全55件 (55件中 1-50件目)
連絡が滞ってる方、すみません。メールを誤ってまとめて削除してしまいました。えーん。ちょっといろいろ忙しくしておりまして日記もmixiも滞ってます。えーん。JJにもらった「世紀末の詩」のデータもなかなか見れません。えーん。私の頭の中に消しゴムがあります。えーん。そうそう、来月私、引っ越します。そんなわけで金も時間も飛んでいきます。えーん。東京大空襲のドラマを見たら風呂に入れなくなりました。大学生にからかわれました。意外と小心者です。今朝の母との会話。母は今、他の患者さんとメールのやり取りをしてます。いいご家族に恵まれて、自分は子供に負担をかけるんじゃないかと呼吸器を悩んでらっしゃる方。ママンは聡明だとか行動力があるとか、強いとかべた褒めされて、メールで「行動力があって強いのは娘です」と珍しく娘をほめる文章を入力したところ、パソコンがフリーズした。パソコンまでも、ほめて伸ばすは非対応型らしい。『子供に迷惑かけないで死ぬは親のエゴです。 その後子供たちは傷ついて、一生苦しみます。いい迷惑です』なんて、さくら色な文章も書くようになった今日この頃・・・。ちょっと母が悩んだ。「命の責任持てないよ。」うーん。まあね。ピアサポートをお願いしますというメールはよく来る。だけど、最初から呼吸器をつけるのが普通だったとしたら足を切らなければいけないといわれるのと同じで呼吸器になりますと言われたほうが、そっちのほうが親切だ。それを患者の判断に任せて、呼吸器を決めたらその後放置プレイのほうがよっぽど無責任だと私は思うけどね。「最高の医療チームが、最高のサポートをする」って言われて放置プレイのほうが、無責任じゃないかなと思うけどね。(たとえその放置プレイが我が家に有効だったとしても)「でもママは呼吸器つけてみて そんなに悪くないこともたくさんあったよね? 子供の結婚式も出たし、いろんな出会いがあったし、 ママは呼吸器つけなかったことないから、つけないことをどうこう言えないけど つけても結構悪くないことは言えるよね? そっちのほうがよっぽど親切だと思わない? 娘はママが呼吸器つけて、そりゃ生活は大変だけど つけなければ良かったと思ったことは一度もないよ。 最初から悩まないでつけたらよかったんだよ。 そりゃあ大変っちゃ大変だけど 努力すればするだけ、還ってくるからね。」ママはちょっと涙ぐんでいたようだけどそう、行動したりいろんな人に出会ったりしてRPGさながらのサバイバルとアドベンチャーを展開していって子供たちは「お姫さママン」を助けるために一生懸命やるんだけどがんばって経験値を上げて、いろんな賢者に知恵を与えられてレベルがアップして、ボスまでたどり着くと押しても引いても、「お姫さママン」は頑なに動かない。「動かざること、山の如し・・・」ママンはニヤニヤ笑ったけどそうなの。周りの人を感動させたり、力になってもらったりすることは努力次第で何とかなっても、親というものは動かざること山の如し、押しても引いてもだめなのだ。私が自分の全責任をかけていえることがあるならば呼吸器をつけて生きたって、今はそれが当たり前だしつけなかった時のことなんて、考えたこともないってことくらいじゃないかな。今でも橋本さんに初めてお会いしたときのように「呼吸器つけても全然不幸じゃない」と声を大にして言えることじゃないだろうか。時々、家族みんなで足の位置を奪い合いながらコタツで横になってテレビを見ていたことを懐かしく思うけれど、時がたてば、何でも変わっていくものなのだし次は母がこうして当たり前に家にいて、二人きりで会話することを、いつか懐かしく思うのだろう。そういえば、ママンが隠した「コタツで寝ていてすごい顔になっているママンの写真」は実は今でも鏡台に入っているのだけど・・人に見られて困るものは一刻も早く捨てておくことはどんな人でも大事かもしれないよとアドバイスできるかもしれない。。
2008.03.30
コメント(2)
ALSの親を介護している、していたという人、どうかメッセージを下さい。私と同じような状況で介護している人たちは一体どんな生活をしていますか?仕事はしていますか?学校へは行っていますか?結婚は出来ましたか?どんな生活を送ってきましたか?もっと多くの人たちに出会いたいです。どうか、メッセージを下さい追記:メッセージ下さった方々ありがとうございます。 ただいまJJ来日中でなかなか更新できなくてすんません・・・。 メッセージにメールアドレスを書いても私にしか見えませんので アドレスも教えてください。来週には返事します。
2008.02.13
コメント(1)
「よだかの星 宮沢賢治」いじめられっこの醜いよだかは、鷹に市蔵と改名を迫られる。改名し、札をつけてみんなに名前を披露しろしなければ、殺すと脅される。星にあこがれたよだかは、殺されたくなくてその世界を出る。星になりたくて。太陽に相談するが、太陽は夜のことは分からない。オリオンに相談するが、相手にされず歌を歌うばかり。他の星座にも相手にされない。高く高く飛んで、ぼろぼろになって、飛んでいるのか落ちているのか分からなくなったよだかは自分が青く燃えていることに気づく、自分が光り輝いていることに気づき、微笑んで最期を迎える。今でもよだかは光り続けている。20年ほど前、小学校演劇クラブにて。姉はよだかをいじめる鷹の役で嫌がっていた。今なら喜んで演じるだろうに。ほうきを逆さに持って、威圧的な鷹を演じた。私は蜂すずめ1、2、3のどれかだった。もちろん蜂すずめなんか見たこともなかったし今でも知らない。スズメバチなら知ってるけど。蜂すずめ2の台詞が気に入って、何が何でもやりたかった。あみだくじで蜂すずめ2に選ばれたのに、その後誰かが駄々をこねてやり直しになった。結局蜂すずめ3になった。理由は分からないけど、発表に出たくないほど台詞が嫌いだった。「よだか兄さん、行っちゃいけないわ。 世の中には苦しいことがあるけれど、みんな我慢して暮らしているのよ」小説には蜂すずめはよだかと兄弟であるということしか出てこないし、もちろんこんな台詞も無い。だから、蜂すずめ2の台詞も、今はもう分からない。20年も前に、私がなぜ、この台詞を言いたくなかったのかどうしても思い出せないのだ。20年も経って、なんで蜂すずめ3だけ覚えているのかも全然分からないのだ。
2008.02.09
コメント(3)
皆様おひさしゅう。2008年も元気に働いています。病院で、家で、そして夢の中までも・・・。今月は大学生ボランティアちゃんが実習でお休みなので前の職場の先輩に資格を取らせて、毎週土曜日に入ってもらってたのですが月の半分入ってもらってます。いやはや不思議なもので、私とても元気です。全部介護任せてるわけではないのだけど、1人でやるよりずっと楽。そして朝ちゃんと起きれる。JJはまだ来日しておりません。12月が1月になり、1月が2月になり・・どうやら旧正月明けに来るようです。今一生懸命アルバイトしています。今日はサウナに泊まるらしいです。最近韓国語を習い始めた私。なるべく韓国語でがんばってますが愛の会話も発音練習からですから、なんだか切ない女心です。一緒に温泉でも行こうかな・・。はてさて、医局砒素、じゃなくて仮の姿は医局秘書な私なのですが先日外来にカルテを届けに行ったら、どこかで見た人が・・そう、母が呼吸器をつけるまでお世話になって「あなたには自己管理能力が無い」と母に言ったあの先生。そして仙台でのテレビ電話講演を母に依頼してくれてこないだは東京でテレビ電話講演やったんだけどその主任研究者であるI先生。「ちょっとまって」と言われてしまったのでほんとに診察終わるまで廊下に立たされているが如く待っていたんですが先生同士の診察ってなんか変。。。どっちの診察だか分かんない。そのときに入院は「17日くらいかな」とうちの先生が言ってたら、ほんとに今日、入院しに来ました。んで、どっちが悪いのかは知らないけど入院リストに先生の名前が無くて、I先生ご立腹(らしい)主治医のN先生が「えへへ。早速怒られちゃった~」と医局に入ってきたので何事かと思ったら、ああやっぱり?せっかくなんで、仕事が終わってからタリーズで買ったゴデイバのチョコレートを持っていろんな先生に病室を聞いて、お見舞いへ。・・放射線病棟の個室に先生はしっかり陣取ってました。秘書さん呼んで仕事かなあと思って顔を出すと、ななななんと、奥様が!!あら、素敵奥様。小話なぞして(笑)聞くとうちの科の病棟へ検査に行った様なので検査してるところを待ち伏せてみました。すっごい変な顔をして通り過ぎていくうちの科の先生達。そして忘年会で超真顔で「そんなの関係ねえ!」をやり自慢の6つに割れた腹と筋肉を披露してくれた超真面目な研修医の先生が「俺、今日むちゃくちゃ怒られたっす・・」とバツの悪そうな顔をしておりました。しばらくしたらI先生が出てきました。・・・口が開いていたので結構びっくりしてたんだと思う。「明日手術だよ。今日は参った。予約されてないなんて・・。オペは臨時手術だよ」と言うのでうちの手術が時間通り終わったことも始まったことも無いことを教えてあげました。うちの先生にI先生のカルテを頼まれて病室まで見送りするとI先生はこんなときでも「この間のお母さんの講演は原稿がすばらしかった」と言ってくれました。明日は何が食べたいですか、I先生★・・・とちょっと思いました。またまた病室へ着くと、奥様に先生「この子、秘書さん。お母さんがALSで・・」奥様「ええ、聞きましたよ」先生「この間この子のお母さんがすばらしい講演をやったんだ」奥様「はい、聞きましたよ」・・・先生、こんなときでも仕事の話ですか。「先生、また来ていいですか?」と聞いたら「いいよ」と言うのでまた行こうと思います。あ、病院の中に入ってるパン屋のパンがおいしいって教えてあげればよかった。そんな感じでしたよ。ajiさん、F兄貴、そして愛音ちゃん。見てるかな、なずなちゃんとなずなちゃんのお母さん。せっかくなので、オペ終わって落ち着いた頃に、また遊びに行ってきます。奥さんに果物屋さんで売ってるお菓子を買ってあげよう。
2008.01.17
コメント(2)
一人になるとヤバイです。母のスイッチの調子が悪くなったっていったって自分の知ってる誰より早く打ってるはずなのに。びっくりするくらい、一人になると凹みます。仕事があるって素敵です。私もいつも元気な娘でいたいから、文句言いながら、笑いながらの毎日に代わりはないんだけど。でも、こういうときになってスイッチ調整5分が10分になって(なんていうと先輩は「俺は30分だ!」と笑うんだけど)「仕事行けない!」と文句を垂れてしまう自分に反省したりします。頼みのJJはバイトと試験で過労死寸前のスケジュールだけど「寂しい思いをさせてごめんね」と電話をくれます。一体、今までいくつのALSに奪われてきた物を乗り越えてきたんだろう。病院に居る期間が長かったから、小さなダメージで済んだのか。姉に、「親指が動かなくなってきたかもしれない」と言ったらきっと心配するだろうし、新婚の蜜月にそんなこと言いたくないしだからってママに、「私はママの指が動かなくなってきて悲しい」とは一生懸命、コール間違ってガンガン鳴らしながら日記をつけている母には言えないものです。なかなかウザイです(笑でも「がんばれー」と声をかけています。そんな中、昨日は毎週の看護学生ちゃんが泊まってくれる日だったのですがこんな気持ちをちょっと話したのです。彼女も、まだ、夏から入ったばかりだけど、結構ショックを受けていました。すっごいピュアな目で、「そうですよね」と聞いてくれた彼女。一人になって、介護の大変さもあるけれどそうか、分け合える人がいないからしんどかったんだと思いました。一昨日、家ではなずなちゃん親子とajiさんとママはWeb会議をしたのですが私は仕事で、参加できず。たまたま飲み会だったので、飲み会の前に、先輩カップルに会いました。いや、ほんとはデートだし邪魔したくは無かったんだけど長い付き合いだから先輩がしっかり察知してくれたようで。彼は土曜日泊まってくれるから、多分一杯愚痴ります。一人で盛り上げるのって難しいんだなあ・・この二人の存在にとても助けられています。もちろん、JJにも。そして、年末にママに会いに来てくれるBobは私の為にLululemonのヨガマットを買ってきてくれるそうで。(ウフ今日は職場の秘書先輩(天然でツンデレ)が買い物に付き合ってくれた。可愛いコート買えた。2年の無職生活で、セーターにトレーナーとかで寒さ凌いでたから嬉しい。あ・・・書いたらなんだか元気になってきた。っていうか、良かったことが一杯出てくる出てくる。あんまり落ち込んだときは日記書くのは嫌だけどこうやって書いて分かち合えてるんだと思うと皆様にも、助けられてます。もう少し時間は掛かるけど、私は確実に元気になってんじゃん。
2007.11.29
コメント(4)
何もかも順調、何もかもこれからという今親指が動かなくなっていく。今まで目をつぶっていたけれど、分かっていた。親を介護するということは、いつも元気だった親が老いていくことを見ていくことなのだ。それはとても残酷なことなのだ。ALSのスピードはもっと急展開だ。残りわずかなろうそくを灯してるみたいだ。何も足せない。引き算だけだ。私は本当は今何をすべきなんだろう。楽しく毎日をこなしていくには私も母も、ちょっと電池が足りないみたいだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ちょっと考えた。んで、ママンに話してみた。「お母さん、先生の研究、辞めない?」ママは何回も打ち直しつつ「なんで?」と打った。「だって、これ電波少年の企画みたいだよ。 懸賞で生きるとか、巨人が勝たなきゃご飯が食べれないとか・・ ママがやらなきゃいけないことはこれじゃないような気がする。」寝る前の薬を入れながら、「電波少年」の言葉にちょっとウケたママは歯を出して笑った。「それに、ママがいつか文章を全く打てなくなったら、先生はママを見限るよ。 先生はママを叱咤激励してくれたし、よくやってくれた。 だけど、この研究はやっぱり絵に描いた餅にしか見えない。 ママじゃなくてもいい気がする。だってママはやること見えてるんだから。 1月までやってみて、そこからママが選べばいいんだけどさ・・・。」 「私はこれはママにとって何のメリットも無いような気がする。 なんせ、何十時間と原稿に当たった時間は何にも換算されないわけだし、時間は貴重。 ママだってシェイクスピアやってたし、分かると思うけど、 人前に立って何かするときって、空気を肌で感じるものじゃない? 寝てる人も居るかもしれないし、泣いてる人も居るかもしれない。 いくらディスプレーから観客が見えたって、観客全員でかもし出してる空気は 分からないし、ぬくもりも無いよね。 それに、一番伝えたい患者さんは、前のママのように、会場には来ないよね。」 「今後、ママが死ぬまで一体何文字打てるかどうかなんて分からないよね。 でも、それでも伝えなきゃいけないことは一杯あるよね。 これから、たくさん学生が入ってきて、いろんな人たちに会って たとえば、孫が出来て、私が結婚して、近所の人とお茶したり、 何でか飲み会なんかもやるかもしれない。 ママの10年後は70で、そういう穏やかな時間を過ごすことが 私はママの目指すべき未来だと思う。 原稿がママの生活で大部分を占めて、私とも会話が出来なくなったら嫌だよ。 楽しく毎日を過ごしてるのに、会話がなくなったら楽しくないよ。 心に余裕がなければ、楽しくは過ごせないよ。 学生達とも会話がほとんど出来なくなっちゃうよね。 先生は感動がなければ、人は集まらないと言ったけど、 私はこの家には感動はたくさんあると思う。 60代、親父がバンド組む団塊の世代だけど、ママは講演することを 親父バンドみたいに生きがいに出来るとはちょっと思えないんだ。」 ママは目を真ん丸くした上、ヨダレまで流してましたが、あっさり「んだな。辞めようか。」と言った。「まあ、1月までやって、それから考えたらいいよ。」親指一本にその期待はあまりにも大きすぎる。伝えたいことは伝えたい人に、伝えたいときに伝えるべきもの。誰かに言われて伝えることでは、無いと思うのだ。私もママとの時間を、もっと大事に生きていきたいのだ。「辞めようか」と言った後、ママの親指はもっと軽快に動き始めたような気がする。「ALSは心の病気」と言った人がいた。・・・・そうかもしれない。
2007.11.26
コメント(4)
こんばんわ。サクライです。MIXIばっかやっててすみません。我が家ではいろんなことがありました。先週17日、姉の結婚式がありました。結婚式までの3日くらい、私真剣に悩んでました。正直、ちゃんと喜べるのか自信が無かったのです。「よかったね。ヨーコがいるね」ってみんなが呪いの言葉を投げかけるんじゃないかと急に怖くなったのです。・・・というのも、姉は4月に家を出て行ってから母に悪態をついたり(ママ曰く)、週に1度の介護は大変だと言うので「来なくていいよ」と言ったのですよ。他にも出来ることあるしね。それで、たまにおかずなんかを持ってくるようになったのですが家から10分くらいのところに住んでいるのに仕事を始めた途端、全く来なくなりました。結婚するってそういうもんなのかも・・なんて思ったのですが母の介護体制がどうなっているとか、学生ボランティアがどうとか取材がどうとか、全く関心ないのか、忙しいのか知ろうとも、参加することも無かったのです。その代わり、私が飲み会の日はお願いして、来てもらっていました。でも泊まらないで帰ってました。まあ、新婚だし。JJとディズニーランドに行った時は泊まってくれて、私はとても助かったのだけど。今、ママンは結構面白いことをやろうとしていて、ケアマネが変わったり、講演があったり、東京で研修なんかもあるんだけど「人手が足りなければ行く」という感じで母は、多分、家族でみんなで行って、思い出を作りたかったのだろうけどちょっとね、裏返しの思いやりなのか、何か誤解があるのか・・散々「仕事しながら介護は出来ない」と言っていたのに妹はいいのか!とママンも結構ご立腹。でも私が夜看てたから、夜起されることの大変さは分からないのかもしれないし。そんな中で、結婚式だったので私もちょっと考えてしまいました。家族を持ったわけだし、あんまり頼りに出来ないのも事実だしだけど、急に、私の人生これからどうなっていくんだろうと不安になったりしたのです。きっと24時間他人介護が出来る、絶対出来る、私はきっと結婚もする。親になることがきっとあるだろう。母ともいろんな形で一緒にいろんなことずっともっと出来ると勝手に確信して今まで突き進んでいたわけで、いざ立ち止まってみるとなんだか急に、不安になったのです。私だってそんなに立派な人間じゃないので「なんであたしだけ・・」と思わないはずも無いのです。準備も、前日も大変でした。姉は泊まらなかったけどおばあちゃんが来てうちに泊まりました。姉とおばあちゃんとおいしいもの食べて色々話して。姉が帰宅すると母が2人になったようで、かなりきつい一日でした(笑だけどいざ、結婚式に行ってみたら何でしょう、不思議。私、姉の結婚をホントにホントに喜んでいました。ママンはずっと泣きっぱなし。私の晴れ着を観ては泣きっぱなし。姉がドレス着て登場したら又泣きっぱなし。今まで会えなかった親戚に会ってまた、泣きっぱなし。良かった。本当に良かった。葬式でしか会えなかった人たちが「良かったね」「おめでとう」と言って喜んで会えるって素敵です。それで涙するって素敵。結婚するまではホント色々あったよ。姉も鬱だったし、旦那さんと喧嘩も一杯して。家族に相談したりして、でもがんばったよね。いきなり出て行ったり、わけわかんないこともしたけど、大団円だよ。これでよかったんだと本気で思った。母も、新婦の母として、大役を勤めたし写真やスライドをパソコンに入れて、時々眺めて思い出してます。帰宅して、疲労困憊な私たち、母に「姉の結婚式を祝える妹でよかった」と言ったら母は「それが家族だよ。次はヨーコの番だね。」って言ってくれました。(本気?)が・・・、翌日、姉から東京の研修には行かないメールを受け取ったママンは「妹に何でも押し付ける気か!」とご立腹・・・(笑「あんたもうち離れること考えなさいよ!」って言われました。どうどう・・。これからも母子バトルが繰り広げられそうです。。。姉が本当に介護に携わらないことはきっとプラスに働くような気がするのです。(交渉なんかで)とはいえ、無理は禁物。なんて思ってたら早速、私熱が出まして・・これは「姉の結婚式を祝える」という知恵熱だと理解しました。着物で介護はいけませんなあ・・・。まあ、もうそんな着る機会もないだろうけど。理解ある同僚に恵まれているので、早退させてもらいました。ぐっすり寝れるのは、昼間ヘルパーさんが居るときとボランティアが夜勤してくれるときだけだからしょうがないんだけど・・・。そして、昨日、母がコミュニケーションの講演で初出陣しました。ママンもオシャレして私もオシャレして行きましたよ。ママンの書いた、A4用紙5枚ほどの文章を代わりに読みました。ボランティアさん2名、そしてヘルパーしてくれてる幼馴染が一緒でした。でも、なんか、私たち浮いていたかも。。。母は服のせいか、お尻が痛くて、暑くて空気が薄く感じたみたい。夕方のニュースでもちょっと映って、ドキドキしました。母も「ヨーコ良かったよ~。ちゃんとアドリブの紹介もよかったよ~」と褒めてくれました。ウフフ。なんか楽しかったですが、もっとお互い体力つけないといけませんねえ。。。そして今日、病院の怖い先生がやってきました。12月、1月の自宅からの遠隔テレビ講演依頼だと思っていたんですが「講演で食べていく」というプロジェクトに参加しないかという話でした。。。そんな夢物語のようなことを先生節で言うもんだからなんか、プロの詐欺師にだまされてるんじゃ・・という感じ(笑「介護事業は右肩下がりですよ。 それでも、何とか稼がなくちゃいけない。 科研費でも講演は5000円くらいでしょう。でも講演で人気のある人は 一回につき50万とか稼げるんですよ。 そちらから出資はしなくていい。機材はこちらで用意するし、 テレビ中継だから移動の心配もない。私と組まないかと言ってるのです。」(この辺の口調が怪しい)私は正直、何百人のALS患者のうちの1人としてこういう研究に参加して自分ひとり食べていけるようにするよりも、現状に即した運動をしていくことのほうが、有益な気がするのですが・・・・すっげえ、怪しかった。いや、それは先生の個性かもしれないけど。だけど、母は「出来ないことは出来ないのだから、まずやってみないとね」と結構前向き。先生が言い残した、「忙しいほうが介護が減る」は確かにそうかもしれないけど私はそれでいいのだろうかと思ったり・・・・。先生のプレゼンも見たけど、なんか先生が介護体制作ったみたいだったし・・(笑いや、それも一理あるとして、異論はしませんでしたよ。面倒だし。講演で母がどれほどいろんな人たちが自分を生かしたか、話せるからね。そんなわけで、なんだかすっごく忙しくなりそうです。私もパワーポイントでお手伝いすることにしました。どうなるか分からないけど、人生は挑戦の繰り返しですな。あ、そうそう。JJともちゃんと仲良くしています。今、彼は夜のバイトをしています。お金稼いで日本に来る気だな。彼は卒業したらどうするのかは不明ですが、いつも思いやりを大事に、二人続いています。姉のことで悩んでいるときも「ヨーコはお母さんのそばにいて」とおばあちゃんに言われたときも「それでも、愛してる~」と言ってくれてます。彼は前向き。私はホント救われてます。ただ、テレビのニュースに出たことは「ストーカーが出る!」と大騒ぎしてました。。いや、それは絶対にありません。
2007.11.23
コメント(0)
12月からあっていない病院主治医のIちゃんから 母に電話が来たらしい。 ヘルパーさんが取ってくれたみたいだけど コミュニケーション関連の講演依頼。 今まで電話ひとつよこさなかったあの主治医が、ああん? 呼吸器つける前、 「講演のひとつでもやってカンパもらってでも 生きていくことを考えろ」とか 言っていたIちゃん (ちょっと北村弁護士似)一体いくらギャラくれるんだろうなあ、ああん? 講演と言っても、会場には行かず。 ビデオチャットみたいに カメラつけて、母はパソコンの音声で読ませて話するらしい。 難病協議会からも、ALS協会の支部長さんからも メールが来た。同じ講演依頼。 ママンは結構喜んでるね。残念ながら平日なんで、娘はでしゃばれないけど 一体どこでやるんだろう。 12月の水曜日らしいけど・・・。 うちの病院だったら抜けて行くんだけど(笑 「家族は所詮当事者じゃないんだよ」なんて 言われたし、でしゃばったらIちゃん嫌がるだろうから 娘は服とか化粧とか選んであげなくっちゃね~。むふー。 区役所の担当からも、在宅の現状として 研修医を家に連れて見学させたいって連絡が来た。 ホントの現状見るならうちじゃないような気もするんですが・・・。 新聞記事なんかで顔出してるし、例を挙げるにはもってこいなのかしらね。 なんか、ホントにママン引っ張りだこになってきたなあ。。 パックでもしてあげようかしら。。学生ボランティア1号ちゃんがホントがんばってくれて今7人の学生候補がいるので、今後研修なんかもどうやって行くか考えていかないといけません。あとは来月の結婚式に呼吸器用の洗濯ばさみを可愛いやつで加工しなくちゃね。ママンの周りが変わってきた。ママンももっと変わっていくのだろう。責任ってやつも大きくなってきた。ああ~、みんなに自慢してやりたい。声を大にしていいたい。うちの母ちゃんすげえだろって。・・どうせ医局でそんなん言ったら、みんな引くんだろうけどさ。(笑娘は日曜日でJJと付き合って3年だよ。まだ、今でも何にも失ってません。・・・が、医局に中国人留学生がやってきて英語力は確実に失われていることを感じました。(笑普段JJとどうしゃべってるんだっけ・・・・・・・・・・・。ウゴ!!今、F兄貴から電話来て、コミュニケーション講演が2つ同じ日にあるためダブルブッキングだということが判明したぞ!!!!!!Fさん、「はっはっは~引っ張りだこじゃないすか!」じゃないよ!!!ママンが固まったぞ~~!!どうするママン!!
