義母がすい臓がんで入院してから一年になる。
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201003260000/
術後の経過は順調で、元のようにとはいかないが、質の高い生活を送っている。
しかし、偶然同時期に同じ病院に入院して、同じ主治医だったある知り合いが、先月亡くなっていたことを風のうわさで聞いた。
はっきり言わないが、義母にはショックだったに違いない。
ガンには色々な種類があり、パターン化して考えるのは難しい。
一回の手術で済む人もあり、もぐらたたきのように次々再発をくり返す人もいる。
亡くなった知人は転移が激しく、手術を重ねることで体力を失ったようだ。
運不運で片付けるにはせつないが、人間の能力にも限界はある。
神の定めとあきらめるしかない。
本書は、様々ながんを摘出手術、抗がん剤治療、放射線治療などを施して、克服した人たちの生の声である。
ガンに出遭って、新たな経験をし、今まで見えなかったことが、辛い思いに耐えて初めて見えるようになった。
乗り越えた人の言葉に学ぶことは多い。
*多和田奈津子さん 35歳 (甲状腺がん・悪性リンパ腫 発症年齢24歳)
16歳で甲状腺がんを罹患していた。
中学以来、甲状腺機能亢進症の治療を受けていたが、高校一年の秋、自分で首のしこりを発見した。
すぐに医者に行って検査をし、甲状腺がんだとわかると、その年末に摘出手術を受けた。
その時は、手術して治療しなければならないなら、そうすればいいじゃないかと思っていた。
どうして家族はあんなに深刻になるのだろうかと。
しかし、24歳で発症した「悪性リンパ腫」というのは、「悪」と「腫」という怖い文字が2つついているし、抗がん剤を使うというので、長くて深い底に落ちていく気分だった。
25歳の秋、入院生活に突入する。
いつになったら社会復帰できるのか、何が悪くてがんになってしまったのか・・・病室の天井を眺めながら、そんなことに思考をめぐらせていたとき、ドリームズ・カム・トゥルーの『あはは』という曲を聴いた。
それは「まだラッキーの印がある。今の自分をみてみよう」という内容の歌詞だった。
♪ ふり返るのはやめて 今の自分を見てみよう
ふり返るのはやめて 今の自分を信じよう
あはは わらうと ちょっといい気分 yeah ♪
《いろいろ考えてしまって「私、生きていられるのかなぁ」ということに捉われていた毎日を過ごしていたときに、その歌詞を聴いて「でも、私って今、生きているじゃん」と思えたんです》
未来を心配し、過去を憂えていた奈津子さんだが、今を一生懸命生きようということに思い至り、精神的に前向きでいられるようになった。
放射線治療が効を奏して白血球などのデータも安定して、治療経過の順調さも心のあり方に影響した。
《 同年代の人よりも、生と死というものを常に考えながら生きてきたと思っています。だから、ほんとうの幸せってなんだろうと、いつも考えていて・・・。それは楽しいことやうれしいことではなくて、いつも同じ状態で変わらない生活ができるということでした。普通でいられなくなることは、ものすごくさびしいことで、"普通"はとても貴重なことなんだという感じがしています》
退院したものの再発の恐怖にさいなまれる日々、耳にしていたラジオから、心に響く言葉が洩れてきた。
「人には超えられない試練は与えられない」
この番組のシンディ鈴木さんの英語講座を受講し、そこで「NOW OR NEVER(今が絶好のチャンス)」という言葉に出会った。
自分にとって絶好のチャンスとはなんだ、自分は何がしたいんだろう・・・。
好きだった歌や踊りを想起し、ゴスペルソング教室に通い始める。
その最初の授業中に『重荷をおろそう』という歌詞に出会った。
《 私の重荷は、再発への不安でした。それをおろしていいんだと、そのときに思えたんです。この教室は英語で唄って踊るので、生きるの死ぬのなどを考えて集中力を欠いていては、ついていけませんでした。すべての不安をシャットダウンして、歌と踊りに集中するんです。だから教室に入った途端に再発の不安が消えました》
2002年4月、自身の闘病体験と、同じ病室で同年齢だった「病友」のことを記した書籍『へこんでも』を出版し、病気体験を機軸にした講演をしたり、エッセイを執筆したりするようになる。
人のお世話になりっぱなしだったので、今度は自分がする番だ、と。
*内田 絵 子 さん 58歳 (乳がん 発症年齢44歳)
左の乳房に小石大のしこりを発見したのは、シンガポールで、だった。
しこりを発見した夜、絵子さんは恐怖感に捉われた。
自分が命を終える恐ろしさよりも、高齢の父親をおいて先に逝ってしまうことを想像すると、怖さが倍加してきた。
がんの告知を受けた絵子さんには、日本に帰国して治療を受けるか、シンガポールに留まり治療をするかという2つの選択肢があった。
絵子さんは後者を選んだ。
「生きるも死ぬのも自分が決めることではなく神の領域である」
インド系の医師による摘出手術を受け、中国系医師から抗がん剤を投与され、シンガポール人の看護師に世話になった。
ふだんはそれほど意識してなかった乳房だが、現実に失ってみると、夢想だにしていなかった喪失感に襲われた。
治療が終わったものの、一度がんを患ったことで、自分は今までとは違う劣った人間だと思い込んでしまう。
着替えをするたび、シャワーを浴びるたび、女性のシンボルをもぎ取られたような虚しさがあった。
自分が女性として、ひいては人間として価値がないように思えてしまうのだ。
こんなマイナス思考の自分ではいたくない・・・。どんなときでも前を向いていたい・・・。自分を取り戻したい・・・。
絵子さんは、乳房を再建しようと思い始めた。
自分自身の人生において、乳房をつけることはどんな意味があるのだろう。
周囲の反対を押し切ってまで乳房を再建する価値があるのだろうか?
