「3.11東日本大震災」から、もう5年を数えようとしている。
あの日を境に、己の生き方を考え直した人も多いのではないか。
毎年、この日に足を止め振り返り、思いを新たにする。
それにつけても、復興の遅さに苛立ちの募る思いが否めない。
かさ上げされた造成地がまばらに生まれ、予算の消化を急ぐように創り出した巨大な防潮堤だけ、部分部分にそびえている。
ここに住む人は、本当にこんな風に生まれ変わりたかったのだろうか。
火急の際は拙速も致し方なかろうが、秀逸なリーダーがいなかったことがこの不統一の原因であることはあきらか。
当時の民主党は明らかに人材に欠如していたが、自民党に政権が戻っても何も変わらなかった。
神戸は見事に立ちなおったが、東北は辛い現実が立ちはだかっている。
残念ではあるが、前を向かなくてはいけない。
それにつけても、この災害のもう一つの悲劇である”原発事故問題”は、自民党になって逆行を始めた。
安倍政権にはいろいろ申したいことも多いが、特に原発再稼働には反対したい。
僕の政治的提言の一番は、まずこのことだ。
という昨今、大津地裁(山本善彦裁判長)が素晴らしい判決を下した。
関西電力高浜原発3、4号機の運転禁止を住民が求めた仮処分で、「過酷事故対策や緊急時の対応方法に危惧すべき点がある」として、運転を差し止める決定をしたのだ。
本日の『東京新聞・社説』が、これを評している。
全く同意見で、多くの人が支持する見解だと信じる。
ここに転用させていただく(勝手ながら強調したい部分を太線に加筆)。
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稼働中の原発を司法が初めて止める。関西電力高浜3、4号機の安全性は不十分だからと。国民の命を守る司法からの重いメッセージと受け止めたい。
3・11から五年を前に、司法の良識を見たようである。 住民の安堵(あんど)の声も聞こえてくるようだ。
3・11後、再稼働した原発の運転の可否をめぐる初めての司法判断は、原発は「危険」と断じただけでなく、事故時の避難計画策定も十分でないままに、原発の再稼働を「是」とした原子力規制委員会の「合理性」にも、「ノー」を突きつけた。
大津地裁の決定は、高浜原発3、4号機が、そもそも危険な存在だという前提に立つ。
その上で、最大の争点とされた基準地震動(耐震設計の目安となる最大の揺れ)に危惧すべき点があり、津波対策や避難計画についても疑問が残るとし、住民の「人格権」が侵害される恐れが高い、と判断した。
昨年暮れ、福井地裁が危険性は「社会通念上無視し得る程度まで管理されている」と切り捨てて、同地裁が下していた両機の運転差し止めの判断を覆したのとは、正反対の考え方だ。
一昨年の十一月、大津地裁も「避難計画などが定まらない中で、規制委が早急に再稼働を容認するとは考え難く、差し迫る状況にはない」と申し立てを退けていた。
ところが、規制委は「避難計画は権限外」と、あっさり容認してしまう。
今回の決定からは、そんな規制委への不信さえうかがえる。危険は現に差し迫っているのである。
住民の命を守り、不安を解消するために、今何が足りないか。3・11の教訓を踏まえて、大津地裁は具体的に挙げている。
▽建屋内の十分な調査を踏まえた福島第一原発事故の原因究明▽事故発生時の責任の所在の明確化▽国家主導の具体的な避難計画▽それを視野に入れた幅広い規制基準-。 私たちが懸念してきたことでもある。
県外住民からの訴えを認めたことで、原発の“地元”を立地地域に限定してきた電力会社や政府の方針も明確に否定した。
そして、その上で言い切った。
「原子力発電所による発電がいかに効率的であり、コスト面では経済上優位であるとしても、その環境破壊の及ぶ範囲は我が国さえも越えてしまう可能性さえある。単に発電の効率性をもって、これらの甚大な災禍と引き換えにすべき事情であるとは言い難い」
効率より安全、経済より命-。憲法が保障する人格権に基づいて住民を守るという基本への回帰。司法の常識が働いた。
五年前、東日本大震災による福島第一原発の事故が起きる前まで、司法は原発事故と真剣に向き合っていたといえるだろうか。「起きるはずがない」という安全神話に司法まで染まっていたのではないだろうか。
震災前までは多くの原発訴訟の中で、二〇〇三年のもんじゅ訴訟控訴審(名古屋高裁金沢支部)と〇六年の志賀原発訴訟一審(金沢地裁)の二つの判決以外は、すべて原告が負け続けていた。
この二つの判決も上級審で取り消され、原告敗訴に終わっている。原発差し止め-という確定判決は一つも存在しなかった。
ただ、「レベル7」という福島原発の事故を目の当たりにして、司法界でも過酷事故は抽象論から具体論へと変質したはずだ。
司法は原発問題で大きな存在だ。経済性よりも国民の命を守ることの方が優先されるべきなのは言うまでもない。司法が国民を救えるか-。
その大きな視点で今後の裁判は行われてほしい。
現に動いている原発を止める-。重い判断だ。しかし、国会、行政とともに三権のうちにあって、憲法のいう人格権、人間の安全を述べるのは司法の責務にちがいない。
繰り返そう。 命は重い。危険が差し迫っているのなら、それは断固、止めるべきである。
対策も不十分なままに、四十年を超える老朽原発の再稼働が認められたり、再稼働の条件であるはずの免震施設を建設する約束が反故(ほご)にされてしまったり、規制委の審査にパスした当の高浜4号機が、再稼働直前にトラブルを起こしたり…。
再稼働が進むのに比例して、住民の不安は増している。
規制委は、司法の重い判断を受け止めて、審査の在り方を大きく見直すべきだ。
政府は福島の現状も直視して、再稼働ありきの姿勢を根本から改めるべきである。
福島原発事故検察審査会強制起訴裁判 2017年07月02日
『東京が壊滅する日』 広瀬隆著 2015年08月07日
抗議を受けた室井佑月 By週刊朝日 2014年08月02日
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