タケの「夢と勇気とサムマネー」

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2004.11.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今まで述べた古代の世界観は
「宇宙はどのように出来たか、人間はどのように出来たか」
と説明するものであった。

それに対し自然教、または多神教は自然の恩恵に感謝したり、
自然の脅威をおそれたりする人間の素直な感情を示すもので、
天地草木全て神であった。

それはそうだと思う。

ありとしあらゆる物は、ある法則で動いているらしいが、
それは何だか分からない。

ただ、ある者の意志によって動いている。

人間は、それらを総称して神と呼んで敬った。


そして、農耕時代、即ち歴史時代に入ると、
この世界は一人の神が創り、動かしているのだという事になり、
神に対する絶対服従を誓うようになった。

それが、仏教・キリスト教・イスラム教の一神教である。

そしてこれらに共通している事は、
人間以外に絶対なものを前提としていることであった。


二千数百年前よりギリシャに自然を物質の組成によって
説明する思想が起きた。

現象を神話や超自然的なもの(神)によって説明するのではなく、
ロゴス(論理)に基づいた合理的論理で説明した。

「自然学」は、物事に内在する論理を探求し、
存在する物事をその原因から説明するものである。

対象とする自然は、運動、変化の原理を、神にではなく
自らのうちに持っているものであり、
うちに秘めた可能性としての形相を現実性にすべく、
目的に向かって進むものである。

こうした「自然学」は、生物学・医学のみならず無生物にも
当てはめられ、天体論・運動論にも適用された。


紀元前6世紀頃、哲学の創始者と呼ばれたタレスという
哲学者がいた。

彼は「万物の元のものは、水である」と主張した。

水の流動性や氷及び水蒸気への変化、あるいは生命維持に
不可欠なことに注目し、それが世界全体の成り立ちに
大きな役割を果たしていることを観察した。

彼によって開かれた科学者的態度こそが、知的認識による
世界解釈としての哲学の成立を促した。

その弟子(前570年頃)の哲学者アナクシマンドロスは、
明確に合理的な世界像を構想し、いかにして世界が形成され、
それは現にどのようにあるかについて、体系的な著作を残した。

その内容は、宇宙形成過程に始まり、生物の発生と進化から
地誌や民族誌にまで渡っていた。

以後の初期ギリシア哲学の問題枠とスタイルは、
これによって確定された。

彼はタレスの言う水の重要性を認めた上で、
水が単一の原動力というのではなく、むしろ
「相反する力を持つ諸事物の対立抗争関係によって成立している」
と考えねばならないとした。

従って元のものは、あらゆる反対関係を越えたもの、
そこから全ての反対的なものが「分かれて出て来る」
ところの根源として認定されねばならないとし、
彼はそれを「無限なもの」と呼んだ。

彼の字宙論には「大地は何物にも支えられず、
万物から等距離にあるが故に静止している」といった
鋭い思索や生物進化論などの奇抜な着想が含まれている。


その他、四要素説を唱える学者もあった。

それは、火・空気・水・土ないし、太陽・大気・海・大地を
基礎的実在とするものや、また、ある学者は「万物の種子説」
を唱えたり、様々であった。


ここで私達が注目をしなければならないのは、
一千五百年前の世界の人で、神を持ち出さないで、
純然たる論理(ロゴス)を持って、この世界を解釈しようと
した国民は、ギリシャ以外には無かった事である。

しかし、その説明は今から見ると本当の事もあるし、
間違いの物もあった。

それを鋭く追求したのは、紀元前五世紀に現れたソクラテス
であった。

それでいてソクラテスは、この世界はどういう具合に
出来ているとも一切の結論は言わなかった。

事実、現代の科学を持ってしても、まだ分からない事は山程ある。

ソクラテスは言った。

「人は皆、自分は何でも知っていると思っているが、
それは不完全な知識にすぎない。
自分は知らないのだということを知っている人こそ
本当に知恵のある者なのだ」
と。

