです。そうしない教職員がいるということですが、日本人をまず辞めてもらいたいです。 国家・国旗を尊崇する気持ちは、良心の自由や思想・信条の自由と関係がありません。愚者はそういう意見です。 そうそう、英国の国歌は何となくわかりますが、「星条旗」の歌詞をしらべておくことを忘れないようにします。ドイツ国歌はハイドンの「皇帝」ですが、これも歌詞を調べておくべきです。
2008.03.11
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ここ数年、風邪で酷いのにはかからないで済んできました。 9日の晩、暖かい寝床でゾクゾク寒くガタガタふるえがやってきたのです。急いでエアコンの暖房を入れました。エアコンは暖房としてはほとんど使わないのですが。 このガタガタふるえる寒気のある風邪は、数年前までは冬の年中行事でした。 しかし、インフルエンザの予防接種をするようになってからかどうかは不明ながら、ここ暫く幸いにもなかったのです。 10日、かかりつけの医院に行きました。とても混んでいました。この日は院長が休みなのは承知でした。若い女医先生が、赤黒く渋みのある作務衣で診察していました。インフルエンザかどうか検査をしてくださいました。いまは鼻の奥深くに細い棒を入れて粘液を取り出して調べるとすぐ分かるようです。 時々咳が出る以外は大分快方に向かいましたが、連休の途中に薬が切れたので、日曜日もやっている隣の駅前の医院に行きました。 ここも何度も通った医者ですが、経過説明をしました。ここでは、時々あることですが、脈も取らず、血圧も測らず、聴診器も当てず、つまり患者の身体には触れることなく薬を出してくれました。 医師法違反にならないのかなと思います。 落語に「無精床」というのがありますが、新作落語「無精医者」を考えてみようか、とも思います。
2008.01.13
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金聖響+玉木正之「ベートーヴェンの交響曲」を読みだしたのですが、偉いことになったと反省してもいます。 第五番について書いている途中まで、110ページまで読みました。CDを聴きながら、あるものはミニスコアを見ながら本を読んでいるものですから、両方が半端になってしまっています。 書かれていることは私はすべて賛成できることばかりです。「運命」の文字は忘れて純音楽として聴くべし、という意見も賛成で、何気なくそのように聞いていたような気がします。 というのも、「運命」的な深刻な側面よりはもっと幅が広い人間の普遍(?)を歌っているように思うからです。 第5番の後に6番、7番、8番、9番があるのではなく、6番以下は別の峯であるとする論評にも同意したいと思います。5番はある意味で頂点を極めているので、その上に乗るものは何物もないわけです。 ヴァイオリン協奏曲がただ1曲、頂点にある如くです。富士山のてっぺんにベートーヴェンのヴァイオリンを持って行くと、8合目あたりにブラームス、6~7合目にメンデルスゾーンがあり、先行するモーツアルトやずっと後になるチャイコフスキーその他は峯が別だという設定は私の中で長いこと変わりません。 ベートーヴェン馬鹿がいうことですから真に受けないでほしいのですが、無人島に1曲持って行くとしたら、という問いの答えとしてヴァイオリン協奏曲が長いことその座を占めており、今は「大公」ですが、「クロイツェル」にしようかと傾きかけているところです。 午前中から「ノダメ」のテレビをかけっぱなしにして、見るともなしに時々眼をやる程度です。 専念しないといけません。二兎を追うもの、ですね、これでは。 この本は3か月かかりますね。悪くすると半年。
2008.01.02
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NHKの紅白歌合戦は好きでもないし期待もしていません。 ところで、「つるべ」という落語家でしょうか、司会をしているようです。だらしなくネクタイは締めているものの、あのジーパン姿はこの大きな番組の誰に対しても失礼ではないでしょうか? こういうのを見ると、何とか受信料を払わない方法はないものかと思わざるを得ません。 途中で替えてきたようですが、不遜も極まれりと受け止めます。 月曜日にある「釣瓶に乾杯」?も、受信料の無駄遣いのような気がします。 つるべの人柄は良いと思いますが、公共放送がつるべの人柄に凭れて、何かなすべき努力をサボってはいませんか? こういうのもあって良いと思うのですが、長々やればよいというものでもないでしょう。 教育TVで「第九」をやっています。大晦日の「第九」は久しぶりではないかと思うのです。 夕方、BSで放送したものでした。これは合唱のリハーサル風景があってよかったです。 どちら様も、どうぞ良いお年をお迎えください。
2007.12.31
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確かこんな歌がありました。うろ覚えのうろ覚えで、今は歌うべきではない歌です。「日本(にっぽん)桜、満州は蘭よ、支那は牡丹の、花の国。 花の中から、朝日が昇る。 アジア良いとこ、楽しいところ」??? いろいろ問題があっても、花で隠して殊更に美しいかのように装って見せる、そんなような時代の歌なのでしょう。敗戦前の歌に違いありません。 日中首脳共同会見を見ました。温家宝首相は発言中に視線をおとしたことは一度もありません。常に目を記者団の方に向けていました。発言すべき内容は頭にあって、それを話せば良いのでした。 福田首相は発言中に視線をペーパーに向けていることが多かったと思います。時々、目を上げて記者団の方を見たに過ぎません。発言すべき内容はペーパーにあって、それを読めば良いのでした。 その違いは大きいと思います。 両首脳の違い、日中の違い。 相当の違いだと思うのです。 何事も花で飾って隠しだてがない日中関係になれば「アジア良いとこ、楽しいところ」になると確信しました。
2007.12.28
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昨夜のラジオ深夜便(厳密には今朝)は、1時台の文芸特選で桂三木助の落語「芝浜」をやっていた。しみじみ感心して聞かせてもらった。「芝浜」の名演だろうと思う。どなただったか、品川辺の海岸からの明け行く東の空を描写した噺家もいたが、あの風景描写もよかった。だが三木助は浜辺で財布を拾うところはさっと流していた。 2時台は今年亡くなったテノール歌手、パバロッティを特集していた。AMラジオで、おそらくステレオなのだろうが片方の耳にイヤホーンを入れて聴いていた。もう一方は断線しているのだ。 そ・れ・が・もう素晴らしかった。BSでもやったし、何より10数年前になるだろうか、国立競技場(神宮球場だったかな)に3大テノールとして来日した時に前の方で聴いたのだが、こんなに輝いているパバロッティの声を聞くのは初めてのような気がした。 リリック・テノールというのか、まあ、実に見事であった。聞き飽きた感のある例の「誰も寝てはならぬ」に始まり、「おお、ソレミオ」「帰れソレントへ」などイタリヤ民謡でしめた一時間は寝るのを忘れさせてくれた。 ドニゼッティの歌劇からアリアを2~3曲歌った。アンカーがドニゼッティのアリアはパバロッティが歌って有名になったといっていたが、これはちょっと疑問。ソプラノだが「ルチア」の「狂乱の場」など戦前のアメリカ映画「メルバ」ですでに有名だし、ドニゼッティのオペラは広く知られているのではないか。 3年前、つまりパバロッティ68歳の時にメトロポリタン歌劇場で「トスカ」のカバラドシを最後に引退したとコメント。そのときのものではないだろうが、「星は光りぬ」は感激であった。 今さらながら惜しいテノールを失ったと思う。 3大テノールとして活躍している時は、東京もそうであったがパリもニューヨークも何処でもいつも向かって右にパバロッティ、中にカレーラス、左にドミンゴであった。 中のほっそりしたカレーラスこそ心配したのであるが、がっしりしたパバロッティが先になった。分からないものだ。カレーラスはまた、白血病を克服した経歴の持ち主だという。 まだ聞いていないが、カレーラスがキリ・テ・カナワと競演したミュージカルの2枚組が聞かずにあるのを思い出し、また、深夜便にあった唱歌の時間がなくなっていることに気が付いた。
