ママのたからもの

ママのたからもの

2019.09.06
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久々に振り返って読んでみた。

https://plaza.rakuten.co.jp/syougai/diary/200607070000/comment/write/#comment
最低最悪の心理士と療育:母悪いといわれたようなもの


なんと、余裕がない私号泣

(そしてなんと母親に寄り添ってくれなかった心理士と指導者)


実際、合う合わないがあるので、何カ所か通っていたので、あちこち通うのは良くないと言われた。

(→でも、通わずにはいられないかった)

早期療育をさせたかったし、何もしないで時がすぎるのが怖かった


今の私なら、息子に一番あった方法で、自分なりの療育をしてあげられる!

でも、当時は、新米の親であり、新米のADHD(と思われる)子どもの母であり。

精神的には追い詰められていた。(何せ、家族誰一人、理解者がいなかったので)


 今、電車で、親子連れをみると「お母さん、大変だなあ。がんばってるね」って思う。

健常児のお母さんだって、目いっぱいでしょう。

子供を育てるって、それも小さい時なんて、ほんといっぱいいっぱいでしょう。

療育の時、先生が、

「お母さんも大変でしょうけれど、一番大変なのは当事者のお子さんですから!」

なーんて、よく叱責された。

ブログでも、親身なご指導を頂いてものである・

でも、今思うことは、あの時、療育に行ったのは、

「親としての私を助けて。どうしたらよいか教えてほしい」という気持ちが大きかったのかもしれない。

週に1回、1時間、療育指導をして頂いても、目を見張る変化があるわけではない。

親子で家に帰ったとき、少しでも生活しやすくなる潤滑油をさしてくれることが必要だったのだ。

親に、子供への接しかたのヒントをもらえる。

子どもを客観的にみてもらえる。

それが欲しかった。


将来、ADHDの子は、普通に学校に行って、普通に生活していかねばならない子は殆どなのである。

愛の手帳もないし、療育や病院や施設、誰かがずっと守ってくれるわけではない

ましてや、中学生・高校生になったら、療育ではなく、まさしく勉強・交友関係、沢山の課題に直面し、

本人・そして親子で乗り越えていくのである。

親子の関係を築く大切な幼少期に、親を支えてくれる場所が必要だった。。のに…


今、街の中で、親子をみると、「お母さん、頑張っているね」と心の中で応援してしまう。

周囲が、お母さんを優しく支えることができれば、お母さんは余裕ができる。

子どもにとって、マイナスはないのになあと、思いながら…

幼少期の療育での数々の辛い出来事を思いだす。

追い詰められていて、かなり精神的におかしかったけれど…、

(手厳しい本当の)アドバイスを頂いたのは、

今思えば、息子にとって、プラスになったことは少なかったなあ。

(いえ、なかったわけでは決してありません…でも、私は疲れきっていたのですね、当時)


今の療育は、だいぶ変わってきているのでしょうね。

でも、もしつらい思いをしている方がいらっしゃるとしたら…

お母さんが少しでも安心できる場所をみつけられたらいいなと…祈っております。


私達は、今は、幸せです。(あとの心配は受験のみですね)







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最終更新日  2019.09.06 19:44:07
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