2006.09.24
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カテゴリ: ALSの国編
難病と告知されたとき、年老いた母親にそれを打ち明けられるだろうか。


生きるか死ぬか、迷っていると言えるだろうか。


寝たきりの姿で、幸せに暮らしていると笑えるだろうか。


理解してくれるだろうか、受け入れてくれるだろうか。



祖母は83歳(だったかな)。
母がALSの告知を受けて約1年10ヶ月。
もう去年の秋分の日、従兄の結婚式以来、祖母は母に会っていない。
耳が遠くなったせいか、何かを感じたからなのか
電話を換わってほしいとも言わなくなった。
どうなっているのか、誰かに聞くこともなかった。
ずっと2年前の手術から、「3年経ったら、治る」と信じてきた。

私と姉が遊びに行くと、
「お母さんに」と食べ物や洋服を持たせてくれた。
石焼ビビンパすらも、「お母さんに包んでもらえないだろうか」と。
祖母も母も、いくつになっても「母親と娘」でしかなく、
叔父はそんな二人を「一卵性親子」と呼んでいた。

母の病気のことは母も完全に叔父に任せていて
「暖かくなったらきっと話そう」と決めていたが、
1月、母の従妹の遭難と3月に葬式。母にとっても祖母にとっても叔父や叔母にとっても
もちろん私達にとっても大きな事故が重なって
どんどん話すタイミングが狂ってしまって、もう秋になってしまった。




昨日、父の七回忌に叔父と叔母が来てくれて、
そのまま母の実家へ行った。
従兄にパソコンを借りて、cyworldとmixiを開いた。
祖母に母の写真を見せるためだった。

叔父が分かるように、でも心配を掛けないように
母の病気について説明する。

手術はしたけれど、神経の病気で治らないこと。
人工呼吸器を使っていること。
食べることも話すこともできないけれど、パソコンでお話ができること。
でも家族で毎日楽しく過ごしていること。

私や姉も、毎日の生活について話した。
そう、今日も七回忌であれをもったか、これをもったか朝から騒がしくて。
男の訪問入浴のスタッフには「彼女はいるの?いたことはあるの?」なんて
からかったり、メールをしたり、友達の人生相談まで受けちゃったり、
母のレシピでご飯を作ったり、普通のお母さんと変わらないのだと。

祖母は、理解したようだった。
少しずつ私達に聞いてきた。
「何を食べているの?」
「お風呂は?」
「お母さんは苦しくはならないの?」
「何が原因なの?」
「3年経ったら治るって聞いていたのに、もう3年なのに。
 そんな病気があるなんてなあ・・」

叔父が「心配だろうから、明日会いに行こうよ」と言い、
叔母も「一緒に様子見に行って安心しよう」と言ってくれた。

祖母は「そうかあ?でも会ったら泣いてしまいそうだあ。」と
震えた声で言った。


「前はあんなにおいしいところとかたくさん連れて行ってくれて
 親孝行してもらったもんだ。よく思い出すのよ。」



母から素敵なタイミングで「今どこ?」メールが来て。
「おばあちゃんの家。おはぎがうんめー。
 おばあちゃん、敬老の日のプレゼントありがとうだって」と送ると、
「親孝行もしないでごめんねと伝えてとメールが来た。」
祖母は「なぁにを言ってんだか・・」と小さな声で言った。

待ってるからと岩手県を後にした。
家に帰って、一部始終を伝えると母は真っ赤になって泣いていた。
おばあちゃんは、しなやかに母の病気を受け入れた。




そして、今日、祖母と叔父と叔母がやってきた。
母は私達にキレイに化粧され(母曰く「おもちゃにされ」)
いつかの卒業式を思わせるほどキレイだった。

祖母が来る前から、母は何度も涙を流して
「これは病気のせいだから。泣くのは病気がさせるんだから」と何度も言った。
祖母は母のパソコンの字を読んで、母とちゃんと会話をした。
曾孫の話、親戚の話、当たり前の話を。


「ずっと言えなくてごめんなさい。」

祖母には言えない呼吸器をつけるまでの自分の葛藤が
母の頭の中でめぐっていたそうだ。

母のその状況をそのまま、祖母は丸ごと受け止めてくれて
祖母は母の涙を拭き、そのときの二人は
おばあちゃんとお母さんではなく、母と娘になっていた。


ヘルパーさんや、庭を手入れしてくれている先輩を呼んで
みんなでケーキを食べた。
その雰囲気は染屋をやっていて来客と笑いの耐えない母の実家の空気が流れていた。

「たいしたもんだよ」と叔父も母の弟になっていた。
そこにいたのは家族。
初めて自分の生まれる前の世界が少し見えた気がした。

母は涙が止まらず「あんまり泣かせないで」と言ったけど
病気じゃなくても、私だってきっと涙が止まらなかっただろう。
当たり前だよ。


あっという間に時間は過ぎて
祖母は泣きながら「また、来るから」と何度も何度も言って
私も姉も叔父も叔母も、目を潤ませていた。
母も泣きながら「待ってるから」「待ってるよ」と言い、
「車椅子ができたら必ず行くから!」と私も姉も言った。


「また、来るからね。風邪なんか引くんじゃないよ。
 また来るから。体に気をつけてね。
 ヨーコもおねえちゃんもお母さんよろしくね。
10時からNHKで歌舞伎があるから必ず寝ないで観るんだよ!








歌舞伎!?




母の泣き顔が、爆笑に変わった。
みんなも腹を抱えて笑い出す。


「おばあちゃん!歌舞伎って!!」




「あたしはいつも歌舞伎の途中で寝てしまうんだけんとも・・・。あんたは観るんだよ!」





ああ、なんて素敵な天然DNA。







母は寝るまで涙をこぼしていたけれど、素敵な再会になった。
生きて会えたことの幸せ。生きていればこその幸せな再会。
娘たちはいくらでも付き合うよ。
今日は涙でも、次からは笑顔だけになるのだから。





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Last updated  2006.09.25 01:12:46
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