2007.12.26
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賛美歌を見ていると、「いやしき賤(しず)の処女(おとめ)にやどり」などと「賤」という言葉が出てきます。聖母マリアのことのようですから許される気もしますが、賛美歌98番の二番のその部分の歌詞を替えて訳しているテキストもありました。 賛美歌111番「神の御子は」は、二番の最初に出てきます。「賤の女(め)をば母として」という具合です。 聖母マリアのことであっても「賤」は使わない方が良いということでしょう。反対すべきなにものもありません。 でも、古典や和歌、落語などにもたびたび出てきますね。落語では「下衆(げす)」なども出てきますが、これを他の言葉に言い換えたら面白みは半減すると思います。 あめにはさかえ(賛美歌98番) 一 天(あめ)には栄え み神にあれや 地(つち)には安(やす)き 人にあれや」と み使い達の たたうる歌を 聞きて諸人(もろびと) 共に喜び 今ぞ生まれし 君をたたえよ 二 定め給いし 救いの時に 神のみくらを 離れて降(くだ)り いやしき賎(しず)の* 処女(おとめ)に宿り 世人(よびと)の中に 住むべきために 今ぞ生まれし 君をたたえよ三 朝日のごとく 輝き昇り み光をもて 暗きを照らし 土より出(い)でし 人を活(い)かしめ 尽きぬ命を 与うるために いまぞ生まれし 君をたたえよ *「御霊によりて」に替えるテキストもあります。 神の御子は(賛美歌111番) 一 神の御子(みこ)は今宵(こよい)しも ベツレヘムに生まれたもう いざや友よ、もろともに 急ぎ行きて拝まずや 二 賎の女をば母として* 生まれましし嬰児(みどりご)は まことの神 君の神 急ぎ行きて拝まずや三 「神に栄えあれかし」と 御使(みつか)いらの声すなり 地(ち)なる人もたたえつつ 急ぎ行きて拝まずや四 とこしなえの御言葉(みことば)は 今ぞ人となり給う 待ち望みし主の民よ おのが幸(さち)を祝わずや *処女(おとめ)マリヤを母として
2007.12.07
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12月2日の夜ははらはらどきどきであったが、アジア野球選手権で韓国に勝った。3日は台湾戦だ。こちらもはらはらどきどきである。スポーツはこれだから楽しいのだ。 台湾戦は最初から見られた。試合前に日本と台湾の国旗掲揚、国歌演奏があった。星野監督は国歌演奏が終わると深々と心のこもった礼をされていた(おそらく国旗に向かって。テレビでは見えなかった)。実に爽やかな印象を受けた。 日本チームのユニホームもよい。左胸に日の丸の旗が鮮やかで誇らしい。そこにデザインされたJAPANの文字。「J」のデザインが良いと言えば良く、悪いと言えば悪いのが気になるところだ。APANに読めるぞ。 かつては国際的な場では、NIPPONとしたこともあったと思うが、JAPANでよいだろう。ただし、はっきりと分かりやすい文字にしてほしい。 この白熱した試合を見ても「日の丸」に「君が代」に感動しない人もいるのかと思う。仕方ないことであるが、そうした己の狂気の沙汰に気付かない愚かさは情けないというほかない。 国旗や国歌に異論を持つのはよい。違うデザインにせよ、違う国歌を制定せよ、というなら聞きもしよう。 戦争に敗れ、なおかつ国歌と国旗を改めないのは世界広しといえども我が日本だけらしい。だが、現在の国歌と国旗が平和に貢献している役割を評価し、大多数の日本人に愛されている現実を見るべきだ。 国歌を愛し、国旗を愛する日本人、国を愛する日本人、世界平和を希求する日本人でありたいと私は思う。 ヒノマル一 アヲゾラ タカク ヒノマル アゲテ、 アア、ウツクシイ、 ニホンノ ハタハ。二 アサヒノ ノボル イキホヒ ミセテ、 アア、イサマシイ、 ニホンノ ハタハ。 【歴史的仮名遣いによる】 (『ウタノホン 上』昭和16年(1941)2月)
2007.12.04
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梅津時比古氏の音楽評論はいつも興味深く拝見しています。 新聞の「音楽の彼方へ」というコラムに、「黄金色の『魔笛』」と題して書いていました。 普通は、紅葉に赤く色ずく紅葉、黄色に染まる黄葉、茶色にくすむ褐葉があります。 氏はその3種の紅葉を評して、それぞれの色の葉が呼び込む風からして異なるといいます。「一面真っ赤に埋め尽くされる林の中では、そよとも風が吹かない。その静けさは、あたかも林の奥で赤い衣を身につけた老女が舞い続けているかのように、揺らめく。あるいは老女のつけた白い能面が真っ二つに割れ、そこから噴き出して葉をそめているのではないか、と幻想を生む。」ともいい、 茶色を評して「晩愁の嵐に一番身もだえして苦しむのは、音を立ててぶつかりあう茶色の葉だろう。」と。「黄金色の葉の周りでは、空気がふるえている。」といいます。「そのふるえを見つめていると、かすかに死のにおいがする。」ともいい、そこに「魔笛」を重ね合わせています。 そしてヘルマン・ヘッセの言葉を引いて、ヘッセは「魔笛」を「黄金色に輝く至高の音楽」と形容したそうです。梅津氏の感想は、「ヘッセもまた(魔笛の)あまりにも輝かしい黄金色の背後にかすかに死のにおいをかぎとっていたのだ。」といいます。 赤、茶、黄の紅葉のうち、「魔笛」に黄を感じるかどうかは個人によるでしょう。「話も矛盾しており、決して崇高な筋立てではないのに、音楽的に非の打ちどころのない音の森は、確かに黄金色に輝いてみえる。」と氏はいいます。 これで行くと、「レクイエム」は茶色でありましょうか。 私たちの大きな方のコーラスは、来年は「モツレク」だそうです。 出られるかな~。
2007.11.21
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「赤福餅」「御福餅」で問題になった作り直すことですが、それが品質にもおいしさにも影響がないのであれば、「この商品は勝れた技術で再生産?したものです」などと表示して、堂々と売ったらどうでしょうか。 生ものであるにも関わらず、冷凍し、解凍することによっても品質や衛生上に問題がないのであれば、技術の進歩ともいえると思います。 こういうことを知らしめないで騙すから良くないので、研究所で分析した結果は新規製品と何ら変わらないことが証明されていますといったように発表した後に、本当にそうであるならば、活用したらどうかとおもうのです。 資源の再利用が叫ばれています。食品についても同じことガいえるでしょう。 長い間、消費者は騙されてきたわけですから、この際調べてみて、差支えがないならそうした冷凍・解凍は技術と考えて、積極的に取り入れた方がよくはないでしょうか。 マグロなどには普通に用いられている技術だと思います。寿司種として生で食べています。