乳房を元に戻すことは贅沢なことなのだろうか?
しかし、日本の若者に贈られた言葉に後押しされる。
「これで、絵子さんも、パワーアップですね」
元の自分よりパワーアップする。自分を取り戻すよりも、もっと輝いた自分になる・・・。
夫と話を重ね、乳房再建を決意した。
《揺れながら自分と向かい合って、失ったものを取り戻す決意をして、乳房を再建したことが、1年にわたる闘病生活でのいちばんの収穫でした》
がんは哲学的な病気だと言う。
いつか人間は命を終えるが、たとえば交通事故に遭って即死してしまったら、何かを言い残すことはできない。
けれども、がんは、たとえ末期であっても、何ヶ月かという残された時間で自分と向き合い、生に決着をつけることができる。
《20 代がピークだとすると、40 代で免疫力は半分、60 代では4 分の1 になるといわれています。この落ちた免疫力をアップさせるのが笑うことなんです。笑顔をつくれる人生をすごしていこうと思っているんです。
私が乳がんになったのは、神様からの贈りものだとさえ思っています》
絵子さんは日本に帰国後「内田絵子と女性の医療を考える会」を立ち上げ、のちに「ブーゲンビリア」というNPO法人になり、「東京都がん対策推進委員会」や「(財)日本対がん協会」などの委員を務め、がんと向き合う患者さんにメッセージを送っている。著書『メイド・イン・シンガポールのおっぱい』『おっぱいが二つほしい』
*森下正雄さん 84歳 (喉頭がん 発症年齢67歳)
「もう病気を治すには、声帯を摘出するしかありません」
重い病気にかかったことより、紙芝居師の命である声を失うことにショックを覚えた。
「先生。声を出すことができなければ、二度と紙芝居を演じることができません。できるならば、手術なんかしたくありません!」
「森下さん。命と声とどちらが大切なのですか?」
咽頭の手術を明日に控えた森下さんは、その夜、病院のベッドの上で、テープレコーダーを手にしていた。せめて、自分の声をテープに残しておこうと思ったのだ。
同室の患者が寝ていると思い、小声で「黄金バット」を吹き込み始めた。
「手術をすることになり、昔なつかしい黄金バットを録音に入れたいと思います。
紙芝居といえば黄金バット、黄金バットといえば紙芝居といわれる昔なつかしい名作。
それでは、冒険空想大活劇、お馴染みの黄金バットの始まり、始まり・・・」
録音を終えた森下さんがテープレコーダーのスイッチを切った瞬間、病室に拍手が起こった。
声帯手術を受け、声の出せない患者たちは「よかったよ」「ありがとう」と、拍手で森下さんに胸のうちを伝えたのだ。
森下さんは、布団をかぶった。涙が出てしかたがなかった。
声を失うことが悲しかったのではなく、病室の仲間の温かい気持ちがうれしかったのだ。
《私は1990 (平成2 )年9 月に喉頭がんで声帯摘出手術を受けて、紙芝居師として大事な声を失いました。けれど、おかげさまで14 年間、生存することができましたことに、とても感謝して過ごしております。
人の一生は、人それぞれ違います。しかしながら、共通点として心の持ち方一つにより左右されるものです。
「何事も心一つにあるものを知らず浮世に迷う人々」という詩がありますように、ものの見方、考え方、思想によって心のありようは変わってきます。
病は気からです。自分の信念によって、前向きの夢と希望とロマンを持つように努力することがいかに大切か・・・。
当たり前のことが、落ち込んでいるときは、なかなかわからないものですが・・・。
「健康」は「貢献」。「病気」は「休養日」。
あせらず・・・、あわてず・・・、あきらめず・・・、です。
「心 豊かなれば 顔の相 豊かなり 顔の相 豊かなれば 身体 健康なり」です》
退院後、食道を新しい声帯にして発声する"食道発声法"の訓練を受け、日常生活に支障がない声を取り戻すことができた。
けれども、紙芝居を演じる大きな声は蘇らなかった。
手術の前夜録音した「黄金バット」に合わせて紙芝居を演じてみようとしたが、絵を見ながら録音した声ではなく、小声で吹き込んだ声で、肝心な場面で抑揚をつける太鼓の「ドドーン」という音も入っていなかった。
そんな森下さんの姿がテレビで紹介された。
すると、差出人の名前のないカセットテープが送られてきた。
「このテープで紙芝居をして、またこどもたちを楽しませてください」という短い手紙。
テープには大道芸イベントで四国を歩いた時に演じた「黄金バット」など6話が入っていた。
森下さんの頬にとめどなく涙がつたわってきた。それほどありがたい「神さまの贈りもの」だった。
実際に絵を見ながら、太鼓をたたいているものを録音したので、迫力や臨場感があり、紙芝居をするのに支障はなかった。
このテープにあわせて口をパクパクさせることで、再び紙芝居の世界の戻ることができるようになり、今も紙芝居を演じてる
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