2007.10.12
コメント(3)
こんばんわ。サクライヨーコです。いやー久しぶりの更新。いろんなことがおきています。昨日なんかもカナダの友達のマイがうちに泊まりに来て「ヨーコだからできるんだよ! こんな爆笑しながら介護するやつなんてみたことない!」・・・と、お褒めの言葉をいただきました。褒めてんのか・・なんなのか。「すっげえ居心地よかったから又泊めてねー」と最後は記念写真(しかもママンに猫耳をつけて)撮っていきました。JJとも仲良くやってます。夏休みに来てくれて今回は〒の字で母と3人で寝ました。来月で3年になります。はっはっは!「国際カップルはみんな別れた!次別れるのはお前らだ!」と言ったカナダの同級生ども!恐れ入ったか!今回の旅では松島とディズニーリゾートを満喫。いやー、「ラブ度が上がる」という姉のアドバイスはお見事だったわ。私も働いて収入があるんで、豪華に遊んだよ。でも結局JJ払っちゃったんだけど・・。ペアリングも買ってくれたし。相変わらずバカップル。使える人間は誰でも使うので母の体位変換を一緒にやってもらったんだけど体をベッドの上のほうに上げたかったのね。「呼吸器あるからJJお尻持って」って言ったらJJったらママンに日本語で「おしりは大丈夫ですか!?」ママン大爆笑。楽しかった。今年の夏は暑かったね。地球温暖化って熱くなるだけじゃないんだなって思った夏だった。生きると思っていたALSの人が2人亡くなった。また、いつか会えると思っていたALSの人も亡くなった。そんな知らせが来て、いたたまれない気持ちになった。自分にもっと何かできたんじゃないかと思った。あともう少し時間があればと思ったり。親が死ぬってほんとに辛い。身内が死ぬのは本当に。自分の周りだけ重力が重くなって、悲しくなる。それでも生きていくことだけど、やっぱりお風呂で涙が出るものだよ。それでも生きていくと、自分は変わっていくけどいつも変わらず、毎日のように会話に出てくることがああ、自分の中に生きてるってこういうことかと思う。なんて真面目なことを思いながら眉毛を抜きながら鼻の穴を広げて鼻の下を伸ばして口をへの字にして目を大きく開くと、思わず咥えた煙草を落としそうなほどにそっくりなお父さんが見えるんだけれども・・・。そんなわけで母子二人暮らしですが毎日ほんとに楽しいんですよ。レペタン入れてるはずなのに、夜になるとママンは元気になってあたしを寝せないくらいおしゃべりになるし11月には姉の結婚式で、あーでもないこーでもない揉めたりしてホントにこの生活が続いても、私は本当は苦しくなんかないのです。呼吸器様様なのです。一回検査入院しようかなんて話が出てさ。言ったよ。「3日も一人なんて寂しくて耐えられないから入院しないで!」って。だって母がいないと誰も来ないんだもん!!結局入院しないことになったんだけどね。病院なんか1日だっていて欲しくないよ。ママンも寂しいし。8時までの日が増えたし、週に2回は大学生と先輩が泊まってくれるしますます娘らしく暮らしていますがこんな母と二人の日も、私は幸せ。一緒に同じテレビ見て爆笑してる母の歯を見るのが好き。夜はなんでもないような話をJJとしてママンが寝るときにめがねを取りながらママンも「JJおやすみ~」って言ってJJは「あ!おやすみなさい!」って言ってママンはもう次のこと考えてるね。娘のことなんかきっと置いていくわよ。娘はただそこにいて「天才だ!」とか「私の右に並ぶものはいない!」とか言いながら母の吸引をするのです。これからどうなるのかは私にも分からないけど私は昔はただなんとなく毎日を送ってるような気がしていたけど今は毎日を全力で生きていて、それがとても幸せなのです。ママンががんばってるのを傍らで見ていることも幸せなのです。(しかも天才的吸引力をいつかママンに褒めさせたいので)今、日記がかけないのは、私が幸せだからなんだなと思うのです。そういうわけで、日記をこれからもお休みしようと思うのです。たまに何か素敵なことがあったらこれからも書いていきたいなあと思うんだけどmixiもあるし、何より母と話すことが楽しいのです。JJとも話す時間が少なくなったので、もっといちゃいちゃ話していたいのです。そんな毎日が楽しくて、幸せなのです。そういうわけで、心配してる人がいたらごめんなさい。これからもこんなペースになると思いますがよろしくおねがいします。
2007.09.17
コメント(6)
本日の夕刊に載っちゃいました。申し分程度に写った私の髪の毛をご覧ください。(笑下は先日の美女会。5%で表示してみました。微妙にぼかしてみた。愛音ちゃんを見つけた人に100円。んふ。食間水やるから今日はこの辺で。(笑
2007.07.09
コメント(7)
今日も今日とて秘書生活。私にも夏休みがもらえるみたいです。JJが来たら夏休み取ろう!夏休みがあること自体すごい!前はお盆は稼ぎ時だったもの。今日はまたダンディな新聞記者さんが来て、ママンの掲載記事の確認と、インタビューにきたそうです。インタビューはあらかじめ質問をもらっていてママンは朝4時に私をたたき起こし、いろいろ書いていたんですがねえ、ママン・・娘のこの2年の働きっぷりを褒めた?ねえ、ママン・・・ダンディ記者さんは、この娘のことは褒めてた?・・・って聞いたらママン「(笑)」しかもヨダレたれてる!!ちょっとー、もっと褒めてくれてもいいんじゃないの?たとえば、ママンが車椅子で生活していた頃、部屋に蚊が出たので避難して、床で寝ていたら、夜中、ママンが柵にしがみついてアクロバットしながら断末魔を叫んでいたのを救ったこととか!!たとえば、ママンが下痢になって、おしりパットしかなくて7枚も敷いて一枚ずつ抜いてプロ並みの対応をしたとか!いや、これだって命救ってるって!いろんな患者さんとこに行ったことも救急車を呼んだことにも優るとも劣らぬ娘の武勇伝じゃないか!!・・・って言ったらさ、ママン「(笑)×(笑)笑いすぎ。 涙が耳に入る~~~!!」もっと娘も売り込んでくれよ。・・・あたしもダンディにもてたいよ(笑こないだ風呂上りに素っ裸で「ママ!見て!この大胸筋!ジム効果?」と聞いたら「・・・骨。」と言われた。褒めて伸ばしてくれ!ママン!
2007.06.14
コメント(3)
今朝、母が分けわかんないものをインストールしてしまいパソコンを今お掃除してあげたらママン、爆睡。テレビも音楽もない静かな時間が流れています。さっきまでラピュタとかトトロとか聞いてたんだけど私がモムチャンダイエット本のDVDを見ていたのでそして直ぐ飽きたので、音楽もなし。時計の音と呼吸器の音、あと車の音だけ。家の中いつも騒がしいのは自分だったんだなあと思う瞬間。ママンはここんとこ記事とインタビュー記事に追われて毎朝4時から5時くらいに私を起してはパソコンを起動させて、なんかカチカチ打ってました。かと思ったらメールの返信。そんでワタクシ、ちょっとキレました。「娘には指示だけかい!オートマティカリーに介護受けてんのかい!」月水金土はごみの日よ。8時半には食管水入れたいじゃない。何時に寝るの?寝てから寝るのよ?今日は車椅子乗ったんだったら、なんかないの?どんな一日だったのよ?近所の人のほうがママンのことよっぽど知ってるわよ!ところがママン、私の言うことは文句にしか聞こえなかった模様で「あんたの時間も考えてる!介護負担を減らせばいいんでしょう!」そうじゃないんだ。そうじゃない。介護時間なんかいいんだよ。これからゆっくり一緒にやってくんだから。そうじゃなくて、2人きりで生活してるんだからあたしだけが楽しくやればいいんじゃないんだよ。二人で生活しているんだってことを忘れないでほしいんだよ。介護は仕事じゃないんだよ。ママンはすぐには分からなかったけど分かってくれました。ちょっと涙ながしながら「ママンが焦っていたんだね」と言ってくれました。いつかの自分を見ているようでした。24時間介護体制を作るのはある意味、ママンには愛かもしれないけど、24時間介護体制は私にとっては親離れと子離れなのだ。まだ車椅子が初心者でせっかくの仙台公演のドラリオンにはいけませんが友達のむろむろがDVDを貸してくれたのでママンと一緒に見ました。ママン超感動。せっかくなので椅子の上でドラリオンしてみました。ママン超爆笑。やっとインタビュー記事が終わったのでママンはその後記事を記者さんに送ろうとしました。「もう、笑わせないでよ。●●さん(記者さん)・・」ああ、メールすんのね?「●●さん におくって」うんうん。お疲れ。長かったね~。明日は寝坊してね~。・・・・・変換。「●●さん 200000000って」ママン絶句!そして爆笑!震えで打てなくなるほど爆笑。ママンの同窓生からの色紙も読んでまったりな一日を過ごしました。考えてもみればこの家に響いている声は私だけなのだ。でもそうだっけ?って感じなのだ。それがいいのだ。腹がよじれるほど笑うのがいいのだ。ママンの記事は終わった。段々、自分の言葉になってきたね。私に見せてから送ろうとするけど、そんなことはもうしなくても大丈夫なのだ。
2007.06.11
コメント(2)
書き込みだったり掲示板で交流のあるピーナッツさん姉妹が新幹線に乗ってやってきた!カナダで買ったダボダボのパンツに、ちょっと破れかけたTシャツ(しかも中古)で母に呼び止められるほど、髪はぼさぼさで、近くのメガネ屋まで迎えに行くとびっくりするような、美しい姉妹がそこにいらっしゃいました。秘書モード全開にすればよかった・・・・・。漫画にするんだったらあたしは二頭身で、彼女達はぶち抜きの八頭身だ!速攻「高級住宅地だね」と言われたよ!築30年、雨漏りすること数知れず!水道管は何度も穴開くし、外階段には板が差し込んだままで腐っていたのに!モデルハウス時代のパンフには「夏涼しく冬暖かい家」と書いてあるのに、本当は「春寒くて、夏涼しくて、秋寒くて、冬極寒の家」なのに!!田舎だからね・・・家はね。初対面だけど、私の状況をかなり(ある意味親以上に)理解してるので「JJと長いよね~」といわれるとドキドキしますね。ママンも「初対面とは思えなかったねえ」なんて後になって言ってましたがそんな美人姉妹と、呼吸器をつけるまでのことやらもともとの母の性格やら、いろいろ話しました。なんだか、まだ呼吸器をつけてらっしゃらないお母様とリンクする部分があるみたい。話し方がお母様そっくりだって!もう、これでもかって言うほどいうほどにママンにほめ言葉をくれました。調子に乗りそうだ!でも、娘が明るいって、ホントすごい力になると思うのよ。こうやって、動けない母に代わって、いろんな人に会って、道しるべになってやりたくなるもんなのよ。ところが母って言うもんは、「すごいことをやらせようとしている・・」とか「娘が社会勉強をしている。偉い。」とか思うものなのよ。不思議なもんで、我が家だって、1月にやっと元の母に戻り始めたのだ。戻れば早いよ。増えるわかめみたいだよ。戻ったときに、道に迷わないように、絶対娘がやったことも、最初は無駄なんじゃとか思ってもちゃんと、後から効いてくるのよ。それが人脈だったりするのよ。信じることってやっぱ大事だな。自分に。きっと、ピーナッツさんたちのお母さんもうちのママンと同じような道をたどってこのまま家族で進んでいけばきっとハッピーが待っているような気がする。そういう娘のお母さんだもん。今日言われて気づいたんだけど「呼吸器つけて後悔したときなんて言ったらいいか」という話。うちはたまたま母がつけるって言ってつけたせいか「あんたが決めたんだろう!」とはねのけたね・・(笑あんだけ「つけるものだって思ってるから!」とか言ってたのに考えると、なんて冷たい娘(笑しかしALSの娘さんってどうも他人とは思えないのよね。不思議なことに。愛音ちゃんもそうだったし、なずなちゃんもそうだったし(もうすぐ会えるね~楽しみだ)んで、内なるエネルギーをバリバリ感じるのよ。娘は強い。私にはレモン茶と、クッキーをお土産に母には私もほしい素敵なカチューシャをもらいました。なかなか似合う。最初はママン、ちゃんと鏡で見れてなかったようで「美輪様みたい?」とか言ってたんですが後になって、明るくして見せたらかなりのお気に入り。今月半ばに某大学の集まりに行くときに装着決定!写真担当愛音くん、よろしく頼む!お二人が帰ったあと「素敵な姉妹だったねー」という母に「しっかりしたおねえちゃんがほしい!生んでくれ!」と言ったら今度は姉がやってきてまた、結婚式の招待者で母と揉めていた(笑せっかくカチューシャがあるので、6月半ばのお出かけのために服を選んでみました。サイズがLとかLLなので「女は海~♪」と言いながら、なぜか私が試着。娘も母もおしゃれで行きたいじゃない?ママンが「どうせ靴は隠れるからいいか」と言うので箪笥の奥に眠っている私の秘密道具を出してみた。赤い靴下。ママン笑いが止まりません。おしゃれおしゃれ~。これも撮ってね、愛音君!