無知を自ら認め、自覚する事こそ「知恵」の名に値し、
しかもそれこそが唯一の「人間の知恵」であるという
「無知の知」というこの恐るべき逆説は、裏をかえせば
ソクラテスの自己が、そして人間の自己がいわば
「無知の自己」として無に他ならないことを告げているのである。


実際、ソクラテスの言う通り21世紀の今でも、
殆どの人は間違った意見で身を処しており、しかも自分は
十分に必要なことは知っていると思っている人が余りにも多い。

そして、その意見たるや自分で考えたものではなく、
マスコミの大量宣伝によるものや、体制のいうことを
無批判に信じている人が多い。

若い女の子が流行に従っていると、それが作られたもので
あろうとなかろうと、とにかく、大勢の人がやっていることに
仲間入りすれば安心だという心理がある。

それと同じように、大人にも大勢の意見に従っていれば
安心だと思っている人が多い。

それが真理であろうと無かろうと関係はない。

だから、本など読む必要はない。

何故なら、自分の知識が不完全であるなど夢にも考えていない
からである。


ソクラテスは、市場や体育場など人の集まる所へ行き
「人はいかに物を知らないか」ということを、
優しい問答形式で教えて歩いた。

ソクラテスは本は書かなかったけれど、その弟子のプラトンが
ソクラテスの言行録である「対話編」26編や、思想を書き残した。

ソクラテスは「この世界は、火と空気・水・土の四要素が
結合したり分離したりすると、生成したり消滅したりする」
という学者があると、素知らぬ顔をして問答をしかけ、
最後にはその説が矛盾していることを学者自身にも
認めさせてしまった。

これを弁証法というが、こうしたやり方で次々と
権威あるとされる意見を論破していった。

それでいてソクラテス自身の意見は言わないというより
無いのであるから、当然評判は余り良くはなかった。

出目で獅子鼻の容貌と、特異を言論との結びつきは
アテネ中の評判になり、終には一青年の
「国家の認める神々を認めず、他の新奇な神霊を持ち込む事」
と「青年達を堕落させる事」の二つの罪状で告発され、
裁判にかけられて死刑の宣告をうけて、毒杯を飲まされて死んだ。

その言行をプラトンは記録してソクラテスのあとを継いだ
のであるが、その次に出たアリストテレスになると物事を
ソクラテスのように流動的だけに捉えないで「形而上学」
という本を書いた。

というのは、それまでの弁証法というのは漠然と物事を
動きの中で捉えていた。

しかし「動いているもの」も瞬間は「止まっている」のである。

全ての物は「動と静」という矛盾したものの統一として存在する。

それが弁証法的理解である。

それが、それまでのギリシャの哲学者は「動」だけしか
理解していなかった。

それで、その考え方を「素朴な弁証法」といった。

そこでアリストテレスは静止した状態を明らかにした。

その二つが合わさって正しく理解できる。


しかし、後世の人はこれを分けてしまった。

そこで「世界は、変わらないのだ」という形而上学が確立した。

これは正しくは間違いであるが、物事の理解には役立った。

特に、17世紀以降の自然科学に貢献した。

丁度、写真が静止しているので見ても分かる。

ビデオは全体は分かるけれど、静止状態が分からない。

だから、二つあれば本当の理解が出来る。

最近では「ビデオカメラ」があるが、弁証法的理解というのは、
このようなものである。

このようにアリストテレスは、ソクラテス、プラトンの哲学を
一段と発展させたのであるが、世の中はそのように理解せずに、
ただアリストテレスの「静止」の面だけを取り上げて理解した。

それというのも静止した封建時代がその後始まったからである。


この弁証法と形而上学というのは、その後の人類の哲学の
二大潮流となる。

真理は、二つは無く一つであるが、形而上(精神)学というのは
殆どの人が「そうだと思える俗説」であるのに対し、
弁証法はその論理で万物は動いているのにも拘わらず、
一寸分かり難い点があるので、形而上学はなかなか無くならず、
従って二大潮流となった。


(「哲学の奨め」曽我達夫著より)







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Last updated  2004.11.26 18:42:07


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