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治療法が無いと言われて・・・その350代女性患者さんの場合この患者さんの場合は、ちょっとニュアンスが違います。お付き合いをしていたのは、患者さんの娘さんでした。スキルス発覚後、手術をしましたが残念ながら再発・・・再発後、主治医は積極的に治療をしようとはせず、これを不満に思った彼女は積極的に抗癌剤治療をしてくれる病院を探し出し、母親を転院させました。抗癌剤治療こそが延命に繋がると信じた娘さんは、積極的な治療に賭けたのです。抗癌剤治療はクールが増す毎、又薬剤が変更になる毎に辛さが増してしまう事があります。この患者さんはそうでした。患者さんである母親が、どれだけこの病気を理解していたのか、そして自分の状態を理解していたのか、それはわかりません。タキソールがCPT11に変わる頃には、この患者さんは抗癌剤治療にギブアップ寸前でした。副作用の辛さに我慢の限界を感じたこの患者さんは、娘さんのいないところで主治医に治療を止めたいと願い出ました。主治医も治療の限界を感じ始めていたのだと思います。抗癌剤治療はご本人の意志なくては出来ない治療で、ご本人が望まない治療を無理にする訳にはいきません。ほどなく治療停止の旨が娘さんに告げられました。慌てふためいたのは娘さんです。何の相談もなく、母親は治療終了を決めてしまったのですから。この時に相談メールが届きました。治療を止めたからと言って、必ずしもすぐ死がやってくるものでもない事。又、患者さんの状態如何では治療自体が逆効果になる場合もある事。そして何より、患者さんの命や人生はやはり患者さんご本人のものだから、ご本人の意志を尊重すべきだと思う事。患者さんは家族の思いに応える為に、自分を抑えて我慢してしまう事も少なからずある事。これらの思いを話しました。これらは単に一つの意見でしかなく、どれだけこの患者さんに当てはまるのかはわかりませんが。ですが治療を止めれば、すぐさま「死」がやってくる不安にかられた娘さんは、血液検査結果から治療自体は出来る状態なのだと言います。辛い副作用が続いたから、本人は衝動的になってしまったのかもしれないと。だから、諦めたくはないのだと・・・ここで諦めてしまっては、母親を失う事になってしまうと・・・嘆きました。この気持ちも、もっともで充分わかります。どちらを選択しても後悔が残るような状態でした。そして、彼女は母親に治療再開の説得をしました。お母さまは、彼女の思いを受け入れ又治療をする事にしました。充分に話し合ってのそれこそ命がけの結論ですから、これも尊重すべきだと思いました。再度の治療が延命に繋がる可能性だってもちろんあるのですから、是非奏効して欲しいと思いました。この命を賭けての選択・・・吉と出て欲しいと思いました。ところが、この賭けは凶と出てしまいました。この最後の治療が引き金になったのかどうか・・・・それは神のみぞ知るところです。娘さんは自分が母親を殺してしまったのだと、自責の念にかられました。貴女のせいじゃないと、何度言ってもダメでした。自分のせいだと言ってききませんでした。それでも、この患者さんは真摯に自分を愛してくれるこの娘さんの思いが、やはり嬉しかったのだと思います。この愛情に命がけで応える事が、まさにこの患者さんの生きた証とも言えるのではないでしょうか。結果だけが全てじゃありません。そして、患者サイドの希望をここまで取り入れて治療に望んでくれたこの医師・・・素晴らしいと思いました。ユカさんへまだ、アドレスが届いていません。再度、「メッセージを送る」からお願いします。
2007年07月06日
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治療法が無いと言われた、60代前半男性患者さんの場合2~3年前の話です。娘さんから相談メールを頂きました。病気発覚時からメールが届き、娘さんもかなり動揺した様子で届くメールの時間は真夜中だったり、明け方だったりでした。突然、電話がきたこともありました。この患者さんは、手術不可の状態で病気がわかりました。ある大きな総合病院の患者さんでした。癌専門病院ではないけれど、元は癌専門病院にいた医師が何人か在籍している総合病院で、この方の住んでいる県では中枢と言える病院でした。化学療法を始めましたが奏効があまり芳しく無かったと記憶しています。抗癌剤治療の奏効率は決して高いとは言えません。飲めば必ず治まる鎮痛剤のような訳にはいきません。それに、即効の薬もありません。副作用というリスクを負いながら、時間をかけて様子を見なければならない治療です。ガイドラインの治療を経て、治療法が無いと言われてしまいました。この時は、腹水でお腹がパンパンに張っている状態でした。腹水が溜まると、栄養も損なわれるからと抜かない医師が結構多いです。私の父も1度も抜いた事がありませんでした。病気発覚からさほど時間が経っていない事もあり、到底諦めたくは無い思いが大きく、娘さんは治療法を探し始めました。残念ながら、病状が悪化すると病人は病院を選べなくなるという現実があります。患者さんが、病院や医師を選べるのは回復が見込める状態の時だけ・・・・これが、残念ながら医療の現実です。未だ何かあるかもしれない治療法を探し出しても、それを請け負ってくれる病院や医師がいなければ意味がありません。ましてや、患者さんの状態が悪い時の抗癌剤治療は、医師の経験と技量と度胸も必要です。患者さんの状態が良ければ試せる治療も、悪い状態では逆効果になる事もしばしばです。治療に当たる医師だって、不安が無いハズは無いと思います。正直、この患者さんの状態で治療を請け負ってくれる医師や病院を探すのは、とても困難だと思いました。腹水が溜まったのなら腹腔内化学療法もあるけれど、この方の居住地近くでこの治療をしてくれる病院が思い当たりません。この治療だって当然副作用もあるし、逆効果にだってなるかもしれない治療である事は同じです。「現実問題として病院探しはとても困難だと思いますが、探す前から諦めてしまうのでは後悔が残るでしょう。私自身もそうしましたが、データ持参で片っ端から病院を探すしか無いと思います。」と返事しました。そして、彼女は請け負ってくれる病院を探し出しました。彼女の義父がある大学の医学系の教授であった事もあり、もしかしたらコネがあったのかもしれません。・・・・つい、こんな風にひねくれて捉えてしまう程、現実は厳しいのです。例えコネでも何でも請け負ってくれる医師がいてくれた事に、感動すらしました。
