久々に「読書日記」を。
日常何か思いついたり、調べたい単語や人物が現れた時に、机の傍らに置いてある手帳にメモを残すことにしています。
そのメモをまとめて調べていたら、黒丸尊治氏の名前がありました。
何の関連でメモをしたのか覚えていないのですが、調べてみると、是非とも学びたい先生でした。
「幸せのひろいかた」と同じスタンスだと思いました。
黒丸尊治(くろまるたかはる)氏は、もともと心療内科医で、今は緩和ケアをしているお医者さんです。
HPによると、「コミュニケーションや”心の治癒力”に大変興味を持ち、”ホリスティック医学”にかかわって」いると自己紹介しています。
http://holicommu.blog84.fc2.com/
ホリスティック医学とは、身体だけでなく、心、精神、環境といったものまで、ひっくるめて、人間と生命をとらえる医学のことです。
医者嫌いクスリ嫌いの僕が、唯一信頼を置いている医学ともいえます。
HP『こころの治癒力への旅』にはこのように書かれています。
「 人は誰でも自分を癒す力、苦難を乗り越える力、問題を解決する力、病気を治す力など、心の治癒力とも言うべき力を持っている 」
この信念で、患者に寄り添う診療を実践しているのです。
そんなに寄り添っちゃっていいの?というぐらい、患者の言い分を取り入れます。
そうすると、なぜか病気は治ってしまう。
そんな治療法の実例を示し、心の治癒力を解説した『心の治癒力をうまく引き出す』を、僕の個人的考察も蛇足で述べつつを紹介します。
本著のカバーに、こんな風に内容が書かれています。
ある時から、ぼくは〈患者さんは自分を癒す力を持っている〉と信じた。
すると意外にも患者さんが勝手に治っていくようになった。
ただ、患者さんに寄り添って歩いているだけなのに・・・。
一生懸命治そうとがんばっていた頃は、
一人も治らなかったのに、
じっくりと患者さんの話に耳を傾けることにしてみたら、
なにもしなくてもよくなってしまったのである。
ここに心療内科治療の、
とても重要なポイントがあるような気がした。
治療者が正しいと思うことを
患者さんに押しつけるのではなく、
患者さんの持っている常識に寄り添って、
同じ歩調で歩いていくと、
患者さんの持っている治癒力が勝手に働き始め、
その結果、自ずとよくなってしまうのである。
何とも不思議な気がするが、
もともと患者さんの治癒力に関心があったぼくは、
それをうまく引き出し、活性化するためのコツを
垣間見た気がした。
テーマが集約された、素晴らしい紹介分だと思います(キャプションと中身が違う本も結構ありますから)。
ここに書かれたエピソードはすべて実体験から生まれたものです。
通常の治療法でうまくいかなかった時、もしやと思って取り組んだ方法が「患者に寄り添う診療」でした。
黒丸医師の寄り添う診察はこのように行われます。
「明るさ」という名の病
末期がんを抱える女性の患者が、他の病院から診察を受けに来た。彼女の入院している医者は、「人間は明るく前向きな気持ちを持つことによって、ガンに対する免疫力が高まる。だから、ガンだといって落ち込んでなんかいたらだめ。前向きな姿勢で、いつも明るくポジティブシンキングが大切」と、明るく振る舞うことを強制する。
しかし、彼女は物静かで、どちらかというと人からは「暗いなあ」と言われるようなタイプ。何とか明るく振る舞おうとするが、作り笑いをするのが精いっぱい。そればかりか無理に明るく振る舞い、楽しそうにする自分がみじめに思えてくる。
そんな繰り返しの入院生活に耐えきれなくなり、黒丸医師を紹介されてきた。彼女の話をすべて聞いて、黒丸医師はこう言った。
「明るくなんてする必要ないですよ。物静かで、あれこれしゃべらない、そんな雰囲気があなたらしさだとぼくは思うんです。あなたらしさが最大はっきできる状況がベストであって、それは必ずしも、あなたが明るくしなければいけないということではないんです。もし無理に明るく振る舞おうとしたら、それはあなたらしくない振る舞いだし、あなたらしくない状況をつくってしまうわけだから、治療にとっては逆効果です。だから明るくする必要なんかないし、逆に明るくなんかしてはいけないんですよ」
〈無理に明かるくする必要はない〉
この言葉こそ、心から望んでいたものだった。明るくしなくてもよいのであれば、彼女にとって、こんな楽なことはないからだ。今までとは全く逆のことを言う「変な」医者との会話によって、彼女は苦しみから解放された。
ポジティブシンキングが治療に有効なのは証明されています。”笑い”がガンを消滅させるというエビデンスもあります。だから最初の病院の方針は間違っていないと思います。
だけど人は皆それぞれで、万人に効く治療法などありません。なのに医者は、マニュアルに沿って診断し、治療方針を立て、投薬します。患者は次から次へと病院に押し掛けるので、一人一人に手間ひまをかける時間はありません。
しかし、精神が疲弊弱体している患者には、そんなオートマチックな診療は不適切です。患者一人一人にあわせた、性格や環境を含めたせた総合的なケアが施されるのが理想です。
「心の公式」と「間違った思い込み」
通常はストレス刺激となるもの ー 例えば上司の傲慢な態度、妻の神経質な振る舞い、子供の成績が悪い、失恋、試験の失敗など ― が、ストレス状態を決める要因だと誤解されていることが多い。しかし、実際はちがうのだ。
ストレス状態を簡単な公式に表すと以下のようになる。
〈ストレス状態=ストレス刺激×本人の受け取り方〉
要するに、ストレス刺激の大きさと、そのストレス刺激をどのように受け取るかが、ストレスの程度を決定する重要な要素となる。そして、ストレス状態の程度は、「ストレス刺激」そのものよりも「本人の受け取り方」のほうに大きく影響される。
僕(散智庵)は、このブログの冒頭に書いているように、「幸せは考え方で手にはいる」と思っています。
人生の目的は、”幸せ”になることで、幸せになるのに必要なのは、地位やお金や名誉ではなく、幸せを感じ取る”受け取り方”を身につけることだと考えます。
白か黒かのどちらかに割り切ってしまうと、物事はわかりやすい。便利か不便か。好きか嫌いか。正しいか間違っているか・・・。こんなふうに、白黒で物事を判断し、中間の灰入り的な見方をしない思考法を「二分思考」という。
そして、この二分思考で二つに分けた物事を、片方が善くて、もう一方はいけないと考える思考法、これが「一方向志向」である。例えば、性格を明るいと暗いとに分けてしまうのが二分思考であり、明るい方が善くて、暗いのはいけないと考えてしまうのが、一方向性思考の典型的な思考法である。血液検査データなども同様で、ある基準値をわずかでも超えたら異常となり、その範囲内であれば正常とみなされる。こんな例は挙げていけばきりがない。豊かさ、便利さ、健康、正確さ、美しさ、楽しさなどは善いものであり、貧しさ、不便さ、病気、曖昧さ、醜さは善くないといった具合である。
この思考法にどっぷり浸かってしまうと、どんなものでも二つに分ける癖がつく。そして、分けられないものまで、分けて考え、善し悪しの価値づけをしてしまう。その結果、二分思考、一方向性思考は自分の持っている知識や経験と相まって、「間違った思い込み」や「心の公式」を形成していくのである。
世の中に”絶対正しい”なんてものはありません。どんな事柄も、裏から見れば、逆に考えれば、見方を変えれば、正しさを維持するなんて不可能です。
仮に”神様”という偉大な存在を想定した場合、今起きている問題は、本当に問題と言えるものかと思うほど些細なことだとわかります。今心を悩ましていることは、自分の思い込みにすぎません。
「間違った思い込み」を書き換える
「仕事は一生懸命にやらねばならない。少々しんどいからといって、会社を休むべきではない」という思い込みが、彼の仕事に対するバイタリティーを支えてきた。しかし、体調を崩し、それを治したいという違った状況になれば、この公式がかえって災いする。頭に染み付いた公式と、もうこれ以上働いてはだめだ、という体の叫びとの間でジレンマが起こるのである。
患者自らが納得し、行動を選択するという状況をいかにして作り出すかが、心理的側面からのアプローチにおいては大切なポイントとなる。彼の場合、頭が痛かったり、身体がだるかったりという症状は働きすぎの危険信号だったわけだが、身体が伝えるメッセージに実は薄々感づいていた。仕事を休めば体は楽になる。しかし、彼にはそれができない。
その背景には彼特有の思い込みがある。つまり彼にはバリバリ働く金融のエリートビジネスマンであり続けたいというイメージが強固にあり、〈休むこと=罪悪〉という思い込みが、頭の中を支配している。だから体がいくらしんどくなろうが休めない。
この時、ぼくは、「あなたはすでに、会社を休んで病院に来るという勇気ある行動をとることができるのです」という、すでにできている行動を引き合いに出し、それに〈休むこと=勇気ある行動〉という新しい意味づけを提示したのである。
リスト ラ で専門職から営業に回されて、精神が乱れ体調を崩したエリート社員に掛けた言葉です。
患者のプライドは尊重し、新たな行動(精神科を受診する)をその勇気を認める。相手を否定しないで、新しい考え方を応援する。そういう対面の仕方が、患者との信頼を築いてゆくのでしょう。
「あっ、そうか」と「まあ、いいか」
問題を抱えた患者さんは、「間違った思い込み」や、一方向性志向でしか問題を捕えようとしないため、ストレスが溜まり続け、心と身体の関係が悪循環に陥っている状態にある。中には、その状態に耐えられず、自殺さえ考える人もいる。
人間は窮地に立たされると、必死の思いでそこから抜け出そうとする。その時、人間の心は必死になればそれだけ柔軟性を失っていく。健康であれば、違った視点で物事を眺める余裕があるのに、病気になると、途端にそれができなくなる。
ぼくは心療内科を専門とするようになってから、患者さんのカチカチになった心を、どうやってほぐしていくかをずっと考えてきた。患者さんは今、一つの方向でしかものを見られない状態にある。もしこの心の硬直をほぐすことができたならば、患者さんが悩んでいる身体症状にも、少なからぬ良い影響があることを経験的に知っている。それゆえに、何とかしてこの硬直をほぐそうと考えるのである。
だからこそ患者さんとの会話が、とても重要になってくる。話をしながら、患者さんと一緒になって、受け取り方が変化しやすいポイントを探し出し、そこにどんな意味付けをしたら、患者さんにとって受け入れ可能な新しい「思い込み」になるか、といったことを見極めていくのだ。
こうして患者さんに接しながら、ぼくはいつも患者さんからある言葉を待っている。
それが「あっ、そうか」と「まあ、いいか」である。
これは患者さんの視点が切り替わった時に、患者さんが感じる思いであり、心のつぶやきである。
新しい「思い込み」を受け入れられたとき、患者さんは「あっ、そうか」という新鮮な気づきを経験する。また、今までとは違った視点で物事を考えられるようになると、今まであれほど苦しめられてきた問題が、さほど深刻に思えなくなり、「まあ、いいか」という、ちょっと力が抜けた現状肯定の心が芽生えてくる。
本ブログの冒頭の言葉
「 幸せを呼ぶ三つの言葉 1.ありがとう 2.ま、いっかぁ 3.なんとかなるさ
」
「まあ、いいか(ま、いっかぁ)」は大事です。辛いこと、悩めること、不安なことのある人は、このおまじないの言葉を唱えてください。
そして、神様の声を聴いてください「なんとかなるさ」。
原因がわかれば、本当に病気は治るのか?
心療内科に来る患者さんには、症状や問題行動の背景に、幼少期の問題が絡んでいるケースが多い。特に拒食症、過食症という摂食障害の患者さんの場合、かなりの割合を占めるのではないだろうか。だからこそ幼少期の問題は、心療内科においては、患者さんの症状を理解するうえで、見逃すことができない重要な要素として扱われている。
しかし、ぼくの経験から言えば、心療内科において、こうしたアプローチだけで治療として成功することは少ない。
第一、患者さんが、自分の問題の背後に潜んでいる原因に気づくまでじっくり待つというのは、かなりの時間と労力を必要とする。おしゃべり好きの患者さんにとっては、ずっと聞いてもらえるので、「あーすっきりとした」という気分を味わうことができるが、心療内科を訪れる大半の患者さんは、現在の症状を何とかしてほしいと思っている。
確かに幼少体験を分析し、因果関係を見つけ出すことは、医者が患者さんの抱える問題を理解する上では非常に役立つ。しかしぼく自身の経験から言えば、幼少体験の分析による原因探しが、直接治療になるという印象を持てなかってのである。
”病気”は”病名”が付くと半分治ったと同じである、と聞いたことがあります。病名が付く=病気の原因が判明される=治療方針が決まる=治療できる、という図式になるのでしょう。
しかし”医者は誤診する、クスリは副作用がある”。
患者の期待通りに病気が治るとは限りません。出会った医者によってはひどくなる場合だってあります。どんな医者に巡り合うかで寿命が決まる場合もあります。
病名とは怖いものである。病名一つで、患者さんを元気にすることもできるし、逆に悪くすることもできる。診断名が治療にいい効果を与える場合はいいのだが、逆の場合は、死刑宣告に等しいものになりかねない。特に病名が精神疾患を連想させるものは、治療者側の配慮が必要になる。
