「アンパンマン」の作者として、世界的な著名漫画家のやなせたかしさんが亡くなりました。
膀胱ガンを発症し、肝臓に転移、白内障や尿管結石などの病気に襲われて数年、この夏体調を崩して入院していた病院で、心不全のため亡くなったということですが、94歳ともなれば天寿を全うしたと言えるでしょう。
ただ、100歳を目指す同志としては、無念のリタイアです。
今年の7月には最新の劇場場版アニメ『それいけ!アンパンマンとばせ!希望のハンカチ』の舞台挨拶に 矍鑠 とした姿を見せていたので残念です。
やなせたかしと言えば当然「アンパンマン」なのですが、僕にとってはもう少し前からの存在でした。
TVアニメの『それいけ!アンパンマン』が登場し、爆発的な人気を博したのが昭和63年、僕はもう32歳で影響を受けるには大人になりすぎていました。
実際に見たのは、ふたりの子育ての最中でした。
ストーリーは、悪者を正義のヒーローがやっつけるという定番物なので、特に目を引くものはなく、その時は深く作品を考察することもありませんでした。
僕にとってのやなせたかしは、まず作詞家として登場した『手のひらに太陽を』でした。
昭和37年、NHK『みんなのうた』にお目見えしてから、今日まで歌い継がれた名作になっています。
作曲は昭和歌謡探訪でもお馴染みのいずみたく。
やなせたかしのコメントによると
「(仲間の漫画家たちが、次々と有名になっていくのを横目で見て)
四十二歳のときのその日も徹夜していた。退屈し、子どものころにやっていた遊びを思い出して懐中電灯を手のひらに当ててみた。
すると、血の色がびっくりするほど赤く透けて見える。あんまりきれいで見とれてしまった。これほど絶望しているのに、体には赤い血が脈々と流れているんだ。
心は元気がなくても、血は元気なんだなと、自分自身に励まされたように感じた。
不意に「てのひらを太陽にすかしてみれば」というフレーズが頭に浮かび、それがひとつの歌詞にまとまった。この歌は、自分を励ます気持ちから生まれたのだ」
とのこと。
この詩の特徴的なところは、
《僕らはみんな生きている 生きているから悲しんだ》
というフレーズでしょう。
人生を生きていて、うまく行かないこと、つらいこと、せつないこと、情けないこと、さまざまな気持ちの沈む出来事を前に、"悲しいなあ"とため息することも多々あります。
それが人生です。
それが生きていくということです。
それをそっくり受け止めてこそ、はじめて前向きに生きていけるんですね。
最初に聞いたのがいくつの時だったのかは定かではありませんが(たぶん小学3、4年のころ)、以来ずーと心に刻まれた歌です。
そして僕にとってのやなせたかしは、NHKの『ひょっこりひょうたん島』の後の時間帯にやっていた、『まんが学校』の先生だったのです。
司会はなんと落語界の風雲児、立川談志。
内容はほとんど覚えていませんが、やなせたかし先生の名前と、壁に貼られた模造紙にサササと描く、あのふんわりしたタッチの絵は強く印象に残りました。
それと、『まんがの描き方』?だったと思いますが、題名のまま漫画の描き方の本があり、僕はその本をバイブルとして漫画をせっせと書いていました、小学生の頃。
だから、僕にとっては、やなせたかしは漫画の先生だったのです。
僕の方の漫画熱は、中学時代に失せてしまいましたが、やなせたかしの名前はくっきりと記憶に残っていました。
だから大人になってから巡り会った「アンパンマン」は、とてもノスタルジックなものだったのです。
『まんが学校』の頃でもやなせたかしは40歳代で、それから20年以上たってからのブレイクでした。
そして、『それいけ!アンパンマン』の主題歌である『アンパンマンマーチ』もやなせたかしの作詞でした。
聞いた人が皆、ちょっと不思議な違和感を覚えます。
「アンパンマン」のファン層は、就学前の幼稚園児・保育園児です。
それがこのメッセージ色です。
《何のために生まれて 何をして生きるのか わからないまま終わる そんなのは嫌だ!》
尾崎豊の詞ではありません。
幼稚園児がこの主題に同意するかどうかは疑問があります。
しかし、やなせたかしはこう言います。
「今は大学を出ても自分は何をしたいのか解らないって人が結構いるんですよ。これは困るんですよ。せっかく生まれてきた以上は何かを残していかなきゃならない。自分は何のために生まれてきたのか子供の時から歌っていれば、あるところで解っていくんじゃないかなあ、人生の方向が決めやすくなるんじゃないかなあ」
