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2025年12月16日(火)金剛峯寺金剛峯寺は、山のほぼ中央に位置する高野山真言宗の総本山で、全体の宗務を司っている寺院です。豊臣秀吉が母の菩提寺を建立し、その後隣りの寺と合併して金剛峯寺と改称されました。松と鶴が描かれた襖絵がある大広間や、その奥には持仏間、さらに柳と鶯が描かれた襖絵の「柳の間」などがあり、美しく施された装飾は見ごたえがあります。柳の間は、ここで豊臣秀次が自害したことから「秀次自刃の間」とも呼ばれています。境内には、約2,340平方メートル(約707坪)の面積を持つ日本最大級の美しい石庭「蟠龍庭」があり、静かな雰囲気の中でゆっくりと散策することができます。(和歌山県公式観光サイトより抜粋)壇上伽藍1:00pm ~ 1:30pm壇上伽藍は、弘法大師空海が高野山を開山した際に最初に整備した場所です。817年に弟子たちと共に建立し、完成には十数年から20年の歳月がかかりました。この場所は「弘法大師ゆかりの地」として信仰の中心となっており、密教の世界を表す胎蔵界曼荼羅を象徴しています。(和歌山県公式観光サイトより抜粋)参拝は時計回りに進むことが推奨されている。階段を上って中門から入る。大塔の鐘弘法大師空海が鋳造を発願したが、完成したのは高野山二世代真然(しんぜん)大徳の時代になる。現在ある銅鐘は天文16年(1547年)に完成されたもの。直径は2.12mもあり、日本で4番目に大きい鐘で高野四郎と呼ばれている。現在も午前4時、午後1時、午後5時、(春季彼岸中日より周期彼岸中日迄は午後6時)、午後9時、午後11時の5回に分けて時を告げている。真言密教のシンボル「根本大塔(こんぽんだいとう)」空海(弘法大師)が創建に着手し、真然が887年頃に完成させた「日本最初の多宝塔様式」とされ、内部にはご本尊である胎蔵大日如来とその周りに金剛界の阿(あしゅく)、宝生(ほうじょう)、無量寿(むりょうじゅ)、不空成就(ふくうじょうじゅ)の四仏が取り囲んでいる。内陣には16本の柱があり、堂本印象による十六大菩薩が描かれている。この内陣そのものが立体的な曼荼羅を構成しているとのこと。高さ:48.5m快晴の空に朱塗りの建物の美しさが際立つ。高野山の総本山「金堂」金堂は弘法大師によって創建されたもので、平安時代より高野山の総本山としての役割を果たしてきた。この金堂も何度も消失にあい、現在の建物は昭和7年(1932年)に再建されたもの。重要な法要が行われる中心的な建物。
2026年05月07日
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2025年12月16日(火)昼 食12:15pm ~ 12:50pm高野山温泉福智院伊万里焼の展示甲冑の展示由緒ある宿坊のようである。大広間での食事精進料理お膳ごとに写すと、追加されたお料理野菜天ぷらご飯、味噌汁、香の物お食事中の私大好きな精進料理を美味しく頂きましたが、何分にも慌ただしく、「もっとゆっくり味わいたーい!」との思いが残りました。
2026年05月04日
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2025年12月16日(火)高野山参道10:30am ~ 12:00pm高野山ガイド付き見学奥の院参道入口の「一の橋」を過ぎると奥の院の霊域に。参道の両側には、戦国武将や江戸時代の大名・歴史に名を馳せる高僧を含む20万基ともいわれる墓石が所狭しと並び、この世とは思えぬ幻想的な風景が広がる。私達は、中の橋から大師御廟へ向かって参道を歩く。撮影可の範囲の風景を撮る。中の橋参道入り口快晴の空がまぶしく感じられる。ガイドさんの説明を聴く。樹齢500年 ~ 600年の、天高くそびえる高野山杉沿道の両側には苔むした墓石の数々が並ぶ。豊臣秀吉正室のお墓右側・安芸浅野家墓所正面方向より徳川家墓所左奥に崇減院(江姫・2代将軍秀忠正室)の供養塔がある。肥前島原松平家墓所下から、地・水・火・風等の文字の彫られた墓石左奥に織田信長公のお墓がある。一般の人々の墓所を通って昼食会場へと向かう。
2026年05月01日
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