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今日、定例の年度末面接があり、上司に退職希望のあることを伝えた。
名目は、年金制度が改悪される中で、再雇用の期限の65歳を待たずに70歳過ぎても働ける職場を探して転職したい、という言葉で。
退職したい、というだけで、今の職場でこれ以上無理な働き方をしないで済む、という一種の安ど感が起こり、口走る前までの重い心がすっと消えていった。
過去と他者は変えられない、と考えているので、周りの人を変えようとは思わない。自分を変えることで場への適応をしていくことができるときもあるだろうが、一メンバーである以上、早々他者に影響力を与えることもできない。職場というものは不思議なもので、一定の力のある人がある方向に誘導してその勢力が大きくなると、それと違う方向を目指していくものに対して風当たりが強くなる。
現場の問題で言えば、「褥瘡が発生したらなぜ褥瘡が起こるかをアセスメントして、単に傷の手当だけをしない」ことは、常識に過ぎないのだけれど、医師の指示で傷の処置だけを続けて褥瘡が悪化しても外用薬を変更するだけで終わっていく。ベッドやマットレス、排せつ用具などの変更を提案すると、主治医は必要がないと言っている、と却下する。終末期の患者さんの訪問回数が増えることについても、もう余命は一週間もないのに、「いけない日もある」とつれない返事。ちょっと無理をすればできないことはないのだけれど。訪問時間が10分ほど超過すると時間内のやれと指示をするのに、1時間の約束の訪問を35分で終えていることは問題にしない。
などなどが相次ぎ、これ以上ここで働けない、と決意した次第。
昨年の5月頃より、ずっともやもやしていたが、やめることを決意すると、本当に嘘のように頭も体もすっきり。
あと半年で63歳になるのだけれど、この年で新たな職場に進むことの大変さは十分に承知しているし、体力と気力が持つかどうかも分からないのだけれど、自分がYESといえない職場の方針に黙ってついていけないので、もうやめるしかない。でも、寂しさが湧き起こらない。自分自身の問題でもあるのだけれど、でも自分を殺してでも働こうと思えないので、「これまで」なんでしょうね。