全11件 (11件中 1-11件目)
1
ヴェルディの中期の傑作と言われているオペラです。今結構はまっています。このオペラは完成度が高いですねえ。あらすじは暗くて陰惨で、ストーリー的にはかなり無理があるのですが、とにかく音楽がいい!一幕最後のマンチリーコ、ルーナ伯爵、レオノーラのノリノリの三重唱、二幕の有名なアンヴィルコーラス、それに続くアズチェーナのおどろおどろしいアリア、第三幕のマンリーコの、大変かっこいい「見よ、恐ろしい火よ」、第四幕のレオノーラとマンリーコの重厚な二重唱(ミゼレーレ)、緊張感ただようフィナーレ、などなど、どこを切り取っても名曲で飽きません。●ヴェルディ:歌劇『トロヴァトーレ』全曲 フランコ・コレッリ(マンリーコ) ガブリエラ・トゥッチ(レオノーラ) ロバート・メリル(ルナ伯爵) ジュリエッタ・シミオナート(アズチェーナ) フェルッチョ・マッツォーリ(フェランド) ルチアーナ・モネタ(イネス)、他 ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団 トマス・シッパース(指揮) 録音:1964年ステレオ こちらのCDは、マンリーコ、レオノーラ、アズチェーナ、ルーナ伯爵4人ともすばらしく、死角がありません。コレッリの「見よ、恐ろしい炎を」Di quella piraのハイCも鳥肌ものだし、レオノーラのトゥッチは少々癖のある声で、カラスやデバルディと比べるとやや軽いんでしょうが、聞き慣れるとこういうレオノーラもいいな、と思います。アズチェーナ役のシミオナートは、重く暗めの声が役に合っていてさすが。ルーナ伯爵のメリルもコレッリに負けない重厚さと迫力で、男同志の対決がスリリングなものとなっています。シッパーズの指揮も、全編にわたって緊張感がありながら軽快で、ノリノリです。●ヴェルディ:歌劇『トロヴァトーレ』ハイライト プラシド・ドミンゴ ロザリンド・プロウライト ジョルジョ・ザンカナロ ブリギッテ・ファスベンダー エフゲキー・ネステレンコ、他 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団 カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)こちらは図書館で借りたのですが、抜粋盤なのでなんとも中途半端なのですが、聴いた限りでは、ジュリーニの指揮はシッパーズ盤よりテンポはゆっくりめで重厚な感じ、でも締めるところは締めています。一幕最後はちょっとシッパーズ盤と違うところがありますね。ドミンゴは「見よ、恐ろしい火よ」ではハイCは出していません。ヴェルディの原曲ではないところなので、高音が得意なテノールがサービスで歌うようなものなのですが、コレッリやパヴァロッティの見事なハイCを聞き慣れてしまうとやはりちょっと物足りない。ファスベンダーのアズチェーナも、「炎が燃えて」以外はバッサリ切られているので、この曲でしか判断ができないのですが、シミオナートより軽めの声な分、かなり必至で歌っている感があるのですがそれがかえって良い気がします。シミオナートは淡々と、余裕で歌ってますからね。●ヴェルディ:歌劇『トロヴァトーレ』全曲エヴァ・マルトン(ソプラノ)ドローラ・ツァーイック(メッゾ・ソプラノ)ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)シェリル・ミルンズ(バリトン)ジェフリー・ウェルズ(バス)ロレッタ・ディ・フランコ(ソプラノ)メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団指揮:ジェイムズ・レヴァインこちらはDVDなので、演出や歌手たちの演技も楽しめます。マルトンは年いってるので、二人の男性から求愛される美少女と見るのは無理がありますが、さすがにすばらしいドラマティコ・ソプラノの迫力ですね。レオノーラは出番が多いので、ソプラノが締まらなければいけません。パヴァロッティは、軽々とハイCを出してさすが。でもコレッリやドミンゴと比べると軽いかな?ミルンズは舞台映えしてかっこいいですね。ヴェルディのバリトンはやはりこの人ですね。ザジックも熱唱。とくにフィナーレがよかったです。でも老けメイクが可哀そう。
