日記はこれから書かれるところです。

日記はこれから書かれるところです。

2005.11.07
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最近、文が長くなってる。初期は、結構短く書いてたんだけど。

理由はいくつか思いつくが、他のブログのコメント欄を読んでて(自分でも書き込んだりして)、基礎的な理解から違っている人たちがたくさんいることを知ったからだと思う。そういう人たちを想定して、概念の成り立ちから書き上げようとすると、どうしても長くなるし、しかも難しくなってしまう。どのように折り合いをつけるべきか考えているところ。

「自由への予備的問題」(なぜわれわれは保守的なのか)
「自由への予備的問題」(自由の綱引き)

くらいの題が、はっきり書く予定のものなんだけど、今日は違うことを、軽く書く(たぶん)。


■弱者の戦いはゲリラ戦だ

以前も書いたが、権力側がつくったルールで戦うということがいかにおかしなことかわかっていない人間は、弱者の立場というものを知らないのだろうと思う。

弱者の戦いは、あくまでもゲリラ戦であるべきだ(「べき」にはいろんな意味がある)。

ゲリラ戦の本質は、以前も引いた酒井隆史『暴力の哲学』が大変優れた説明をしている(手元に無いし、もう忘れてるんですが)。

ゲリラ戦は、生活(の場)に根ざしたものを武器とし、物量戦と指導部の白旗による決着という近代戦におけるルールを掘り崩す。これは本当に弱者としての戦い方だと思う。

わかったようなことを言う人間こそ、権力に絡み取られている。だって、わかったようなことってステレオタイプなんだから。思考停止だよ。


■強者が主張する「権利」?

<権利>というのは、常にカウンターの主張であったはずだ。大きな力が襲い掛かり、生活の場を脅かすときに、それこそ「ゲリラ的に」主張されてきたものが<権利>であったはずだ。

それが、強者として主張されるとすれば、大変におかしなことになる。「権利」というのは、条文に書かれているから守らねばならないものではなく、勝ち取られる過程で、理性的理由があったからこそ認められてきたもののはずだ。強者に「権利」の言を付すのは、ステレオタイピストのやることだ。

例えば、特許権というのがある。これは元来、小さな会社の開発による生活利権を、大手資本による侵害から守るためのものだったはずだ。大手資本はいくらでも真似をし、廉価に改造し、一気に市場を席巻できるのだから。

大手側が、特許を主張するようになれば、そこにはもはや<権利>などなく、ただの剥き出しの「競争・戦争」があるだけだ。

大手は常にルールを自分のものにする財力・物理力がある。そうした剥き出しの「競争・戦争」を回避するものが市民の法ではなかったか。

そう、われわれは常に既存のテクストに、法の新しい命を吹き込まないといけない理由はここにもある。


■「自由」への「懐疑」

そういえば、ちょっとは近いことかもしれないと思い、俺の議論は久しぶりに「 Fixing A Hole 」さんの記事に飛ぶのだが、医療における「自己決定権」を取り上げておられる。

これを考える前に、少し。

医療における「自己決定権」に関する最高裁判断の新聞記事を以前このブログでも取り上げたが( 参照 )、そこでの俺の意見はこうだった。


いちいち「権利化」するものじゃない(「権利化」ってのは皮肉だよ)。
自分のことは自分で決めるのは当たり前という前提で、近代憲法はできている。


注意して読んでもらいたいのは、ここでちっとも規範的なことを言っていないってこと。つまり、「権利化=これはこうあるべきだ」ってのはすでに自由(あるいは自己決定権)を侵害している言葉だという認識に立っているわけだ。「自分のことは自分で決めるのは当たり前」なのに、この世はそうならないからこそ、<権利>が存在するという立ち位置に俺は立っているつもりだ。

<権利>というのは、「当然の生活」等を脅かされた憤りに発するものじゃないだろうか。

そうしたところから、「Fixing A Hole」さんの記事を見たとき、二つだけ言えることがあるような気がする。

ひとつは、「自己決定権の問題」という括りは、問題を一般化しすぎているように感じること。<権利>の主張は「常に」個別具体的であるはずだ(上の最高裁の記事の場合参照)。

もうひとつは、挙げられているギャリソンの議論から読み取れる印象は、「患者と医師の情報の非対称性」よりも、俺には「コミュニケーションの失敗」ととれたということ。恐らく、<権利>の主張は、多くの場合、この「コミュニケーション」の失敗に根ざしている。

最後に書かれた「Fixing A Hole」さんの懐疑は、「自己決定権、あるいは自由」なんてあるのか?というもののようにも読める。これは俺の理解できる範囲で言えば、大変優れた問いだと思う。

この「懐疑」において、ロック=ミル=バーリンの系譜における「自由」概念は木っ端微塵にされている。これについては、近いうちに書こうと思う。


■楽しい権力批判

結局長くなってしまったが、楽しい権力批判というのが俺は好きだ。江戸の庶民文化の批判精神が好きだ。ここに紹介する。

こういうのを正しい(たのしい)権力批判という。

http://www.ericblumrich.com/nazi.html (その名も「 Bushflash 」に入っている。)

http://anarchy.exblog.jp/3679904/ 穴あき さんの面白い皮肉画像)


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Last updated  2005.11.09 17:39:04
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