2007年07月04日
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昨日書いた「治療法が無い」と言われた40代女性患者さんの話の補足を。スキルスで手術を受け、1年後に再発。この間も再発予防の為の補助化学療法であるTS-1の服用をしていました。それでも、残念ながら再発してしまった患者さんでした。再発してタキソールを始め劇的に効いた訳では無いけれど、進行性の胃癌ですから進行しないという事が奏効しているとも言える訳で・・・腹水が溜まった訳でもなく、骨に転移した訳でもなく、ただ腸閉塞の兆候が出たというだけなのに治療中止は早すぎる!!と私個人は思ったのです。そもそも、それまでに使用した薬剤はTS-1、シスプラチン、タキソール・・・確かこれだけだったと記憶しています。最初の主治医をとても頼りにしていて、主治医が変わる事にとても不安を感じていました。春の定期的な移動に、たまたま彼女の主治医は当たってしまったのです。そして、主治医が変わった途端に「治療に効果が期待できない」と言われてしまいました。彼女にとっては、TS-1単剤でもかなりきつかったようです。抗癌剤治療の副作用の出方は、患者さんによって大差がありますし、辛さの感じ方も人それぞれで基準などありませんが、彼女にとっては辛い治療でした。だから開放されたかったのでしょう。ここまでの経緯に到るまで、彼女との間には友情が芽生えていましたし、私自身もまだ頑張って欲しいと願った、彼女の周りにいる人の一人でした。それでも、あの時の彼女には「頑張れ」は言えませんでした。でも、結果的に「頑張れ」を言えなかった私が治療再開に向けて背中を押した形になりました。その後の経過は昨日書きました。緩和ケアをお願いした小さな内科だけの病院から、外科がある病院に転院したのです。奮起して再開した化学療法は、特別な治療ではありません。タキソールを再開し、その後はCPT11へと移りました。治療の辛さも増していったけれど、辛さを知ったゆえに得た幸せがあり、そして悟りの境地さえ開いた彼女でした。
2007年07月03日
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今日あたりは良いけど、暑い日が続くと本当に困りますPCを使える時間が限られてしまいますから・・・(過去に熱でハードディスクを焼いた経験2回あり)先ほど、自宅で仕事となった主人とハードオフへ行って来ました。我が家には主人が組みあげたPCの本体が4~5台、転がってます。いかに安く(ジャンク品ばかり)、性能の高いPCを組み上げるか!というポリシーを持っている人なんで、案外やっかいです昨日も熱で仕事用PCのキーボードが壊れ、100円のジャンク品を買って来ました~他にも、私の目から見るとガラクタばかりを購入・・・ホント、私には理解不能の世界です。でもこーゆートコへ行くと、昔の音楽CDが捨て値で売っていたりして、これを探すのが好きで一緒に行くんですけどね~「もう治療法がありません」こう、言われましたというメールを今まで何人の方から貰ったか知れません。同じ言葉でも、患者さんの状態はまちまちです。素人の私から見ても、いくら何でも未だ早いんじゃないか?と思える患者さんもいますし、さすがにもう厳しいのでは?と思う患者さんもいます。そんな患者さんの何人かの症例を数日かけてご紹介したいと思います。ある40代の女性患者さんの場合術後に再発した彼女は、抗癌剤治療に疲れていました。そんな時に腸がもう殆ど動いていないし、もう治療をしても効果は期待できない・・・・こう、言われました。有名な大学病院の患者さんです。でも、彼女はまだまだ体は元気でした。自由に動き回れるし、未成年のお子さんもいます。主治医の移動の時期と重なった事もあり、新しい主治医に代わった途端、この言葉でした。副作用に嫌気がさしていた事もあり、彼女は案外この言葉をすんなりと受け止めました。もう、あんな辛い副作用とはおさらばだと思うと、気が楽だったようです。正直、この話を聞いた時は「未だ早い!!」って思いましたが、どんなに周りが頑張って欲しいと願っても、辛い思いをするのは本人です。本人の気持ちが最優先・・・・ご家族もご本人の意志を尊重しました。大学病院から緩和ケアの小さな病院に移り、通院が始まりました。ここの医師は、緩和ケアを得意としている事もあって穏やかで優しい医師でした。不安な思いをまっすぐに受け止めてくれて、時には手を握って安心させてくれると、彼女はこの医師を気に入っていました。ですが、どんな体調の不調を訴えても鎮痛剤しかくれません。緩和ケアですから、これは当然なのですが、体が自由に動く彼女は次第に不満になり再度治療は出来ないものかと、少しずつ思うようになったのです。そして、再度奮起しました。思い切って転院し、治療の再開です。緩和ケアにいた頃が丁度良い休薬期間となったのか、再開した治療は良く奏効してくれました。もちろん、又、辛い副作用が始まりましたが彼女は耐えました。そして、積極的に旅行をしたり、お子さんの学校行事に参加したりと、一度諦めた人生を謳歌しました。辛い思いも沢山しましたが、彼女にとっては改めて奮起した事で楽しい思いも沢山出来たようです。やっぱり、あの治療終了は早かったのだと、つくづく思った患者さんでした。
2007年07月02日
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