2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全3件 (3件中 1-3件目)
1
出産から12日が経過。ようやく母子ともに退院することに。はじめのうち、とても淡白だった病院食も、次第に豪華で栄養満点な料理になっていったようだ。手続きをすませて、車で実家へと移動する。この子にとって初めての外界ということになる。見ない間にずいぶんと色白になった。生まれたばかりの頃の顔の赤みもむくみもとれてきた。目もぱっちりと開くようになって、とても愛くるしさがましてきた。周囲の人は、僕にも、妻にも似ている、と言う。そりゃそうだ。けれど、それはとても大事な意味がある。これが家族なんだなあ、というつながりを実感する。僕が生きる意味、働く意味、家族を持つ意味、というのを子供の存在が急にそれらの答えをもたらすような、そんな不思議な自覚を思い起こさせる。僕は僕のために生きているのではない、とひょっとしたら生まれて初めて考え始めた。子供の顔は見ていて飽きない。笑っていたかと思うと、突然しかめ面になったり、泣き出したり、寝ちゃったり、それはとても面白い。まだはっきりと目が見えていないというが、どうもこちらを認識はしているようだ。拍手をすると、その音に気づいて顔をそちらに向けるのが分かる。一つ一つ、反応というものを身に付けているのだろう、ということを僕と、そして子供と一緒に確かめ合う。家に戻って撮ってきたデジカメ写真を使って、いろいろとカードを作ったりする。とてもいい。うん、かわいい。もっといいカメラが欲しい。たぶん親バカになりそうです。
2003.03.25
コメント(0)
週末、病院に行こうと家を出る直前に会社より連絡が入る。いずれにせよ仕事で寄るつもりだったので、先に会社へと行く。なんだかんだで、面会時間の終わる夜8時をすぎてしまう。うーん。とりあえず病院へ向かうことに。駅までの道すがら同僚と、東京と地方の田舎の違いを語り合う。田舎にいた頃は、「空がとても近かった」んだそうだ。東京というのは、空までの距離が感覚的に遠く感じられる。というのも、自分がいて、そばに家があって、それより高い建物があって、ビルがあって、東京タワーがあって・・・なんて順々に高みを見上げて、やっと目線が空まで到達する。でも、田舎では自分がいて、すぐそばにもう空がある。東京では自分自身の存在を、何かと比較するように間接的にしか捉えることができない。でも田舎ではおそらく自分自身と空、宇宙の関係を感覚的につかみとることができるかもしれない。人というのは、「感じること」と「考える」ことを両立できるからこそ人なのだと思う。都会の中で「感じること」を忘れてしまうのはとても淋しいことだ。そんなことを考えながら歩いていると、たまたま恵比寿ガーデンプレイスのそばをさしかかっていて、まるでテーマパークの中のようだった。自分は地球に生きているのではなくて、テーマパークの中でうごめくゲームのコマのようだ。やっとのことで病院に到着するも、10時をすぎていて、入り口は時間外受付のみ。慣れている人ならばなんのことはなく出入りしているそうだが、救急で来ているのであろう家族の後ろを隠れるように潜入する。夜の病院はかなり怖い。暗闇の中、廊下を歩くのは相当怖い。呼び止められるのも嫌なので、ナースステーションの前を通らずにすむ階段から部屋へと接近する。もし僕が犯罪者だったら突破はカンタンなもんだ、と不謹慎なことを思う。病室に入ると妻が赤ん坊に母乳を与えているところだった。しばらくすると娘は疲れたのか、ぐっすりと寝てしまった。部屋に置いてあるビデオカメラ、APSカメラ、デジカメ、ケータイカメラ、とりあえずありとあらゆる方法を駆使して記録してみる。少しずつ顔が変化している。どうにもやんちゃらしくて、生後1週間にして、顔中、傷だらけ。。声は聞こえているらしいが、目はまだ見えていない様子。声のするほうに顔を向けるが、目はちょっとうつろな感じ。妻が「もう笑うんだよ」と教えてくれる。寝ている間にも、たまに笑みを浮かべている。楽しい夢を見ているんだろう。まだ、とても、とても小さい。次の日、昼から病室で過ごす。娘は、お腹がすくと、涙を流さずに泣いてアピール。ミルクを与えるとおとなしくなり、飲み疲れると、ぐったりと就寝。たまにむにゅむにゅ声を出し、しばらくするとおもらし。そんなパターンを繰り返している。ああ、とても老人に似ていると思った。否、老いるということは、確かに童心に返ることなのだろう。娘の顔を見ていると、それは0歳なのか、100歳なのか、人間にとっての両端にいる存在そのものの気がした。人はたぶん絶頂まで大人に行き着いたら、再び若返っていくのだ。老いることは、もしかしたらある意味幸せなことかもしれないと初めて思った。それはとてもピュアな意味だ。妻と子供の育て方について、いろいろとシミュレーションしてみる。まるで親のわがままな知的遊戯だ。でも、僕は一つのことしか望まない。何をして欲しい、何になって欲しい、とは思わない。「様々な判断材料を集めて自分自身の意思でしっかりと正しい選択肢を選べる」人間でいてくれさえすればそれでいい。あらゆる世界、あらゆる時代においても生き抜くためのとても大切な要素だと思う。
