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明日4月1日は母の命日です。今日墓参りをしようと思っていたけど、急な出張で行けなかったから、明日必ず行こうと思います。この頃仕事中によくお袋の事を思い出します。生前にお袋がやっていた仕事をちょくちょく手伝っているので、ふと昔を思い出してしまいます。あまり親孝行ではなかったので後悔していますが3月の20日に父の米寿の祝いを子供と孫を集めて昼の会食をしました。改めて親の有り難さを感じました。自分も親になって初めて感じるんですね。今日も大阪の取引先で亡くなられた先代の社長の話をしていましたが、自分がいなくなった後の事を考えて残される人の為にやるべき事をやるというのはとても難しい事だなと感じました。自分は、嫁の臨終もお袋の臨終も見送りましたが、生前には残り少ない命を受け入れる事が出来なくてわざと会話を避けていたように思います。もっと彼女達も伝えたい事があったかもしれないしもっと話をしたかったかもしれません。そう考えると寂しくさせたかなと後悔しています。限られている命をぎりぎりまで生きる努力をする事と旅立つ準備をする事は両立しないのでしょうか…客観的に想定すると、できるのかもしれませんが実際、そうなった場合、まだまだ生きたいと強く思ったら…それでも受け入れて、残された人に伝えること出来るのでしょうか。
2009.03.31
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春になるとスギ花粉が飛び出します。そうなると…そうです…花粉症…本当につらいです…薬を飲んでもあまり効かなくてマスクにメガネで完全防備でもマスクをしているとメガネが曇る…本当に…鼻がむずむずして…鼻血が出るほど鼻をかんでます…今年はいつ頃終わってくれるかなぁ…眼鏡の曇り…なんとかならないかな…
2009.03.28
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今日の関東地方は晴れてとてもいい天気です。松戸から6号線を東京方向に車で走っていると遠くに真っ白な富士山が見えた! 今年初で富士山を見ました。とっても綺麗でした!
2009.03.11
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その後も中国の会社と打ち合わせを続け ある中国人の社長が「今晩一緒に食事しましょう!」と言ってくれたので快諾しました。「どんな料理がいいですか?」「中国に来ているので中国料理で良いです」「ただ、辛いのは不好です」「じゃあ、魚料理にしましょう!」と言っても大抵 川魚なんですが…このところ一緒に行動している変なおっさん(親しい取引先)と通訳と先方は社長と担当者の5人で川沿いの田舎料理みたいな所。かっこいい言葉で言うとガーデンテラス風、はっきり言うとホッタテ小屋…ビニールテントが風になびいています。この席では初めから白酒が出てました。私は飲めないのですが、ぐい飲みコップに2杯でダウン…後は弟分の変なおっさん彼にお任せ…その彼がとてもハイになって、「もう俺は気持ちがいい!!」「カンパ~イ!!」っと、かなり召し上がられました。そしてバリバリの播州弁で相手の中国人二人に話しかけるのですがその通訳を私が通訳して、中国語を日本語にして彼に話して、その間、通訳はバクバク食べていました。すると、私の電話が鳴ったのでちょっと退席し、5分ほどして帰ったら、通訳がパニックになってる!どうしたの?と聞いても「通訳出来ない!!」と言うだけ。さては、彼が通訳出来ない○語を言ったのかな?その後、相手の社長がカラオケに行きたいというので皆さんご同行…中国式カラオケでみなさん熱唱の嵐です。そこで通訳が僕の横に来て「もう、あなたが席を立ってから大変だったんです!」「どうしたの?」「彼が一生懸命中国の社長に話しているんですが、 私は彼が何を言ってるのかさっぱりわからない!」「だから通訳出来ないし、彼がどんなことを言っているのか 中国の社長は聞きたがっているし、しきりに私の顔を見るけど 私、彼が何を言ってるのか、全然判らない!!自信なくなった!」通訳の名誉の為に言っておきますが、通訳は日本語お上手です。しかし、しかし、相手が悪い。私の同行者の播州弁は手に負えません。彼ははっきり言って日本語自体が下手です。だから彼が話す事を僕が日本語に通訳してそれを通訳の人が中国語にする。こんな事をあほらしくてやってられません。でも彼はそう言って突き放すと「なんでや!年上の者が年下の面倒を見るのは当たり前や!」と愚図るんです。町を歩いていても「もう足が痛い!もう一歩も歩かれへん!」「休憩せんと、死んでまう!」「なんか食べへんかったら、ここに寝たるぞ!」本当に手間の掛かるおっさんです…その彼の商売を少し助けるつもりが…少しアドバイスするはずが…手取り足取りオムツまで替えている心境です…とはいえ、歳も近いし僕も言いたい放題でやっています。しかし、日本人が日本語の通訳いるって…ドンダケー!