2007.11.11
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機嫌よく早起きできたと思っていたら、頭がぼうっとしています。風邪かな?嫌だな、と思いました。そうでないことを祈りたい気持ちでした。 この間はNHKラジオの対談のお終いの方だけ、天満敦子を聞いたのです。今日はテレビにほんの少し、施設で演奏している場面などが写っていました。 いい仕事(ボランティアらしいので仕事といってよいのかどうか)をなさっておられると見入るともなく眺めているうちに、すぐ場面は変わってしまいました。何の番組だったか覚えていません。 昼などたまにインスタント・ラーメンを作るのに、袋に熱湯500ml(カップ2杯半)などと書いてあります。 白菜かレタスや、もやしや、鶏肉をボイルしてあるものなどを入れて、3分でおいしく出来るのですが、いつも不思議に思い悩むのは、熱湯500mlをどうやって計るのか、であります。 カップ2杯半の熱湯は、別のなべなどに湯を沸かしておいて、そこから正確に2杯半を何とかして汲み取るのでしょうか?やけどの危険をおかして? 水カップ2杯半を沸騰させたら、蒸発分が減るので、熱湯カップ2杯半ではなくなるはずです。 ものすごくアバウトなのは、レトルトのカレーを熱湯で温める時間です。 3~5分とあり、一体何分にタイマーを設定すればよいのでしょう。まあ、いつも真ん中をとって4分にしていますが。 レトルトのカレーの値段ですが、100円を切るものから、300円・400円台のものまであるのです。100円を切るものはさすがに具も形をなしていなくて、少し粉っぽかったのですが、今のものはどうしてどうして、なかなかのものです。 GODI○Aのチョコレートの化粧箱入りを頂きました。下が引出しになっていて、小さな角型の板チョコが入っています。50・72・85%cocoa-cacao、と3種類、それにMILK-LAITなどという表示がしてあるのが1種類あります。 胃の心配などせずに、1種類ずつ食べて見ます。 昔の固い板チョコ、MOR○NAGA MILK CHOCOLATEがなつかしいです。
2007.11.09
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ウェーバーの名曲に佐々木信綱の名詩で歌う。もうそれだけで良いではありませんか? しみじみと。 秋の夜半 作詞 佐々木信綱 作曲 ウェーバー(魔弾の射手より) 秋の夜半(よわ)の み空澄(す)みて 月のひかり 清く白く 雁(かり)の群の 近く来るよ 一つ二つ 五つ七つ 家をはなれ 国を出でて ひとり遠く 学ぶわが身 親を思う 思いしげし 雁の声に 月の影に ところで、雁は「かり」といわれたり「がん」といわれたりします。また「かりがね」などとも言います。 落語で三代目三遊亭金馬は、お姫様が月見をしていて暮れ行く空を雁が渡るのを見て「がん」といった。お供が「かり」ということを進めた。同席の老女が煙管をはたいたら雁首が落ちてしまった。お姫様いわく。「これ、『かりくび』が落ちたぞ」!! 日本語は難しいですね。 森鴎外の小説『雁』は「がん」と読んでいたと思います。 雁字搦め、雁行なども「がん」です。夕暮れの空を雁行して渡る姿など、何10年見ていません。借金で雁字搦めは時々あるのですが。
2007.11.05
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Dorabellaさんのブログに、あんまんはセブンイレブンがおいしいと書いてありました。夜、近所の7-11に行って税込み105円なりで買いました。道を歩きながら冷ましてから食べてみました。なるほどおいしいですね。餡も柔らかめだけれど良かったし、皮がおいしかったです。今度は冷えたところを食べてみようと思います。 アンマンが好きで、冷凍物を買っておくんですけれど、おいしいと思ったことはありません。それでも、どういうわけか肉まんは食べません。無意識のうちにメタボを気にしているのでしょうけれど、あんまんでも同じことではありますね。でも好きなんです。「男はつらいよ」で寅があんぱんを食べている場面が連作のうちに何回か出てきます。あんぱんも好きなんです、私は。 そうそう、今日はバナナ2本食べている~。 コーラスの日であった。終わりに先生が好きな曲をなにか1~2曲歌わせてくれます。いつも斉唱を歌うので、今日はフォスターの「夢路より」をお願いしました。混声三部に編曲してあります。 先生が来ない時、私が伴奏を弾いてよく歌う曲です。当然、下のパートが歌えるものと思っていました。ところが7割ほどしか歌えないのにびっくり仰天。視唱は絶望的であります。特に詩を覚えていなくて、音符と詩の両方を見なければならないときは悲惨です。 ま、こんなもんです。 夢路より 訳詩 津川 主一 作曲 フォスター一 夢路より帰りて 星の光仰げや 騒がしき真昼の 業(わざ)も今は終わりぬ 夢見るは我がきみ 聞かずや我が調べを 生業(なりわい)の愁いも 跡もなく消えゆけば 夢路より帰りこよ二 海辺より聞こゆる 歌の調べ聞かずや 立ち上る河霧 朝日受けて輝(かがよ)う 夢見るは我がきみ 明け行く美空の色 悲しみは雲いに 跡もなく消えゆけば 夢路より帰りこよ 手元に2種類ある楽譜のいずれにも詩が抜けている。一つは英語の詩はあるのだが。音符の下にある平仮名を、やむをえず適当に漢字混じりになおした。誤りがあるかもしれない。「美空」の「み」は美称の接頭語かと思う。「み」とひらがなにするのが正しいだろうか。
2007.10.20
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体調が不良であることは同情に値しますが、総理の職責を全うできない病状ではないことは明らかになりましたし、仮に命にかかわるような病気を抱えているとしても、ここで総理の職を投げ打つ必然はありません。 命をかけてでなければ総理になどなってもらいたくはありませんでした。 単なる「ぼんぼん」に過ぎない人間だったのですね。 いろんなことをやってくれましたが、すべて弱者切り捨ての小泉氏の流れに従ったまでです。独自の施策はなにかありましたか?
2007.09.14
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昨日はブログを書けなかった。 いつものノートがネットに繋がらない。 デスクトップでやればよいのに、面倒だった。 デスクトップから無線ランというのかな?それも分からないが、無線で飛ばしているのである。 大抵は調子よく繋がってくれるし、特に問題はない。 いろんな説明が出て、対処法なども書いてある。 だが、錆び付いた頭で分かるようなものではない。 前にも何度かあり、何度かいじっているうちに何とかなった。 昨夜はどうにもならなかった。 暑い猛暑日が続いて昨日1日やっと涼しい日が巡ってきた。ノートも疲れを取るために寝ていたのかも知れない。 PCメンテナンスの基礎知識など今更要らない。でも、パタパタッとなおせる人がいるってことは確かで、凄いなあと思うのみだ。 ジャンボジェットなどのコクピットもパソコンのモニターのようなものになっているらしい。ぱっと真っ黒になったらすぐなおせるのかな?アナログの機器がまだその後ろ側にでも残っていてくれてるのかな?