2007年07月19日
コメント(8)
カラスのカルメンを始めて聴きました。たまたまブックオフで安く売っていたので思わず買ってしまいました。といってもハイライトですが。「カルメン」 ソプラノ マリア・カラス テノール、ニコライ・ゲッダ、指揮プレートル、パリ国立管弦楽団 1964年評判通り、気性の激しい女を歌わせたらカラスの右に出る者はいないのではないのでしょうか。低くドスの聴いた声で、実に情熱的で土臭いカルメンです。最後の刺される場面は圧倒、まさにカルメンがとりついたみたいです。ミカエラをはじめ他のソプラノ歌手の可愛い声とくらべると、その可愛くなさは一目瞭然で面白いですね。カルメンは可愛くちゃだめです。スペインの名メゾ、テレサ・ベルガンサのカルメンをyoutubeでちょっと見たのですが、可愛すぎて全然だめ(ファンの方ごめんなさい)。カラスはカルメンは録音だけで、舞台では演じたことはありませんでした。映画「永遠のマリアカラス」ではその辺のことが描かれていました。「永遠のマリアカラス」監督(製作スタッフ): フランコ・ゼッフィレッリ出演者: ファニー・アルダン、ジェレミー・アイアンズ、ジョーン・プローライト、ジェイ・ローダン、ガブリエル・ガルコあらすじ1970年代のパリ。オペラ界最高のディーバと謳われたマリア・カラスは、今や美声を失い、愛する人オナシスを亡くし、パリで失意のどん底にいた。そんな彼女を救おうと、かつての仲間ラリーは「カルメン」の映画化を告げる。その企画に再び情熱を燃やし始める彼女は、生きる情熱とプライドを次第に取り戻していくのだが…。絶世の美貌と歌声で瞬く間にオペラ界の頂点に登り詰めた歌手、マリア・カラス。著名なオペラ演出家であり、彼女の親友でもあった名匠フランコ・ゼッフィレッリ監督が、フィクションという形で彼女の実像に迫った真実のドラマだ。 この映画、私結構以前に一度みたのですが、なんというか、あえてもう一度みたいと思うものではなかったです。そもそもカラスの史実ではなく、もしカラスが生きていたら・・というゼッフィレッリの妄想なんですから。ようするにゼッフィレッリの自己満足のための映画ですね。ここで、声のでなくなったカラスが、舞台で演じたことのないカルメンを、声は昔の録音の口パクで映像で残そう、ということになるのです。このプロジェクトは成功したので、じゃあ今度は椿姫でやろうということになるのですが、土壇場でカラスはキャンセルしてしまう・・カラス役のファニーアルダンは途中からどっちがカラスだか、ファニーアルダンだか、見ているほうもわからなくなってくるほどの熱演でした。でも実際のカラスを演じているんではなくて、想像のカラスなんですもん。
2007年03月02日
コメント(0)
またまたオペラネタです。今日はベストセラーになった「ダヴィンチ・コード」と絡ませた話です。ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチコード」私たちはダ・ビンチに代表されるルネッサンスの宗教画とか、教会などの建造物とか、小説とか、中世以降の西洋文化はキリスト教の信仰が根底にあるのだろう思いがちです。「ダヴィンチコード」によると、むしろアンチ・カトリックの精神が根底にあるというのです。ダビンチの代表作「モナリザ」、「最後の晩餐」「岩窟の聖母」などは神を冒涜している作品だし、その流れはなんと、ディズニーの映画にまでおよぶ、という解釈は面白いです。この小説をそのままうのみにすることは慎重でなければと思いますが、いままでキリスト教賛美だと思っていた西洋文化をアンチ・キリストの面みてみると、さまざまな謎が解けるかもしれないです。先日、ポンキエッリの歌劇「ジョコンダ」がNHKハイヴィジョンでやっていました。