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作家というべきなのか、評論家というべきなのか、はたまた、編集者というべきなのでしょうか。最近では 「本音を申せば」(文春文庫)
と題して、週刊誌に連載を続けていらっしゃったコラムニスト 小林信彦さん
が脳梗塞で入院、退院後、リハビリ中に、二度の大腿骨骨折から 「生還」
されました。年齢的にも、ほとんど再起不能といっていいくらいの「大事(おおごと)」なのですが、その闘病記を 「生還」(文藝春秋)
で読むことができます。
本書を、偶然手に取って読み終えたぼくは、
ただ、ただ、拍手!拍手! 今、三十代くらいの人が、ボクのこの喜び方をお読みになれば、 「何をそんな?」 と思われるかしれませんね。でもね、今、 六十歳 を過ぎたくらいの人たちの中で、二十代に 「映画」 とか 「お笑い」 とかに興味を持った人たちは、みんなこの人にお世話になったんじゃないでしょうか。
自宅の一階和室で倒れた後、救急車でM病院に運ばれた後あたりで記憶が亡くなっている。 これが、思いもかけない出来事の始まりだったようです。
目覚めた彼が見た世界。このシーンが実にリアルなんです。近親や知人に、同様の体験をされた人がいらっしゃたら聞いてみてください。ベッドの天井のこのシーンが 「生還」 の第一歩のシーンだとおっしゃるかたがたくさんいらっしゃると思います。海の上に無数のヨットがいるようである。
高いところからそれらを見ているようで、無数の波が立っている。ボンヤリ見ている分には気持のよい長め、と言えるかもしれない。
総ては、天井の眺めなことがわかってくる。天井には無数の模様がある。
今回は五十何年ぶりの入院なので、ほとんど初めてのような気分で、まわりを見回していた。だから、 〈ダンケさん〉 のことだの、戦争中の歌をうたおうといって 高木東六 作曲の 「空の神兵」 をうたったこと(恥ずかしくて大きな声を出せなかった)など、食堂だけに限っても色々な観察をした。私に歌を強制した背の高い老人は戦中派だろうと思うが、いつも、(若者はあの戦争のことを忘れているにちがいない)と思って、苛々ているように見えた。まだこういう人がいるのか、と私は感じていた。去年の一月から二月、私の入院前に 鈴木清順監督 が九十代で亡くなっていた。私はこの人にあったことがあるが、戦時中に出た 黒澤明、木下恵介、吉村公三郎 の三人の名をあげて、誰が好きか、とどうでもいいことを訊いた。 清順さん は 「吉村公三郎です」 と 松竹のモダニスト らしい返事をした。モダニストだけれども、 清順さん は大川の向こうの生まれらしく、つまりはあちら風であった。それでなければ 「ツィゴイネルワイゼン」 で 大谷直子の指の粋 を、ああいうふうに協調できるものではない。 こういう、話をまだまだ書いていただきたい。そう思うのは、ぼくだけでしょうか?
高校を出て、専門学校(三年)を出ただけ、ここで働いているという彼女は、この春、就職したばかりという二十一、二歳のひとだった。リハビリは人間同士の〈ウマが合う〉ことが大切だと、この人に教えられた。腹を立てながら、学んだりしている。ここにも 小林信彦 がいますね。
長い戦後を私は夢中で走ってきた。そして立ち止まったいま、友人たちを想いかえすと、ほとんど、亡くなっている。最近、知名人の死を新聞で知ると、みな、私よりも年下であった。 これが、 八十歳 を過ぎて 「生還」した人のリアル です。 「首が外れる」 って何でしょう。 小林信彦 が書くと、本当はリアルなことが、シュールに見え始める。
八十五年の人生は、主として荒涼たる眺めの続きであった が、楽しいこともあった。ただ、その最後に、脳梗塞を起点とする生活が待っているとは知らなかった。この悪魔につかまったら終わりである。それがどのようなものか、しつこく書き記したつもりだが。
とにかく、 生きていても、死んだときと同じような状態になってしまう 。
呼吸はしているのに、息を引き取った後のような、世の中の音がすべて消えてしまったような感覚は独特である。
そして、 首が外れる 。クルクル回るので、目がチカチカする。窓からは赤い光、青い光が入ってくる。
「生還」 を書く予定は、まだ最初の退院もする前に、出来ていたと言えなくもない。このころには、私の発想、感じ方がおかしくなっていた。他人の表現を借りれば、〈足が地面から数センチ浮いている〉ということだろうか。
いかがでしょう、すっかり 小林信彦
ですね。 彼は 「生還」
しました。
めでたい、実にめでたい。
今回の 「案内」
はこれで終ります。
ぼくは彼の 生還
を祝って、この夏、日本橋という所を徘徊してきました。想像していた以上に、観光地でしたが、ぼくがとぼとぼしたところは、ちょっとドブ臭い下町でした。まあ、それがうれしかったわけですが(S)。
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