2007.08.24
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乗客乗員全員が脱出した後、ほとんど間を置かずに炎上したようです。 ほんの僅かな幸運の女神のほほえみのようでした。テレビに映されたのは脱出後のジェット機の炎上でした。紅蓮の炎と黒煙を上げ、その勢いは消火作業にも反応しない勢いに見えました。 ラッキーだったと言わざるを得ないと思います。数分の違いが大惨事につながっていたでしょう。 柏崎刈羽原発の火災がリアルタイムでテレビで何度も映されました。 地震による損傷はやむを得ません。でも、消火に当たる人の影が全くないのです。自動で消火装置が作動する様子もありません。 電話が通じなくて係員を呼び出せなかったとか、いろいろなことが言われました。 あのような時は、職員は家族の安全を確認したら、黙っていても駆けつけるマニュアルがあって、訓練をつんでいるものと思っていました。 消防に対する連絡も遅れたとのことです。 少なくとも、所長や管理職の関係あるものは、懲戒免職になったものと思いますが、その報道には接していません。 あの、何も出来ない馬鹿さ加減で、関係職員が責任を問われないなどということは、ありえないし、ないことと思います。いくら、責任を取らないのが蔓延している国とは言ってもです。
2007.08.21
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暑い日が続いています。 広島と長崎の原爆の日式典も猛暑の中に終わりました。 式辞その他で、総理のあいさつは今年に限らず毎年のことながら、うつろで中身がないように感じました。本気で核廃絶の熱意があるのか、分らないのです。 毎日の暑さは原爆を憎むがごとく地球が、宇宙が、怒っているがごとくであります。 戦争は絶対にいけません。
2007.08.10
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長崎に原爆が投下されて62年になる。 いまだに被ばくの後遺症で多くの人々が苦しんでいる。 アメリカはなぜ日本の都市に原爆を投下したのだろう。 それも、広島と長崎と2か所に。 アメリカはその後も戦争ばかりしている。 日本はなぜかその後にくっついている。 小澤氏が初めてノーと言った。 これからを注意して見ていきたい。
2007.08.09
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ブログを見ていたら、洋食のコースを召しあがった方が、出されたものを紹介して下さっていた。 とても美味しそうで手のこんだ料理だなとまでは知らなくても感じられる。 でも、せっかく書いておられる料理や素材や調理法の半分は分らなかった。 自分が頂くとして、良く知ったうえでいただけばきっと美味しさも倍増するであろうにと反省した。 コースは勿論、重いのから比較的軽いのまで、何度も経験は年の功だけあるが、これは何だろうと疑問を持ってもウェイターなどに聞いたことがない。 何でも良かった。しかしこれはいけない。一々承知した上で美味しく頂くのがマナーでもあるだろう。 昔々、デパートの食堂で一品料理を食べた。何だったか忘れたが、ここにハサミで切った固い葉っぱが入っていた。今では月桂樹の葉ではなかったかと思うのだが、空いている食堂でただ一人、これを残していいのか、食べないと笑われるのか、少年の頭で真剣に迷った。 京都の、これは最近の話だが、四条木屋町下がるにある懐石料理屋Kで最後のご飯になった。このKは東山山麓にある料亭の支店ではないかと思っているが、それも聞いていない。そこの親父がよくテレビに出る。 そのご飯は加薬飯だが米に芯があるのだ。芯があるということは仲間4人が一致した。誰かが「これはこれでいいものか、こういう炊き方なのか。失敗作なのか」と酔った勢いもあって聞いていたが、結果はどうだったのか知らない。 知らないながら、御飯がものすごくおいしいところを名を挙げて紹介しておこう。 御所の西、歩いてすぐの所にあるホテル・ブライトンの1階にある懐石料理。名前は忘れた。ここのご飯は今まで食べてきたご飯のうち、最高と言ってよいくらいうまかった。そのうまさに仰天した、と言えば大げさすぎるだろうか。こんな美味しいごはんもあるのだ。 仲居に「おいしい」とは言ったが「どうして炊くのか」など肝心のことは例によって聞かない。仲間が聞いたところによると、良いコメを表面がすり減るほどに良く研ぐのだそうである。
2007.08.07
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相撲には詳しくはない。 かつてウルフと言われた横綱千代の富士が車から降りるところをあるところで咫尺の間に偶然にもでくわした。 ものすごい衝撃を受けた。 もう引退してしばらくになり、背広姿であったと思う。 その眼の鋭いこと、険しいこと、鉄をも徹す鋭いものがあり、それでいて慈愛に充ち、御仏の眼かと怪しまれる威厳をもって我が胸ぐらは撃ち抜かれた。 鋭くしかも美しい「まなこ」。引きつけて止まない「まなこ」。 ほんの一瞬であった。その一瞬の美しい「まなこ」。 現役の頃、土俵で真剣勝負の時にも気が付かなかった。 千代の富士が今何をしているかも知らない。しかし、一芸を極めた者しか天が与えない「まなこ」は今なを持っているのであろう。 あれほど綺麗で美しい眼光を見たのは、後にも先にもこの時が最初で最後である。 千代の富士としては車を降りるときに迎えに出た関係者に満面に笑みを湛えて応えようとした時のはずだ。 ベートヴェんの肖像で、五線紙を手に持ち、赤いマフラーを巻いたものがある。あの眼を一瞬思い出した。
2007.08.06
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昨夜、ラジオ深夜便を寝ながら聴いていたら国旗についての泰斗が出演していて日の丸について語っていた。 初めて聴くことがほとんどだった中に、敗戦で国旗をそのままに用いている国は日本以外ない、というようなことを言っていた。 なるほど、と思った。永遠不滅のものと思っていたが、とんでもないのであった。アメリカの星条旗の星の数は増えてきたのは分るが、並び方に決まりがあることをも知った。 日章旗であるが、法律の制定日は1999年(平成11年)8月13日と最近のことで、1870年(明治3年)の太政官布告、郵船商船規則で事実上の国旗になったようだ。 しかし歴史は古く、話では源平の壇ノ浦の合戦で那須の与一が平家方の金に赤い丸を描いた扇を射抜くところなどを挙げていたが、まだまだ遡れるらしい。 国旗の規格は、明治には上掲の商船では縦横比2:3であるが、軍艦では7:10であり、日の丸の位置は商船では対角線上、軍艦では対角線の交点から竿側に100分の1寄るのだそうである。 現在の国旗は商船の例により、法律で縦横比2;3、丸の中心が対角線上にあり、丸の大きさは縦の5分の3だそうである。 法律では赤を紅の字で書いている。紅白歌合戦などと紅と赤はある意味同一であるが、画家に言わせたら怒るのではないか。 「白地に赤く~」はかつては「白地に紅く~」だったのだろうか。 内閣法制局が決めたのだと思うが、今の時点で「赤」を牽いて「紅」が出てこないのではないか。 また、調べて触れることにしよう。
2007.08.01
