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いよいよ、娘と4月上旬に出かけた韓国のお花見ツアーも最後の観光先となりました海雲台のホテルを出て近くの海東龍宮寺の拝観をして釜山市街に戻ってきた訳ですが中山道が美濃の中津川から険しい峠を越えて木曽に至る山腹の馬籠宿に住んでいるので恵那山も正面に見えて風光明媚でいいけど冬は道が凍結して、車が大変なのが玉にキズ程度に思っており岩村とか、城の建つ山腹に城下町が形成されて金華山の岐阜城とか、山の上には偉い人が住むもんだって認識だったが、韓国の「陰宅(墓所)風水」では、見晴らしが良く風通しの良い山腹などは、お墓を建てるのにぴったりらしくってかつては山にあるのはお墓かお寺だったそうだソウルや釜山の街なども、坂をぐんぐん登った山腹には貧しい人が住んでおり、空の月に手が届きそうだとか、バラックの隙間だらけの屋根から月が眺められるので「月の町(タルトンネ)」と呼ばれ、朝鮮戦争で行き場のなかった人たちが集まってテントなどを張って暮らし始めた集落も釜山のチャガルチ市場などもある繁華街のすぐ裏手の山腹である甘川洞(カムチョンドン)もそんな貧しい月の町の一つであったが、近年になって、アートな街として注目を浴びている東西を山に囲まれて、南側には海を望む斜面に朝鮮戦争の際に避難してきた人々が住みついた迷路のように入り組んだ路地が特徴的な貧しい月の町だったその独特の風景に魅了をされたアーティストらが次々と移住し、2009年にはパブリックアートを取り入れた町おこしが行なわれた事で、カラフルに塗り替えられた家が所狭しと建ち並んだ甘川文化村(カムチョンムナマウル)に生まれ変わったのです釜山も以前にも複数回来ていて、フリーでもあちらこちらに出没をしていたのに、ここは知らなかったで、ツアーの目玉である鎮海の桜というのが一番であるけど、3日目の釜山観光で甘川文化村が入っていたのも、このツアーに参加したいと思った一因だ町の入り口にもなりそうな所でバスを降りてから集合時間を決めてのフリータイムだったが、あぁもっと時間があったらなぁ~と思わせるようなワクワクするような街並みだまっ昔は若い女性が敬遠するような町であったのかもしれないが、ホント、街も生きているんだなソウルにある梨花洞壁画村(イファドンピョックァマウル)もまた、同様の試みがされているそうだ前々回では海辺に建つ高層マンションを紹介したが朝鮮時代を経ての現代においても、光があれば影もある。格差社会を肌に感じる事も出来るような気も年老いて、こんな階段ばかりは辛いだろうなぁ~とか考えるが、うちのあたりも坂ばかりで足腰が鍛えられるせいか、年寄りもご長寿ばかり今はコンクリートなどで整備された路地の階段も朝鮮戦争時には、避難してきてお金も物資もなく山には墓地があったとかで、ネット検索をしたら日本人の墓石を家屋の基礎や階段にしてるような写真などもあったアートじゃない月の町の現状などもあるので、もし興味があれば ↓下記リンクの記事をご覧ください“日本人の墓”でできた韓国スラム街「タルトンネ」に潜入! 日本人の墓をイメージしたゆるキャラも…!高台には小さな展望台があり、町を見晴らす事が出来た。この町が出来てから数十年以上の年月が流れても南北が分断されたままだとは、思ってもいなかったんだろうなぁ朝鮮戦争(1950~53年)は、第二次世界大戦後に、南北で米ソの分割統治下に置かれた朝鮮半島における東西両陣営の代理戦争というべきもので生まれ故郷に戻れなくなった人々や、 家族が離れ離れになってしまい、南北の分断は決定的となった事で1000万人とも言われる多くの家族が南北間で離れ離れになってしまった韓国と北朝鮮の国交が樹立し、2000年代になり離散家族再会事業が開始されたが、全員の希望がかなえられる訳ではなく、抽選などによる限られた人だけのようだ。彼らの多くは既に80歳を超えて一目でよいから肉親に会いたいと思っている更に韓国国内でも戦火を逃れるうちに身内と離れ離れになってしまった家族も存在しており1983年に「離散家族を探します」という138日間にも渡る生放送番組では約5万人が参加をし、1万人程が家族に再会できたそうだ日本でも国策によって満州に渡った人が終戦になっても帰国が出来無かった中国残留孤児が家族を探す為に沢山の写真が新聞に載っていた時期があった。姑の叔母と幼い従妹も行方不明であったので新聞の写真で面影を探していたが再会はかなわなかったそろそろ集合時間にも近づいてきたので同じ道を辿っていくが、もう小一時間程あったらなぁ・・・。観光地をロスなく安くまわれるが、こういった時に自由さがないのがツアーの欠点でもある美味しそうな匂いもただよって、娘は食べたそうだが時間もないこんな階段もあてどなく、ぐんぐん降りていってみたいんだけど集合時間には皆さんお揃いになっており待ちかねたように大きな道に観光バスもやってきたのでそれに乗り込んだ釜山の繁華街から見る月の町。さて後は金海(キメ)国際港空港に向かうだけとなった途中には大きなスタジアムがあった金海国際空港のすぐ横にあった商業施設の一角の土産物屋さんに寄り、最後のお買い物私もふりかけなど食品などをお土産に購入金海(キメ)国際空港にお昼頃に到着。あっという間の2泊3日は、満足のいく旅行だった。