日記はこれから書かれるところです。

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2006.03.30
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以前、「本に溺れたい」のrenqing氏が「communicability(伝わりうること)とvulnerablity(傷つきうること)」という 記事 を書かれていた。

実は、俺も似たような問題意識を持っていたので、これを見たときは正直驚いた。

(まあしかし、以前俺がヴァルネラビリティに絡めて「むらかみはるき」を書いたときも、氏はすぐに、それ以前に書れていたH・L・A・ハートに関する 記事 をTBされたし、そもそもの問題関心が近いのだろう。)

「communicability」という語で検索をかけると、結構なサイトにヒットするが、これを(俺が考えるところの)語の正しい意味で使っているものは数少ない。その数少ない正しい意味のうち、しかも、それを「vulnerablity」とセットで語っているのは、renqing氏だけである。

氏は以前 記事 で、

人権は単なるお題目ではなく、人間の ‘vulnerability(傷つきやすさ) ’について、深く静かに考えることに尽きる、ということを如実に示しています。

と語られていたが、今日の俺の試みは、俺なりにこの「vulnerability」を考えることである。

言うまでもなく、もし氏が示唆するように、「communicability」と「vulnerablity」が「人権」というものを根源的に規定しているのだとすれば、この試みは、いつもの俺の毒の吐き出し(俺のdetox)以上の何かになる可能性がある。


■「communication」、この訳し難い語

「communication」という用語ほど難しいものはない。renqing氏は「伝わりうること」という訳語で軽やかにこの問いを回避されるのだが、俺としては、ここを高飛びするわけにはいかない。

「ものが伝わる」とはどういうことであろうか。

以前から何度か書いてきたが、それは<世界>を共有することを前提としていたはずだ。共有する<世界>があるから、言葉という記号で、自分の思っていることが相手にも伝わる。

デューイに言わせればそれは「環境」であるし、カントに言わせればそれは「ア・ポステリオリに基く直観」ということになろう。

それをひとまず、「community」と呼ぶのは、トートロジーでも何でもなく、いたって正当なことに思われるのだが、いかがだろうか。

つまりは、

コミュニティはコミュニケーションに先立つ

ということである。

ひとまず「communication」の訳語は措くとして、以上のような考えに則れば、「communicability」とは、同一の「community」に存在するという<状態>を表した語だと言うことはできるだろう。


■コミュニティとサブコミュニティ

ところで、コミュニティは言語共同体として捉えられるが、それは<国家>と等しい範囲であろうか。

以前、デューイからも引いたが、コミュニティを単一の事物とするのは誤っている。社会は、多数の社会であり、コミュニティは多数のサブコミュニティなのである。

これは経験からも納得がいく結論ではなかろうか。
われわれは、何らかの集団へ初めて参加するとき、その場での<言語>作法をまずは学ばないだろうか。あるいは、同じ日本国内であっても、一つの場所での「常識」が、他の場所での「常識」と異なり、コミュニケーションにおいて摩擦を形成するといった経験を持っていないだろうか。また、別の例を言えば、他国籍の人間を交えたコミュニティを想像できないだろうか?

こうした思考実験から結論付けられるのは、コミュニティとは、自身を取り巻く「環境」であり、その他の構成員たちと共有する<世界>であるということだ。

それは、決して国家という枠組みではないし、また、お互いが「日本語」というものを話すからといって、そのまま「communicability」があるということを意味しないのは言うまでもない。


■「communication」

さて、以上の観測は重要である。コミュニティが物理的実体としては存在していない以上、コミュニケーションとは動態的概念である可能性がある。あるいは、接尾語「-ation」が「行為, 状態, 結果など」を表すことを思い出してもいい。

こうした観点から「communication」を無理やり訳せば、

同一のコミュニティ内の<他者>と経験を共有すること、またその活動によって新たなる共同<言語>を形成し、共同<対話作法>を形成し、コミュニティを刷新していく過程のこと

くらいになろうか。はっきり言って、全く実用性の無い訳語だ(笑)。
あるいは、(訳語は諦めて)こう言ってしまった方が良いかもしれない。

コミュニケーションとはコミュニティ化のことである

そして、そのうえで「コミュニティ化」に含まれる概念を取り出した方が有益だろうか。

コミュニティ化
(1)共通の<言語>をつくる過程
(2)共通の<作法>をつくる過程

(2)に言うところの<作法>がある種の「法」であることは言うまでもない。


さて、長い回り道を経て、やっと下準備が終った。ここから「communicability」と「vulnerablity」に入って行きたいのだが、見返すと紙幅も多くなってしまった。続きは、次回にしよう。





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Last updated  2006.03.31 04:04:44
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