2007.06.03
コメント(6)
春恒例、胃炎にやられて本日病欠でございます。昨日、夜に作ったタイカレーを温めていたら急につわりが・・(笑匂いで食べれないなんて、信じられない。(食道楽)熱も出たらしく、今日は熱が下がって頭が痛い・・。母は姉と喧嘩していて、土曜日も日曜日も姉は来ませんでしたので母の横で寝て介護しながら自分を労わっておりましたが今日は姉がおかゆを作りにきてくれました。あ~ん、新妻って感じ。あれ?その、ヨーグルトは置いてってくれないの?しかし、娘に姑根性って言われる病床のALS患者ってかっこいいじゃねえか。(笑いくつになっても、どんな状態でも、母は母であります。こんな日はJJに癒されようと、JJに電話してみたのよ。すると、金曜日から飼いはじめたハリネズミのトゥロットゥが慣れない環境のせいか下痢してしまって、JJパパはトゥロットゥの様子に一喜一憂状態。「トゥロットゥや~、だいじょぶー、ケンチャナ、ケンチャナ」「ああ~、駄目だよぉ~」「トゥロットゥがご飯を一杯食べました」「あ~、ウンチしました」「トゥロットゥがあくびしました~」「今日はトゥロットゥと一緒に寝ます」なんか、ものすごい嫉妬心が(笑赤ん坊返りしたい。「あたしも具合悪い~~~~~~!!!!」「がんばった!いい子いい子」・・・なんか不服。「そんなことないよ!ヨーコのほうが可愛いよ!痛くないし!」・・・それでも不服。しかし、手を傷だらけにしながら、可愛がっているJJを見るのも、結構・・・萌えます。きっとあたしがそこにいたら、JJそっちのけで可愛がってしまうのだろうけど・・。「きっと、いいパパになるよ、JJ」「そうかなあ・・・ でも、赤ちゃんが出来たら、ヨーコは俺そっちのけで赤ちゃんばかり可愛がって 俺を一人にするんでしょう?」「そんなことないよ」「俺と同じ顔だったら?」「・・・それはわかんないな」「俺のお母さんと同じで、旦那を一人にするんだぁあああ!!」「そうなったら、今のあたしの気持ちが分かるわよ」さっきも電話すると「トゥロットゥが元気です~」なんだ、なんだ?この悶々とした気持ちは。小動物に嫉妬するなんざ、ずいぶん心の狭い子になったな、あたしは。
2007.05.21
コメント(8)
介護人の割りに社会人生活を大いに満喫しています。秘書仲間とカフェでコーヒー飲んで恋愛相談なんかして帰ったり、足のオイルマッサージ受けて帰ったり。。。意外と開拓しがいのある職場付近です。もう3件いかなくちゃ。ヘルパーさんの時間が延びて、私も仕事帰りの生活を楽しく過ごせるようになりました。ジムもクラスをひとつ増やしました。ヨガやって、ボディパンプやって、ボディコンバットやって終了。ボディパンプはノリノリの音楽に合わせバーベルを上げ下げ。ボディコンバットは格闘技MIXのエアロビみたいなやつです。強くなります。ストレスには打つべし打つべし。。介護人らしからぬ生活といわれそうだけれども、そんな私をママンも暖かく、時に爆笑しながら見つめてくれています。「お母さん!今日はこういうのやったの~!!」というともうヨダレ流れるね。体を鍛えることは自分の自信に繋がる。今日は全身筋肉痛だけど。最近、JJに「ママンにチューしなさい」といわれるんだけどチューはできないけど、今日は母の日なのです。しかも、ママンにも却下されました。JJはへそを曲げました。就職したわけなので、今回はちょっと奮発してこっそりカーネーションの鉢植えを送ったの。こっそりだから、ヘルパーさんと開けて、カードとか見て、もう超感動~みたいなシチュエーションを期待したの。金曜日、家に帰ったらテーブルにでっかいダンボール。。・・・開けようよ・・。早速お風呂の日だったのでヘルパーしてくれてる友達の子と一緒に開けてみました。(笑ババーンっと。このカーネーション色が変わるです。ウフフ。メッセージカードは私より美しい字で手書きされてました。母の日を我が家で一緒に迎えられてうれしいよ。毎日元気を分けてくれてありがとうね。これからも元気を分け合って、がんばっていきまっしょい。60年分の感謝をこめて・・(お前、60年生きてないだろうという突っ込みはなしで)ママンに読んで差し上げると、ママンも号泣です。私も「うれしい?気に入った?ハッピー?」攻め。私「ねえねえ、気に入った?」ママン「s....so」私「so Happy?」ママン「so so」私「え?ソーソー?(まあまあ)」ママン「so so happy!」・・・ちょっとタイムラグがあります。これピックが可愛いのよ。映画と同じでとうもろこしに「おかあさんへ」って書いてあるの。猫バスもしっかりカーネーションを積んでます。ちょっと足多いです。昨日は、私と鯨ベーコンを食べた某大学の先生と学生さんが2人と卒業生が1人来ました。ケアマネとちょっとした集まり。いや~今の若い子は髪をしっかり巻いてくるのね。若い。若いよ。一人は週一回、もう一人は月数回入ってくれそうです。ママンは、先生より、厳しい先生になりそうです。しょっぱなから(笑学生さんも真面目だなー。白衣の天使になる子は真面目だ。毎週のサプライズは慣れっこになってきたけど、着々といろいろ進んでいます。新聞の反響は、前と違って連絡先を書いているわけではないのでよく分からないんだけど、学会でフロリダに行ったはずの職場のダンディな医局長から「新聞拝見いたしました。ALSが多くの人に認知されることを願います」というメールが送られてきました。黙ってたのに・・・・。いつもうちまで来てくれる郵便局員さんからも、「見ました!」って電話もらいました。今年は二人きりの母の日。足マッサージ受けたときにもらったバラと蜜蝋のクリームで足裏マッサージしてあげようかな。カメラマンさんから写真が2枚送られてきました。最近、母に似てきたね。プロの撮る写真はすごい!
2007.05.13
コメント(10)
JJがまもなく26歳になります。7日が誕生日なのだけど、早めにネクタイやらお茶漬けやら元気の水(ボトルでおいしい水が作れるヤツ)やら発送したのですが、プレゼントは4日に届いて、JJは休講になった授業があったり、プレゼントが届いたり、ピグミーハリネズミのトゥロットゥ(名前決定)を迎える準備をしたり、ハッピーな5月を満喫中。JJには「朝、起こしてね」といわれたのだけど、姉がいるときの2度寝は格別幸せ・・・・。と思ったら、やっぱり今週もたたき起こされました。(笑「ヨーコ!起きて!スキャンして!新聞でっかく載ってるよ!!」JJを起こしてみた。私「おはよ・・今日、ママが新聞に載ったって・・」JJ「うっそー!?」彼は読めないけど、記事は送ってあげましょう(笑今週も、やっぱりサプライズ。記者さんには今日載るとは聞いておりませんで・・・・(笑GW中だから、みんな帰省してるのよ。。今回は仏壇広告の裏ならぬ、テレビ欄の裏。テレビ欄から新聞読む人もいるよ!うおーコワヤ、コワヤ・・。でも何かうれしいのはババーン!と見出しから大きめサイズの文字。ALS、もっとみんなに知ってほしいと思っていたけど、こうやって書いてもらえるってありがたいです。 仙台市内に住む難病の女性に支援の輪が広がっている。全身の筋肉が動かなくなる進行性の筋委縮性側索硬化症(ALS)。家族の介護負担は重く、人工呼吸器装着を選ばず亡くなる患者も多い。「誰も犠牲にしないための支援を」。病床のパソコンから発した本紙への投稿をきっかけに、12人もボランティアが名乗り出た。 「この病気では延命か尊厳死か、『生きるか死ぬか』を問われます」。3月2日付●●●●朝刊「声の交差点」への投稿で、●区●の主婦●●●●さん(59)はこう訴えた。 一昨年秋から寝たきりとなり、胃から栄養剤を摂取するための手術と、気管切開による人工呼吸器を選んだ。夫は既に他界。2人の娘への負担を思って装着を拒んだが、「身内の説得もあり、悩んだ末、生きることを決断しました」という。 口も体も動かない。右手の親指でパソコンを操作し、ベッド脇の画面に文章をつづって会話する。日中はヘルパーや訪問看護の助けも得て、24時間介護の毎日だ。 投稿したのは、疲れる家族の将来を思い、また「患者も家族から自立して生きられる環境をつくりたいから」。電子メールもやりとりできる●●さんは、そんな願いを、自ら新聞に発信した。 ボランティアを名乗り出たのは、多くがヘルパーや看護師の資格を持った主婦ら。同じ患者で、日本ALS協会の宮城県支部長として活動した故●●●●さん(同県加美町)の家族からも、応援の申し出があった。 現在、●●さん宅には多い日で7人のヘルパーが訪れる。5月以降は、看護学生を含め6人のボランティアが順次加わってくれる予定だ。先日には長女の結婚といううれしい出来事もあった。 「投書を読み、あれでよかったかと苦しんだ」との反響も。呼吸器装着を選ばずに逝った患者の遺族だった。そうして亡くなる例は患者の7割を超えるともいわれる。 「だからこそ、誰もが望む24時間介護サポートのモデルをつくれたら」と、●●さんは運動への夢を膨らませる。[筋委縮性側索硬化症(ALS)]厚生労働省指定の難病。感覚や知能ははっきりしたまま、全身の筋肉が徐々に動かなくなる。進行すると食事や呼吸もできなくなる。発症年齢は40―60代が多く、男性の割合が高い。有効な治療法はないが、人工呼吸器をつければ数年から10年以上の延命が可能になった。患者は全国で約7300人。英国の宇宙物理学者ホーキング博士もALS患者。 我が家で、記事について討論したり、今までを振り返ったりすることは全くなく、もはや、ミーハー一家になっておりました。「お母さん、やっぱり59歳になってるよ!年齢詐称ー!!」「若い方にしてください」というママンの願いをかなえてくれた記者さんに・・感謝?姉「ヨーコも可愛く写ってるじゃない!!」私「嫌~!!!あたしだけ不細工~~~~!!!ヘルパーさん可愛いよー!!」姉「・・・・いつもの2.5倍くらい可愛く写ってるわよ・・」他の200数枚の写真にはどんな不細工が載っていたんだろうと思うと・・怖。。親戚や、母の友人から大量に母にメールが送られてきて母は一日メールで大忙し。ブレイブストーリーも見ずに、ひたすらメール。(お知らせメールも含む)「自分で知らせてるんじゃん!一番照れてたくせに!!」この記事をきっかけにママンは若いメル友が2名も増えて(もちろんやちさんとなつあんさんよ(笑))ますます若さを吸い取らんばかりの勢いです。とどまることを知りません。余計なことを書いているのが丸見えなので困ります。。。。ああ、この写真、船に乗ってるみたいだね。ママンが舵を取ってるみたいだね。カナダから帰国してちょうど3年目の今日。毎日、家族が寝静まってから、JJに電話しながらキッチンで泣いていた私。呼吸器をつけないと言っていた母。鬱で苦しんでいた姉。胃ろう増設、気管切開、そして人工呼吸器。。最高の協力者で相談相手だった母の従妹の死、そして私の就職と姉の結婚。2年間でここまで来ました。さあ次はどこまで行こう。我が家はもう舵を失った船ではないのだ。
2007.05.05
コメント(9)
毎週火曜日金曜日はお風呂デー。お風呂の日には幼馴染のヘルパーさんの子供達が私に会いに来ます。むっちゃ可愛い。絶対あたしが初恋!あたし!あたし!ママンも子供のエネルギーもらって、ニッコニコです。昨日もいつものように子供のお迎えを受けて帰宅したら、いきなり「ヨーコちゃん、明日●●新聞の●●さんが12時半にくるよ。」と幼馴染のヘルパーさんから。ぬわにぃぃ!!なんか毎週サプライズ?そんなわけで今朝からママンも「化粧ばっちりね!」だって!!こないだ石膏みたいになっていたからな(姉作今日はナチュラルメイクで、私とおそろいのメイクをしました。(ママンだけ小顔メイクね)鏡で確認すると「老けたわね~」いや、充分若作り(笑ドタバタしながらヘルパーさんと掃除したらいらっしゃいました。佐々木功と寺田農を足して二で割ったようなダンディな記者さんと韓国人学生のような若いお兄さんと一眼レフと脚立が。逃げ腰のヘルパーさんを捕まえて若いカメラマンさん「ヘルパーさんも一緒に。お母さんを囲んでください」ママン、それで大喜び。「みんなで撮りましょう~」・・・新聞に写真が載るのは成人式以来です。「娘さんは後ろから、自然にお母さんと会話をしてください」「ヘルパーさんはそのあたりで作業してください」「話しかけるように~」先週、操さんにすっぴんを指摘された上に、これを予想してかママンに化粧しておきなさいといわれていたのだけど、すごい寝癖。そして止まらない鼻水。記者さんが超ダンディで話もお上手で、ママンも終始最高の笑顔。もう記事は出来上がっていてかなりママンをかっこよく書いてくれています。プロの書く文章はすごい。ママンの年齢だけ59歳になっていましたが・・・(笑指摘するとママン「若い方でお願いします」年齢詐称です。カナダの話や、母の英語の話、ボブとJJの話、インベーダーゲームやマリオの話、スイッチを実際やってみたりして、パソコンの話なんかしてたらピンポーン♪新しく入る事業所のヘルパーさんが同行のためいらっしゃいました。すると「人が多いほうがいいので、娘さんの左に~」挨拶もままなら無い新しいヘルパーさん。かなり打ち解けました。・・・・・一緒に恥ずかしいこと経験すると親しくなるよね。掲載は連休明けになるのでしょうけれど撮られた写真は全部で200枚以上。あたしシャッターの度、目を閉じていたような気がするけど・・。気管切開した後写真を撮られるのを嫌っていた母。ボブが来る前に、髪を染めて初めて写真を撮らせてくれた母。それがこの2時間で200枚。すごいね。笑顔も素敵でしたよ。新聞記事には、投稿欄にベッドから記事を書いた母の決意、そして反響。自立への強い思いが溢れていました。さあ、ママン!有言実行よ!(笑一体どんな記事になるのか楽しみです。すっごく素敵な笑顔になってるといいな。神様・・どうか、職場の人が見ませんように・・・(笑
2007.04.28
コメント(7)
金曜日土曜日は姉が泊まりに来てくれています。夜は遅くまでJJと長電話をしてから寝れる週末。思う存分バカップル。。土曜日のヨガとボディパンプ、そしてサウナと長電話があれば来週もがんばって働けるというものだ・・・。二度寝があれば、なお結構~~~~~~。・・・翌朝。ピロピロリン♪メールガトドキマシタなんだ?と思ってみてみたらFrom:ママンSub:何か大変!!(@@;?直ぐおきて!ajiさんからメール!!・・・・・・・・・・・しぶしぶ起床。ajiさんから来たメールを見てみると「今日みさおさんのお供で伺うつもりでしたが 娘の里帰りなので伺うことが難しくなりました。 今日のことは、Fさんかみさおさんから お伝えしてある前提でメールしてますが、大丈夫ですよね? もしナイショでしたら、これでばれちゃうわけですが。」「・・・・・・・・・」「ナイショでしたねえ・・・。」「ばれちゃいましたねぇ・・・。」「来るの?」「いや、来るのかなあ」「今日、旦那様の両親が来るんだけど・・」「きっとアレだよ。ちょっと仙台に行くからついでに寄ろう的感覚なんだよ」「みさおさん天晴れだね~」・・・・・・・・・・・・・・・・・。「とりあえず、掃除と化粧かな?」ママン「Fさんに、電話して!今すぐ!!!!」そんなわけで、電話してみるとやっぱりサプライズだったようで(笑うちが「掃除祭りだ~!!!」にならないように、気を使っていただいていたようです。姉はまだ引越しが終わっていなかったのでママンの化粧をすると出て行きましたが、すっごく会いたかったようで、残念そうでした。ママン「あんた、なんかすごくうれしそうよね。」私「・・そりゃあもう」1時ごろ仙台に到着したみさおさん、娘さん、学生さん2名+Fさんのご一行は駅から20分ほどで雨の中桜も舞い散る我が家に到着。さくら会って日本全国桜を追いかける会でしたっけ?毎月レンタル料を支払っているリフトはママンを除いて2人目の車椅子ゲストにうなりを上げて稼動(笑なんかちゃんと乗せないと動かない仕組みになってるみたいだな。久しぶりのみさおさんは、やっぱりサングラスで即効、私がすっぴんだということを見抜き、(よく顔覚えてたよな)「うら若き乙女が日曜日でも化粧くらい」といわれてしまいました(笑いや・・・その予定だったんですよ(笑学生さん二人、ママンのオペナビの速さに驚いてくれました。きっと調子に乗って明日あたりスピードアップしてること請け合い。学生さんはショートパンツを履いていたりしてママンが「若いエキスを吸ってる」とか言ってました。ハイ。私もなんか吸われてるみたいで、ママンのかかとはつるつるですが私のかかとは割れています。学生さんは電子辞書を持ち歩いていてジェネレーションギャップを辞書で埋めている模様。そうか・・今の若い子は「冬将軍」を金正日だと思うのか・・・。結局相談もほとんどなく世間話に花が咲いてしまい、私「みさおさんちでスマップのライブのサインを見て 母に美輪様観に行こうと誘ったら却下されました。 お母さん、なんか浄化されるらしいよ!!」みさおさん「私たちの何を一体浄化するっていうのかしらね~」娘さん「腹黒いからねえ・・」ママン「お手並み拝見できるかもしれないわね~」私「それは前向きなYESよね」みさおさんと娘さん、大変いいコンビです。しかし「どこの娘も厳しいねえ」と言ってました。ハイ厳しいです。まずはどっちも干渉しないで自立できるようにとみさおさん。すると母「貴方が干渉するのよ」なんて言うので「じゃあ、私のBFにケチつけるの辞めていただけます?」というと娘さんが「うちなんかダーリンの名前間違えられましたからねえ」どこの家も同じじゃ。(笑なんか、みさおさんとママンは通じあうものがあったかわからないけれど娘さんとあたしは確実に通じるものがあったような気がするよ!!母はまだ猫かぶりモードなのでみどりの窓口20人抜きや、いんちき占い判子屋潰しなどたくさん暴露しておきましたが。。私や娘さんがうまれたときの話から、カップラーメンでおなか壊して気管切開の話まで。母にはいいエネルギーになったのではないでしょうか。近所の人が来るのと同じ感覚で来たよ。うちもそれぐらい、アクティブであってほしいですね。その後1時間半も掛かる病院へ他の患者様を訪ねに行ってしまわれました~。帰り際に資生堂のプチケーキをもらいました。「賄賂ですから!これもらった人、仙台さくら会ですから!」そんなわけで、明日新聞記者さんが来るんですがママンから「資生堂は隠せ」という指示あり。名刺をいただいたので、ママンともいいメル友になってほしいですねえ。仙台さくら会で還暦の赤い車椅子で桜を追いかけてみるのもいいかもしれません。最後にみさおさん「自由は自分で勝ち取るもの」と母に言い残し、(かっこいい~~)我が家を去っていきました。そして・・・・その30分後、姉の旦那様のご両親と妹さんが来て、明るいうちからビールをかっくらい、即席でタラのつまみを揚げて出しました。旦那様のご家族はママンの会話のスピードになれていませんので全然違う会話が展開されていたわけですが、お父様は2回目だったので、私も喜んでお酌して(笑たまに話を母に振ってくれました。あはは・・・。毎週こんな日曜日じゃねえ?(笑一日2回花見やったような気分。家にいながらにして最高じゃん?(笑
2007.04.22
コメント(3)