「ジョコンダ」は、合唱も重奏もアリア充実し、有名な「時の踊り」のバレエもあったりして、音楽的には非常にスケールが大きい名作だと思うのですが、ストーリーは実に実に後味が悪いです。まず、主役のジョコンダが、自分を犠牲にして自殺までしたのに、好きだったエンツオは恋敵のラウラと結ばれるわ、お母さんは殺されてしまうわで悲惨すぎます。そもそもジョコンダのお母さんは祈祷師?だったんでしょうか、悪役であるバルナバに言いがかりをつけられて魔女呼ばりわれ、リンチされそうになるのはいくらなんでもあんまり。ラウラがバルナバと逢引をしたからといって、毒を飲んで死ね、という夫もあまりにも暴君。ジョコンダが歌う有名なアリア「自殺」ってのもすごい題名ですよね、出だしがいきなり「自殺!」ですもん。こうみると、魔女狩り、不倫、自殺という、カトリックではタブーな場面がてんこ盛り、極めつけは主人公「ジョコンダ」の名前です。ジョコンダって、ダヴィンチの「モナリザ」のモデルになった夫人の名前です。「ダヴィンチコード」そ読めばお分かりですが、「モナリザ」はアンチカトリックである、聖杯伝説を基にした、女神崇拝の権化であるような作品です。それはイタリアにはよくある名前で単なる偶然なんじゃない?って思うかもしれませんが、実は「ジョコンダ」の原作者のヴィクトル・ユーゴーは「ダヴィンチ・コード」によれば、アンチ・カトリックである「シオン修道会」の歴代総長であり、同じく先代の総長であったダヴィンチの代表作を意識しなかったわけはないと思います。シオン修道会が実在したかははっきりとわからないようですが、少なくともダヴィンチやユーゴーがアンチ・カトリックであったことは間違いないようです。もうひとつ、プッチーニの「トスカ」。そもそもトスカは、ガラヴァトッシに会うために教会にきた時も「まず聖母さまにお祈りをしなければ」といっていたり、有名な「歌に生き、恋に生き」でも自分は神様のためにすべてを捧げてきたと歌い上げています。そのような敬虔なカトリック信者であることを強調しているのに、スカルピアをナイフで刺し殺してしまうし、最後は本人が投身自殺してしまう。また、第一幕の最後に歌われる、「テ・デウム」では、スカルピアは神様への感謝を捧げる合唱を横目に見ながらトスカへの欲望をつぶやいています。それからスカルピアを殺害したあとにトスカが十字架をスカルピアの上にポン、と置く場面。これらはまさに神への冒涜としか映るらないのですが・・こういう視点からみると、「カヴァレリア・ルスティカーナ」や「道化師」も復活祭や聖母被昇天祭の日に、不倫がらみでの殺人が起きてしまうと言う点で、カトリックに対する皮肉がこめられているような気がしてなりません。
2007年02月27日
コメント(4)
オペラというものは高くつきます。劇場に足を運ぶのはもちろんなんですが、DVDを手に入れようにも、まともに買うと結構高いし、レンタルショップにも貸し出してないし、もちろん、安売りなどしてはいません。輸入版は非常に安く出ています。大概英語の字幕がついていますので、辞書を引き引き聴くことさえいとわなければとてもお得です。ただ、古語が多いので慣れないと読みにくいですね。 最近はyoutubeでお気に入りの名場面を観るのが楽しいです。全く、いい時代になりました。youtubeでのお気に入りのオペラ去年のザルツブルグ音楽祭から、アンナ・ネトレプコのモーツアルト「イドメネオ」からのエレットラのアリアロシア出身の美貌のソプラノ、アンナ・ネトレプコ。とにかく女優並みに美しく、色っぽい。華があって、堂々とデーヴァの貫禄です。こちらは狂乱のアリア、少し暗めの彼女の声に合っていると思います。指揮のハーディングも、ドキドキしちゃってるんじゃないかしら、と勝手に想像したりして・・2004年に東京の新国立劇場でのドニゼッティ「ランメルモールのルチア」狂乱の場より狂乱の場その2ソプラノ、マリア・デヴィエラ。同じロシア出身?(ちょっと不確定)としてネトレプコより実力は上じゃないでしょうか?