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奥様のことを、とてもとてもお好きだったのですね。原民樹さん。妻がいたときの景色。妻の質量。書いて、手をとめて、視線をあげて、妻を克明に思い出し、その姿を見、とどめるために書く。一筆を書いて目を上げる。妻を思い出す。手の形、まなざし、空気の動き、日差し。妻の姿を見る。そして書く。そのままを書く。妻を思い出にはできず、喪失感が薄れていくことも嫌で、繊細に繊細に妻を呼び起こす。生者の世界ではない。半分、幽界に入り込んで、妻を恋うて。だから、会いに行けたのだろう。自らさっさと命を絶って、たった一人に、会いに行ったのだろう。
2016年09月04日
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「吉野朔実は本が大好き」を買いました。本を立て、背表紙を見て、こんな厚いんだなあと思った。指先で本を撫ぜると、頬が緩んだ。この本を見ると、きっと悲しくなるだろうと思っていたのに。私はしずかに笑っていました。夕暮れて、朝、明けていく。吉野朔実さん、ありがとう。アリンコが少しずつ角砂糖を崩していくように、四角い本をコツコツとめくる。【楽天ブックスならいつでも送料無料】吉野朔実は本が大好き [ 吉野朔実 ]
2016年07月15日
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湯田に行くと、やはり中也さんのことを考える。井上公園というより、高田公園の方が、私には馴染み深い。探して歩くと、中也さんの歌碑がある高田公園は工事中で、入れなかった。 ここが私の故郷だ さやかに風の吹いている一族の中にたまさか天才が生まれつき、後世に名を成すけれど、一族は天才に圧倒されていく。それは一族にとっては誇りなんだろうか、痛みなんだろうか。29歳、早死にしたのに、それでもこれだけ壊したのなら。代々と続く中原医院の跡取り息子、幼いころから神童と呼ばれたのに、文学にかぶれたばかりに落第していく。おそらくはこどものころに、あらねばならぬと叩き込まれた道から、転がり落ちていく。転がり落ちても生きていくための資金は実家から無尽蔵にでた。実家の資産は決して無尽蔵ではなかったのに、中也は使いつくして、それでも自分は我慢しているつもりだった。詩人であっても生きていくにはお金がいるのだ。中也は詩人だ。詩人以外の何者でもない。戻れないのはわかっていた。元が賢いんだから自分でよくわかる、自分はもう医者にはなれない。今でも田舎の町の医者。家だけではなく地域にも期待されていただろう。名家の、跡取り息子の、かっての神童。一族あげての援助にも応えず、裏切り続けるドラ息子。瀬戸内の空の下でならもう一度詩精神が還るだろうと帰郷を決めて、帰郷してすぐ病に果てた。もし。もし、中也があと3年生きたなら、どんな詩を書いたのだろう。周囲はみんな顔見知り、幼馴染の環境で、働かないことを理解しえない環境で、歩いても町には着かない環境で、中也は魂を焼きたかったのか。湯田は盆地だ。湯田の空は、瀬戸内の空ではないと私は思う。瀬戸内の空は、中也も乗った山陽本線は今も海沿いを走る、その窓越しから見える空だ。道程は故郷ではない。それも忘れたのかい、中也さん。風は問うことをやめる。 お前は何をしてきたのか。問う価値もない、ろくでなし。「僕は孝行者だったんです」中也記念館、狐のあしあと、中也通り。湯田を歩くと、中也に触れる。「後になればわかります」そうだね。町が中也を包み込んでる。中也分の空虚も、ここにある。
2016年03月21日
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うちの家人は、トリックオアトリートって聞いて、鶏肉と軟骨?て言っちゃう人ですが、いい人です。
2015年11月03日
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小説を読みたいなあ、おもしろくて、気張っていない小説を読みたいなあと思うと、太宰治に戻る気がする。太宰は好きで大嫌い。でも小説は好き。太宰の書く、おもしろい小説は、好き。「私は二十九のばあちゃんだから」とかず子さんは、かすかな、あまい声で言う。人が早くに死ぬ時代。人生は五十年、もう半分は生きたと言って、少年たちが空に散った時代がすぐ前にある。「戦争の追憶は語るのも、聞くのも、嫌だ。」とかず子さんは言う。太宰に戦時はあったのだろうか。ぼんやりと思う。死にたがりの、役立たずの、ぼんぼんの、酒飲み。生きる気もないのに、生きたがりの、草。太宰は木じゃないねえ。井伏鱒二は樹木だけれど。かず子さんは定点だ。成長もしない。ただ、暮らしている。おっとりとしているわけでもない。自然体、とも違う。本能。朝に起き、時に寝坊し、時間がくると食事し、食べ物を手に入れるために火を炊いたり、畑の仕事をしてみたり。飽きるとやめる。お金があって食べ物が買えるなら働く必要もない。夜がくると眠る。眠る眠る。カイコのようだ。白くて、すきとおって、身を守るすべは何もなく、天敵から身をかくす知恵もなく、ただ桑の葉を食み夜は眠るカイコのようだ。人の手で保護されなければ生きることもできない。カイコは悩まない。そういうふうに生まれついているからだ。赤ちゃんを生みたいのです。本能で恋をし、赤ちゃんを欲し、ひとり残って、お腹の中に赤ちゃんを入れたままのかず子さん。かず子さんは母になったからといって成長はしないでしょう。赤ちゃんを抱いて、ただ生きていく。生活はできないと思う。このひとには、「生」はあっても「活」はない。カイコは糸を吐いて繭をつむぐ。きらきらした細い透き通る糸。斜陽のときのかず子さんは、まだ繭のつくりかけ。細い糸のからまりはまだ薄いから、光をにじませて反射する弱い影のなかに、かず子さんは丸まっている。ふうと細い糸を吐きながらお腹を撫ぜている。(ええ、かず子さんは聖母なのだから、まんざらおかしな想像ではないでしょう?)斜陽。夜にはならない。だから、朝が来ない。
2015年10月11日
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】太宰治の辞書 [ 北村薫 ]出ていたのを知らなかった。図書館で見つけて、手に取って、表紙を見て、あっ、と思った。「私」だ。出版社を確かめると新潮で、ちょっと迷う。創元推理じゃないの?でも「私」だ。カバーの折り返しや巻末の宣伝を確かめる。続編とは書いていない。だけど。表紙を開く。タイトルの裏に「本にー」とある。ふるえるような確信がくる。小説の冒頭に目を通す。(ああ、「私」の語り口だ。)判った。わかる。北村薫の文体だけれど、「私」の語り口。知っている。会ったことはないが、よく知っている人がそこにいた。いてもたってもいられなかった。即貸し出しした。家に帰るのも待てなくて、公園のベンチで読もうかと思い、いや待て丁度いい日影がないと気付き、これはレアチーズケーキを用意して「美味しい」に「嬉しい」を重ねねばならぬのではないかと思い付き、図書館の本を汚してはならぬと我にかえる。それはもう、私が「私」と同い年であった頃の(いや本作では再び同い年くらいになってるみたいだけど)、私が「私」と同じくらい本の虫であった頃の(いや私の読書量は「私」の半分の月15冊程度ではあったけれど)、強烈な読書欲に久しぶりに呑まれました。楽しい!!!ああ、なんという非日常。一話目をゆっくりとゆっくりと、大切に読みました。「私」の仕事。「私」の家族。「私」の暮らし。ああ、そうだったんだ、そうなったんだね、頷きながら。そして大好きな芥川の、花火についての考察。いつか、書かれるだろうな、と思ってた。私は、花火は、高校生のときに教科書で読んだんだよ。花火の結びの解釈は、私は「私」とも少し違うよ。純粋な一瞬、というのは同じだけれど、仔猫のような令嬢はついに無邪気なまま、生(ブイ)を生きた、その無邪気に昔日の面影を見せているように思えるんだ。あまりに感傷的な鑑賞であるかもしれないけれど。そして紫の火花は・・・そんなことを考えることも久々で、だけど溢れるように昔に戻る。ああ、芥川の話だけで1時間語れたこともあったっけ、語れる友も在ったっけ。こないだメールしたきりだけれど。この本に会えたのだから、会いたいな、話したいな、また、話したいな。あなたと。あなた達と。