楽天のお勧めリンク(自動で選ばれるリンクです)が頭皮だったり、カツラだったり、発毛だったりするコレをなんとかしてほしい。そんなにハゲって書いたか?????今回のハーバード工科大学の銃撃事件の犯人は韓国人だった。mixiの韓国語コミュに「韓国人に失望したとは韓国語でなんですか?」というトピックがあがったり、職場の若い医師に「日本人に影響が出ないといいけど」といわれた。なんだか複雑な気持ちになりました。THE YELLOW MONKEYのJAMを思い出しました。外国で飛行機が落ちました。ニュースキャスターはうれしそうに乗客に日本人はいませんでした。いませんでした。いませんでした。JJに韓国語の訳詞を見せたら、JJは大爆笑。「ああ、まさに韓国がそうだったよ。 最初は中国人だってうれしそうに。 そして今度は韓国人だって悲しそうに。」ナニ人っていう問題ではないのだ。英語圏にいる、韓国の友人達が心配でなりません。ナショナリティだったり、人種だったり、年齢や、性別、障害、ALSだってきっと、分けられて、自分じゃないと安心することってなんかすごく複雑。私もどこかで日本人じゃなくて良かったと思っている。日本人が犯人だったら、日本人はこうであると思われてしまうわけで。そういう自分に自己嫌悪する。だから余計に、「だから韓国人は激しい」といわれるとそういう人たちばかりではないことを主張したくなる。ALSだって、尊厳死問題の云々で、周りの人間が勝手に自発呼吸がなければ、尊厳が無いと思われてたりね。昨日は久しぶりにカナダで母のために障害者用の部屋をリザーブしてくれたウィリアムにメールを書いた。もう英語めちゃくちゃだなあ。。今回は珍しくすぐ返事が来た。今、ロンドンに戻っていて中国のホテルのプロジェクトに参加していて忙しいようだ。彼と私は、トロントの道端で出会った。私がヴィヴィアンタムの服を着ていたから、中国人のウィリアムは私に声を掛けたのだ。「その服のマークは中国の鏡じゃないのかい?」と。彼はトロントのホテルで経理をやっていて、つたない英語だったけど、道端でたくさん話した。食事に誘ってくれて、怪しいと思って(笑日本人の友人達を連れて行ったのだ。高級な中華料理屋に連れて行ってくれたり、ドレスコードのあるフレンチレストランに「社会勉強」と連れて行ってくれた。おまけに、そのレストランのオーナーが友達でジーンズ姿でその店の前にいた友達に「君では無理」といったドアマンをクビにさせようとしたのだ(笑数ヶ月に1回は食事に誘ってくれて、私は私のトロントの生活や日本の生活を話した。日本が大好きで、日本人の私がトロントニアンになっていく様を見るのが好きだった。彼は、私の家族にものすごく感動して、母を迎えに行く日にはボブに「君は本を書くべきだ!」と言うほどだった。えへへ。すっげえ褒められちゃったよ。 I really admire what you are doing for your mother and I know you will be rewarded somehow. You are a very couragous and caring person. I am proud to be your friend.・・だってvvv(恥ずかしいから敢えて訳さない)英語で褒められるとすっげえうれしいね。いっぱい単語を思い出したよ・・・。最後にあった日にウィリアムに言われたのは「ワーホリでトロントに来た日本人の女の子に 日本で再会することがあるけれど、みんな同じ事を言うんだ。 今は素敵な服を着て、ちゃんとお金を稼いで、 トロントにいたときよりいい生活をしているけれど、 心は少しも幸せではない、と。 Tシャツにジーンズだったトロントの生活に帰りたいとみんな言うんだ。 君はそういう人生を送らないでくれ。 日本に帰るとみんな友達と連絡を取らなくなる。そうしないためにアドレス帳を贈るよ。」そして、彼は私にイタリア製のなんかすっげえ分厚いアドレス帳をくれた。・・が、彼はいつも世界のどこにいるか分からないので彼のアドレスは無い。時々日本のヨーコに戻ってしまうこともあるけれどそれでもトロントのヨーコでいたい。留学から帰ってきた人なら、きっと帰国して同じ事を思うだろうけれど。ケアマネのママン宛のメールにあったように「分からないことを臆することなく」いつも新しいことをしたい。出会いを大事にしたい。たくさんの人に会いたい。(もちろんJJにも会いたいです。ハイ)自分の目で見て、本当のことを知りたい。先日職場でうちの事情を知っていて、滅菌蒸留水を作ってくれた研究所のおばちゃんが(先生ですが)弁当作ってきてくれて、生まれて初めて大嫌いな梅干のおにぎりをうまそうに食った。そんなこともあり、今度は野菜ジュースを克服しようと5種類の野菜生活を買ってきた。母と100mlずつ飲むことにした。意外と飲めた。(笑これも新しい私(笑今日は紫でした。
2007.04.19
コメント(4)
今年はついに命日の父への手紙を書かずにすごしてしまった。。。お父さんごめんなさい。(笑14日で、父が死んで7年になった。あの時も私は新入社員だった。桜の満開の日だった。風が強かった。母がALSになって一番自分に驚いたのは、父を理解するようになったことだろう。父はいい夫ではなかったかもしれないが、寛大な人だったと思う。人がびっくりするようなドジばかり踏む父だったけど、シャンメリーで電球を割るような父だったけど(笑それでも、文句ひとつ言わず、一緒に笑うような父だった。そうなの、すごいのよ。パパ。・・・とちょっとほめておく。母がALSになって、また新しい春が来た。今度は家族一緒に迎える春だ。みんなそれぞれ新しい生活で、忙しくしています。・・・・・ママン、ちょっと最近・・・家族の会話が少なくないかい?(笑姉は15日に引っ越した。しばらくはうちに通うことになりそうだけど、荷物をほとんど置いたままの旅立ち(笑バタバタ家を出て行った。寝る場所が無くて大変だとか12日には入籍した。結婚ってこんなに大変なのかと思う姉の結婚だった。旦那は夜遅いし、なかなか会えないみたいだけど「これから何十年もうんざりするくらい一緒」だと教えてあげたらどうやら気が楽になったようだ(笑私は医局秘書になって1ヶ月が経った。一般企業から、半ば公務員のようなところで働くと、驚くことが多い。誰一人、自分に怒鳴りつける人はいない。もう、教わる時期は終わってしまったんだろうか。気分に左右される上司は教授くらいなもんで、わざわざご機嫌伺いをしなくてもいい。でも、何を考えているのか分かりにくくて、気疲れしてしまう私(笑満員電車が思いのほかきつい・・・(笑あたしの頭の上で新聞読むおっさんが憎い。父はこんな感じで出勤したんだな、60まで。トリンプのセール中吊りに下着姿の外人が写っていて、目のやり場に困っているおっさん達、幸あれ。教授の一言で、こないだ本を買いに駅前まで行ったんだけどタクシーで往復した。3700円の本は、6100円まで高くついた。前は何を買うときでも、自分の車で買いに行ったし、送料が取られるような、買い物はしなかった。1円でも、経費削減だったのに。3月決算で予算を余らせないために自分のデスクにパソコンをおいてくれた。前は誰も使っていないパソコンを隙を見て使っていたのに・・・。病院の下で、野菜が売ってる日は、書類を届けながら野菜を買う(笑今日もキャベツと平茸と小松菜100円、もやしが30円。野菜を持って、地下鉄とバスで家に帰る。そんなまつ毛、超目力にしてる秘書です。昨日は母の誕生日で、職場で花を買って帰った。母は昨日で60歳。還暦。ちょうど父が死んだ歳になった。いろんな人からおめでとうメールをもらって返すのに12時まで掛かった(笑家には私の花かごと、近所の人からもらったアジサイ。今週、今度は取材が入るらしい。ALS協会の音楽会とか患者さんとか書いていたらしい記者さんが母の投稿記事を読んで、電話をくれた。その後が知りたいそうだ。あれ?化粧とかしないとまずいですか(笑今日は仕事してたら母からメール。「今日は●ちゃん(ヘルパーしてくれてる幼馴染)がカレーを作ってくれたよ。 ご飯も炊いてくれたわよ~。●●先生からうれしいメールが来ました。 帰ってきてからね~」・・・誰も、人工呼吸器の還暦迎えた母親からのメールだとは思うまい・・・。今、ちょうどその大学の先生とメールのやり取りをしている。私も一度飲んだことのある先生だ。今日は親切なメールをもらって、学生さんを連れてGW後に来てくれるそうだ。自分が中途半端に作った人脈を母がつないでくれてうれしい。母に名刺を作ってあげないとな~。同じく同県のなずなちゃんのお母さんも在宅に向けがんばっていて母とはいいメル友してくれていて、母にとってもいい励みになってると思う。なんか、春だなあ・・・・・・。日本海を越えて、お隣韓国では・・・後輩たちと軽音部のキャンプへ行ったらみんな彼女を連れていて、羨ましかったJJ君。5月で26歳になります。遠距離生活も一人暮らしには寂しいようでピグミーハリネズミを飼おうとしています。激可愛い・・・・。あたしがほしい。。。私の名前なんか付けて、針でも刺されたらどうしようかと思いましたが、私が「トゥロットゥ」と命名することになっています。トゥロットゥ=演歌みたいな昔からの韓国の唄のこと。響きが可愛いのよね。。自分が外国人だと思う瞬間よね。自分のペットに「演歌」とか「歌謡」とかつけないもんね。みんなそれぞれ新しい生活を送っています。給料日まだかなー・・。あ、ママンの注入終わった。注入といえば、ヘルパーの胃ろうの注入。こっちで問題になってるみたいですね。食事介助のナニモノでもないよ。食べなきゃ死ぬんだって。人間ですから。尊厳死が新聞にもミクシーにもニュースにあがるようになってきてるけどもっと尊厳生を。あたしにしたら半固形流動食を医療保険使えるようにするほうが先だ。っていうか、尊厳生保険をつくれ。QOLを上げるために尊厳生保険を作れ~。話はそれからだ。ママン、テレビも見ないでメールばっかだなー。もっと親子の会話プリーズ(笑寝る前に話すと遅くなるんだもん~。
2007.04.17
コメント(4)
やっと桜が咲き始めました。母=母なんだけど母+ALS=母もなんだけど母+寝たきり+人工呼吸器も母なんだけど娘にとっては、母からALSを足しても引いても母なのだ。たった1年しかいなかったカナダから帰ってきて、日本でカルチャーショックを受けたようにおよそ3年ぶりに社会復帰して、いろいろ違和感感じてます。「ああ、そうかー、みんなの両親は普通にそろってるんだっけ」とか「ああ、そうかー、みんなのお母さんはご飯作って待ってたりするんだっけ」とか母がALSでベッドで寝ていて、パソコンで会話して流動食を胃から食べて、さらには人工呼吸器をつけていることを説明することなく、「家族」や「生活」について話すのはとても難しい。だからと言って、話せば話したでどうしていいか分からない顔をされることも分かってる。私にとって母のことは「打ち明け話」ではなく「日常」なのだけど。病院という環境はある程度年齢の行った先生と呼ばれる人たちは割と理解が早かったりするけど、同世代から見たら、ちょっと普通じゃないのかな。そんな母も来週60歳の還暦を迎えます。普通の60歳のおばちゃんになってきたなあと思う今日この頃なのです。それは、母がALSになって、胃ろうをして、気管切開して呼吸器をつけて今に至るまでに、母はまるで私からみたら赤ん坊同然で、娘としたら、「なんだこの甘ったれ!」と怒りがこみ上げるほどのものでした。育児と介護はイコールにはならないけれど、母の変化を成長のように感じることが最近大きくなってきました。はてさて、タイトルなんだけどさ。いやー、考えたよ。何か言いたい、メールがしたい、いや、でも話したし。そんで結局日記にしてみたんだけど、私を、私の家族を、母を、これまで支えてくれていたケアマネージャーさんたちが我が家を卒業することになりました。クォンサンウが大好きな真っ赤な頭のパワフルケアマネさんとメガネを掛けると萌え~~~なのに頼りになる可愛いケアマネさん。時々忘れがちになってしまうけどこれは私たちの人生なのだから、ケアマネージャーやヘルパーさん、ボランティアに営業さんたちはみんな永遠に一緒ではないのだ。初めて電話をしたときは私は本当に、藁をもつかむ思いでじたばたしていましたね。あのときの私は「私が家族の命を守るのだ」と変な使命感を覚えていたりかと思えば、そのときのカンファに主治医がおらず、吸引できるヘルパーもおらず、ケアプランは3時間ほどの家事援助だけ。完全に主治医に見放されたと思っていました。案の定、20分おきの吸引で床で寝れば吸引で起こされる毎日を過ごしました。誰を信じて何をしたらいいのか、本当に疑心暗鬼になってたかも。正直、ケアマネージャーを変えたからといって、何がおきるって言うのだと思っていたことも確かです。そんな中で、人繋がりで名前を聞いてネットで会社を検索して、電話したのでした。「人繋がり」いい言葉だね。母の命を大勢の人たちに救われて今があると心から思います。それからどんどんケアプランが変わって、私は、今フルタイムで働けるまでになりました。一年前は考えられなかったけど、来週には姉の姓が変わります。母も、カンファで「お客様」状態が続いていたのに、今は積極的にいろんな人に相談している。これみんな、お二人の力ですよ。ホントですよ。「やるぞー!!」っていう勢いとその空気に最初、家の模様替えをした日なんかは圧倒されたのですが、今でもその勢いは衰えぬまま、母の中にちゃんと存在しています。トラブルが起きたときにも、不安で仕方なくても夜中に電話しても繋がってくれた。一緒に訪問医を探してくれた。私一人では出来ないことを一緒にやってくれました。必要以上に、おんぶに抱っこしていたことも事実だけど、「もう立てない」っていうときでも、立ち上がらせてくれるだけのエネルギーをくれました。そんなケアマネージャーさんたちがうちから卒業してしまうことはなんだかとても寂しくて先が不安に思うこともあるけれど、ひとつの船に舵はひとつなんですね。母が舵を取れるだけ、充分に立ち直ったから今後は母が我が家の、この24時間介護の舵をとっていきます。昨日から不思議なことがおきています。あれほど「メールしろ!投稿しろ!」と言ってもものすごくエンジンが掛かるのが遅かった母が学生ボランティアを集めるべく、今日、もう、早速、私が1回飲んだだけで母は会ったことも無い先生にメールを書いているのです。お二人には何度「ありがとう」を言ってもいいきれないほど感謝しています。JJにもわざわざ会いに来てくれて、お土産まで持たせてくれて。そして、母がALSになっても私はまだ、何一つ失ってはいません。本当にありがとうございました。うちだけじゃなくて、もっともっとたくさんの人たちがお二人のおかげで救われたんだろうと思います。でも、お二人はお二人の人生をちゃんと楽しく過ごしてほしい。引退するケアマネさんは、パワフルさを自分の情熱や家族へ。いつか絶対一緒に韓国で遊びましょう。いや、ここは私が嫁に行ったら案内できるようになっておきますよ、と言った方がかっこいいかな(笑可愛い可愛いケアマネさん、衣装できたら見せてくださいよ。(笑これからもずっとこの家族の愛すべき友達でいてください。ちょっと会いたくなったら、当たり前に遊びにきてください。うちはいつでもウェルカムです。あー、まとまらなくなってきたなあ。ホント、ありがとう。家族みたいだったもの。両手一杯の花束よりももっと一杯のありがとうを込めて。
2007.04.09
コメント(6)
時の流れを感じます。1リットルの涙が放映されていたときはまさに、母が呼吸器つけるつけないの渦中にいて誰一人として、見ようとしなかったのだ。んで、今日なんか特別編をやってる。母がしっかり見ている。不思議なもんだね。妹が看護師になってボーイフレンドが神経内科医になってる。不思議なもんだね・・・。(笑あ、母が泣いてる。吸引だ(笑こないだ、mixiのALSコミュで知り合った人のお母様に気管切開後退院のお風呂用にフレックスチューブを送ってあげました。母が「湿気でおぼれるのよ!」と言っていたっけ。気管切開後はフィルターと酸素をつけて退院したんだけどフィルターがぬれると息が出来なくなる上、母は風呂好きだもんで、大変だった。母も「分かる分かる!」とか熱が入って、早速送ってあげたんだけどお礼にバリの可愛い猫の置物とコーヒーが送られてきました。ママンのディスプレーに貼ろうと思ってます。どんどんにぎやかになるベッド周り。・・・完成。テーピングで貼った・・(笑春眠暁を覚えずで、母に毎日起こされてます。そのうちお金取られそうです。今日はモロヘイヤパウダーとごぼうパウダー。新聞に、半固形流動食が販売と書いてあったね。でも保険利かないから25個で7500円。微妙。仕事はそんなにきつくないんだけどなんか疲れるんだよなー。さすがに2年もニート生活してたらやっぱ、体力低下よね。毎日化粧して会社へ行くって変な感じ。朝の満員電車に乗ると、父を思い出す。よく定年まで会社に通ったものだ。今日は医局長に高いみかんがきた。医局長の奥さんは元秘書だったので全部持ち帰ると「けちけちするな」と怒られるらしい。そんなわけで今日はみかんをもらいました。うまかった。毎日なにかしらのお菓子が来る。こんな生活でいいんだろうか。(笑自分用のパソコンも与えられて、年度初めで書類さばきとか長年たまった書類を整理してます。新しい研修医はさわやかですね~。新入社員の頃を思い出す。5月か6月に本採用になる前に、教授と面接です。そんな暇あるのかな~。今日も飛行機ぎりぎりだったぞ、教授。服のレパートリーが少ないのでそろそろ白衣を着たい私・・。駄目らしい。。。(教授の方針?JJは韓国版「白い巨塔」の話を後輩から聞いて「医者は毎日バーへ行って、奥さんもいて愛人もいる」と浮気の心配をしている。(笑財前教授ですか・・・。今日は教授診だったな。そういえば。JJ、なんかバンド組むかもしれないみたいだ。学生生活は永遠ではないので、ちゃんと満喫してほしい。後輩といろいろ揉めて、いい先輩してるっけ。後輩はいつかは分かるだろうけど、5歳も6歳も年下の後輩で、若い。でも最後は二人で「バカに塗る薬はない」と笑った。さて、風呂にはいっかな。
2007.04.05
コメント(3)
昨日はお祭りでした。姉の彼氏、姉、母、私、そしておばあちゃん、叔父さん、叔母さん、姉の彼のお父様で姉の婚約祝いをやりました。朝から大忙しで、お吸い物を作ったり刺身のつまを作っておいたりおばあちゃん達からはお赤飯や煮物が来て従兄達からは「婚約おめでとう」のでっかいケーキ。鳥料理屋からオードブルを頼んで、昼間から酒をかっくらい(笑ほろ酔いで、近所の人たちに赤飯を配り、コンビニで芋焼酎買って。。姉の彼のお父さんは母の2個上で校長先生をやっていた団塊の世代。良い飲み仲間になれそうです。団塊の世代の人たちと飲むのは楽しいよね。「妹は酒強い」と大変(飲みっぷりを)気に入っていただけました。おばあちゃんは三叉時雨や、南部牛追い唄を歌って姉と姉の彼で、婚姻届に判を押し、ケーキカット。叔父さんと彼のお父様は娘を嫁に出すことについて熱く語り、また私も混ざってなぜ禁煙は難しいのかについて語り(笑叔父さんに「妹の仕事以上にがんばったな!よくやった!」とお褒めの言葉をいただいた。いろいろあったけど、素敵なお祝いになりました。父の仏壇にもお酒やビールがあがりました。父はどんな気持ちでこんな日を迎えただろうか。生きていれば、また、酔っ払って雰囲気を読まないことをたくさん言っただろう。母はもう涙涙。自分の結婚のときを思い出したことだろう。「病気のせい」と相変わらず言うけど、そんなことはないよね。4月は母の誕生日があり、父の命日がある。春はいろんなことがあったからいろんなことを思い出す。その頃には木蓮が満開で、桜も咲き始める。母にそれをまた見せてやりたい。ウェディングケーキを、カップルで食べさせることは「食べ物には一生困らせませんよ」という意味があるそうだ。姉も彼から、彼も姉から、一口。そしてママンも一口。↑↑(笑私もいつか、こんな風に祝ってもらえる日がくるのだろうか。結婚って大仕事なのね。・・早速、新郎(まだだけど)は今日はフラフラで、お腹を壊したそうです。勧められると、断れないからねえ。これは結婚式はもっと大変なことになりそうだわ。それも、お祝いならでは・・・・と、いうことで。お姉ちゃん、健康管理がんばってvvv
2007.04.02
コメント(2)
今日もボディパンプしてきた。今日は1キロ+1キロを2キロ+2キロにしてみた。まさにヘビーだった。。インストラクターが、マッチョなお兄さんで、ぴちぴちのタンクトップにショートパンツ・・しかも、「あぁぁぁ・・効いて来た~効いて来た~ぁ」とか「おおおおぅ・・ジワジワくるぞ~ぉ」とかまるで通販番組の日本語吹き替えのようだった。ダンベル持ち上げてるときにやられると力抜けるよね。今日の韓国は「黄砂警報」だそうだ。ニュースになってるみたいだ。せっかく春の週末なのに、夜11時以降、外出をしないように呼びかけられている。空は薄暗くて、窓を開けて寝たり、外出したりすると家中砂だらけになるらしい。仙台は日本海と奥羽山脈に守られているけれども、それでも車のワイパーに黄色い砂が積もる。大陸から直接流れてくる砂は相当なものなのだろう。最近体調を崩しがちなJJは、猛勉強をやめた。新学期は宿題は多いものの、猛勉強の成果で授業は簡単だという。軽音部に顔をだし、バンドを組むかもしれないという話があったり友達と何かビジネスを起こせないか模索している。韓国の男性は野心家が多い。でもなかなか新しい企業が育つ環境では無いと聞く。あの子はまだ若いし、夢や目標なく生きるよりずっといい。夏には起業した従兄の下で働いて、自分に何が出来るか、何を学ばなければいけないか探してみようとしている。明日は、姉の彼と母の家族が一同にそろって祝いの席だ。ビールも買った。刺身も買った。ばあちゃんは赤飯を持ってくる。姉は婚姻届を見せてくれた。これからですね。楽しみです。おととい電話くれたボランティアさんは「結婚式が決まったら、私がお母さんの介護をするから あなたは心置きなく着物を着て!」と言ってくれた。なんとも気が早い(笑でも、そんなことを言ってくれる人に出会えるなんてありがたい。母とはここ2回くらい喧嘩した。(笑喧嘩をするとあからさまに無視するのだ。文章のページを閉じて、テレビをつける。それで毎回火に油。最近家族の会話が減っていた。私も仕事をするようになって忙しかったから母も母なりに気を使っていたのだろうが会話なしで指示だけしかしない一日は嫌だ。もっと家族の会話をしよう。みんなでそう決めた。大事なことだ。母は面白くなかっただろうけど。姉も母もよく似てる。言わないで気を使って後で怒るのだ。何かあるなら言えばいいのに。母の友達に「赤ちゃん2人でヨーコが大変ね」と言われた(笑JJに「違う!3人だ~!(JJ含む)」と言われた。あたしも時にはでっかい赤ちゃんになって、みんなを困らせてみたい(笑いや、やってるか。(笑今日は歯医者で歯をガンガン削られたせいか、頭が痛い。仕事にも慣れてきて、奇跡の6時半起床がそろそろ堪えてきたかな?運動して、よく食べて、持久力だな~。背中に汗をかくのは気持ちがいいね。いつぞやの落ち武者化したハゲちゃんたちから髪の毛がしっかり生えてきて姉に「父さん!妖気です!」と言って楽しむにはちょうどいいが朝、漫画みたいな髪になってる。秘書っぽくしたいよ~~~。