やなせたかし自身も、何のために生まれて何をして生きるのか解らないまま人生の前半を過ごしていました。
そして、やりたいことを続けて人生を模索するうちに、「アンパンマン」に巡り会い、60歳を過ぎてから成功を収めます。
そんなやなせたかしの名言集から、僕の気持ちにフィットするものを取り上げます。
幸福について・・・
《健康でスタスタ歩いているときには気がつかないのに、病気になってみると、当たり前に歩けることが、どんなに幸福だったのかと気づく。
幸福は本当はすぐそばにあって、気づいてくれるのを待っているものなのだ》
《幸福とは何だろう。幸福の正体はよくわからない。
お腹をすかせて一杯のラーメンがとてもおいしければ、それは本物の幸福だ。
十円には十円の幸福があり、一億円には一億円の幸福がある。インスタントラーメンも、シューマイ弁当も、アンパンも、ときにはパリの高級レストランの食事よりおいしい》
《人間が一番うれしいことはなんだろう?
長い間、ぼくは考えてきた。
そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。
実に単純なことです。
ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい》
仕事について・・・
《今自分がやっている仕事だって、それで誰かが助かり、誰かがよろこんでいるはずだ。「この仕事は向かない」「この仕事は不満だ」と言って、熱を入れずにただウロウロしているだけなら、一生、そのままで終わってしまう。
つまらないなら、どうすればおもしろくなるかを考え、自分で工夫してみるといい。そうすると、どんどんおもしろくなっていく。満足感も高まって、しだいにそれが天職だと思えるようになっていくのだ》
《運をつかむには、自分のやりたいことをずっと継続して、やめないことだ。
「継続は力なり」という。同時に「継続は運」なのだ。
「運がよけりゃ」と、棚の下でぼた餅が落ちてくるのを待っていても、そんな好都合なことは起こらない。自分でぼた餅をつくってこそ、類は友を呼ぶではないが、いろんな餅が寄ってくるのだと思う。
自分自身も、世に出なくとも、代表作がなかなか描けなくても、黙々と漫画を描き続けてきた。
アンパンマンはそうした長い歳月から生まれた「運」だったのだ》
《めぐり合った仕事を誠実にやる。たとえばアメをつくるなら、おいしいアメをつくることだけを考える。そうしていれば、道は自然に開けていくものだ》
《難しい仕事や未知の仕事には、好奇心と冒険心をそそられる。新しいことに挑戦するのはすごいチャンスだと思う。声をかけられたら、「できない」と断らずに、無理やりでもやってしまえばいいんだ。
専門分野以外の仕事をしているうちに、それが化学変化を起こしていくこともある。新しい人間関係が広がることもある。
仕事は、人と人のつながりで来るものだ。いろんなことをやっていく中でめぐり会う人が、新しいチャンスや可能性を連れて来てくれる》
そして、正義について・・・
《正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい》
《逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること》
《正しいことをする場合、必ず報いられるかというと、そんなことはなくて、逆に傷ついてしまうこともあるんです》
《正義って相手を倒すことじゃないんですよ。
アンパンマンもバイキンマンを殺したりしないでしょ。
だってバイキンマンにはバイキンマンなりの正義を持っているかも知れないから》
《正義とは実は簡単なことなのです。
困っている人を助けること。
ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです》
僕は最近、「正義」とはなんだろうかと考え込んでいます。
正義=正しい行い、道筋
でも、正しいって何だろう?
世界には、国の数だけ正義があります。
やなせたかしも愛国教育の中の正義に裏切られます。
そしてアンパンマンの正義と、バイキンマンの正義があるというところに辿り着くのです。
目くじら立てて、自国の正義をがなりたてる隣国を見て、ほとほと正義などは無益なものだなあと思うのです。
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