2015年06月28日
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昨日は20時過ぎには眠たくなり、途中、途中で目が覚めたものの、朝まで真っ直ぐ眠りました。今日はお仕事もお休みなので、まだまだ出かける準備はしません。うつら、うつら。さきほどまで、とある小説を読みかけていました。とてもおもしろい、センシティブな小説だったのですが、主人公と一緒に冒険することに少し疲れて、読むのをやめてしまいました。だって私はそんな選択をしない。と、頭では思うのですが、主人公と同じシチュエーションに置かれたら、私も情緒的にその失敗をするだろう、とも思うのです。そして私はその選択が失敗だと思うのに、まさにその時にある主人公は、自分が失敗していることに気づいていない。ああ、鏡を見せられた感覚だったのかな。私の普段を突きつけられたような。日々の愚かな選択を、愚かであることに気づかないまま重ねていることに気付かされたような。ぱたりと本を閉じました。(ああ、この新しい世界は、今の私に刺激が強過ぎる。)新しい本を、小説を読みたい欲はあります。再読ばかりでは世界が広がらない、と。新刊は毎日、膨大に出ているのに、読書にあてる時間は有限で。だけど再読だっていいじゃないか。知っている世界の中で、知っている人と会って、親しく語らうことがあったって。読書の世界はとても懐が広いと思います。おもしろい小説はいつもおもしろい。昨日の夢の中で、松谷みよ子さんの児童文学の全集を私は読んでいました。どの話を読んだのかは覚えていません。でも、「すごいねえ。全部、おもしろい。いいお話だねえ。」そんなことを言って、背表紙を指で撫でたのを覚えています。読まなくても、本は、小説は、私を助けてくれる。読書が趣味で、私はしあわせです。
2015年06月14日
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あかるい四月です。よく晴れています。土曜の朝に、歩いて病院に行きました。ときおり、こつんと咳が出ます。緑が光っています。街路樹も道端の草も、お店の軒先も、誰かの庭木も。つやつやとした黄緑色。とあるお宅の垣根の枝に、アルミの缶を加工したランプが下げてありました。(つと光り)という言葉を思い出しました。いえ、「つと光り」という詩句を知っていたから、目が留まった風景かもしれません。私は中原中也を、中也のお母様の回想記で初めて知りました。中也の詩が端々に差し込まれ、読み終えたとき、詩句の記憶が残るような、そんな編集でした。詩を読むことに慣れておらず、けれど物語を読むことが好きだった私には、よい「詩」の入門書でした。山頭火さんのことを、お母様は語られていました。「締めの足りない水道の、 蛇口のしずくはつと光り!」中也のこの詩は、俳句だね、というようなことをおっしゃった、と。4月のあふれる緑の中のアルミ缶。つと光っていました。一般的な表現ではないかもしれないけれど、私にはそれしか言えない。つと、光っていました。
2015年04月25日
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節分に巻き寿司を食べるだなんて、子供の頃は知りませんでした。巻き寿司は親戚が集まったときに祖母がたくさん作ってくれました。とりわけ、母方の祖母の作る巻き寿司の数は圧巻でした。母は6人兄弟でしたから。そして母方の祖父母は息子たち娘たちがその息子娘を連れて一同に会することが好きでしたから。祖父母は、座敷の襖をはずして、いくつかの部屋をつなげて、大広間にして、祝日がくると、人を集めました。こどもはお酒を飲みません。最初からご飯がいります。大皿に盛られた巻き寿司と押し寿司。あれはいつごろから何合くらいご飯を炊いていたのかしら。そして、何人の娘と嫁が、お寿司作りに携わっていたのかしら。節分よりも、家族宴会の御馳走、の、印象が強いのが、巻き寿司です。2月初めにツナ缶を買おうとすると、お目当ての品は売り切れでした。ああ、そういえば明日は節分か、巻き寿司用に買われたんだなあ、と、ぼんやり思いました。自分でも巻き寿司を作りたくなりました。100円ショップでまきすを買って、ツナがないから焼肉巻でいいやって、お肉とカイワレを買って。うんと昔に、こどものころに、祖母が作っていた巻き寿司の作り方を思い出して、酢飯を作って巻いてみて。できるものですね。ほんのり温みがあって、乾いていない巻き寿司になりました。祖母が作ったものよりほんの少し巻があまくて、そういえばわたしが握るお握りもこんな風にゆるいなあ、と。それでも祖母は、わたしが巻き寿司を作ったことを喜ぶと思います。ね、おばあちゃん。
2015年02月14日
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中原中也との愛 ゆきてかへらぬ 長谷川泰子 村上護編 角川ソフィア文庫「たとえば、私のことをうたうにしても、息子のことをうたうにしても、すべて運命のなかで、とらえているんですね。いいかえれば、自分の運命的な苦行として、私のことをうたったと思うのです。」聡明な人だなあと思う。エキセントリックで「思いつき」の人なのに、自分を客観視できている。客観視であるからこその無邪気。天衣無縫。大変な人だと思う。周囲の人が非常に大変になる人だと思う。中也の運命の女。長谷川泰子。中也はその詩の才能と、詩の才能を自覚した傲慢な放埓と、生活人として失格していることへの自虐、面白がりで、周囲の人を巻き込み、威圧し、関わる人の精神と生活を破壊していった。破壊することで中也は支配した。と同時に、自身も破滅していく。破壊し破滅した瓦礫の上に2本足で立ち、自分の体だけで詩を歌う。そこまで削ぎ落とさなければ歌えなかったのだと思う。詩人というものは、かなしい生き物だ。その中也が、支配することができなかったのが泰子であり、あどけないまま死んでしまった文也であったのかもしれない。「運命」。彼の破滅が長引いたのは泰子と文也がいたからではなかったか。泰子と文也は破壊することができなかった。破壊できないでいる間、彼の破滅はほんの少し修復する。さあ、その修復を叩き割ろう。そして詩を歌おう。破れ鍋に綴じ蓋。まさに似たもの同士。ただし鍋も蓋も壊れたまんまで使いようはないことに変わりがないけど。詩に使いようは要ろうか。中也は29で死に、泰子は90手前まで生きた。戦前戦中戦後の時代を無邪気な魂のまま渡りきった。「運命の女」を全うした。
2014年11月23日
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今年は手帳を買おうと思っています。スケジュール手帳。学生の頃は必需品でした。休講や試験の日、レポートの締切日。バイトの面接や友達との約束。社会人になってからは、卓上カレンダーが手帳に変わりました。学生の時も、一番使っていたのはマンスリー予定だったので、席が固定される勤務先では卓上カレンダーの方が効率的でした。それでも何年かは手帳を買ったのですが、ほとんど白紙のまま1年が終わり、いつしか手帳には手を伸ばさなくなっていました。出張が多い部署にいた時にも、試しに買ったかな。だけどやっぱり使わなくて、活用したのは卓上カレンダーと「To Do List」のメモ帳だったな。書きとめた予定や課題をひとつずつ消していく。「To Do List」はとても便利でした。けれど私は、消していくことに、少し疲れたのかもしれません。毎日を積み上げていく手帳をもう一度始めようか。どのように使うのかも決めかねています。心象を書き留めていくのか。仕事用と割り切るのか。日記として使うのか。議事録として使うのか。複数の手帳を使い分けるほど器用ではありません。けれど毎日を積み上げたい。色、サイズ、重さ、かたち。迷い迷いして手帳を眺める、眺めるだけで終わるとしても、変化が私の中にあります。こっくりと眺めていたいと思います。