2007.03.31
コメント(4)
風呂上りに上半身裸で、「お母さん!見て!ボディパンプで上腕二等筋が!!」・・・っていう、娘。だって、こんな体になりたいんですよ。韓国在住カリスマ主婦、チョンダヨンさん40歳。・・・・姉に「あんたまで筋肉かよ!」と言われました。でも運動するのはいいことです。何より凹まないです。生理痛も今月は全然ないです。来週は2キロを4キロに変えようかな~。私も「ヘーイ!」って言うようになりましたよ(笑一番軽いダンベルの癖に態度だけは一人前です。はてさて、春です。土曜日、姉の彼がやってきました。ちゃんとスーツを着て、ばっちり挨拶していきましたよ。母はもう涙涙。「ほんとに、ふつつかな娘です。あなたのお力をたくさん借りることになるでしょう」だなんて★なんかドラマみたい~。姉もきちんと母に、「力を貸してください」と立派立派。最後は「暴れ馬だから手綱をしっかり持ってね」とか「娘は追い返すけどあなたは逃げてきていいわよ」なんて冗談まで。それで7日にまたカンファを開くことになり、姉の彼も参加する方向になりました。4月1日はやっぱり宴会。入籍の日はカンファで決めることとなりました。やっと、やっと、やーーーーーーーーーーっとここまできたよ。ホント、一時はどうなるかと思ったよ!!あれから姉は柔和になりました。かいがいしく介護に家事に協力的で私はとても過ごしやすいです。喧嘩もほどほどにしないとね。うちも28日は座位保持装置つきの真っ赤な還暦車椅子のかりあわせです。また今週数名のボランティアさんが来ます。そんな感じで進んでるサクライ家に、加速を促してくれる一本のメールが。母といつも同じ病室のなずなちゃんのお母さん。法律改正で希望していた施設入所が駄目になってしまったそうで、私にはなずなちゃんからメールが!母にはなずなちゃんのお母さんからメールが!!在宅で進めていくって~~~~!!!!24時間他人介護を進めていくって~~!在宅がいいよ!在宅がいい!正月は家族で過ごすのがいい!お母さんの仕事は家庭に一杯あるんだよ~!うちはちょっと度が過ぎる部分も・・・。(笑そんなわけで、私も母も出来ることをいろいろ、メールしているわけなのです。昨日はなずなちゃんと長電話して大笑い。いや~、なんだろうね、この娘同士で通ずるものがある・・この感じ。でも、聞いてはいたけどホントに施設からもALSの追い出しが始まってるんだね。ALSのために作られた施設はどこへいったんだ。母にはいろいろ支援費などの質問がお母さんからメールで来ていて母も立派にお返事していて、安心しました。一緒にがんばりましょう。大きなことをやるときは、たくさんの人を巻き込んでいかなくっちゃね!母も「●●さん一緒に事業所旗揚げする?」なんて。どこまで本気なのかわからないけど、でもいい!その心意気がいい!F兄貴、ホントに母はメールを送信しましたよ★なずなちゃんのお母さんも、なずなちゃんも一緒にがんばろうね!ALSの母娘はみんな家族みたいなもんですよ!(笑
2007.03.26
コメント(7)
結局一肌脱ぎました。東京のおばちゃん安心してください。姉がここしばらくご乱心で、家の中がめちゃくちゃなことになっておりました。たとえるなら、子猫を守ろうとする母猫状態に陥っていて、しかも子猫=彼氏。母はもう激怒で・・「結婚は認めない!」とか言っちゃうし姉は一回出て行くし、もう「家が限界だ」とか言っちゃうし酸素濃度80以下を経験した母に「家にいると酸素が足りなくなって苦しい」とか言うし母は「今まで私やお父さんが築いてきて守ってきてそこに育っておきながら!」みたいなもうだめ、収集つかない。あたしはぶたれるし(笑なんか、ふすまが外れてたよとか洗濯物が洗剤まみれだったよとか嫁入り前に教えておこうと思って、注意してたら「監視されている」とまあ酷い妹にされちゃうし、母は「鬱の中、結婚まで導いてくれた妹に!!」と火に油。いろいろめちゃくちゃなことになってたんですよ。「家は出る。介護はする。でも結婚もする」みたいな。家が限界だったら介護はできないんだけど、何を言っても通じないし、売り言葉に買い言葉で私は2階に避難して(笑親子喧嘩がどっかんどっかん行われていたわけです。最後には「呼吸器をつけるか迷っていたときに、お姉ちゃんはまだ教わりたいことがあるって言ったのに、今はもう教わりたいことはないのね」と号泣するわけ。母は単に正攻法で臨んでほしかっただけなんだけど、んで姉も不器用な上にまっすぐすぎだから人から受けたアドバイスを枝を切り取って一本にして、言っちゃうわけよ。そうすると誤解が生じてもう、めちゃくちゃで「お母さんが気持ちよく受け入れられるようにしてやれ」と言っても駄目。常識的な部分で攻めても駄目。「それはヨーコの考えであって私はそうは思わない」みたいな。お盆のときの喧嘩もなんかそんなこと言ってたな。思うに、コレは一種のマリッジブルーってやつ。姉は2週間くらいたって帰ってきたけど「限界なのに無理して暮らしてる」とかお母さんに言っちゃうわけよ。面白くないさー、30年も育ててきた上に、姉は一度だって家を出たことはないんだし・・・。叔父さんも間に入ってくれて「ちゃんとどうしたいのか言って来い」と言ったら姉はほんとに自分がやりたいことだけ言って彼の家に帰ってしまい叔父さん、大爆笑。母はまた、泣くし怒るし大騒ぎ。「誰が悪いわけでもないが、相対的に見たら じゃあ誰の責任なのや?ってなったら引き金引いたやつが悪いんだぞ」とたしなめてくれたので姉は帰ってきて、私も母が姉に何も言えない様に勝手に変わった介護体制の話をしまくって、姉を迎え入れた。叔父さんが「お母さんが動けないのは、不幸中の幸いだったかもしれない・・・」というほどホントに母は激怒して、叔父さんが「招かれざる客」でも見て気持ち穏やかにとアドバイスしてくれていろいろ思ったりして。母とも姉のいない間ずいぶん話をしました。JJとの電話がほとんど出来ないほど(笑んで、姉は帰ってきたんだけどでっかいフライングをして、またおととい大喧嘩をかました。叔父さんのところに彼氏と行って彼が立派に挨拶して、んで、土曜日に母にちゃんと挨拶に行くことを約束したのよ。それで、できるなら4月1日に入籍して、一緒に暮らしたいって話だったみたいなの。叔父さんも、「ちゃんと祝えるように持って行く努力をするのはお前らで、俺はおせっかいはしない。 土曜日に挨拶をして1日に事が運べるのであれば、1日に赤飯でも持って祝いにいくぞ」と言ったわけが、姉のフライングはこうだった。「土曜日に彼が大事な話をしにくる」「4月1日に家を出る」「お祝いに叔父さんたちが来る」・・・・・・・・ってなれば、母は、「私のいないところで勝手に決めて!!4月1日だなんて聞いてないわよ!」姉は「言った!」母は「聞いてない!」でもう2階に避難せざるを得ない状況になり、泣き叫ぶ声を聞きながらJJと電話して気づけば1時半。母の横で寝るのはあたしなんだけど・・・。このままでは収集つかないなあと思って叔父さんに電話したわけ。んで、やっとそのフライングの事実が分かったのでまずは姉とお話。彼がスタートライン(挨拶)を切ってくれればやっと介護体制どうしようとかカンファしようとかこっちも出来ることがあるんだけど、こっちに全然伝わってないから勝手に自分達で進めて、常識と外れたことをやってるとか家族は思うわけなのよって話。4月1日っていうのも家族誰一人知らなかったし、1週間で準備か!って思ったらそりゃ怒るしおまけにうちに頻繁に帰らなきゃいけない結婚生活は家族は望まないしね。スタートして初めて家族が「よし!じゃあこうしてやろう!」って動き出せるところで母なんか気持ちはすごくありすぎるからんで、姉は昔からそうなんだけど、弱いくせにお母さんが出て行った振りをしてお風呂に隠れたときに物音がして私が怖がって「誰ですか!誰かいるんですか!」って立ち向かったり「ヨーコが●●ちゃんにいじめられた!」とかすっげえ怒ったり(何もしないけど)劇団辞めたときだって、何にも言わずに辞めたのに原因になった人呼び出して、メンチきったりしたのよ。それで今回、結婚で、彼が男としてがんばらなきゃいけないところで女が出て行ってはいけない部分なんだけど彼を守ろうと思って援護射撃しようと思ったら、彼に玉が当たってしまったりスタートラインで手を引いてやろうと思って転倒したりしたわけで・・それが喧嘩に発展して、売り言葉に買い言葉で、でっかい親子喧嘩になっちゃったわけ。姉もそれまでは「私はそうは思わない。」を通していたんだけど昨日話したときは「そうだよね。そうなんだ・・あたし不器用で・・」と素直に話を聞いてくれた上「いろいろごめんね」と謝ってきた。「お姉ちゃん、女が3人いるところでは確実に1人は味方につけておけ。 職場でもそう、家でもそうだよ。」「・・・あたし・・女の職場苦手だし・・・・」んで「土曜日まで何にも言うな。お母さんにはあたしが話す」と言っておいた。母はおととい3時に起きて一生懸命姉に手紙を書いていたんだけどもちろん内容は「家族を軽視してる」とか、「人の気持ちがわからない」とかなんかそういうことを穏やかに書いた内容になりそうだったので土曜日にかっこよく口上を勤める彼の舞台が壊れては大変と先ほど、母と話をした。母はもう・・・「それでもあんなに酷いこと言われた!」「あのバカ!」とか「狂ってる」とか「人の気持ちも知らないで!」とか「手のかかる子が離れてうれしいよ!」とかもう、ねぇ、ホント二人とも暴走するとさ、止まらないから。とにかく明日の彼の話をちゃんと聞きましょうという話をしたんだけど母は100も200も言いたいことがあるみたいで、「情け無い!」「幼稚すぎる!」「思い知らせてやりたいわ!」とまだご立腹。「ヨーコはあんなに酷いこと言われたのに!」と泣くし。なに?感動してんの?だったら褒めてくれ。2時間ほど話を聞いたところでなんとか理解してくれた。やっと、姉様も結婚に一歩踏み出せそうです。。いや、長かった。1ヶ月以上こんなこと続けるもんじゃない。結婚って怖い。魔物がすんでいる。あたしも暴走するんだろうか・・・・・。叔父さんが言うには「結婚なんてもんは、望んで束縛される行為だから最初から矛盾してるんだ。 みんなおかしなこと言ったり、やったりして、 後になって恥ずかしいと思ったり、後悔したりするんだ」だそうだ。4月1日になるかどうかは分からないけど、まあ、出来ないならいつとかちゃんと日にちを定めてみんなでまた考えてやっていきましょう。・・・はぁ・・・寝不足じゃ。とにかく明日は、何も起こらないように祈っています。まだ母はうちのT-fal並みにすぐ沸騰するし、姉もまだどこかネジが取れているけれども、明日、彼が立派に口上を勤められる舞台は作ったぞ。そこから、母が姉のホントの気持ちを聞くこともあるだろうし、また、姉が感じることもあるだろうさ。ね?ねー?母も、母として、言わなきゃいけないとか、母としてやってあげなきゃいけないとかそういう部分でまさに「母」として求められているわけで母の生きる力に、姉は一役買ったんじゃないかなと私はこっそり思っていたりするわけです(笑家を出れない理由はたくさんあってもどうしても家を出なければいけない決定的な理由が見つからなくて姉なりに後ろめたさをものすごく感じてきて、それでつぶされそうだったのかもしれないね。「結婚する」は立派な理由なんだけどね。ホント不器用なんだから。祝い事だから祝えるように、おいらも一肌脱ぎましょうかね。
2007.03.23
コメント(2)
よく考えたら月曜日から金曜日まで働くって初めてでした(笑でも一緒に働いているお姉さまがとても穏やかで逆に癒されます。5月から本採用なので、羽目を外さないようにがんばりたいです(笑ボディパンプで胸の洗濯板部分と二の腕の後ろが筋肉痛です。肌はカサカサでファンデーションがのりませんが・・・。眉間のシワを消したくても揉んでたらアオタンできてるし・・。でも秘書っぽさを大事に生きています。さてさて、家に帰ってみると母の呼吸器におしゃれなアクセサリが。先日、フレックスチューブが外れて母がちょっと苦しいことになったので看護師さんが縫い物してきてくれました。実際昔働いていた病院で使っていたそうです。材料は・DIYホームセンターで買っておいたマジックテープ。・地震で仏壇の上のものが落ちたのでそれを防止すべく買っておいた滑り止めマット。それを縫い縫いしてこんな形に。滑り止めマットを縫い付けてあるのでホントに引っ張っても取れません。全国の、神経内科の看護師の皆様。是非コレを病院でも取り入れてください。呼吸器が外れる場所は大概決まっています。ゴムで上を止めても布団の中で他の部分が外れることがあるのです。回路は患者さんの一部でも、患者さんだって苦しかったらどこが外れてるかなんて的確に分からなかったり、教えられなかったりするのです。コール鳴らしてもなかなかすぐに来てもらえない。↓行けないくらい人が少ない。だったらまずは是非防止策から。それにしても、私が赤が好きなので赤とかピンクとか選んでしまってたんだけどなかなか可愛いね。滑り止めの裏を他の柄の布とかにして上につけたらいろいろおしゃれなベルトが出来るんじゃない?
2007.03.19
コメント(4)
毎週土曜日はジムに通わせてもらっています。そもそも、体育会系なので(ハートが)1週間を大事に生活するためにも、心に余裕を与えるためにも体力づくりとJJのような上向きヒップを目指して、しっかり運動しないとね。Hiphopやって、ビランクスヨガやって、ボディパンプやってサウナとお風呂でフィニッシュ。優雅なお一人様です。自分の時間が与えられると、姉がデートや旅行に行っても全然構わないし母との時間ももっと大事に出来るものです。今日は、野菜パウダーのやりすぎなのか、母のトイレタイムが突然やってきたのでHiphopはお休みして、ヨガとボディパンプしてきましたがボディパンプって皆さんご存知?ノリノリのダンスミュージックにあわせて、でかいダンベルを上げ下げするんですよ。しかも、上げるときにみんな「ヘーイ!」って言うんですよ。体格のいいおっさんも、細いおばさんも、メタボリック症候群の皆さんも若い子も、みんな。コンバットのアレンジだったり、オペラ座の怪人だったり選曲もいいんだけど先生がいい。笑顔とパワーが大変よろしい。韓国のモムチャンというのはこういう体なんだと思われる六つに割れた腹筋。そして、「ハイ!ワンスリー!ハ!」「もっと~!もっと~!」「もういっちょ!」などの声がいい。顔はタッキー似の女性です。テンションがいいです。元気もらえます。まだ1キロ1キロのダンベルだけど、最後はばてて左が上がらなくなります。「母さん!力が入らないってこういうことね!」と言って「ハイ、ワンスリー!」って実際やって見せると、母、爆笑。ヨガのポーズも母爆笑。真剣なんだけどね。私が秘書生活1週間を迎えて、母も娘のいない1週間をすごしました。秘書生活は、一緒に仕事している秘書さんがおっとりさんなので私もおっとりできていいです。だけどちょっと物足りない。電話の量も少ないし、髪振り乱して仕事することも無い。毎日が運動会みたいだった前の仕事が少し恋しいと思うこともあります。転勤した先輩見てる~~~!?やっぱりあの4年間が着実に社会人として一人前のあたしを育ててくれたよ~~!!やることは、前の仕事のうち、電話受けと書類さばきと雑用だよ~!結構好きな分野だよ~!!あたしもがんばってここにいなきゃいけない存在になってやるよ!・・・・・たまにドジやるけれども。製本された本を台車に載せたら、玄関で全部落としたけど。「まっすぐ積んだら倒れるんだ」という先輩の声が聞こえてきそうだった。母のほうは娘がいなくても全然平気なんだけど、ちょっとした事件が起きました。看護師さんが入っている間、ヘルパーさんが一時的に抜けます。あんまり入らない看護師さんだったんだけど呼吸器が外れて、母は苦しくて的確に指示できなくて看護師さんがあわてて呼吸器のアラームを消そうとしたのです。新聞記事のボランティア見学者もいて、思わず立ち膝になる状況。そんな空気に、たまたま有休をとっていた姉が気づいてフレックスチューブが外れていたことに気づいたのだけど何回かの呼吸で母もやっと落ち着いて、看護師さんに説教。家に帰ってもその話を延々聞かされたんだけど説教する元気があるなら大丈夫。(笑今日、家のレイアウトから何からやってくれた看護師さんがきてくれてフレックスチューブ外れ防止ベルトを作ってくれるそうだ。ありがたい。家からマジックテープと滑り止めのマットを持って行ってくれた。なんせ、娘達裁縫できないものですから・・・。ちゃんと問題が起きたら防止策を考えてくれる人がいる。工夫してくれるヘルパーさんたちもいる。幼馴染でヘルパーになってくれたKちゃんはいつもご飯のおかずまで持ってきてくれる。私が意外と残業が多くて(待ってる時間が長くてね)夜10分くらいオーバーしてしまうことも多々。小さな子供がいるので、いろいろ忙しいよね。ある日、母の友人であるそのお母さんが母に文句を言いにきたらしい。が、逆に母に返り討ちにされてしまった。「母親として、娘の仕事を理解して無い!」と説教されて、泣いたとか・・・・。20年以上の付き合いだから、お姉さんみたいなものだからねえ・・。新聞記事効果で、前まで一緒にやろうとしていたボランティア団体の人が母に私が書いていた記事を書かせようと、母にメールをよこした。「娘さんが就職して大変だから、娘さんのためにも・・」って。なんか最近いい話を聞かないのだ。私も、散々「お母さんの気持ちを考えて!」「お母さんの気持ちに沿った記事を書いて!」とか余計なことを言われたり親友が腰痛が酷くて、赤ちゃんがいるから助けてほしいと連絡したら最初快く受けてくれて、会いに行ってくれたんだけど後になって「会いに行ったときの交通費と携帯代が掛かったから、お金を払ってもらってきて」と言われた。私は会員ではない。結局、良い施術院を教えたので、親友は歩けるようになって今は元気になったんだけどね。ボランティアもヘルパーとして入る予定だったんだけど突然吸引が出来ないといわれてしまい、白紙に。文句を言ったら「違うのよ!ボランティアっていうのは楽しくなければ続かないのよ! ボランティアさんがやりたいからやらないと」と主婦の道楽的発言を食らった。こっちは死活問題なのに。やっと記事みて入ってくれた人は彼女からの私用電話攻撃と「吸引覚えてみんなに教えてね」攻撃で辞めていった。せっかく、母の友人のつながりで事務所構えられたのに、出るらしく、母の友人に挨拶ひとつ無い。どうなってるんだ?いい大人が。愛音ちゃんとこでも、お歌歌ってたんでしょ?吸引もしないで。うちに夜入りたいんだそうだ。子守唄でも歌うのか?そんで、吸引のときは家族起こすんだろ?ああん?・・・・と、私はご立腹。前のメンバーも相当減ったらしいので、こっちで集めたボランティアを吸収したいんだべ?ああん?母には丁重に断っていただいたので私ももう、記事を書くことはなさそうです。だって私のためなんでしょ?テーマ与えられて書くのはしんどい。作家にはなれないね。そんなこんなで新聞記事でボランティアとして名乗りを上げてくれた人、11人。来週はKさんの奥さんと母が会う予定です。今、Kさんのスイッチ使ってます。なんか運命的だね。あたしも会いたいけど仕事です。残念・・・。今日はカナダの友人、マイが卒業旅行でヨーロッパに行ったらしく「パソコンばっかりやってる君に」とアームレストをくれた。暗闇で光るらしい。水の入ったゴムのアヒルちゃん。なかなかキュート。それが母にぴったりで、母が快適パソコン生活になった。・・・おかしいな。あたし宛だったんだけど。マイも「マジで!?あたし完璧じゃん!」と言っていた。おかしいな。板の上にスイッチがついてるので結構しんどそうだったんだよね。あたしも実は探してた。マイ・・完璧だよ。次の一週間も、がんばりましょー!レスパイト、ノーライフ。