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昔々、家でもハエ取り紙を使った。これは日中の暑いさ中に活躍した。 フィルムケースよりちょっと大きかったかも知れない。ボール紙の筒から粘着剤を塗ったテープを引っ張り出し、筒を重しにしてつるして使う。蠅が飛んできて止まるとくっ付いてしまうのだが、蠅によってはわざと避けて飛び回る賢いやつもいた。 魚屋などには何本も吊下げてあって、効くのか効かぬのか、蠅は惨めに捕えられてはいるがそれの何倍もが飛び回っている。 魚屋の親父は渋団扇で蠅を追い払いながら商いに勢を出している。 しばらくして、蠅取り紙はモーターについた棒の両端に下げられ、回りながら蠅を取りに打って出た。待ちの姿勢を攻撃に変えたのだから、これは非常な発明であった。乾電池で回る蠅取り紙は羨ましかった。 少年は欲しいと思ったがどこで売っているのかも分らず、ポケットの小銭を汗になったまま握りこんでとてもこれでは買えないだろうな、と思った。 よく寄らせていただくブログを眺めていたら、「こばえホイホイ」というのを紹介していた。写真から中に入ったら安いのでどうかと思ったが1個注文した。明日届くはずだ。 物置に借りているところに小蠅が出ている。スプレー式殺虫剤でやっつけたが、「こばえホイホイ」が効きそうだ。しゃがんで1匹くらい入るのを眺めてみようと今から楽しみである。しゃがんで見た後は立ち眩みに注意して立ち上がらないと偉いことになる。 ついでながら、昔は蠅叩きというのがどこの家にもあった。 これは蠅を潰さないようにうまく殺さなければならず、コツがいったものだ。潰すと後が汚い。始末が大変だ。微妙だったがみんな上手く使いこなしていた。年寄りは飛んでいる蠅をこれで器用に捕獲した。
2007.07.31
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ある辞書によると『人心』とは「世の中の人々の気持ちや考え」だそうです。人心は表明されました。この結果によって、「人心一新」のために自民党の役員の改選と内閣改造が行われるとのことです。 一般によく用いられることではありますが、人心の言葉の正しい使い方ではないようです。 この場合の人心は「世の中の国会議員の気持ちや考え」という意味ですね。日本語は曖昧です。 しかも、選挙で示された「世の中の人々の気持ちや考え」=『人心』は、役員改選や内閣改造ではなく、トップの交代です。ところが大方の期待を裏切って続投だそうです。 後継を作らないトップは駄目だそうです、昔から言われています。 ところで、昨夜、大勢が決まった中でテレビ討論が行われていました。内政で手一杯というのも分りますが、各党党首(級)は外交に触れないのに驚きを禁じえませんでした。外交音痴と言われますね。
2007.07.30
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テレビを見てみると、まだ投票時間が終わって間もないのに、当選確実が続々と出ている。民放によっては各党の予測数にかなりの差がある。 それぞれの局は相当の情報を持っているのだろうと思う。名前まで上げて当選確実を打つのだから、責任がある。過去に間違いもあった。 自民党の大物幹部の落選もありそうだ。 今日は暑かった。午後、雷雨があって選挙の出足も影響を受けたかも知れない。 さあ、ブログを休もう。
2007.07.29
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来年の合唱祭は何を歌うかが今日のレッスンで話題になった。 現代日本人の作曲になるものは取り上げるところが多い。少し長く続いている合唱団などは大概そういうものをやる。 私は臆面もなく「ハレルヤ」をやりたいと言った。思いつきだ。 先生は「『ハレルヤ』は難しいから駄目」といった。 持ち時間がどのくらいか、収まらない危険はあると思ったし、われわれの合唱団のレベルではできないだろうことも分っていたので、先生の意見は聞かざるを得なかった。女声はまあまあとして、男声がどうにもならない。 日本人の故人となられた方の作曲にも良いものはもちろんたくさんあるが、ヨーロッパの合唱曲を歌いたかった。「流浪の民」だって素晴らしい名曲だ。 日本の合唱曲ならアカペラだが「いのちをうたおう」(角田英一作詞、新実徳英作曲)を一曲提案しようと思う。難しいけれども子供たちが歌う曲だ。 今日は暑かった、なんでこんなにと思うぐらいに暑かった。いよいよ夏真っ盛りだな。 私鉄の改札出口を下りるとガードの下になっていて、南風が吹き渡っていた。熱風ではなくて、意外に涼しく感じられ、心地よかった。 日当たりに出るとさすがに帽子が欲しい。 議員の先生方は議事堂でクールビズなんてやらなくてもいいのにね。こういう真夏の空の下で涼しく過ごせる服装を考えてくれればよいものを。 彼らにはあまり関係がないかな? 明日だな!!
2007.07.28
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「そうだ、京都、行こう」間違っているかもしれないが、このようなキャチ・コピーがありました。別に京都でなくてもいいではないか、と思いましたが、なるほどこれは保護されるべき創作だな、と思ったものです。 「日本を、休もう」というのもありました。これも私の記憶が正確かどうかは分かりませんが、訳が分らないという前に、なるほどそうかも知れない、と思ったものです。 今はなんでしょうか?「美しい日本」などは空々しい戯言で論外として、あまりいいものは生まれていません。 で、「ブログを休もう」はどうだろう。 毎日名文をものしておられる皆さんは、その努力たるや並ではないでしょう。 ブログに注がれるエネルギーは物凄いものがあると思います。 恵まれた天分がある方が書いておられるのですが、コメントに返事を書き、関係のブログを漁り、その努力は大変なものだということは間違いないと思います。 皆さん、また文章がお上手です。考えさせられる内容のものも多いのです。 私はもう大分書かない日があり、それでも90パーセントは上回って書いています。 どうも評判が良くないな、と思うものに「君が代」「日の丸」についての記事があります。コメントがあったことが極めて少ないのです。触れたくないのでしょうか。私は右翼ではないですが、「君が代」「日の丸」は国歌であり国旗であり、絶対に尊重します。 「ブログを休もう」としたら「君が代」「日の丸」に来てしまいました。
2007.07.27
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白内障の手術を決意した。左は済んでいて右だけだ。 左右同時にする人の方が多いようだが、何となく怖い気もする。悪くてもよいから、自然の目玉を一つ残しておきたかった。 今、手術の予約をしても順番が回ってくるのは2~3か月は後になる。その間に、生まれた時からの目の玉を使っていることと、不自由を並行させて楽しめるかどうか? 今日は眼科で内科の検診だ。採血、心電図、丸で手術室のような部屋で行われた。 白内障の手術は階が違う。聞いてみると美容整形外科手術の部屋なのだそうだ。 この眼科は倍くらいの建物を増築中で、美容整形外科を拡大するのだそうである。 どうでもいいが、眼科のレベルは落としてもらいたくはない。 気が付いたのだが、美人の眼科医がいなくなっている。若い青年の眼科医が来ている。 手術はいろんな医者がするのかを聞くと、院長がやるのだとの返事だ。 安堵を覚えたが、技術継承ができないのではと余計なことを考えてみる。 患者とすれば熟練医師に手術をしてもらいたい。いつか美人の眼科医も手術をすることになるのだろう。 目が良くなれば本も読みたくなるだろうか。そうなればいいなあ。
2007.07.26
