2002年07月17日
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テーマ: 京都。(6330)
カテゴリ: カテゴリ未分類
レトロ商店街の横は「忍者展」をやっていた。黒装束、手裏剣、水上を歩くかんじき、仕込み杖など、忍者が使う道具が展示されている。マルチスクリーンでは「仮面の忍者・赤影」が映し出されている。tetywestは子供の頃、毎週この番組を楽しみにして観ていたのだ。

♪赤い仮面は 謎の人 どんな顔だか 知らないが
キラリと光る 涼しい目 仮面の忍者だ 赤影だ
手裏剣しゅっしゅっ しゅっしゅっしゅっ 赤影は行く♪

何でこんな古い歌をメロディまでちゃんと覚えているのか不思議なのだが、子供の頃の記憶力というのは恐ろしい。しかし、昔TVで観たのと何か雰囲気が違う。そうか・・・tetywestは当時モノクロで観ていたのだ。日本のTV受像機は「皇太子殿下ご成婚」の昭和34年に白黒TVが、そして昭和39年の「東京オリンピック」を契機にカラーTVが普及した。「仮面の忍者・赤影」は昭和42年~43年の放送だというから、カラーで観た人も多いのだろうが、tetywestの家はまだ白黒TVだったのだ。スクリーンの反対側には、番組で使われた戦車や大砲などの大道具も展示されていたが、さすがにそれらがどこで登場したのかまでは覚えていなかった。

当時、TVは「忍者ブーム」だった。たぶん火付け役は宣弘社プロダクションの「隠密剣士」だと記憶している。フィルムを逆回転させて屋根の上に飛び上がるシーンや、物陰に潜んだところへ手裏剣が飛んできて、柱に突き刺さるシーンが今でも目に浮かんでくる。「風魔小太郎」といういかにも悪役顔のキャラクターは強烈だった。tetywestも近所の悪ガキどもと忍者の真似をして、よく屋根から飛び降りたものだった。それから、五寸釘をグラインダーで尖らせて、二本を十文字に縛り付けて手裏剣を作り、板塀に突き立てて遊んでいた。缶詰の蓋などは恰好の手裏剣の素材だった。今考えると恐ろしい遊びをしていたものだ。その後、アニメもので「風のフジ丸」も始った。余談になるが、「隠密剣士」の後、宣弘社から独立した円谷プロは「ウルトラQ」、そして「ウルトラマン」を世に送り出している。

当時の少年雑誌にも忍者特集がたくさん企画されていた。あるとき忍者の秘密が書かれていた。「葦はどんどん生長するので、毎日それを飛び越えていればそのうちに屋根の高さまで飛べるようになる」とか、「麻の葉をお茶に混ぜれば眠り薬になる」とかいう類のものだったが、子供心にも葦の生長にジャンプ力が追いつけなくなる時は来ると解るし、tetywestの地域には残念ながら麻がなかったので、眠り薬も試すことが出来なかったのを覚えている。

そんな懐かしい思い出に浸っているtetywestだったが、家内は忍者モノにはあまり興味がなかったようだ。いつまで待たせるのだという顔で暇そうに辺りをブラブラしていた。






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最終更新日  2002年07月18日 01時06分08秒
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