2007.03.17
コメント(5)
秘書、サクライヨーコでございます。今日から秘書でございます。ばっちりメイクして、髪もセットして6時前に吸引で起こされJJに起床10分前に起こされ・・・信用ねえなあ。初日は変な緊張で疲れたけれどそれほど仕事は忙しくなかったのでよかったです。オホホ。家に帰ってからのほうがよっぽど秘書です。ええ、母の。抗生剤クラビットのキャラクターがやっぱりラビットでした。備品に困らない事務職みたいです。いいですねー。新聞記事効果で、明日も母はボランティアの人たちに会う。尿には浮遊物がありますが元気です。野菜パウダーで普通便が出るようになりました。その代わり痔が切れるんですけど。強力ポステリザンとネリクリプトで対応です。新聞記事で集まったボランティアは全部で11人でした。そのうち何人の人が残るかはわかりませんが、母も、第二のスタートを切ろうとしています。もしかすると、事業所は母がちゃんと作ることになるやもしれません。なんかそんなことを言うようになってきました。でも、私が何度言ってもメールしてほしい先人達にメールしてくれません。理由は簡単。娘が引いたレールになんか乗りたくないんだそうで。勇気が足りないそうで。こないだF兄貴が来て、母が言った言葉にはびっくりしたよ。患者さん同士で一緒に事業所をやったらどうだろうかというお話。うちなんか持ち家なんだから、市外の人がこっちに住んでみたらいいのさというお話。でも、「言っちゃった」といわんばかりにこんな問題がでる、あんな問題がでるって後から言い訳。私も手探りで社会復帰。母も手探りで楽しい人生を送ろうとしているわけです。7時までに家に帰れないかもしれないという問題が出ておりますが後はなんとかやってみるしかないでしょう。
2007.03.12
コメント(5)
ママンの投稿が今日の朝刊に掲載された。昨日のカンファで月曜日からもう私が働けるシフトに変わる。でも、何をするにも人が足りない。制度があっても入る人がいないのだ。そこで、新聞に投稿してみることになり、ママンは毎朝6時や5時に起きて記事を書いていた。ママンは昨日「やっと一歩踏み出せた」と言って泣いた。私は「額に入れて飾る」とか、「スキャンしてカナダに送る」とか騒いでいたら「なんでそこまで盛り上がるの?パソコンにもあるのに・・」といわれた。あたしが作文でも賞を取ろうもんなら、同じことやっただろうに。「新聞に載せたからって、人が集まるとは限らないし、1人でも電話があったら儲けものだね」「まずはやったことに意義があるよね~。」なんて言って就寝。歯の激痛と母の体位変換に悩まされつつ、起床(笑起きてすぐ、新聞を取りに行った。「お母さん!仏壇広告の裏だわ!」「お母さん!他の投稿は11歳と24歳だよ~平均年齢ググッとあげてるね」なんて爆笑しながら、細かく改行された、母の文章を切りぬいてスキャンしたりして。「あんたらしい、切り方ね~」なんて馬鹿にされながら。万が一、電話が掛かってきたときのために、名簿なんかもエクセルで作成。↓ちなみにこんな感じで載りました。↓「ALSと歩む私に力貸して」 私は、家族に介護負担を掛けずに生きていけないものかと模索している筋萎縮性側策硬化症(ALS)患者です。寝たきりで人工呼吸器をつけており、二十四時間介護が必要です。ヘルパー二級の資格をお持ちで就労なさっていない方、あるいは看護学生でボランティアをしてみたい方、私をサポートしてくださいませんか。 ALSをご存知でしょうか?筋肉が衰えて全身が麻痺し、体を動かすこと、口から食すること、話すことがかないません。ついには呼吸もできなくなり、命が途絶えてしまう難病です。原因不明で、治療法もありません。 ですから、この病気では延命か尊厳死、「生きるか死ぬか」を問われます。胃から栄養剤を摂取する胃ろう、気管切開、人工呼吸器装着が生きるための必要条件です。生きながらえても病は進行し、家族に大きな介護負担が掛かるので、死を選ぶ人は七割を超えます。 延命しても家族負担が軽減できる制度があれば、この数値は大きく変わってくるはずです。 私は最後まで、命をともしてみようと、生きる決断をしました。 主人は七年前に他界し、年頃の娘が二人います。娘達の将来を介護で犠牲にするのは、母としてこんなにつらいことはありません。訪問看護師さんやヘルパーさんに入ってもらっていますが、どうしても人数が足りません。お力をお貸しくださる方を募っています。 連絡先は、●●●(●●●)●●●●です。親バカならぬ子バカで、結構大満足だったりして。母も方々にメールしたりして、なんだかんだいって喜んでる。・・うれしいのに今日は何をするにも歯が痛くて体が重い・・・(笑ボルタレン座薬で歯の痛みを抑えつつ、さあて、歯医者へ行こうと思ったら立て続けに2本電話掛かってきました。1、無資格だけど、24時間介護経験者の方。2、元看護婦で、体に障害があるけど何かしたいという方。なんだか、前の会社で求人出した日のようだ(笑連絡先だけ聞いて、そのまま歯医者に行きました。・・・事故にあわないのが奇跡の運転テクニックで(笑下だと思われていた親知らずは実は上だったみたいで、これから歯医者に通うことになりそう・・。帰ってきたらまた2件。3、元看護師で30代の方4、元看護師で歩いて程なくのところにお住まいの方私も母も、もちろんケアマネもこんな状況想像なんかしてなくて具体的にいつ何してこう進めようなんて考えていなかったわけで・・・だって、1人探すのに2年近く掛かったじゃん。ママンの訪問入浴時に思いも寄らない人からの電話がありました。宮城県で、もっともアクティブなALS患者だったKさんの奥さん。合鴨農業なんかやってたりして、旅行にも行ったりして私も読み漁った本や、HPなんかですごい人だったんだなと思っていた人だ。「お母さんのお気持ちは120%伝わりました」この一言を母に伝えたら母はもう号泣。そして今は週6日泊まりこみでALSの患者さんを看ていらっしゃるのに「月に1回くらいなら、ボランティアで泊まりにいけるわよ!」ってすごすぎる。旦那さんは海外旅行にも行ってたし、国内旅行も、映画にも行ってた。これから外に出ようというママンにはきっといい刺激を与えてくれるだろう。小さな新聞記事だけど、縁がどんどん大きく広がっていく。「すげえ。すげえよ。母ちゃんすげえじゃん。」というと母は顔を真っ赤にして泣いた。早速ケアマネージャー達と連絡を取って、来週にでもうちに来てもらうことにした。鉄は熱いうちに打たなくちゃ。やっと動き始めたママンだけど、小さな一歩は五人もの人の心を動かした。すげえじゃん。侮れないじゃん。就職して、家で様子が見れないのがちょっぴり残念だけど、あたしも負けていられないわね。
2007.03.02
コメント(10)
トラブルなくすごしてきたこの2ヶ月ですがついにトラブルがやってきました。私に。(笑)今ものすごい歯痛に襲われています。昨日「ズバリ言うわよ」見ながら糸ようじに熱中してしまったばっかりに眠っていた親知らずが目覚めてしまったようです。夜、就寝時、眠る~~っていう瞬間にアゴ、クビ、歯茎、頭、全部激痛!母のボルタレンゲルをクビに塗ってみたけど効かない。1時半、2時半・・・3時になってしまって悔しくなってボルタレンを歯茎に塗ってやった。(よい子は真似しないでね)なんで、痛いときって馬鹿なことばかりやってしまうんだろうね・・・。その後、痛み止め飲んで寝たら寝れました。韓国では愛の歯と呼び人を愛し始める年齢で生えてきて、愛すると痛むってJJが言ってたけどこの愛、ちょっと痛すぎる。今も吸引の痰が入ってくる振動なんかでも痛かったりします。ママンが「今日はボルタレン入れて寝ろ」ってママンのボルタレンって強くない?吸引のときに目覚めなかったらどうすんの??明日はカンファするんで、歯医者は明後日ですが、明後日は、今日往診してくれた皮膚科に行ってママンが水虫かどうか確認してこなきゃいけないんだけど・・・。申請書もあるし、忙しいなあ・・・ジムに行きたいから忙しいんだな・・・。でもこのままだとせっかくママンがいろいろ買ってくれたのにかたっぽのほっぺだけ腫れあがった秘書になってしまうので。はてさて、痛み止めが効いてきたところで、私もorfeuたんみたいに動画が載せられたらなあ~~・・・でも、私ウィルコム派だから動画撮れないし・・・って思ってたら何度も壊れてくれるこのVaioちゃん、動画撮影機能がついてました。・・・そんなことしなくても撮れるなんて知らなくて・・・。そんなわけで、最近まためっきりスピードアップしたママンのオペナビを撮影してみました。右手の親指のタッチセンサースイッチで文字を打ってるんですがどんどんスピードアップして、今は0.16秒。オペリンピックにでもでるつもりなのか・・・・???私がスイッチを借りても、速すぎて文章を書くこともできなければ間違った文字を消すことも出来ません・・・・。マリオの最初のクリボーが飛べなかったくせに・・・・。そんなママンのオペナビ動画(試し)ですがかなり画像が荒いので説明すると「何を書くの? 意識するとうまく打てません ご飯食べた? 美味しかった? 何を食べたの? 今日はお疲れ様♪」と打っています。一応。ママンが書いたボランティア募集の新聞投稿はどうやら謝礼がもらえるらしく、ママンも私も大喜び。まだ掲載日は決まっていませんが、今から楽しみです。
2007.02.28
コメント(11)
今日は高校の同級生と庭師の先輩がやってきてこれでもかっていうくらい台所を大掃除してみました。大晦日みたいだ・・・。母が発病して、全然してなかった部分まできれいに掃除。掃除好きの友達がいるって、幸せな介護者です。母は最近、還暦を迎えるせいなのか、6時や4時に起きるのですがジム効果か私も元気です。土日はヘルパーさん遅く来るから母も私を長く寝せてくれます。土日は逆に遅い方が、いいかもしれないな。家族での休日の布団の中のまどろみがあたしも母も好きだから。(しかも今は布団の中からでも母の文字がよめるしね)先日、母の大学の同級生がモロヘイヤパウダーを持ってきた。そんなわけでここ数日、夜の食間水の時間に胃ろうから入れてるんだけどなんか尿がきれいになった気がする。200ccのお湯に10g溶かして入れるんだけどふるいにかけても、少しずつ入れてもすぐ玉になる。詰まらない程度に塊が出来る分には構わないので、泡だて器でかまかまするわけよ。そうするとネバネバのモロヘイヤグリーン液の出来上がり。さらに、ママンには「モロヘイヤを入れますよ」という合図をするために「グリーングリーン」を歌いながら台所から参上。もうネーミングも「グリングリン」になっているので「じゃあ9時にグリングリンね~」とか言ってます。そのたびに爆笑されています。うちで使っている流動食はエレンタールで食物繊維なんかは入っていないらしく、水様便しかでません。それにこれからアクティブになってもらわねばならんのでなるべくいろいろ入れたいのよ(笑出来ることなら動物性たんぱく質だって入れたいのよ。せっかくなんで、前に問い合わせたお店から野菜パウダーを買うことにしたの。ケールとウコンとごぼうパウダー。前は乗り気じゃなかった母も、「買っちゃおう!」とノリノリ。そしたら、前に問い合わせた事をお店の人が覚えてくれていてその方も若くしてご両親を亡くされていて暖かい励ましのメールと、値引きのサービスまでしてくれました。ありがたい!!!なんか元気になっちゃいました。(でももう一回掃除はできない・・)パウダー野菜の種類が一杯あるのでこれからいろいろ買ってみよう。私も就職することだし、ジムもだけど、食べ物にも気をつけたいのでたまにお相伴させていただきましょう。。。飲めるかな??↓興味のある方は試してみてくださいね。http://www.gigamart.co.jp/
2007.02.25
コメント(5)
母はしっかり昼寝していたんだけど、あたしはジムでダンベル持って踊っていたので、気持ちいい程度にお疲れ。ママンはやっぱり「お母さん」母としての思いが少しでも読まれるともう、泣いて泣いて「メガネあげて」とか「吸引して」とかヨダレもMAXで落ち着いてられなかったけどなんか、すっげえかっこよかった。みんな。みんなかっこよかった。生きてることへの思いをいつも考えさせられている自分はなんて幸せなんだろうと思った。もっと強く生きてやろうと思った。mixiなんかやってると、日記に気軽に同級生とかに「見てね~~~」なんて書いちゃうわけよ。あたしも、呼吸器をつけた母にはもう慣れてしまったので余計に日々の日記からはどんな様子か想像できなかった子が多くていろいろ反響いただきました。我が家に「ただいま!」と入ってきて、母のカレーをよく食べていた小中学校の友人は3児の母になっていて、まだうちに遊びに来たことはない。今まで話してはいたものの、テレビで初めて母の様子がどういうものなのか知った。自分も突然の腰痛で、旦那に一時的に介護されて、「すごく辛かった!おばちゃんも辛いんだろうね!」と元気に言ってたのだがさすがに、メールで「言葉にできないよ。何も言ってあげられない。涙しか出ない」とシリアスにメールをくれた。すぐに遊びにきてくれるそうだ。家で庭師をやってくれてる先輩はあちこちにメールして「とにかく見て!」と言ってくれたらしく先輩のお母さんも号泣しながら見たらしい。結構目の当たりにしていると思われる私の従兄も夫婦で見て、生きることを考えさせられたと言っていた。短大の時、憧れだった美人の同級生は、結婚しておしゃれな雑貨喫茶をやっていて病気も知らなかったし、すごく考えさせられた。教えてくれてありがとうといわれた。あたしも又、勇気付けられた。母は、毎朝私を5時や6時に起こして新聞投稿の記事を書いていたが昨日やっと終了した。なかなかイイ出来になりました。投稿されたら、こっそり日記に書こう。そして、主治医に、今順調にボランティアを募っているので今回の入院は見送ってほしいというメールを書いた。今日の「生のかたち」も母に勇気を与えているだろうと思う。やっぱ、すげえや。何がすげえって、親ってすごいよね。
2007.02.24
コメント(4)
健全な精神は健全な肉体から。JJに「お前、育児ノイローゼみたいだよ」といわれ、育児ってもっと大変だと思うんだけどJJに強制的にジム通いをプレゼントされました。そんなわけで、ヘルパーさんに母を任せて、気ままにジム通いをしています。週に1回から2回ほど・・。2時間くらいで終わらせて(飽きっぽい)買い物して帰ってきてもヘルパーさんが帰る時間には間に合うしね。家では「今日はヨガでこんなポーズをやった」という話をママンに話すとママンはよだれがたれるほど笑います。そして、最近読んでいる本「シンデレラさん、お大事に」精神科医が童話のキャラクターを診察、治療するというなんともひねくれた話ではあるのですがこういうの大好きで、母に読み聞かせています。いろんな意味で勉強になってます。精神科医に「20歳も過ぎて、集まっては自分の人生がおかしいのは親の教育のせい」とのたまう人とはっきり書かれると、アダルトチャイルドの見解が変わりそうだ。高校のときに、父の事で読まされた本はアダルトチャイルドの本だったな。今でもさっぱり意味は分からないんだけど、自分の周りにも多いことは確かだ。母も結構楽しんでいます。母も勉強したからかな。ジムに行って癒されたら、癒し返さないとね。(笑)心に余裕を。母には愛を。(笑これからは母が好きな本も読んであげよう。テレビがついてなくて、本を読んでいるのってなかなか悪くない。母は最近忙しく、話し込んで2時というのもよくあります。母業も忙しいし、投稿記事も書く時間が無いしあとは母の同級生が遊びに来てそれこそ、学生運動盛んなころに洗濯桶で手巻き寿司をやったとか、伝説話の数々、母はよく笑いよく泣きました。呼吸器をつけて一年経つけど、今でも母の泣き顔は、涙を誘います。3月半ばから働くことになったわけだけどやはりいろんな問題は出てくるものです。私の勤務時間が8時半から17時15分(残業がなければ)夕方は早めの終了ですが、朝が早い。7時半には家を出なければならない。そうすると、7時15分には引継ぎも含めて交代者がいなければいけない。近所の友人に入ってもらえそうだけど、保育園の時間がいろいろ問題になってくる。「どうしようねえ・・」と母に言ったら母は、「ヘルパーさんがいない時間があってもいいのよ。 そんとき何かあっても、それはこちら側の問題っていうか寿命だって思ってもらわないと 誰かがいつもいなければいけない義務感とか、神経使われてるって思うと私が生き難くなるわ。」当事者の立場からしたら、確かにうなずけるところではある。確かに、「お母さんの介護のせいで遅刻してクビになった」としたら母も自責の念にとらわれるんだろうな。せっかく、クビになった娘(笑)がゲットした仕事なのに、私のせいで~とかいうかもしんない。しかもまた、呼吸器つけるんじゃなかったとか言い出すだろう。なんて素直なんだ。母。いっつも言ってっけど(笑でも、「仕事」として考えたら、命を預かっている責任は重い。私がヘルパーなら「早く行かなきゃー!!ウキー!」ってなるだろうしピンポン鳴らして入ったら、死んでいたなんて事になったらショックで耐えられないだろう。私ならヘルパーを続けられないかもしれない。それにヘルパー事業所のヘルパーとして来てるわけだから所属しているヘルパーとして責任があると思ってみんな働いてるわけじゃない?・・・難しいなあ。だったら母が望むようにやりたいなら、事業所作れば?という言葉はとりあえず今日のところは飲み込んだ。自転車で行けば10分くらい短縮できるんじゃないかと母に言ったら「坂だよ」といわれた。その前に自転車がない。根性なしだと思われているのか?これはホントに答えが出せそうにはないな。
2007.02.19
コメント(4)
先日、新聞記者さんが母に会いにきた。取材に来てくれたのではなく、今後のボランティア集めのために人繋がりで紹介された方だ。そして、母は今一生懸命記事を書いている。投書という形で、ボランティア募集をかけるのだ。朝、私を起こしてパソコンを起動させて私が二度寝する間、ヘルパーさんが帰った後、ひたすらパソコンに向かっている。・・・・が、すぐ雑記帳画面で私と雑談になった。母「もう嫌だー。めんどくさい~。500字以内って言われたのに、 もう説明だけで400字超えてる~~~」私「そういや、主治医がママンにエッセイを書かせようとしてたね。 出版して、稼いだらいいみたいな・・・。」(生きる力効果かしら・・)母「一体、私のどこ見てんのよ!!!大嫌いよ~こういうの!!」参考になればと思いボランティア冊子に掲載した最初の記事と某ニュースページに載せた文章をメールで送ってみた。どっちも「不治の病といえば、深窓の美少女がため息をついているイメージで」とか「私の不治の病のリカちゃんは歩くことも食べることもでき、体育以外は何でもできた」とかそういう「不治の病ネタ」からスタートしている。母「うまいじゃん。」私「えへへぇ~~。読書感想文はお母さんによく添削してもらったね~~。 うまい?すごい?感動して涙とか出る?」母「・・・書き直す・・・・。」私「あ・・見せないほうが良かった?」母「いや、説明で400字超えたらヤバイ。あ~めんどくせー。ヨーコの文章何文字?」私「軽く1000文字は超えてると思うけど・・・削れないの?」母「削れない。書き直したほうが早い・・。あ~めんどくせ~~~」せっかくなので新聞の投書欄を読んで聞かせてみた。車の一時停止とか、残留孤児の判決についてとかアルツハイマーのお母さんのことまで分野はいろいろ。料理して、母のパソコンを覗いてみたら「子供の頃、不治の病というと、お嬢様が・・・」私「母ちゃん、パクってんじゃん!!!」母「私の頃はね~人気映画スターだったのよね~~。」私「娘の文章パクるなよー!!」母「こういうこと考えるのって、女だけなのよね~~うふ。」私「『うふ』じゃないよ!!」母「吸引してください。」私「アイデアまで吸い取ってやる!!」母「もう笑えるわね~」・・・どうなることやら。必死こいてた就職活動ですが、医局秘書の面接を受けました。いきなり締め切り日に駆け込み履歴書を出しいかにも月9ドラマの秘書のような応募者に囲まれて、面接をしてもう、自分は場違いだと思ったのですが、どういうわけか、採用が決まりました。神経内科ではありません(笑後で教授から、母の病気のことで働けるか確認電話をもらいましたが神経内科もある病院ですので、ある程度、理解いただけたようであとは実力・・・一ヶ月は試用期間なので今度はクビにならないように気をつけようと思っています・・・(何を?春から新しい生活。母に負けぬようにがんばります!