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テレビを見ていたら蔵王のお釜(噴火口)が空撮で大写しに描き出されていた。満々と湛えられた青い水は、流れ出ることのない雨水が溜まったものという。 昔、まだ山形新幹線のないころ、山形空港(神町)から羽田に向かったことがあった。 ジェットは今の改良型よりよほどスタイルが良かったB3(ボーイング737)である。 B3は双発で、エンジンは主翼下に密着し、翼前から翼の後方に長く突き出している独特のものであった。 その後方に突き出た部分は着陸時の主翼の垂れ下がってくる動きをメカニカルに見せてくれて飽きることがなかった。当然、エンジンの逆噴射の様子も分かった。 飛び上がると主な車輪は胴体側に引き上げられたが、カバーはなくて下から見えるのであった。もちろん乗っていては見られない。 B3はあまり上空高く飛ばなかったものと見え、山形空港を飛び立つとしばらくして蔵王の上を飛んだ。 眼下にお釜が美しく見え、登山客でにぎわいを見せている蔵王の夏姿があった。 山形市から歩いて蔵王山に登ったことがある。途中、夜中に蔵王温泉の共同浴場で温泉に入った。湯あたりしたのか、それからはひどい疲れが出て苦しかった思い出が残っている。 だから、テレビ番組などで温泉に浸かってさらに歩く姿は人ごとながら気が気でない。 座王山頂のお釜の淵はその青い水になだれこんでいて恐いところがあるが、青い水はさざ波が立って白く色が変わったり緑色になったり、神秘的な畏怖感があった。 今は「こまくさ」は厳重に管理されているが、そのころは押し花にして栞やカードに貼って土産物店で売られていたものだ。 山頂までの間に瓦礫のようなところを歩く。さっと濃い霧が来て、前後左右が全く見えなくなったのには驚いた。人の声だけが聞こえる。こういう時だろう、遭難しやすいのは。 テレビの映像から思い出したわが蔵王の思い出の一端である。
2007.07.24
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ある夜のこと、ラジオ深夜便を寝ながら聞いていた。ロイヤル男声合唱団で「モーツアルトの子守歌」を歌った。そのテンポがゆっくりしているのに驚いたのである。 私たちの小さなコーラスでも持ち歌にしている。ピアノ伴奏は私の務めだ。下る早いパッセージを2回、上手くこなせると自分では成功と思っている。 ところが、この男声合唱団のスピードなら問題ない。どうなのだろう。 先生のいる時にわがコーラスで歌わせてもらった。先生も私と同じ程度のテンポである。 しかし、ゆっくりも難しい。これだけのハーモニーを丁寧に歌うのだから。 いろいろあっていいのだ。 で、先生はこの詩に付いて薀蓄を傾ける。寝室でいちゃいちゃしているのを隣りで誰かが聞いているところというか、あまりにも我々が考えていたものと違う背景だった。 そういわれてみると、日本語の翻訳もそう取れる。 作曲がモーツアルトでないことと、大人の寝屋の世界のことであること、驚きであった。 綺麗な旋律、赤ちゃんのあどけない寝顔。 砕かれてしまった。 無知が知識に打ちのめされ、凹む時だってある。
2007.07.22
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テレビを見ていたらこんな場面がありました。 自民党の候補者の宣伝カーを取り巻いて演説に聞き入っている人々の場面です。これは良いのですが、聞き入っている人々が全員(といっていいほど)「日の丸」の旗を持って振りかざしていました。 日頃から「日の丸」を掲げないと愚痴を言っている私ではありますが、これは誠に困ると思いました。「日の丸」は国旗であり、自民党の旗ではありません。こういうことをするから、一部に「日の丸」を嫌悪する風潮を醸してしまうと思うのです。 まさに「日の丸」の悪用で、危険な用い方であります。勝手だろうといわれればそのとおりでしょう。でも、誰の目にも国旗に対して誠意ある態度とは見えないと思います。 新潟地震の避難所でおにぎりが配られ、大方はおいしいといって食べていました。おにぎりの米粒が手に付くのです。数が多いし短い時間で作らなければいけないので、仕方がないのかなとも思いますが、のりを巻くなどは無理でしょうか?自衛隊の炊き出しだと思うので、米や水と一緒にのりを運べばどうでしょうね。焼きおにぎりは大量だから無理として。 コンビニのおにぎりはおいしいですけれども、避難所に配るおにぎりも工夫すべき時代かも知れません。
2007.07.17
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災害列島ですね。何が美しい国でしょうか。災害があってもけなげにかばいあい、助け合う様子は美しいに違いありませんが、ひどい国であることには変わりありません。 世界でも例がないのではないでしょうか。我が国が誇りうる災害などと言ったら不謹慎であります。天罰が当たるでしょう。 しかし、「方丈記」にも災害の記録はあります。「ない、ふる」などと地震のことを書いていたと思います。 昔から自然災害が多い国です。それだからこそ、人災を起こさないようにしなければなりません。 台風、地震に遭われた多くの方々、また亡くなった方々もおられます。お冥福を祈り、またお見舞い申し上げます。
2007.07.16
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かつてNHKはお盆に「お盆会法要」(正式に何と言ったかは失念した)を大寺院から中継していた。いつの間にかなくなって久しい。 番組終了時の「君が代」と「日の丸」は終夜放送でその隙間がなくなったというのだろう、教育テレビ以外はなくしてしまった。 けしからんことだ。「君が代」も「日の丸」も、明治以降に国歌、国旗と認識されたに過ぎないだろう。それなら、大相撲だってそうではないだろうか。 大相撲は総合テレビとBS11を幕ごとに15日間占有している。どこかおかしくはないだろうか。そろそろ考え直してもらいたい。 そして「お盆会法要」は仏教の行事だから、というので止めたのであろうが、愚の骨頂といってよい。 仏教だけでは偏るというのであれば、クリスマスにどこか大聖堂の「ミサ」を実況したらよいし、国民の文化に対する興味は俄然いや増すと思うのである。 靖国神社は神道の社である。確かに展示館などに行くと無念の下に死んでいった若者の心に打たれないわけには行かない。 これも、「君が代」と「日の丸」の下に行われたのであることは事実である。だからこそなのだ、「君が代」と「日の丸」の諸君は今度は平和に徹しなければいけない。 こうなるのだと思う。「君が代」と「日の丸」を毛嫌いするのではなく、諸君は悪いことをした、だから今度は平和に貢献せよ、とこういう風になるのではないだろうか。
2007.07.15
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九州地方の豪雨に遭われている方は大変です。雨はまだ続くようですから豪雨に見舞われている地方の皆さん、頑張ってください。 巨大な台風の動きも気になります。 今日は何故か鬱陶しく感じました。蒸し暑いのが原因でしょうか。 夜に入っても一向に涼しくはなりません。今夜は熱帯夜かも知れませんね。 わが家はこの夏、まだ一度しかエアコンを回しません。どうも温暖化が叫ばれて以来、使いにくくなりました。ドライ運転で除湿もされて温度も適当に下がるのですが、まだ我慢です。 そうです。こんな中を仕事していたものです。手の汗で書く紙がくっついたり汚れたり、薄い和紙にカーボン複写なども神経を使ったものです。 当時は開襟シャツというのが普通で、ネクタイはしませんでした。長袖と半袖があったと思います。それでも、額から汗が垂れ落ちたりしました。 誰かがアイスキャンディーを買いに行き、3時に配るのも楽しみでした。 風の強い時は涼しい代わりに、あらゆる書類に重石をしないと吹き飛ばされてしまいます。文鎮が活躍し、ペーパーウエイトなども随分机の上にありました。大きいは鋏やホッチキスなども動員されたものです。その頃のホッチキスは重く大きく、上から全身の?力を込めて押し付けて使いました。 暑い日照りによく外を歩きました。ふくらはぎの汗がズボンにくっ付き不快でした。ステテコをもっと長くすることを誰も発明しませんでした。 これを書いている者は一体年はいくつなのだ?
