日記はこれから書かれるところです。

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2006.10.21
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カテゴリ: その他
掲題の小話を教えてもらった。以下、紹介。



しかし会場には席が50人分だけ。がやがやしながら待っていると、試験官3人が15分遅刻して入ってくる。

「ああ、やっぱり狭かったか」
それから、隣の建物の大部屋までぞろぞろ移動して、全員が着席したときは、すでに試験開始時刻を30分も過ぎている。

やっとテープによる受験指示が始まったが、5分も経たないうちに、停電だ。

試験官たちはしばらくヒソヒソと相談していたが、
「皆さん、停電です・・・。いつ電気が来るか、知ってる人いる?」

「知るわけないだろ!」という声が上がる。
「当機構には、電池で動くカセットプレーヤーがある。あるにはあるが、問題は、電池がないことだ!」

受験生のほぼ全員が、握った右手こぶしを口元に持ってきて、「エイ!」とか「エベイ!」と叫ぶ。ガーナ人が驚いたときの典型的な動作とセリフである。

「そこで提案だ。みんなでお金を出し合って、電池を買おう! 一人1円か2円で 済む。これぞ民主主義ではないか」

「エイ!」「エべイ!」。場内は騒然となる。

「何いってんだ。客に金を払わすな!」

そのひと言で、3人の試験官はがっくりと肩を落とし、一人あたま30円くらいの金を財布から出し合っている。
「わかった。金は我々が出す。でも車で来た人がいるだろう、市場まで乗せてくれ。そのくらいいいだろう?」。
20歳くらいの学生が名乗りを上げ、一行は市場に向かう。

電池を買うのになぜこんなに時間がかかるのか。待つことおよそ1時間半。2人はやっと戻ったが、それから出てきたのは、何とスピーカーが5センチくらいしかない小型プレーヤー!大講堂にこれでは無理ではないか!?

「聞こえませ~ん」
「何だ。せっかく電池買ったのに・・・。当機構にはこれ1台しかないんだぞ。 聞く努力をしてくれ!」

「エイ!」「エべイ!」。

大騒ぎの中、受験生の一人が手を上げる。
「提案です。今日はもうやめて、明日にしましょう。明日は電気も来るのではないでしょうか」

「それはいいアイデアだ。さすがガーナの学生! そうだ! ここは民主的に投票で決めよう。まず、いつ戻るわからない電気を待って、今日やりたい人、手を挙げて!次に、明日に延期したい人! 但し、これには条件があるぞ。今日の問題を明日使ったということが、TOEFL本部にバレるとスコアが無効になる。アメリカ人には内緒だよ~」

受験生の「多数決」で翌日開催が決まり、そして、その試験も無事終わって、およそ1ヵ月後・・・。TOEFL本部から届いた封筒の中身は、しかし、スコアではなくレターだった。

「今般の試験は極めて不適切な方法で行われたという通報がありました。よって、結果はすべて無効です」

エベイ!



■多数者支配説

「民主主義」というものは、それをわからない人間に語られるとき、なぜか、上の「民主的多数決」のような「意思決定方法」と絡んで語られる。あるいは、「責任はみんなにあるよね」みたいな何らかの「態度」として。この国の「戦後民主主義批判者」たちのなかにも、こういうお粗末な民主主義理解をしているやつが多いなぁ、と以前から思っていた。

だが、民主主義はあくまでも、「民主」ということであり、意思決定法は多様にありうる。そうじゃなかったら、代議制に正統性を持たすことなんてできっこない。

「民主主義=多数者支配」だという考えは、かなり悪意を含んだ誤解であって、それをどう是正するかが、国制のグランドデザイン=政治機構=コンスティテューションの役割であることは、当然の理解であってほしいと思う。


■ほのぼのが無い社会から見てる

さて、今日は面倒臭い話はともかく、この話を紹介してくれた人は「なんかほのぼのしない?」と伝えてくれた。

いや、まったく、ほのぼのする。

俺にとって大切なのはそこだ。

なぜに俺はほのぼのするのかといえば、たぶん、かの国、何かに支配されているという感じが薄いからじゃなかろうか。

日本という国(たぶんアメリカも)は、「自由」を名乗りながら、ちっとも<自由>な感じがしない。それをもっともよく表象してくれているのが、この国の政治家だ。そう、その存在意義からして、「政治=自由」のことを最も表象してしかるべき存在だといえる。

次の選挙に追われ、金集めに追われ、盛者必衰の流れにおける権力追求に追われ、「ここまで一生懸命走ってきました」みたいなことを、まるで美徳であるかのように選挙民に言っちゃう政治家。政治をやりたいならいろんなスタイルがあるが、政治「家」をやりたいならこの「強迫神経症」と付き合わないといけない。

なんだか、日本という国の政治の貧困を思わざるを得ない。

「政治学を学んだ人間は政治家にはならない」とは、まことしやかに、大学時代俺の周りで言われていたことだが、その理由は、政治にいろんなスタイルがあることを知って、さらに政治家というオプションは、その中でもあまり徳のある選択肢ではないと知るからじゃないかと思う。

まあ、もちろん、例外もいることは時の首相をみればあきらかだ。
成蹊というところの政治学科が政治学を教えてないのか、当人がしっかり学ばなかったのかは定かではないが(笑)。

この国は名目上「先進国」だが、どこかの国の「従属国」だし、「資本」と呼ばれるものに「隷属」した国だ。何かに追われ、自殺者は年間3万人を越し、生活格差は広がり、弱者は痛めつけられ、自分の生活は安定している職業政治屋は「国民の生命財産を守ろうとするのがタカ派なら、僕はタカ派で結構です」と嘯く。そして、本当のところ自分の「政治生命・財産」に気が向いている。

なんというか、現政権が「再チャレンジ」の名の下推し進めようとしている「勝ち組・負け組」という区別もそうだが、何か安心というものが無い社会だ。
そして、社会不安を内面化してしまった層は、その不安を解消するべく「愛国心」を説く。愛も知らないのに。

自分の生活が決して良いものだと思ってないからこそ、「日本は良い国だ」と言いたがる。扇動政治家は、そうしたやつらの不安を煽って、さらに票を稼ぐ。
やってることは、ヒトラーと同じ。政治家も成長していなければ、国民も成長していない。

まあもちろん、うえにみた国が、同じ道を辿ってくる可能性は否定できないけど。

しかし、アメリカのネオコンは、世界を「民主」的にしたいと本気で信じているらしいが(つまり原理主義的)、その結果は、ちっとも「民主」の本来の意味に近くない結果になっていることは知らないといけない。それはアフリカの貧しい国々で証明されてきたし、イラクでまた証明されようとしている。





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Last updated  2006.10.21 18:48:57
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