2014年11月22日
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先日、中原中也記念館に行きました。おもしろい企画をやっていました。「中原中也 歩みのリズム」中也記念館の中庭に、吹き抜けに、中也の詩の一節一節を札にしたものを紐に下げて展示しており、詩句は風にゆらゆら揺れて、ひとつのリズムを作っていました。 生きて ゐるのは 喜び なのか 生きて ゐるのは 悲しみ なのか札がはたはたしているところに一つの詩情がありました。もうひとつ、企画は「中也 愛の詩 いとしい者へ」。中也は、人としては人でなしのロクデナシだと思っているのですが、愛の詩と愛の挿話だけを取り出して読む分には、繊細で、傷つきやすい、仕方のない行き違いや運命に傷つけられた青年の横顔をして、それほどロクデナシ感がありませんでした。・・・でもね、ロクデナシだと思うのよ。2階の展示が、「歩みのリズム」に属するものだったのですが、昼前まで寝ていて、そこから銀座に出て深夜まで歩く、途中で酒も飲んで、「今日も一日何も成しませんでした」て。一日きりなら豊かな感受性に微笑むこともできますが、毎日だったら困ります。中也がいっそ自分で金を稼ぐことがなかった甲斐性なしであったことを、愛の展示であるからこそ、突きつけた方がいいと思いました。様々な現実を足蹴にして彼の詩は彼の中から湧き出したのです。昨日、私は一日広島の街を歩いていました。私は私の暮らす場を歩く。私の詩を歩く。中也の詩に揺さぶられた行動です。ロクデナシの天才。なんという詩人! 足の親指に力を入れて 踏み切って 歩く
2014年11月09日
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友人が理想の図書館を作る活動に参加しているそうです。 彼女の活動力に眩しさと気後れを感じつつ、わたしは変わらない毎日です。 理想、という言葉。 かなり長いあいだ、見失っていたような。 理想の図書館。 緑の絨毯。臙脂のベルベットをふんだんに使った室内装飾。薄明るい人工の室内照明。読書机には読書灯。食卓みたいな長机。椅子は大きめ。こどもが座ると脚がぶらぶらしちゃうような。 で、壁には古今東西の文豪の肖像をふんだんに掛けてほしいのです。肖像画で、隠し絵や騙し絵になっているのが、混じればいい。 少し怖いような、少し不気味なような、そんな部屋であってほしい。 とても静かな図書館。 誰もが囁きで話す。 本を読む人はあまりおらず、本のある雰囲気を楽しむところ。 自分自身が本になる場所。 わたしの理想は薄暗いかもしれないが、たくさんの理想の片隅に、あったらいいなのそんな図書館。
2014年09月12日
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【中古】 酔いがさめたら、うちに帰ろう。 /鴨志田穣【著】 【中古】afb酔いがさめたら、うちに帰ろう。 鴨志田穣鴨ちゃんの文章はあんまりうまくない。西原の夫でなければ、本を出すことはなかっただろう。鴨ちゃんの書くことは、あまりおもしろくない。と、思ってた。だから、読むのが、今頃になった。おもしろかったです。フィクション。ノンフィクション。わからないけど。たぶんもっとひどい状態だったときはあったと思うの。この物語が始まる前から始まっていたアルコール依存の日々。西原と離婚する前にあった、家族を巻き込んだ、周りにとってむごい毎日。きれいごと書きやがって。と、思わないでもない。底つきをへて、きれいな鴨ちゃん。一話目の、「奈良漬に完敗」はネット上で読んだことがありました。オズモールのサイトだったと思う。奈良漬こわいんだな、奈良漬でもスリップするんだな、というのが印象に強くて、けれどやっぱり読みにくい文章で、いつまでこの人酔いどれどれな話ばっかり書くんだろ、て思って、続きを読まなかったのでした。あのままでも亡くなっただろうな。酒を断ったのは、もうひとつ、大きな病気をしたから、飲む力がなくなっただけかもしれないな。鴨ちゃんには離脱の症状はあんまりなかったのかな。鴨ちゃんは戦場にいたから、彼のみた幻は、幻じゃなくて、強い記憶であったかもしれない。だからどうして。どうして、そんな辛い景色を映したんだ。そんなキャパ持ってなかったくせに。ぼろぼろになったじゃないか。酒も、家族も、愛も平和も、そのぼろぼろを繕えなかったじゃないか。最後の話は、酔いどれどれの話ではありませんでした。ぼろぼろの彼をぼろぼろのまま、ふわりと笑顔で包んだ家族。「酔いがさめたら、家に帰ろう。」よかったね、鴨ちゃん。あなたの本を、読めてよかった。生きててくれて、ありがとう。
2014年08月17日
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ちくま文庫【1000円以上送料無料】広島第二県女二年西組 原爆で死んだ級友たち/関千枝子関 千枝子さんは、あの日、お腹が痛くて学校を休んで助かりました。爆心地から3.4キロの自宅は壊れて、被害にあっていないわけではないけれど、雑魚場町に勤労奉仕に行ったクラスメイトは大やけどをして亡くなっていったので、「休んだ」負い目が抑えて語られます。どれだけの決意で、クラスメイトの家族に当たり、ひとりひとりの臨終に至るまでの証言を集められたのだろう、と、生きてこの本を読む私も心が痛いです。13歳、14歳。まだまだこども。ほんのこども。すぐに忘れられてしまうこども。だって長く生きていない。エピソードだって少ない。本人が20歳になって、30歳になって、60歳、80歳になったとき、自分でも忘れてしまう2年生の日々。けれどいた。確かにいた。少女たち。「いたのよ!」自らの苦痛を抑え込んで著者が叫んでいると感じました。「わたしの級友は、先生は、確かにいたのよ!!」生き残った人があの日を語るには勇気がいるのだと思います。わたしの祖父母は4人とも被爆者でしたが、ほとんどあの日を話しませんでした。直接に被爆した母方の祖父は被爆体験記を何かに掲載してもらっていた記憶がありますが、入市被爆した祖母はほとんど何も残しませんでした。思い出したくない。話せない。その記憶の記録です。勤労奉仕で被爆した県女の女学生の記録として、大野充子さんの「ひーちゃんはいった」という著書があります。体調を崩したひーちゃんに、お母さんは休め、という。「死んでもしらんよ」というお母さんに、くるっと振り向いて、ひーちゃんは「ひーちゃん、死んでもいい!」と言って、8月6日の朝、出て行った。記憶です。わたしはこの本を小学生のときに読みました。高校生の時、平和学習で見たビデオに、老母が写っていました。語られた証言で気づきました。「この人はひーちゃんのお母さんだ。」私にも寿命はあるから、いつまで覚えていられることかわかりません。けれど、つながったよ、つながっているよ、と言いたかった。言いたいので、今日のブログを書きました。「ひーちゃんはいった」は、探さないと読めないようです。「碑」や「広島第二県女二年西組」、記憶の代わりの記録がどうか残りますように。
2014年08月10日
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】日の鳥 [ こうの史代 ]元気かな。2011年9月に、2週間だけ暮らした、宮古は元気かな。ときどき、思います。日の鳥、こうの史代。にわとりの夫が、妻を探すスケッチです。最初のスケッチは、5か月後の釜石と大槌でした。―――私が訪ねた時にも近い。にわとりの妻がいつどこでなぜ、いなくなったのか、明確には描かれていません。にわとりの夫は東京と東北を周ります。妻よ、妻よ、と呼びかけながら、妻を探します。悲壮ではありません。にわとりの夫はユーモラスです。たくましく生きています。喪失した妻から目をそらさず、探し続けます。妻を喪失したことに、にわとりの夫は気が付いている。けれど探す。探す探す探す。探しながら、生きている土地を、鳥を、人を、歴史を肯定する。きちんと訪れて、きちんと歩いたスケッチだと感じました。なまなましかった。2011年9月、大槌。まだ信号はほとんどなかった。一面の野原にいくつか残った、撤去される前の鉄筋の壊れた建物の中には、泥にまみれた衣服が大量に流れ込んでいた。白っぽくなったピンクと緑が目立った。人工物は家の基礎しか残ってなくて、雑草がわざわざ生えてて、雑草でもおさえきらない砂埃が常に舞っていて、草の緑と空の青と土砂の白茶が視界のほとんどをしめている中で、飛び込んできたピンクと緑の衣服だった。もう着られることのない服。色あせた沢山の衣服と混ざって。2014年7月。お元気ですか。あの日の景色はもうないのでしょうね。ないことを確かめたい。また行きたい。お元気ですか。