超高音も軽々と歌い上げ、表現力も豊か。ルチアはカラスやサザーランド、クルヴェローヴァといった大歌手が伝説を作り上げていますが、デヴィエラのルチアは彼女らに勝るとも劣らない、こちらの公演は本当にすばらしいです。ホセ・カレーラス、アグネス・バルツアによるマスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より私の大好きなカヴァレリア・ルスティカーナ。デル・モナコ、シミオナート以外のカヴァレリアはもう聴けない!と思っていたのですが、こちらのもすばらしい。面白いのはカレーラスとバルツアは歌だけ聴いていると息がぴったり、大熱演なのに、ステージ上は全く目を合わせず倦怠期の夫婦みたいです(笑)。オーケストラが少し不安定なのが残念です。エディタ・グルベローヴァによるモーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」よりドンナ・アンナのアリア「今こそおわかりでしょう」「夜の女王」が当たり役のグルベローヴァですが、ドンナ・アンナも最高です。迫力がありながらもけして雑にならない、安心して聴いていられます。しかしよくこんな声がでますよね。まさに天から授かった喉なんでしょうね。
2007年02月23日
コメント(2)
最近マリア・カラスにはまっています。カラスのCDは随分前に買ったのですが、録音状態が悪いことばかり気になってほとんど聴いていませんでした。カラスの声は特有のクセがあり、いわれているほど良くないなあ、レナータ・デバルディの方がよっぽどいいじゃん、と思っていました。でも最近になって改めて聴いてみると、圧倒的な声量、テクニック、情熱的な表現はやはりすごい!最初は気になっていたクセのある声も、もうこれしかない、と思ってしまう。録音状態のひどさも吹き飛ばすくらいすばらしい歌を歌えるのはカラスぐらいじゃないでしょうか。カラスを聴き慣れると、他の歌手の洗練された上品な歌声では物足りなくなってしまいます。カラスのすごさというのは、声量豊かで重く厚い声でありながら、テクニックと表現力に優れているので、幅広い役ができるというところでしょうか。そしてオペラの波乱万丈な筋書きにふさわしい、情念の塊のヒロインを演じることができること。トスカや蝶々婦人といったリリコスピントの役はもとより、トゥーランドットやジョコンダといったドラマティコな役から、ランメルモールのルチアやヴィオレッタといったコロラトゥーラの役まで、カラス節で演じてしまいます。おまけに元はメゾソプラノなので、カルメンやカバレリア・ルスティカーナのサントッツアもこなしてしまいます。まさにスーパースター!私がカラスの歌うアリアで一番お気に入りなのは、モーツアルトの「後宮からの逃走」コンスタンツェが歌う「どんな責苦があろうとも/Martern aller Arten」です。カラスが歌うメジャーな定番どころではないかもしれませんが。これは10分近い長いアリアで、音階練習のようなアルペジオ、どこで息継ぎする?といいたくなるくらい長い長いパッセージ。私は素人ですが、相当難しそうだということわかります。ほとんどのソプラノは軽く華やかな声で歌っています。でもカラスは重厚で情熱的でありながら、一本調子ではない、コロラトゥーラのテクニックで、他の歌手とは全く違うコンスタンツァです。ただただ圧倒されます。おそらく天国のモーツアルトもびっくりしたのではないでしょうか?ただこのような酷使した歌い方のため、歌手としての寿命は短かかったようです。声がでなくなってからの苦悩が映画「永遠のマリアカラス」に描かれていますね。永遠のマリアカラス
2007年01月25日
コメント(0)