待ち時間もたっぷりあるが、機内食もでるのでスイーツなどを食べてみたせっかくの窓際の席なのに、下界は雲で遮られていた。残念大韓航空の機内食。パン残しちゃったあっという間に日本列島に戻ってきたようだあぁ、雲が無かったらなぁじゃじゃじゃ~ん。午後には名古屋駅前の見慣れた高層ビルを見上げてましたやっぱ街がきれいな気がするナナちゃんだぁ~機内食がいまいちだったんで、お腹も空いていたので親子丼を食べた飛行機がセントレアから午後に出発し午後に到着したので、家からの行き来はとても楽だった。瑞浪駅裏の駐車場に車を停めているので、そこまで電車でGOお土産はいつも購入するひまわりの種とか伝統茶のステックなどなど更に韓国のりや昆布のお菓子こちらは免税店来店や、ホテルに現地ガイドさんから貰ったものなど夕刻に帰宅したので、近くのスーパーで安くなったお総菜などを購入して久々の日本食。 平成30年4月9日に撮影にほんブログ村
2018年06月17日
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どうやら延長が決まったのだが、その当時には 世間では週末の千円ETC最後の大型連休とも 言われていた、今年のゴールデンウィークから かなりたちましたが、その時の行楽を紹介したい 皆さんはどう過ごされましたか? 渋滞は大嫌いなので、あえて高速は利用をせず 快適なドライブ先に選んだ先は、我が家からは 国道19号で塩尻まで出て後に、北上するという 長野オリンピックのノルディック複合のジャンプ 競技を観戦して以来の「信州白馬」だった 大町あたりまでは気軽に出かけるけど、その先とも なると日帰りは厳しく、前々から行きたいなぁ~と 考えていたのだ。 息子は友達との連日の遊びで 娘の方も学校があり、珍しくの夫婦旅となった なにより、この時期には白馬の山々が雪をいただき (無論、桜も咲いていなかった) それを眺めるだけ でも楽しそう♪ お天気も気になっていたので前日 までは宿泊予約を待って、天気を確信してからの ネット宿泊サイトからの予約だった そして安さには勝てず、生まれて初めてのペンション 宿泊~。他のお客さんもみんなが中高年夫婦って 若い時にアンアン&ノンノ見ながら津和野とか京都 いってた世代っていうのは、偶然なのだろうか ペンションには、かっこいいバイク2台での50代の ご夫婦も黒皮ジャンで(写真のバイクは違う方のです) JRの青春18切符にしても、中高年の利用者が多く それだけアクティブなのか、行楽上手な気もする そんな事で長野五輪の名残を楽しみに、白馬八方尾根の 白馬ジャンプ競技場を見学をする事にしたのだが、お~ リフトで上まであがれる事が出来るんだ。高いところが 好きな私はうきうき、わくわく 飛び終えても、こんな急斜面に着地をしているのは驚きだ それにしてもジャンプ台の迫力のある事。約12万平方 メートルの敷地内にラージヒルを長野県、ノーマルヒルを 白馬村か建設し、総事業費は約76億円であったそうだ リフトで4階建てのスタートタワーへ入り、そこからは エレベーターで展望室へ上がって、更に長い長い シースルーの階段を使って、へとへとで到着だ ノーマルヒルは全長が318メートル、 標高差107メートル 最大斜度36.5度である ラージヒルの方は全長が385メートル、 標高差138メートル 最大斜度37.5度である まだ春スキーが楽しめるらしく、真っ白なゲレンデを 滑る人たちが豆粒のように見えた その後は、数ある白馬の温泉の中で白馬塩の道温泉の 「倉下の湯」へ。2500万年もの間フォッサマグナに 封じ込められた温泉は、空気にふれて褐色になるという 「ナトリウム・塩化物・炭酸水素塩温泉」で疲労回復や 神経痛、筋肉痛、冷え性に効果があるそうだ お隣の北安曇郡小谷村の栂池(つがいけ)高原は、冬は スキー場、夏は自然園などで有名なのだけど、前にも ここで紹介をした「塩の道(千国街道)」でも有名であり 戦国時代に上杉謙信が、武田信玄に塩を送った事から 「敵に塩を送る」という故事も生まれた 日本海に面した糸魚川から、信州の松本城下を結ぶ 千国街道の谷あいの山道を、「牛方」や、背中に荷を 背負って人徒歩で運ぶ「歩荷(ボッカ)」が、海産物や 塩を松本へ運び、帰りは麻や煙草などを運んだ 馬では山坂はひずめが割れているので、踏ん張りの 利く牛のほうが有利な上、狼や山犬に襲われると 馬は逃げ出ても、牛は力強く立ち向かったそうで 雪のない季節などに、牛方は牛を使って荷物を運び 沿道の百姓らの農繁期の合間の「作間稼ぎ」だった そんな午方が泊まった、十九世紀初期の建築という 間口六間、奥行き十間の寄棟造りの茅葺きの千国 街道に唯一残る「牛方宿」が残されており、村が 買い受けて整備復元をし、資料館として公開され 長野県の県宝の指定を受けている 牛方が1人で、6頭の牛をまとめて移動をする時には 宿料は1人分と牛6頭分を払っていたそうだ。車で ちょこちょこっとポイントを回るのではなく、時間が あれば、塩の道を何キロか歩いてみたいのになぁ 平成22年5月1、2日に信州白馬、栂池で撮影
2010年06月14日
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