2007.02.15
コメント(6)
お休みしています。サクライです。おお!サクライが一発変換されないくらい日記かいてませんね~。たまに皆さんのとこに足跡だけつけさせてもらってますが家族みんなで楽しく過ごしています。「介護大変なんだろうね・・」というのは間違いで、実際、夜はほとんど起こされませんし、ヘルパーさんもよくやってくれているので、気ままに過ごしてます。会いたい人たちにも会ってます。皆様にありがとう、です。諸事情でお休みさせてもらっています。勉強してるんですよ。アタイ。TOEIC800点取れなかったら英語の仕事あきらめようかなと思って。今日はどうしても残しておきたいことがあったので書いておこうと思います。とある、Q&Aサイトで質問したり答えたりしてるんですが(ホントに勉強してる?とは聞かないで・・)今日は久々に、震え上がるくらい怒る出来事がありました。20代前半の女の子が寝たきりの難病のお母さんを介護していて、お父さんからお小遣いを2万円もらって生活しています。その中から年金を自分で払って、残りは過食でお菓子代にしているそうです。そんな女の子からの質問は「私の職業はなんですか?」でした。友達に、仕事もしないで家にいられてうらやましいといわれるのだけど自分はニートなのか?それともパラサイトなのか?家事をしているから家事手伝いなのか?と聞いてきたのです。皆、介護していること、家事をしていることは立派な仕事だとそういうコメントをもらっていたのですが、心無い回答者から「父親の給料でまかなっているなんてうらやましい。 自分は家事をしていないが無職が長いが お小遣いをもらっていないから自分のほうが不利」というコメントが書かれていました。いやはや、もうすぐ27歳になるんですけど、久しぶりにブチキレてしまいました。うらやましいなんてとんでもない。よくそんなことを軽々しく言えるものです。うらやましいなんて言う人は介護したことが無い人、介護の世界を少しも知らない人です。寝たきりの介護は24時間フル稼働です。「体が痛い」「痰を吸引してくれ」など安心して眠ることさえままならない生活です。そして、自分の親を見るということは半端無いストレスです。自分の親が老いていく姿を目の当たりにするのってどれだけつらいことか。自分が倒れたら、変わりはいません。働きたくとも、ブランクがある。そして、介護しなくてはいけない。外に出たい、出られない。自分の親は自分より早く死にます。結婚はできるんだろうか、今までのキャリアや学歴は無駄なんだろうか。その後にどんな人生が自分に待っているのか。それでうらやましいなんて、信じられない話です。Q&Aサイトだから本当は質問の答えを書くところなんだけど「介護体制を見直して、自分の時間を作って!」とか「無理しないで、何もしない日もあってもいいんだ!」とか「レスパイト入院させてくれる病院はあるの?」とかなんかそんなこと書いちゃいました。・・・・・・・・泣けました。自分の寿命を短くしてでもいいから、お母さんを治してほしいって。たまに将来を考えて、友達を見て、死にたくなるほど辛いって。自分を自分で殴ってしまうって。「お母さんを、施設に入れたくない。 お父さんと引き離したくないし、お父さんも自分の介護を望んでいる。 これからは無職と書く。そして介護をしているから無職なんだと 胸を張っていえるように、介護をがんばる。 だから、あなたもがんばって、就職してね」と書かれました。マジ、号泣。 mixiとかと違って、相手に直接メッセージを伝えることもどこの誰かも分からないけど、もうがんばらないでほしい。がんばらなくてもいいようにしてほしい。もう興奮して、母にこの万感の思いを伝えてしまいましたが母は歯を見せてニヤッと笑いました。私らしいと思ったんだろうな。また日記をお休みして、勉強します。たまにサボりにあちこち徘徊してますが、元気だからね。
2007.01.29
コメント(7)
仙台と姉妹都市の光州ですが 仙台便に間に合う飛行機がないことが空港で判明。 「姉妹都市なのに」という韓国語を学びました。 しょうがないのでやっぱり夜行バス。あたし、いつも飛行機一人だよな・・・・。そういえば。直行便だそうよ、仙台市長さま。バスのターミナルでプリクラしたら韓国で買った服を着ていたせいなのか「彼氏のほうが日本人なのかと思った」といわれた。だんだん韓国人女性化しているみたいです。私。韓国なのに新宿さぼてんでとんかつ食った とんかつは美味いんだけど、ビビンパが普通だった。 JJはそばが食いたかったのにそばがなかった。 ゴマが入ったすり鉢を出されて「なんでこんなことしなきゃいけないんだ」とJJ。人には好みがあるのよ~と言ったものの。途中で飽きてしまった私。全部摺ってもらいました。ありがとうJJ。本屋でかわいいハングルの絵本と昔話の漫画を 買ってもらいました。 私の韓国語は5歳から6歳程度でした。 小学校に進学できませんな。 絵本がハイセンスですねー。だから韓国語はやめられない。あとはお土産買いです。姉の服をちょっと奮発。私と姉とで体型が違うので、販売員のお姉さんに着てもらいました。めっちゃ恥ずかしがっていた。フェイスショップでお土産買ったらおまけがこれでもかっていうくらいついてきた。は。。初売り?JJは胃が悪いにもかかわらず、 私の強い希望でポジャンマチャで焼酎のんだ。 おばちゃんがいい感じでした。 砂肝が韓国にもあって幸せ。 っていうか、韓国式の飲み方忘れてた。 どっちを向けばいいのやら。 いくら目上の人と正面向いて飲んではいけないとはいえみんな、その方角をいつ決めるんですか?
2006.12.19
コメント(2)
昼から出前。何でも出前するよね。韓国。でも冷めていてJJはご立腹。熱いものを熱いうちに食べる韓国人ならではか。。あたしなら出前だし~とあきらめるかも。しかも食器を洗わずに外に出していいらしい。ハエが来るよ。ハエ。JJはたまに親切心で洗ってあげることもあるそうだがバイトしていたJJの友達によるとそれはホントにラッキーデーでお礼におかずを多くくれたりとかするそうです。・・・でも洗わなかった。ここで韓国に来てから ずっと便秘してることを告白。 JJに出されたのはすごい匂いの胃腸薬。M&M?みたいな黒い錠剤(糖衣じゃない)でもぜんぜん効かなかった。最強腸。JJはトイレではタバコを吸うとちゃんと出るらしいのですが日本では遠慮してタバコが吸えなかったようで。いいんだよ・・・吸っても。次からは漫画と灰皿用意しておくからね・・・。私にはその方法はちっとも効果なし。理由は多分、「好きな人の前では屁も出ない」からではないかと。「好きな人の前で、おなかも緊張してるのvv」といったら のだめカンタービレを連続9話見ながら おなか揉まれました。でも出ないんだな。 韓国で日本のドラマをそれこそ同時進行で翻訳してる人がいてそれをネットで配信しているのですよ。だから、見逃したドラマもばっちり見れちゃうわけで。ケイコ先生に「ドラマを見れば発音よくなる」って言われていたので、のだめを勧めてみたら「俺はドラマ依存症なんだ」まさか全部見るとは・・・・。クラシックに興味ないだろうと思っていたらそうでもないみたいで、音楽やってたからね。コタツを説明できてよかったわ。コメディだから二人で笑えて楽しかった。あたしもなんだかんだ忙しくて全部見てなかったし。すぐにCDの音源までゲット。韓国だね~~~。あたしもほしいそのCD。聴いたら思い出すから、だそうです。夜は控えめの晩御飯。キンパプとおでんとピザトッポキ。ゴマの葉っぱがうまい。。。。栽培したいけど、春に植えるものらしい。買っちゃおうかな・・・。ピザトッポキって馬鹿にできないね。お姉ちゃん好み。
2006.12.18
コメント(0)
山ー!!光州から車で1時間ほどの 実際人が住んでる民族村へいきました。 大雪。 光州はそもそも雪の国ではないそうなんですが去年といい今年といい、ホントに雪女。高速でハザードランプをつけてる車が多くてJJに聞いたら「減速してますよ」という意味だそうですがハザード出しながら追い越し運転されるとビビリます。左ハンドルの右側通行は車に乗ろうと思うときに逆に乗ろうとしてしまうので注意が必要です。到着したときは大雪だったんだけどもう、トンマッコルの世界、住みたい。ここに住みたい!!素敵な韓紙の小物のお土産やさんがあって母の趣味だった張子のトラがめちゃめちゃかわいくて日本と違ってトラはなんかかわいい顔してるんだよね。したらそれ、売り物じゃなかったんだけどおばちゃんが特別に売ってくれました。あちこちに屋台があってサツマイモとか栗とか・・すると「ポンテギのにおい!」とJJ。買ってるし!!「俺の愛!」とかまた言うし。「虫は食えない」と言ったら これは海老みたいなもんだといわれた。 「ポンテギはがんばった! 絹としても役立ち、最後は食べられて・・・」 最後は食べないでちゃんと葬ってあげればいいじゃないか。建物はそれこそ豊臣秀吉が攻めてきたときのころの村。ちゃんと壁で囲まれていて、そんな村が残ってるなんてすげえ。人が住んでるところはエアコンがむき出しになっていて切なかったけど。道路が土だとなんか懐かしい感じがするよね。その後雪で日が落ちつつあるのに 山の中の寺に行きました。帰りは真っ暗でした。 途中無意味な車椅子用トイレがあって、掃除用具入れになっていた。これ車椅子で来たらちょっとしたスポーツだよ・・・・。お寺はもう観光客向けの場所はしまっていて、しかもお経が始まっていた。合掌してお辞儀。教会より居心地がいいのはやっぱり仏教徒だからなんだろうか。韓国の仏像は韓国人顔。 日本は日本人顔、アンコールワットはカンボジア顔だもんね。 象の模様があったりして陸続きなんだなと思った。 ボブなんか喜びそうだな。。。ここ。さすがに写真は撮らなかった。なんとなく仏像を撮るのは気が引ける。袈裟もちょっと派手だったな。太鼓も大きな韓国の太鼓でお経。帰り道は真っ暗な山道で、去年早苗ちゃんが山で遭難したときのことを思い出した。彼女も博物館関係で韓国によく来ていたからいろんなところへ行っただろうな。そんでしゃぶしゃぶ食べました。 はい。鍋が赤かったです。っていうかこれ、しゃぶしゃぶじゃないし。(笑たまった汁を捨てて、甘いしょうゆとコチュジャンのソースで食べまくるJJ。肉ばっか。韓国式の食べ方でもないそうだけどなんか変な感じ(笑便秘なんで野菜を多く食べたんですが、来韓から一度も出ないのはやはり外国だからなんでしょうか。
2006.12.17
コメント(0)
山へ行くといわれたのですがさすがにピンヒールのブーツではいけるはずもないのでセーターと靴を借りてハゲ隠しのスカーフと帽子で完全防備。んで出発。なんか古めかしい昔の家のようなレストランでご飯。韓国料理のすげえところはあったまるところ。なんで自分日本じゃキムチ食べないんだろうなあ。。好きなのに。いざ、山へ向かうといきなり雨。雨です雨。雨女ですから。そんなわけで山装備で、街へ行くことになりました。ちょっと見たい映画があったのです。パクチャヌク監督の「サイボーグでも大丈夫」精神病院でのラブストーリー。クムジャさん、オールドボーイが当たり映画だったので大いに期待していたのですがその前に、献血。そう、韓国では献血すると映画のチケットがもらえるのです。いいサービスだね~。市民番号がない私はもちろん献血できませんでしたよ。でも検査まで見学させてもらいました。質問事項は日本より厳しく、「韓国のどこに行ったことがある」とか「生理中か」とか・・あたし生理でも献血したぞ。んで、検査用に日本でなら両腕を出してどっちか選ぶじゃない?それが、指に針刺してその血で検査ですよ。やっぱり指なのね!指!!韓国の人の話を聞いていたらなんかびっくりしたときに「ええ!?」じゃなくて「あ~」になっていく。自分がそういう風になっていく。なぜなんだ。親切な看護師さんがジュースを私にもくれてテレビを見ながら献血。したらテレビで時代劇のベッドシーン。(といってもシンプルなやつだけど。気づいたら腕枕みたいな。。)JJが「あ、同級生だ」JJの同級生に俳優さんがいるんですね・・。主役級やるような俳優さんだと思わなかったのでびっくり。名前聞かなかったけど、日本でも有名なのかね・・。この人かも・・という俳優名は調べたけど、興味も大してないので省略。さすがに携帯の番号を何度も変えてるようなので、今はそうそう連絡とれないそうですが。でも、ひげなんかつけてると「JJの父です」と言ってもおかしくないよ。ホントに竹馬の友かと思うほどの見た目年齢。無事にJJの400mlの血と引き換えに、チケットをゲット。デパート上の映画館へ行くと、中はすっかりシアターコンプレックス。JJは映画は好きなんだけど、忙しくてぜんぜん行ってないのでシアターコンプレックス内ちょっと迷った模様。何番シアターとかややこしいよね。確かに。1時間ほど余裕があるので下でお買い物。が、・・・・・・・怖い。なんでこんなにアグレッシブなんだ。販売員。言われてることの半分もわからない私。JJは面白がって助けてくれないし。英語で話し始めるとそうでもないんだけど・・「ジャケット探してるの?ジャケットいいのがあるわよ~」とガンガン声を掛けてくる。カナダでは「見てるだけ」と言えたのに。韓国ではなんていえばいいんだー!!そんなわけで、外でコーヒーでも飲んだらコーヒーのお供に嫌いなプチトマトが出てきた。生のトマトは小学校のとき先生に3時まで居残りで食べるまで帰してもらえなかった思い出が。。カナダでは結構がんばって食べたけど、ハンバーガー、ピザの上に乗っている生トマト以外は今でも絶対に食べることができない。最後に食べたのは障害者の作業所で彼らが作ったトマトを出されたときだけ。「俺の愛配合」とか言ってなんとしてでも食わそうとするJJ。「だって、俺のお母さんがトマト出したら、食べるんでしょ?」・・そりゃ食べるよ。「教授が出しても食べるんでしょ?」・・食べるでしょうね。「なんで俺からの愛はだめなの~~~~!!!???」・・・どんな嫌がらせですか!!コーヒーをよりにもよって飲みきってしまい、意を決して生トマトをかじる。あ・・・実は結構食べれる。でも結局あの中央、緑色部分が駄目なので、水をがぶ飲み。JJは「いいこー!」・・・・・もっと褒めろ。JJは乳製品は好んで取らないけど、嫌いな食べ物はない。絶対納豆食わせてやる。「トマト食べたんだからポンテギはなしね!」と宣言。※ポンテギとは蚕のお菓子です。映画館へ行くとJJは「ポップコーンがいい?」と聞いてくれたので韓国では映画館で必ず食べると言われる、スルメもお願いしました。私てっきり、スルメが焼かれて売られているのかと思ったら、違うのね。日本みたいにコンビニでパックされてるようなスルメなのね。箱入りで、中に袋が入ってて。しかもなんか甘い。スルメはもっとしょっぱいものかと思っていた。でも全部食う。「サイボーグでも大丈夫」は映像はやっぱりよかったんだけど韓国語が聞き取れないせいか、それとも単に期待はずれだったのかあれ?って思ったら終わりだった。日本ではテロップは必ず最後まで見るのが映画を作った人達への礼儀と思ってたんだけど韓国の映画館では途中でカット(笑トイレに行きたかったのでよかったですが。下の階で服買ってもらいましたが結局、韓国でどんどん短くなっているミニスカートを買うことはありませんでした。もう「おしゃれ」より「寒い」が勝つ年齢。JJ,破産しなかったかしら・・・・。店員さんが喉ガラガラだったので、たぶんここで風邪をもらったかと。。。日本語で「ヘアカット」と書いてある看板を見つけてJJの伸びきった髪を切ることに。しかし、「ヘアショップ」と書いてある看板もあったのですがどう読んでも「ヘアツヨツプ」髪型は店の男の人のほうが女の人よりおしゃれだった。いや、日本っぽいからそう思うのか。私が日本人だとわかると一生懸命英語と日本語でお茶を出してくれたり、お菓子をくれたり「こんにちわー」と言ってくれたり。楽しゅうございました。JJは思ったより切られなかった。でもイメージ変えないようにしてくれたので○。ちょっと気になったので「私の髪のこと、何かいい方法しってるかな?」と聞いたら店員さんが、「今頭皮用スコープが壊れていて見れないんだけど」と私の頭皮を見てくれました。皮膚科は髪の専門じゃないから行くもんじゃない。とか2ヶ月前のストレスではない。4ヶ月から6ヶ月前だ。とか頭皮が油っぽくて毛穴が詰まるんだとか・・なんかちょっと眉唾ものなんだけど(笑いいシャンプーとエッセンスをJJが買ってくれました。店員さんが使い方をものすごく細かく指導してJJがそれを一生懸命メモしてくれて、・・・・・帰国後談ですが、効いてます。抜け量はまだ多いですが、生えてます。ご飯はサムギョプサルしました。庭の石のような鉄板でした。早速シャンプーお試し。リンスいらずのシャンプーですわ。
2006.12.16
コメント(0)
2日目。修理してもらった目覚まし時計。すっごい音です。JJにクリスマスプレゼントに口紅をもらいました。ちょっと大人な感じです。目を覚まして、枕を見たらものすごい髪の毛。抜けすぎだよ。髪の毛。一人でへこむ・・・。そのままJJの大学へJJタイムに行くと、開いてない。警備員とも掃除のおばちゃんとも仲良く話している(ように見える)JJ。しかし学校はほんとにマリオっぽい。研究所には後輩のジェヨン君がいました。昨日の電話のお礼を話しつつ。いやーシャイボーイ君ですね。なかなか話してくれませんが、突然「ヌナ!お土産ありがとう!」と。JJの日本土産を見せてくれました。いや、買ったのはJJですから。そっか、ヌナなんだよね。ヌナ。どきどきしながらJJの教授にお会いする。基本的に全部JJが説明してくれたんだけど「彼に会いたかったんだね」とやさしく迎えてくれました。ハゲを見せました。最大の理由です。このまま高校へパンフを持っていくけど一緒に行こうかと誘ってもらいました。車に乗って遠い女子高へ。クッションがバイアグラのクッションでびびりました。風景がどんどん変わっていって何がびっくりしたって、お墓。土がお椀型になっていた。日本とまったく違う部分です。学校もレンガ造り。それも違うよね。トイレだけお借りしたんだけど、そう・・トイレ。・韓国のトイレには紙がない。・たまにトイレに紙を流してはいけない。この二つのルールを忘れてはいけません。でも紙は流しました。なんとなく。JJは、秀吉か?と思うほど教授の靴を出しておいたり、車の向きを変えておいたりたいした部下ですよ。学生なのに。帰り道と行く途中で、車ごとシャワーを浴びました。なんだろうと思ったらJJが「鳥インフルエンザ知ってる?その地域だから。」・・・・・鳥インフルエンザですか。あの。途中で教授がご飯をご馳走してくれました。スンドゥブー。黄な粉みたいな飲み物が出た。今回の試験で1番になれなかったら研究所を追い出されるってJJ言ってたけど「一番の生徒だ。自慢の生徒だ」ってJJがトイレにいる間に話してました。がんばれJJ。学校へ戻って、日本語の先生にお会いしました。ケイコ先生、盛岡の人でした。「こんなに早く会えるとは思わなかったわ。 いっつも自慢の彼女の話ばっかりしてたからねー」・・恐縮です。日本のドラマの話とか私の話とかたくさんしました。韓国に来たのはもう20年くらい前で感じのいい女性でした。「自分の主人が韓国人だからこういうのもなんだけど 韓国人はいいわよ。まじめだし。彼もまじめよね。 ちょっとほかの生徒とは変わった経験をしてる子ね。 前は音楽を10年やったから少なくとも10年は勉強しようって。 昔、またいろんな仕事をした経験があるから、働くことに自信はあるって。」日本語でJJの話を聞くのは変な感じです。「あ、そうそう。家事は奥さんを手伝うけどできる限り奥さんにやってもらうって 確か言ってたような気がするわよ。」・・・・・・ほほう。。JJは「なに?なに?」とちょっと不安げ。すっかり話し込んでしまい、その間に教授が帰ってしまいました・・・。夜は出前でした。JJの好物でした。なんでも出前できる韓国がすげえ。
2006.12.15
コメント(5)
JJに内緒で韓国にいっちゃいました。(設定)仙台空港は長蛇の列で、どうやら中国への旅行が流行ってるようで。。JJはまだ教授について高校訪問しなければいけないか未定でメールで「まだわかんない」状態。飛行機乗ったらなんでか今回はスチュワーデスさんはほとんど韓国語でしか話しかけてくれない。・・・そんなに日本人に見えないのか?前情報でとりあえず空港内は英語でも大丈夫だと聞いていたのですが光州まで一人で行くのはどきどき。大概一人旅でも空港まで来てもらってるお決まりの旅しかしたことないもんなー。できるだけ早く仁川から金浦へ行かないと夕方に光州につけないのに強風で到着が遅れてしまい、あわててバスターミナルのインフォメーションへ。ラッキー!インフォメーションは英語表記!と思って「Can you speak English or Japanese?」言ってみたら「ノーノーノーノー」目も合わせてくれねえ。「・・・金浦へ・・カゴシップンデヨ」と行ったら「オーケー!金浦ティケット!」って英語はなせるんじゃねえか。バスに乗って金浦空港へGOです。とにかく「イェー、カムサハムニダ」で凌ぐのです。バスに乗ったら気分はフリーダム。自由だ。右側通行、左ハンドル。乗り心地抜群のバス。電話が鳴り捲るバス内。途中危うく国際線で降りそうになりましたが「国内」「国際」韓国語で覚えててよかったね・・・。金浦についてチェックインしたら荷物が早く出るようにお願いしておく。アシアナ、さすがに英語OKです。ここではな。JJから一年前にもらったテレカを使ってみようと思ったらなんか変。「カードを確認してください」と表示される。仕方がないのでありったけのコインでJJの後輩へ電話する。「ジョンジュ パッコジュセヨ」と言えば通じるはずなのにJJの名前の発音が正しくない上、音量の調節方法がわからない。「ジェヨンさんですよね?英語話せますか?」ときいても聞こえない。あたしがパニック。とりあえず連呼。とりあえず連呼。したら、「Jeongjooよ?」とやっと通じて「いえーーーーーーーーーー!!!!」とりあえず、「ナワッソ~(私来ちゃった)」と言ってJJに小芝居打ってもらう。「どこにいるんだー!金浦?わかった・・・迎えに行くよ」出発まで時間があるのでがんばってご飯を食べてみる。ロッテリアの前に立つこと20分。多くの韓国人に列を譲りながら、前の人が頼んだチキンバーガーを頼む(笑でもさすがに学生。英語が通じました。韓国だとポテト用にケチャップがついてくる。韓国来たーって感じだね。自分で注文できたことに大満足していたらさて行こうと思って、立ち止まった。ごみの分別が全部韓国語。・・プ・・プラスチックしか読めない。したら、さっきの学生定員さんが「あたしがやるわよ」となぜかパンマル。もしかして、嫌がられてる?(笑うろうろしながら外で一服。韓国では女のタバコは普通じゃないんでどこのだれに何か言われるともわからないので、どきどきしてしまった。三往復くらいしてしまった。ゲートくぐってテレビ見て出発を待つ。なんか軍隊の番組やってる。慰問余興か?ほかのテレビでは演歌の番組。本を読んですごしてたらアシアナの人が叫んでいた。「光州へ」しか聞こえなかった。みんな席を立ったので、何事かと思って、さっき叫んだ人を追いかけてみた。したらゲートが変更になってやんの!!英語でも言ってくれー!!やっと出発。飛行機でぐっすり眠ってすごしたらあっという間に光州。アシアナさん、なんでチャングムばっかり放送するんですか。到着してみたら、JJはおらず、どこにいるんだろうと思って外に出たらタクシーの運ちゃんたちが「アガシアガシー!」イヤー!!やめて~~声かけないで~~わかんないから~~~!!外でとりあえず一服して、中に入って待ってたらJJは走って現れた。コーヒーを買ってもらって外に出て、久しぶりの再会なんだけど、こないだ会った人みたいだった。JJご飯食べてなかったので、まず研究所へ行ってひよこちゃんのテディベアに再会。それから、キンパプ食べた。ゴマの葉っぱがうまい。栽培しようかな。久しぶりのトッポキは辛かった。やっぱ久しぶりに食べると辛いんだなー。写真はあとで載せますよ~。
2006.12.14
コメント(2)
JJとの再会までまもなく。明日カンファが終われば、明後日にはJJに会える。そんなうきうきしてしかるべき時に突然起きた異変。落ち武者化してきました。JJには半年に1回しかあえないのだから一番可愛いところを見せたいのが女心。JJの両親に心配させたくないし、見られたくないのでホントにシークレット旅行にしてもらうことにしました。なのに、全然気持ちが盛り上がらず、母とは喧嘩して全然前向きになれませんでした。もう母のメールが我慢できなくなり「落ち武者化してきたので、介護についてはカンファで。 就職活動すらできなくなるのを避けたいので。」とメールしたくらいでした。そんな私を励ますべく、姉が買い物に連れて行ってくれて勇気を出して、女性用育毛剤を買ったらレジ店員が、元職場のパートさん。。。しかも、30代用と40代用、間違って40代用を買ってる・・・。いいの、980円だったから・・・。病院へ行けば3000円は飛んでしまうし、いくらのだめカンタービレが読めるとはいえ、母が帰ってきてから病院へ行った方が役所に申請したら時間取れるかもとか思って薬をちょびちょび使っていたので、もっと思いっきり気になったときに使えるものが欲しかったのよ。3日間、暇さえあればスプレーしてマッサージ。姉がびっくりするくらい、今回はダメージがでかくてホント参ってました。いくら、「ハゲでも愛してる」って言われても・・。お姉ちゃん、スカーフや帽子でのコーディネートを献身的に協力してくれました。すると頭皮に変化が!!!!「ヨーコ、今まで真っ白だった頭皮が!!ピンクだ!ピンクだよ!!!!!」「ここ生えてる!毛根見えてる!」今まで突っ張るように痛かった頭皮が、柔らかくなってきました。気持ちもやわらかくなってきましたぞ!というわけで、行ってきます!!あとはJJに癒されて介護と再就職だ!!