1984年アカデミー賞を総なめにした名作。昔見た記憶があるのですが、その時はモーツアルトやコンスタンツィバリバリのアメリカ英語に違和感を感じてあまり好きになれませんでした。今見直すとそんなことは気にならないくらいとてつもない傑作ではないですか!まず音楽がすばらしいです。監督のミロス・フォアマンが、あくまでも主役はモーツアルトの音楽なので、役者の名前が前面にでないようあえて無名の俳優を使ったそうですが、冒頭の「ドンジョバンニ」の出だしの和音からオープニングの交響曲25番、死の場面のレクイエムからエンディングのピアノコンチェルトにいたるまで、実にモーツアルトの音楽が効果的に使われています。というか、主役そのもの。モーツアルトのお父さんの象徴である黒いマントの場面では、必ずといっていいほど「ドンジョバンニ」の序曲の出だしが使われていて、本当にゾクゾクしてしまいます。セットも衣装も豪華で、さすがハリウッド映画。それから「後宮からの逃走」「フィガロの結婚」「ドンジョバンニ」「魔笛」といったオペラがこれでもか、というくらいでてきて、しかも相当派手!シカネーダー一座が演じるパロディオペラも相当凝っています。大衆劇場での観客の反応も、宮廷での貴族達とくらべると面白いです。主演だけでなく、チョイ役にいたる登場人物一人一人がとても個性的で印象深いので、何度見ても新しい発見があります。まず最初に自殺しようとしたサリエリを発見するお菓子をつまみ食いする召使のおじさんの二人。聞き役になる凡人を代表する神父。カリスマオーラを発しているヨーゼフ二世はもちろん、皇帝のとりまきのオジサン達。サリエリの来客がやたらに気になる若い召使。「魔笛」の夜の女王みたいなキンキンしたコンスタンツィのお母さん。マリリンモンローみたいなソプラノ歌手のガブリエリ。サリエリのスパイであるモーツアルト家のメイド(この女の子の演技がうまい!)「魔笛」の公演中に倒れたモーツアルトを心配そうに見る三人の侍女、三人の童子達。2004年に発売されたディレクターズカット盤は、未公開シーンや、メイキング映像がついています。18世紀のウィーンという設定なのですが、ロケは当時共産国であるチェコのプラハで行われました。プラハの街は18世紀そのもののたたずまいで、共産国だったためか広告の看板さえもなくて、街灯を隠すだけでよかったとか。場面では膨大な数のろうそくを灯し、撮影では常時消防隊を待機させていたとか。歌劇場は実際モーツアルトがドンジョバンニを初演した場所で、脚本のピーターシェーファーが感動のあまり泣いてしまったとか。ちょっと驚いたのは、コンスタンツィ役は最初はエリザベスベリッジではなく、メグティリーだったということです。メグティリーといえば「アグネス」という映画で、修道院で妊娠して出産するというショッキングな尼僧役で、ちょっと東洋的な顔立ちの、とても目力のある女優ということで知っていたのですが、まさかコンスタンツィの役をもらっていたとは!フォアマン監督も随分期待していたようですが、ロケの期間中に怪我をしてしまって急遽一週間で決めた代役がエリザベスベリッジなんだそうです。確かにエリザベスベリッジ演じるコンスタンツィはとても可愛いけれど、浪費家で悪妻といわれた一面しか見出されないように感じました。メグティリーだったらどんなコンスタンツィだったんでしょうねえ。
2007年01月25日
コメント(0)
久しぶりの更新です。すっかり怠け癖がついてしまいました。さて、今「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」というオペラにはまっています。先日も新国立劇場まで観にいってしまいました。どちらもいわゆる不倫もの、人妻をめぐる三角関係、四角関係というヤツです。「カヴァレリア・ルスティカーナ」は純朴な村娘のサントォツアと美しい人妻ローラを二股にかけ、最後には人妻の夫に殺されてしまうトゥリドットウを巡るお話。不思議でならないのは、トゥリドットウは人妻ローラとの情事は遊びでしかない、ローラにとってもそれは同じ。なのにローラの夫に浮気がばれた時に自分から決闘を申し込んでしまう。そうして死を予感した時、母親のルチアに散々そでにしてきたサントォツアの母親になってくれと遺言を残すのです。いったいトゥリドットウという若者は何を求めていたのでしょう。