白い稲妻・多摩の黒酢(たまの くろす) ほぼ競馬なブログ since 2006

白い稲妻・多摩の黒酢(たまの くろす) ほぼ競馬なブログ since 2006

PR

×

Profile

多摩の黒酢

多摩の黒酢

Free Space

多摩の黒酢(たまの くろす)です。
ブログを見に来てくれて、ありがとうございます。

2006年7月2日
本ブログ開設

2015年3月31日
通算50万アクセスを突破!!

2016年12月22日
通算100万アクセスを突破!!

2017年4月1日
所有馬が全頭引退のため、ブログタイトル変更

2018年6月12日
通算150万アクセスを突破!!

2019年10月9日
通算200万アクセスを突破!!

2020年3月10日
ブログ開設5000日目

2020年9月18日
通算250万アクセスを突破!!

2021年8月9日
通算300万アクセスを突破!!

2022年12月5日
ブログ開設6000日目

2023年4月1日
プロフィールの画像を変更しました。(AIが作画。)

2023年5月30日
通算400万アクセスを突破!!

2023年11月18日
7255アクセス/日(過去3番目)を記録!

2023年12月4日
7595アクセス/日(過去2番目)を記録!

2024年7月27日
通算450万アクセスを突破!!

2025年7月2日
ブログ開設 満19年達成(20年目に突入)

2025年8月30日
ブログ開設7000日目

2025年12月26日
通算500万アクセスを突破!!

2026年5月4日
9833アクセス/日(過去最多)を記録!

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

2009.09.20
XML
カテゴリ: 旅行・旅
多摩の黒酢です。
少し、真面目な歴史の話を。。。
淀と言えば、関西人の70%くらいの人は、『競馬場』(京都競馬場)と答えるだろう。
競馬場行きの直通バスも「淀競馬場」となっている。
京都市街地から離れた位置にあるので、あれは「淀競馬場」という人も多い。

淀と言えば、競馬場近くに 淀城 (淀古城)があった。
関白秀吉の側室・浅井茶々こと、淀君の居城である。
しかし、豊臣氏の跡継ぎ問題等があり、取り壊しとなる。
その後、徳川2代将軍・徳川秀忠が京都警護のため、淀藩の城として、
再建された淀城の石垣が、現在の京阪淀駅近くの石垣であり、
淀古城は、少し別の位置にあったらしい。(淀城は歴史上、2つ存在した。)
水道が無い時代だったので、川から水を城内に汲んでいた水車も当時、あったらしい。

その豊臣秀吉は、2度、朝鮮を攻める。(文禄・慶長の役)
朝鮮との国交が断絶したが、徳川家康により、国交が回復して、朝鮮の通信使が数回、
京都を訪れ、その際、大阪湾から川を上って、降り立った地が、
京都競馬場近くの 「唐人鴈木」 である。  (写真:多摩の黒酢)
鴈が羽を広げたような石段が当時あって、名づけられたようです。

唐人鴈木跡.jpg

歴史の話は、安土桃山から、一気に江戸の幕末となる。
旧幕府軍と、新政府軍が 鳥羽伏見の戦い で、激突する。
旧幕府軍は数で勝っていたが、舶来の大砲や、錦の御旗によって逆賊となったことにより、
士気が低下し、新政府軍に破れ、敗走する。
旧幕府軍は、淀藩の淀城に逃げ込みをはかるが、門前払いとなり、淀城を焼き討ちする。
そして、山崎を経由し、我が家の近くの西国街道を通り、大阪湾から江戸へ逃げ帰る。
京都競馬場近くには、こうした戦没者を祀る石碑がたくさん残っているそうです。

淀は、歴史のポイントになる地であることを改めて、実感した。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.09.20 10:30:35
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: