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みつ☆1970

みつ☆1970

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2004.08.06
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カテゴリ: カテゴリ未分類
日記に取り立てて書くことがないので、ここで、たまにみつ☆がどういった人間か知ってもらうために、自分のことを語っていこうと思います。

多趣味でいろんなことに興味を持つのだけど、熱しやすくて覚めやすいので、全てにおいて中途半端なんだよね~。

ま、今日はその第一部ということで、私の人生で本気で目指した道をご紹介致しましょう。



いつからだろうか。
子供の頃から、芸事が好きだった私。
恐らく味を占めたのは、今思えば幼稚園のお遊戯会のアヒルさんからかもしれない。
ヤンヤヤンヤと自分の子供が出ている親たちがちやほやはやしたて注目を集められたのが幼心に優越感があったのかもしれない。

当時大流行した宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」を母と二人で見に行ったのも丁度この頃だった。
豪華絢爛な舞台にワッカのドレス。光まばゆいスポットライト、大階段。歌、踊り、お芝居。何もかもが夢のようだった。

舞台に上がって何かをするってことが凄くやってみたくなっていた。
ならば手っ取り早い、いわゆる皆の注目を集める習い事の「発表会」ってやつはどうだ!
でもいまいち臆病で「発表会」のあるその殆どの芸事に手を出すことができなかった。
クラッシクバレエもピアノも、他さまざまな「発表会」なるものがある芸事には通うことが出来きなかった。
恐らく、親の経済的なものもあったのかもしれない・・・。
かろうじてお友達のおばあさんが教えてくれるという「日本舞踊」は1年近く通ったが、子供の頃の子供同士のいさかいで、念願の発表会を前にして辞めてしまったのだった。

児童劇団にも本当に憧れた。
お芝居に物凄く興味をもっていたのだ。
お芝居がしたいと強く思ったのは小学校4年の頃だったと思う。
夏休みに子供向けの「森は生きている」の芝居を見て、「あぁ私もあの上に立ちたい!」って思ったのだ。
それからテレビに映る俳優たちを意識しだし、どうすればお芝居が出来るかいろいろ子供ながら調べたのだった。
当時、劇団ひまわりがすごい有名で、子役の名優もここの出身者が多かったので、資料を取り寄せたが、それはそれはもうびっくりするくらい月謝が高くて、とても我が家の経済状況では通わせてもらうことが不可能だった。

娘がやってみたいと思うことは割合認めてくれた両親だったが、こればかりは駄目の一点張りで、児童劇団に入ることを泣く泣く諦めたものでした。

時を同じくして5年生に進級したとき、丁度、学校のクラブに「演劇クラブ」というものが新しく設立された。
これは好都合!と早速クラブに登録。

台本を読んだり、パントマイム的なことをするのは本当に新鮮でとても楽しかったのを覚えてる。

1年の最後にクラブの発表会があり、私は初めて台詞をいった。とった配役は大臣1。「会場のみなさん、いかがでしょうか?ここのある月の水、どうも怪しいと思われる方は拍手をお願いします!」会場を巻き込んで舞台を進行させるかなり重要な台詞だった。
会場からの拍手をもらい、ほっとしたのを覚えています。
台詞は覚えているけど、ストーリーが全く思い出せない・・・。(笑)
今でも忘れられない台詞だ。

6年生になってもクラブは続けた。
しかし最上級生はこの年の発表会は裏方に徹したので、残念ながら舞台上を照らす照明係を担当したのだった。
これはこれでとても楽しかった!


中学に上がり、もちろん部活動に「演劇部」を選んだ私、
上下関係もここできっちり学びました。
中学は小学校の週1回のクラブ活動と違い、毎日発声練習や柔軟体操、パントマイム、喜怒哀楽、小芝居などの練習があり、これも本当に楽しかった。
年に一度の文化祭や地区演劇大会に向けてのお芝居も楽しいものでした。
配役をつかむためのオーディション,落ちた後の裏方、さまざまな出来事を経験し、更に私の演劇への情熱は深まって行くのだった。
クラブも楽しくクラスも楽しく、私の中学1,2年は本当に青春真っ盛り。毎日学校へ行くのが楽しくてしょうがなかったのを覚えています。

そんな矢先、父の仕事の都合上、東京へ引っ越すことがきまってしまい、中学2年の文化祭翌日、大好きだった学校を
後にしたのだった。

東京での中学は、演劇部がなく、友達もなかなかできず、いじめられることは無かったものの、ひとりよそ者の気分で、生きがいも見出せないまま残りの中学時代を過ごしたものだった。
演劇部がないのならせめて劇団に入りたいと親に懇願したものの、やっぱり無理だった。
腐った後半戦の中学時代のあと、高校では必ず演劇部に!とすぐ入部。ようやく腐った根に芽が出始めてくれた。
高校時代の演劇部は更に本格的。高1の私には高3の先輩のすばらしい演技力に度肝を抜かれたものだった。
そんな折、テレビで宝塚中継が流れていました。
子供の頃みた宝塚の記憶がここで蘇り、「そうだ!私はこれに憧れたんだ!」
同時に宝塚ファンになってしまった。
東京公演は何回も見に行き、楽屋待ちでスターと握手、台詞集で子芝居の練習したり、歌を歌ったり・・・。
物凄い熱中した。
そしていつしか、あの舞台に私も立つんだ!と思い始めた。
学校演劇には限界がある。私はもっとやりたい!

入学するにはバレエに歌にピアノの試験を通過しなくてはいけない。容姿には全く受かる自身がないので個性でだったらなんとかなるか?等と試行錯誤した。
しかし、習い事のための月謝がなく、結局これも断念。
「おまえなんか受かるわけが無い!」まっとうな道に進むしかないと親から説得を受けた・・・。

結局高校3年間の演劇熱は不完全燃焼のまま過ぎ去ってしまった。
正直言って、後から入ってきた後輩たちの演技力に、自分の実力の無さを見せ付けられたのも事実だった。
私の1年下の後輩には、その後の人生をその道に携わっているものが多くいる。
結構有名なオペラ歌手になって名声を上げているものもいる。映像クリエイターになって映画やドラマのテロップに名を連ねるものもいる。
結婚を機に芝居をやめたが、20代後半まで、小劇団で活躍したものもいる。

高校卒業後、浪人時代があった。
そのころ、まだ未練が残る演劇への道に思いっきり目をつぶって生活をしていた。ところが、ひょんなことから声優という仕事に興味を持ち始めた。
容姿を出せぬなら声で演技が出来るじゃないか!!
受験をそっちのけで、声優学校探しが始まった。
野沢昌子や野沢那智が講師を勤める声優学校に見学と願書をもらいに行ったこともあった。スマースクールにも参加しようと真剣に考えた。でも結局、お小遣いを殆どもらっていなくてバイトもしていない私には参加費用講習費用が払えず、できなかった。1年近く、あれだけ夢を抱いた声優行へも結局何も出来ずに不完全燃焼でおわってしまった。

結局私は情熱が足りなかったせいで、全て中途半端に終わり、あれだけ好きだった演劇に何一つ残せるものを残せなかった・・・。

演劇とは全く違う道に進み就職した後も、どこと無く、何年たっても芸能ごとに未練を残している。今でもどこか残っている。その後遺症で、大舞台は見れても、入れるかも!と希望を残す舞台にはどうしても見ることが出来なくなっている。
まだ未練がましい自分がどこかにいる。

夢ってなんだろう!?夢をつかむには相当な情熱を向けないといけないんだよね。

みつ☆のことPART1、みつ☆と演劇。これにて閉幕!





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最終更新日  2004.08.06 11:26:58
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