病名はどうであれ、治療はできる。それならば、正確な診断名にこだわらず、治療に役立つような診断名を付けるほうが、患者さんのためになるのではないだろうか。医者という仕事の目的は、あくまで患者さんの病気を治すことにある。特にストレス関連病の治療では、その後の治療につながるような「いい病名」を付けることも、医者の大切な仕事ではないだろうか。
昔、NHKのドラマで山本周五郎原作の『赤ひげ』が放送され、すごく印象に残ったセリフがあります。夜中に診療に訪れた村人に対し、寝ていた若い医者が「医者も人間だ、休ませろ」と診療を拒否しますが、主役の小林桂樹演じる新出去定が「医者は人間ではない。患者にとっては神なのだ」と言い、起きて診療にでます。このセリフは原作にあった物なのか、脚本の倉本聰の作なのかはわかりませんが、当時16歳の僕は心震えるほど感動しました。(そこで一念発起して医者を目指せば人生変わったいたでしょうが・・・。僕は倉本聰に憧れて脚本家を目指します。結局ダメでしたが)しかし、患者にとって医者は神であっても、実際は、医者は神ではありません。神は患者の心の中にいます。医者は、患者の声を聴きながら、神の手伝いをしているだけなのです。
人は自分を癒す力を持っている
どんな人でも皆、自分を癒す力を持っている。これはぼくの治療の根底にある考えである。この癒す力、すなわち患者さんの持っている心や体の治癒力をいかにうまく引き出すことができるかが、ぼくの治療の要と言ってもよい。
ちょっとしたケガや風邪程度ならば、何もしなくても治ってしまうことがほとんどだ。これは私たちの体にはそれらを治す自己治癒力が存在しているからだ。これを体の治癒力とよぶことにしよう。一方、傷が治る力は何も体だけでなく、心にも存在している。例えば、何かしらの理由で、悲しんだり、落ち込んだりすることはよくある。しかし、一度そうなったら、二度と元に戻れないかというとそんなことはない。ある程度の時間が経過すれば、どんな人でも少しは落ち着いてくるものである。これが心の治癒力である。体の傷と同様、心の傷も自らの力で癒すことができるのである。
”うつ病(うつ症状)”を”心の風邪”などというとらえ方もあります。確かにうつも風邪も罹り初めで対処(暖かくして、休む)すれば重くならず、時間が経てば治ってしまう病気です。しかし対処方を誤れば、風邪が肺炎や脳炎に重症化するように、うつ症状も重篤なうつ病に変貌します。原因となる環境を改善しないまま、ストレスを与え続け、症状を緩和するだけのクスリに頼っていると、自ら死へ追い込む病となります。それを避けるためにはまず、自らの治癒力を高めるように、環境を整備することが必要で、本来その手当も医者や病院に行ってほしい。
ぼくは、ある時からこちらがゴールを設定し、そこになんとか連れて行こうと必死になるのをやめ、〈具体的に何をしたらよいのかは、患者さん自身が知っている〉と信じたのである。すると意外にも、治療がスムーズに進み、患者さんが自分で勝手に治っていくようになったのである。つまり患者さんは最初からゴールへの道を知っているのだが、今はいろいろな事情で道を見失っている。この時医者がすべきことは、患者さんが持っている心の治癒力をうまく引き出すだけのことである。
人は病気を自分で治す力を持っています。生命が誕生してから45億年をかけて、生命を維持するための装置を積み重ねてきているのです。自己治癒力だけでまだ対応できない病気もありますが、その時でもどう対応するかのプログラムは、遺伝子に書き込まれています。神によって生まれた生命は、神の使命を全うして次の生命につなぎ続けてきました。 45億!。
病院にやってくる患者さんは、「過食をやめなくては」「病気をなおさなければ」と思い込んでいるものだ。周囲からも「そんなことをしていてはダメ」「もっとがんばれ」と言われ、それがプレッシャーになり、ますます病状は悪くなっていく場合が多い。
心療内科を訪れる患者さんは、頭と心が分裂状態にあり、そこで生まれるジレンマに悩まされている。頭では「こうあらねば」と考える。心では「でも、今はできない、そうしたくない」と感じている。この両者が正面からぶつかり合うと、お互いが一歩も引かない状態になってしまう。そこを解決するには、頭で考えることと、心で感じることを一致させるしかないのだが、普通、人間は頭で考える常識的で理想的なイメージに、自分の心の思いを一致させようとしてしまう。すなわち、「過食をしたい」と心で感じているものを、「過食はやめなくては」という考えに同調させようとするのである。