2009.03.04
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中国人の社長と韓国料理を食べている時、給仕の人と会社の付き人がいなくなった時があったので、その時に中国の社長に言ったんです。「経営が大変だと思うけど、何とか頑張って下さい。 生き残って下さい」もちろん通訳が言ってくれたんですけど、社長もわかってくれて「うん、私も営業をしている。何とか仕事を続けたい」と、言ってました。本当に大変だと思うんです。設備関係の下請けをしていたので今回の不況はまともに影響がありますから。会社は日系なんですが、日本の社長はまったく来ないと言っていました。もちろん中国人の社長が虎の子の自費をたくさん会社に突っ込んでいる状態です。親会社の日本の会社も自動車産業と共に大きくなった関係で不況の影響はとても大きいようです。何かお手伝いできればいいのですが、出来るような状況でもなく私も経営者として他人事ではないので、本当にごめんなさいと言いました。「没問題!」広東語でモウマンタイ!(門の中が無い文字だったと)社長と固い握手をして料理屋を後にしました。今回の訪中の目的は前回輸入した商品が不良品が多かったのでそれの処理で行ったのです。初日に問題点を明らかにしてそれの改善方法の打ち合わせ。2日目に検査品のチェックとサンプル品のチェック。3日目は今後の商品展開と工場全体の改善点の話。二日目に私はタバコが吸いたくなったので守衛室の横にある喫煙所でタバコを吸ってたら工場長が入って来てタバコを吸い始めたんです。実はこの工場長とはいつもぶつかっていまして、工場の管理を任されている立場と、それを改善しようとしている立場です。皆さんお分かりだと思いますが、出来る出来ない、私の責任じゃない、これが悪い、…挙げるとキリが無いですが、結構衝突します。その彼とタバコを吸いながらふと横を見ると、昨年まで有った従業員募集の看板。いろんな職種で募集をしていました。通訳がいなかったので片言ですが、職種の意味を尋ねたり、仕事内容を尋ねたり、結構打ち解けて笑い合いました。最後に年齢制限が全部の職種で45歳までになっていたので僕(私の事)はもうだめだ と言って大笑いしました。またまた続く…
2009.03.04
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いつの間にか3月になっていました。毎日があわただしく過ぎていきます。仕事もピンチの連続でまるでジャックバウワーのようです。わかりますか?いつになったら楽になるのか…中国への出張は月に一度のペースで出かけています。今日の話ですが、取引先が名古屋から来てくれまして「突然ですが担当が福岡の人に変わります」という事です。まあ別に良いんですが、仲が良いわけじゃないので。「ところで当社に収めているあの商品…なんでホームセンターの売価のほうが安いの?」と噛み付きました。うちに卸してくれる値段より近場のホームセンターで売っている値段のほうが安いんですよ!ありえない…「いや~、あれは前任者が決めた値段でして宮崎の会社が入れているルートですね」「あの馬鹿前任者か!」「はい、彼は宮崎の会社に入れ込んでいましたからでもその会社、倒産しちゃったんですよ」「そうなの?じゃあかなり無理な価格で売ったのかな」「はい、そのことがあって前任者の仕事を引き継いだ私が責任を取る格好で担当をはずされたんです」「へ~そうなんだ。ところであの馬鹿はどうしてる?」「実は今月の20日で退職するんです」「へ~よく粘ったね、俺が社長なら3年前に首にしてたよ」この前任者は過去のブログにも書いていますが、以前私と一緒に広州でプロジェクトをやりました。あまりのいい加減差に私が途中で降りました。それ以降連絡を取っていないので本社勤務なのは知っていましたが、動向はわからなかったのです。しかし、2月に広州に行った時、久しぶりにある中国の社長と話をしてて彼の話が出てきたんです。昨年の12月に彼がお客さんを連れてきて製品を作って欲しいと依頼があったようです。そして、その後日本に帰ってから その中国の社長に今お金がないので生産する商品代金を立て替えて欲しいと電話があったのですが、社長いわくぜんぜん知らない人の仕事にお金は出せないと突っぱねたようです。それで彼は激怒して散々社長に悪口を言ったらしいんですが、過去に散々彼から意地悪をされた社長は彼の頼みは聞かないって言っていました。その日久しぶりに社長と一緒に食事して韓国料理をご馳走になりました。工場を見ても在庫が積みあがっているし、人気はないし、人目で大変な状況が見て取れました。でもここは中国だからといって全部おごってくれました。あとは続きに…次回、いつ書けるかな
2009.03.03
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