2007.07.12
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山手線までは大丈夫です。ところが、地下鉄となると上手く乗りこなすには大変です。 山手線でも改札が1箇所のところがあり、それを見つけるのが楽ではありません。 聞くのが早い、と信じ、実行しています。大体綺麗な若い女性を選んで丁寧に聞きます。今日もそうしました。すると、気が付かなかったのですが二人ともインナー式イヤホーンを外して質問を聞いてくれました。 ウオークマンがなくなったと思ったら、次の変なのが出回っています。 「地下鉄南北線の入り口は何処ですか?」という質問に、大分考えてから「分からないのですが」というような返事でした。この田舎者めが、と思いながら「済みません」と口ではいい、主義には反するけれども、若い少年に同じことを聞きました。 同じ答えです。「都会の奴らは一体何をしているのだ!お前たちは、上ってきた人々に親切に道案内をする義務があるのだ」と一般には通用しない理屈で怒りを募らせ、やむなく改札の脇にいる駅員に聞きました。 「ここは田端駅ですから、2番線から一つ乗った次の駒込駅から乗ってください」ときました。 駒込駅で降りたはずが田端駅だったのです。スイカの料金も引かれているでしょう。 ところで、南北線はスイカが有効で、パスネットはチンときてカチンと閉まってしまいました。何ででしょうね。JRはスイカ、地下鉄はパスネットではないのですか?ここは誰かに聞いてみようと思います。 それにしても、携帯電話の画面に見入り、操作しながら歩く人が多いのに驚きます。私もちょっとやりましたが、ぶつかりそうになったのは数知れません。 後楽園で降りて地上に出たのですが、先ずホームで早とちりは駄目だと知らされました。 案内板が何番出口は右へ、何番出口は左へ行けという表示です。その左へ行けという表示の下に探している行き先が書いてあります。左に行きかかってもう一つの地図を見るとどうも違うようです。先の案内板のところに戻ってつらつら眺めると、探しているビルの前に出口番号が書いてあります。上の右へ行けの下だからそれに従ってはならず、ビルの前に書いてある番号の出口を、上の右・左の矢印のところに書いてある番号を見て、それに従うのです。 左の矢印の下には左出口が便利な行き先を、右の矢印の下には右出口が便利な行き先を書けばよいものを、ったくもう。アンバランスになるらしいのです。 もう一つだけ。エスカレーターの長いこと。それだけ地下深いところを地下鉄は走っているのです。空気は濃く、気圧は高いのでしょうかね~。
2007.07.10
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あさの連続ドラマは昼ドラでもあり、土曜か日曜などはNHKのどこかでまとめて放映している。 人気があるのか、NHKが無理やり押し付けているのかは知らない。 4月から9月がNHK-AK(東京)、10月から3月がBK(大阪)が担当のようである。 今の物ではあまり感じないが、少し前にやはりあることはあった。 何かというと、「~であるけれど」、「~でしょうけれど」「~けれど」「~そうでしょうが」「ですが~」「ですけれど~」などと言うべきところをを『けど』ということである。朝ドラに特有の、東京、大阪の制作局を通じて、ドラマが変わっても、この意味で用いられる『けど』が続けられていることが気になるのである。 目論見があるのだろうか。特殊な効果を狙っているのだろうか。 東京はもちろん、関西でもあまり実際には使われていないのではないかと思う。 この『けど』は誰の趣味なのだろう。 以上、ちょっと気になるのである。「どんど晴れ」では先にも言ったとおりほとんどないが、それでもやはりあったのである。
2007.07.09
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先生がお休みのコーラス練習日でした。曇り空のもと、ほとんどが出席してくれました。易しい曲をたくさん歌う会になりました。 七夕ですからそれぞれの願いを心に、今朝、慌てて楽譜を探し「たなばたさま」を歌いました。この曲は1番を権藤花代(別本、はなよ)、2番を林柳波と別人が作詞しています。 芸大教授で「作曲法」などの著書のある下総○一の作曲です。(○は字が出てきません。白いという偏に作りは完)。下総の「作曲法」は随分長いこと持っていましたが、難しさもあって拾い読みを何箇所かした程度でした。 歌詞を黒板に書いて、伴奏はどちらも易しいものですがカワイ出版「子どもと歌おう」にしました。初見で弾けるのはこの程度なのです。 易しい曲を歌っても練習の効果はおのずと出るだろうと思っています。が、しかし、男声のまとまりはほとんどないのでした。こうなると各自バラバラです。生声が目立ち、やはり練習不足、女性には適わないなと思わざるを得ません。 素人集団を歌わせるのは、やはり大変です。これを上手く操る先生の指導法は上手いなと再確認しました。
2007.07.07
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こんなものでいいだろう、と思っても、全然そうは思わない人だっています。 これは駄目だろう、と思っても、意外に評判が良かったりもします。 要するに多様だと思うのです。多様だからどうにか生きていけるのかもしれません。 例えば、「のど自慢」を聴きながら自分なら鐘はいくつだ、などと考えているとします。かなりの率で実際の鐘の数とは異なるのです。 聴く耳が悪いのかも知れません。人様は予想通りに行っていて納得できているのかも知れません。カラオケなど馬鹿にして行ったことがない酬いでもあるでしょう。 でも、あれは誰が鐘の数を決めているのでしょうね。 たまに、「これは上手い、合格だろう」と思っていて、鐘も3つ以上が打ち鳴らされる時があります。たまに、一致するんです。 いろいろな場面で人それぞれと思うこのごろです。
2007.07.02
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年中行事の一つですが、七夕に関する歌はあまり思い当たりません。元旦でさえ「年の初めのためしとて~」という『1月1日』があるくらいです。 七夕は「笹の葉さらさら軒端に揺れる~~~金銀すなご」という『たなばたさま』しか頭に出てきません。これは1番と2番が作詞者が異なるようですが、いまだ著作権があるようなので載せるわけにはいかないのが残念です。 ところが、ネットで調べてみますと、万葉集には170首以上の七夕に関する歌があるということです。ほとんどが男女の恋を詠ったもので、中にはこれが七夕とどう結びつくのだろうと考え込むものもありました。 さて、『1月1日』から明日で半年が過ぎます。まあ、その過ぎ去ることの早いこと早いこと。『男はつらいよ』のテーマ曲の歌詞に「男が目方で買えるなら、こんな苦労もするまいに」というのがあったように記憶しているのですが、「年月が長さで買えるなら」といきたいところです。 怠け者の言い草でしかありませんね。おお、恥ずかしい。
2007.06.29
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戦争責任にしろ、慰安婦問題にしろ、遠慮しながらいうことになるのです。良く知らないのが一つ、頭が悪いのが一つ、文章が下手なのが一つ、ということでしょうか。 FMレシーバーの性能のよいのが欲しいなあ、と思います。ですけれども、それがないお陰でAMを聴くことが多くなります。 ラジオ第一の朝の評論、夢うつつで聞いているので番組名も時間も曖昧ですが、声で(電話かもしれません)出演している学者や評論家の方の発言は非常に説得力があり、いつも感心しています。 目覚めるとともに忘れてしまうのが玉に瑕です。時間的には10分か15分ですが、これを再放送していただきたいと思います。 こういう論理的なものの考え方、話し方(書き方と同じでしょう)、説得力、などなど非常に益するところのものがある番組です。 官僚組織は解体すべきです。ですが、個々の官僚の頭脳は生かして使うべきです。 それにもう一つ、公務員の悪は組合です。最近はいざ知らず、組合と対峙した経験をお持ちの方のお話では、どうしようもない悪の集団だそうです。その醜さといったら話にならないそうです。 この国を駄目にした一方の塊だそうです。納得できる気持はいたします。 しかし、健全な組合は絶対になければならないでしょう。ますます官僚がのさばらないためにもです。