このジレンマを解決するためには、発想の転換が必要だ。すなわち、頭で考えていることに心の声を一致させるのではなく、心の声に、頭で考えていることを一致させればいいのである。「過食をしたい」という心の声に、「今は過食をしてもいいんだ」と頭の中の考えが同調すれば、両者は一致したことになる。この方がずっと簡単である。
患者さんの心の声に、まず耳を傾け、許可を出してあげるのである。その際よく使う言葉が「今のままでいいよ」である。
人生で辛い時、苦しい時は必ず経験するものです。その危機を脱する方法は、まず、現状を”受け入れる”こと。今の状況、今の自分をすべて認めて、すべて受け入れることです。過去に比べて今をマイナスと考えるのではなく、リセットした状態でゼロに置き換える。ゼロの状態で手にしている幸せに気づけば、新しい未来へ向けてスタートを切ることができます。
♪ありの~ままの~すがたみせるのよ~ありの~ままの~じぶんになるの~♪『アナと雪の女王』
「目的地」=「治癒」とは限らない
治療当初は症状があること自体が本人にとって問題となる。しかし、仮に、症状自体が残っていても、本人の中で問題でなくなれば、それが目的地であり、ゴールである。もちろん症状は全くないに越したことはない。しかしその人の解決能力の強さや現在の生活環境、ストレス社会の現実を考えれば、すべての患者さんが、限られた時間で完全に問題や症状がなくなるということは困難だ。どの患者さんも、その時期や状況における、とりあえずの現実的な到達点というものがあるはずだ。要はそこにたどり着けばよいわけであり、そこが現時点における目的地なのである。
健康でいても不幸だと思う人がいれば、重い病を抱えていても幸せを感じる人もいます。
長い入院生活で辛い毎日を送っている患者を見ると、早く病気が治ることを願わずにいられません。一方、入院生活が楽しくてニコニコ暮している患者もいます。こういう患者は、社会に復帰するよりこの方が幸せなのではないか。治療がうまくいき、病気が緩解し、ストレス社会に送り返すことになるのが、本当に正しいことなのかと疑問に思うこともあります。
「問題の解決に目を向けよう」
〈患者さんは目的地を知っている〉
そう信じて治療することが、心の治癒力をうまく引き出すポイントである。
では、一度ゴールに到達した患者さんに、新たなる問題が出てきたらどうするか。答えは簡単、今までの経験をもとに再び歩き出してもらえばいい。患者さんの持っている心の治癒力は、治療によって引き出されるが、その治癒力を最大限に発揮するのは患者さん自身である。そして、その過程の中で患者さんは、問題に対処し、それを乗り越えるコツを身につけていくわけである。
ぼくは、この繰り返しが、患者さんの成長にもつながっていくと考えている。人生をいくつもの山を乗り越える道のりだと例えればわかりやすい。人生にはさまざまな問題が山積みされている。最初から大きな山を乗り越えようとしても難しい。まずは目の前にある小さな山を越える練習から始める。最初は教えてもらいながら乗り越えてみる。その時、「どうやってこの山を乗り越えることができたの」と、人からたずねてもらえば、自分の行動を振り返ることができる。小さな山だが、乗り越えられたという経験は自信となり、ちょっとしたコツだとわかってくる。こうなれば次からの山越えは楽になり、人は成長していくことができる。
ぼくの仕事は、患者さんがつまづいた時に、「自分はちゃんと山を乗り越えてこれたんだ」という思いを引き出し、再び山を越えてもらうための手伝いをする、ただそれだけのことである。
「神は乗り越えられない試練は与えない」(コリント人への第一の手紙」の第10章13節)
弱っている人は自信を失い、問題に立ち向かう勇気をなくしているものです。そんなときは、激励や応援より、疲れた心の声をひたすら聞いてあげることのほうが、自ら泥沼から抜け出すきっかけをつかむことになるかもしれません。
疲れてしゃがみ込んでしまった人には、無理に押したり引っぱったりせず、自己治癒力で回復するまでじっと寄り添って、待ってあげるのが一番の治療になります。
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ダニエル社長著『コロナと金』 2022年09月27日
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