2014年07月21日
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アル中病棟 失踪日記2 吾妻ひでおアル中病棟 [ 吾妻ひでお ] アルコール依存症と酒飲みの違いは何か。 わたしは毎晩、家で晩酌をしているし、休日に昼酒を楽しむこともあります。家人とも飲むし、ひとりでも飲みます。週に1回くらいは焼き鳥屋さんでビールです。 休肝日があった方がいいことは重々承知していますが、習慣としてお酒を毎日飲んでいます。 このままじゃ依存症になっちゃうのかな。もう依存症なのかな。たぶん違うと思うけど。 アルコール依存症は否認の病だといいます。 自分が依存症であることを認められない、だから断酒できない。 断酒、というのも、すごい言葉ですよね。休肝日を設けなさい、というのとは訳が違う。 わたしはお酒が好きなので、断酒するのはとても辛いと思います。 酒飲みが依存症に渡る境界があれば分かりやすいけれど、いつの間にか成り代わるのが依存症なのでしょう。飲み続ける以上、依存症になる可能性は常にあるのでしょう。 健康診断の前一週間や、処方薬を飲んでいるあいだ、わたしはお酒を控えます。控えることができるから、まだ依存症ではないんだな、と思います。 で、アル中病棟。 他人事じゃないなあ、と、思いながら読みました。 失踪日記2とあるけれど、独立して読めるように描かれています。絵に非常な安定感があります。お酒を飲まない人の絵なんだと思います。病院よりも街の風景が印象的。ざわざわと音が聞こえてくるようで。お酒を飲む人も飲まないこどももいる風景。その当たり前の世界が奇妙に思えます。断酒した「わたし」が、その世界にいる。断酒を続けなければ失われる世界。 ふわあっと安心したのが、吾妻さんが家族と話をしている場面でした。すごくよかった。 世界が続いていきますように。
2014年07月12日
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】【6/30 9:59まで!ポイント2倍】冬虫夏草 [ 梨木香歩 ]冬虫夏草 梨木香歩 新潮社これは供養の物語、と、感じました。綿貫くんの旅の物語。「家守綺譚」は綿貫学士が疎水辺の、旧友の旧宅に佇んで、時が旅ゆく物語でしたが、「冬虫夏草」は綿貫くん自身がゴローを探す旅に出ます。作品内の時間はあまり動きません。ひと時の中を、綿貫学士が歩いていく。失われつつあるもの、失われたもの、失われたかもしれないもの、失うことが定められた先。綿貫学士は喪失の前を確かめながら、一歩一歩を歩くのです。供養、というのは、不思議な漢字。ともにやしなう、と書くのですね。生きる時間を供に養うから、喪失はあっても滅却はない。ゆらゆらと揺れる草、今日開く花、あした吹く風、暮らし。暮らしは続かないけれど、変化は続いて、時は流れて、境界は在り続ける。境界は超えられるけど、越えられないもの、右手で触れるかもしれないけど、いつもそこにあるとは限らないもの。生も死も誕生も喪失も、姿形を変じるだけだと、冬は虫の姿して、夏は草の姿して。なんと自然は怖ろしい。そしてわたしも自然の一部。今日も時は流れていきます。
2014年06月29日
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日曜の朝、5時に目が覚めた。薄曇り。昨夜は焼肉をしたので、リビングの窓を換気のため開けていた。レースのカーテンが白く明るい。この時間、ウイークデイに目覚めることはよくある。寝室には窓がなく、疲れがとれないまま起きだして、コーヒーを淹れ、歯磨きをして、シャワーを浴びて、ゴミ出しをして。単に朝だった。明るい、なんて、思ったことがなかった。もう寝室には戻らない。明るいリビングには、ほんの少し、焼肉の匂いが残っている。かまわない。窓は開けたまま。玄関のテーブルヤシをリビングに運び、リビングのクワズイモとサンスベリアをベランダに出した。まだ強い日差しではないから、植物は仄かに光っている。今日は休日の朝。
2014年06月29日
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人と暮らすようになって、家に花を置くようになりました。最初は時たまに。花瓶を持っていなかったから、ペットボトルの口を切ったのに投げ込んでいました。時々に、酒祭で杯の代わりになった竹筒を使ったり、口触りのよくない景品のビアコップを使ったり。3年ほど前、萩の花瓶を買いました。そのころから、我が家には花がある日の方が増えたように思います。家人はいいます。「なんのために花を飾るの?」切り花が三日ほどで枯れたときに、淋しいな、ということも言っていたので、花を飾ることを否定しての発言ではないのでしょう。花の知識はありません。生け花を習ったこともありません。活け方のよしあしもわかりません。高い花は買いません。わたしが買うのは近所の雑貨屋の、200円、300円の花束ばかり。つぼみばかりの緑を買ったときは、安いからといってハズレを買ったかな、と思いましたが、つぼみはどんどん大きくなって翌週に代わる代わる開きました。開いたばかりの花びらの、つやつやとした甘い色。なんのために花を飾るの?その問いは、なんのために本を読むの、という問に似ているように思えます。
2014年06月22日
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岩波文庫。「夏の花」は何度か読んだことがありましたが、「廃墟から」と「壊滅の序曲」は初読。3日前に青空文庫で「夏の花」を読んだのです。それで原民喜のことを知りたくなってネット検索したところ、遠藤周作にあてた原民喜の遺書が発見されたところでした。力のある物語は読む時を物語の方から指定してくる。さて、「夏の花」三部作。「夏の花」の被爆者のやけどの描写は、こうの史代の「夕凪の街 桜の国」の皆実の母の被爆後の様子を思い出させました。「廃墟から」は、「この世界の片隅に」の21年1月に重なりました。こうの史代の「おもな参考資料」に原民喜の名はありませんでしたが、それは原民喜が書いたものが小説であったからと、原民喜が書いたものが当時の広島の風景であり記録として共有されたものであったからでしょう。繊細な筆致で、淡々と、淡々と、当時の様子を書く。文学であるのか、記録であるのか。「夏の花」「廃墟から」は記録に近い。けれど文章が文学たらしめている。「壊滅の序曲」は、はっきり小説だと思いました。構成から柱だっている。「夏の花」のラストは唐突に「N」という人物の話になり、「廃墟から」の最後は槙氏の話になります。構成が破綻していて、破綻の程度は「夏の花」がより大きい。また、「夏の花」「廃墟から」は「私」に語られ、「夏の花」には人物の固有名詞はだた一名を除いて書かれません。「廃墟から」で身内以外の人物に固有名詞が与えられ、「壊滅の序曲」で「私」や「私」の身内も固有名詞をもって描写される存在に変わります。「夏の花」「廃墟から」「壊滅の序曲」は、壊滅、廃墟、慟哭の順を、その小説の形からも表現したものと受け止めました。発表順は、確かにこの順番でなければならない、と感じました。「夏の花」のリアル。書きつくされた風景は、現在の広島の川の景色と重なります。どこの場所が書かれたものか、この町に住んでいるとわかる。わかってしまう。それも衝撃でした。
2014年05月18日