2007.06.28
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日本的曖昧さが通用しなくなっている話です。 しかし、じっと時の経つのを待っている日本は、60年余を経てアメリカ下院外交委員会で従軍慰安婦問題が可決されたことを重く受け止めるべきです。 先の戦争も世界に対して謝るべきだと思っています。つまり、謝っていないのです。 日本だけが悪いのではないと諭された記憶がありますが、やはり謝罪すべきは謝罪して、その上で旧ソ連やアメリカの原爆投下などを責めるべきだと信じます。 アメリカもいまさら何だ、という感はしますが、日本の日本的な態度に業を煮やしたのだと思うのです。 総理はアメリカ議会でたくさんある決議の一つ、他国のことだからコメントはしないと言っています。刺激しないことは有効かもしれません。でも、抗議もできないのです。 歴代の総理大臣が、日本を代表してはっきり戦争を謝罪したことはないのではないでしょうか。謝罪は必要ないという立場なら、もちろん謝罪はいりません。 が、奇妙なことに○○談話を継承するなどと分ったような、しかし論理性のない言い方でさらに詫びる気配はありません。 卑怯ではないかと国民として私は恥ずかしいのです。 詫びることは詫びる、相手に詫びさせることがあれば詫びさせる、これが普通のことではないでしょうか。 曖昧にする、荏然時を過ごす、こういう日本流は私なども身についていて気持ちが良いものです。 だが、違うと思うのです。国民は先の大戦で塗炭の苦しみを味わいましたし、罪のない人々が死んでいきました。 それでも謝罪すべきは謝罪すべきでしょう。特攻隊を経験した我が国は、自爆テロを糾弾できないのではありません。 そういうことをしたことを内外に謝罪していないことが問題なのだと思います。靖国神社でごまかしていると思います。 アメリカは何をやっているのだと確かに思います。でも、ヒル国務次官補が精力的に飛び回っている時に、我が外相や総理のどこか他国とかみ合わない強気な発言など、これで良いのかなと思えることがある国から見たアメリカの不思議なのだと思います。 分らないことばかりですが・・・ 君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔の蒸すまで
2007.06.27
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かなり長く好景気が続いているということです。実感としてそのように受け止めている人はいるのでしょうか?ある種、統計上から景気は良いと割り出されるなら、統計の基礎になるなにものかを見直した方が良くはありませんか? 人々の実感とずれたところで重要なことを言われても、「ああそうですか」とは言いにくいです。何か見直しが必要ではないかと思うのです。 官で出来ないことも民なら出来るということが良く言われます。これはどうしてなのでしょう。いくつか分からないことがある中の最たるものです。官にはいろいろ制約があって民ほどの自由はないことは事実だとしても、その制約が及ばない分野においても民に出来て官に出来ないとすれば、官は働かないだけではないでしょうか? 民の働き過ぎ(働かされ過ぎ)かもしれません。 いずれにしても官尊民卑は残っています。官はノルマもなければ目標もない。ただ、だらだら一日を過ごせばよい。その結果が積み上がってしまったのが年金の問題でしょう。ですからこれは一例に過ぎません。 天下りという言葉をもっていわゆる「天下り」の意味にあてたのは官僚ではないかと睨んでいます。ずうずうしいですね。天には神仏しかおりません。役人に無関係の世界です。その清らかな世界に自分たちがいるとのぼせているんですよ。きっと。 癪ですね。唱歌にしましょう。少し時期は過ぎてしまいましたが、「チューリップ」です。 チューリップ 作詞 不明 作曲 井上武士 さいた さいた チューリップ の 花が ならんだ ならんだ あか しろ きいろ どの 花 みて も きれい だ な (「エホンショウカ(ナツノマキ)」昭和7年(1932))
2007.06.08
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昨夜、ラジオで聞きました。それも、真面目にではなくいい加減に聞いたのです。 「あんぱん」と「クリームぱん」を用意します。「あんぱん」はこしあんで、「クリームぱん」のクリームは上等のシュウクリームに用いられるようなものが良いとか? お皿の上に「あんぱん」を載せ、上の皮を取り去ります。下の厚い皮の上にあんがそっくり載っています。 もう一枚のお皿に「クリームぱん」を載せ、同じように上の皮を剥がし取ります。下の厚い皮の上にクリームがそっくり載っています。 さて、この二つを、つまりあんとクリームを合わせるように重ねます。 底の皮であんとクリームをサンドイッチにするのです。 これをかぶりついて食べるのですが、あんとクリームの相性が非常に良く、とても美味しいという話です。 一度、やってみようと思います。降参の方も当然おられると思います。 クリームであんパンのように丸いのは探さないと見つかりません。でも、探せばあるはずです。 昔から、クリームぱんは指の太いグローブ(グラブ)のような形でした。これは今もあります。 また、チョコレートぱんはなぜか細い巻き貝のような形をしています。これも今でもあります。巻き貝の太い方にチョコレートを守るため四角に切ったパラフィン紙が張り付けてあります。 食べなくなってどのくらい経つでしょうか。でも、この際、この二つは出番がありません。
2007.06.06
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6月1日は昔から衣替えの日です。 国会の中におじさんやおばさん(お姉さん)がうろうろしています。 クール・ビズというわけのわからない悪習が現れたのです。これには困りました。大体において「センスがいいな」などと思われる議員さんは男女とも一人もいません。 クール・ビズをwikipediaで引いてみると、やはり次のように出てきました。「クール・ビズ(COOL BIZ、造語)は、小泉政権下で2005年以降の夏に環境省が中心となって行なわれた環境対策などを目的とした衣服の軽装化キャンペーン、ないしはその方向にそった軽装をいう。」 ご覧頂けばわかるとおり、衣服の軽装化などではありません。極めておかしな格好の、服装と言えるかどうかもわからないシャツを着込んだ議員先生たちがそこにいるのです。 軽装化するなら男子は上着を脱ぎ、次いでネクタイを外せばよいのです。風変りなシャツの展覧会をするまでもありません。 なるほど、偏屈総理であった小泉元首相のもとで行われだしたらしいのですが、なんとも可笑しな風景です。 これで自慢げな顔をしている議員先生ばかりで、噴飯ものであること間違いありません。 抵抗勢力が現れてネクタイに背広を貫いてもらいたいと思うのです。背広には昔から夏用があり、麻や混紡でいくらでも良いものがあります。 日本男子のセンスのなさを露呈しています。もともとクール・ビズのはずの女性先生も真似しているのでなおさら滑稽です。 こんな馬鹿馬鹿しい恰好で天下国家は論じられるでしょうか? 先生方、お家におられる時はきっとこんな恰好はなさっておられないのではありませんか? 結婚式に招かれたとき、これで行きますか。厳粛な結婚式だからというかも知れませんね。国政を論ずることはもっと厳粛なはずです。
2007.06.01
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