アイディア積み荷軽トラ疾走

アイディア積み荷軽トラ疾走

2004年06月08日
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 私には、力というものがない。無いといっても、ものを
持ち上げる力は多少ある。30kgぐらいのものであれば
持ち上がるだろう。しかし数年前にぎっくり腰をひどくやってしまってからは、できるだけ重いものを持ち上げないようにしている。年に数回は危険だと感じる事態に遭遇する。
腰に爆弾を抱えながらも、いざとなれば30kgぐらいの
ものは持ち上げるのである。次に財力である。これはローンという負の財力なら威張るほどあるのだが、まともな財力などまるでない。しかし三度のご飯が食べられているのであるから、これをもってして財力がないと言っていいのかどうか
わからない。世界では多くの人が飢えで苦しんでいる現状を
鑑みれば、三度のご飯が得られているのは、何かの財力の恩恵に浴しているのである。
 さて、年を取って最近もの覚えがわるくなった、という話はよく耳にする。私も充分に年を取ったから記憶力がわるく
なって当然なのだが、これがちっともわるくならない。
なぜか。もともと記憶力がないからである。どう考えても
今まで記憶力という力を持った記憶がない。もし多少でも
持つ機会があったならこのような惨めな年の取り方はしなかったであろう。
 元々なかったわけではない、多少とも言葉が解るのだから
5歳ぐらいまではあったのだと思う。学校に入り勉強は悲惨を極めた。右の耳から左の耳にそのまま抜けていくどころか、知識のほうが入っても意味が無いということで、両耳をさけていく。
 さてジャンジャック・ルソーが「告白」のなかで自分は
記憶力がないので、歌詞を一つも覚えることができなかった
と書いてあるのを読んで、記憶力がなくても、これだけの
思索ができて、これだけの書物が書けるのかと感心したことがある。
 日本語は記憶力がない人には辛い言語だと思う。漢字とひらがなの組み合わせで文書をつづるのは、ある程度の記憶力が必要だ。ワープロが無ければ、私の文章はほとんど、ひらがなになってします。言葉の音と漢字に連携がない。それぞれを記憶しなければならない。
 記憶力が無くても、知識欲や好奇心はある。これはやっかいなことだ。一昨々年、何か勉強しようと思って船の免許取得に乗り出した。一級小型船舶の免許で20t未満の船で
ある条件のもとで世界中どこへでもいけるというので、おもしろいと思った。講習会の金を払って、手元に届いた分厚い
教本をみて愕然とした。記憶する箱のない私には無理だと
思った。試験の数日前から、平たい盆の上に知識というピンポン球を崩れ落ちないように積み重ねた。そろりそろり試験会場まで行き、解答欄の穴にピンポン球を埋めていった。
 試験が終わった後、残りのピンポン球は見事に崩れ落ち、
私の脳裏から去っていった。
 これまで何回か船をレンタルして一人で海に出た。海と言っても八景島の先のあたりである。船のなかでゴロンと横たわり青い空を見ていると、世の中のしがらみから解放されて
大自然に包まれ、ゆったりと時間が過ぎていく。悩み事は一山あるし、それも続いていくのだろうけれど、生きるという
ことの大切さを自分に感じさせてくれる場所に自身をおいてみると別の扉が一つ見つかったような気がした。 





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最終更新日  2004年06月08日 21時41分55秒
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