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昭和54年に刷られた新潮文庫だったので字が小さい。読めるかな、と思ったのですが、読み始めると活字の小ささも気にならず、一気に読み通しました。初読です。福山の人がヒロシマを書くことに違和感があって今まで読みませんでした。嫉妬です。「どうせ分からないんでしょう?」という醜い感情です。井伏先生、ごめんなさい。これほど、「書かねばならぬ」という意思を感じさせる小説だったとは。当事者の当日から終戦までの日記、生々しい記録を、小説の中に引きこんで、きちんと小説にしていると感じました。記録文学ではないけれど、当日、翌日、翌々日の熱、音、手触り、匂い、疲れをここまでリアルに書ききっていたとは思いませんでした。そうして小説の中の「今」、日常の下に敷かれた「現在」進行中の、放射能障害。映画も見てみたいと思いました。福島在住の友人が、2年前に広島に遊びに来たとき、「わたしは『黒い雨』をもう読めない。」と言っていました。彼女は矢須子さんと同年代。2年ごしに、そのつぶやきの重さを受け取ったように感じます。怖いっていう人じゃなかったから、あのときだけだったなあ。彼女は今も元気です。元気でよかった。
2014年05月11日
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ゴールデンウイーク後半に長崎に行きました。よく晴れた日でした。長崎の平和公園で被爆者の方にお会いしました。11歳で被爆されたそうです。81歳。お元気でした。「死んだ人がいちばん辛かったでしょう」とおっしゃられていました。2.26事件を起こした人が、死刑になる人数を聞いたとき、「多すぎたなあ」とつぶやいた、というエピソードがあります。多過ぎたなあ、の数には、太平洋戦争で失われたすべての命は入っていたのでしょうか。サイパンが落ちなければ沖縄戦はなく、沖縄が落ちなければ原爆投下はなかったのでは。サイパンが落ちるまでは戦争は南方で起こっているもので、兵隊さんが生死をかけているもので、ひとりひとりのわたくしが日本国内で命をかけているものではなかったのでは。戦争が、ひとりひとりの頭の上に爆弾を吊るすものだと気がついたのが遅すぎたのが、あの戦争だったのか。2.26事件の目的が武力ではない方法で果たされたなら、太平洋戦争はもう少し早く終わっていたのでしょうか。歴史は繰り返す。けれど歴史の円はうずまきのイメージです。少しずつ外に広がって、ゆるやかに曲がる。いったん揺れると振り落とされる命は多いから、慎重に、慎重に、ゆっくり回っていきましょう。
2014年05月10日
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】あずかりやさん [ 大山淳子 ]あずかりやさん 大山淳子 やさしい。あずかりやさん、の、さん、の音。少し上向きの音で呼びたい。猫弁よんで、この人の書く小説をもっと読みたいな、と思って、手に取りました。目がみえない人が主人公だったからか、本来は物言わぬ道具たちが語り手であったからか、しずかな印象の小説でした。一日100円で、なんでもあずかります。期限とお名前を教えてください。ほんとうにこんな商売あったらいいのに。でも現実には無理だろな。まず収納スペースがもたないもの。だから物語。おとぎばなし。ありえない。けれどやさしい。こんな人、いると思う。店はなくても、こんな人はいると思う。境遇にあまんじるのとは違う、静かに肯定して適応して背筋のばして人の話を聞く。ずっと気持ちのいい、すがすがしい人でいる。会ってみたいな。あずかりやさん。
2014年04月27日
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湯野温泉に来ています。 このところ、風邪から喘息を呼び込んで、二週間あまり、本調子ではありませんでした。金曜にようやく落ち着いて、夜中に発作で目が覚めることもなくなりました。そこで、土曜の夕方から、湯野温泉に来ています。 10畳のお部屋はお庭に面していて、水の流れる音がずっと聞こえます。 お部屋食、お布団も人に敷いてもらって、ただ休むだけの、ほんとうの休日。 体力が落ちていて、温泉も短い時間で上がりました。それでもいいお湯は体をほぐし、冷えていたのを温めてくれました。体を温めると出る咳も、ふたつみつこほんとしただけで止まりました。 温泉遊び。 小さな町です。少し中に入ると道はせまくて、菜の花のこぼれるところ、犬を散歩させる人に出会います。家は二階建てまでで、塀の高さも低く、この空の広さを久々に見ました。 お宿の人に、何も見るものがなくて退屈でしょう、と、声をかけられましたが、いいえ、いいえ。 今日は休みに来たのです。 ほんの10分の散歩の楽しいところ。 お夕食に出た筍と桜もちの蒸し物が美味でした。 こんな旅行もできるようになったんだなあ、と、ふと思う。
2014年04月20日
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日本の食生活全集34 社団法人 農山漁村文化協会ふるい本です。昭和62年出版。いい本です。どんなものを食べてるの、と、地の人に聞くのは、民話を聞くのと同じこと。松谷みよ子さんの民話収集の本を読んでいるように、つらつらと読みました。私の父母の出身は広島の内陸で――なにしろ広島というところは、海から少し入るともう山だ――この本に取り上げられている「広島湾沿岸の食」と「中部台地の食」の混合の献立を私は食べて育ちました。「鯛麺(鯛そうめん。鯛を煮付けて、そのおつゆで食べるおそうめん。鯛の身もそうめんにのせる。)は食べる。イリコ味噌は知らん。小いわしは足がはやいけえ、うちらんとこまで来んかったんじゃないかね。今は食べるけどわざわざ味噌で炒らんよね。」「チシャの葉をちぎって酢味噌で食べるんは、ちしゃもみ言うんか。すり鉢で白味噌すって、酢を入れて、砂糖足して、ちぎったチシャをどさっと入れて酢味噌であえる。あまり好きじゃなかった。けど、ようけ食卓に出よった。」思い出しながら、思い出しながら、思い出しながら。思い出すのは味だけではなくて、よく働く人だった祖母と母のこと。声。郷土の食事は流通によって薄れたとはいうけれど、地にもぐり水に流れして細々居残っていくのかもしれません。
2014年04月06日
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近所のスーパーに、近所の小学生が作った、ご近所の「環境案内」が置いてありました。しじみが取れる川。ゴミを埋め立てて作った公園。川のむこうの里山。滝。すこし遠出にはなるけれど、歩いていける場所に、これだけの環境があったのか、と、嬉しくなりました。画用紙に手書きの絵と字をコピーして、色鉛筆で色づけされたペーパー。水の町らしく、水色がたくさん使ってありました。コピーした線の中を塗るだけでは足りなくて、四隅に、波紋のような緑の重ね塗りもありました。(塗り絵の時間が余って退屈しちゃったんでしょう、なんて。小声で色に話しかける。)この町は、1945年8月6日に焼けた町。生き残った人も、死んだ人もいた町。そうして今は、あなたたちが暮らす町。空があって、風があって、川があって、道があって、学校があって、緑があって、花があって、おとなもこどもも住んでいる町。2011年3月11日、波がこそいでいった町もこんな風だったのだろうと思いました。還ってくる。還ってくるよ。きっと、きっと。
2014年03月22日
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【送料無料】桜ほうさら [ 宮部みゆき ]読んだ!よかった!!さすがミヤベ。ゆっくり読もうと思って、最初はのんびり読んでいたのに、やめられなくて、頭を本につっこむようにして、一日で読了。もしかして、という不安が、ざわざわざわっと寄せてきて、笙さんと同じように衝撃を受けて、最後の方は泣いてた。よかった。よかったんかな。よかったんよね。単にハッピーエンドではなく、けれどすがすがしい終わり方。春の、肌寒いけど、明るい、川沿いの景色のような。鼻がむずむずするのも涙目になるのも、花粉症なのかもしれない。心に重石があるけれど、隣にはたのむ人がいて、ひたすらに陽は明るい。笙之介、という名前がとても好きでした。