ストーカーのようなサントッツアを煙たがっていたのは確かだし、ローラとの情事はお金持ちの奥さんを誘惑するというスリルを求めていただけにすぎません。この謎を解く鍵は「カヴァレリア・ルスティカーナ」という題名にあるのかもしれません。イタリア語で「田舎騎士道」という意味です。このオペラの舞台は19世紀中ごろのシチリア島。まだまだ昔の慣習や宗教概念が強く支配していたのでしょう。日本でいうと、江戸時代の離島といったところでしょうか。この物語のように、妻を寝取った間男と決闘してどちらが死んでも罪にならない、あだ討ちのような慣習があったのでしょうか。それが武士道ならぬ、騎士道なのでしょうか。トゥリドットウが求めていたのはその騎士道に従って死ぬことだったのでしょうか・・このようななんともやりきれないストーリーが、宝石のような大変美しい音楽とともに演じられます。私は前奏曲、「ああ、緑の葉陰にオレンジは香り」「天上の聖母よ」などがお気に入りなのですが、特にサントォツアが歌う「マンマもご存知の通り」という有名なアリアが最高です。サントォツアはなんといっても60年代のイタリアのメゾ・ソプラノ、シミオナートが鳥肌ものです。シミオナートの伝記を読んだのですが、サントォツアを演じるときは一種のトランス状態に陥って、気が付くと手にあざができていたそうです。それも納得の凄まじい熱演です。ちょっと長くなっていまいましたので、「道化師」についてはまた後で書きます。
2006年04月10日
コメント(2)
ご存じ宮崎駿監督の代表作品興味を引いたのは、エボシというカリスマ的な女性が率いる製鉄集団のタタラ村です。この村では身売りされた女が中心になって砂鉄から鉄を作り、男は街で鉄を売る、外からの敵から守るために、村は要塞のような構造で、人々はこれも女を中心に武装をしている。そのための最新の武器はライ病に犯された者たちが製造しているのです。エボシはすぐれた戦略家であり、時には冷酷な判断を下す、と同時に身売りされた女を拾ったり、ライ病患者に手を差し伸べるといった慈悲深い面も兼ね備え、村人から絶対の信頼があり、慕われている。ただしこの人は自然への畏敬という概念がほとんどなく、「自然、生命」という象徴であるシシ神を倒すことに躊躇がありません。もっとも、「製鉄」という行為そのものが多量の木をけずり、山を掘って砂鉄を収集することが必要不可欠なので、自然と対立するのも不可避なのです。(製鉄は古代から行われていた産業で、ヤマタイ国も鉄を作りすぎたことで滅びたんじゃないかという説もあるようです)。そのエボシ率いるタタラ集団と、「もののけ姫」であるところのサンの間をいったりきたりするアシタカ君・・単に八方美人なだけじゃあ・・マイノリティが人間らしく生きることができる唯一のユートピア、タタラ村が存続するには、シシ神や「もののけ姫」に象徴される自然を征服しなければならない、といった構図が、「自然=善」「人間=悪」といった単純な二元論にならないところにこの映画の奥深さが表れているのかもしれません。
2005年06月29日
コメント(0)
原作 深沢七郎 脚本 今村昌平 出演 緒形拳/坂本スミ子83年の映画です。カンヌグランプリを受賞しています。民俗学的にみるととても興味深い映画でした。嬰児殺し、身売り、獣姦、一族皆殺し、そして姥捨て・・といった近代以前の日本の民俗の暗の面を赤裸々に映し出しています。疑問に思うのは、本当に姥捨てということが映画のように、地方の制度をして行われていたのか、ということです。映画では、70才になると口減らしのために「楢山」の神の元へ行く・・つまり山に捨てられる・・という村の掟があります。凶作で冬を越せそうもないと、生まれてくる男の赤ん坊は殺され、女の子は売られ、70才になる老人は山に捨てられるという・・・事実、赤ん坊を殺したり、少女を身売りしたりといったことは農村の間では行われていたのですが、「姥捨て」は伝説で、実際には行われていなかったという説が有力だそうです。精神的に「親から独立する」象徴としてこういう伝説が残ったのではないかと。そしてこの「楢山節考」では、「老い」「死」「世代交代」といった長く生きていれば必ず立ち向かう事実をどのように受け入れるか、ということを「姥捨て」の因習によって象徴しているんじゃないかと思います。カンヌグランプリを受賞したとのことで、ヨーロッパの知識人に受けたのもなんとなくわかるような気がします。
