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庭に去年までなかった雑草が育っています。風に乗って飛んで来たのでしょうか。その中に一種類、種を採ってきて蒔いた雑草があります。ポピーによく似た花で鮮やかなオレンジ色です。毎年道端に咲いていたのですが、我が家にはブロックの塀に阻まれて侵入出来ません。そこで去年の秋、種を採取して庭に蒔いておきました。幸い芽が出て花が咲いたのですが花びら何故か小さめです。写真の花が最初に咲いた小さい花です。名前も知らない雑草ですがかわいい花が咲き、楽しませてくれています。上の真ん中の花が種を採取して植えた雑草です。真ん中はタンポポで踏まないように注意していました。右は蛇イチゴ?赤い実になります。最近庭に仲間入りしたのが金魚です。熱帯魚の餌として売っていたのを買って四,5年になります。室内で飼っていたのですが病気になって生き残ったのがこの一匹だけです。水草と苔で水槽の浄水器は要らないだろうと外に出してしまいました。もう二ヶ月になりますが元気に泳いでいます。越冬対策を考えなくっちゃいけませんね。
2008年04月30日
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上の花はハナカンザシです。花の咲いている期間がとても長く2月ごろポツポツ咲き始めまだ咲いています。櫻の花見に追われて書くのが 少々ずれてしまいました。初めて球根を買い求め説明書きを読みながら植えました。雪をかぶりながらも成長してくれました。経験がないので、芽が出るまで気になって気になってしょっちゅう地面を覗いていました。水仙の一つが芽を出した時は頑張ってるねと声をかけたほどです。最近の新種なのか変わったチューリップです最近見かけない蓮華畑に出会いました。伊丹市が管理していて畑には「立ち入り禁止」の札がありました。 季節は春です
2008年04月26日
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上は大川で左岸は中之島、天満橋からの眺めです。右岸の手前はズート河川敷で遊歩道になっています。この川に沿って造幣局があります。先日は八重桜の豪華さを並べましたが チョッと変わった櫻達です。一本の太い幹の櫻から枝とは言えない様な太い枝が同じ高さ位から見事7,8本横に伸び出た変わった櫻の樹です。江戸時代、旧藤堂藩蔵屋敷(泉布観の北側)で里桜を育成しており、造幣局は敷地とともにその桜を受け継いだと言われています。菊の紋章のような飾りが入っている門柱です。泉布観とは明治天皇がお泊りになった館で門の中にはお手植えの樹があります。 通り抜けの櫻と並んで造幣局の工場や局舎が建っています。 造幣局の櫻の中で最も派手やかな花を咲かせていたのは左の綾錦でしょうか。豪華な花でした。今年はお花見に行く機会が多い年でした。お付き合い有難うございました。
2008年04月23日
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久し振りに「通り抜け」に行ってきました。 「通り抜け」とは、「桜花縦覧のため表門(現在は南門)から入り、造幣局構内を通って裏門(現在は北門)へ抜ける」、つまりは文字どおり構内を通り抜けることが、その名の由来です。「あともどりできない通り抜け」がいつしか「通り抜け」という固有名詞となっています。造幣局の構内敷地に遅咲きの珍しい八重桜が、全国から移植されています。造幣局本局はここ大阪の天満にあり、支局が東京、広島の2ヶ所にあります。本局は明治4年造幣寮として創設され、明治10年造幣局に改称一時造幣庁に再び造幣局になり現在に至っています。 貨幣の鋳造とメタルの製作で、原料の購入に便利な様に三菱金属の近くに 創設されたとも聞いています。 毎年4月中旬頃の桜の開花時には、造幣局構内旧淀川沿いの全長560mの通路を一般花見客のために1週間開放しています。現在構内にある桜は、関山、普賢象、松月、紅手毬、芝山、黄桜、楊貴妃など約120品種、約370本を数えていますが、大半は遅咲きの八重桜で、満開時の美しさはたとえようもなく、明治16年に開始した「通り抜け」も昭和58年春 には100年を迎え、今では浪速の春を飾る風物詩として、人々に愛されています。明治16年、時の遠藤謹助局長の 「局員だけの花見ではもったいない。市民とともに楽しもうではないか」との提案により、構内の桜並木の一般開放が始まりました。 江戸時代、旧藤堂藩蔵屋敷(泉布観の北側)で里桜を育成しており、造幣局は敷地とともにその桜を受け継いだと言われています。桜はそこから移植され、品種が多いばかりでなく、他では見られない珍しい里桜が集められていました。通り抜け順路は、当初、川崎通常門(現在の南門)から裏門(源八橋西詰)まで約1キロでしたが、明治31年に現在の北門付近までの約560 メートルに短縮されました。 なお、開始当時から一方通行であることに変わりはなく、進行方向も途中南向きであったことを除き、北向きです。 大正時代に入ると花見客も増え、大正6年には約70万人を集めて戦前最高を記録しました。重工業の発展期、煤煙により桜が枯死する 事態が起こりました。桜は大気汚染に弱く、外部のコンサルタントの手を借りるなど維持管理のための努力は当時から並々ならぬものがありました。第2次世界大戦が勃発し、昭和17年中止されるに至りました。戦禍は造幣局にも及び、昭和20年6月の大空襲では約500本中300本の桜が焼失しまた。 その後、通り抜けの復活に大きな努力が払われ、 昭和22年ようやく再開の運びとなりました。順次桜樹の補充が行われ、昭和26年には夜間開放(夜桜)も始まりました。現在構内にある桜は、関山、普賢象、松月、紅手毬、芝山、黄桜、楊貴妃など約120品種、約370本を数えていますが、大半は遅咲きの八重桜で、満開時の美しさはたとえようもなく、明治16年に開始した「通り抜け」も今では浪速の春を飾る風物詩として、人々に愛されています。 沢山貼り付けましたがまだほんの一部分でしかありません。平成20年4月19日の撮影です100年を超える丹精込めた櫻大阪の春の風物詩としてご紹介です。
2008年04月20日
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4月5日の薬師寺さんのことはmegumegu001さんのブログでどうぞ。翌4月6日は1月に早々と決めたお花見兼クラス会の日。櫻便りに一喜一憂し天気予報に心曇らせる日が続きましたがなんとバッチリ櫻は満開、週間予報がずれて思ってもいない晴天。集まったクラスの人達に大変喜んでもらえたのが何よりでした。場所は奈良県大和高田市の街中の川、高田川堤です。近鉄吉野線高田市駅から近鉄大阪線大和高田駅に亘る約1,5kmの間の両岸に植えられて50年以上経っているそうです。花の付き具合が普通のソメイヨシノとは違い花がかたまって付いているのでそのにぎやかなこと、見事としかいい様がありません。お花見に行けなかった人、まだ咲いていない地方の人はどうぞ。来年も無事ここでお花見が出来ることを祈っています。
2008年04月10日
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4月5日娘の誘いで久し振りの奈良へ。目的は薬師寺の修二会花会式。薬師寺の前に法華寺に。十一面観音が開扉中で是非拝観したいと強行スケジュールでした。 駆け足で法華寺を後にして薬師寺へ。昼食、お点前、写経、和食の夕食後今日の目的の金堂へ声明が厳かで、素敵で今も耳の底に留まっています。続いて鬼追い式です。松明の火種の点火儀式お松明の火を消した竹をお守りに配って下さいました。 境内の櫻は満開で塔を背景にパチリ根尾の薄墨櫻の株分けがありました。思いもかけない儀式に誘ってもらい生きていてよかったと感謝です。
2008年04月09日
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