2014年03月16日
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【送料無料】サザエさんうちあけ話/似たもの一家 [ 長谷川町子 ]価格:567円(税込、送料込)サザエさんうちあけ話。長谷川町子の自伝エッセイ、劇画です。小学生の時、通っていたピアノのレッスンの先生のところで読んだのが最初です。や、ピアノは身につきませんでしたが、よい本に出会えていたのはよかったな。何十年振りの再読ですが、まず感嘆したのが、長谷川町子の絵の上手さ!アニメのサザエさんを見慣れているのに、今更のびっくりでした。線がきれい。字がきれい。小さな規則正しいコマの中に、ちっともうるさくなく詰め込まれた生活。ドア、机、湯呑み、座布団。そして全身像。手も指も肘膝の関節もふくらはぎのふくらみも。立派な昭和史だなあ、と思いながら読みました。戦前、戦中、戦後。はらっと商売をはじめ、ぺたっと閉じる。常にスタートライン、そしてデッドライン。なのに明るい。今の時代、同じことをしようとしてもきっとできない。できるかな。長谷川町子ならできるかな。すごく独特だった。個性的とは違う。独特、という言葉の方が合う。菊池寛のエピソードが描かれていて、おおっと思いました。誰もが知っていた菊池寛。文壇の大御所。わたしは北村薫の「六の宮の姫君」を読んで、彼の時代の立ち位置を知ったのだけど、長谷川町子の活躍の時代には、菊池寛は菊池寛というだけで、何ら説明もいらなかったんだなあ、と。ずうずうしいけれど、繊細。繊細だけど自信家。けれどやっぱり、とても繊細。傷つきやすい感性を持ち続けながら、人の世で生きることを好きでいる人だったのだと思います。しんどかったろうなあ。けど、素敵。とても素敵でした。
2014年02月23日
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【送料無料】はるひのの、はる [ 加納朋子 ]おかえりなさい、加納さん。「モノレールねこ」くらいから、「おかあさん」ぽくなくなったなあと思っていました。ひさしぶりに「文学少女」が「作家」になった加納朋子の書いた「小説」を読んだ気がします。さやさんがクリーンなまま、たくましくたおやかな母になっていて、ユウスケがやさしい男の子として育っていて、穏やかな気持ちでのんびりと本を読むことができました。あこがれはたくさん。野の草を摘んで食べること。白い服の人を恨まない幽霊と出会うこと。バスに乗って彼岸に渡ること。夏の肝試し。薬草を入れる四角い革鞄。冬の早朝散歩。鷹と一緒に。しあわせの肯定のようなものを感じました。生まれて、成長して、恋をして、結婚して、子をなすことが、当たり前のしあわせなんだと包み込むような。このお話の中で悩んだり苦しんだりしている人は、その当たり前から弾き出された人たちです。その人たちもまた包まれて、物語の中、しあわせな生活に回帰します。やわらかいやわらかい、残酷な話です。どんな境遇の人にでも、はるひのはただそこに在るのでしょう。
2014年02月16日
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ご近所に雑貨屋さんがあります。お店の名前は知りません。雑貨屋さんでいいのかな。手作りの腕カバーとか、シュシュとか、籠に盛って店頭にならんでいるのは、なるほど雑貨屋さんらしく見えますが、ほかにもサボテンとかお野菜とか売っているときがあります。わたしはここでお花を買います。小さな花束が300円くらいで買えるので。たくさんの種類があるわけではないので、好みの花があるときだけ、小銭を出して、さっと買います。ねこやなぎの枝を200円で売っていたのを買いました。ねこやなぎの花色は、マリーローランサンのグレイだな、と、枝を抱えて思いました。この花の、ほわほわした綿のようなものを紡いで、糸に作ることはあるのかしらん。ねこやなぎを買ったよ、と知人にメールしたところ、猫嫌な木?、と返事がきました。え、と思って調べたけれど、特にネコに嫌われることもないようです。
2014年02月09日
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わたしは止まっていて 景色は止まっていて 電車がうごいている 今日も当たり前を感じることができました
2014年02月08日
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祖父の本棚でこの本に出会いました。まだ小学生のころだったので、中を少し見て、読まずに本棚に戻しました。日に焼けた岩波文庫。ハトロン紙が手の中で砕けた。年を経て、いま、図書館で借りました。この手記を残した方々の中には、祖父と生まれ年が変わらない方もいるでしょう。祖父に召集がかかったのはずいぶんと遅くて、令状が届いたすぐ後に原爆が落ち、召集に応じられないうちに戦争が終わったといいます。20年8月にも召集をしていたのか、と、驚きました。祖父は何を思ってこの本を読んだのだろう。祖父の本棚には、この本が2冊、ありました。将来のある、いや、未来のない、学生さんたちは、戦争に疑義を投げかけます。自由主義を語ります。敗戦を予感しています。敗戦国になりたくない。勝ちたい、より強かったような。あの時代の人たちは、軍国主義に身を投じ、ものを考えることを禁じられて、戦争に励んでいたのだと思っていました。どうしてこれだけ、ばかばかしいと思いながらも、戦争をしていたのだろう。自分があの時代に生きていたら、と考えることがあります。何度考えても、わたしは軍国少女で文学少女で、見合された人と結婚して、戦中の日常を泣いたり笑ったりしておくるだろうと思います。戦争が終わるまでは戦争は嫌だ、と言わないだろうと思います。言えるのは、若い人たちが戦争に取られだす前のうちだけ。「いやだ」と、言えるうちに、ちゃんと言わなきゃ。それも勇気がいるけれど。
2014年02月02日
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寒いですねえ。風邪などひかれてないですか?寒いときに、「さむっ」と思わず言ってしまうのは何故かしらということを、つらつらと考えていました。「さ」は風の音。あ音なのでのどが開いてあったかい息が出るけど唇をあまり開けなくてすむ音です。「む」はつむぐ音。「さ」で作ったあったかい息を「む」で一度止めて口の中に残す。「寒い」の「い」もあんまり口を開けなくてもいい音です。「寒いね」「寒い」「寒!」の順で、寒さの強さの表現にもなるのかしらん。なーんて、暖房のきいた部屋で書いてます。
2014年01月18日
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この小説の終わったあとを知りたいな、と思いました。あとがきで、「ここでは触れません。」と断られた続きを。 あいは良妻です。ほんとうに良妻。こっとんこっとんと機をおり、夫の生き方に沿うていく。女の生き方としてそれでいいのかな、と思うのはありますが、あいの生き方としてはそれでいいのだと思います。だからこそ、最後の、あいがいなくなったあとの最後の現実まで、物語を続けてほしかった。 どんなに個を滅して尽くしても、その人はその人として生きるということ。
2013年12月14日