2006.12.12
コメント(7)
作戦コード アルファ、ブラボー、チャーリー(ホントに米軍用らしい)母が退院することになり、突然思い立ったサクライはおもむろに空港へ。仁川空港から、金浦空港で国内線に乗り継いで、光州へ。JJからもらったテレフォンカードで大学へ電話。「びっくりさせたくて・・来ちゃった」JJ:とりあえず、びっくりする。(笑そのままタクシー(黒塗りのタクシーがいいらしい)に乗り込み、大学へ。教授がいれば、頭を下げて小芝居を打つ。いなければ翌日、頭を下げて小芝居を打つ。サクライ:試験期間中、休みを聞いたら今日からだって聞いたので てっきり休みだと思って来てしまいました。JJ:このまま、彼女を実家まで連れて行きます。どちらも教授に嫌われる覚悟(あとで学校へ戻るJJはもっと大変)でそのまま強引に冬休みゲット。今年の冬も韓国で過ごす!・・・・なんでこんな作戦を練らないといけないかというと実は、JJまた大学で1番をとらないと研究室を追い出されるそうです。そういう微妙な期間に、母の退院が重なり、チャンスは1週間しかない。今、堂々と休みを取れる状況ではないJJ。結果が出る前だからね。しかも正面切って休みを取ろうと思ったら、教授は1日しかくれないだろう。あのラブホのような城(大学)に閉じ込められた、JJ姫を救いに龍(国内線)に乗って・・まさにマリオみたいな展開。そしてサクライサイド。病院的にはすぐにでも退院して欲しいだろうけどちょっとこっちもトラブルばかり発生。介護に入ってくれる予定だった友達がお姑さんの痴呆で急遽できなくなってしまった。頼りにしていたボランティア団体さんからも連絡はない。このままだと何の変わりもないケアプランになってしまうのでホントに就職してなくてラッキーとしかいいようがない。ケアマネさんも講習で猛烈な忙しさ。師走だね。走ってるイメージだよ。母の退院中にJJを迎えることもできるんだが今年の冬はどうしようかねーメールを送ったら母は、「私が帰ると文句言いたくなるのね」「そういう事があるから呼吸器付けたくなかったのよ」「ママが生きてる限りはしょうがない」的なメールにサクライぶち切れ。年賀状お願いね、ケアプラン見直して、と本当に娘を就職させる気があるのか??姉を結婚させる気があるのか????「あなた達のために入院長くしたのよ」って考える時間が欲しいといったのは母で、そのために、介護後の韓国行きを白紙にする以外なかったのだ。私より沸点の低い姉、もっとぶち切れ。「ええい!韓国に行ってしまえ!」そういうわけで頼りにされないために、韓国へ亡命します。(笑親切で長く母を入れてくれてる病院には悪いけど、私もどうしてもコレが必要なんです。コレがあるから介護できるんです。就職したら、遠距離恋愛なんてそうそう会えるもんじゃない上移動に1日かかるような場所に行くので、だんだん難しくなっていきます。・・・・と言ってもまだ予定は未定。出発ぎりぎりまで、予約せずに動向を見守ります。たまに親子喧嘩も必要ですが、我が家の場合、少しショック療法が必要な時もあります。「就職する」「結婚する」等。ママン、相当焦ってるので、恋路の邪魔をこれから散々聞かされるだろうけど、これも愛の鞭です。家出って、1週間FIXじゃ家出にならんのだけど。もう介護しかしない。介護体制は自分で考えてくれ。めちゃくちゃになっても軌道修正できるくらい娘達は柔軟だ。ホントに「娘が出て行きました~。なんとかしてください」っていう状況にすらなりかねませんな。・・・それでも退院に対応した行動を取っている自分が憎い。スケジュール調整だの準備だの・・。なんて計画的犯行。焦っているのは母ばかりなり。
2006.12.08
コメント(12)
今日は、いわゆる人材バンクに行ってきましたよ。なんか、まだ「若い」に該当するみたいで。就職活動大好きなんで、結構はまってます。今回の人材バンクの会社の紹介は、ケアマネージャーの友達さんが派遣会社をやっていて、それでお話を聞きにいったら派遣会社的には損なのに、こっちの会社を紹介してくれたのだ。何事も人繋がり。他の派遣会社からはやたらとタイピング業務の依頼が来ます。どうやらテストで好成績(負けず嫌い)だったらしく単発でパソコン入力だけで働ける人自体珍しいからだろうね。たまたま担当の女性がお父さんが痴呆症ですごく理解してくれた。介護していたこのブランクで、私がしてきたことは全部自己PRにしてしまえばいいって言ってくれた。「あなたの売りは英語と可能性です」と言ってくれた。ありがたいね。ママンから「日記に書かれるから教えたくないんだけど」といいつつ結局詳細メールが来たので、皆様にご報告(笑ママン、車椅子のかたどりをしたんだけどどうやら業者さん色々説明不足だったようで仲介してくださった先生に「業者と話したい」というメールをしたら主治医を巻き込んで大騒ぎになってるらしい。(どう大騒ぎなのかは不明。)ママンはもともとそういう人なんだよね。・元職場で法事のお返しを買ったら熨斗が薄墨じゃないと(私に)クレーム。・ボブが昔仙台に来てしゃべっていたら新幹線に乗り遅れ、緑の窓口10人抜き。・家を買ったときも写真をとりまくっておかしなところはすぐ通報。・色々値切り。・判子屋の占いで私が死ぬって言われたので本社に電話してクビにした上、店がなくなった。(今話題のあれだったのかもしれないんだけど・・・・)呼吸器つけてからもうすぐ1年になるんだけどママンはママンに戻ってきてるのかもしれません。いろんな掲示板で、ALSによって家族が色々変化して精神的に、みんな参ってるのを見てると、うちもそうだったって言いたくなるんだよね。憎いのは病気で、家族じゃないのに、「どうしたら明るくなるんだ」とか「どうしたら死ななくていいんだ」とか誰かを責めたり、自分を責めたりした。去年の私はとても必死だったなあ。毎日、JJに電話しながら台所で泣いた。風呂でも部屋でも家族の居ないところでぼろぼろ泣いた。母の前では死んでも泣きたくなかった。でも家族に本当は頼りたかった。誰でもいいから頼りたかった。もっと明るい未来をそれこそ、子供の頃にやった宝釣りの屋台みたいに先に飴がついてるか、蛇のおもちゃがついてるか、先に何もついてないかもしれないけど何かをなんでもいいから掴みたかった。まだ紐をたどってる最中かもしれないけど今日のALSのメーリングリストに載ってたちょっと嬉しいALSの研究結果も母も一緒になって喜んでくれた。・・・・・・あとは年女なんだからもっと年賀状、やる気になってほしいもんだ。次回の病院は、プリンター持参です(笑
2006.12.06
コメント(4)
ママンの年賀状作りに病院へ行きました。ノート型パソコンにオペナビを使ってるママンですがこのたび、S先生がスタンド着きディスプレーを完備してくれました。おかげで、ママンの文字画面が二つになったのでこれで晩御飯のたびにコール鳴らして「美味しい?」って聞かなくても見えるところにノート型パソコンを設置できます。声が届くみたいに、文字が見えるって快適になるに違いない。ママンのスイッチ0.27秒。日本記録にでも挑戦しているのか?13日にカンファ。私は明日ケアマネの紹介してもらった人材派遣会社の人が親切にも「もっと上のチャンスを」と紹介してくれた人材紹介会社へ行きます。英語の仕事を探す上で、派遣会社では限界があることがわかったのですよ。だって一回受けた会社二度と受けられない上それくらいしか求人があがんないんだもん。もう、正社員目指すっきゃないか?まだ、働くことに不安はいっぱいだけど同じくらい、娘を巣立たせることの不安を抱えているママンと同じくらい、結婚することに不安を抱えているおねえちゃん。みんな戦いなのだな。コレが。さーて、履歴書一枚しかないので失敗できないぞ。がんばりまーす。
2006.12.05
コメント(2)
気ままなハゲライフ。帽子なんか面倒でかぶらないし病院に行ってもすぐ生えるわきゃないし。ほんとに右にも3つハゲがあるんだよ。これが。今まで頭髪についてからかった3名の男性の気持ちが分かるようになってきた。一人は演劇やってたころの主宰で、最初の円形脱毛症のときに「私もハゲたー。私は生えてくるけどね」と言い放った。二人目は先輩で、上司に「○○さんは私が入社した時は、ふさふさでと言うんだよ」と教わった。三人目は上司で、いつもつい頭から見てしまった。ハゲ論議が尽きなかった、昔。前髪が明らかに薄くなってきたんだけど、お風呂に入ると情けない頭になってしまう。なるほど、それで雨注意なんだわ。そして駅前のビル街を歩く時、横風注意。おびただしい抜け毛が、あちらこちらに散乱していて朝と風呂は、毎回びっくりするよ。もともと髪が多い方だったから、全然目立たないけどびっくりなほど髪量減ったなー。乾燥シーズンでコタツがないのでストーブの前でだらだらしてたらそりゃあ、髪には良くないだろうけどカナダの猛烈乾燥にも耐えてきたこの頭髪が日本の冬ごときに~~。ただ、一個だけ、変化が起きてるんだよね。おでこの肌が良くなってる。いつもニキビ予備軍がたくさんいるのにおでこの産毛はちゃんと残ってるのにおでこの肌が良い感じ。これはハゲ効果?またはマイアロンローション効果?前髪が薄くなったせい?もうビデオチャットしながら薬塗っちゃうんだけどJJが「ニンフに髪を盗まれるんだよ」と。ニンフって妖精のニンフですか。韓国にもニンフがいるんですか。妖精は確かアイルランドとかそっち系だった気がするな。昔ピーターパンが大好きで、図書館で関連本を読み漁ったなー。髪を盗む妖精だなんて、すっかり私は忘れてましたわよ。寝癖も妖精なんだよね。妖精を信じないと妖精は死んじゃうんだよねー。妖精を信じる心を取り戻せば、髪はもう盗まれないのかしら。だとしたら、瀕死のニンフが「おのれ・・・信じろ~」と、毎晩髪を抜いてるのかしら・・。本当にニンフの仕業なのだとしたら抜くのはいいけど、持って帰ってね。髪の毛ちくちくかゆいです。抜けるのが先か、生えるのが先か・・「どっちにしても、伸びるまで1年はかかるでしょう」とJJ。その通りです。このまま保ってくれよ~。せっかくマチルダヘアにしたんだから。でもホント、しばらく美容院へ行かなくても、全然オッケーな事だけは確かです。後ろ真直ぐに切ってよかったわ。
2006.12.04
コメント(4)
更新してないのは働いているからです。単発の派遣で。タバコが吸い放題なんですが・・。今日までの予定が、半端無いデータ量と効率の悪いエクセルフォーマット。明日も出勤です。もう、計算式いれちゃったもんね。おっちゃんばっかなので、可愛がられて楽しいです。これがなければ、横浜の国際会議へ行くことも考えたんだけど、高望みして次回のトロントに行かせてもらおうということで。ママンに頑張ってもらおう。最近JJから、プレゼントが送られてきました。枕とベッドのマット。あったかいやつ。夏にウチにJJが来た時、私の枕は母の膝下に入れていたので枕が無かったので・・枕2個も来た。最近寒いんであったかくしないとね。でも朝、ぬくぬくで起きれないのよ・・・。そんなJJは、今試験期間中。1週間以上学校で寝泊りしてます。ビデオチャットで連絡を取り合っていますが昨日も着てたなこのセーター。一応、試験期間だし、私も仕事があるし、姉のパソコン借りてるし早めに切り上げないとと思ったら、JJったら「オンナハ ナンデ イキマスカ?」・・・・・・・・・は?今なんとおっしゃいました?「あれ?オンナハ ドコデ イキマスカ?」ぎゃああああああああああああ!!!!いやああああああああああ!!落ち着いて、姉の入れてくれたハーブティを飲んで、一体何を言いたいのか聞いてみた。正解:「女はどこに居ますか」(かまってくれないので他の女の子を捜すフリをしたかった)日本語のテストが心配です。そういえば、姉。鬱が良くなったせいなのか、日刊ノブとの恋愛も順調に見え、うちの近くに彼が部屋を借りる運びになりそうだったのですが叔父さん達にアドバイスを受け、われら娘達、ママンから自立することを目標に頑張ってますんでいつもおなかを壊している彼を心配した姉は「やっぱり会社の近くに部屋を借りよう。」と提案。ウチの近くからじゃバイパスも混むし、睡眠時間も心配だそうで。ところが日刊ノブ、「俺は、そっちの地域に住みたいの!!」と意見が割れ、話し合いすることになったみたい。「・・・どうしてなんだろう・・・」と姉。「そういうのは負けてあげたほうがいいよ」と姉に言ったら「なんで?」と聞いてきた。姉も日刊ノブも似たもの同士なんだなあとこんな時思う。すっごく簡単に姉に説明してみた。「だからさー、それはノブの愛情表現なんだから拒否したら、傷つくよ。 お前の家も家族も生まれ育ったその地域すら俺は愛してるんだ。 だから、そこに住むんだ!って言ってるんだよ。 お姉ちゃんは私は、家族のことばかり1番にしてきたけど これからは自分が新しい家族を作るんだから、 ノブの身体が一番心配に決まってるじゃない!って愛情表現してるのよ。 だから拒否されるとなんか腹立つんだよ。」・・・・ムツゴロウさんか?それが大変分かりやすかったらしい。たまに女は負けてあげないといけないんだな。愛情表現同士の喧嘩が一番、長引かせたくないからなー。あの二人を見ていると、また、いろいろ勉強になるよ。姉に恋愛について説く時、お嫁に出すのが心配になる。。いや、むしろ彼女は恋愛経験は少ないほうがいいんだ。しかし、最近パソコンを借りているせいもあり大変、むかつく発言をポロッと(しかも思わず)言うのでこれも鬱が治ってきたからなんだなと思うと姉妹二人暮らしが長いゆえに、居なくなったら寂しいなあとも思ったり。電化製品の説明書だけちゃんと読むようになってくれたら安心してお嫁に出せるかな・・。あ、あと、調理器具の使い方も・・。
2006.12.01
コメント(6)
母のところへ行ってきたわけです。叔父さんの血を着々と受け継いでいる次女ヨーコは母を感動させ、涙させる毎日です。説教臭くなったな。母は変わってきましたね。なんか前向きだし、自分で判断するようになってきました。娘の役割が分かってきたことやら家族愛ゆえのぶつかり合いがあったわけですが、娘は娘らしくいたほうがいいようで。私も安心して、というか、巣立たないといけないわけですよ。母の自立よりまず、娘が自立しないとね。今日は車椅子のかたどり。例のごとく遅くいったのですがオールヌードで型取るわけじゃないのね。チッ。母は車椅子の色に色見本から燃えるような赤を選択。F兄貴ご推薦のフェラーリのマークでもつけるか、もしくは漆塗りの傘でもつけるか・・・。O女医先生が「赤ね、赤。真っ赤に燃える憎いやつ」とすごいテンションで去っていきました。キャラ変わってきたな・・・あの人。ケアマネージャーズもきて話が大いに脱線しながらケアプランを見てたわけなんですがALS娘が病室に3人そろったもんだから大騒ぎ。しかも、愛音ちゃんのいないところで勝手に愛音ちゃん親子強制参加。「これで娘達5人になったから、そろそろ踊りぐらいできるんじゃない?」「宴会場かりて、飲み会かしら」「温泉がいいわよ!温泉が!訪問入浴の桶でできるわよ!」「じゃあ、患者が3人でも4人でもいけますよね」勝手に大盛り上がりしていたら、母「Mさん(なずなちゃんのお母さん)はどう?」「行きましょう。温泉」母、変わったなーーー。というわけで、それめがけて母、とりあえず車椅子のリハビリを頑張って欲しいわ。誘っちゃったんだから責任もってリハビリしてもらいたいものです。ちゃんとMさん親子には「言いだしっぺなので、無かったことにしないようにしつこいくらい サクライさん、温泉!と言ってあげて下さい」と念を押しておきました。そのうち、ALS娘全員集合も時間の問題か?・・・・というわけだよ。愛音君。
2006.11.24
コメント(7)
mixiでも私の日記を見てる人がプッと笑いそうな今日の日記。韓国に1年留学していた人に書かれたコメント。「韓国に行ってもいいこと無いよ。余計なお世話だったらスルーで。」意外と小さな心臓を持ってるので正直、気分はダウン。他にも韓国にまつわる友人達だっているので韓国人の友達もいるし、そんなの不用意に書かないで欲しかった。大体、まだ将来どうなるとかそういう事なんかまるで考えられない状況もあるし。しかも1年留学とかって半端にリアルなんだよ。JJに話してみた。「韓国は住みにくい~。俺も住みにくい~。 マンションは倒産して競売に行かなきゃいけなかったし そこでの会話はまるで外国語だったー。なんて住みにくい国なんだー。 日本かなーカナダかなー。ねえどこの国がいい? 他の国なら文句言わないで住むよ~法律わかんないし。」・・・・・・・・・・ほっ。JJのそういうとこ見習いたい。分からないことは文句言えない。うん。その通りだわ。
2006.11.21
コメント(8)
全55件 (55件中 1-50件目)