2005年06月24日
コメント(8)
鎌倉やぐら散策、その2です。横須賀線北鎌倉駅から少し歩くと建長寺があります。 建長寺の門です。すごく大きいです。ここからがやぐらのある天園ハイキングコースの入り口です。死ぬほど階段を上って山道に入ります。しばらく行くと「十王岩」がありました。 3体の像のようなものがわかりますか?風化してしまってわかりにくいのですが、閻魔王と冥官だということです。もとは洞窟だったのですが、長い年月の中で天井部分がなくなってしまい、岩に刻まれたようにみえます。この十王岩から細道を下におりていくと、お目当ての「朱垂木やぐら」があるのですが、この道は立ち入り禁止の看板がたっています。ままよ、と降りていくことにしましたが、立ち入り禁止になったせいか、道には雑草が生い茂り、蜘蛛の巣がはられ、ほとんどケモノ道と化しています。心細くなってきてひきかえそうと思ったところにありました。やぐらの前にも雑草が生い茂り、いっそう気味悪さが増します。 やぐらの天井部分に赤っぽいストライプ模様があります。お寺の天井の垂木を模したもので「朱垂木やぐら」とよばれる所以です。 内部は結構広い。ハイキングコースに戻ってしばらく行くといきなり石仏が! 明治に建てられたものであまり古くありません。その石仏の下にもやぐらが。 4,5体の仏像にはなぜか皆首がありません。ギョっとしますが、なんでも明治の頃にここら辺のやぐらの仏像の首だけを、持ってると縁起がいいとかで盗んだ不届き者がいたとか。この後もやぐらの仏像に首がついているのはほとんど見つけられませんでした。そのうちに道が3方に分かれるので、覚園寺方面に下ります。少しいくとありました!岸壁にいくつも連なるやぐらやぐらやぐら・・「百八やぐら」といわれます。 百八やぐら 本尊様は風化が著しく顔がのっぺらぼう。なぜかこのやぐらはフラッシュを何度もたいても明るくとれません。恥ずかしいのでしょうか。 五輪塔があります。 仏像は全部首無し。 小さなやぐら。落ち葉に埋もれそう。もっともっとあったのですがとても撮りきれません。百八というのも誇張ではないのでしょう。 山のふもとに近づいてあらわれた美しい竹林。もうすぐゴール。 おまけ。建長寺近くの庚申塔。
2005年06月14日
コメント(2)
鎌倉に行きました。今回の目的は「やぐら」です。やぐらとは三浦半島にによくみられる、崖を洞窟のようにくりぬいてつくたれた陵墓です。この辺りは山に囲まれて平地が少なかったので、このようにして墓地を作ったといわれます。横須賀線の北鎌倉で降りて、円覚寺の墓地が見えたので、寄ってみました。 崖に囲まれた薄暗い空間に広がる古い墓石群ははなんともおどろおどろしいです。一礼をして、明月院に向かいます。観光名所なので平日にもかかわらず、結構な人出です。あじさい寺で有名ですが、まだ時期は早くてつぼみです。おそらくあと1,2週間もすればきれいなんでしょうけど、観光客もものすごいことになるでしょう。 これが鎌倉最大といわれる明月院のやぐらです。亀が谷の切り通しを通って寿福寺に。ここには北条政子・源実朝のやぐらがあります。町探検の子供達が、政子と実朝のお墓の前に集まっています。そんなんで写真を撮りにくかったのでちかくのやぐらをとりました。 やぐらはおもに武士や僧侶といった身分の高い人たちのお墓だといわれています。鎌倉時代は合戦だけでなく、飢饉やら、大地震、大火事や疫病やらでしょっちゅう大勢の人が亡くなっていました。鎌倉たいそうな観光地であり、著名人の別荘や住宅も多いのですが、実はそこら辺を掘ると人骨がでてくるそうです。
2005年06月03日
コメント(4)
全11件 (11件中 1-11件目)
1