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今日も皮膚科いきました。こないだと違うとこ。だってもう、全身かゆくなって、夜中に目が覚めて、たまらないんだもの。腕とか足とかお腹とかにも、小さな赤いぽつぽつが増えちゃって。 今日のお医者さまは、前からある湿疹と、手足の赤いぽつぽつは違うものだと診断されました。前からある湿疹をみて、「今までよく我慢してたねえ」と。湿疹てむずかしいですよね。かゆいだけだし。おさまる湿疹はすぐにおさまるし。どの程度でお医者さまにかかるべきなのか。でもやっぱり、早めにお医者さまにはかかるほうがいいんだと思います。 手足の赤いぽつぽつは乾燥からきてるものだって。保湿とかゆみどめを混ぜたクリームを処方していただきました。前にかかったお医者さまは、保湿禁止、せっけん禁止だったのですが、そこは何も言われず。けど、手足の湿疹は、弱い肌が乾燥してむれてこすれて湿疹になっているから、このところ綿製品を身につけるようにしている、というと、それはいいね、と、うなずかれました。お風呂でも、あんまりごしごしこすらないようにねって。禁止とまでは言われなかったけれど。 いちばんひどいところは、コットンを着るようにして、むれないようにパウダーをはたくようにして、よくなってきているので、前のお医者さまに教えていただいたことも有効だと思います。手の甲に10年来の湿疹があって、ここについてハンドクリーム禁止で、石膏のような貼り薬を出してもらったのも、それなりに効果が出ています。肌はぼろぼろだけど。ずっと市販のステロイド剤を塗っていた部位になるんだけど、肌の内側からふつふつかゆかったのをステロイドでおさえこんでいた感じがちょっと消えてきました。肌そのものが変わっていっている感じ、固く乾いた皮膚が入れ替わるとよくなりそうな感じなのです。 でもなあ、もともとステロイドとか塗ってなくって、ちょっと乾燥気味でかゆくなってたところはなあ。保湿クリーム禁止されて、かえってかゆみがまして、湿疹ができちゃったから、今日からそこにはクリーム復活です。ボディクリームすりこんでいると、肌がすいすい吸い込んでいく感じがしました。乾いてたんだなあ。 健康になるのも大事だけど、楽になるのも大事。がまんしすぎないようにして、治していこうと思います。
2013年11月30日
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朝の月 半月青い空に 半月 (だけど ぼくは いつだって かんぺきにまるいかたち)と、お月様。
2013年11月27日
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皮膚科行きました、皮膚科。夏の終わりにできた湿疹がまだ治らなくて、かゆいし、たまに引き攣れて痛いし。肌を見せるので、女医さんがいいなあ、と。検索して、「薬をつかわずにじっくり治す」クリニックと、明るくてきれいで美容外科なんかも手掛けてるクリニックとどちらにしようかなって。こどもを連れていくのなら前者だけど、勤め人としては、薬つかって、ぴしゃっと早く治したい。そう思っていたのに、でかけたのは、「薬を使わない」クリニックの方でした。や、興味があったんです。 診察していただいたところ、アドバイスは、「ハンドクリームは今日からやめてください」「石鹸を使わないようにしてください」「下着は綿100パーセントで袖があるものを(肌と肌が触れ合わない方がいいそうです)。ヒートテックはだめ!」とのこと。お薬は、謎の白い薬がまぶしてあるガーゼを一枚。荒れたところが切れたら、適当なサイズにカットして貼り付けるように、って。あ、むれるから、絆創膏は禁止です。すでに爛れてしまった部位には、本当に残念そうに、ステロイド配合の塗り薬を処方されました。むれ防止のパウダーと併用です。 ううむ。石鹸禁止。禁止、ねえ。肌の皮脂を取りすぎる、という話は聞いたことがあるけれど。一週間は試してみるけど。夏じゃないからいいけど。ちょっと不安。綿100パーセント、の方は、そうかもなって納得。わたし、むかしから、ストッキングがはけないのです。痛痒くって。今のこの全身のかゆさって、ストッキングはいたときのかゆさと似ている。このところ、安物の化繊のルームウエアばかり着ていたからなー、と、帰り道で綿のパジャマを買いました。 ほんとに治ったらすごいんだけど。自分の体で人体実験しているかんじ。
2013年11月25日
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【送料無料】ガン病棟のピーターラビット [ 中島梓 ]価格:567円(税込、送料込)先日、「転移」を読んだので、さかのぼって「ガン病棟のピーターラビット」を読んでみました。このときは胆管ガンの見立てだったんだなあ、と。最後、すい臓ガンだとわかるのですが、やはり予後がよくないガンだというのは栗本薫(中島梓)も知っていて、でも以前に4%だった5年生存率が、今は「4人に1人の生存率」までよくなった、ということを医師から聞いて、希望を持っておられました。とはいえ、医師は「あと半年」「1年という長い単位で計画を立てない方がいい」と厳しい状況をきちんと説明なさっています。どうして「転移」はあんなに明るかったのかなあ。「ガン病棟のピーターラビット」と少し明度が違います。「ガン病棟のピーターラビット」の方が手術後の体調や病院の環境など、愚痴と紙一重の描写が連ねてあって、生々しい。わたしはほかのガン患者と違う、という意識もほの見える。その、ざらりとした手触りがあるところが、欲望で、生きている人なんだなあ、と思います。読み物としては「予後」の方がきれいです。顔文字とか(爆)とか本文にあって、これ、口述筆記本なのかなあ、という言い回しもあって、計算して書いたのならすごいけれど、このころの栗本薫(中島梓)のクオリティであればこの文章なんだろう、とも思いました。それでも書きたかったんだなあ。書くことが好きだったんだなあ。書いたものを商品にすることにためらいがなかったんだなあ。強い。グインは30巻くらいで読むのをやめてしまって、手に取りなおすこともしないのだけど、もう栗本薫の書いたグインの新刊は出ないんだ、ということは、不自然なことに思えます。ご冥福をお祈りいたします。
2013年11月24日
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【送料無料】転移 [ 中島梓 ]価格:798円(税込、送料込)亡くなられたことを知ってから読む闘病記。以下、病気についてストレートな感想を書きますので、ご注意ください。どこか楽天的に、毎日の痛みがつづられていました。最後がどうなるか知っているから、「あ、そんなの食べて。」「あ。そんなお出かけして。」と、はらはらしました。自分にガンがあることをよく知っていながら、余命つきかけていることに目をそむけているような。痛いのも、ご飯が食べられないのも、お腹がくだるのも、足がむくむのも、腹水がたまるのも、原因はひとつなのに。1種類の抗がん剤を飲むだけの治療に疑問を呈することもなくて。栗本薫(中島梓)は読書家です。生と死とエロスに物語的なあこがれをもって小説を書いてきた人だと思っています。その彼女が、すい臓ガンの予後を知らなかったはずはない。読んでおられなかったのだろうか、ふるい少女マンガ、大和和紀「菩提樹」の先生の死因もすい臓ガンです。予後が悪いガンとして、物語にさまざま登場しているような印象があります。背中が痛い、という、描写。この本を読んだお医者様のブログを読みました。ガンが着々と進行しているのに気付かないでいる患者が痛々しい、という、視点でした。たいへん興味深い記事でした。「転移」を読みながら、(これはガンからきている症状ではないのかな)と思ったところが、ガンからきたものだ、と明瞭に説明してありました。なのに、著者は気づいていない、と。一日つらつらと考えているのですが、栗本薫は、中島梓は、気づいていたのではないのかな。だけど、気づかないことにしていたのではないのかな。冒頭で、すい臓ガンの転移した肝臓ガン、と説明しながら、その後は一貫して「肝臓にあるガン」と書き続けた。お医者さまの説明を待ち、悪いことをつっこんで尋ねようとはしなかった。たとえば、抗ガン剤を飲んでいるのに、なぜガンが増えるのか、とか、大きくなっているのかとか。(手記に書かれなかっただけかもしれませんが。)毎日、「これを食べた」「これが食べられた」「これを食べたけれど後からお腹が痛くなった」「今日は食べられた」と、大切に、体力を作る食事の記録がされていました。食べものの記録だから、最後まで読ませる闘病記にもなったのだと思います。死を見据えているようで、死から逃避した闘病記。当たり前だと思う。死ぬのは、怖いもの。
