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「どなたか、大江健三郎について、2023年の視点に立って論じる人はいないのかな?」まあ、そういう気分でした。
生々しい嫉妬に満ちた作家論 とでもいうニュアンスが面白かった記憶がありますが、それからの50年、記憶に残っているのは 蓮實重彦「大江健三郎論」(青土社) と 尾崎真理子「大江健三郎全小説全解説」(講談社) の2冊くらいです。
まあ、とにかく分厚い(笑)。 のが特徴でもあります。
序 この、文章をお読みになられて、ようするに、 大江の著書 に対して、その 装丁者 という関係の、個人的な思い出が綴られているという印象をお持ちだと思います。で、確かに、そうではあるのですが、1冊の本になった作品に対して 装幀するとはどういう行為であるのか ということが、 司修 という人においては、想像を絶していて、読むことなくして装幀・挿絵はあり得ない、装幀こそ作品批評そのものであり、作家の思想に対する、まさに現場からの問いかけの作業だったということが、全編に通底しています。
私の 母 は、 明治三十年三月三日生まれ でした。母が三十九歳の時、シングルマザーとして私を生んだのです。一月、母が亡くなる寸前、口を開けてゴーゴーと荒い呼吸をしながら、ス・・・・・イ・・・・・セ・・・・・ンと四音を残しました。ゴーゴーの合間の音なので意味を理解できなかった私は五月に入って、仕事場の雑草だらけの庭に、ラッパ水仙がいくつも咲いてびっくりしたのです。ああ、このことだったのだ、と思うと涙が出てしまいました。
私は、「母の魂が水仙の花になって来ている」と童話のような思いを持ちました。それからというもの、私は、 母の誕生日である三月三日 と 水仙の花が咲いた日 を、「母のお盆」として、母が好きだった新潟の酒を買い、独り酒をして母を思うようになったのでした。親不孝者の謝罪酒です。
大江健三郎さん が亡くなった知らせを、「群像」の編集者から受けたのは 二〇二三年三月半ば でした。私はガラケーをにぎりしめ言葉を失いました。 三月三日 、陽が落ちてから朝方まで飲んで一升瓶を空にした私は、(Oèさん)の死を悼んでいたのかもしれないと思いました。この思い込みこそ私の欠点なのですが。
「晩年様式集」 の見本が出来た晩、成城のイタリアンレストランに家族で招かれ、私は、 武満徹さん の自筆楽譜 「雨の樹」 を、 光さん へ、バトンタッチいたしました。
みなさんとお別れする時、 大江さん から 「もう、会うことはないでしょうから」 と握手を求められ、私は汗ばんだ手で、 大江健三郎さん の手を握ったのでした。(P6~P7)
私の中で ここから始まる追悼の文章のには、まず、 この詩の文句を響かせていることの宣言のようなものですし、 本書 の最後には、 「晩年様式集」(講談社) の装幀を引き受けた旨を伝た
母親の言葉が、
はじめて 謎でなくなる。
私は生き直すことができない。しかし
私たちは生き直すことができる。
ウエスキー!というハガキ 大江健三郎 から 司 に宛てられた 最後の手紙 の引用がありますが 抜粋するとこうです。
それはマルコです。
OeKenzaburo sama 装幀お引き受けいたします。
あなたのお葉書を光が読んでニコニコしている・・・・(中略) 大江光君 が、 司 の葉書を見て喜んだ理由は、そこに書かれている暗号のような
私の文学 は、一生続くかたちで 光の記憶を代行する という意図のものとなりましたが、 司家 では、それが生き生きと残っているいるわけで、喜びです。
ウエスキー!それはマルコです。 にありますが、そのあたりの謎解きは、 本書 をお読みください。なにはともあれ 光 を喜ばせる暗号であったということです。
私はふと、 「晩年様式集」 の、 「五十年ぶりの「森のフシギ」の音楽」にあった、「きみの立てた大きな音を聞いてわかった。きみはシューベルトの即興曲を聴くたびに、バレンボイム、サイード、そしてなにもかもをを結んで思い出していた・・・・」 というわけです。
あのシーンに描かれる原因となった 光さんの沈黙 がニコニコに変わったのではないかと思いました。
光さんのニコニコ がなによりも嬉しい知らせでした。
序 目次 をご覧になると、たとえば、 宮沢賢治と大江健三郎 という視点がありますよね。 司修 自身の 賢治童話集の仕事 との関連で言及されているのですが、ボクは、この本を読む迄、全く気付かなかった視点でした。
力弱い声で
コラージュ
『文藝』河出書房
新橋・第一ホテル喫茶室
創作者通信
追悼文×4
セロ弾きのゴーシュ
ブリコラージュ
《絵本》銀河鉄道の夜
ミクロコスム
幻想の森・「骨月」駅
懐かしい年・懐かしい時間・懐かしい場所
ダックノート
「カンパネルラ、僕たちは一緒に行こうねえ。」 という、 カンパネルラ と交わした最後のセリフが、 大江 の 「取り替え子」 という晩年の作品の底に聞こえるという指摘なんて、もう、
「ああ、そうか!!!」 を越えていました。
あとがきウーン、描いている人が普通でないと思うのですが(笑)、でした。
天才の中の、「普通の人」を描きたかったのです。
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