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社会の中で生きていると、色んな繋がりができてきます。しかし、それらが本当に有益なもので楽しいものならいいのですが、そうでないものもあります。もしやりたくない仕事をしているのであれば、自分のために有益ではないでしょう。そして会社に縛られている状態になります。仕事が楽しくてライフワークを生きている人もたくさんいますが、大多数の人はお金を払ってでもしたいと思っている仕事に就いているとはいえません。しかし、それらはお金を稼ぐと同時に社会に貢献していることなので、社会全般から観てみれば有益な労働になります。働かないで、世界を放浪していたり、好きなことをしていることだけが自由だと思ったりしますが、実は本当の自由人という人は、社会の束縛の中にいて、自分を自由に生きられる人だと思います。はっきり言って、世界を放浪するのはとても簡単な自由を体感できるやり方の一つの方法です。しかし、社会に出て、通勤に何時間もかかって、残業もあり、仕事の期限や、営業の成績などや、職場の人間関係といったものの中で、自由自在に本音で生きていけて、なおかつ幸せ感を味わえる人のほうが何倍もすごいと思います。そういう人が本当の自由人だと思います。
2008.05.19
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日本は恥の文化といわれています。一方欧米は罪の文化と言われます。なぜかというと、そこには「神」という存在がつよくあり、日本では「世間様」という存在があるからです。そのせいか、日本人は人の目を見すぎるのは無礼とされていました。しかし欧米諸国では人の目をみてアイコンタクトなどをする重要な役割を持っています。だから日本人は外人から何を考えているのかが分からないといわれます。それはどういうことかというと、日本人は自分の本性とは裏腹に、建前をもって周りに合わせてコミュニケーションを円滑にするということが欧米ではそれほど一般的ではないからです。それはいいことであり、日本の美徳なのですが、コミュニケーションにおいてひとの目をみないという弊害は意外と大きい物です。顔や目をあわせないであいさつしたりすることは西欧ではとても無礼ですが、日本人はよくします。それが舞妓さんのような品位のあるものならいいのですが、簡略化のためが多いようです。そして、相手がなにを考えているかお互い分からずじまいで、お互いがお互いを詮索し、ミスコミュニケーションにもなりうります。最後にお互いが「繋がっている」という気持ちが希薄になりすぎてきています。日本の美徳であった文化は今では全く機能しなくなったように感じます。ですから、欧米のスタイルにしてしまったほうがいいのではないかとさえ思います。きっと多くの人は自分の家族にほど目を合わせてコミュニケーションできないでしょう。そこから改善しなくてはなりません。
2008.05.18
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