2013年11月17日
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かぐや姫は、なぜ、月に帰りたかったのだろう。月はあるのに。ずっと、あるのに。ほんとうに帰りたいところは、消えてしまった場所だろう。月に帰りたくて夜ごとに泣いたかぐや姫。月でも彼女は泣くのだろう。
2013年11月09日
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ジャイアンツは、おつかれさま。すっかりヒールだったね。ぼくらのカープが出ていたなら、どうなっていたことやら。カープが手も足も出なかったジャイアンツ相手に、楽天はいい試合ばかりして、ちゃんと勝って、ほんと強かったなあと思います。カープ、まだまだだ。さて。あらためまして、楽天イーグルス様、優勝おめでとうございます。球団創設9年目の日本一。早かったなー、と思います。すごい。見せてもらったなあ。野球の底力。東北の底力。広島の原爆資料館に行くと、戦前戦後の広島の歴史のなかに、カープの優勝も記述してあります。福島の友達を案内したとき、「広島の人がカープを好きなのがわかった気がする」と言われました。戦後の、ほかの都市よりも立ち遅れた復興の、象徴としてのカープ初優勝。広島の戦後は、一度、そこで息をついたように思えます。29年、かかりました。カープよりもずっと早く楽天は優勝したんだから、広島よりもずっと早く、東北は復興する。宮城の興奮が福島や岩手も巻き込んで、日本みんなで、前にすすもう。イーグルス、優勝おめでとう。
2013年11月04日
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そして悲しく歌うもの・・・室生犀星の小景異情その2この詩の最初の2節だけ、知っていて、続きを知ったときは、衝撃を受けました。・・・よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや・・・同じ経験をした人は多いんじゃないかと思います。活字になったものを読んだこともあります。あれは故郷を恋うる歌じゃないんだ、と、解釈されていたような。わたしは、「帰るところにあるまじや」を知ったのは高校生のときだったので、この詩に旅立ちを感じたものでした。唇をかんで前を向く少年のまなざしを思いました。帰らない、と決めて出ていく。失敗しても帰らない。帰れない。ふりむかない。あおーい。青臭い!今はまた違うものを思います。この間、讃岐を歩きました。まったく地縁のないところです。水田を眺め、彼岸花をみつけました。終わった野菜の茎をつみあげて焼いている人。わたしのこどものころの、わたしのふるさとの風景によく似ていました。室生犀星の小景異情その2をふと思い出しました。ふるさとは遠きにありて思うものそして悲しく歌うもの・・・いま、ふるさとに帰っても、ふるさとの風景は子供のころとは変わりました。わたしを育ててくれた祖父母も、もういません。墓参りにいく道で、変わったもの、変わらないものを数えて歩くようになりました。そこはふるさとです。けれど、もう、他所の土地の方が、ふるさとに似ています。何かがあれば、わたしはそこに帰るでしょう。けれど帰れない景色が二重写しで揺れて見えます。歳月は降った。土地の上にも、わたしの上にも。さあ。還暦のころ、わたしは何を思うでしょうか。
2013年09月16日
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【送料無料】乙女の密告 [ 赤染晶子 ]乙女のなりはなであったアンネが、2年間、「うしろの家」に閉ざされていたこと。その悲劇はアンネの年を通り過ぎたから、初めてわかる気がします。隠れ家、というものに、思春期のはじめにはあこがれていた。あんまり年の変わらない女の子が、世界を変えた偉人の一人に数えられていること。そのことにもあこがれて、日記を書いてみたりした。この小説に出てくる乙女は、アンネよりずいぶん年上で、だけど乙女で、すごく共感したけど、同じだけもどかしかった。彼女たちを超えてアンネを見た。アンネ。アンネ・フランク。多感な乙女が教養として知っている女の子。センチメンタルでもいい。どの世代まで、アンネは通じる?アンネ・フランク彼女が忘れらることがありませんように。
2013年08月25日
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歌っているわたしと叫んでいるあなたと耳ふさぐこども
2013年07月30日
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目が覚めたときから、雨の音がしている。 地表がすっかり冷めて、涼しい空気は足下に触れる。 小さなゆかり結びと、きゅうりのぬか漬けを三切れ、朝食にして、窓を開け放したまま、つまんだ。 雨はまだ降り続いている。
2013年07月28日
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つかれた。 読後、そう思いました。 女性特有の、こだわりとか意地とか執着とか欺瞞とか見栄とか虚飾とか。自分が過去におかしてきたミス(それをミスだと思うところがまた見栄なのだが)がどの話を読んでも思い起こされて、ざらざらとしました。 よく書くなあ。 辻村さんの中にもある感情なのに。 覗き込んだら、疲れるだろうに。 自分とぴったり重なる人はいないから、結局孤独なのに、他人と擦れ合って傷は出来て行く。そこに塩をなすりつけるような、痛々しい短編集。辛い。 鍵のない夢を見る [ 辻村深月 ]
2013年06月16日
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本を開くのも好きだけど、とじるのも好き。ぱたん。
2013年06月06日
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この町に引っ越してもうすぐ3年。月に2,3回のペースで、近所の図書館を使っています。こちらもカウンターの中の人たちの顔を覚えたけれど、あの人たちも、こちらの顔を覚えたり、するんだろうなあ。図書館の自由は尊重され、図書館の利用者がどんな本を読んだか読むのか、そこは潔癖なまでに記録してはいけないものだと思うけれども、行きかうのが人なら、記憶は残ります。カウンターの中の人は、わたしに、どんな物語を読んでいるのかな。リクエストしていた本を両手で丁寧に渡してくれた仕草を受け取って、ふと、思いました。自由に、はずかしくなく、本を読んでいこう。すきとおる、秋の夕暮れ。
2012年10月21日
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立ち上がれ!ど真ん中・おおつち以下、「立ち上がれ!ど真ん中・おおつち」HPから引用。・・・3月11日の東日本大震災で、これまで一生懸命築いてきたものが全て無くなりました。地域の水産加工業は全滅しました。幸い人は残りました。やる気はあります。ノウハウもあります。でも、資金がありません。応援してくれる人たちがいます。いち早く立ち上がって、狼煙を上げて地域のみんなを引っ張っていきたいと思います。皆さまのご支援を宜しくお願い致します。・・・このプロジェクト、すっごい自立していると思います。律儀で真面目。単に助けてって言うのじゃなくて、復興したら、サポーターのところに鮭が帰ってくる。ほんとうにささやかながら、一口、参加させていただきました。そうしたらお礼のハガキが届きました。メールとは別に、ですよ!ありがたいお話です。寒くなりますが、どうぞお体に気をつけて。この真面目な人たちの努力が、どうぞ報われますように。強く強く祈ります。
2011年10月21日
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