神
木、御浜町 志
原、熊野市金 山
町は
私が生まれる少し前までは一つにの村で 神志山
村でした
今は熊野市と御浜町と行政が違っても、生活圏は同じであり
親戚関係のつながりもあり、様々な行事もよく似ています
ただこの神志山村という名詞
神志山駅と神志山小学校くらいしか残っていません
※現在の熊野市久生屋町の方も昔は、神志山小学校に通学していました
その御浜町神木
昔は林業で栄え、昭和30年台からは 御浜焼(窯)
熊野市金山町も
昔は林業が主な産業だったと思います
そして昭和30年台後半から、 金山パイロット開拓事業
が始まりました
最初は、御浜町神木との境界付近から開拓され、山には24時間ブルトーザーの音
開拓事業の区切りごとに法人をつくり
第7か第8法人まであったような気がします
その都度株券を発行し、多くの金山町民が買ったものです
今は会社組織になっていますがね
神木の御浜焼、金山のミカン農園
よく似た時期に、県や国の支援を受け事業が始まったのですね
熊野のオレンジホテル、尾鷲のサンポートホテルともに運命は似ています
金山パイロットは、規模縮小をして頑張っていますが
御浜焼は、約15年位前に終わりました
写真は、御浜焼(窯)の現在の工場の風景です
寂しいものですね
紀勢窯業から株を購入し御浜窯業(株)に、
そのあたりから、金山パイロットも、ゴルフ場やなんやかんやの話が・・・
最終的には、県が建てた熊野倶楽部という宿泊施設に
農園一部が替わってしまいました
金山パイロットも神木の窯も、地域の経済を支えたのです
農協が潤い、運送会社が潤い、観光業者が潤い
女性の雇用が多く
収穫時期だけの現金収入が毎月になった事も
女性の地位向上になったようなj気がします
※参考
御浜窯、近くの山で陶石がとれ 鉄分の多い赤みがかった土でした
釉薬を塗り焼くと、黒やブルーに発色し濃いきれいな焼物だったのです
約50年ちょっと前
小学校の卒業遠足は潮岬、別の日に御浜窯で卒業記念の皿焼き
私は、お皿に努力と書きました (約30年前に割ってしまいました)
文字が茶色でまわりは黒色の飾り皿
行きつけの喫茶店では
御浜焼きのブルー色した重みのあるコーヒーカップを使っています
御浜窯の工場の土地を提供された方
県の窯試験場
そして解熱鎮痛剤のノーシンを世に出した会社の社長さん(ニチエー)
そして御浜町
多くの皆さんの努力でできた窯工場
今後、熊野にも御浜にも工場なんて建たないでしょうね
熊野の活気は昭和30年~昭和50年位で終わったので・・・
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