2003.03.16
コメント(0)
それは稀有な経験だったと思う。辛くて苦しんでいるのを見ても、僕には何もしてあげられない。せいぜい言葉をかけたり、体をさすってやったり、ただそれだけ。しかもその苦しみは治まるべきではなくて、ゴールにいたるまで継続しなければならないのだ。だから、あえてその辛さに同情したりすることもなく、むしろ笑顔で励ましてあげるべきだ。3月9日午前3時。妻の実家に滞在している僕のところに病院から電話が入る。妻は2日前に入院し、軽い陣痛促進の治療をうけていた。昨日は薬ではじめての陣痛を体験し、その際にはベットでうんうんとうなりながらも、なんとか痛みに耐えていた。病院の看護婦や先生には、「まだまだですね~」なんて軽く一笑に附されていた。深夜からはじまったのは本当の陣痛で、むしろ昨日の治療が功を奏したと言えるので、いよいよだな、と思うと緊張とともに喜びも感じる。妻はベッドの上で痛みに耐えながら、冷や汗をうかべていた。深夜の病院に人は少なく、看護婦も数人。偶然、その直前に外から陣痛のはじまった女性患者が運ばれていたらしく、隣の治療室からもうめき声が聞こえる。「あちらは二人目だから、おそらくすぐに産まれるけどね」なんて、助産婦の看護婦が教えてくれる。1時間後にお先に誕生したらしい声が聞こえてくる。妻の陣痛はますます激しくなり、母親から「帝王切開の方が痛みもなくて、いいんじゃないか」と言われていたこともあり、途中から、「もういいから、帝王切開にして」と痛みに耐えかねてつぶやきはじめた。そのたびに看護婦から「がんばれ、がんばれ」と何度も励まされる。全身に響く痛みをやわらげるため、ただひたすら腰やお尻、お腹を力をこめておさえてやる。陣痛の痛みは胎児がぐいぐいと体を押し下げる痛みだということで、それをうまい方向に支えるように力をこめると痛みが多少やわらぐようだ。そのマッサージをしてやるのとやらないのでは、相当に痛みの感じ方が違うらしい。まずは「朝まで」と言われ、午前8時頃の診察まで一緒に耐える。時間の経過がもどかしい。お腹につけた機械の電針がハリの具合を伝えてくれるので、「来る」という合図とともにマッサージを開始する。「まだまだ」と先生に言われ、今度は昼頃まで耐えつづけることに。最初は、「もういやだ」、あるいは痛みのあまり「切るなら切れ!」と男言葉でまくしたてていた妻だったが、その逃げたい気持ちが看護婦の「子供も頑張っている。お母さんも頑張らないと」という励ましで変化していくと、次第に顔つきもぐっと強くなっていく。それにしても今回、何よりも感動したのは、これら病院のスタッフのみなさんの献身的な努力。本当に彼らの言葉や身振り手振りの様には感謝のしようがないほどに救われ、仕事なのだとは言えど、みなさんの暖かい心や愛情を感じた。病院によって違うのかどうかは分からないけれど、環境的にはかなり恵まれたと思う(若い看護婦さんも素晴らしかったけれど、ベテラン看護婦の技や励ましはこの上もなく貴重です。病院選びには一番大事な要素かも)。さらに耐えつづけるも、午後2時頃、陣痛の勢いが確かではなく、かつ子供の体が相当に大きく、しかも方向が良くないということで、最終的には帝王切開を試みることになる。それでもこれまで支えてくれた看護婦さんは「これまで耐えた痛みは決して無駄にはならない。その分、元気な赤ちゃんが生まれる」と言ってくれた。午後3時頃、手術室に入り、僕と妻の両親は廊下で終わるのを待つ。間違いはないと思ってはいても、やはりその雰囲気が緊張を強める。時計を何度も何度も確かめてしまう。2003年3月9日 午後3時39分まるで約束されていたかのような日時に、娘は誕生した。3676g。予想の通りの大きな子供で、生まれた瞬間からひたすら泣きつづけていた。その後もずっとずっと手足をゆすって泣いていた。看護婦さんの予言通り、とても元気な子だった。顔がぽちゃぽちゃとふっくらしていて、「でぶな子だな~」と先生に言われてしまうほどだった。うん、確かに(今は)太ってるかも。でも何よりも元気なことは大きな安心だ。誕生は感動より安堵の方が強かった。自分の子だ、という実感もなかなか沸かない。まだまだこれから、むしろこれからずっと。その日は妻を病院に残し、焼肉店でお祝い。深夜からほとんど飲まず食わずだったので、本当においしかった。次の日、ぐっすりと寝てから面会に向かう。はじめて我が子を抱いてみる。軽いのだけれど、重いという実感。泣きはらしてはれぼったい顔もやや落ち着いてきている。病室にいる間は全く泣いたりもせず、とてもおだやかだった。フラッシュで写真をとると、まぶしそうに目をまばたきさせた。手術直後のため動けない、母親となった妻はうれしそうに枕もとに置いた我が子をなでた。子供の成長はとても早いらしい。その歩みをしっかりと記憶に焼き付けることができるかどうかがこれからの課題である。
2003.03.09
コメント(7)
全3件 (3件中 1-3件目)
1
![]()

![]()